2018年01月06日

文学とは、太宰治である。 〜太宰治総論〜

太宰治を一通り読み終わったのでまとめておこう。

2017年の秋から冬にかけて、新潮文庫の12冊と関連本5冊を読んだ。
新潮文庫では全17冊あるが、あと5冊も2014〜2015年の間に読んでいる。
『走れメロス』だけは年譜を読了できなくて(同じ年譜を他巻で読んでるのだが)読書メーターにあげれなかった。
なお、『斜陽』と『二十世紀旗手』だけは手元にない。
関連本5冊とは、『愛と苦悩の手紙』(角川文庫クラシックス)、『さよならを言うまえに 人生のことば292章』(河出文庫)、太田静子『斜陽日記』(小学館文庫)、奥野健男『太宰治論』(角川文庫)、奥野健男編『太宰治研究Tその文学』(筑摩書房、昭和53年に定価2000円もした)である。

かねてよりの好きな作家の全作品を読破したいという宿願をついに果たしたわけだ(作家でなければ幸徳秋水は『中公バックス 日本の名著 幸徳秋水』を読んだので全作品を読破したとは言える)。
こんなに年をとって。
このペースでは作家二ケタ全作品読破は望むべくもなかろう。
中上健次、桐野夏生、ドストエフスキー、村上春樹、立花隆、小室直樹、マルクス、鈴木邦男、宮崎学、鎌田慧、フーコー、山川健一、司馬遼太郎、レーニン、坂口安吾、芥川龍之介、青木雄二、村上龍は全作品を読みたいと思ってるのに。

太宰の全作品を読んだ順に挙げていこう。
「狂言の神」「虚構の春」「雌に就いて」「創生記」「喝采」「二十世紀旗手」「HUMAN LOST」(以上『二十世紀旗手』)、
「葉」「思い出」「魚服記」「列車」「地球図」「猿ヶ島」「雀こ」「道化の華」「猿面冠者」「逆行」「彼は昔の彼ならず」「ロマネスク」「玩具」「陰火」「めくら草紙」(以上『晩年』)、
「ダス・ゲマイネ」「満願」「富嶽百景」「女生徒」「駈込み訴え」「走れメロス」「東京八景」「帰去来」「故郷」(以上『走れメロス』)、
「斜陽」、
「人間失格」、
「燈籠」「姥捨」「黄金風景」「畜犬談」「おしゃれ童子」「皮膚と心」「鷗」「善蔵を思う」「きりぎりす」「佐渡」「千代女」「風の便り」「水仙」「日の出前」(以上『きりぎりす』)、
「I can speak」「懶惰の歌留多」「葉桜と魔笛」「秋風記」「新樹の言葉」「花燭」「愛と美について」「火の鳥」「八十八夜」「美少女」「春の盗賊」「俗天使」「兄たち」「老ハイデルベルヒ」「誰も知らぬ」(以上『新樹の言葉』)、
「古典風」「女の決闘」「乞食学生」「新ハムレット」「待つ」(以上『新ハムレット』)、
「盲人独笑」「清貧譚」「新釈諸国噺(貧の意地・大力・猿塚・人魚の海・破産・裸川・義理・女賊・赤い太鼓・粋人・遊興戒・吉野山)」「竹青」「お伽草紙(瘤取り・浦島さん・カチカチ山・舌切雀)」(以上『お伽草紙』)、
「右大臣実朝」「惜別」(以上『惜別』)、
「短篇集(ア、 秋・女人訓戒・座興に非ず・デカダン抗議・一燈・失敗園・リイズ)」「黄村先生言行録」「花吹雪」「不審庵」「津軽通信(庭・やんぬる哉・親という二字・噓・雀)」「未帰還の友に」「チャンス」「女神」「犯人」「酒の追憶」(以上『津軽通信』)、
「津軽」、
「正義と微笑」「パンドラの匣」(以上『パンドラの匣』)、
「親友交歓」「トカトントン」「父」「母」「ヴィヨンの妻」「おさん」「家庭の幸福」「桜桃」(以上『ヴィヨンの妻』)、
「薄明」「苦悩の年鑑」「十五年間」「たずねびと」「男女同権」「冬の花火」「春の枯葉」「メリイクリスマス」「フォスフォレッセンス」「朝」「饗応夫人」「美男子と煙草」「眉山」「女類」「渡り鳥」「グッド・バイ」(以上『グッド・バイ』)、
「ろまん燈籠」「みみずく通信」「服装に就いて」「令嬢アユ」「誰」「恥」「新郎」「十二月八日」「小さいアルバム」「禁酒の心」「鉄面皮」「作家の手帖」「佳日」「散華」「雪の夜の話」「東京だより」(以上『ろまん燈籠』)、
「もの思う葦」「碧眼托鉢」「古典竜頭蛇尾」「悶悶日記」「走ラヌ名馬」「音に就いて」「思案の敗北」「創作余談」「『晩年』に就いて」「一日の労苦」「多頭蛇哲学」「答案落第」「一歩前進二歩退却」「女人創造」「鬱屈禍」「かすかな声」「弱者の糧」「男女川と羽左衛門」「容貌」「或る忠告」「一問一答」「わが愛好する言葉」「芸術ぎらい」「純真」「一つの約束」「返事」「政治家と家庭」「新しい形の個人主義」「小志」「かくめい」「小説の面白さ」「徒党について」「田舎者」「市井喧争」「酒ぎらい」「自作を語る」「五所川原」「青森」「天狗」「春」「海」「わが半生を語る」「『グッド・バイ』作者の言葉」「川端康成へ」「緒方氏を殺した者」「織田君の死」「豊島與志雄著『高尾ざんげ』解説」「『井伏鱒二選集』後記」「如是我聞」(以上『もの思う葦』)。

全176作品。ただし細分化して「新釈諸国噺」を12、「お伽草紙」を4、「短篇集」を7、「津軽通信」を5とすればちょうど全200作品となる。
種類別では小説149(細分化した場合173)、戯曲2、随想49。
小説で長編は「斜陽」「人間失格」「新ハムレット」「右大臣実朝」「惜別」「津軽」「正義と微笑」「パンドラの匣」の8作品である。
最長の作品は「斜陽」で、手元にないので純粋な本文量は判らないが本全体(これだけは角川文庫で読んだ。それと『晩年』も新潮文庫は買ったのだが実際読んだのは旺文社文庫のだった)は228ページだから200ページを超えているのは間違いない。
以下、「正義と微笑」176ページ、「津軽」167ページ、「右大臣実朝」165ページ、「パンドラの匣」147ページ、「新ハムレット」141ページ、「人間失格」135ページ、「惜別」128ページと続く(ちなみに同じ新潮文庫といってもページの字組が異なるので字数に換算すると文量はまた違ってくる。最近の版は字が大きくなりページ数が増えている)。
最も短い作品は、随想の「かくめい」「田舎者」(ともに3行)を除けば、3ページの「待つ」。

「太宰の全作品」と言っても、基本的に新潮文庫に収録されているもので、『晩年』以前の作品「無限奈落」「地主一代」「学生群」「虎徹宵話」「此の夫婦」等は読んでいない。
太宰は『晩年』発表前、多くの習作を焼き捨てている。
実に惜しいことだ。
小山初代は「なぜ焼いたの」と泣いた。
あるいは太宰の天才を見抜いていたのかもしれない。
あと、中学時代に日記も書いていた。
完全ではないが、年譜を頼りにだいたい太宰が書いていった順に読んでいったつもりだ。

小説というものは、1度だけ読むべきものではない。
再読すべきものである。
可能なら何度も繰り返し読むべきものである。
『さよならを言うまえに』という太宰箴言集にはページかせぎのために「津軽通信」「如是我聞」等が収録されており、それらを再読せねばならなかったが、それでなんとか作品の印象が定着してきた感じだ。
しかし、敢えて再読はしない。
それは私が速読できないのでその分人生で読める本が少なくなってしまうという即物的な理由もあるが、ニーチェの、そして椎名麟三の永劫回帰思想を信奉し実践する故である。
その代わり線を引きまくったり気づきを書き込んだりしているから論考はできる。

奥野健男への失望、文芸評論そのものの無価値性の確認。
太宰といえば奥野。
奥野は凡百の文芸評論家ではないと思っていた。

「太宰治は『人間失格』一編を書くため生れて来た文学者である」
「『人間失格』を書き終えた太宰治には、もうこの世はどうでもよかったに違いない」
「その深さはドストエフスキー『地下室の手記』を超えている」
「自分たちの存在の根拠を、生きて行く理由を、太宰の文学に賭けていた」
「太宰治が生きていることに、自分の生きて行く可能性を見出していたぼく」(以上『人間失格』解説)
「ぼくがこの評論を書く動機は、ぼくの精神の内部におけるどうにもならない必然性のためです」(『太宰治論』冒頭)
その意気やよし。全ての本はそのように書かれねばならない。商業ベースやルーティン先にありきの文章を読ませられてはたまらない。

ところが奥野は太宰だけを読んでいたのではなかった。
『日本文学史』というのを中公新書から出している。日本文学諸作家の本を網羅している。
まあ客観性を補強するという意義は認められ得る。
だが三島由紀夫の本も出している。“浮気”か?
それどころか奥野は理系学者であった。
なんだ、オールマイティの人だったのか……。

それでも太宰論がしっかり成立していればいい。
それが破綻しているのである。

そもそも文芸評論そのものが成立しない。
文芸評論は無意味である。
「矛盾を包含して成立している文学に対して、矛盾を許さぬ論理によって成り立っている評論は意味を為さない」(読書メーター『太宰治研究 Tその文学』)
「太宰の思想哲学は矛盾しておりそれを『論じる』奥野も矛盾している。矛盾・逆説に満ちたものは評論として破綻する」(同『太宰治論』)
かつて小林秀雄『様々なる意匠』が論文として成立しているか否かを巡って当ブログで論争したのを思い出す。

太宰の矛盾と奥野の矛盾を1つ2つずつ例として挙げておこう。
太宰。
「愛は言葉だ。言葉が無くなれゃ(ママ)、同時にこの世の中に、愛情も無くなるんだ。愛が言葉以外に、実体として何かあると思っていたら、大間違いだ。聖書にも書いてあるよ。言葉は神と共に在り、言葉は神なりき、之に生命あり、この生命は人の光なりき、と書いてあるからお母さんに読ませてあげるんだね」(「新ハムレット」)
「愛は言葉だ。(中略)言葉で表現できぬ愛情は、まことに深き愛でない」(「創生記」)
「言葉がいけないのでございましょう。愛しています、というこの言葉は、言葉にすれば、なんとまあ白々しく、きざっぽい、もどかしい言葉なのか、私は、言葉を憎みます」(「古典風」)
「私たちは、何と言ってよいのか、『思想を感覚する』とでも言ったらいいのだろうか、思惟が言葉を置きざりにして走ります。そうして言葉は、いつでも戸惑いをして居ります。わかっているのです。言葉が、うるさくってたまりません。(中略)言葉は、感覚から千里もおくれているような気がして、のろくさくって、たまりません」(「風の便り」)
最後の引用で、いつの間にか主語が「私たち」と一人称複数になっている。
太宰の文章ではよくあるが、誰も指摘しない。

「作家こそすべてである。作品は無である」(「陰火」)
「『作品がすべてであり、作者は作品以外に如何なる三面記事をも、つくつてはいけない』と言う彼」(奥野「太宰治論」)
「もの思う葦」の「書簡集」

奥野。
「『人間失格』を書き終えた太宰治には、もうこの世はどうでもよかったに違いない」(「人間失格」解説)
「おそらく彼は、『人間失格』完成の充足感を伴った疲労から回復すれば、再び猛烈な活動を開始したに違いありません」(「太宰治論」)

大概の太宰論では、「ところで」という接続詞が多用される。
一貫した論旨の背骨が築けないからである。
で、広末保のいうように「批評家は、作品のトータルにおいてでなく、その分身の言葉を引用して太宰論をかく」(『太宰治研究 Tその文学 』所収「新釈諸国噺」)ということになる。
「論理」展開に結び付けて太宰の作品から引用をたくさんしているほど、「この人は太宰作品をたくさん読んでてエラいなあ」という評価となり、論旨は関係ない。
で、なぜか引用する所は皆同じである。
誰も「右大臣実朝」からは引用しない。
況んや「多頭蛇哲学」から引用する者は誰もいない。
大概の太宰論はそんなものである。

そうした文芸評論の展開の中で、私には全く理解の及ばぬ言葉遊びの思弁衒学の世界が成立している。
首魁は小林秀雄である。
なんせ分かりやすくなり過ぎたらわざと分かりにくく書き直すという奴だ。
個人的経験でいえば、高校時代、読書感想文コンクールでいつも訳の分からないことを書いて入賞するNがいて、私はそれで、世の中には訳の分からぬものをありがたがる世界があることを知った。
それを推進するのが岩波・朝日である。
それは「学者」どもの、己のメシのタネを保持するためのジャーゴンの壁なのである。
『太宰治研究 Tその文学』でいえば花田清輝「二十世紀における芸術家の宿命」と福田恆存「道化の文学」が典型的である。
福田はヘミングウェイ「老人と海」の解説ではもうちょっとマシな奴と見込んでいたのに残念である。
よくこんな奴らの本をありがたがって金を出して買う奴がいるものである。
これもブランド型、すなわち誇示型消費というものだろう。

太宰文学論に太宰の生活が結び付けられるところから太宰の本質が1つ見えてくる。
つまり作品と太宰は一体なのである。
だから作品の引用がそのまま太宰の(思想の)解明に直結する。
だから芸術と生活の関係ということが太宰論のメイン・テーマになる。
そしてこのような論じられ方をするのは、また論じられ方が成立するのは太宰だけなのである。
そうしてここからは私の洞察であり本稿の結論にもつながることなのだが、したがって太宰を論ずることは、文学とは何かを論じることに通じるのである。
ゆえに「文学とは太宰である」という命題が成り立つのである。
太宰自身言っているではないか。
「芸術は、私である」(「東京八景」)

「生活が作品である。(中略)私の書くものが、それがどんな形式であろうが、それは、きっと私の全存在に素直なものであった筈である」(「一日の労苦」)
「自身、手さぐって得たところのものでなければ、絶対に書けない。確信の在る小さい世界だけを、私は踏み固めて行くより仕方がない」(「太宰治の言葉」。『さよならを言うまえに』所収)

作品が太宰の真実であるという仮構をしなければ、作品からの引用によって太宰の真実を論考できる訳がない。
相馬正一は「いたずらに作品から作家の実生活を類推することは本末顚倒といわねばならない」と批判するが、そう言われてしまうと身も蓋もないところもある。
確かにそこに、奥野健男の陥穽があった。
だから無論注意は必要である。
そして作品太宰一体論の確立するところに、なぜ太宰の作品には随想的なものが多いのか(その中には特に私が特異に感じる「帰去来」や「故郷」などもある)、なぜ「火の鳥」は失敗(中絶)したのか、なぜ太宰には「斜陽」「正義と微笑」「パンドラの匣」といった他者の日記を基にした作品が多いのか、といった種々の重要な太宰論=文学論のポイントが浮かび上がってくる。

太宰作品には己の実生活を描いたいわば随想的なものがものが多く、それが核になっている。
それをストレートに書いたのが「思い出」「東京八景」「苦悩の年鑑」「十五年間」であり“自伝的作品”と呼ばれることになる。
「玩具」もここに加えてよかろう。

「帰去来」「故郷」は私に強く独特の太宰観を形成した。
異様に感じた。
奥野は「書かずもがなの作品」と評した。
なぜ書かなくてもよい作品を書いたのか。
太宰の人生をよく知った(私が最も詳細に年譜を読み込んだのは太宰治のそれである)今となっては理解がいくが、ただの小説と思って読んだら太宰がなぜこんなにも生家にビクビクしてるのか訳が判らない。

つまり作家は本来的に己の人生しか書けないはずである。
昔から作家というのは大変だな、違う作品をいくつも書かなきゃならないから各作品ごとに違う登場人物を造型しなくちゃならない、いちいち別々の職業や業界をこまごまとリサーチしなくちゃならない、大変なことだなあと思っていた。
太宰もそうした。
それが「火の鳥」である。
そうして失敗した(未完)。
あらら、太宰が普通の小説書いちゃってるよ、となる。
しかしこれが他の作家の普通の小説である。
だから私は他の作家の小説には魅かれない。
苦悩など縁もなくすっかり社会の上流階級に収まりきっている作家達など、むしろ反吐の出る敵である。

しかしそれでは書ける作品が限られてくる。
それで(なるべく己に似た)他者の日記や手記や書簡、もしくは古典や民話という要するに己以外から発されたものを基にして換骨奪胎(ある意味便利な言葉だが)して作品化するということになる。
このうち古典を素材とするには教養が要り、この辺で世の中一般における「作家」としての力量の品定めが下されることになる。

だが私はやはり自分のことを描いた「黄金風景」がひょっとしたら一番好きかもしれない。
そして今となっては亀井勝一郎が「彼の本質を一番よくあらわしているのは『津軽』である。私は全作品の中から何か一篇だけ選べと云われるなら、この作品を挙げたい」(『津軽』解説)と言っているのが深く理解できる。

私は太宰が好きなのである。
「私ほど太宰を認め尊敬し好きな人間はいない」(読書メーター『もの思う葦』)
もし田中英光が太宰の墓前で自死していなければ私がしていたであろうくらいに(あくまで比喩ということにしておこう)。

「言葉が信用できぬ現代、太宰の言葉だけは真実である。全て嘘だらけの世の中で、太宰だけが真実の言葉を発してくれる」(同『新樹の言葉』)
私にとって太宰とはそういう存在である。

「津軽」は好きだが、他者ではなく己の魂を基に最期に臨んで絞り出した「人間失格」はやはり別格ということになる。
人間は怖い。
人間の生活というものは見当つかない。
私はそれでも収まらない。
人間は薄汚い。
人間は薄気味悪い、とまで思っている。
私から見れば太宰さえまだあっち側の人間である。
人間には、若い時に同棲できる人間とできない人間の2種類がいて、これは全く別種だと思っている。
太宰はしている。それだけでまともな人間だろう。

ある意味で、自死できることも、それと同じ、私には想像つかない、“まともな人間”の成せる業なのだ。
私には自死することはできない。
のうのうと生き永らえていく。
地獄の中を。






ラベル:太宰治
posted by nobody at 00:15| Comment(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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