2014年08月11日

題名に偽りなし 〜長谷川幸洋『日本国の正体』〜

『けものみち』にも『独断 これが日本だ』にも騙されてきた。
現代日本の権力構造を具体的に知ろうとしても、これまでの権力構造解明本は読者の前提知識の設定レベルを誤っていて、筆者は自明のこととして論を進めていくのだが読み手の方は専門用語のイメージが掴めないのでウヤムヤのままに残されていった。

いや、本当のことを言うと筆者も本当には解っていないのだ。
だから具体的に解りやすく書けるはずもない。
試みに手近の『朝日キーワード』でも何でもいいから「総会屋」の説明を読んで見るといい。
根底から理解できるか。
「利権」という言葉の内実を詳細に説明しているか。

以前歴史書でこんな経験をした。
信長と光秀のことを知ろうとして100冊くらいの本を読んだのだが、例えば松永久秀の死の様子を具体的に知ろうとしても、どの本も同じようにしか書いてないのだ。
つまりコピペ、孫引きだらけなのである。
知らないから書けない。

その点本書は、例えば「ばらまき」を「国民の特定層や特定業界に恩恵を与える財政支出」ときっちり定義してくれる。
権力構造の解明が読者を置いてけぼりにせず書いてあるので、もっと知りたいという知識欲に引っ張られてグイグイ読み進んでしまう。

日本の真の支配者は、官僚である。
官僚がご主人様で、政治家はポチである。
事務担当官房副長官と3人の官房副長官補が、日本の権力機構を牛耳っている霞が関の番頭である。

2009年、公務員制度改革では漆間巌官房副長官の水面下工作が奏功し、漆間が内閣人事局長のポストを奪取した。
政策金融改革では経済危機対応を大義名分に日本政策投資銀行と商工組合中央金庫の完全民営化を見直す法案が提出された。
かくして小泉政権以来の改革路線は同年3月に至って全面的に敗北したのである。

的場順三官房副長官(当時)は渡辺喜美行革相(当時)を、
「公務員制度改革をこれ以上やったら倒閣運動が起きるかもしれませんよ」
と脅した。
その前日の事務次官等会議で漆間巌警察庁長官(後の官房副長官)は天下り斡旋全面禁止案に対して
「こんな案とんでもない。現職の警察官に自分で職探しをやれというんですかっ」
と物凄い剣幕でまくし立てた。

さて事務次官等会議とは。 
定例閣議前日に開かれる法的根拠のない会議で、閣議にかけられる案件は同会議で承認されたものに限られる。
事務次官等会議にかけられる案件もまた、事前に官僚が密室で行う各省協議で調整済である。
したがって国会審議に全く意味はない。

議員会館では毎日のように何十人もの官僚が飛び回り、自分達が作った法案の議員への刷り込み工作を行っている。
党の部会や国会論議は、議員会館で打ち合わせた質疑応答をただそのまま繰り返すだけの三文芝居に過ぎない。

実質的な議論は各省協議で終了しているのである。
すなわち日本の行政の最高意思決定機関は閣議ではなく、法的根拠をもたない官僚同士の事務次官等会議なのである。

前期安倍政権時の法人税減税路線は、安倍の登用した本間正明税調会長の女性スキャンダル発覚により崩壊した。
これは官僚の謀略だった。
安倍は税調からの財務省の影響力排除を図っていた。
財務省幹部は、本間に長年同居している女性がいることを知った上で、公務員宿舎への入居を世話していたのだ。
事件後、主計局官僚は「あれは私達がやった」と語っている。

小沢一郎は政権就任後に各省庁の局長級以上の国家公務員を一旦退任させ、その後民主党政権に忠誠を誓う人間を政治任用する(アメリカはそうしている)計画を表明していた。
天下りの全廃も打ち上げていた。
霞が関は民主党政権誕生を絶対阻止しなければならなかった。
小沢の第一秘書が逮捕されたのはその直後である。

審議会の実態とは。
マスコミのお偉方は、審議会の委員に選ばれると箔がつくのでなりたくて仕方がない。
で、選ばれると当然官僚と癒着する。
例えば財務省主計局が牛耳る“審議会中の審議会”財政制度等審議会の会議では、あらかじめ主計官が委員を訪ねて質問や答弁内容について打ち合わせする。
会議には予行演習があり、主計官の答弁を練習する。
本番での質問は事前に適当な委員に振り分けられている。
質問も答弁も同じ主計官が書いている。
会議は進行表で時間が制限されており、主計官の説明が長引くためまともに討議できない。
政策や議論の方向性はあらかじめ決まっている。
委員の異論で政策が変更することはあり得ない。
官僚にとって審議会は、有識者の意見も伺ったというアリバイ工作をして、実行する政策の権威付け・正当化を図る場でしかない。

法務次官・警察庁長官・警視総監・事務担当官房副長官の4者の集う水曜会という会議があり、そこでは治安問題の情報交換が行われる。
ここで霞が関官僚のトップ、守護神である官房副長官の元には逮捕情報等の要人に関する重要案件が入ってくる。
それで漆間は小沢一郎秘書逮捕の際「自民党側には波及しない」と言えたのである。

学者やエコノミストは財務省に気に入られないと日銀審議委員や政府関係機関の役職に推薦され天上がりできないし、財政審などの審議会メンバーになれないので、財務省の誘導しようとする方向に追従する。
マスコミ記者は嫌われたら取材がしにくくなり己のキャリアを危うくするから官僚に逆らえない。

官僚が予算要求において真っ先に考えるのは、所管する独立行政法人に仕事を回す大義名分である。
仕事を回せばカネが回せる。
その後に形上の政策をくっつける。
真の狙いは領土を拡大し天下りポストを安泰にすることである。
そこには国民の生活のための政策立案といった観念が顔を出す余地は全くない。

各省庁は予算を受け取り、その相当部分を自分の所轄する独立行政法人や公益法人に回し、さらにそこから子会社的なファミリー企業へ仕事を発注する。
カネは天下りしたOBや任期付き研究員の人件費に消える。
財務省はこの常態化したカネの流れを一切公表することはなく、実態は厚いベールに包まれたままである。
解明しようとすると石井紘基議員のように殺されることになる。
国民の血税を、分からないように好きに使っていいのである。

07年度現在、独立行政法人や公益法人など約4500の法人に、約25000人の霞が関官僚が常務理事などの形で天下りしており、その天下り先には12.1兆円が補助金や助成金などとして国庫から支出されている。

官僚は新産業の業界団体を作り、財団法人や社団法人化を目指し、OBを専務理事で迎えるように促す。
これで天下りポスト一丁上がりである。
これが専務理事政策である。
次に基準認証制度を作って規格試験を実施し、試験料を徴収する。
これが専務理事の人件費に化ける。
舞台回しをした官僚には局長間違いなしの出世が約束される。
新産業の創出(成長戦略)は日本経済・国民生活の安泰のためではなく、官僚の利権作りのために必要なのである。

官僚の行動原理は天下りの開拓、既得権益の拡大、増税である。
官僚は係長頃になると、自分が天下りの恩恵に預かるには先輩の天下りポストを開拓せねばならないことを、先輩から聞かされて知る。
天下りポストは退官時の役所のポストに準ずるから、昇進する必要がある。
昇進の判断基準は、どれだけ先輩の天下りポストを開拓できたかである。
これが官僚が天下りを必然とするシステムである。

財務省の究極目標は増税である。
税収が増えればその分配も増え権力基盤が増していくことになる。
それを使って天下りポストも増やせる。
減税は金の使い手が国でなく国民自身であるため、財務省の権力に何のプラスにもならないのでさせない。
赤字国債は増えれば増えるほどむしろ良い。
その解決策として増税を強く打ち出せるからである。

マスコミ操縦術。
官僚は大きく取り上げてほしい(世論誘導したい)情報があると、まず書いてもらう新聞を選ぶ。
次に「○○記者だったらこっちの言う通りに書いてくれますよ」と記者を選ぶ。
そして携帯電話で呼び出し、紙(政策ペーパー)を渡して説明し「よろしく」と頼めばおしまいである。
こうして官僚御用達の記者ができあがる。

私は以前、衆院選に際して民主党のマニフェストを完読したのだが、その中に小さく一項目としてある「天下り全廃」、これだけでももし実現したら革命であると書いた。
それはその通りだったことが本書を読んで分かった。
天下りこそ官僚のレーゾンデートル、できるはずがないのだ。

全ての政治家は官僚に振り付けられる。
つまり全ての政治家はヘタレである。
西郷隆盛のような鉄の志をもった義士は、今いないのである。
田中角栄を最後として。

谷垣禎一と与謝野馨は財務省の走狗・下僕・代弁者であった。
そしてその谷垣を唯一信頼に足る自民党政治家と推していたのが、週刊現代だった。

小泉以降の政策課題、すなわち郵政民営化、政策金融改革、財政再建、地方分権・道州制、公務員制度改革は、その底で真の争点である「霞が関改革」に収斂していた。
新聞はその視点を示さずバラバラに伝え、なおかつ官僚の骨抜き工作も伝えず、それどころか「官僚バッシングは意味がない」と改革派を矮小化した。
これぞマスゴミの振る舞いだった。

今後の課題は、官僚支配の打破を標榜していた民主党政治家が政権掌握後に官僚に手もなく籠絡されていった過程の分析である。
洗脳か、弱みを握って(作って)の脅しか。
まあ後者のような大それたことを徹底する胆力を官僚は持ち合わせていないだろうから脅しは従だろう。
民主党政権の崩壊過程は、渡辺喜美『いつまで官僚の「日本破壊」を許すのか』で解明されるだろう。

結局のところ官僚が姑息な策を様々に弄することに成功するのは、屁理屈で煙に巻いて騙す能力に長けているからである。
受験ロボット教育での偏差値学力を、そこで活かすのである。
民衆が騙されてしまうのは、結局のところ己の頭で考える論理力がなく、官僚の言うことを鵜呑みにし思考停止してしまうからである。

それにしても官僚の天下り論で腑に落ちないのは、なぜ官僚のみが己の退官後の再就職先に汲々としないといけないのかだ。
官僚→定年退職、それだけで終わっていいではないか。
民間だとそれだけだろう。
しかも官僚は民間の2倍近く高い給与と退職金を得ているのだろう。
この点を明確に解説したものを未だに見ない。

あと疑問に残るのは、あれほどワンフレーズ繰り返し断言で世論を誘導するのに長けた小泉が、なぜ「霞が関をぶっ壊す!」とは言わなかったのか。
小泉は官僚と闘っているのだ。
テレビでもコメンテーターは、本書のような明快な官僚批判は「規制」されていてできないのか。
官僚悪の事象紹介は「TVタックル」などで稀にやるが、本書のような本を読まないと、官僚の薄汚い実態を体系として知ることはできない。

書籍でしか真実がバレないのならば、官僚的にはオールOKである。
本を読んで思考を鍛えるほど国民の知的レベルは高くないと安心しているからである。
書籍は世論に影響しない。
それであればこそ、「言論の自由」を与えてやっている。
また「小難しい本」を読めないようにするために、テレビを普及させた。

最後に残る疑問は、なぜ官僚だけがこのような騙しのノウハウを確立できたのかである。
それを結びで筆者は「日本社会の縮図論」で説明している。
官僚だけではなく、日本社会そのものに瀰漫する普遍的なやり口だというのである。
そうだとすると確かに謎は解けるが、同時にシラケてしまう。

まあしかしもし本書の内容を国民の共通認識にすることができたら、官僚を打ちのめすことはできるはずである。

ラベル:長谷川幸洋
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2014年08月08日

滅びという武士の必然 〜司馬遼太郎『峠』〜

現今の自分の境遇と重ね合わせることは、一切やめる。

継之助は己の性欲が強いことを自覚していた。
吉原での小稲、京での織部との逢瀬。
旅に出れば旅籠で女を買う。
松陰とは正逆である。
松陰の禁欲を思うと、嫉妬も湧き素直に感情移入できない。

何か反発のような感覚を抱きながら、河井継之助の生き様を辿っていった。
反発というのは、なぜ継之助は力があるのか、なぜ人は彼に従うのかということだった。

最後には彼は長岡藩7万4000石の筆頭家老になり、戦争が始まると総督になり、「諸藩連合会議(長岡・会津・米沢・村松・上山(かみのやま)・村上の6藩+旧幕軍)の座長」にまで成り上がる。
文字通りのトップであり、それなら文句はない。
問題はそれ以前だ。

客観的な権威の裏付けがないのになぜ権力があるのか。
その秘訣は威圧と屁理屈のような論理にあるように思う。

前者に関しては
「気ニヨリ圧スノミ」といった記述があったし、後者については横浜への対露警備行軍を途中で放擲しての遊郭行きにおける言い訳
(その分藩の経費を救った、警備に就けば逆にロシアに侮られた等)
が好例だろう。

解説で亀井俊介という米文学者が言っていた通り、継之助の人物像は
「矛盾するところがあって捉えにくい」
というのが客観的なところなのだろう
(亀井氏は「解説」中で本編への批判臭いことを書いていたが、初めてのケースだ)。

例えば
「福沢(諭吉)は乾ききった理性で世の進運をとらえているが、継之助には情緒性がつよい。
情緒を、この継之助は士たる者の美しさとして見、人としてもっとも大事なものとしている」(中P.426〜427、カッコ内引用者)
とあるかと思えば、
「継之助は、にがりきっていた。
ーー一同、それぞれの藩の宰相、もしくはそれに準ずるものではないか。
とおもうのである。
一藩を宰領してゆくのは涙ではない、乾ききった理性であるべきだと継之助はおもっていた」(中P.560〜561)
とあったりする。

しかるに司馬は継之助を
「すべてにおいて原理原則を貫かないと気が済まない」
男と道破しており、その通りなら矛盾など生じようはずもないのだが。

原理を追求する継之助は威圧と屁理屈により
(その緩衝剤として「おみしゃん」「〜してくりゃえ」というかわいらしい話し方をする)
局面を打開し、その結果として成り上がっていった。
だがそれはなんとかかわしてきた、悪くいうと糊塗してきたのだ。
本質的な方法ではない。
いつか行き詰まる時がくる。

それが彼の運命を決した小千谷談判であった。
不運はある。
相手の官軍軍監が岩村高俊という弱冠24歳の小物だったこと。
もし官軍総指揮官黒田了介(清隆)か山県狂介(有朋)であれば談判は成功していたかもしれない
(後に松門の品川弥二郎は「なぜ黒田了介か山県狂介が出て直接河井に会わなかったか」と悔やんだ)。
それは継之助の人物を知っていたから。
しかし裏を返せば、継之助の威圧と屁理屈という虚飾を剥ぎ取ってむき出しのままで本質的に対峙した場合、継之助のやりようは通用しないということの証明なのだ。

ここで初めて、継之助のやり方は挫折した。
それは見ていて痛々しいほどだった。
何度断られても断られても、何度も何度も嘆願書を官軍総督の公卿に取次いでほしいと頼み続ける。
ついにそれは叶うことなくここから継之助が去ることにより北越戦争の幕は切って落とされることになる。
後に新政府部内で一致した反省がもたれたのは、継之助を去らせたのは官軍の大きな失敗だったということであった。

北越戦争。
それは維新の内乱中最も激烈な戦争と呼ばれた。
西郷吉之助(隆盛)は喝破した。
「奥州の敵は、土佐の板垣退助にまかせる。
北越こそ、戊辰の関ヶ原である」。
この戦争では松陰門下の時山直八が戦死している。

継之助の心はこうだった。
「しかしながら智謀などはたかが知れたものだ。
智力のかぎりをつくし、あとは天をも震わせるような誠意をもって運命を待つしか仕方がない」(下P.257)。
「人間、成敗(成功不成功)の計算をかさねつづけてついに行きづまったとき、残された唯一の道として美へ昇華しなければならない。
『美ヲ済(な)ス』それが人間が神に迫り得る道である、と継之助はおもっている」(下P.301)。

継之助は左肩、続いて左膝下に被弾し、それが元で命を落とす。
最も印象深く残ったのはその結びのシーンである。

「松蔵は作業する足もとで、明りのための火を燃やしている。
薪にしめりをふくんでいるのか、闇に重い煙がしらじらとあがり、流れず、風はなかった。
『松蔵、火を熾(さか)んにせよ』
と、継之助は一度だけ、声をもらした。
そのあと目を据え、やがては自分を焼くであろう闇の中の火を見つめつづけた。
夜半、風がおこった。
八月十六日午後八時、死去」(下P.431)

総括は次の文になろう。
「長岡という小藩にうまれたことは継之助にとって不幸であったが、長岡という小藩にとっても継之助を生んだことは不幸であった」(下P.347)。

司馬はあとがきで
「私はこの『峠』において、侍とはなにかということを考えてみたかった。
それを考えることが目的で書いた」
という。
武士というもののある意味究極まで洗練された比類のない美の人間型。
しかしその行き着く果てが藩もろともの破滅であったというのなら、それが武士の必然的帰結というのだろうか。



ラベル:司馬遼太郎
posted by nobody at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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