2008年07月21日

共産主義とマルクス主義 〜マルクス、エンゲルス『共産党宣言』〜

*この項は以下の2稿からなる。
@『共産党宣言』について(読書交換会の相手への推薦文)
A卒論における『共産党宣言』言及部分
 
@『共産党宣言』について

 この読書交換会の意義として、私は次の2つを認める。
 思い切り簡潔に言うと、
@相対立するお互いの主義主張の矯正(あるいは相互理解)
A推薦者は熟読しているとは限らないのだが、2人で共に読んで共通のテーマとして議論するに値する本の読書交換
の2つである。
 本書を推薦する主目的はAにある。

 イミダスでちらりと読んだのだが、マルキスト必ずしも共産主義者ならず、共産主義者必ずしもマルキストならず、なのだそうだ。
 その伝でいくと私はマルキストではあるが共産主義者ではない、ということになりそうだ。

 君が手紙に書いていたように、本書を読むとマルクスが本質的に技術主義者臭を帯びていることが窺われる。
 この点で共産主義とは所詮、近代に猖獗を極めた西欧合理主義のはしくれ、資本主義とは同じ穴の狢に過ぎなく思えるのである。
 
 しかし私はそれとは別のマルクスの読み方をしている。

 とにかく君の共産主義(あるいはマルクス主義)観を披露してほしい。

                                            (1994・5・10、22歳)

A卒論における『共産党宣言』言及部分

 こうした文脈を辿ってくると、マルクスの社会発展段階論は文明史の認識として極めて正確であるといえる。
 マルクスは経済学者や哲学者としてよりも、一人の歴史学者として曠古の業績を残していると評価すべきである。

 彼はただやみくもに資本主義を批判したのではない。
『共産党宣言』にも
「『宣言』は、資本主義が過去に演じた革命的役割をまったく公正に取りあつかう」
とある通りである。
 
 そしてただ支配者階級を打倒することのみが究極の目標なのではない。

「そしてこの階級闘争の歴史は、次第に発展し、現在では、搾取され、圧迫される階級――プロレタリア階級――が、搾取し支配する階級――ブルジョア階級――の支配から解放されるためには、同時に、また究極的に、社会全体をあらゆる搾取、あらゆる圧迫、あらゆる階級的差別、あらゆる階級闘争から解放しなければならない段階に達している」(同、太字引用者)。

 つまり、基本的構造として、
「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」
という有名な『共産党宣言』の冒頭命題は、全く正しい文明史認識なのである。
 このことから『共産党宣言』については、そこからイデオロギー的、あるいは経済学的臭味のみを専ら嗅ぎ出すのではなく、一つの秀逸な文明論として再評価すべきである。
 
 マルクスとエンゲルスがここで俯瞰していたのは、人類文明全体だったのである。

 ただし厳密にいえば、現代経済文明における“階級闘争”は畸形のかたちをとっており、
「闘争」という形態が消えうせてしまっている。
 強いていえば“階層対置”といった状態になっている。
 
 その理由は言うまでもなく、巧妙な洗脳によって大衆の闘争本能が去勢されたからである。
 どっちにしろこれは瑣末なことである。

 マルクスの致命的な過ちは、別のところにある。

 槌田(敦。物理学者)にも共通するのだが、それは、人間というものの正しい姿を掴み損なったことである。
 人間は性悪である。
 たとえ暫定的にせよ、わずかの間でも権力の旨みを覚えた人間は、変わってしまう
 プロレタリアート独裁のスターリン主義化は、必然的だったのである。
                                               (1993、22歳)

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