2014年07月07日

レインスティックに込めた愛 〜東野圭吾『夜明けの街で』〜※ネタバレ

男と女が出会い、そして別れる。
切ない。
特に最終局面で出会いの場面を回想されるともういけない。
『宮本から君へ』の「検問突破!」がそうだった。

不倫がテーマの、甘美なラブ・ロマンスである。
ミステリーもあるが、私にとっては重要でない。
男は建設会社第一事業本部電気一課主任の渡部、30代後半。
女はそこへ派遣社員としてやってくる仲西秋葉、31歳。

「小さめの顔は奇麗な卵形で、鼻筋は定規をあてたように真っ直ぐだった」
「和風美人タイプの整った顔立ち」(P.10)。

渡部には2歳下の妻有美子と幼稚園に通う子の園美がいる。
だから不倫に煩悶する渡部の内面描写がずーっと続く。

それにしても秋葉を想う気持に気付き久しぶりの恋愛の感覚に浸る初期の渡部の内面描写はよかった。
楽しかった。

果たして最終的に渡部はどうするのか。
渡部は秋葉をとる決断をした。
翌日妻にその話をすると決めた。

しかしクライマックス・シーンの後、秋葉は言うのだ。
「もう一緒にはいられない」(P.361)。
「あたし、あなたのことを利用してた」(P.362)。

理由は、
「あの人たち(父の仲西達彦(経営学の客員教授をはじめ色々な仕事をしている)と叔母の浜崎妙子(バー「蝶の巣」のマダム))を苦しめるため。
あたしがどんな不道徳なことをしたって、あの人たちはあたしを責められないから」(同)。
もう1つは、
「不倫を体験したかった。
どんな思いがするものなのか知りたかった」(同)。

もちろん、これは嘘である。
彼女が本当に渡部を愛していたことは、別れのシーンの涙が証明している。
それでも渡部が秋葉にしがみつかなかったのは、小さくまとまらせたかったのか。
「きみにどんなことが起きても、必ず守ってやるって約束したじゃないか!」
と叫んでほしかった。
有美子は実は夫の不倫に気付いていたが、母子とも捨てられることはなくなった。

2人の愛の期間は、9月(推定)〜翌年3月までの7ヵ月だった。
なんと濃密な7ヵ月であっただろう。
秋の温泉宿への泊まり旅行、
アクロバット的に会ったクリスマス・イブ(¶@)、
秋葉のけなげさが浸みるバレンタイン・デー(¶A)、
秋葉に妻との離婚の決意を告げる横浜デートその1、
レインスティック(これが題名の方がよかったのではないか。
題名に惹かれて読んだのだが、『夜明けの街で』という題名は必然性がない)
を傾け手をつなぐ横浜デートその2(¶B)、
秋葉が目に涙を滲ませセックスをしたホワイト・デー(¶C)……。

そうなのだ。
必要なのは自分にとっての秋葉なのだ。

さて、ミステリーについても軽く触れねばなるまい。
渡部が最終的に秋葉をとるのかどうかと、もう1つの焦点は東白楽強盗殺人事件の時効が成立するかどうかだった。

秋葉は 
「三月三十一日。
その日が過ぎれば、いろいろとお話しできるかも」
「その日はね、あたしの人生にとって、最も重要な日なんです。
その日が来るのを何年も……」(P.49)
と言っており、のみならずこのセリフは後でも出てくる。

そして2人が付き合うきっかけとなったともいえるセリフ、
「それ(謝ること)が出来ればどれほど楽か……。
素直に謝れるぐらいなら、あたし、こんなに苦しくない──」(P.33)。

この2つにより、秋葉は犯人ではないことになる(実際そうだったが、しかしそのために後者のセリフが宙ぶらりんになってしまっている)。

本条麗子(達彦の秘書。
達彦の愛人とされていたが、真相は真の愛人である妙子の存在をカムフラージュするために(真の不倫相手が妙子であれば、自分にとって妹なので母は離婚届に判を押さなかったから)愛人に仕立て上げられた)
は殺されたのではなく、自殺したのだった。

それを秋葉が殺したと勘違いした達彦と妙子が、秋葉への疑いを逸らすために、強盗の仕業に見せかけようとして偽装工作したのだった。

秋葉は2人に感謝するどころか罰を下すことを決意する。
「お父さんからいわれたとおりに嘘をついている間に(秋葉は死体を見て気絶したので何が起きたか全く知らないことにしろと2人に指示された)、あたしは決心した。
真実は時効の日まで黙っていようって。
あたしが黙っているかぎり、お父さんと妙子さんにとって、あたしは殺人者。
二人はあたしを守らなきゃいけない。
起きてもいない犯罪を隠蔽したという十字架を背負うことになる。
それが罰だと思った。
本条さんへの償いでもあった」(P.360)。

最大の疑問点は、なぜ秋葉は自分が殺していないことを黙っていたのかということ。
P.354にはこうある。
「でも、(父は)あたしには一度も訊かなかった。
本条さんを殺したのかって。
それであたしは決心した。
訊かない以上は、あたしも答えない。
あたしが殺したと思い込んでいるのなら、それでもいいって」。

秋葉は、偽装工作してくれるのは自分を助けるためだとは思わなかったのだろうか。
思っていれば、訊かれなくても
「私が殺したんじゃない。
自殺したのよ」
と答えているはずである。
答えないためには2人への相当強い憎しみが必要である。

で、その根拠付けとなったのが麗子の遺書(せめて秋葉には現物を持ってきてほしかったが)。
「彼女はお父さんのことを愛していたのよ。
それがどれほど深いものなのか、遺書を読んで初めて知った。
そんな彼女に対して、この人たちは、信じられないほど残酷な仕打ちをしたのよ。
恋人は本条さんという暗黙の了解の陰で、ずっと密会を続けてた」(P.358)
「この人たちは最低の人間なの。
生きる価値なんてない。
この人たちはね、自分たちの不倫関係を隠すために、一人の女性を犠牲にしたのよ」(P.357)。

今度はなぜそれほどまで(15年間かけて罰を下さないといけないと思うほどまで)秋葉は強く麗子に肩入れするのかという根拠付けが必要になってくるのだが、まあこれくらいにしよう。
犯行の偽装工作者が真犯人を勘違いしていたというのは、確かにミステリー的には斬新である。
                                        (2014.1.5  42歳)

§名シーン§
¶@八時ジャスト、僕はレストランに到着した。
店を囲むように張り巡らされたガラスの向こうに東京の夜景が広がっていた。
ボーイに案内されて窓際の席に行くと、黒いワンピースを着た秋葉が座っていた。
僕を見上げた彼女の瞳は、少し潤んでいるようだった。

「来ないかと思った」
彼女は言った。

「まさか。どうして?」

「だって」
彼女はふっと吐息をついた。
「元々無理なことだから」

「無理じゃないよ。約束は守っただろ」

「うれしい。でも……」
彼女は俯いた。

「なんだ?」

秋葉は僕を見つめ、手を伸ばしてきた。
彼女の指先が、テーブルに置いた僕の手に触れた。

「うれしいけど……こわい」

「何いってるんだ」

僕はボーイを呼び、シャンパンを二つ注文した。

12

楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。

その時間が輝きに満ちていればいるほど、そしてそれを得るために払った犠牲が大きければ大きいほど、一瞬の後に僕の手から離れてしまう。

イブの夜を僕たちはホテルで過ごした。
秋葉はこれまでのどんな時よりも美しく、かわいく、さらには妖艶だった。
僕たちは裸で抱き合い、セックスをしては見つめ合い、後から振り返ると恥ずかしくなるに違いないような愛の言葉を交わし、気持ちが高まってくるとまたセックスをした。

眠ってしまうのが惜しくて、僕は彼女に腕枕をしてあげた状態でも、がんばって目を開けていた。

「眠くなったら眠っていいからね」
本心とまるで違う言葉をかけた。

大丈夫、と秋葉はいった。
だけどその数分後、彼女は寝息をたて始めた。
デジタル時計の表示は午前二時を過ぎていた。

秋葉の髪の匂いを感じながら僕は目を閉じる(P.135〜137)

¶A「二日ぐらいどうってことないよ。
もっと長い間、籠ってたことあるもん」

「長い間?」

僕が訊くと彼女は膝を抱え、その腕の中に顔をうずめた。

はっとした。
何かが頭の中で弾けた。

「年末にカナダに行ってたというのも嘘だったのか」

秋葉は答えない。
僕は彼女の肩に手を置いた。

「どうなんだ?」

彼女の肩は震えていた。
やがて細い声が聞こえた。

「あなたを苦しませたくないから……」

僕は首を振った。
かけるべき言葉が何ひとつ思いつかなかった。
僕は彼女の身体を抱きしめた。

「でも幸せ」
秋葉はいった。
「今夜会えるなんて、夢にも思わなかった」

輝く雪が僕たちに降り注いでいた。
僕は雪面に目を落とした。
彼女が描いていたのはハートマークだった。
ハートには矢が刺さっていた。(P.189〜190)

¶B食事の後、中華街を二人で散歩した。
外国の民芸品を揃えている店があったので、冷やかすことにした。
秋葉はレインスティックというものを手にした。
竹で出来ていて、中に細かい砂でも入っているらしく、傾けるとザーと雨が降るような音がするのだ。

「インドネシアの森の中にいるみたい」
そういって彼女は目を閉じ、竹筒を傾けた。
「果物を採りに森に入ったわけ。
そうするとにわか雨が降ってきて、あたしたちは大きな木の下に逃げ込んで、降り止むのをじっと待っているの」

「あたしたち?」

「あたしとあなたよ」
秋葉は目を閉じたままでいった。

「傘は持ってないのかな」

「そんなもの必要ないの。
だって、永久に降り続けるわけじゃない。
雨はいつか止むもの。
濡れたって平気」

「寒そうだな」

「寒くなんかない」
彼女は目を開け、じっと僕を見つめた。
「二人で手を握り合ってるんだから、全然寒くない。
お互いの体温を感じながら雨が降り止むのを待つの」

「降り止まない雨はない……か」

「あなたも目を閉じて」

秋葉にいわれ、瞼を閉じた。
森をイメージした。
隣に秋葉がいる。

そして雨が降ってくる。
細かい雨が二人の身体を濡らしていく。
僕は手を伸ばし、指先を動かした。
彼女の指に触れた。
僕たちはしっかりと手を繋いだ。(P.258〜259)

¶C「あたしをどこかに連れていって。
二時間でいいから。
その後は家に帰っていいから」

「秋葉……」

「不安なの」
彼女は悲愴な目をしていった。
「あなたが家に帰ると思うだけで、どうしようもなく不安になる。
もうあたしのところに戻ってこないような気がするの。
そうでないというんなら、あたしの我が儘をきいて」

彼女の訴えは、僕の心を揺さぶった。
辛い思いが伝わってきた。(略)

わかった、と僕は答えた。

僕たちが入ったのは、古びたラブホテルだった。
芳香剤の匂いがしみこんでいるようなベッドでセックスをした。
秋葉が上になった時、僕はどきりとした。
その目に涙が滲んでいたからだ。
しかし僕はそのわけを訊かなかった。
訊くのが怖かった。

「約束してほしいことがあるの」
セックスの後で彼女がいった。

何、と僕は訊いた。

「あたしにどんなことが起きても、必ず守ってくれると約束して。
あなただけはあたしの味方だと信じていたいの」

僕は息を止めた。
秋葉の言葉の意味を考えた。

「どうしたの?  約束できない?」

僕は彼女の髪を撫でた。

「そんなことはない。約束するよ」

よかった、と呟き、秋葉は僕の胸に手を置いた。(P.312〜313)

¶D※クライマックス
「さっきいったことは嘘」
秋葉は微笑んだ。
「あなたでなくてもよかったってことはない。
やっぱりあなたでよかった。
すごく楽しかったし、どきどきした。
ありがとう」

彼女の瞳が涙できらきらと光るのが、薄暗い中でもわかった。
少女のように無邪気な表情をしている。
十五年前に戻ったのかもしれない、と僕は思った。

最後のキスをしようと、一歩前に出た。
ところがそれを察したように彼女は後ろに下がった。

「もうだめ。ゲームオーバーだから」
そういうなり秋葉は手を挙げた。
一台のタクシーが、僕たちのすぐそばで止まった。

「送っていくよ」

僕の言葉に彼女は首を振った。
涙で頬を濡らしながらも微笑みを残し、無言で車に乗り込んだ。
僕は窓越しに覗き込んだが、彼女はこちらを向こうとはしなかった。(P.363〜364)

¶E「だから、考えたんだって」
秋葉は僕の手を握ってきた。
「レインスティックよ」

「あれが何か?」

「いったでしょ。
二人で手を繋いでいれば、どんなに冷たい雨が降ってきても全然寒くない。
お互いの温もりがあれば、じっと雨が降り止むのを待てる。
降り止まない雨はない。
きっとこれから、いろいろな苦労が長雨みたいに降ってくるんだろうけど、あたしは耐えられる。
あなたと一緒ならね」

中華街の民芸品店で、秋葉がなぜあんなに熱心にレインスティックを傾けていたのか、僕はようやく理解した。
彼女は自分の決意を確認していたのだ。

「手を繋いでいてくれる?」
秋葉が訊いてきた。
彼女には珍しく、甘えるような目つきをしていた。
だがその目の奥には、断崖絶壁を背にしているような必死の光が宿っていた。

否定などできるはずがない。
僕は握った手を自分のほうに引き寄せた。
彼女の身体は僕の胸に飛び込んできた。

「当たり前だろ」
そういってしまっていた。(P.263)

¶F「いつもあなたは精一杯のことをしてくれた。
イブの日だって、バレンタインデーだって。
あたし、一生忘れないと思うもの(略)」(P.280)

¶G「俺、帰るよ」

「どうして?」
大の字になったまま彼女は訊いた。

「君が酔ってるみたいだから」

歩き出そうとする僕の足に秋葉はしがみついてきた。
「行かないで」

(略)

僕は腰を落とし、彼女の肩に手を置いた。
「もう休んだほうがいいよ」

「渡部さんは?」

「俺は帰るよ」

「だめ」
彼女が抱きついてきた。
「こんなところで一人にしないで」

6

(略)

ゆっくりと秋葉の身体を抱きしめた。
指先は彼女のしなやかさを感じ取った。
彼女の体温が、静かに僕のほうに流れてきた。

なぜ彼女が泣いているのかわからなかった。
(略)

僕たちは唇を合わせた。
(略)

(略)
僕は秋葉の肩に手をかけ、自分のほうに引き寄せた。

彼女は抵抗しなかった。
そのまま自然に僕たちは抱き合い、再びキスをした。
(略)

唇を重ねながら、こんなことをしていると取り返しのつかないことになる、と考えていた。
(略)

僕は彼女をベッドに連れていこうとした。
彼女がいった。
「電気、消して」

「そうだね」

僕は電気を消した。
闇の中で僕たちはもう一度唇の感触を確かめ合った。
目が少し慣れてからベッドに移動し、同時に腰掛けた。

「ごめんなさいね」
秋葉がいった。

「どうして謝るんだ?」

彼女は答えなかった。

僕たちはゆっくりと身体を横たえていった。(P.68〜73)


タグ:東野圭吾
posted by nobody at 18:11| Comment(3) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
BS日テレで映画見ました。
最後の大どんでん返し(奥さんに不倫がバレていた)は予想外でしたが、「不倫=悪」というありきたりの構図にはガッカリ。

現実的に考えれば、あのような怒りを表に出さない奥さんはまず存在しない。
しかも、夫がどこで不倫の尻尾を掴まれたのかも不明確。
奥さんにバレた後は「終わりの無い地獄」が始まると描かれていましたが、離婚すれば、地獄は終わりだ。
不倫に注力した活力で、新しい人生を始めれば良い。

現実に、不倫は非常に多い昨今、不倫をする人は、普通、もっと無理せず慎重にやるでしょ?(実は私もそうだが)
ま、所詮、フィクションですから、こんなとこでしょうか。

リアリティがない!
単なる妄想!
Posted by ノンフィクション作家 at 2015年06月23日 22:36
はじめまして。
今さらながらこの本を読み、ブログを拝読しました。

私はつい妻の立場で読んでしまったのですが、
本当に
夫婦でいるということは難しいものですね。
離婚は避けられたような結末に
それでいいのか…
こんな夫とあと何十年暮らすのだろうか…と
心配してしまいました。
園美ちゃんのことを思うとそれでいいのかなという気もしますが。
フィクションですが
他人事とは思えず
悶々としました。

タイトル『夜明けの街で』についてですが、
これはサザンの「LOVE AFFAIR〜秘密のデート〜」の歌詞の冒頭だろうと思います。
不倫の恋を歌ったもので
作中のカラオケシーンで渡部も歌っています。
埠頭で虹を見たり
夜景の見えるバーで会ったり、
何度かこの曲に沿った場面が出てきます。
私は地方者ですので馴染みはありませんが
近辺の方は身近に感じられるのではないでしょうか?
Posted by れい at 2016年09月08日 14:26
<れいさん

コメントありがとうございました。

やはり妻という立場だと有美子の身になって読むでしょうね。
最近村上春樹の『国境の南、太陽の西』を読んだのですが同じような結末でしたね。

タイトルの件、ありがとうございました。
胸のつかえが取れました。

最近は読書メーターの方によく書いてます。
よろしかったら覗いてみて下さい。
http://i.bookmeter.com/u/484560
Posted by nobody at 2016年09月08日 19:40
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