2015年11月23日

私と明智光秀【序論】

明智光秀に魅かれる。
傾倒している。
なぜ明智光秀なのか。
自分でも判然としない。
何とはなしに、魅かれるといった感じである。

広辞苑をひくと、こうある。

【明智光秀】安土時代の武将。通称、十兵衛。織田信長に仕え、近江坂本城主となり惟任(これとう)日向守と称。ついで丹波亀山城主となり、毛利攻めの支援を命ぜられたが、信長を本能寺に攻めて自殺させた。わずか一三日で豊臣秀吉に山崎に破られ、小栗栖(おぐるす)で農民に殺される。(一五二八?〜一五八二)

歴史の流れは、信長から秀吉へ。
光秀の歴史的役割とは、「本能寺」しかない。
以後、光秀の名前は、常に謀叛人の代名詞として用いられることになる。

「信長は、打っても、叩いても、よもや光秀が、謀反などする気遣いはないと、安心していた。」(徳富蘇峰『近世日本国民史 織田信長(三)』)

その光秀の謀叛。
信長は全く、意表をつかれた。
しかし、それでも信長の心境は、
「是非に及ばずと、上意候。」(太田牛一『改訂信長公記』桑田忠親校注)

「是非に及ばず」。
大仏次郎は、「かく成ったことよ」と訳している(大仏次郎『炎の柱織田信長』)。

信長は天命を知っていた。
日頃から
「死のうは一定(死はすでにさだまっていることだ)。」
という小唄を愛誦し、桶狭間の戦いを前にして
「人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか。」
と謡い舞った信長である。

ヘーゲルに、ヴェルト・ガイスト(世界精神)という歴史哲学の概念がある。
世界史のうちに働いている超越的な精神、という意味である。
換言すれば神の遣わした歴史の創造者、ということである。
信長は間違いなくそれであった。
小室直樹は
「現代日本は信長に負う。そのすべてを。」
とまで言う(『信長の呪い』)。
極言すれば、本能寺の変は信長の本望であった。
それまでに彼は、彼に課せられた歴史的使命を全うしていたのだから。

それにしても、なぜ光秀は信長を襲ったのか。
古来言われているのは怨恨説と野望説、そして最近になってにわかに脚光を浴び出したのが「黒幕説」である。
私は、野望説8対黒幕説2を、その動機ととる。

黒幕と考えられるのは何人もいる。
毛利輝元、徳川家康、堺の商人衆、比叡山宗徒、足利義昭、豊臣秀吉、等々。

秀吉は、にわか歴史ファンにはちょっと信じ難い。
あらゆる物語で、秀吉は信長の忠実なる下僕として描かれている。
しかし、彼もやはり怪しいのである。
果たして秀吉の、信長への忠誠心は絶対的だったのか。
だとしたら、
「ほんとうに織田家のためを思い、いのちを賭けて戦った、たった一人の信長の家臣」(桑田忠親『戦国武将名言集』)柴田勝家を破った賤ヶ岳の戦いはどう説明されるのか。

しかし、最も怪しいのは朝廷・公家衆、就中正親町天皇である。
彼が、吉田兼見、里村紹巴・昌叱をスパイとして操り、光秀を煽動した。
頼みとした細川藤孝・忠興父子や筒井順慶らにことごとく裏切られた光秀だったが、彼もまた己の天命を知っていたのだ。

                   (1993年3月、21歳)
ラベル:明智光秀
posted by nobody at 08:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 人物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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