2016年09月20日

愛ゆえに…… 〜三好徹『チェ・ゲバラ伝』〜

ゲバラについて形成されていた先入見。
それは、カストロが疎んじて追い落とした、というもの。
誰かがそうハッキリと断じていた。
カストロがゲバラを謀殺したのだ、くらいの勢いで。
それはプロパガンダだったようだ。

それにしてもゲバラやカストロ、キューバ革命に思いを致す時、そこにはいくつもの疑問がまとわりついていた。

キューバ革命はなぜ成功したのか?
なぜアメリカは妨害しなかったのか(他の中南米諸国のように)?
バチスタは、モンカダ兵営襲撃で19人を殺しながら、首魁としてせっかく捕えたカストロをなぜ死刑にしなかったのか?
捕えた19人は女性を除いてその場で殺し、後々関係者を20000人以上殺したではないか?
1957年3月13日のホセ・アントニオ・チェバリア率いる学生30人による大統領官邸襲撃では、学生25人を射殺し関係者50人以上を殺したではないか?
死刑にできなくても密室たる獄中でいくらでも殺せたではないか?
そのうえ、なぜせっかく禁固15年を下したのに、大統領再任特赦で、たった2年足らずで釈放してしまったのか?
なぜCIAの侵攻は、あんなにへなちょこだったのか?
カストロはなぜ暗殺されなかったのか?
なぜゲバラは初めコンゴへ行ったのか?
そしてなぜコンゴでの戦いを断念したのか?
なぜ次に選んだのがボリビアだったのか?
本当に勝算があったのか?
なぜカストロはゲバラを助けるために、国をあげて対ボリビア戦争をし向けなかったのか?

なぜのまま残ったのは少なくない。
三好はコンゴの件とキューバ危機に関してはサラッと書いている。
カストロとの確執などはなかったという立場だ。

ゲバラに関する先入見はもう1つあった。
ボリビアでの勝算の件に関連するのだが、軍事偵察用人工衛星網が張り巡らされ地球上の全ての人の顔すら識別できるというこの時代に、どうしてゲリラ戦による革命の成功などあり得ようか? という思いである。

最大のなぜはゲバラの生き様だ。
なぜ、「上流社会への鑑札」たる医学博士を得ながらそれを捨てることができたのか?
なぜ、アルゼンチン屈指の財産家の娘フルレイラ嬢との結婚を捨てることができたのか?
なぜ、愛する妻と5人の子供を捨てることができたのか?
なぜ、キューバ工業相の地位を捨てることができたのか?
キューバを去ろうとしたのは、何か居づらくなった事情があったのではないか?

なぜ、約束された何不自由のない裕福な生活を捨てることができたのか?
なぜ、革命に命を懸けることができたのか?

そのパーソナリティの形成こそ最大の謎である。
否定的な面が一切出てこない。
頼むから何か出てきてほしいという感じである。
例外は久保田鉄工堺工場を案内したM・S氏が「傲然たる態度」「お高くとまっている」と言ったのくらいである。
聖人、カリスマというしかない。

「ラテン・アメリカの人びとにとっては、チェのような家系の、いわばエリートが革命家として生きそして死んだことが、不可解でならないようであった。現世の楽しみを本能的に求めるかれらには、チェの生き方は、理解の外にあるらしく、それをいう人は少なくなかった。しかしながら、このなみはずれた生き方こそが、チェの魅力であり、ラテン・アメリカに限らず全世界の若ものたちの間での熱狂の原泉にもなったのだ。かれはボリビアのジャングルの中で銃弾に斃れたが、同時にまた不滅の生をかち得た、といってもいいであろう」(p.368〜369)

ラテン・アメリカ人というのは、自己中心的でエゴイストなのらしい。
母親セリア・デ・ラ・セルナが社会主義的思想の持ち主で、
「革命家チェ・ゲバラの生成やその心情に強い影響を及ぼしたのは、父親よりも、むしろ母親であったろう」(p.14)
とあるが、他の4人の兄弟は普通のラテン・アメリカ人だという。

私は父の影響が大きいのだと思う。

「父ゲバラは、共同経営者を見つけて、造船業をはじめた。事業は順調だったが、ゲバラ家の当主は、新しく厄介な仕事を背負いこむ羽目に陥った。
というのは、二歳になったエルネストが、喘息の発作におそわれたからである。父ゲバラは、息子を抱きかかえて、ベッドに腰かけたまま仮眠するという毎夜を過さねばならなかった。
『幼い兄はそうされると安らかに眠った』
と、弟ロベルトは証言している」(p.10〜11)

チェが11歳の頃。
「チェが出席すると、たちまち騒ぎが起こった。着飾った少女のひとりが、大きな声で、靴みがきなんかをどうして入れたの! といったからだ。それは、チェの服装に対するあてこすりだった。じっさい、チェは、なりふりかまわぬといった外見だった。服装に対する無頓着さは、かれの生涯を通じての特質のひとつであるが、このころからすでにそれが発揮されていた。
女の子はともかくとして、男の子たちもこれに同調して侮蔑するに至って、チェは爆発した。ラテン・アメリカ人の、とくにアルゼンチン人の誇りの高さは格別である。チェは独りでかれらに立ち対(むか)い、そして父親は呼ばれてくると、この愚かな富めるものたちに抗議し、抑えようとするホテルの従業員たちにステッキをふるったために、息子ともども放り出されてしまった」(p.16)

チェの喘息のために、一家は3度も引っ越している。
コルドバのアルタ・グラシアに転居した際は、せっかく順調になった造船業を共同経営者に売り渡してまでそうしているのである。
順調な生活よりもチェの健康をとったのだ。

他の兄弟と分けるとすれば喘息である。
チェは自分が喘息であったがゆえに承認された親の愛に感応したのだ。
それは後の「革命家にとって最も大切なものは愛」発言につながってくるだろう。
革命家にとってというよりも、まっとうな人間にとってと言うべきだが。

チェは日本を高く買っていた。
予定外にも広島に行き原爆慰霊碑に献花したのは有名な話だ(日本側は広島行きを嫌がるような印象を与えた)。
しかし経済協力を請うチェに対する池田勇人通産相らの対応は冷淡だった。
アメリカの腰巾着たる日本がチェの工業機械の買入れの話も無下にしたのも理の当然である。
しかしそんなことで日本に失望を覚えるほどチェもナイーブではなかったろう。
チェはもっと遠くを見据えていた。

ボリビアでの最期の戦い。
それはアメリカの軍事顧問団の援助により対ゲリラ戦の訓練を受けたレインジャー部隊1800名+ボリビア政府軍VSチェらボリビア民族解放軍50名の戦いだった。
50名のうち生き残りは僅か3名。
しかも絶望的なことに、レインジャー部隊の組成というのは、将校を除いて全てインディオ系のアイマラ族とケチュア族なのである。
ボリビア人の70%がインディオであり、67%が文盲であり、60%が公用語たるスペイン語が話せない。
つまりボリビアのインディオは文盲でスペイン語も使えず、ためにまともな収入が得られない。
土を練り固めただけの、電灯のない家に住み、街角に無気力に座り込んで野菜を売り、1日30円で食いつなぐ。
チェはそんなインディオを救おうとして、そのインディオに殺されたわけだ。

洗脳。
アメリカによる洗脳。
普通の人ならアメリカに歯向かえば殺されるから、積極的に洗脳され、「放蕩に身を沈めて堕落の中で魂を圧殺する」(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)ように日常を生きていくものだ。
だからチェは普通、いない。
だからチェが存在したのは、奇跡なのだ。
事実、ボリビアにはいなかった。
いたのはモンへ・ボリビア共産党書記長という薄汚れた俗物。
三好は歯痒い言い方はしない。

「マリオ・モンへは、権力主義者の本質をさらけ出した。かれは、ボリビアの民衆を救うという意思には、はじめから欠けていた。バリエントス政権を倒して、自分がボリビアの支配者になることが、最終の目標であった。その本質においてラテン・アメリカの多くの右翼的軍事革命家と変りなかった」(p.338)

みすず書房版『ゲバラ日記』の解説で、冨岡倍雄はもっとはっきり言う。
「ゲバラは、まさにボリビアの共産党によって、あるいは、革命の名を僭称しているにすぎない全世界の既成の『革命』指導部によって、ころされたのである」(p.186)

同書まえがきでの仲晃はこうまで言う。
「ゲバラたちが67年10月に全滅したとのニュースを聞いて、クレムリンとボリビア共産党幹部たちが祝杯をあげたのは想像に難くない」

キューバにおける共産党、人民社会党はカストロの武装闘争に反対し、カストロが成そうとしたゼネストを妨害し潰した。
スペイン内戦で革命を潰したのは誰だったか。

共産党というもの、そしてアメリカが、諸悪の根源、世界の人民の災いの全ての元凶だというのは明々白々、この上なくはっきりしているのに、世界は、そうあり続ける。

ボリビアでの勝算。
腐れ切ったボリビア共産党とは無理でも鉱山労働者との連帯は可能性があったが潰された。
そしてボリビア農民はチェらに一切協力しなかった。
ボリビアにはチェはいたが、「カストロ」はいなかったのだ。

キューバ革命ではハバナ入城という目標があった。
だがチェが仮にラパスに進軍できたとして、革命は成ったか?
成らなかったろう。
キューバ革命の時は、カストロはバヨ将軍から
「こちらの計画を敵に知らせるバカがあるか」
と呆れられながらも、キューバの全国民に自分たちの運動に信頼をもってほしいために、無茶を承知でキューバへ侵攻するという声明を発表した。
さらにゲリラの陣中にニューヨーク・タイムズの記者を呼んで記者会見した。
国民代表団と連携し、市街・一般大衆への浸透を図った。
これは補給というゲリラ戦の死命をも握ることである。

これらはみんなカストロの考案した戦略である。
寡黙な実務派チェはこの戦略面が弱かったのではないか。
やはりキューバ革命の成就には、カストロとチェの2人ともの存在が不可欠だったのだろう。
だがチェだって、キューバ革命の時
「我々は、キューバの国民に、革命の目的とするものやその計画を説明すべきではないかね」
と提案しているのだ。
そして無謀と言えばキューバ革命だって充分無謀だったのだ。
その成就は奇跡なのだ。

奇跡奇跡と言っているが、チェは確かに39歳でボリビアで散ったけれどもそれでも、そこまで生き延びたのはやはり奇跡だった。
そもそも革命を成就できた革命家というものが、革命を志した者の中では稀有であろう。
ほとんど皆、志成らずして死んでいるのだから。
志半ばで歴史に名を残さず無念に死んでいった革命家は、ゴマンといるだろう。
ゴマンといて名を残していないから当然、私の関心は向くことができない。
チェは生き残り、革命を成し遂げたから関心が向いたのだ。
チェのことを思う時、いつもそう思う。

ボリビアに行くイコール地位も名誉も裕福も――そして恐らくは命も――全て捨てる、と決意したのはチェだけではない。
チェに同調し、そして同様に死んだ者がいた。

(通称モロ、モロゴーロ、ムガンガ、ムガンバ、エル・メディコ)ハバナの病院の外科部長、1967年1月14日戦死。
エリセオ・レイエス・ロドリゲス(ロランド)大尉・中央委員、4月25日戦死。
アントニオ・サンチェス・ディアス(マルコス)少佐・中央委員、6月2日戦死。
リカルド・アスプル(ムビリ、タコ、パピ、チンチョ)キューバ軍将校、7月30日戦死。
ファン・ビタリオ・アクーニャ・ヌーニェス(ホアキン、ピーロ)少佐・中央委員、8月31日戦死。
リカルド・グスタボ・マチン・オルド・デ・べチュ(アレハンドロ)少佐・工業省次官、同日戦死。
イスラエル・レイエス・サヤス(プラウリオ)中尉、同日戦死。
マヌエル・エルナンデス(ミゲル)大尉、9月26日戦死。
アルベルト・フェルナンデス・モンテス・デ・オカ(パチョ、パチュンゴ、パンチョ)少佐・中央委員・鉱工業省次官、10月8日戦死。
これは一部である。

フレディ・マイムラは日系人だった。
ボリビアで生まれ、外科医を志望しハバナ大学医学部に留学し、2年間の教養課程を1年で修了した秀才である。
その後チェコ、ソ連に留学し、ハバナに戻り入党する。
ボリビア政府軍に生きて捕えられたが「革命ゲリラ万歳!」と叫んで抵抗したため射殺された。

インティとココはボリビア人の兄弟で、モンへを見捨て断固としてチェを支持した。
チェは兄インティに政治家的資質を認め、弟ココに戦士としての勇敢さを認め、将来のボリビア民族解放軍の中核の担い手として期待を寄せていた。

写真に爽やかな笑顔を残したココは9月26日に戦死する。

インティは生き残っていた。
1968年7月、民族解放軍の再建を誓い「ボリビアのゲリラは死なず、それは今始まった」という声明文を新聞社に送りつけた。

オノラト・ロハという農民がいた。
ボリビア政府軍の密偵となり、チェに接近してはその情報を売り込んだ。
報奨として、政府から大きな農園をもらった。
1969年7月14日の夜、インティはロハを射殺した。

その2ヶ月後、密告によりラパスの潜伏先を政府軍に急襲され、全身を蜂の巣にされて死んだ。

「ラテン・アメリカの人口を構成するほぼ3億の人間、その大多数は絶望的に貧しく、(略)かれらは物質的な生活や文化や文明に権利をもつのである。が、かれらに対して、真の希望をあたえるような正しい答え、あるいは必然的な行動をなしたものは、(チェのほかに)誰ひとりとしていないのである。なすべきもっとも誠実なことは、チェの意志や勇敢にも思想を守るためにかれのかたわらに倒れた戦士たちの前に、黙祷をささげることであろう。なぜなら、大陸を救うという高貴な理想に導かれたひとにぎりの人びとが行なったこの行為は、意志の力、英雄的な精神、そして人間の偉大さが何をなしうるかの崇高な証として、永遠に残るだろうからである」(カストロ、p.371)

「革命においては――それが真の革命であれば――人は勝利を得るか死ぬかだということを学んだのだ。
…ぼくは素晴らしい日々を生きてきた。そしてカリブの危機の輝かしくも苦しい日々に、きみのかたわらにあって、わが国の国民であることを誇らしく感じたものだ。
…いま世界のほかの国が、ぼくのささやかな力添えを望んでいる。…別れの時がきてしまったのだ。
…喜びと悲しみのいりまじった気持で、こんなことをするのだ、…ぼくは、新しい戦場に、きみが教えてくれた信念、わが国民の革命精神、もっとも神聖な義務を遂行するという気持をたずさえて行こう、帝国主義のあるところならどこでも戦うために、だ。
…もし異国の空の下で最期の時を迎えるようなことがあれば、ぼくの最後の想いは、この国の人びとに、とくにきみに馳せるだろう。きみのあたえてくれた教えやお手本に感謝したい。そしてぼくの行動の最後まで、それに忠実であるように努力するつもりだ。
…永遠の勝利まで。祖国か死か。
ありったけの革命的情熱をこめてきみを抱擁する」(別れの手紙、p.278〜280)

「ぼくらのすべての行動は、帝国主義に対する戦いの雄叫びであり、人類の敵・北アメリカに対する戦いの歌なのだ。どこで死がぼくらを襲おうとも、ぼくらのあげる鬨の声が誰かの耳にとどき、誰かの手がぼくらの武器をとるために差し出され、そして、誰かが進み出て機関銃の断続的な響きとあらたに起こる鬨の声との相和した葬送歌を声高らかにうたってくれるならば、死はむしろ歓迎されてよいのである」(p.361)

「なによりも、かれのような人間にあっては、行動そのものが思想であった。われわれ人類は多くの革命家をもったが、かれを除くすべての革命家は、いったん革命が成就すると、二度と兵士になって銃をとることはしなかった。むしろ、その多くは自己の権力を守るために汲々とした。独りチェのみが、すべてを投げうって、一介の兵士に戻り、新たな戦いに身を投じた。この稀有の生き方をみるだけで、多くの言葉は不要であるだろう。そうなのだ。この生き方の純粋さに、革命のロマンティシズムに心をうたれ、ささやかであろうとも、連帯をもちたいと感じたのである」(p.364〜365)
三好の筆も熱い。
伝記の書き手はこれぐらいでないと困る。

チェの気高さへの全世界の人々の連帯は、時が経つほど強まりこそすれ、決して弱まることはないだろう。


ラテン・アメリカの地図とキューバの地図は、巻頭に置いてほしかった。





タグ:三好徹
posted by nobody at 07:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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