2016年09月20日

愛ゆえに…… 〜三好徹『チェ・ゲバラ伝』〜

ゲバラについて形成されていた先入見。
それは、カストロが疎んじて追い落とした、というもの。
誰かがそうハッキリと断じていた。
カストロがゲバラを謀殺したのだ、くらいの勢いで。
それはプロパガンダだったようだ。

それにしてもゲバラやカストロ、キューバ革命に思いを致す時、そこにはいくつもの疑問がまとわりついていた。

キューバ革命はなぜ成功したのか?
なぜアメリカは妨害しなかったのか(他の中南米諸国のように)?
バチスタは、モンカダ兵営襲撃で19人を殺しながら、首魁としてせっかく捕えたカストロをなぜ死刑にしなかったのか?
捕えた19人は女性を除いてその場で殺し、後々関係者を20000人以上殺したではないか?
1957年3月13日のホセ・アントニオ・チェバリア率いる学生30人による大統領官邸襲撃では、学生25人を射殺し関係者50人以上を殺したではないか?
死刑にできなくても密室たる獄中でいくらでも殺せたではないか?
そのうえ、なぜせっかく禁固15年を下したのに、大統領再任特赦で、たった2年足らずで釈放してしまったのか?
なぜCIAの侵攻は、あんなにへなちょこだったのか?
カストロはなぜ暗殺されなかったのか?
なぜゲバラは初めコンゴへ行ったのか?
そしてなぜコンゴでの戦いを断念したのか?
なぜ次に選んだのがボリビアだったのか?
本当に勝算があったのか?
なぜカストロはゲバラを助けるために、国をあげて対ボリビア戦争をし向けなかったのか?

なぜのまま残ったのは少なくない。
三好はコンゴの件とキューバ危機に関してはサラッと書いている。
カストロとの確執などはなかったという立場だ。

ゲバラに関する先入見はもう1つあった。
ボリビアでの勝算の件に関連するのだが、軍事偵察用人工衛星網が張り巡らされ地球上の全ての人の顔すら識別できるというこの時代に、どうしてゲリラ戦による革命の成功などあり得ようか? という思いである。

最大のなぜはゲバラの生き様だ。
なぜ、「上流社会への鑑札」たる医学博士を得ながらそれを捨てることができたのか?
なぜ、アルゼンチン屈指の財産家の娘フルレイラ嬢との結婚を捨てることができたのか?
なぜ、愛する妻と5人の子供を捨てることができたのか?
なぜ、キューバ工業相の地位を捨てることができたのか?
キューバを去ろうとしたのは、何か居づらくなった事情があったのではないか?

なぜ、約束された何不自由のない裕福な生活を捨てることができたのか?
なぜ、革命に命を懸けることができたのか?

そのパーソナリティの形成こそ最大の謎である。
否定的な面が一切出てこない。
頼むから何か出てきてほしいという感じである。
例外は久保田鉄工堺工場を案内したM・S氏が「傲然たる態度」「お高くとまっている」と言ったのくらいである。
聖人、カリスマというしかない。

「ラテン・アメリカの人びとにとっては、チェのような家系の、いわばエリートが革命家として生きそして死んだことが、不可解でならないようであった。現世の楽しみを本能的に求めるかれらには、チェの生き方は、理解の外にあるらしく、それをいう人は少なくなかった。しかしながら、このなみはずれた生き方こそが、チェの魅力であり、ラテン・アメリカに限らず全世界の若ものたちの間での熱狂の原泉にもなったのだ。かれはボリビアのジャングルの中で銃弾に斃れたが、同時にまた不滅の生をかち得た、といってもいいであろう」(p.368〜369)

ラテン・アメリカ人というのは、自己中心的でエゴイストなのらしい。
母親セリア・デ・ラ・セルナが社会主義的思想の持ち主で、
「革命家チェ・ゲバラの生成やその心情に強い影響を及ぼしたのは、父親よりも、むしろ母親であったろう」(p.14)
とあるが、他の4人の兄弟は普通のラテン・アメリカ人だという。

私は父の影響が大きいのだと思う。

「父ゲバラは、共同経営者を見つけて、造船業をはじめた。事業は順調だったが、ゲバラ家の当主は、新しく厄介な仕事を背負いこむ羽目に陥った。
というのは、二歳になったエルネストが、喘息の発作におそわれたからである。父ゲバラは、息子を抱きかかえて、ベッドに腰かけたまま仮眠するという毎夜を過さねばならなかった。
『幼い兄はそうされると安らかに眠った』
と、弟ロベルトは証言している」(p.10〜11)

チェが11歳の頃。
「チェが出席すると、たちまち騒ぎが起こった。着飾った少女のひとりが、大きな声で、靴みがきなんかをどうして入れたの! といったからだ。それは、チェの服装に対するあてこすりだった。じっさい、チェは、なりふりかまわぬといった外見だった。服装に対する無頓着さは、かれの生涯を通じての特質のひとつであるが、このころからすでにそれが発揮されていた。
女の子はともかくとして、男の子たちもこれに同調して侮蔑するに至って、チェは爆発した。ラテン・アメリカ人の、とくにアルゼンチン人の誇りの高さは格別である。チェは独りでかれらに立ち対(むか)い、そして父親は呼ばれてくると、この愚かな富めるものたちに抗議し、抑えようとするホテルの従業員たちにステッキをふるったために、息子ともども放り出されてしまった」(p.16)

チェの喘息のために、一家は3度も引っ越している。
コルドバのアルタ・グラシアに転居した際は、せっかく順調になった造船業を共同経営者に売り渡してまでそうしているのである。
順調な生活よりもチェの健康をとったのだ。

他の兄弟と分けるとすれば喘息である。
チェは自分が喘息であったがゆえに承認された親の愛に感応したのだ。
それは後の「革命家にとって最も大切なものは愛」発言につながってくるだろう。
革命家にとってというよりも、まっとうな人間にとってと言うべきだが。

チェは日本を高く買っていた。
予定外にも広島に行き原爆慰霊碑に献花したのは有名な話だ(日本側は広島行きを嫌がるような印象を与えた)。
しかし経済協力を請うチェに対する池田勇人通産相らの対応は冷淡だった。
アメリカの腰巾着たる日本がチェの工業機械の買入れの話も無下にしたのも理の当然である。
しかしそんなことで日本に失望を覚えるほどチェもナイーブではなかったろう。
チェはもっと遠くを見据えていた。

ボリビアでの最期の戦い。
それはアメリカの軍事顧問団の援助により対ゲリラ戦の訓練を受けたレインジャー部隊1800名+ボリビア政府軍VSチェらボリビア民族解放軍50名の戦いだった。
50名のうち生き残りは僅か3名。
しかも絶望的なことに、レインジャー部隊の組成というのは、将校を除いて全てインディオ系のアイマラ族とケチュア族なのである。
ボリビア人の70%がインディオであり、67%が文盲であり、60%が公用語たるスペイン語が話せない。
つまりボリビアのインディオは文盲でスペイン語も使えず、ためにまともな収入が得られない。
土を練り固めただけの、電灯のない家に住み、街角に無気力に座り込んで野菜を売り、1日30円で食いつなぐ。
チェはそんなインディオを救おうとして、そのインディオに殺されたわけだ。

洗脳。
アメリカによる洗脳。
普通の人ならアメリカに歯向かえば殺されるから、積極的に洗脳され、「放蕩に身を沈めて堕落の中で魂を圧殺する」(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)ように日常を生きていくものだ。
だからチェは普通、いない。
だからチェが存在したのは、奇跡なのだ。
事実、ボリビアにはいなかった。
いたのはモンへ・ボリビア共産党書記長という薄汚れた俗物。
三好は歯痒い言い方はしない。

「マリオ・モンへは、権力主義者の本質をさらけ出した。かれは、ボリビアの民衆を救うという意思には、はじめから欠けていた。バリエントス政権を倒して、自分がボリビアの支配者になることが、最終の目標であった。その本質においてラテン・アメリカの多くの右翼的軍事革命家と変りなかった」(p.338)

みすず書房版『ゲバラ日記』の解説で、冨岡倍雄はもっとはっきり言う。
「ゲバラは、まさにボリビアの共産党によって、あるいは、革命の名を僭称しているにすぎない全世界の既成の『革命』指導部によって、ころされたのである」(p.186)

同書まえがきでの仲晃はこうまで言う。
「ゲバラたちが67年10月に全滅したとのニュースを聞いて、クレムリンとボリビア共産党幹部たちが祝杯をあげたのは想像に難くない」

キューバにおける共産党、人民社会党はカストロの武装闘争に反対し、カストロが成そうとしたゼネストを妨害し潰した。
スペイン内戦で革命を潰したのは誰だったか。

共産党というもの、そしてアメリカが、諸悪の根源、世界の人民の災いの全ての元凶だというのは明々白々、この上なくはっきりしているのに、世界は、そうあり続ける。

ボリビアでの勝算。
腐れ切ったボリビア共産党とは無理でも鉱山労働者との連帯は可能性があったが潰された。
そしてボリビア農民はチェらに一切協力しなかった。
ボリビアにはチェはいたが、「カストロ」はいなかったのだ。

キューバ革命ではハバナ入城という目標があった。
だがチェが仮にラパスに進軍できたとして、革命は成ったか?
成らなかったろう。
キューバ革命の時は、カストロはバヨ将軍から
「こちらの計画を敵に知らせるバカがあるか」
と呆れられながらも、キューバの全国民に自分たちの運動に信頼をもってほしいために、無茶を承知でキューバへ侵攻するという声明を発表した。
さらにゲリラの陣中にニューヨーク・タイムズの記者を呼んで記者会見した。
国民代表団と連携し、市街・一般大衆への浸透を図った。
これは補給というゲリラ戦の死命をも握ることである。

これらはみんなカストロの考案した戦略である。
寡黙な実務派チェはこの戦略面が弱かったのではないか。
やはりキューバ革命の成就には、カストロとチェの2人ともの存在が不可欠だったのだろう。
だがチェだって、キューバ革命の時
「我々は、キューバの国民に、革命の目的とするものやその計画を説明すべきではないかね」
と提案しているのだ。
そして無謀と言えばキューバ革命だって充分無謀だったのだ。
その成就は奇跡なのだ。

奇跡奇跡と言っているが、チェは確かに39歳でボリビアで散ったけれどもそれでも、そこまで生き延びたのはやはり奇跡だった。
そもそも革命を成就できた革命家というものが、革命を志した者の中では稀有であろう。
ほとんど皆、志成らずして死んでいるのだから。
志半ばで歴史に名を残さず無念に死んでいった革命家は、ゴマンといるだろう。
ゴマンといて名を残していないから当然、私の関心は向くことができない。
チェは生き残り、革命を成し遂げたから関心が向いたのだ。
チェのことを思う時、いつもそう思う。

ボリビアに行くイコール地位も名誉も裕福も――そして恐らくは命も――全て捨てる、と決意したのはチェだけではない。
チェに同調し、そして同様に死んだ者がいた。

(通称モロ、モロゴーロ、ムガンガ、ムガンバ、エル・メディコ)ハバナの病院の外科部長、1967年1月14日戦死。
エリセオ・レイエス・ロドリゲス(ロランド)大尉・中央委員、4月25日戦死。
アントニオ・サンチェス・ディアス(マルコス)少佐・中央委員、6月2日戦死。
リカルド・アスプル(ムビリ、タコ、パピ、チンチョ)キューバ軍将校、7月30日戦死。
ファン・ビタリオ・アクーニャ・ヌーニェス(ホアキン、ピーロ)少佐・中央委員、8月31日戦死。
リカルド・グスタボ・マチン・オルド・デ・べチュ(アレハンドロ)少佐・工業省次官、同日戦死。
イスラエル・レイエス・サヤス(プラウリオ)中尉、同日戦死。
マヌエル・エルナンデス(ミゲル)大尉、9月26日戦死。
アルベルト・フェルナンデス・モンテス・デ・オカ(パチョ、パチュンゴ、パンチョ)少佐・中央委員・鉱工業省次官、10月8日戦死。
これは一部である。

フレディ・マイムラは日系人だった。
ボリビアで生まれ、外科医を志望しハバナ大学医学部に留学し、2年間の教養課程を1年で修了した秀才である。
その後チェコ、ソ連に留学し、ハバナに戻り入党する。
ボリビア政府軍に生きて捕えられたが「革命ゲリラ万歳!」と叫んで抵抗したため射殺された。

インティとココはボリビア人の兄弟で、モンへを見捨て断固としてチェを支持した。
チェは兄インティに政治家的資質を認め、弟ココに戦士としての勇敢さを認め、将来のボリビア民族解放軍の中核の担い手として期待を寄せていた。

写真に爽やかな笑顔を残したココは9月26日に戦死する。

インティは生き残っていた。
1968年7月、民族解放軍の再建を誓い「ボリビアのゲリラは死なず、それは今始まった」という声明文を新聞社に送りつけた。

オノラト・ロハという農民がいた。
ボリビア政府軍の密偵となり、チェに接近してはその情報を売り込んだ。
報奨として、政府から大きな農園をもらった。
1969年7月14日の夜、インティはロハを射殺した。

その2ヶ月後、密告によりラパスの潜伏先を政府軍に急襲され、全身を蜂の巣にされて死んだ。

「ラテン・アメリカの人口を構成するほぼ3億の人間、その大多数は絶望的に貧しく、(略)かれらは物質的な生活や文化や文明に権利をもつのである。が、かれらに対して、真の希望をあたえるような正しい答え、あるいは必然的な行動をなしたものは、(チェのほかに)誰ひとりとしていないのである。なすべきもっとも誠実なことは、チェの意志や勇敢にも思想を守るためにかれのかたわらに倒れた戦士たちの前に、黙祷をささげることであろう。なぜなら、大陸を救うという高貴な理想に導かれたひとにぎりの人びとが行なったこの行為は、意志の力、英雄的な精神、そして人間の偉大さが何をなしうるかの崇高な証として、永遠に残るだろうからである」(カストロ、p.371)

「革命においては――それが真の革命であれば――人は勝利を得るか死ぬかだということを学んだのだ。
…ぼくは素晴らしい日々を生きてきた。そしてカリブの危機の輝かしくも苦しい日々に、きみのかたわらにあって、わが国の国民であることを誇らしく感じたものだ。
…いま世界のほかの国が、ぼくのささやかな力添えを望んでいる。…別れの時がきてしまったのだ。
…喜びと悲しみのいりまじった気持で、こんなことをするのだ、…ぼくは、新しい戦場に、きみが教えてくれた信念、わが国民の革命精神、もっとも神聖な義務を遂行するという気持をたずさえて行こう、帝国主義のあるところならどこでも戦うために、だ。
…もし異国の空の下で最期の時を迎えるようなことがあれば、ぼくの最後の想いは、この国の人びとに、とくにきみに馳せるだろう。きみのあたえてくれた教えやお手本に感謝したい。そしてぼくの行動の最後まで、それに忠実であるように努力するつもりだ。
…永遠の勝利まで。祖国か死か。
ありったけの革命的情熱をこめてきみを抱擁する」(別れの手紙、p.278〜280)

「ぼくらのすべての行動は、帝国主義に対する戦いの雄叫びであり、人類の敵・北アメリカに対する戦いの歌なのだ。どこで死がぼくらを襲おうとも、ぼくらのあげる鬨の声が誰かの耳にとどき、誰かの手がぼくらの武器をとるために差し出され、そして、誰かが進み出て機関銃の断続的な響きとあらたに起こる鬨の声との相和した葬送歌を声高らかにうたってくれるならば、死はむしろ歓迎されてよいのである」(p.361)

「なによりも、かれのような人間にあっては、行動そのものが思想であった。われわれ人類は多くの革命家をもったが、かれを除くすべての革命家は、いったん革命が成就すると、二度と兵士になって銃をとることはしなかった。むしろ、その多くは自己の権力を守るために汲々とした。独りチェのみが、すべてを投げうって、一介の兵士に戻り、新たな戦いに身を投じた。この稀有の生き方をみるだけで、多くの言葉は不要であるだろう。そうなのだ。この生き方の純粋さに、革命のロマンティシズムに心をうたれ、ささやかであろうとも、連帯をもちたいと感じたのである」(p.364〜365)
三好の筆も熱い。
伝記の書き手はこれぐらいでないと困る。

チェの気高さへの全世界の人々の連帯は、時が経つほど強まりこそすれ、決して弱まることはないだろう。


ラテン・アメリカの地図とキューバの地図は、巻頭に置いてほしかった。





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2016年07月18日

循環矛盾 〜ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』〜

書くことは己を正確にする、という。
こうして書評を書いていると、そもそも私はどういう小説を高く評価するのかが浮き彫りにされてくる。
私が最も小説に求めるものは、構成力、筋立てである。

本書を読み進めるにあたって木下和郎氏のブログ「亀山郁夫訳がいかにひどいか」を参照した。
氏は「小説には“何を”でなく“どのように”を求める」と言っていたが、それに似たものだろうと思う。
この観点から、私は特に“冗長主義”を嫌うし、それから“婉曲主義”、“逆説主義”、“文芸批評主義”も嫌う。

特に純文学というのは、筋立ては二の次のようだ。
苦悩してりゃ素晴らしいらしい。
面白く読めないので、“大衆文学”が派生せねばならなかった。

本書は超大作である。
全3巻、1492ページある。
当然、ドストエフスキーも冗長主義を免れなかった。
同じことを繰り返す。
逆のことすら同時に書く(逆説主義にもつながる)。
容貌等の説明はくどい。

「カーチャがアリョーシャにこんな告白をしたことは、いまだかつて一度もなかったので、彼は、今の彼女がまさしく、このうえなく傲慢な心でさえ苦痛とともに自己の傲慢さを粉砕し、悲しみに打ち負かされて倒れるほどの、堪えきれぬ苦悩にとらえられていることを感じた」(下p.463)
こんな文を読んでいかないといけない。

本書は、ドストエフスキーの所期構想では2部作となるはずの第1部で、「重要な小説は二番目のほう」(上p.10)で、「第一の小説」すなわち本書は「ほとんど小説でさえなく、わが主人公の青春前期の一時期にすぎない」(同)。

ドストエフスキーは本書を書き上げて2ヶ月後に59歳で永眠する。
読む前はなんと残念な、と思っていたものだが、読了した今となっては、小林秀雄の
「およそ続編というようなものがまったく考えられぬほど完璧な作品」
との評言に同意する。
小林秀雄の言ってることでこれだけは正しい。
もう充分だ。
ドストエフスキーは書きたいことを書き尽くして、逝った。

本書はそのように、すなわちドストエフスキーの世界観の集大成として読むべきである。
彼はカトリックを初めとするキリスト教を掘り下げるために小さな図書館ほどの量の文献にあたったという。
確かに彼以外このような作品は書けない。
このような作品が存在するのは奇跡である。
「人類文学の最高傑作」との称号はダテではない。
書評はその観点からなされねばならぬだろうが、やはり構成力、筋立てを最重要視する私としては、“前座”としてそれに触れておかないわけにはいかない。

「実は○○だった」という事実を意図的に伏せて、あるいは曖昧にして物語を進めていくのは、小説の技法の1つなのだろう。
例えばラキーチンがグルーシェニカの従兄だという事実は、最後の最後になって明かされたりする。
伏せることに何か意味があればまだしも、この事例のように大した意味もないのに伏せられていると、何なのかと思ってしまう。

ドミートリイは父フョードルに、自分に渡されるべき母親の遺産3000ルーブルを横取りされたと思い込んでいる。
で、果たしてそれは客観的事実なのかどうか、検事は論告でそう言いながらも、裁判でも明らかにはされぬのである。

さらにその3000ルーブルが、フョードル殺しの際奪われた3000ルーブルと同じことにされるのである。
札に印でもしてあるのか。

さらに章題が「金はなかった。盗みもなかった」「それに殺人もなかった」となっている。
だがこれはあくまでも弁護人の弁論であって、これも客観的事実は明かされず、「あとは読者の皆様がご判断下さい」というわけである。

容疑を着せられたドミートリイの主張する無実の根拠の大きなものが、モークロエ村での2度に渡る宴会の費用が、3000ルーブル✕2ではなく1500ルーブル✕2で、1500ルーブルはカテリーナ・イワーノヴナから借りた分の半分をお守り袋に縫い込んでもっていたのだとするもの。
しかしこれも客観的事実は裁判で明らかにならないまま。
検事は1500ルーブルはトリフォンの宿屋のどこかの隙間に隠されたとしたが、それも発見されぬまま。

分かりにくいが犯行時庭に通じるドアが開いていたか閉まっていたかも大きなポイントだったらしいのだが(召使グリゴーリイは開いていたと言いドミートリイは閉まっていたという)、客観的にはどうだったか判らない。
グリゴーリイのただの気のせいだったということにされている。

実際にフョードルが殺された凶器については、これほど分量があるのに一顧だにされない。
ドミートリイが持っていったのは銅の杵である(なぜ彼がそれを摑んでいったのかも、苦しい)。
遺体に残された凶器の跡からドミートリイの容疑はすぐ晴れそうなものだが。
たまたまその銅の杵と同じような跡だったのか。

裁判ではフョードルのシーツと枕は全くきれいなままで血はついていなかったことが明らかになった。
それでもドミートリイを無罪にしない根拠は何か。
いやそもそも実は3000ルーブルの入った封筒は枕の下にはなかったのである。
スメルジャコフが嘘の場所を伝えていたのだ。
スメルジャコフを容疑から外す根拠も、弱い。
もちろん情況証拠からみてドミートリイがあまりにも怪しいという“見込み捜査”だったのは分かる。
それにしてもスメルジャコフを容疑から外す決定打はない。

スメルジャコフは
『だれにも罪を着せぬため、自己の意志によってすすんで生命を絶つ』
との遺書を残して自死する。
自白は明らかなのに、これでも検事は、
「この遺書に、殺したのは自分であり、カラマーゾフではないと、書き加えるくらい何ほどのことがあるでしょう。ところが彼はそれを書き加えなかった。つまり、一方に対しては責任を感ずるほどの良心がありながら、もう一方に対してはそれがないのでありましょうか?」(下p.383)
という、例のドストエフスキーらしいわけのわからぬ描写でスメルジャコフの仕業と看做さないのである。

スメルジャコフの自死に関しては徹底的に言及されない。
その心理追究は必要であったろう。

事実ははっきりしている。
フョードルを殺したのはスメルジャコフで、イワンがそれを唆した形になり、したがってモークロエ村での2度に渡る宴会はやはり1500ルーブル✕2だったのだ。
明記してなくても察しろ、ということか。

それこそ私が指弾する“婉曲主義”であり、私はそれを認めない。
作家はそれを明らかにする義務がある。
ましてや無理に記述を冗長させて分量は1500ページもあったのだ。

こっちはいずれ明らかにされるだろうと期待して、初めにボヤかして書くという小説上の手法を許している。
それが曖昧なまま終わるのである。
ドストエフスキー独特の筆運びとはいえ、許容範囲を逸してはいないか。
「アリョーシャが死ぬと冒頭に書いてある」とか「結局誰が犯人だったのかよく分からない」とか受取る人すら出てくるのはこの弊害の表れである。

とにかく曖昧に、婉曲に。
いうならドミートリイもその被害者である。
ドミートリイが嫌疑をかけられるシーン。
予審調査官ネリュードフは
「あなたとお話せねばならぬ緊急の事態が生じましたもので」(中p.342)
と曖昧に声をかけ、初めから
「フョードル殺害の容疑者として逮捕します」
とは言わない。
それに対してドミートリイも、
「老人とあの血ですね! わかってます!」(同)
と婉曲に答え、
「グリゴーリイのことですね」
とは言わないから容疑を増すことになる。

イワンとスメルジャコフとの3度の「対面」は、時系列も判りにくい。
亀山郁夫はそれで誤読を犯したのだと木下和郎は責め立てるが、確かに判りにくいのだ。
3度目の「対面」でやっとスメルジャコフは真相を明かすが、ではそれまでの2度の「対面」を、イワンは何のために行なったのか、スメルジャコフはイワンに何を求められていると解釈して応じたのか、例の雲を摑むようなドストエフスキー流で、なにしろ亀山が真相が明らかになるのは2度目だ、いや3度目だったとぶれ、木下に突っ込まれるほどなのだ。

カテリーナ・イワーノヴナの本心も、婉曲主義や反語のためすっきりしない。
イワンと話し合い、
「あたくし……あたくしは、彼(ドミートリイ)の幸福のための手段にだけなるのです、彼の幸福のための道具に、機械になりますわ、それもこれから先ずっと一生を通じて」(上p.358)
という結論を出すが、アリョーシャは
「この人(カテリーナ・イワーノヴナ)はもうドミートリイを愛していない」(上356)、イワンを愛していることを見抜く。
本書では、アリョーシャの見解が常に真実なのである。
「ここではだれも真実を言おうとしない」(上p.363)
のである。

イワンの方はどうか。
「カテリーナ・イワーノヴナは一度だって僕を愛したことなんぞないんだ! 僕が自分の愛情をただの一言も決して口にしなかったとはいえ、この人を愛していることは、最初からずっと知っていたのさ。知ってはいたが、僕を愛してはくれなかった」(上p.364)
と言いながら、下巻p.178では、
「『カテリーナ・イワーノヴナは兄さんを愛しているんですよ』悲痛な思いをこめてアリョーシャは言った。
『かもしらんな。ただ、俺は彼女に関心がないのさ』」
となる。
彼女に気をもたせるようにしているのは、裁判で彼女の握っているドミートリイを破滅させることのできる「殺人計画書」の手紙を暴露させないためだという。
(結局別のところでイワンがカテリーナ・イワーノヴナを愛しているということが客観的に明らかにされる。)

それでもカテリーナ・イワーノヴナは、ドミートリイは無実だと思っていた。
裁判でも彼女はドミートリイを庇うために5000ルーブルと引き換えに操を捨てた(その経緯ももちろん徹底的にぼかして描写されている)ことすら告白する。

(ちなみにその話をドミートリイから聞いたアリョーシャは、上p.217で、今でもカテリーナ・イワーノヴナと婚約しているのかと確認する。
そんなことすらはっきりしていないのである。
読者にしてみても当然の質問である。
で、4ページ後のp.221でも、アリョーシャはまた同じ質問を繰り返さねばならない。
それでもなお、ドミートリイは“今でも”婚約者であるとははっきりと明言しない)

(さらにちなみに、その後、ドミートリイはアリョーシャに、カテリーナ・イワーノヴナへの伝言を依頼する。
内容は、「俺は今後もう絶対に彼女(グルーシェニカ)のところへは行かないから、よろしく」(上p.222)である。
依頼しながらドミートリイはその気はないと言う。
それではこの伝言の意義は何なのか、ドミートリイは結局どちらをとりたいというのか、まるで像を結んでこない)

ところがイワンが突然目の前で自白してしまったので、カテリーナ・イワーノヴナは愛する彼を守るため、ドミートリイを犯人にしてしまうため、例の殺人計画書の手紙を暴露してしまう。
カテリーナ・イワーノヴナがドミートリイを裏切ったのは、たったこの一瞬の、裁判の場だけだった。
これが決定打とされ、ドミートリイには懲役20年の有罪判決が下されるのである。

検事は
「もしこのときに女中が、彼の恋人は《まぎれもない以前の男》とモークロエにいることを、すかさず告げてさえいたら、何事も起らなかったはずであります」(下p.371)
と言うが、女中フェーニャはそう言えばドミートリイがグルーシェニカを殺しに行くに違いないと思ったから、教えなかったのだ。

また検事は
「スメルジャコフが殺して金を取ったのに、息子が罪をかぶる――この方がもちろん犯人のスメルジャコフにとっては有利なはずではないでしょうか? ところがスメルジャコフは、殺人を企てたあと、まさにその息子ドミートリイに、金や、封筒や、合図のことを前もって教えているのです――なんと論理的で、明快な話でしょうか!」(下p.379)
と言うが、これこそまさにスメルジャコフ犯人説を認めているではないか?

……などと粗を探すのはもうやめよう。
「黒であると同時に白である」
「黒と言っているが真意は白である」
が成り立つ世界に
「黒でなく白が正しいんだ!」
とか言ってもしようがあるまい。

どうしても「大審問官」が論議の核心となる。

グァルディーニの
「『大審問官』はたしかにローマに対するたたかいである」
との受取は正しい。

大審問官も仔細に見れば屁理屈甚だしいことを言っている。
「去りぎわにお前(キリスト)はわれわれに仕事を委ねていった。お前は約束し、自分の言葉で確言し、人々を結びつけたり離したりする権利をわれわれに与えた。だから、もちろん、今となってその権利をわれわれから取りあげるなぞ、考えることもできないのだぞ」(上p.484)
いや、キリストこそ最高権威だろう。
それに抗うどんな理屈もない。

「民衆の自由を取りあげてしまうことによって、自由な選択に付随する苦しみをもすべてわが身に引き受けた大審問官の苦悩」(「解説」下p.508)
「彼が民衆に代ってわが身に背負いこんだ重荷」(同)
などと受取ってやる必要はない。
悪に同情する必要はない。

結局人間には自由は重すぎた。
パンの方が切実だった。
すなわち人間は救われるに値しないのである。
かつて共産主義体制崩壊において、最も核心を突く分析をしたのは北野武である。
彼は、要は人間は共産主義が与えられるほど人間ができていない、人間には共産主義を与えられる資格はないのだと言った。
キリストも共産主義も、同じ理由から人類を救えないのだ。

「解説」で原卓也は
「ドストエフスキーがたえず批判しつづけたのは、宗教としてのカトリック教もさることながら、権力による人類の自由なき統一を主張するローマ・カトリックの教皇至上主義、教皇無誤謬主義のような、カトリック的思想であったのであり、ドストエフスキーはその中に社会主義をも含めて考えていた。彼は社会主義の中に、石をパンに変えようとする試みを感じとったのである。(略)ドストエフスキーは、石をパンに変えるだけの目的で人間を結合させようとすることに、自由の喪失を、終局の始まりを感じとった」(下p.508〜509)
と言っているが、これは原の主観だろう。
ドストエフスキーの社会主義に対する姿勢は逆だと論じる者もいる。
それになぜパンを与えたら自由が奪われるのか、飛躍している。

「大審問官」の前の「反逆」の章で、イワンは言う。
「かりにお前自身、究極においては人々を幸福にし、最後には人々に平和と安らぎを与える目的で、人類の運命という建物を作ると仮定してごらん、ただそのためにはどうしても必然的に、せいぜいたった一人かそこらのちっぽけな存在を、たとえば例の小さな拳で胸をたたいて泣いた子供を苦しめなければならない、そしてその子の償われぬ涙の上に建物の土台を据えねばならないとしたら、お前はそういう条件で建築家になることを承諾するだろうか」(上p.472)
アリョーシャもイワンも承諾しないのだが、子供が生き返るという条件ならば、承諾していいと思うのだが。

大審問官=イワンの無神論とゾシマ長老の素朴なる民衆への回帰の相剋こそドストエフスキーである。
では、結論は。
「ロシアの民衆は結局は、キリストのための全世界的結合によってのみ救われることを信じている。(略)ドストエフスキーのこの言葉から考えられるのは、各人の自己完成にもとづくキリスト教的社会主義による世界の統一ということであろう」(「解説」下p.511)
これが、ドストエフスキーの結論である。
ゾシマ長老に歩があるようである。

だが、「各人の自己完成」は可能なのか?
不可能だからこそ自由ではなくパンに走ったのだろう。
つまり、循環矛盾である。
すると真の結論は、
「この地上にはばかなことが、あまりにも必要なんだよ。ばかなことの上にこの世界は成り立っている」(イワン、上p.467〜468)
こっちの方にありはしないか。

ドストエフスキー作品というと主題は神の存否、罪、魂の救済と言われるが、私はそれよりも、
「放蕩に身を沈めて、堕落の中で魂を圧殺する」(アリョーシャ、上p.506)
という現代文学への通底に注目する。
『罪と罰』にも、
「理性をくらまし心を石にする淫蕩の只中へ身を投ずる」(ニp.315)
というのがある。
村上龍も柴田翔も桐野夏生もサガンもカミュもこれを主題としている。

さて、以下落穂拾い的に。

“神がかり行者”と“臭気”に、なにやら象徴的なものがありそうである。

ペレズヴォンと「二人の女が同時に」のグルーシェニカの登場シーンの描写が、リアリティがあり圧巻だった。

鋭い洞察2点。

@コーリャの教育批判。
「ああいう古典語なんて、(略)あれは警察の学生対策ですよ、もっぱらそのために設けられたんです(略)あれが必修になったのは、退屈だからです、才能を鈍らせるからですよ。退屈だったものを、もっと退屈にするにはどうすればいいか? ナンセンスだったものを、もっとナンセンスにするにはどうすればいいか? そこで古典語の授業を思いついたってわけです。(略)古典作家はすべてあらゆる国語に翻訳されてるでしょう、だとすればラテン語が必修になったのは、古典作家の研究のためなどじゃ全然なくて、もっぱら警察の学生対策と、才能を鈍らせるためじゃありませんか」(下p.80〜81)

A弁護人フェチュコーウィチの「父親」批判。
「そう、事実、ある種の父親は災難のようなものであります。(略)子供を作っただけではまだ父親でないことや、父親とは子供をもうけて、父たるにふさわしいことをした者であることを、率直に言おうではありませんか。(略)父とよぶに値せぬ父親の姿は、特に自分と同年輩の他の子供たちの立派な父親とくらべた場合、思わず青年にやりきれぬ疑問を吹きこむのです。『あの人はお前を生んだのだ、お前はあの人の血肉なのだ、だから愛さなければいけない(略)親父が俺を作っただけで、そのあとずっと愛してもくれなかったのに、なぜ俺が愛さなけりゃいけないんだろう? (略)お父さん、なぜ愛さなければいけないのか、証明してください』そして、もしその父親がちゃんと答え、証明することができるなら、(略)理性的、自覚的な、厳密に人道的な基礎の上に確立された、正常な真の家庭なのです。反対に、もし父親が証明できない場合には、その家庭はとたんにおしまいです。彼は父親ではなく、息子はそれ以後、自分の父親を赤の他人と、さらには敵とさえ見なす権利と自由を得るのです」(下p.437〜444)

笑い的にはここ。
「『どうしたい?』眼鏡の奥からこわい目で見つめて、グリゴーリイはたずねた。
『いえ、べつに。ただ、神さまが世界を創ったのは最初の日で、太陽や月や星は四日目なんでしょ。だったら、最初の日にはどこから光がさしたんですかね?』
グリゴーリイは呆然とした。少年は小ばかにしたように先生を眺めていた。その眼差しには何か不遜な色さえあった。グリゴーリイは我慢できずに、『ここからだ!』と叫ぶなり、生徒の頰をはげしく殴りつけた。少年は口答え一つせずに、頰びんたをこらえたが、また何日間か片隅にもぐりこんでしまった」(上p.235)

グリゴーリイはフョードルから見放された3兄弟を育ててやり3兄弟は大きな恩を覚えねばならないと思うのだが、ドミートリイからひどく殴られ、ついには血ダルマにされて哀れだった。

ちなみに『罪と罰』ではこのシーンが面白かった。
「そして急にかっとなると、夫の髪をひっつかんで、部屋の中へ引きずり込んだ。マルメラードフは、おとなしく彼女のあとから膝で這って、われから彼女の努力を助けた。
『わしにはこれが快楽です! 苦痛ではありません、か――いらくで――す、せ、せ、せんせい。』と、彼は髪を引きずられながら、一度はごつんと額までゆかへぶつけながら叫んだ」(一p.48)







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2016年07月02日

全共闘世代は現実社会にどう適応してきたか 〜全共闘白書編集委員会編『全共闘白書』〜

質問項目別データ集計を見て、いくつか思ったことがある。

好きな評論家の多分1位に、立花隆があがっていたのはなるほどな、と思った。
特段左翼びいきというわけでもないが(結果的にそうなった時もままある)、態度の公正さが買われたのだろう。
他には本多勝一がいたのはいかにもという感じで、全共闘世代というのは本多にとってかっこうの“お得意様”なのだなと思った。
あとあり得ることだとは思ったが佐高信がいたのは、あまり思慮の深くない連中に支持されたのだろうと思った。

嫌いな評論家で、下の方に渡部昇一がいたのは、いかにもというのを越えてなんだかパブロフの犬のような印象を受けた。
上位には、舛添要一、栗本慎一郎、西部邁らがあがっていた。

購読新聞で朝日が7割近くを占め断トツだったのは、なんやかやいっても「ブルジョア紙」の中から選ぶにはそれしかないのかと思った。
確かに市民運動の報道量に関しては群を抜いているとはいえる。

ちょっとした驚きだったのは、注目している雑誌の第1位が「週刊金曜日」だったこと。
しかしその割には、購読者数が目標である10万人の半数ほどに低迷している(※95年当時)のはなぜなのだろうか。
「金曜日」さえ見放してしまった人もいるのだろうか。
あらためていっておくが、私はとうに、同誌と訣別している。
あと、いかにもという感じの「噂の真相」も続いていた。

こうした「好きな○○」という統計を見ているとつくづく思うのだが、要するに選択肢がないのだ。
結果的によりマシなイカサマを選ぶしかない。
朝日しかり、「週刊金曜日」しかり、もっといえば立花隆しかり。
この「選択肢がない(ひいてはそれ1つしかない)」というのは、現代経済文明の最も有効な洗脳手法の1つである。
後に項を設けて詳述しよう。

念のためにいっておくが、私は「週刊金曜日」を全否定はしない。
現存する雑誌の中では最良であると思うし、是々非々の態度で接していく。
嫌悪している「週刊文春」にだって立花の寄稿があれば買うのだから、いい記事が載っていれば買うこともあろうし、もし唸るほどの金があるなら購読だってするかもしれない。

さて、最も意外だったのは、好きな政治家の3位に小沢一郎が入っていたことである。
これには首をひねる人も多かろうと思う。
嫌いな政治家の方でも断トツで1位にランクされていたのだからなおさらである。
だが私はこれで、かえって全共闘世代は健全なんだなと安心した。
さすがに、ただマスコミのいうなりに振り回されてはいないなと感心した。

小室直樹が
「安保闘争に参集した人は安保条約を読んでいなかった」
というのと同じように、小沢を危険だという人は例えば『日本改造計画』等彼の書いたものを詳細にみっちりと読んでいない人だと思う。
ただ佐高信などが
「小沢は日本のチャウシェスクだ」
などとアジる文章だけは読んでいるのだろう。
佐高に関しては、小室の『国民のための経済原論』を酷評した際に判明したように、ろくに当該の本さえ読まずにけなすのがお得意なようだから、その内容の低さは保証つきである。

また小沢といえば剛腕、独断専行、独裁者というレッテルが蔓延している現在の政治状況において、あえて「小沢を好き」というのは、ひとかたならぬ根拠があってのことである。
そんな“リスクの高い”ことをするのは、「誰かの小沢に対する悪評」ではなく「小沢自身の手になる彼の考え方の披瀝」にじかに目を通した経験があるからとしか考えられない。

私がこのような指摘ができるのは非常に珍しいことで、小沢に関してはたまたま「国際社会における日本の役割(案)」〈小沢調査会編〉を精読したことがあるからである。
「いわれているほど物騒な内容ではなく、むしろ穏健なくらいだ」
というのが、これを読んでの大まかな印象だった。

もちろん、私の小沢に対する最終的な評価はまだ留保してある。
ただ他の全ての政治家が相も変わらずこれからの政治ビジョンを示さない(示せない)中で、ひとり決然と旗幟を鮮明にしている姿は評価している。
旗幟の中身自体は別問題としてもだ。
また、これだけ批判が集中するのは、とりも直さず主張が解りやすいからで、ただもっともらしいだけのご高説をのたまわれるよりはマシである。
この辺の私の小沢に対する態度は、いくぶん筑紫哲也的に日和っている。

好きな政治家の中に、江田五月や岩垂寿喜男も顔を出していた。
今昔の感がある。
もちろん自社さ政権発足、新進党結成前の集計である。
この時両名をあげた人は、まさかこの後すぐ、江田が小沢らと結託し、岩垂がモザンビークPKOへの自衛隊派兵をもろ手をあげて推進するようになるとは、夢にも思わなかっただろう。

だいたいこの集計がとられた頃はまだ、江田はシリウスの幻想を振りまいていた。
マスコミはそれをことさら仰々しく扱っていたし、私もそれに巻き込まれていた。
以降、結局シリウスというのは鳴かず飛ばず。
マスコミの安直キャンペーンに振り回されると、だいたいこんなふうになる。

約半分が、自分の子を塾に通わせている。
ここにも“現実”がある。

自衛隊、日の丸・君が代、安保といった問題に対しては、頑なな態度を貫き通していた。
意外ともさもありなんとも思える。

ならば嫌いな国は断トツで日本が1位だろうと思えばそうでもない。3位くらい。
どうも掴み所がなくなってくる。

全共闘運動に参加したことは誇りであり後悔など微塵もせず、子供が学生運動をやりたいと言ったら好きにやらせるとくれば、志なまらずと思いたいのに、本当に革命が起こせると信じていたかと問われれば、いや信じてはいなかったというのである。鼻につく。

支持政党はないくせに、選挙の投票には必ず行く。
白票を投じに行くというのなら立派なのだが。

かように、全共闘世代の全体像は捉えづらい。

なお、よど号ハイジャックの小西隆祐が回答を寄せていた。
肩書には全くそのことが記されていなかったので、初め解らなかった。

一番見たかったのは現活動家の回答だが、見当たらなかった。
ま、上の例からすると「中核派活動家」などと明記してあるはずもない。
しかし立ち読みなどでなくじっくりと読めば、小西以外の現活動家の肉声はまだ見つかるかもしれない。
           (1995.8.18、24歳)
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2016年06月23日

「深い虚偽の予感」の謎 〜ドストエフスキー『罪と罰』〜

「『僕もすきになってくれない?』
そのへんじのかわりに、彼は自分にすり寄って来た少女の顔と、彼を接吻しようとして無邪気につきだされた柔かそうな脣とを見た。やにわに、マッチのように細い彼女の腕が、かたくかたく彼を抱いて、頭が彼の肩へ押しつけられた。こうして少女はたえず強く、ますます強く顔を彼に押しつけながら、静かにしくしくと泣きだした」(ニp.78〜79)

最も印象に残った、美しいシーンである。

みんなが畏れ多いという感じで本書を奉っている。
私はどちらかというと、過大評価派に与する。
もちろん重厚な作りには圧倒された。
ただ、結末に、肩透かしのような感じを抱いた。
カフカの『変身』にはケチをつけようという気は起こらなかった。
カミュの『異邦人』もまあ評判通りだったといってよかろう。
しかし本書には、一抹の物足りなさが残る。
青木雄二の大絶賛が本書を読む大きな動機となったのだが。

中村白葉の訳で読まねばならなかったのもきつかった。
本当にこんな訳が通って出版されているというのは、信じ難い岩波書店編集者の怠慢である。
なにしろ「1プード半」の訳注が「6、7貫目」である。
翻訳の長編を読み通すというのは1つの精神的苦行をやりおおせたという価値をもつのだとあらためて思った。
例えば新潮文庫の『貧しき人びと』の木村浩訳、『カラマーゾフの兄弟』の原卓也訳は申し分なく読める。
非常用漢字に振り仮名を振る(というより非常用漢字はなるべく使わない)、普通に日常的に用いられない言葉で訳さないという全く当たり前のことさえしてくれればいいのだ。
さすがに岩波も新しい版では訳者を江川卓に代え、訳注も豊富に入れているらしい。
やっと苦情に対応したわけだ。
私は古本で購入したのが中村白葉訳のため、ただただ耐え忍ぶしか術はなかった。

ドストエフスキーの冗長主義にも幻滅させられた。
まあそうでなければ分厚い本になるわけがないが。

人が現れるたびに、こんな感じである。
「ザミョートフが、あの当のザミョートフが、いくつもの指環に、鎖に、きれいに櫛目を入れて油でてらてらさせた黒いまき毛に、ハイカラなチョッキに、いくらかすれの見えるフロックコートに、うすよごれたシャツという、いつかと同じいでたちで控えていた」(ニp.31〜32)

「第一に彼女は、まだうら若い娘のはずだのに、この炎天に帽子もかぶらず、洋傘も持たず、手袋もはめないで、なんだかおかしな恰好に両手を振りまわしながら、歩いていた。彼女は、薄手の軽い(「マテルチャートニ」織の)絹服を着ていたが、それもやはり何だかひどくへんな着方で、ボタンもかけたりかけなかったり、うしろのちょうど腰のところで、スカートの上の端が破れていた。髪もひと房はなれて、ぶらぶらぶらさがっていた。あらわな頸には、小さい蝶形ネクタイがひっかけてあったが、それもゆがんで、わきの方へ飛びだしていた」(一p.82)

部屋の説明はいちいちこのようである。
「それは、広くはあるが、いたって天井の低い、カペルナウーモフが賃貸している一つきりの部屋で、左手の壁に、その人達のいる方へ通ずるしめきった戸口が見られた。そしてそこはもう、番号のちがった隣りの住居であった。ソーニャの部屋は見たところ、なんとなく納屋といった体裁で、おそろしく不整な四角形をしてを(ママ)り、それが一種畸形な感じを部屋そのものに与えていた。窓の二つついた掘割の方に面した壁は、部屋を斜めに断ち切っていたので、一方の隅は、恐ろしい鋭角になり、鈍い燈火の下でははっきり見わけのつかないくらいの深みへのびているのに、もう一方の隅は、みっともないくらいの鈍角をなしていた。このだだっぴろい部屋には、家具らしいものは殆どなかった。右手の隅の方に寝台があって、そのそばに、戸口近く、椅子が一つ置いてあった。寝台のある壁に添うて、隣りの住居へ通ずる戸口のすぐそばに、青い布のかかった、粗末な板割づくりのテーブルがあり、その周囲には、籐椅子が二脚置いてあった。それから、反対側の壁に添うては、鋭角をなした一角に近く、粗末な雑木づくりの小形な箪笥が、がらんとしたなかに置き忘れられたように立っていた。これだけが、この部屋にあったもののすべてであった。古びて穴だらけになった黄ばんだ壁紙は、すみずみが黒くなっていた。冬はきっとじめじめして、炭気がこもるにちがいない。貧しさはひと目でわかった。寝台にすらカーテンがなかったのである」(二p.299〜300)

顔はいつも「蒼」白く、「脣」はいつもぶるぶるふるわせ、「脣」の端にはいつも冷たく微笑を走らせ、いつもぶるっと一つ身ぶるいし、いつも眼を火のように燃え立たせる。

街を歩く時はいつも疲れていなければならない。
そうでないと書くことがなくなるので。

第六編三におけるラスコーリニコフとスヴィドゥリガイロフとの会話。
スヴィドゥリガイロフは主旨の判らぬ話をダラダラ続け、しかもラスコーリニコフもそれに対してどうでもいい質問を挟みそのままの流れで話を促す。
同八における自首しに来たラスコーリニコフに対するイリヤー・ペトローヴィッチの無駄なお喋り。

私は一般の速読と称する飛ばし読みをしている人と違って、逐文的に読解しながら読み進んでいる。
しかし最後の最後、「終編」のここに到り、ついにギブアップした。
「彼は、苦しい思いをしながら、たえずこの問題を自分に課したが、しかも、あの時すでに、水の上に立ちながら、自分自身の中にも自分の確信の中にも、深い虚偽を予感していたかもしれなかったのを、理解することができなかったのである。したがってまた、この予感が、彼の生活における将来の転回、将来の復活、将来の新しい人生観の予言者だったかもしれないことをも、理解することができなかったのである」(三p.335)
「終編」はたった26ページと少ないが、熟考を要しページが進まない。

本書のあらすじは広く世に知られている。
第一巻のカバー・イントロダクションを引用するとこうだ。
「選ばれた強者は凡人のためにつくられた法を踏み越える権利をもつ――大学生ラスコーリニコフはこの確信のもとに1金貸し老婆とその妹を撲殺する」

だから裁判中心の流れかと思っていたらそうではなく、それどころか犯行の露顕もとても遅かった。

本書は様々な要素を含むと言われる。
「心理小説」と言われるのはその通りだが、「推理小説」とされるのは違うだろうと思う。
「水晶宮」でのザミョートフへの仄めかし、現場を再訪してのベル鳴らし、血の質問、そして何と言っても新聞に掲載された「犯罪遂行の全過程における犯罪者の心理状態」論文。
これらの墓穴掘りがあるゆえに、その後のポルフィーリイとの対決が、今一つ精彩を欠く。

犯人追及過程最大のヤマ場は、ペンキ屋ニコラーイの「自白」であった。
なぜやってもいない殺人を自ら認めたかというと、宗教的熱心さから「苦しみを受け」ようとした、ということである。
ちなみにニコラーイはラスコーリニコフの名の由来となっているラスコーリニク(分離派信者)である。
さて、あるネット解説によれば、このニコラーイというのは、ラスコーリニコフが見た子供の頃痩馬が嬲り殺される夢に出てきた男と同名ということである。
本書では「ミコールカ」となっている。
同名なら重大な示唆があるが、中村白葉訳では同名であることすら知ることができないのである。
それどころかニコラーイは所によっては「ミコラーイ」になっている。
ロシア語ではニがミになっていてもおかしくないそうだが、そうとしても一切注記なしというのは犯罪的だろう。

山崎行太郎という「哲学者」は、老婆殺しは実は母(プリへーリヤ・アレクサーンドロヴナ)殺しであると考察していたが、私はそれはないと思う。
というのは、ルージンがちょっと母のことを悪く言うと、ラスコーリニコフは瞬間湯沸器のように激怒しているからである。

また別の人は本書の主題は後進国の近代化だと考究していた。
その人の置かれた立場で何を主題と捉えるかは違うようである。

結びも、ラスコーリニコフがきれいさっぱり改心したとは言い難い。
またもしそうだとしたらそれはありふれた結末にもなってしまう。
どんなに偉そうな、形而上学的な意義付けをしても、でもそれと老婆と妹は関係ないだろ、2人かわいそうじゃん、とこじつけにしか思えなくなってしまう。

死刑だったらまた話は違っていたろう。
ラスコーリニコフは結局懲役8年となる。
2人殺して軽いものだ。
『異邦人』のムルソーは1人殺して死刑だったのに。

むしろ主人公はラスコーリニコフではないのではないか。
カテリーナ・イワーノヴナ、あるいはスヴィドゥリガイロフの生き様、顛末の方に重く悲愴なものを感じる。

カテリーナ・イワーノヴナは、夫の追悼式すら満足に行えず(格を上げる来賓に出席してもらえず)、ついに家主アマーリヤ・イワーノヴナと取っ組み合って追い出され、狂い、訳も分からない子供達に歌い躍らせ物乞いをし、結核で死ぬ。
『闇金ウシジマくん』を彷彿とさせる容赦ない徹底的な不幸描写で、作者はよく描くことに耐えられるなと思う。
『貧しき人びと』でマカールを徹底的に破滅させなかったドストエフスキーが、ついに中途半端な甘さを捨て去ったともとれる。

スヴィドゥリガイロフは、ラスコーリニコフの妹ドゥーニャを手籠めにしようとして果たせず、しかしドゥーニャが自分をピストルで撃とうとするのを止めようとせず(ドゥーニャはピストルを投げ捨ててしまい生き延びる)、財産を人に全部与えてしまった上で、ピストル自殺する。
スヴィドゥリガイロフは淫蕩に耽る男で、具体的行為も、ドストエフスキーの例のごとくの描写のため判然としないが、ネット解説によって補強すると、妻マールファ・ペトローヴナを毒殺し、下男フィーリカを殺し、愛人レッスリヒ夫人の14歳の娘を強姦して自殺させている。
また私の推測では、
「えへ、アフドーチヤ・ロマーノヴナ! あなたは伝道熱に浮かされて夢中になってたことをお忘れだとみえますね……わたしは眼つきで見てとりましたよ。おぼえてらっしゃるでしょう? あの晩、月がさして、おまけに鶯まで啼いていて……」
「嘘おつき! (ドゥーニャの眼には狂憤の焔が燃えあがった。)嘘おつき、嘘おつき!」(三p.258)
との会話からスヴィドゥリガイロフとドゥーニャの間には肉体関係があっただろう。
(また「わたしが(マールファ・ペトローヴナに対して)鞭などを手にしたのは、七年間の同棲の間に、あとにもさきにもたった二度きりですよ。(もっとも、二様の意味を持っているいま一つの場合をのぞいてですがね。)」というスヴィドゥリガイロフのセリフから、スヴィドゥリガイロフとマールファ・ペトローヴナはSMプレイをしていたと推測する。)

ピストルで撃ち損なったドゥーニャを捕まえたスヴィドゥリガイロフは、
「じゃあ、愛してはくれないんだね?」(三p.261)
と言って受け入れられず、自殺を決意するのだ。
スヴィドゥリガイロフはラスコーリニコフの犯行を知って自分と同じものをラスコーリニコフに感じ、ラスコーリニコフもまた、後には同じような気持をスヴィドゥリガイロフに抱く。
あるネット考察ではスヴィドゥリガイロフはラスコーリニコフの未来の姿、ともあった。

まあ1度きりの精読で主題を掴みこなすのは無理があるのだろう。
確かにもう1度読んでみたいという衝動が残る(せめてクライマックス・シーンだけでも)。
とりあえずは先に引用した三p.335の「深い虚偽=将来の新しい人生観」の予感というのを解明したい。
そこにはまた一段成長した自分がいるだろう。
……中村白葉以外の訳を見れば一発だったりして。


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2016年06月14日

タフで能動的な男達 〜読売新聞大阪社会部『ドキュメント新聞記者』〜

新聞には、ほとんど余白がない。
昔から、それが不思議だった。

いうまでもなく、新聞は1日で作られる。
しかも、以前本か何かに、新聞に掲載できる事件は原則的にその日の午後5時までに起きたものが対象とされると書いてあったのを記憶している。
夕刊も発行している新聞社となると、なおさらきついことは言うまでもない。

つまり、よくもそんな限られた時間の中で、あれだけ活字でびっしりと埋め尽くされた紙面が作れるものだ、と感心していたのである。

仮に、1日に1件も、事件・事故が起こらなかったとする(実際そんなことはあり得ないだろうが)。
果たして、そんな時翌日の新聞はどうなるだろうかと、考えたことがあった。
恐らく新聞社は、そうなってもいつものように、活字に満たされた新聞を作り上げることだろう。

だが現実には、新聞に載っている事件は、その前日に起きた事件のごく一部に過ぎないだろう。
どの事件を載せ、どの事件を載せないかの取捨選択が、綿密に行われているに違いない。

そんな膨大な数に上る事件を扱うわけだから、新聞作りはとにかくスピーディーにやらなくてはならない。
時間との闘いである。
“時間との闘い”とは、単に速さだけを指すには留まらない。
新聞に載る事件は原則的にはその日の午後5時までに起こったものと前述したが、それはあくまでも“原則的に”であって、それ以降に起こった事件でも、急遽紙面に組み入れられることはしばしばある(その辺の紙面の組み直しが凄いと思うのだが)。
したがって、記者には“不寝番”なる役割が存在する。
文字通り、寝ないのだ。
ここにも、“時間との闘い”がある。

本書を読んで一番感じたのは、その辺のことである。
「新聞記者は不可能なことを可能にして働いている」
と言っても過言ではない思いさえ抱かざるを得なかった。
とにかくタフな男たちである。

“時間との闘い”も厳しいが、新聞記者にとって、取材して情報を得ること自体も非常に難しい。
次の引用を読めば、それは明らかである。

「新聞記者にとっての戦いの相手は、猟銃を持ったアフロヘアーの男だけではない。厳しい報道規制をとっている警察も、それに、取材に対して決して協力的とは言えない銀行も、この瞬間には敵なのだ」

「猟銃を持ったアフロヘアーの男」というのは、本書で取り上げられている、昭和54年1月26日に起こった三菱銀行事件の犯人・梅川昭美のことである。

つまり、警察も銀行も、新聞記者が取材に来たとしても、
「やあ、どうもご苦労様です。さあどうぞ訊いて下さい」
と歓迎する、ということは全くないのである。
むしろその逆で、新聞記者にはできるだけ情報を漏らすまいとしている。
この点が、どうしても最後まで腑に落ちなかった。
だから、記者達は、警察の多重無線車のそばに半日近くずっと立っていたり、車の陰に隠れて捜査員の会話を盗み聴きしたりしなければならなかった。

情報を公開して何か差支えがある場合なら話は別だが、何の差支えもないのに情報をひた隠しにする。
少しでも情報が欲しい新聞記者にとって、これほど歯がゆいこともなかろう。
新聞に情報を公開することによって、事件の解決に良い影響を与えることが過去に何度もあったのだ。
近年ではソ連のチェルノブイリ原発事故の際の秘密主義が世界の批判を浴び、その後国連の国際原子力機関(IAEA)によって原発事故の際はいち早く通報することが義務付けられたが、原発周辺の住民は最後まで事故を知らされなかったため、その多くはガンになるだろうといわれている。

また、記者達の動きが非常に“能動的”であることにも感心した。
人からああしろこうしろと命令されるのではなく、自分からああしよう、こうしようという意志をもち、取材に移るのである。
しかもそのどれか1つでも欠けていては記事が成り立たないような、大事なことばかりだった。
これは偶然によってなのかそれとも必然的にそう動いたのだろうか。
どちらにしろ、今後そういう行動のとれる人は貴重な存在となるだろう。

現在はとかく、“高度情報化社会”と言われがちだ。
私など、新聞に大きく載っているから、あるいはテレビで大きく取り上げているから、この事件は大事件なんだなと、その事件の本質に自ら近づこうとせずに判断を下してしまう傾向がある。
今はそういう人が、皮肉にもそのマスメディアによって作り出される夥しい量の情報によって、私も含めて増えている。
そのような社会において、これまで以上に新聞のもつ役割というものは大きくなってくるであろう。

(1989.1 17歳)

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2016年06月11日

胸が張り裂けるほどの甘美な想い出 〜ドストエフスキー『貧しき人びと』〜

私はこの本を古本屋で買った。
前の持ち主は福井貴子さんという人である。

青木雄二がドストエフスキーの入門として薦めていたのでそれに従った。
何しろ青木はドストエフスキー以外読む必要はないとまで言う。
200ページ強という分量もドストエフスキー作品の中では極めて少ないだろう。

木村浩の訳には胸を撫で下ろした。
バーナード・ハットン『スターリン』の訳も木村浩でそれは多少読みにくかったが、本書の翻訳は他の外国文学と比べたら全く素晴らしかった。
というのは最近翻訳ものを立て続けに読んでいて、翻訳に心底うんざりさせられているからだ。
翻訳を批判すると「言語構造が全く異なるのだから読みにくくて当たり前」としたり顔をする奴がいるが、そこを指摘しているのではない。
少なくとも一般的表現として使われない日本語を使うな、と言っているのだ。
そしてそれを“校正”するのは編集者の役目だろう、他の様々なサービスと比較してもこれほどの怠慢が放置されているのは例がない、と言っているのだ。

他の人は速読で飛ばし読みするのが普通のようだが、私は恐ろしく読むのが遅く、その代わり逐文的に読んでいる。
それでも本書は事実関係の把握において解りにくい。
理由は3つある。

@これまでの外国文学は登場人物が少なかったが、多くなってくると、人物の相関関係が解りにくいこと。
それもロシア文学の特性が4点マイナスに作用する。

a.名前が長く、しかも似通っているような感じがすること。エフスターフィ・イワーノヴィチだのフョードル・フョードロヴィチだのエフィム・アキーモヴィチだの……。

b.愛称の断りが全くないこと。例えばマカールはワルワーラを「ワーレンカ」と呼んでいるのである。

c.ロシア人は名前が3節に分かれるようで、場合により初めの方の2節を呼んだり初めと後ろの2節を呼んだりするから別人かと思ってしまう。ワルワーラはマカールを「マカール・ジェーヴシキン」と呼びマカール自身も手紙にそう署名するがチモフェイやゴルシコーフは「マカール・アレクセーエヴィチ」と呼ぶ。

d.名前の1節を、性によって呼び分けるようである。

これらのことに関しては誤解を生じさせるのだから本の中に注意書きを入れるべきである。
それをしないのは編集者の怠慢である。

人物一覧表も、本の頭に入れるべきである。
それをしないのは編集者のサービス欠如である。

さらにどうもドストエフスキーは意図的なようだが、わざと新しく出てきたことを前のページに戻って確かめようとしても突然出てきているように書いているのである。
例えば「あれ、こんな名前の人いたっけ?」と前のページを繰っても分からない。
文脈から、どうもああ初めの方に「女中」と出てきた人のことか、と推測しないといけない。

例えばワルワーラと同居しているフェドーラは、一体ワルワーラとどういう関係にあるのか判然としない(ワルワーラは孤児とある)。
これは次のAとも関連してくる。

A往復書簡体という小説形態であること。
必ずしもマカールとワルワーラの手紙がきっちり交互に載っているわけでもない。

そもそもなぜすぐ近くに住んでいるのに連日手紙を出し合う必要があるのかというのも疑問なところだが、それはともかくとしても、手紙ではお互い心優しさから相手を心配させないようにするため意図的に不幸事が起きてもぼやかすのである。
何が起こったのかはっきりとしない。
さすがにドストエフスキーも無理を自覚したのか、ワルワーラが「折にふれて自分の生活について書きとめておいた手帳」を登場させたりしている。

Bリアリティを出すためか「忘れてしまった」として出来事の経緯を示さないことがあり、これも解りにくさに拍車をかけている。

致命的なのが主題のマカールとワルワーラの関係の不明瞭さ。
私のもってるのは古い本のためカバー・イントロダクションのないやつだが、新しいやつにははっきりとマカールのワルワーラに対する感情は恋愛感情だとしてあるのだ。
なんだ、やはりそうとってよかったのかと。
というのは、年も離れているし(マカールは47歳)、2人は遠い血縁関係にあるようだったのだ。
血縁関係にあるとしても、外国では日本より従兄弟同士の結婚は抵抗が少ないようだが。
本書はドストエフスキー24歳の処女作であるが、そこで自分のような青年ではなく中高年の男の恋愛を取り扱ったというのは何か興味深いことではある。

青木雄二が推すだけあって貧困の描写は迫真でありそこがドストエフスキーの真骨頂なのだろう。
だがマカールは下っ端ながられっきとした役所勤めであり、なぜこれほど極貧なのかも判然としない。
放蕩に耽る性質でもなく、とすれば全部ワルワーラへの援助につぎ込んでいたとでもいうのだろうか。
まあ確かにワルワーラは、基本的にはいつもマカールに自分のためにお金を使わないでと懇願しお金を送り返したりさえしているが、ある時には
「ねえ、もしお芝居に行くんでしたら、あたくし新しい帽子をかぶって、黒いケープを羽織っていこうと思いますの。それでよろしいでしょうか?」(p.109)
と言ったりして、ある人はこんなワルワーラを評して「ドS」と言ったりして、私なんかはそんなところがネコのような女性らしい、ひょっとするとマカールもワルワーラのこんなところにまいっていたのかもしれないなどと思ったりもするような女性ではあったが。

「わたしは破滅しました、わたしたちは二人とも破滅しました。二人いっしょに、もう取返しのつかないまでに破滅したんです。わたしの評判も、名誉も、なにもかもだめになってしまいました! わたしは破滅しました。きみも破滅しました。きみもわたしといっしょに、もう取り返しのつかないまでに破滅してしまったんです!」(p.151)

終局でマカールはひょっとして破滅してしまうのでは、と思った時があった。
大事な書類の「浄書」を頼まれたがワルワーラの不幸を想い余って気もそぞろになり1行抜かしてしまい、叱責中にボタンが取れ落ち転がり、追っかけて拾い、挙句の果てニヤニヤと笑ってしまう……。
「クビだ!」となるかと思ったが、逆に閣下はあまりの身なりのみすぼらしさに100ルーブルを恵んでくれるのだ。
エフスターフィも必死にマカールを庇ってくれている。
破滅せずによかったなと思った。
だがここでマカールに真からの破滅をさせなかったのは、ドストエフスキーの優しさなのか、不徹底なのか……。

貧困描写の迫真の他にドストエフスキーの凄さを挙げるなら、あと2点ある。

@手紙に流れる感情の移ろいの描写の巧妙さ。明るく優しく思いやりに満ちた基調の中で、不意に、目に見えるといったほどでなく微妙に、ぶっきらぼうさが混じることがある。不機嫌さを隠そうとしているのである。

Aドストエフスキー文学の大きな観点になると思うが、人間の心理描写の迫真。先のエフスターフィもそうだが、悪い人間は常に悪く、良い人間は常に良くふるまうのではない。人間のふるまいの理に合わなさもうまく描いている。
使用人ファリドーニは、みんながマカールを嘲うようになると態度を一変させる。
「あんたはうちの女主人(おかみ)さんに金を払っていないのだから、わたしもあんたには義務はありません」
「ねえ、あんたはわしに何かおごってくれたことでもあるかね? 自分だって迎え酒の飲み代はないんだろ? どこかの女子(おなご)から20コペイカ玉を恵んでもらっているくせに」
「へん、それでも旦那さまかよ!」(p.152)
「きみはラヴレース(色魔の代名詞)だ」とマカールを蔑んだラタジャーエフはマカールが金巡りがよくなるとあれは「機敏な青年、油断のならぬ若者」という意味だったと弁解し、それを無邪気に
「罪のない冗談だったわけですよ。それなのに、無学なわたしはついかっとなって、腹をたててしまったのです」(p.187)
と受け取るマカール。
「わたしを破滅させるのはお金ではなくて、こうした浮世の気苦労なんですよ、あのひそひそ話や、意味ありげな笑いや、意地の悪い冗談です」(p.150)

破局こそ避けたとは言え、ハッピーエンドではない。
人生はそれほどたやすくはない。
ワルワーラはブイコフとの結婚を決意する。
「もしあたくしからこの恥辱をそそぎ、名誉を回復し、将来ともあたくしを貧困と欠乏と不幸から救ってくれる人があるとすれば、それはあの人よりほかにありません」(p.200)
まるで浜省「丘の上の愛」である。
しかしブイコフとの未来にはもう破局の予感が漂っている。
ある人の書評によればブイコフはワルワーラが余命幾ばくもないことまで見越した上で、俺は哀れな貧しい女を救ってやったという声望を得ようとして結婚したのだという。
貧困に喘ぐ者にとっての救いとは何か。
重い命題を突きつける。

ワルワーラの最後の手紙は胸を抉る。
「あなたをこんなに激しく愛していた、あなたのかわいそうなワーレンカを思いだしてくださいまし。胸を押しつぶされそうでございます。あたくしの胸はいま涙でいっぱい、いっぱいでございます……涙が胸をしめつけ、張り裂けそうでございます!……では、ごきげんよう」(p.213)
手紙は涙で滲んでいた。

「思い出というものは、それが悲しいものでも、楽しいものでも、いつも悩ましいものです。もっとも、その悩ましさは甘美な悩ましさといえるでしょう」(p.60)

読みながら、過去の想い出の断片がフラッシュ・バックした。
人生の甘美さを思った。

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2016年05月24日

出発点としての虚無と不条理 〜カミュ『異邦人』〜

「健康なひとは誰でも、多少とも、愛する者の死を期待するものだ」(p.70)

「太陽のせい」で殺人を犯したムルソーは死刑となる。
裁判では母親の死を悲しまなかったことが執拗に糾弾され、そのことが死刑判決の要因ともなったが、この結び付けは何なのだろうか。
その不自然さも含めた上での“不条理”ということか。

これまでの私の思想と重なるところがある。

「この世とは、真実に生きようとすれば殺されるのか。生きるとは欺瞞なのか。」
これは「難波大助を語り継ぐために」に書いたことである。
白井浩司の「解説」によると、カミュは英語版の自序でかなりタネ明かしをしてしまっている。
村上龍が『限りなく透明に近いブルー』のタネ明かしを中国版でしてしまっているように。

「母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告されるおそれがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮す社会では、異邦人として扱われるよりほかはないということである。ムルソーはなぜ演技をしなかったか、それは彼が嘘をつくことを拒否したからだ。嘘をつくという意味は、無いことをいうだけでなく、あること以上のことをいったり、感じること以上のことをいったりすることだ。しかし、生活を混乱させないために、われわれは毎日、嘘をつく」(p.142)

生きるとは、演技をすること=仮面をかぶること。
これはすなわち木村敏『異常の構造』における「偽自己の仮面」論だ。
これは「偽自己の仮面をかぶり損なった者の悲劇 〜井戸誠一『呪われた人々』〜」で書いた。

映画『イージー・ライダー』が描いていたのは、現代では異端者は殺されるということだった。
まさにワイアットもビリーも、難波大助も高崎隆夫もムルソーも、同じ理由で殺されたのだ。

映画『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』で誤解されがちなのだが、ウィルは現実世界が怖くて出ていけなかったのではない。
自分が社会に出ていけばどういうことになるか、彼は判っていた。
会社面接で滔々と述べている。
意味がない、ということが判っていたのだ。
まさに、
「人生が生きるに値しない、ということは、誰でもが知っている」(p.120)。

ムルソーのイメージは虚無である。
だが「ムルソーは人間の屑ではない」(カミュ、p.142)。
裁判では母親の葬儀の際煙草を喫ったことが咎められる。
その時の様子を見てみよう。
「今度は煙草をすいたいと思った。が、ママンの前でそんなことをしていいかどうかわからなかったので、躊躇した。考えてみると、どうでもいいことだった。私は門衛に一本煙草をやり、われわれは煙草をくゆらせた」(p.12)
普通に躊躇して良心を見せている。
検察官や司祭好みの「人間らしい」心情をちゃんと有している。
どっちでもよかったので喫ったに過ぎない。
殺した時も、どっちでもよかったから殺した。

すべてのことは意味がない。
マリイを愛しているのかいないのかも意味がない。

「これまでのあの虚妄な人生の営みの間じゅう、私の未来の底から、まだやって来ない年月を通じて、一つの暗い息吹が私の方へ立ち上ってくる。その暗い息吹がその道すじにおいて、私の生きる日々ほどには現実的とはいえない年月のうちに、私に差し出されるすべてのものを、等しなみにするのだ。他人の死、母の愛――そんなものが何だろう。いわゆる神、ひとびとの選びとる生活、ひとびとの選ぶ宿命――そんなものに何の意味があろう。ただ一つの宿命がこの私自身を選び、そして、君のように、私の兄弟といわれる、無数の特権あるひとびとを、私とともに、選ばなければならないのだから。君はわかっているのか、いったい君はわかっているのか? 誰でもが特権を持っているのだ。特権者しか、いはしないのだ」(p.129)

私が宿命を選ぶのではなく宿命が私を選ぶ。
自己の絶対宣言である。
ここにサルトルは実存主義の共鳴を見たわけだが、カミュはそれを否定した。
やがてふたりは訣別していく。

白井浩司は「解説」で秀逸なことを言っている。
「人間とは無意味な存在であり、すべてが無償である、という命題は、到達点ではなくて出発点であることを知らなければならない」(p.142)

これは坂口安吾『堕落論』にも通じてくる主題だ。

表紙絵のせいでもあるが地中海のまぶしい太陽を全編にわたって感じた。
村上春樹の文体に似ている。
訳はカフカ『変身』の高橋義孝に比べたらだいぶましだが、それでもやっぱり「待ちもうける」「こごむ」は使っている。
以下こんな感じである。

「疲らせた」「引きむしる」「葬式の宰領」「天辺のまろく」「輝かな」「ジェラニューム」「アパルトマン」「露台」「かんかん帽」「腋をくり込ませた背広」「踏段」「初めての猫」「捏粉(ねりこ)」「情婦(れこ)」「アンサンブル」「正体をきわめつける」「懲らし足りない」「女をカードへ載せてしまう」「もし懲らしてやらねばならぬと思うか」「ヴィラ」「御柳(ぎょりゅう)」「いちはつ」「菜っ葉服」「判事を真に受ける」「証憑」「丈夫なのね」「慰んで」「事件を持ち上げる」「皮肉な様子」「フランネル」「不均斉」「ごっただった」「袖をからげながら」「桃色事件」「予謀」「不感無覚」「多少出まかせに」「はてしれぬ」「ありとある」「おそろしい心踊り」「ばかげた喜悦で私の眼をチクチク刺激する、あのはやりたつ血と肉の衝動」「人間の裁きには何でもない」「等しなみ」

単語レベルさえこのような言語感覚なのだから、翻訳文学においては、段落レベルにおいても、飲み込めない文が続くのを流し読みして細部はスルーするといった読み方をしなければならないのは避けられないことなのだろうか。
こういう拙訳が、人を読書から遠ざける一因なのである。
p.113や121などひどいものである。
原文を読めばすっきり分かると言われるのはこうした部分だろう。

タグ:カミュ
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2016年05月22日

現実・非現実の超越、小説の可能性 〜カフカ『変身』〜

リアリティかSFかというのは小説における重要な区分である。
だがそんな区分けなどどうでもよくなってしまう、面白い小説に久々に出会った。
伊集院光は主人公グレーゴルに高校時代の自分を重ね合わせたそうだが、私も、現下の“特殊”状況にある自分を、重ね合わせずにはいられなかった。

虫になったグレーゴルは、人間の心を忘れてはいなかった。
母親と妹によって自由に這い回れるようにするために部屋の全ての家具が運び出されようとしたとき、グレーゴルは壁に掛かった絵の上にへばりついた。
自分の姿を家族の目に触れないように努めてきたが、そんなことよりも、絵を守ることの方が大事だった。
それは人間の証しだった。

妹が弾くヴァイオリン。
皆興覚めしている。
グレーゴルだけがその美しさを認めた。
「音楽にこれほど魅了されても、彼はまだ動物なのであろうか」(p.81)
自分の部屋で弾いてもらいたくて、自分に気づいてほしくて、グレーゴルは自分の部屋から這い出した。
この時も自分の姿が見られることなどどこかへいっていた。
もう自分の部屋は掃除もされなくなっており、グレーゴルの体には埃が積んでいた。
グレーゴルの部屋は物置きと化しており、身動きもできなくなっていた。
つまり虫のための部屋という配慮はもう全くなされなくなっていたのだ。
食べ物も与えられていなかったのだろう。

浴びせられた言葉は、「けだもの」「これ」。
グレーゴルは部屋へ引き返し、死ぬ。
有村隆広の「解説」によると、
「グレーゴルは父親が投げた林檎の傷が原因となって死ぬ」(p.117)とあるが、そんなにタイミングのよいことがあろうか。
私は自殺したのだと思う。
「わりに気分がいい」(p.89)
「安らかな瞑想状態のうちにある彼」(p.90)
そして「感動と愛情とをもって家の人たちのことを思いかえし」ながら、彼は死んだのだ。

母親も最後はグレーゴルを見捨てたのだろうか。
「母親は咳きこんでいるので、なにも聞こえないのである」(p.85)
とある。
私は母親は夫と娘に同意していなかったと思う。
母親は以前父親がグレーゴルに「爆撃」(p.65)を加えようとした時、着る物も構わず父親にしがみつき、グレーゴルのために命乞いをした。
私はこのシーンに涙した。
もちろん最後までグレーゴルの側に立つわけにはいかなかっただろうが。

父親と妹とて薄情に尽きるというわけではない。
グレーゴルの死後、「三人とも泣いた痕跡が少々見える」(p.92)とある。
結びは家族三人「新しい夢とよき意図の確証」(p.97)に包まれてのエンディングとなるが、これは薄情なのではない。
これこそが人間なのだ。
妹は言っている。
「もしこれがグレーゴルだったら、人間がこんなけだものといっしょには住んでいられないというくらいのことはとっくにわかったはずだわ。そして自分から出ていってしまったわ、きっと。そうすればお兄さんはいなくなっても、あたしたちもどうにか生きのびて、お兄さんの思い出はたいせつに心にしまっておいたでしょうに」(p.87)

人間が突然理由もなく虫になる。
いくつかの可能性があり得たろう。
顔は人間のまま残るとか(そしたら家族も人間の心が残っていると判る)。
言葉は話せるとか(同)。
本書の場合いずれでもなく、そうすると完全に虫と化していなければならないはずで、脳みそも虫なら人間の言葉を解したり考えたりもできないはずだが、まあそこが“小説”。

ただ意思表示はできただろう。
前掲ヴァイオリン・シーンでも「けだもの」「放り出す」という言葉を聞いて、大人しく部屋へ引き返しているのだから、家族はグレーゴルが人間の言葉を聞いている=人間の心が残っている、ということに気付かなかったのだろうか。
仮に気付いていて、それでも虫という表象物とは暮らしていけないとの判断を下したのだとしたら、それはまた違った人間の一面を表すことになる。

またグレーゴルの社会的身分に関してもいくつかの可能性があり得た。
グレーゴルが学生だったら、というのが一番ありふれた設定だったのではないだろうか。
現代日本だったらニートというのも興味深い設定だったろう。
いずれも引きこもりという主題に通じてくる。
あるいは普通の勤労者。
グレーゴルの場合、普通以上の勤労者だった。
というのはグレーゴルは社長への両親の借金を返すために働いているのだ。
文字通り一家の生活の大黒柱だった。
となると若干『呪われた人々』を想起させるものがあるが、それでもなお虫となって時が経てば、けだもの扱いなのである。

これは哀しい物語だ。
哀しいグレーゴルの物語だ。

カフカのうまいところは、描写から事情を読み取らせるところだ。
例えば「いまでは彼の部屋はどこもかしこもたいへんな埃で、彼の体も厚い埃に覆われていた」(p.80)という記述から、ああ、もう妹も部屋を掃除してくれなくなったんだな、と読み取らないといけない。
「〜とでもいうようなふう」「〜していることを推測させた」というような語尾が多用され、それが「冷静な報告調の文体」(カバー・イントロダクション)との評につながっている。

最大の難点は、高橋義孝の翻訳である。

「毛皮のマフ」「ございませんければ」「暇欠き」「最前より」「最初の処置がとられたさいの確信と着実さ」「体もいまはただ口ひとつで立っていた」「翼板」「待ちもうけている」「頭をうつむけていた」「あとしざり」「はいり悩んでいる」「おりおり」「朝まだき」「巴旦杏(はたんきょう)」「勝手仕事」「うしろにとびしさって」「こごみこんで」「挙止振舞い」「足掻きがつきゃしない」「狂熱心」「金モール」「公許」「いけぞんざい」「愁嘆場」「ドアを締める」「馬糞虫」「ドアの透き間」「勝手元」「夕食をしたためる」「調べようがため」「紳士連」「この日ごろ」「滋養分」「椅子に正座し」「断々乎」「勤労中断の十分ないわれ」「とり片づけ」「説明しだしそうにする」「出端のいい」
……このような言語感覚の持ち主の文章など読みたくないものだ。

また「貴下に迫ろうか、これを考慮するつもりです」といったような外国語特有の言い回しには、バーナード・ハットン『スターリン』を直前にも読んでうんざりしているところだ。

日本語による「旧新潮文庫版あとがき」を読むと、なるほど問題は翻訳能力プロパーにあるのではないことが判る。
そもそも「解説」が別にあるのになぜ「旧新潮文庫版あとがき」を載せる必要があるのか。
このことと有村隆広による「解説」の末尾に「高橋義孝閲」とあるのを考え合わせた時、何か高橋義孝という人格の特殊性が浮かび上がる。
せめて普通の日本語で翻訳されていたら、どれほどカフカの名声もいや増していたことか計り知れない。

本書は小説という創作形態の可能性を思い起こさせる。
漫画でも演劇でも映画でもない、小説ならではの魅力といったものは確かにある。

タグ:カフカ
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2016年05月05日

作品としての村上龍 〜村上龍『限りなく透明に近いブルー』〜

〈問1〉近代から現代へいたる日本文学のもっとも中心的な主題は何でしょう。

答え:〈私〉意識の解体。

〈問2〉本書を通じて唯一現実感を漂わせる箇所はどこでしょう。

答え:最後のリュウの黒い鳥幻覚シーン。

いずれも「解説」での今井裕康の見解である。
常々思っていることだが、小説の解説で文芸評論家はいつもご大層なご高説をこねくり回しているが、当の作家本人はそんなこと全く思ってもいないだろう。
むしろ当の本人が思ってもいない小難しい解釈を与えてくれてありがたがっているだろう。
だから解説者と作家の対談などは行われない。
仮に行われたとしても、作家は「え……ええ、そうなんですよ」と調子を合わせるに違いない。
「解説」というのはその実質というのはどうでもよく、いかにも高尚に見えるもっともらしく難解なことを言っていればよいのである。
それが小林秀雄以来のわが国文芸評論の伝統である。
冗長主義、逆説主義とともに、真の文学の阻害要因である。
“文芸評論主義”とでも名づけよう。
「ここでは、現実的なものが非現実感を与え、非現実的なものが現実感を与えるのだ」(p.158)
ほら、逆説もちゃんとあるでしょ。

〈問1〉、例えば現代における日米関係の源は何かと問われれば、それはペリー来航だ、という衆目の一致する見解というものがある(だから石原莞爾も「ペリーを連れてこい!」と言った)。
今井の設定しているのは最も普遍的な日本文学への問いである。
その回答として、誰も認めてないことを勝手に措定して論を進められるのだから、そりゃいくらだって手前勝手に論じられる。

〈問2〉、今井の主観以外の何ものでもない。
自分で「黒い鳥」は暗喩だと言っておきながら、現実感も何もあったものではない。

本書は、離れてしまうと清冽感を覚えるが、読み進めている最中は、しんどい。
短くてよかった。
生硬なのである。
24歳の処女作なのだからしょうがないといえばしょうがないが。

「モコは手をオスカーに固定されフルコートを塗り込められて悲鳴をあげる」(p.49)
「レイ子がビクンと腹を震わせ小便をもらして、乳首に蜂蜜を塗りたくってケイが慌てて新聞紙を尻の下に押し込む」(p.48)
「陽が沈む時、一部の雲が帯びる独特のあのオレンジ色に近かった。真空のガラス箱を走る、目を閉じても網膜に焼きつく白っぽいオレンジ色」(p.77)
「サブローは、ペニスに擦りつけるように足を折り曲げたり、開いて伸ばしたりしながら、自分はソファにもたれてほとんど仰向けになり、レイ子の体を尻を支点にして回転させ始めた」(p.47)
「回転」というのも非常に解りにくい。
「同時にものすごい速さで尻を回し始める。顔を真上に向けてターザンそっくりの声をだし、オリンピックの映画で見た黒人のヤリ投げ選手みたいに荒い息をして、灰色の足の裏でマットレスに反動をつけ、僕の尻の下に長い手を差し入れ、きつく抱きかかえながら」(p.64)
「今、赤い髪を背中に垂らし腰を曲げたリリーは人形に見える」(p.135)
「ゴム草履にも足の指にも血がついて時々包帯に触れる」(p.126)
「白い大きな車が雨を弾きながら道路すれすれにゆっくりと進んでいる」(p.57)

こんな文を読んでいかないといけないのである。
なるほど村上春樹の本が読まれるわけである。
彼の文章はつっかえるということがない。

私は速読できる者を恨めしく思っている。
本書の通読は私には耐え忍ばねばならぬ過程だったが、速読できる者はどれくらい耐え忍んで読んでいるのだろうかとは思う。
p.145に「グリーンアイズ」が出てきた時、私のように必死にページを繰り返さなくとも、彼らはp.60の前出シーンを即座に思い出せるのだろうか。
結びの文中の「灰色の鳥」とは中心主題の「黒い鳥」とは別のp.102の「頭に冠のような赤い羽根をもつ灰色の鳥」なのだとすぐに分かるのだろうか。
これまた中心主題である「起伏」、クライマックスシーンで出てくる前、p.84で出てきたのをちゃんと踏まえて読解しているのだろうか。

うまいな、と感じた箇所が2つある。
p.102で鳥のエサとしてポプラの根元に放り投げたパイナップルがp.126で再び出てくる。
普通ならここでちゃんと鳥がパイナップルをついばんでいるところ。
だが「夕方だし鳥は姿が見えなかった」。

もう1つは、警察官に踏み込まれるシーン。
「お前なんか自分のオヤジとでもやるんじゃねえのか?」とまで言われて普通なら“若者らしく”饒舌に反抗するところだが、返す言葉は「あの、煙草喫ってもいいですか?」「何かあったんですか?」のみ。

ヨシヤマがケイに未練たらしくヨリを戻そうと話し続けるシーンで、カズオは終始笑いをこらえ、ついには笑い出す。
カズオはどっちかというと弱そうな感じの男だ。
なのにケイには残忍な暴力をふるうヨシヤマが、カズオは一切スルーである。
ここは気持悪いものを感じた。

「鳥を殺さなきゃ俺は俺のことがわからなくなるんだ、鳥は邪魔してるよ、俺が見ようとする物を俺から隠してるんだ。俺は鳥を殺すよ、リリー、鳥を殺さなきゃ俺が殺されるよ」(p.146-147)

「限りなく透明に近いブルーだ。僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。そして自分でこのなだらかな白い起伏を映してみたいと思った。僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った」(p.149)

後者は村上龍の作家としての決意表明だという人もいる。
それはさておき、「黒い鳥」とはシステムの暗喩であり、「起伏」とはそれに立ち向かう一条の光である。
だが「起伏」はいかにも分かりにくい、なぜなら事物でなく形状だからである。

この「黒い鳥」がなければ芥川賞はなかったろう。

本書は諸要素のプラマイ評価を総合的に換算するならもちろん大きくプラスとなろう。
24歳のデビュー作としては、確かに屹立している。
いわゆる文学作品としては他とは異なる別のものといった印象であり、本書は一文学作品というよりは村上龍という才能そのものの表出といった観がある。

これを芥川賞として認めたというのは、まだ公然面における日本文学は形骸化していなかった、生きていたことを証明している。
まさかまだこの時代は又吉に受賞させるほど文学を巡る状況は悲惨ではなかったであろうから。



タグ:村上龍
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2016年04月30日

矛盾という名の愛 〜柴田翔『されど われらが日々――』〜

小説についてここに書く時は、小説としての仕立て・つくりの面と、主題・中身の面と2つの面からの批評を書くことになる。

まずは仕立て・つくりから。
初めによかった点をあげておくと、大江健三郎やコレットのような、いかにも「文学的」修辞とは無縁の文体であったことだ。
これでちゃんと芥川賞を受賞したのだから、まだ芥川賞にもまっとうさは残っているようである。

柴田翔は多作ではない。
その後の経歴は作家としてよりはドイツ文学者として生きた。
なんと彼は1969年、東大文学部助教授だったのだ。
全共闘運動は批判的に見ていたようだ。
やはり高橋和巳は偉かったことになる。

私はこれまで小説の陥りがちな一般的悪弊の1つとして、「冗長主義」と名づける傾向を批判してきた。
それの最もひどいのが松本清張であった。
今また、「逆説主義」と名づけるべき悪弊を見出してしまった。
逆説的表現こそ「文学的」で深遠でかっこいいとする考え方である。

初めて見出したのは小林秀雄「様々なる意匠」であった。
「劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない」
「この無力にして全能なる地球」
「芸術が自然を模倣しない限り自然は芸術を模倣しない」

三島由紀夫「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」はこうだ。
「俺たちが不可能をもたぬということは可能をももたぬということである」
「海は限界なき有限だ」
「限界なきところに久遠はないのだ」
「なぜそれは崩壊の可能性にみちているのか。そして、なぜそれは久遠でありうるか」
「君たちは怯惰である。君たちを勇者という」

本書ではこんな感じだ。
「あの時ほど、野瀬さんが私に身近に思えたことはありませんでした。おそらく、あの時はじめて、私はあの人を恋人として愛することができたはずだったのでしょう。ただ、それでいながら、何故か、あの人への気持は急に醒めて行きました。それは悲しいことでした。それは、私のあの人への気持が、そういう質のものだったとしか、説明できないことでした」(p.166)
最後の1文などまさに、逆説万歳、矛盾万歳である。

「私が今あなたを離れて行くのは、他の何のためでもない、ただあなたと会うためなのです」(p.187)

一番ひどいのはこれだろう。
「私たちの息は次第に一つになり、あなたの嵐は私の中で波浪となり、私の中でうねり高まった潮はあなたの外に溢れ泡立ちました」(p.180)
完全に一体化してるよねえ。
「抱擁の間、私たちは一つの息をしながら、同時に、抱擁する前と同じだけ離れつづけてもいたのです」(同)
一体化していて、同時に離れていたと。なるほど。

かくの如き修辞に「高尚な文学性」を認める「文学のわかる」輩でも、「いやあ文学的ですなあ」以外に何か言えることがあるのだろうか。
形だけのごまかしであり、文学的実相の形骸化である。
眩惑に過ぎない。文学は眩惑であってはならない。
わからないくせにありがたがる付和者がいなくならない限り、真の文学は成らないだろう。

“愛し合いつつ別れる”でなくては文学(ドラマ)ではないという風潮がある。
素直に考えれば別れないんだから、どうしても無理を押すことになる。
本書の場合は無理押しの観がひどかった。
大橋文夫(主人公)が何をどうやろうとも、佐伯節子は予定調和的に離れていくといった感じだった。

文夫が自分の過去を全て曝け出して話したのは、節子との愛を本物にしようとしたからだった。
「あなたは誠実でした。あなたの前にいた私のほしかったのは、そんな誠実さより、たとえまやかしでもいいから、一歩私のほうへ歩みよってみようとするあなたの微笑だったのに」(pp.173-174)
と節子は言うが、これがそれではなくて何なのか。

もたらされたのは恐ろしい誤解だった。
節子はこう受け取った。
「それだのに、あなたは、ただひたすら、執拗に自分の過去の自己展開を見守りつづけるばかりで、それに新しい道筋をつけてみようとは、決してなさいませんでした。その時あなたがどうしても守ろうとなさっていたものは、私たち二人の明日の生活ではなく、何か全然別のものでした。あなたはその何か不毛なものに自分の全てをかけ、すぐそばで私が、あの子供の時と同じように、あなたがこちらを向いてくれるのをどんなに待っていたか、そのことは少しも判って下さろうとしなかったのでした。あの夜、私たちはただ別々の心を持って別れる他はありませんでした」(p.178)

白と言ったら黒と解釈されるのがありなのだから、処置なしであろう。
逆説主義という仕立て上の指摘は、このように主題とも関連してくる。
かくの如き絶対的すれ違いから別れるのだから、
「あなたは私の青春でした。どんなに苦しくとざされた日々であっても、あなたが私の青春でした」(P.187)
という総括は、美しい言葉ではあるが、相応しくないのではないか。
ただ美しい表現だという印象は残る。
しかしそれは先に批判した眩惑のようなものに堕してしまわないか。

次に主題・中身の面に入ろう。

主題は現代に生きる空虚さである。
村上春樹の主題がよく現代に生きる喪失感とされるが、その20年以上前にすでに同じ主題が表れていたのだ。
私も同じ主題を持ち合わせている。
「空虚の砂」をお読みいただきたい。

「自分の空虚さは一時的、状況的なものではなく、自分と空虚は同義であることを知った」(p.129)
これは文夫である。

「生きることの空しさ、それを知っても、知らないでも、その中で生きるしかない空しさが、和子の胸をついた」(p.135)
和子というのは大学時代の主任教授F先生と不倫しF教授を愛し続けながらも“ヴァジニティ”を重視する宮下(文夫の研究室の同僚)と見合い結婚していく女性だ。

本書の特質となるのは、その空虚感が、六全協と結びついていることである。
「従ってあの夏、党の無謬性が私たちの前で崩れて行った時、私たちの中で同時に崩れて行ったものは、党への信頼であるよりも先に、理性をあえて抑えても党の無謬性を信じようとした私たちの自我だったのです。
いえ、自我が崩れたと言っては、きれいごとに過ぎましょう。歴史の法則性とか、思考の階級性とかいう一見真実らしい粗雑な理論、というよりは、そうした理論の名を借りた大仰な理屈に脅かされて、眼の前に存在する事実を健全な悟性で判断することをやめてしまった私たちには、自我と呼ばれていいものがあったと言えるでしょうか。その時、私たちにつきつけられたのは、私たちには自我が不在であること、私たちは空虚さそのものであるということでした」(p.162-163)

突然高度な政治論を展開する節子に気圧されるのは別としても、この政治による救い(坂口安吾はそれを愚の骨頂と言った)=空虚さの救済=真の生の世界(解説者野崎守英の表現)の獲得というのは、本書の主題の堂奥のはずなのである。
もちろんそこを無骨に追求していくと芥川賞は取れぬので暗示に留めているが、そこは動かないはずである。
にも関わらず一般読者はこの堂奥に気づきさえせず、それどころか柴田が後に全共闘運動に対して前述のような態度をとったことを想起する時に、やはり「文学とは眩惑である」との観を深くせざるを得ない。

文夫と節子の付き合い、その心情描写はやけに淡々としていた。
「私たちは愛し合っていただろうか。それは判らない。恋人同士と呼ばれてよいような仕方では、愛し合っていなかったかもしれない。ただ私たちは、互に好感を持ち合っていたし、やって行けるだろうと考えていた。少なくとも、私は、自分たちの間柄について、そう考えていた」(p.14)

文夫による“将来設計”は以下のようだった。
「私たちは、これからもいとしみ合い、なごみ合って暮すだろう」(p.148)
「そうだ。思い出は、近い思い出も、遠い思い出も、みな私たちから離れて、死んで行くだろう。そして、残された私たちは、いとしみ合いながら、いつともなく老いて行き、やがて自らも死に果てるだろう。そして、私たちは幸福だろう」(p.149)

本書での「幸福」は、解説者野崎守英の言う「死物のように生きる」というニュアンスで用いられる(全てではないが)。
本書を重低音として流れる「幸福」の定義は以下のようになされる。
「いや、もっと正確に言うと、不幸が幾種類かあるんだね、きっと。そして、人間はそこから自分の身に合った不幸を選ばなければいけないのだよ。本当に身に合った不幸を選べば、それはあまりによく身によりそい、なれ親しんでくるので、しまいには、幸福と見分けがつかなくなるんだよ」(p.21)
本書での「幸福」は実存的な不幸なのだ。

ただ、文夫はそれを肯定的に使っている。諦めて言ってるのではない。
「それは、私自身思いがけない感情の嵐だった。私はその時はじめて、節子を心から大切に思った。今となっては、節子がどんなに自分にとって掛け替えのないものとなってしまっているかということが、堅い棒のように私の心を打った」(p.146-147)
しかし節子は「旅だって」(解説者野崎守英)いくのだ。

結局空虚さを突破する方法は、示されていない。

金言をひとつ。
「自殺する勇気がなければ、死ぬまでは生きていく他はない」(p.43)

野崎守英は批判も入れて解説を書いている。
珍しいケースで司馬遼太郎『峠』の解説以来だが、悪くはなかった。


タグ:柴田翔
posted by nobody at 06:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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