2016年09月20日

愛ゆえに…… 〜三好徹『チェ・ゲバラ伝』〜

ゲバラについて形成されていた先入見。
それは、カストロが疎んじて追い落とした、というもの。
誰かがそうハッキリと断じていた。
カストロがゲバラを謀殺したのだ、くらいの勢いで。
それはプロパガンダだったようだ。

それにしてもゲバラやカストロ、キューバ革命に思いを致す時、そこにはいくつもの疑問がまとわりついていた。

キューバ革命はなぜ成功したのか?
なぜアメリカは妨害しなかったのか(他の中南米諸国のように)?
バチスタは、モンカダ兵営襲撃で19人を殺しながら、首魁としてせっかく捕えたカストロをなぜ死刑にしなかったのか?
捕えた19人は女性を除いてその場で殺し、後々関係者を20000人以上殺したではないか?
1957年3月13日のホセ・アントニオ・チェバリア率いる学生30人による大統領官邸襲撃では、学生25人を射殺し関係者50人以上を殺したではないか?
死刑にできなくても密室たる獄中でいくらでも殺せたではないか?
そのうえ、なぜせっかく禁固15年を下したのに、大統領再任特赦で、たった2年足らずで釈放してしまったのか?
なぜCIAの侵攻は、あんなにへなちょこだったのか?
カストロはなぜ暗殺されなかったのか?
なぜゲバラは初めコンゴへ行ったのか?
そしてなぜコンゴでの戦いを断念したのか?
なぜ次に選んだのがボリビアだったのか?
本当に勝算があったのか?
なぜカストロはゲバラを助けるために、国をあげて対ボリビア戦争をし向けなかったのか?

なぜのまま残ったのは少なくない。
三好はコンゴの件とキューバ危機に関してはサラッと書いている。
カストロとの確執などはなかったという立場だ。

ゲバラに関する先入見はもう1つあった。
ボリビアでの勝算の件に関連するのだが、軍事偵察用人工衛星網が張り巡らされ地球上の全ての人の顔すら識別できるというこの時代に、どうしてゲリラ戦による革命の成功などあり得ようか? という思いである。

最大のなぜはゲバラの生き様だ。
なぜ、「上流社会への鑑札」たる医学博士を得ながらそれを捨てることができたのか?
なぜ、アルゼンチン屈指の財産家の娘フルレイラ嬢との結婚を捨てることができたのか?
なぜ、愛する妻と5人の子供を捨てることができたのか?
なぜ、キューバ工業相の地位を捨てることができたのか?
キューバを去ろうとしたのは、何か居づらくなった事情があったのではないか?

なぜ、約束された何不自由のない裕福な生活を捨てることができたのか?
なぜ、革命に命を懸けることができたのか?

そのパーソナリティの形成こそ最大の謎である。
否定的な面が一切出てこない。
頼むから何か出てきてほしいという感じである。
例外は久保田鉄工堺工場を案内したM・S氏が「傲然たる態度」「お高くとまっている」と言ったのくらいである。
聖人、カリスマというしかない。

「ラテン・アメリカの人びとにとっては、チェのような家系の、いわばエリートが革命家として生きそして死んだことが、不可解でならないようであった。現世の楽しみを本能的に求めるかれらには、チェの生き方は、理解の外にあるらしく、それをいう人は少なくなかった。しかしながら、このなみはずれた生き方こそが、チェの魅力であり、ラテン・アメリカに限らず全世界の若ものたちの間での熱狂の原泉にもなったのだ。かれはボリビアのジャングルの中で銃弾に斃れたが、同時にまた不滅の生をかち得た、といってもいいであろう」(p.368〜369)

ラテン・アメリカ人というのは、自己中心的でエゴイストなのらしい。
母親セリア・デ・ラ・セルナが社会主義的思想の持ち主で、
「革命家チェ・ゲバラの生成やその心情に強い影響を及ぼしたのは、父親よりも、むしろ母親であったろう」(p.14)
とあるが、他の4人の兄弟は普通のラテン・アメリカ人だという。

私は父の影響が大きいのだと思う。

「父ゲバラは、共同経営者を見つけて、造船業をはじめた。事業は順調だったが、ゲバラ家の当主は、新しく厄介な仕事を背負いこむ羽目に陥った。
というのは、二歳になったエルネストが、喘息の発作におそわれたからである。父ゲバラは、息子を抱きかかえて、ベッドに腰かけたまま仮眠するという毎夜を過さねばならなかった。
『幼い兄はそうされると安らかに眠った』
と、弟ロベルトは証言している」(p.10〜11)

チェが11歳の頃。
「チェが出席すると、たちまち騒ぎが起こった。着飾った少女のひとりが、大きな声で、靴みがきなんかをどうして入れたの! といったからだ。それは、チェの服装に対するあてこすりだった。じっさい、チェは、なりふりかまわぬといった外見だった。服装に対する無頓着さは、かれの生涯を通じての特質のひとつであるが、このころからすでにそれが発揮されていた。
女の子はともかくとして、男の子たちもこれに同調して侮蔑するに至って、チェは爆発した。ラテン・アメリカ人の、とくにアルゼンチン人の誇りの高さは格別である。チェは独りでかれらに立ち対(むか)い、そして父親は呼ばれてくると、この愚かな富めるものたちに抗議し、抑えようとするホテルの従業員たちにステッキをふるったために、息子ともども放り出されてしまった」(p.16)

チェの喘息のために、一家は3度も引っ越している。
コルドバのアルタ・グラシアに転居した際は、せっかく順調になった造船業を共同経営者に売り渡してまでそうしているのである。
順調な生活よりもチェの健康をとったのだ。

他の兄弟と分けるとすれば喘息である。
チェは自分が喘息であったがゆえに承認された親の愛に感応したのだ。
それは後の「革命家にとって最も大切なものは愛」発言につながってくるだろう。
革命家にとってというよりも、まっとうな人間にとってと言うべきだが。

チェは日本を高く買っていた。
予定外にも広島に行き原爆慰霊碑に献花したのは有名な話だ(日本側は広島行きを嫌がるような印象を与えた)。
しかし経済協力を請うチェに対する池田勇人通産相らの対応は冷淡だった。
アメリカの腰巾着たる日本がチェの工業機械の買入れの話も無下にしたのも理の当然である。
しかしそんなことで日本に失望を覚えるほどチェもナイーブではなかったろう。
チェはもっと遠くを見据えていた。

ボリビアでの最期の戦い。
それはアメリカの軍事顧問団の援助により対ゲリラ戦の訓練を受けたレインジャー部隊1800名+ボリビア政府軍VSチェらボリビア民族解放軍50名の戦いだった。
50名のうち生き残りは僅か3名。
しかも絶望的なことに、レインジャー部隊の組成というのは、将校を除いて全てインディオ系のアイマラ族とケチュア族なのである。
ボリビア人の70%がインディオであり、67%が文盲であり、60%が公用語たるスペイン語が話せない。
つまりボリビアのインディオは文盲でスペイン語も使えず、ためにまともな収入が得られない。
土を練り固めただけの、電灯のない家に住み、街角に無気力に座り込んで野菜を売り、1日30円で食いつなぐ。
チェはそんなインディオを救おうとして、そのインディオに殺されたわけだ。

洗脳。
アメリカによる洗脳。
普通の人ならアメリカに歯向かえば殺されるから、積極的に洗脳され、「放蕩に身を沈めて堕落の中で魂を圧殺する」(ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』)ように日常を生きていくものだ。
だからチェは普通、いない。
だからチェが存在したのは、奇跡なのだ。
事実、ボリビアにはいなかった。
いたのはモンへ・ボリビア共産党書記長という薄汚れた俗物。
三好は歯痒い言い方はしない。

「マリオ・モンへは、権力主義者の本質をさらけ出した。かれは、ボリビアの民衆を救うという意思には、はじめから欠けていた。バリエントス政権を倒して、自分がボリビアの支配者になることが、最終の目標であった。その本質においてラテン・アメリカの多くの右翼的軍事革命家と変りなかった」(p.338)

みすず書房版『ゲバラ日記』の解説で、冨岡倍雄はもっとはっきり言う。
「ゲバラは、まさにボリビアの共産党によって、あるいは、革命の名を僭称しているにすぎない全世界の既成の『革命』指導部によって、ころされたのである」(p.186)

同書まえがきでの仲晃はこうまで言う。
「ゲバラたちが67年10月に全滅したとのニュースを聞いて、クレムリンとボリビア共産党幹部たちが祝杯をあげたのは想像に難くない」

キューバにおける共産党、人民社会党はカストロの武装闘争に反対し、カストロが成そうとしたゼネストを妨害し潰した。
スペイン内戦で革命を潰したのは誰だったか。

共産党というもの、そしてアメリカが、諸悪の根源、世界の人民の災いの全ての元凶だというのは明々白々、この上なくはっきりしているのに、世界は、そうあり続ける。

ボリビアでの勝算。
腐れ切ったボリビア共産党とは無理でも鉱山労働者との連帯は可能性があったが潰された。
そしてボリビア農民はチェらに一切協力しなかった。
ボリビアにはチェはいたが、「カストロ」はいなかったのだ。

キューバ革命ではハバナ入城という目標があった。
だがチェが仮にラパスに進軍できたとして、革命は成ったか?
成らなかったろう。
キューバ革命の時は、カストロはバヨ将軍から
「こちらの計画を敵に知らせるバカがあるか」
と呆れられながらも、キューバの全国民に自分たちの運動に信頼をもってほしいために、無茶を承知でキューバへ侵攻するという声明を発表した。
さらにゲリラの陣中にニューヨーク・タイムズの記者を呼んで記者会見した。
国民代表団と連携し、市街・一般大衆への浸透を図った。
これは補給というゲリラ戦の死命をも握ることである。

これらはみんなカストロの考案した戦略である。
寡黙な実務派チェはこの戦略面が弱かったのではないか。
やはりキューバ革命の成就には、カストロとチェの2人ともの存在が不可欠だったのだろう。
だがチェだって、キューバ革命の時
「我々は、キューバの国民に、革命の目的とするものやその計画を説明すべきではないかね」
と提案しているのだ。
そして無謀と言えばキューバ革命だって充分無謀だったのだ。
その成就は奇跡なのだ。

奇跡奇跡と言っているが、チェは確かに39歳でボリビアで散ったけれどもそれでも、そこまで生き延びたのはやはり奇跡だった。
そもそも革命を成就できた革命家というものが、革命を志した者の中では稀有であろう。
ほとんど皆、志成らずして死んでいるのだから。
志半ばで歴史に名を残さず無念に死んでいった革命家は、ゴマンといるだろう。
ゴマンといて名を残していないから当然、私の関心は向くことができない。
チェは生き残り、革命を成し遂げたから関心が向いたのだ。
チェのことを思う時、いつもそう思う。

ボリビアに行くイコール地位も名誉も裕福も――そして恐らくは命も――全て捨てる、と決意したのはチェだけではない。
チェに同調し、そして同様に死んだ者がいた。

(通称モロ、モロゴーロ、ムガンガ、ムガンバ、エル・メディコ)ハバナの病院の外科部長、1967年1月14日戦死。
エリセオ・レイエス・ロドリゲス(ロランド)大尉・中央委員、4月25日戦死。
アントニオ・サンチェス・ディアス(マルコス)少佐・中央委員、6月2日戦死。
リカルド・アスプル(ムビリ、タコ、パピ、チンチョ)キューバ軍将校、7月30日戦死。
ファン・ビタリオ・アクーニャ・ヌーニェス(ホアキン、ピーロ)少佐・中央委員、8月31日戦死。
リカルド・グスタボ・マチン・オルド・デ・べチュ(アレハンドロ)少佐・工業省次官、同日戦死。
イスラエル・レイエス・サヤス(プラウリオ)中尉、同日戦死。
マヌエル・エルナンデス(ミゲル)大尉、9月26日戦死。
アルベルト・フェルナンデス・モンテス・デ・オカ(パチョ、パチュンゴ、パンチョ)少佐・中央委員・鉱工業省次官、10月8日戦死。
これは一部である。

フレディ・マイムラは日系人だった。
ボリビアで生まれ、外科医を志望しハバナ大学医学部に留学し、2年間の教養課程を1年で修了した秀才である。
その後チェコ、ソ連に留学し、ハバナに戻り入党する。
ボリビア政府軍に生きて捕えられたが「革命ゲリラ万歳!」と叫んで抵抗したため射殺された。

インティとココはボリビア人の兄弟で、モンへを見捨て断固としてチェを支持した。
チェは兄インティに政治家的資質を認め、弟ココに戦士としての勇敢さを認め、将来のボリビア民族解放軍の中核の担い手として期待を寄せていた。

写真に爽やかな笑顔を残したココは9月26日に戦死する。

インティは生き残っていた。
1968年7月、民族解放軍の再建を誓い「ボリビアのゲリラは死なず、それは今始まった」という声明文を新聞社に送りつけた。

オノラト・ロハという農民がいた。
ボリビア政府軍の密偵となり、チェに接近してはその情報を売り込んだ。
報奨として、政府から大きな農園をもらった。
1969年7月14日の夜、インティはロハを射殺した。

その2ヶ月後、密告によりラパスの潜伏先を政府軍に急襲され、全身を蜂の巣にされて死んだ。

「ラテン・アメリカの人口を構成するほぼ3億の人間、その大多数は絶望的に貧しく、(略)かれらは物質的な生活や文化や文明に権利をもつのである。が、かれらに対して、真の希望をあたえるような正しい答え、あるいは必然的な行動をなしたものは、(チェのほかに)誰ひとりとしていないのである。なすべきもっとも誠実なことは、チェの意志や勇敢にも思想を守るためにかれのかたわらに倒れた戦士たちの前に、黙祷をささげることであろう。なぜなら、大陸を救うという高貴な理想に導かれたひとにぎりの人びとが行なったこの行為は、意志の力、英雄的な精神、そして人間の偉大さが何をなしうるかの崇高な証として、永遠に残るだろうからである」(カストロ、p.371)

「革命においては――それが真の革命であれば――人は勝利を得るか死ぬかだということを学んだのだ。
…ぼくは素晴らしい日々を生きてきた。そしてカリブの危機の輝かしくも苦しい日々に、きみのかたわらにあって、わが国の国民であることを誇らしく感じたものだ。
…いま世界のほかの国が、ぼくのささやかな力添えを望んでいる。…別れの時がきてしまったのだ。
…喜びと悲しみのいりまじった気持で、こんなことをするのだ、…ぼくは、新しい戦場に、きみが教えてくれた信念、わが国民の革命精神、もっとも神聖な義務を遂行するという気持をたずさえて行こう、帝国主義のあるところならどこでも戦うために、だ。
…もし異国の空の下で最期の時を迎えるようなことがあれば、ぼくの最後の想いは、この国の人びとに、とくにきみに馳せるだろう。きみのあたえてくれた教えやお手本に感謝したい。そしてぼくの行動の最後まで、それに忠実であるように努力するつもりだ。
…永遠の勝利まで。祖国か死か。
ありったけの革命的情熱をこめてきみを抱擁する」(別れの手紙、p.278〜280)

「ぼくらのすべての行動は、帝国主義に対する戦いの雄叫びであり、人類の敵・北アメリカに対する戦いの歌なのだ。どこで死がぼくらを襲おうとも、ぼくらのあげる鬨の声が誰かの耳にとどき、誰かの手がぼくらの武器をとるために差し出され、そして、誰かが進み出て機関銃の断続的な響きとあらたに起こる鬨の声との相和した葬送歌を声高らかにうたってくれるならば、死はむしろ歓迎されてよいのである」(p.361)

「なによりも、かれのような人間にあっては、行動そのものが思想であった。われわれ人類は多くの革命家をもったが、かれを除くすべての革命家は、いったん革命が成就すると、二度と兵士になって銃をとることはしなかった。むしろ、その多くは自己の権力を守るために汲々とした。独りチェのみが、すべてを投げうって、一介の兵士に戻り、新たな戦いに身を投じた。この稀有の生き方をみるだけで、多くの言葉は不要であるだろう。そうなのだ。この生き方の純粋さに、革命のロマンティシズムに心をうたれ、ささやかであろうとも、連帯をもちたいと感じたのである」(p.364〜365)
三好の筆も熱い。
伝記の書き手はこれぐらいでないと困る。

チェの気高さへの全世界の人々の連帯は、時が経つほど強まりこそすれ、決して弱まることはないだろう。


ラテン・アメリカの地図とキューバの地図は、巻頭に置いてほしかった。





タグ:三好徹
posted by nobody at 07:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月18日

循環矛盾 〜ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』〜

書くことは己を正確にする、という。
こうして書評を書いていると、そもそも私はどういう小説を高く評価するのかが浮き彫りにされてくる。
私が最も小説に求めるものは、構成力、筋立てである。

本書を読み進めるにあたって木下和郎氏のブログ「亀山郁夫訳がいかにひどいか」を参照した。
氏は「小説には“何を”でなく“どのように”を求める」と言っていたが、それに似たものだろうと思う。
この観点から、私は特に“冗長主義”を嫌うし、それから“婉曲主義”、“逆説主義”、“文芸批評主義”も嫌う。

特に純文学というのは、筋立ては二の次のようだ。
苦悩してりゃ素晴らしいらしい。
面白く読めないので、“大衆文学”が派生せねばならなかった。

本書は超大作である。
全3巻、1492ページある。
当然、ドストエフスキーも冗長主義を免れなかった。
同じことを繰り返す。
逆のことすら同時に書く(逆説主義にもつながる)。
容貌等の説明はくどい。

「カーチャがアリョーシャにこんな告白をしたことは、いまだかつて一度もなかったので、彼は、今の彼女がまさしく、このうえなく傲慢な心でさえ苦痛とともに自己の傲慢さを粉砕し、悲しみに打ち負かされて倒れるほどの、堪えきれぬ苦悩にとらえられていることを感じた」(下p.463)
こんな文を読んでいかないといけない。

本書は、ドストエフスキーの所期構想では2部作となるはずの第1部で、「重要な小説は二番目のほう」(上p.10)で、「第一の小説」すなわち本書は「ほとんど小説でさえなく、わが主人公の青春前期の一時期にすぎない」(同)。

ドストエフスキーは本書を書き上げて2ヶ月後に59歳で永眠する。
読む前はなんと残念な、と思っていたものだが、読了した今となっては、小林秀雄の
「およそ続編というようなものがまったく考えられぬほど完璧な作品」
との評言に同意する。
小林秀雄の言ってることでこれだけは正しい。
もう充分だ。
ドストエフスキーは書きたいことを書き尽くして、逝った。

本書はそのように、すなわちドストエフスキーの世界観の集大成として読むべきである。
彼はカトリックを初めとするキリスト教を掘り下げるために小さな図書館ほどの量の文献にあたったという。
確かに彼以外このような作品は書けない。
このような作品が存在するのは奇跡である。
「人類文学の最高傑作」との称号はダテではない。
書評はその観点からなされねばならぬだろうが、やはり構成力、筋立てを最重要視する私としては、“前座”としてそれに触れておかないわけにはいかない。

「実は○○だった」という事実を意図的に伏せて、あるいは曖昧にして物語を進めていくのは、小説の技法の1つなのだろう。
例えばラキーチンがグルーシェニカの従兄だという事実は、最後の最後になって明かされたりする。
伏せることに何か意味があればまだしも、この事例のように大した意味もないのに伏せられていると、何なのかと思ってしまう。

ドミートリイは父フョードルに、自分に渡されるべき母親の遺産3000ルーブルを横取りされたと思い込んでいる。
で、果たしてそれは客観的事実なのかどうか、検事は論告でそう言いながらも、裁判でも明らかにはされぬのである。

さらにその3000ルーブルが、フョードル殺しの際奪われた3000ルーブルと同じことにされるのである。
札に印でもしてあるのか。

さらに章題が「金はなかった。盗みもなかった」「それに殺人もなかった」となっている。
だがこれはあくまでも弁護人の弁論であって、これも客観的事実は明かされず、「あとは読者の皆様がご判断下さい」というわけである。

容疑を着せられたドミートリイの主張する無実の根拠の大きなものが、モークロエ村での2度に渡る宴会の費用が、3000ルーブル✕2ではなく1500ルーブル✕2で、1500ルーブルはカテリーナ・イワーノヴナから借りた分の半分をお守り袋に縫い込んでもっていたのだとするもの。
しかしこれも客観的事実は裁判で明らかにならないまま。
検事は1500ルーブルはトリフォンの宿屋のどこかの隙間に隠されたとしたが、それも発見されぬまま。

分かりにくいが犯行時庭に通じるドアが開いていたか閉まっていたかも大きなポイントだったらしいのだが(召使グリゴーリイは開いていたと言いドミートリイは閉まっていたという)、客観的にはどうだったか判らない。
グリゴーリイのただの気のせいだったということにされている。

実際にフョードルが殺された凶器については、これほど分量があるのに一顧だにされない。
ドミートリイが持っていったのは銅の杵である(なぜ彼がそれを摑んでいったのかも、苦しい)。
遺体に残された凶器の跡からドミートリイの容疑はすぐ晴れそうなものだが。
たまたまその銅の杵と同じような跡だったのか。

裁判ではフョードルのシーツと枕は全くきれいなままで血はついていなかったことが明らかになった。
それでもドミートリイを無罪にしない根拠は何か。
いやそもそも実は3000ルーブルの入った封筒は枕の下にはなかったのである。
スメルジャコフが嘘の場所を伝えていたのだ。
スメルジャコフを容疑から外す根拠も、弱い。
もちろん情況証拠からみてドミートリイがあまりにも怪しいという“見込み捜査”だったのは分かる。
それにしてもスメルジャコフを容疑から外す決定打はない。

スメルジャコフは
『だれにも罪を着せぬため、自己の意志によってすすんで生命を絶つ』
との遺書を残して自死する。
自白は明らかなのに、これでも検事は、
「この遺書に、殺したのは自分であり、カラマーゾフではないと、書き加えるくらい何ほどのことがあるでしょう。ところが彼はそれを書き加えなかった。つまり、一方に対しては責任を感ずるほどの良心がありながら、もう一方に対してはそれがないのでありましょうか?」(下p.383)
という、例のドストエフスキーらしいわけのわからぬ描写でスメルジャコフの仕業と看做さないのである。

スメルジャコフの自死に関しては徹底的に言及されない。
その心理追究は必要であったろう。

事実ははっきりしている。
フョードルを殺したのはスメルジャコフで、イワンがそれを唆した形になり、したがってモークロエ村での2度に渡る宴会はやはり1500ルーブル✕2だったのだ。
明記してなくても察しろ、ということか。

それこそ私が指弾する“婉曲主義”であり、私はそれを認めない。
作家はそれを明らかにする義務がある。
ましてや無理に記述を冗長させて分量は1500ページもあったのだ。

こっちはいずれ明らかにされるだろうと期待して、初めにボヤかして書くという小説上の手法を許している。
それが曖昧なまま終わるのである。
ドストエフスキー独特の筆運びとはいえ、許容範囲を逸してはいないか。
「アリョーシャが死ぬと冒頭に書いてある」とか「結局誰が犯人だったのかよく分からない」とか受取る人すら出てくるのはこの弊害の表れである。

とにかく曖昧に、婉曲に。
いうならドミートリイもその被害者である。
ドミートリイが嫌疑をかけられるシーン。
予審調査官ネリュードフは
「あなたとお話せねばならぬ緊急の事態が生じましたもので」(中p.342)
と曖昧に声をかけ、初めから
「フョードル殺害の容疑者として逮捕します」
とは言わない。
それに対してドミートリイも、
「老人とあの血ですね! わかってます!」(同)
と婉曲に答え、
「グリゴーリイのことですね」
とは言わないから容疑を増すことになる。

イワンとスメルジャコフとの3度の「対面」は、時系列も判りにくい。
亀山郁夫はそれで誤読を犯したのだと木下和郎は責め立てるが、確かに判りにくいのだ。
3度目の「対面」でやっとスメルジャコフは真相を明かすが、ではそれまでの2度の「対面」を、イワンは何のために行なったのか、スメルジャコフはイワンに何を求められていると解釈して応じたのか、例の雲を摑むようなドストエフスキー流で、なにしろ亀山が真相が明らかになるのは2度目だ、いや3度目だったとぶれ、木下に突っ込まれるほどなのだ。

カテリーナ・イワーノヴナの本心も、婉曲主義や反語のためすっきりしない。
イワンと話し合い、
「あたくし……あたくしは、彼(ドミートリイ)の幸福のための手段にだけなるのです、彼の幸福のための道具に、機械になりますわ、それもこれから先ずっと一生を通じて」(上p.358)
という結論を出すが、アリョーシャは
「この人(カテリーナ・イワーノヴナ)はもうドミートリイを愛していない」(上356)、イワンを愛していることを見抜く。
本書では、アリョーシャの見解が常に真実なのである。
「ここではだれも真実を言おうとしない」(上p.363)
のである。

イワンの方はどうか。
「カテリーナ・イワーノヴナは一度だって僕を愛したことなんぞないんだ! 僕が自分の愛情をただの一言も決して口にしなかったとはいえ、この人を愛していることは、最初からずっと知っていたのさ。知ってはいたが、僕を愛してはくれなかった」(上p.364)
と言いながら、下巻p.178では、
「『カテリーナ・イワーノヴナは兄さんを愛しているんですよ』悲痛な思いをこめてアリョーシャは言った。
『かもしらんな。ただ、俺は彼女に関心がないのさ』」
となる。
彼女に気をもたせるようにしているのは、裁判で彼女の握っているドミートリイを破滅させることのできる「殺人計画書」の手紙を暴露させないためだという。
(結局別のところでイワンがカテリーナ・イワーノヴナを愛しているということが客観的に明らかにされる。)

それでもカテリーナ・イワーノヴナは、ドミートリイは無実だと思っていた。
裁判でも彼女はドミートリイを庇うために5000ルーブルと引き換えに操を捨てた(その経緯ももちろん徹底的にぼかして描写されている)ことすら告白する。

(ちなみにその話をドミートリイから聞いたアリョーシャは、上p.217で、今でもカテリーナ・イワーノヴナと婚約しているのかと確認する。
そんなことすらはっきりしていないのである。
読者にしてみても当然の質問である。
で、4ページ後のp.221でも、アリョーシャはまた同じ質問を繰り返さねばならない。
それでもなお、ドミートリイは“今でも”婚約者であるとははっきりと明言しない)

(さらにちなみに、その後、ドミートリイはアリョーシャに、カテリーナ・イワーノヴナへの伝言を依頼する。
内容は、「俺は今後もう絶対に彼女(グルーシェニカ)のところへは行かないから、よろしく」(上p.222)である。
依頼しながらドミートリイはその気はないと言う。
それではこの伝言の意義は何なのか、ドミートリイは結局どちらをとりたいというのか、まるで像を結んでこない)

ところがイワンが突然目の前で自白してしまったので、カテリーナ・イワーノヴナは愛する彼を守るため、ドミートリイを犯人にしてしまうため、例の殺人計画書の手紙を暴露してしまう。
カテリーナ・イワーノヴナがドミートリイを裏切ったのは、たったこの一瞬の、裁判の場だけだった。
これが決定打とされ、ドミートリイには懲役20年の有罪判決が下されるのである。

検事は
「もしこのときに女中が、彼の恋人は《まぎれもない以前の男》とモークロエにいることを、すかさず告げてさえいたら、何事も起らなかったはずであります」(下p.371)
と言うが、女中フェーニャはそう言えばドミートリイがグルーシェニカを殺しに行くに違いないと思ったから、教えなかったのだ。

また検事は
「スメルジャコフが殺して金を取ったのに、息子が罪をかぶる――この方がもちろん犯人のスメルジャコフにとっては有利なはずではないでしょうか? ところがスメルジャコフは、殺人を企てたあと、まさにその息子ドミートリイに、金や、封筒や、合図のことを前もって教えているのです――なんと論理的で、明快な話でしょうか!」(下p.379)
と言うが、これこそまさにスメルジャコフ犯人説を認めているではないか?

……などと粗を探すのはもうやめよう。
「黒であると同時に白である」
「黒と言っているが真意は白である」
が成り立つ世界に
「黒でなく白が正しいんだ!」
とか言ってもしようがあるまい。

どうしても「大審問官」が論議の核心となる。

グァルディーニの
「『大審問官』はたしかにローマに対するたたかいである」
との受取は正しい。

大審問官も仔細に見れば屁理屈甚だしいことを言っている。
「去りぎわにお前(キリスト)はわれわれに仕事を委ねていった。お前は約束し、自分の言葉で確言し、人々を結びつけたり離したりする権利をわれわれに与えた。だから、もちろん、今となってその権利をわれわれから取りあげるなぞ、考えることもできないのだぞ」(上p.484)
いや、キリストこそ最高権威だろう。
それに抗うどんな理屈もない。

「民衆の自由を取りあげてしまうことによって、自由な選択に付随する苦しみをもすべてわが身に引き受けた大審問官の苦悩」(「解説」下p.508)
「彼が民衆に代ってわが身に背負いこんだ重荷」(同)
などと受取ってやる必要はない。
悪に同情する必要はない。

結局人間には自由は重すぎた。
パンの方が切実だった。
すなわち人間は救われるに値しないのである。
かつて共産主義体制崩壊において、最も核心を突く分析をしたのは北野武である。
彼は、要は人間は共産主義が与えられるほど人間ができていない、人間には共産主義を与えられる資格はないのだと言った。
キリストも共産主義も、同じ理由から人類を救えないのだ。

「解説」で原卓也は
「ドストエフスキーがたえず批判しつづけたのは、宗教としてのカトリック教もさることながら、権力による人類の自由なき統一を主張するローマ・カトリックの教皇至上主義、教皇無誤謬主義のような、カトリック的思想であったのであり、ドストエフスキーはその中に社会主義をも含めて考えていた。彼は社会主義の中に、石をパンに変えようとする試みを感じとったのである。(略)ドストエフスキーは、石をパンに変えるだけの目的で人間を結合させようとすることに、自由の喪失を、終局の始まりを感じとった」(下p.508〜509)
と言っているが、これは原の主観だろう。
ドストエフスキーの社会主義に対する姿勢は逆だと論じる者もいる。
それになぜパンを与えたら自由が奪われるのか、飛躍している。

「大審問官」の前の「反逆」の章で、イワンは言う。
「かりにお前自身、究極においては人々を幸福にし、最後には人々に平和と安らぎを与える目的で、人類の運命という建物を作ると仮定してごらん、ただそのためにはどうしても必然的に、せいぜいたった一人かそこらのちっぽけな存在を、たとえば例の小さな拳で胸をたたいて泣いた子供を苦しめなければならない、そしてその子の償われぬ涙の上に建物の土台を据えねばならないとしたら、お前はそういう条件で建築家になることを承諾するだろうか」(上p.472)
アリョーシャもイワンも承諾しないのだが、子供が生き返るという条件ならば、承諾していいと思うのだが。

大審問官=イワンの無神論とゾシマ長老の素朴なる民衆への回帰の相剋こそドストエフスキーである。
では、結論は。
「ロシアの民衆は結局は、キリストのための全世界的結合によってのみ救われることを信じている。(略)ドストエフスキーのこの言葉から考えられるのは、各人の自己完成にもとづくキリスト教的社会主義による世界の統一ということであろう」(「解説」下p.511)
これが、ドストエフスキーの結論である。
ゾシマ長老に歩があるようである。

だが、「各人の自己完成」は可能なのか?
不可能だからこそ自由ではなくパンに走ったのだろう。
つまり、循環矛盾である。
すると真の結論は、
「この地上にはばかなことが、あまりにも必要なんだよ。ばかなことの上にこの世界は成り立っている」(イワン、上p.467〜468)
こっちの方にありはしないか。

ドストエフスキー作品というと主題は神の存否、罪、魂の救済と言われるが、私はそれよりも、
「放蕩に身を沈めて、堕落の中で魂を圧殺する」(アリョーシャ、上p.506)
という現代文学への通底に注目する。
『罪と罰』にも、
「理性をくらまし心を石にする淫蕩の只中へ身を投ずる」(ニp.315)
というのがある。
村上龍も柴田翔も桐野夏生もサガンもカミュもこれを主題としている。

さて、以下落穂拾い的に。

“神がかり行者”と“臭気”に、なにやら象徴的なものがありそうである。

ペレズヴォンと「二人の女が同時に」のグルーシェニカの登場シーンの描写が、リアリティがあり圧巻だった。

鋭い洞察2点。

@コーリャの教育批判。
「ああいう古典語なんて、(略)あれは警察の学生対策ですよ、もっぱらそのために設けられたんです(略)あれが必修になったのは、退屈だからです、才能を鈍らせるからですよ。退屈だったものを、もっと退屈にするにはどうすればいいか? ナンセンスだったものを、もっとナンセンスにするにはどうすればいいか? そこで古典語の授業を思いついたってわけです。(略)古典作家はすべてあらゆる国語に翻訳されてるでしょう、だとすればラテン語が必修になったのは、古典作家の研究のためなどじゃ全然なくて、もっぱら警察の学生対策と、才能を鈍らせるためじゃありませんか」(下p.80〜81)

A弁護人フェチュコーウィチの「父親」批判。
「そう、事実、ある種の父親は災難のようなものであります。(略)子供を作っただけではまだ父親でないことや、父親とは子供をもうけて、父たるにふさわしいことをした者であることを、率直に言おうではありませんか。(略)父とよぶに値せぬ父親の姿は、特に自分と同年輩の他の子供たちの立派な父親とくらべた場合、思わず青年にやりきれぬ疑問を吹きこむのです。『あの人はお前を生んだのだ、お前はあの人の血肉なのだ、だから愛さなければいけない(略)親父が俺を作っただけで、そのあとずっと愛してもくれなかったのに、なぜ俺が愛さなけりゃいけないんだろう? (略)お父さん、なぜ愛さなければいけないのか、証明してください』そして、もしその父親がちゃんと答え、証明することができるなら、(略)理性的、自覚的な、厳密に人道的な基礎の上に確立された、正常な真の家庭なのです。反対に、もし父親が証明できない場合には、その家庭はとたんにおしまいです。彼は父親ではなく、息子はそれ以後、自分の父親を赤の他人と、さらには敵とさえ見なす権利と自由を得るのです」(下p.437〜444)

笑い的にはここ。
「『どうしたい?』眼鏡の奥からこわい目で見つめて、グリゴーリイはたずねた。
『いえ、べつに。ただ、神さまが世界を創ったのは最初の日で、太陽や月や星は四日目なんでしょ。だったら、最初の日にはどこから光がさしたんですかね?』
グリゴーリイは呆然とした。少年は小ばかにしたように先生を眺めていた。その眼差しには何か不遜な色さえあった。グリゴーリイは我慢できずに、『ここからだ!』と叫ぶなり、生徒の頰をはげしく殴りつけた。少年は口答え一つせずに、頰びんたをこらえたが、また何日間か片隅にもぐりこんでしまった」(上p.235)

グリゴーリイはフョードルから見放された3兄弟を育ててやり3兄弟は大きな恩を覚えねばならないと思うのだが、ドミートリイからひどく殴られ、ついには血ダルマにされて哀れだった。

ちなみに『罪と罰』ではこのシーンが面白かった。
「そして急にかっとなると、夫の髪をひっつかんで、部屋の中へ引きずり込んだ。マルメラードフは、おとなしく彼女のあとから膝で這って、われから彼女の努力を助けた。
『わしにはこれが快楽です! 苦痛ではありません、か――いらくで――す、せ、せ、せんせい。』と、彼は髪を引きずられながら、一度はごつんと額までゆかへぶつけながら叫んだ」(一p.48)







posted by nobody at 08:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月02日

全共闘世代は現実社会にどう適応してきたか 〜全共闘白書編集委員会編『全共闘白書』〜

質問項目別データ集計を見て、いくつか思ったことがある。

好きな評論家の多分1位に、立花隆があがっていたのはなるほどな、と思った。
特段左翼びいきというわけでもないが(結果的にそうなった時もままある)、態度の公正さが買われたのだろう。
他には本多勝一がいたのはいかにもという感じで、全共闘世代というのは本多にとってかっこうの“お得意様”なのだなと思った。
あとあり得ることだとは思ったが佐高信がいたのは、あまり思慮の深くない連中に支持されたのだろうと思った。

嫌いな評論家で、下の方に渡部昇一がいたのは、いかにもというのを越えてなんだかパブロフの犬のような印象を受けた。
上位には、舛添要一、栗本慎一郎、西部邁らがあがっていた。

購読新聞で朝日が7割近くを占め断トツだったのは、なんやかやいっても「ブルジョア紙」の中から選ぶにはそれしかないのかと思った。
確かに市民運動の報道量に関しては群を抜いているとはいえる。

ちょっとした驚きだったのは、注目している雑誌の第1位が「週刊金曜日」だったこと。
しかしその割には、購読者数が目標である10万人の半数ほどに低迷している(※95年当時)のはなぜなのだろうか。
「金曜日」さえ見放してしまった人もいるのだろうか。
あらためていっておくが、私はとうに、同誌と訣別している。
あと、いかにもという感じの「噂の真相」も続いていた。

こうした「好きな○○」という統計を見ているとつくづく思うのだが、要するに選択肢がないのだ。
結果的によりマシなイカサマを選ぶしかない。
朝日しかり、「週刊金曜日」しかり、もっといえば立花隆しかり。
この「選択肢がない(ひいてはそれ1つしかない)」というのは、現代経済文明の最も有効な洗脳手法の1つである。
後に項を設けて詳述しよう。

念のためにいっておくが、私は「週刊金曜日」を全否定はしない。
現存する雑誌の中では最良であると思うし、是々非々の態度で接していく。
嫌悪している「週刊文春」にだって立花の寄稿があれば買うのだから、いい記事が載っていれば買うこともあろうし、もし唸るほどの金があるなら購読だってするかもしれない。

さて、最も意外だったのは、好きな政治家の3位に小沢一郎が入っていたことである。
これには首をひねる人も多かろうと思う。
嫌いな政治家の方でも断トツで1位にランクされていたのだからなおさらである。
だが私はこれで、かえって全共闘世代は健全なんだなと安心した。
さすがに、ただマスコミのいうなりに振り回されてはいないなと感心した。

小室直樹が
「安保闘争に参集した人は安保条約を読んでいなかった」
というのと同じように、小沢を危険だという人は例えば『日本改造計画』等彼の書いたものを詳細にみっちりと読んでいない人だと思う。
ただ佐高信などが
「小沢は日本のチャウシェスクだ」
などとアジる文章だけは読んでいるのだろう。
佐高に関しては、小室の『国民のための経済原論』を酷評した際に判明したように、ろくに当該の本さえ読まずにけなすのがお得意なようだから、その内容の低さは保証つきである。

また小沢といえば剛腕、独断専行、独裁者というレッテルが蔓延している現在の政治状況において、あえて「小沢を好き」というのは、ひとかたならぬ根拠があってのことである。
そんな“リスクの高い”ことをするのは、「誰かの小沢に対する悪評」ではなく「小沢自身の手になる彼の考え方の披瀝」にじかに目を通した経験があるからとしか考えられない。

私がこのような指摘ができるのは非常に珍しいことで、小沢に関してはたまたま「国際社会における日本の役割(案)」〈小沢調査会編〉を精読したことがあるからである。
「いわれているほど物騒な内容ではなく、むしろ穏健なくらいだ」
というのが、これを読んでの大まかな印象だった。

もちろん、私の小沢に対する最終的な評価はまだ留保してある。
ただ他の全ての政治家が相も変わらずこれからの政治ビジョンを示さない(示せない)中で、ひとり決然と旗幟を鮮明にしている姿は評価している。
旗幟の中身自体は別問題としてもだ。
また、これだけ批判が集中するのは、とりも直さず主張が解りやすいからで、ただもっともらしいだけのご高説をのたまわれるよりはマシである。
この辺の私の小沢に対する態度は、いくぶん筑紫哲也的に日和っている。

好きな政治家の中に、江田五月や岩垂寿喜男も顔を出していた。
今昔の感がある。
もちろん自社さ政権発足、新進党結成前の集計である。
この時両名をあげた人は、まさかこの後すぐ、江田が小沢らと結託し、岩垂がモザンビークPKOへの自衛隊派兵をもろ手をあげて推進するようになるとは、夢にも思わなかっただろう。

だいたいこの集計がとられた頃はまだ、江田はシリウスの幻想を振りまいていた。
マスコミはそれをことさら仰々しく扱っていたし、私もそれに巻き込まれていた。
以降、結局シリウスというのは鳴かず飛ばず。
マスコミの安直キャンペーンに振り回されると、だいたいこんなふうになる。

約半分が、自分の子を塾に通わせている。
ここにも“現実”がある。

自衛隊、日の丸・君が代、安保といった問題に対しては、頑なな態度を貫き通していた。
意外ともさもありなんとも思える。

ならば嫌いな国は断トツで日本が1位だろうと思えばそうでもない。3位くらい。
どうも掴み所がなくなってくる。

全共闘運動に参加したことは誇りであり後悔など微塵もせず、子供が学生運動をやりたいと言ったら好きにやらせるとくれば、志なまらずと思いたいのに、本当に革命が起こせると信じていたかと問われれば、いや信じてはいなかったというのである。鼻につく。

支持政党はないくせに、選挙の投票には必ず行く。
白票を投じに行くというのなら立派なのだが。

かように、全共闘世代の全体像は捉えづらい。

なお、よど号ハイジャックの小西隆祐が回答を寄せていた。
肩書には全くそのことが記されていなかったので、初め解らなかった。

一番見たかったのは現活動家の回答だが、見当たらなかった。
ま、上の例からすると「中核派活動家」などと明記してあるはずもない。
しかし立ち読みなどでなくじっくりと読めば、小西以外の現活動家の肉声はまだ見つかるかもしれない。
           (1995.8.18、24歳)
posted by nobody at 06:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月23日

「深い虚偽の予感」の謎 〜ドストエフスキー『罪と罰』〜

「『僕もすきになってくれない?』
そのへんじのかわりに、彼は自分にすり寄って来た少女の顔と、彼を接吻しようとして無邪気につきだされた柔かそうな脣とを見た。やにわに、マッチのように細い彼女の腕が、かたくかたく彼を抱いて、頭が彼の肩へ押しつけられた。こうして少女はたえず強く、ますます強く顔を彼に押しつけながら、静かにしくしくと泣きだした」(ニp.78〜79)

最も印象に残った、美しいシーンである。

みんなが畏れ多いという感じで本書を奉っている。
私はどちらかというと、過大評価派に与する。
もちろん重厚な作りには圧倒された。
ただ、結末に、肩透かしのような感じを抱いた。
カフカの『変身』にはケチをつけようという気は起こらなかった。
カミュの『異邦人』もまあ評判通りだったといってよかろう。
しかし本書には、一抹の物足りなさが残る。
青木雄二の大絶賛が本書を読む大きな動機となったのだが。

中村白葉の訳で読まねばならなかったのもきつかった。
本当にこんな訳が通って出版されているというのは、信じ難い岩波書店編集者の怠慢である。
なにしろ「1プード半」の訳注が「6、7貫目」である。
翻訳の長編を読み通すというのは1つの精神的苦行をやりおおせたという価値をもつのだとあらためて思った。
例えば新潮文庫の『貧しき人びと』の木村浩訳、『カラマーゾフの兄弟』の原卓也訳は申し分なく読める。
非常用漢字に振り仮名を振る(というより非常用漢字はなるべく使わない)、普通に日常的に用いられない言葉で訳さないという全く当たり前のことさえしてくれればいいのだ。
さすがに岩波も新しい版では訳者を江川卓に代え、訳注も豊富に入れているらしい。
やっと苦情に対応したわけだ。
私は古本で購入したのが中村白葉訳のため、ただただ耐え忍ぶしか術はなかった。

ドストエフスキーの冗長主義にも幻滅させられた。
まあそうでなければ分厚い本になるわけがないが。

人が現れるたびに、こんな感じである。
「ザミョートフが、あの当のザミョートフが、いくつもの指環に、鎖に、きれいに櫛目を入れて油でてらてらさせた黒いまき毛に、ハイカラなチョッキに、いくらかすれの見えるフロックコートに、うすよごれたシャツという、いつかと同じいでたちで控えていた」(ニp.31〜32)

「第一に彼女は、まだうら若い娘のはずだのに、この炎天に帽子もかぶらず、洋傘も持たず、手袋もはめないで、なんだかおかしな恰好に両手を振りまわしながら、歩いていた。彼女は、薄手の軽い(「マテルチャートニ」織の)絹服を着ていたが、それもやはり何だかひどくへんな着方で、ボタンもかけたりかけなかったり、うしろのちょうど腰のところで、スカートの上の端が破れていた。髪もひと房はなれて、ぶらぶらぶらさがっていた。あらわな頸には、小さい蝶形ネクタイがひっかけてあったが、それもゆがんで、わきの方へ飛びだしていた」(一p.82)

部屋の説明はいちいちこのようである。
「それは、広くはあるが、いたって天井の低い、カペルナウーモフが賃貸している一つきりの部屋で、左手の壁に、その人達のいる方へ通ずるしめきった戸口が見られた。そしてそこはもう、番号のちがった隣りの住居であった。ソーニャの部屋は見たところ、なんとなく納屋といった体裁で、おそろしく不整な四角形をしてを(ママ)り、それが一種畸形な感じを部屋そのものに与えていた。窓の二つついた掘割の方に面した壁は、部屋を斜めに断ち切っていたので、一方の隅は、恐ろしい鋭角になり、鈍い燈火の下でははっきり見わけのつかないくらいの深みへのびているのに、もう一方の隅は、みっともないくらいの鈍角をなしていた。このだだっぴろい部屋には、家具らしいものは殆どなかった。右手の隅の方に寝台があって、そのそばに、戸口近く、椅子が一つ置いてあった。寝台のある壁に添うて、隣りの住居へ通ずる戸口のすぐそばに、青い布のかかった、粗末な板割づくりのテーブルがあり、その周囲には、籐椅子が二脚置いてあった。それから、反対側の壁に添うては、鋭角をなした一角に近く、粗末な雑木づくりの小形な箪笥が、がらんとしたなかに置き忘れられたように立っていた。これだけが、この部屋にあったもののすべてであった。古びて穴だらけになった黄ばんだ壁紙は、すみずみが黒くなっていた。冬はきっとじめじめして、炭気がこもるにちがいない。貧しさはひと目でわかった。寝台にすらカーテンがなかったのである」(二p.299〜300)

顔はいつも「蒼」白く、「脣」はいつもぶるぶるふるわせ、「脣」の端にはいつも冷たく微笑を走らせ、いつもぶるっと一つ身ぶるいし、いつも眼を火のように燃え立たせる。

街を歩く時はいつも疲れていなければならない。
そうでないと書くことがなくなるので。

第六編三におけるラスコーリニコフとスヴィドゥリガイロフとの会話。
スヴィドゥリガイロフは主旨の判らぬ話をダラダラ続け、しかもラスコーリニコフもそれに対してどうでもいい質問を挟みそのままの流れで話を促す。
同八における自首しに来たラスコーリニコフに対するイリヤー・ペトローヴィッチの無駄なお喋り。

私は一般の速読と称する飛ばし読みをしている人と違って、逐文的に読解しながら読み進んでいる。
しかし最後の最後、「終編」のここに到り、ついにギブアップした。
「彼は、苦しい思いをしながら、たえずこの問題を自分に課したが、しかも、あの時すでに、水の上に立ちながら、自分自身の中にも自分の確信の中にも、深い虚偽を予感していたかもしれなかったのを、理解することができなかったのである。したがってまた、この予感が、彼の生活における将来の転回、将来の復活、将来の新しい人生観の予言者だったかもしれないことをも、理解することができなかったのである」(三p.335)
「終編」はたった26ページと少ないが、熟考を要しページが進まない。

本書のあらすじは広く世に知られている。
第一巻のカバー・イントロダクションを引用するとこうだ。
「選ばれた強者は凡人のためにつくられた法を踏み越える権利をもつ――大学生ラスコーリニコフはこの確信のもとに1金貸し老婆とその妹を撲殺する」

だから裁判中心の流れかと思っていたらそうではなく、それどころか犯行の露顕もとても遅かった。

本書は様々な要素を含むと言われる。
「心理小説」と言われるのはその通りだが、「推理小説」とされるのは違うだろうと思う。
「水晶宮」でのザミョートフへの仄めかし、現場を再訪してのベル鳴らし、血の質問、そして何と言っても新聞に掲載された「犯罪遂行の全過程における犯罪者の心理状態」論文。
これらの墓穴掘りがあるゆえに、その後のポルフィーリイとの対決が、今一つ精彩を欠く。

犯人追及過程最大のヤマ場は、ペンキ屋ニコラーイの「自白」であった。
なぜやってもいない殺人を自ら認めたかというと、宗教的熱心さから「苦しみを受け」ようとした、ということである。
ちなみにニコラーイはラスコーリニコフの名の由来となっているラスコーリニク(分離派信者)である。
さて、あるネット解説によれば、このニコラーイというのは、ラスコーリニコフが見た子供の頃痩馬が嬲り殺される夢に出てきた男と同名ということである。
本書では「ミコールカ」となっている。
同名なら重大な示唆があるが、中村白葉訳では同名であることすら知ることができないのである。
それどころかニコラーイは所によっては「ミコラーイ」になっている。
ロシア語ではニがミになっていてもおかしくないそうだが、そうとしても一切注記なしというのは犯罪的だろう。

山崎行太郎という「哲学者」は、老婆殺しは実は母(プリへーリヤ・アレクサーンドロヴナ)殺しであると考察していたが、私はそれはないと思う。
というのは、ルージンがちょっと母のことを悪く言うと、ラスコーリニコフは瞬間湯沸器のように激怒しているからである。

また別の人は本書の主題は後進国の近代化だと考究していた。
その人の置かれた立場で何を主題と捉えるかは違うようである。

結びも、ラスコーリニコフがきれいさっぱり改心したとは言い難い。
またもしそうだとしたらそれはありふれた結末にもなってしまう。
どんなに偉そうな、形而上学的な意義付けをしても、でもそれと老婆と妹は関係ないだろ、2人かわいそうじゃん、とこじつけにしか思えなくなってしまう。

死刑だったらまた話は違っていたろう。
ラスコーリニコフは結局懲役8年となる。
2人殺して軽いものだ。
『異邦人』のムルソーは1人殺して死刑だったのに。

むしろ主人公はラスコーリニコフではないのではないか。
カテリーナ・イワーノヴナ、あるいはスヴィドゥリガイロフの生き様、顛末の方に重く悲愴なものを感じる。

カテリーナ・イワーノヴナは、夫の追悼式すら満足に行えず(格を上げる来賓に出席してもらえず)、ついに家主アマーリヤ・イワーノヴナと取っ組み合って追い出され、狂い、訳も分からない子供達に歌い躍らせ物乞いをし、結核で死ぬ。
『闇金ウシジマくん』を彷彿とさせる容赦ない徹底的な不幸描写で、作者はよく描くことに耐えられるなと思う。
『貧しき人びと』でマカールを徹底的に破滅させなかったドストエフスキーが、ついに中途半端な甘さを捨て去ったともとれる。

スヴィドゥリガイロフは、ラスコーリニコフの妹ドゥーニャを手籠めにしようとして果たせず、しかしドゥーニャが自分をピストルで撃とうとするのを止めようとせず(ドゥーニャはピストルを投げ捨ててしまい生き延びる)、財産を人に全部与えてしまった上で、ピストル自殺する。
スヴィドゥリガイロフは淫蕩に耽る男で、具体的行為も、ドストエフスキーの例のごとくの描写のため判然としないが、ネット解説によって補強すると、妻マールファ・ペトローヴナを毒殺し、下男フィーリカを殺し、愛人レッスリヒ夫人の14歳の娘を強姦して自殺させている。
また私の推測では、
「えへ、アフドーチヤ・ロマーノヴナ! あなたは伝道熱に浮かされて夢中になってたことをお忘れだとみえますね……わたしは眼つきで見てとりましたよ。おぼえてらっしゃるでしょう? あの晩、月がさして、おまけに鶯まで啼いていて……」
「嘘おつき! (ドゥーニャの眼には狂憤の焔が燃えあがった。)嘘おつき、嘘おつき!」(三p.258)
との会話からスヴィドゥリガイロフとドゥーニャの間には肉体関係があっただろう。
(また「わたしが(マールファ・ペトローヴナに対して)鞭などを手にしたのは、七年間の同棲の間に、あとにもさきにもたった二度きりですよ。(もっとも、二様の意味を持っているいま一つの場合をのぞいてですがね。)」というスヴィドゥリガイロフのセリフから、スヴィドゥリガイロフとマールファ・ペトローヴナはSMプレイをしていたと推測する。)

ピストルで撃ち損なったドゥーニャを捕まえたスヴィドゥリガイロフは、
「じゃあ、愛してはくれないんだね?」(三p.261)
と言って受け入れられず、自殺を決意するのだ。
スヴィドゥリガイロフはラスコーリニコフの犯行を知って自分と同じものをラスコーリニコフに感じ、ラスコーリニコフもまた、後には同じような気持をスヴィドゥリガイロフに抱く。
あるネット考察ではスヴィドゥリガイロフはラスコーリニコフの未来の姿、ともあった。

まあ1度きりの精読で主題を掴みこなすのは無理があるのだろう。
確かにもう1度読んでみたいという衝動が残る(せめてクライマックス・シーンだけでも)。
とりあえずは先に引用した三p.335の「深い虚偽=将来の新しい人生観」の予感というのを解明したい。
そこにはまた一段成長した自分がいるだろう。
……中村白葉以外の訳を見れば一発だったりして。


posted by nobody at 06:18| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月14日

タフで能動的な男達 〜読売新聞大阪社会部『ドキュメント新聞記者』〜

新聞には、ほとんど余白がない。
昔から、それが不思議だった。

いうまでもなく、新聞は1日で作られる。
しかも、以前本か何かに、新聞に掲載できる事件は原則的にその日の午後5時までに起きたものが対象とされると書いてあったのを記憶している。
夕刊も発行している新聞社となると、なおさらきついことは言うまでもない。

つまり、よくもそんな限られた時間の中で、あれだけ活字でびっしりと埋め尽くされた紙面が作れるものだ、と感心していたのである。

仮に、1日に1件も、事件・事故が起こらなかったとする(実際そんなことはあり得ないだろうが)。
果たして、そんな時翌日の新聞はどうなるだろうかと、考えたことがあった。
恐らく新聞社は、そうなってもいつものように、活字に満たされた新聞を作り上げることだろう。

だが現実には、新聞に載っている事件は、その前日に起きた事件のごく一部に過ぎないだろう。
どの事件を載せ、どの事件を載せないかの取捨選択が、綿密に行われているに違いない。

そんな膨大な数に上る事件を扱うわけだから、新聞作りはとにかくスピーディーにやらなくてはならない。
時間との闘いである。
“時間との闘い”とは、単に速さだけを指すには留まらない。
新聞に載る事件は原則的にはその日の午後5時までに起こったものと前述したが、それはあくまでも“原則的に”であって、それ以降に起こった事件でも、急遽紙面に組み入れられることはしばしばある(その辺の紙面の組み直しが凄いと思うのだが)。
したがって、記者には“不寝番”なる役割が存在する。
文字通り、寝ないのだ。
ここにも、“時間との闘い”がある。

本書を読んで一番感じたのは、その辺のことである。
「新聞記者は不可能なことを可能にして働いている」
と言っても過言ではない思いさえ抱かざるを得なかった。
とにかくタフな男たちである。

“時間との闘い”も厳しいが、新聞記者にとって、取材して情報を得ること自体も非常に難しい。
次の引用を読めば、それは明らかである。

「新聞記者にとっての戦いの相手は、猟銃を持ったアフロヘアーの男だけではない。厳しい報道規制をとっている警察も、それに、取材に対して決して協力的とは言えない銀行も、この瞬間には敵なのだ」

「猟銃を持ったアフロヘアーの男」というのは、本書で取り上げられている、昭和54年1月26日に起こった三菱銀行事件の犯人・梅川昭美のことである。

つまり、警察も銀行も、新聞記者が取材に来たとしても、
「やあ、どうもご苦労様です。さあどうぞ訊いて下さい」
と歓迎する、ということは全くないのである。
むしろその逆で、新聞記者にはできるだけ情報を漏らすまいとしている。
この点が、どうしても最後まで腑に落ちなかった。
だから、記者達は、警察の多重無線車のそばに半日近くずっと立っていたり、車の陰に隠れて捜査員の会話を盗み聴きしたりしなければならなかった。

情報を公開して何か差支えがある場合なら話は別だが、何の差支えもないのに情報をひた隠しにする。
少しでも情報が欲しい新聞記者にとって、これほど歯がゆいこともなかろう。
新聞に情報を公開することによって、事件の解決に良い影響を与えることが過去に何度もあったのだ。
近年ではソ連のチェルノブイリ原発事故の際の秘密主義が世界の批判を浴び、その後国連の国際原子力機関(IAEA)によって原発事故の際はいち早く通報することが義務付けられたが、原発周辺の住民は最後まで事故を知らされなかったため、その多くはガンになるだろうといわれている。

また、記者達の動きが非常に“能動的”であることにも感心した。
人からああしろこうしろと命令されるのではなく、自分からああしよう、こうしようという意志をもち、取材に移るのである。
しかもそのどれか1つでも欠けていては記事が成り立たないような、大事なことばかりだった。
これは偶然によってなのかそれとも必然的にそう動いたのだろうか。
どちらにしろ、今後そういう行動のとれる人は貴重な存在となるだろう。

現在はとかく、“高度情報化社会”と言われがちだ。
私など、新聞に大きく載っているから、あるいはテレビで大きく取り上げているから、この事件は大事件なんだなと、その事件の本質に自ら近づこうとせずに判断を下してしまう傾向がある。
今はそういう人が、皮肉にもそのマスメディアによって作り出される夥しい量の情報によって、私も含めて増えている。
そのような社会において、これまで以上に新聞のもつ役割というものは大きくなってくるであろう。

(1989.1 17歳)

posted by nobody at 01:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月11日

胸が張り裂けるほどの甘美な想い出 〜ドストエフスキー『貧しき人びと』〜

私はこの本を古本屋で買った。
前の持ち主は福井貴子さんという人である。

青木雄二がドストエフスキーの入門として薦めていたのでそれに従った。
何しろ青木はドストエフスキー以外読む必要はないとまで言う。
200ページ強という分量もドストエフスキー作品の中では極めて少ないだろう。

木村浩の訳には胸を撫で下ろした。
バーナード・ハットン『スターリン』の訳も木村浩でそれは多少読みにくかったが、本書の翻訳は他の外国文学と比べたら全く素晴らしかった。
というのは最近翻訳ものを立て続けに読んでいて、翻訳に心底うんざりさせられているからだ。
翻訳を批判すると「言語構造が全く異なるのだから読みにくくて当たり前」としたり顔をする奴がいるが、そこを指摘しているのではない。
少なくとも一般的表現として使われない日本語を使うな、と言っているのだ。
そしてそれを“校正”するのは編集者の役目だろう、他の様々なサービスと比較してもこれほどの怠慢が放置されているのは例がない、と言っているのだ。

他の人は速読で飛ばし読みするのが普通のようだが、私は恐ろしく読むのが遅く、その代わり逐文的に読んでいる。
それでも本書は事実関係の把握において解りにくい。
理由は3つある。

@これまでの外国文学は登場人物が少なかったが、多くなってくると、人物の相関関係が解りにくいこと。
それもロシア文学の特性が4点マイナスに作用する。

a.名前が長く、しかも似通っているような感じがすること。エフスターフィ・イワーノヴィチだのフョードル・フョードロヴィチだのエフィム・アキーモヴィチだの……。

b.愛称の断りが全くないこと。例えばマカールはワルワーラを「ワーレンカ」と呼んでいるのである。

c.ロシア人は名前が3節に分かれるようで、場合により初めの方の2節を呼んだり初めと後ろの2節を呼んだりするから別人かと思ってしまう。ワルワーラはマカールを「マカール・ジェーヴシキン」と呼びマカール自身も手紙にそう署名するがチモフェイやゴルシコーフは「マカール・アレクセーエヴィチ」と呼ぶ。

d.名前の1節を、性によって呼び分けるようである。

これらのことに関しては誤解を生じさせるのだから本の中に注意書きを入れるべきである。
それをしないのは編集者の怠慢である。

人物一覧表も、本の頭に入れるべきである。
それをしないのは編集者のサービス欠如である。

さらにどうもドストエフスキーは意図的なようだが、わざと新しく出てきたことを前のページに戻って確かめようとしても突然出てきているように書いているのである。
例えば「あれ、こんな名前の人いたっけ?」と前のページを繰っても分からない。
文脈から、どうもああ初めの方に「女中」と出てきた人のことか、と推測しないといけない。

例えばワルワーラと同居しているフェドーラは、一体ワルワーラとどういう関係にあるのか判然としない(ワルワーラは孤児とある)。
これは次のAとも関連してくる。

A往復書簡体という小説形態であること。
必ずしもマカールとワルワーラの手紙がきっちり交互に載っているわけでもない。

そもそもなぜすぐ近くに住んでいるのに連日手紙を出し合う必要があるのかというのも疑問なところだが、それはともかくとしても、手紙ではお互い心優しさから相手を心配させないようにするため意図的に不幸事が起きてもぼやかすのである。
何が起こったのかはっきりとしない。
さすがにドストエフスキーも無理を自覚したのか、ワルワーラが「折にふれて自分の生活について書きとめておいた手帳」を登場させたりしている。

Bリアリティを出すためか「忘れてしまった」として出来事の経緯を示さないことがあり、これも解りにくさに拍車をかけている。

致命的なのが主題のマカールとワルワーラの関係の不明瞭さ。
私のもってるのは古い本のためカバー・イントロダクションのないやつだが、新しいやつにははっきりとマカールのワルワーラに対する感情は恋愛感情だとしてあるのだ。
なんだ、やはりそうとってよかったのかと。
というのは、年も離れているし(マカールは47歳)、2人は遠い血縁関係にあるようだったのだ。
血縁関係にあるとしても、外国では日本より従兄弟同士の結婚は抵抗が少ないようだが。
本書はドストエフスキー24歳の処女作であるが、そこで自分のような青年ではなく中高年の男の恋愛を取り扱ったというのは何か興味深いことではある。

青木雄二が推すだけあって貧困の描写は迫真でありそこがドストエフスキーの真骨頂なのだろう。
だがマカールは下っ端ながられっきとした役所勤めであり、なぜこれほど極貧なのかも判然としない。
放蕩に耽る性質でもなく、とすれば全部ワルワーラへの援助につぎ込んでいたとでもいうのだろうか。
まあ確かにワルワーラは、基本的にはいつもマカールに自分のためにお金を使わないでと懇願しお金を送り返したりさえしているが、ある時には
「ねえ、もしお芝居に行くんでしたら、あたくし新しい帽子をかぶって、黒いケープを羽織っていこうと思いますの。それでよろしいでしょうか?」(p.109)
と言ったりして、ある人はこんなワルワーラを評して「ドS」と言ったりして、私なんかはそんなところがネコのような女性らしい、ひょっとするとマカールもワルワーラのこんなところにまいっていたのかもしれないなどと思ったりもするような女性ではあったが。

「わたしは破滅しました、わたしたちは二人とも破滅しました。二人いっしょに、もう取返しのつかないまでに破滅したんです。わたしの評判も、名誉も、なにもかもだめになってしまいました! わたしは破滅しました。きみも破滅しました。きみもわたしといっしょに、もう取り返しのつかないまでに破滅してしまったんです!」(p.151)

終局でマカールはひょっとして破滅してしまうのでは、と思った時があった。
大事な書類の「浄書」を頼まれたがワルワーラの不幸を想い余って気もそぞろになり1行抜かしてしまい、叱責中にボタンが取れ落ち転がり、追っかけて拾い、挙句の果てニヤニヤと笑ってしまう……。
「クビだ!」となるかと思ったが、逆に閣下はあまりの身なりのみすぼらしさに100ルーブルを恵んでくれるのだ。
エフスターフィも必死にマカールを庇ってくれている。
破滅せずによかったなと思った。
だがここでマカールに真からの破滅をさせなかったのは、ドストエフスキーの優しさなのか、不徹底なのか……。

貧困描写の迫真の他にドストエフスキーの凄さを挙げるなら、あと2点ある。

@手紙に流れる感情の移ろいの描写の巧妙さ。明るく優しく思いやりに満ちた基調の中で、不意に、目に見えるといったほどでなく微妙に、ぶっきらぼうさが混じることがある。不機嫌さを隠そうとしているのである。

Aドストエフスキー文学の大きな観点になると思うが、人間の心理描写の迫真。先のエフスターフィもそうだが、悪い人間は常に悪く、良い人間は常に良くふるまうのではない。人間のふるまいの理に合わなさもうまく描いている。
使用人ファリドーニは、みんながマカールを嘲うようになると態度を一変させる。
「あんたはうちの女主人(おかみ)さんに金を払っていないのだから、わたしもあんたには義務はありません」
「ねえ、あんたはわしに何かおごってくれたことでもあるかね? 自分だって迎え酒の飲み代はないんだろ? どこかの女子(おなご)から20コペイカ玉を恵んでもらっているくせに」
「へん、それでも旦那さまかよ!」(p.152)
「きみはラヴレース(色魔の代名詞)だ」とマカールを蔑んだラタジャーエフはマカールが金巡りがよくなるとあれは「機敏な青年、油断のならぬ若者」という意味だったと弁解し、それを無邪気に
「罪のない冗談だったわけですよ。それなのに、無学なわたしはついかっとなって、腹をたててしまったのです」(p.187)
と受け取るマカール。
「わたしを破滅させるのはお金ではなくて、こうした浮世の気苦労なんですよ、あのひそひそ話や、意味ありげな笑いや、意地の悪い冗談です」(p.150)

破局こそ避けたとは言え、ハッピーエンドではない。
人生はそれほどたやすくはない。
ワルワーラはブイコフとの結婚を決意する。
「もしあたくしからこの恥辱をそそぎ、名誉を回復し、将来ともあたくしを貧困と欠乏と不幸から救ってくれる人があるとすれば、それはあの人よりほかにありません」(p.200)
まるで浜省「丘の上の愛」である。
しかしブイコフとの未来にはもう破局の予感が漂っている。
ある人の書評によればブイコフはワルワーラが余命幾ばくもないことまで見越した上で、俺は哀れな貧しい女を救ってやったという声望を得ようとして結婚したのだという。
貧困に喘ぐ者にとっての救いとは何か。
重い命題を突きつける。

ワルワーラの最後の手紙は胸を抉る。
「あなたをこんなに激しく愛していた、あなたのかわいそうなワーレンカを思いだしてくださいまし。胸を押しつぶされそうでございます。あたくしの胸はいま涙でいっぱい、いっぱいでございます……涙が胸をしめつけ、張り裂けそうでございます!……では、ごきげんよう」(p.213)
手紙は涙で滲んでいた。

「思い出というものは、それが悲しいものでも、楽しいものでも、いつも悩ましいものです。もっとも、その悩ましさは甘美な悩ましさといえるでしょう」(p.60)

読みながら、過去の想い出の断片がフラッシュ・バックした。
人生の甘美さを思った。

posted by nobody at 05:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月24日

出発点としての虚無と不条理 〜カミュ『異邦人』〜

「健康なひとは誰でも、多少とも、愛する者の死を期待するものだ」(p.70)

「太陽のせい」で殺人を犯したムルソーは死刑となる。
裁判では母親の死を悲しまなかったことが執拗に糾弾され、そのことが死刑判決の要因ともなったが、この結び付けは何なのだろうか。
その不自然さも含めた上での“不条理”ということか。

これまでの私の思想と重なるところがある。

「この世とは、真実に生きようとすれば殺されるのか。生きるとは欺瞞なのか。」
これは「難波大助を語り継ぐために」に書いたことである。
白井浩司の「解説」によると、カミュは英語版の自序でかなりタネ明かしをしてしまっている。
村上龍が『限りなく透明に近いブルー』のタネ明かしを中国版でしてしまっているように。

「母親の葬儀で涙を流さない人間は、すべてこの社会で死刑を宣告されるおそれがある、という意味は、お芝居をしないと、彼が暮す社会では、異邦人として扱われるよりほかはないということである。ムルソーはなぜ演技をしなかったか、それは彼が嘘をつくことを拒否したからだ。嘘をつくという意味は、無いことをいうだけでなく、あること以上のことをいったり、感じること以上のことをいったりすることだ。しかし、生活を混乱させないために、われわれは毎日、嘘をつく」(p.142)

生きるとは、演技をすること=仮面をかぶること。
これはすなわち木村敏『異常の構造』における「偽自己の仮面」論だ。
これは「偽自己の仮面をかぶり損なった者の悲劇 〜井戸誠一『呪われた人々』〜」で書いた。

映画『イージー・ライダー』が描いていたのは、現代では異端者は殺されるということだった。
まさにワイアットもビリーも、難波大助も高崎隆夫もムルソーも、同じ理由で殺されたのだ。

映画『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』で誤解されがちなのだが、ウィルは現実世界が怖くて出ていけなかったのではない。
自分が社会に出ていけばどういうことになるか、彼は判っていた。
会社面接で滔々と述べている。
意味がない、ということが判っていたのだ。
まさに、
「人生が生きるに値しない、ということは、誰でもが知っている」(p.120)。

ムルソーのイメージは虚無である。
だが「ムルソーは人間の屑ではない」(カミュ、p.142)。
裁判では母親の葬儀の際煙草を喫ったことが咎められる。
その時の様子を見てみよう。
「今度は煙草をすいたいと思った。が、ママンの前でそんなことをしていいかどうかわからなかったので、躊躇した。考えてみると、どうでもいいことだった。私は門衛に一本煙草をやり、われわれは煙草をくゆらせた」(p.12)
普通に躊躇して良心を見せている。
検察官や司祭好みの「人間らしい」心情をちゃんと有している。
どっちでもよかったので喫ったに過ぎない。
殺した時も、どっちでもよかったから殺した。

すべてのことは意味がない。
マリイを愛しているのかいないのかも意味がない。

「これまでのあの虚妄な人生の営みの間じゅう、私の未来の底から、まだやって来ない年月を通じて、一つの暗い息吹が私の方へ立ち上ってくる。その暗い息吹がその道すじにおいて、私の生きる日々ほどには現実的とはいえない年月のうちに、私に差し出されるすべてのものを、等しなみにするのだ。他人の死、母の愛――そんなものが何だろう。いわゆる神、ひとびとの選びとる生活、ひとびとの選ぶ宿命――そんなものに何の意味があろう。ただ一つの宿命がこの私自身を選び、そして、君のように、私の兄弟といわれる、無数の特権あるひとびとを、私とともに、選ばなければならないのだから。君はわかっているのか、いったい君はわかっているのか? 誰でもが特権を持っているのだ。特権者しか、いはしないのだ」(p.129)

私が宿命を選ぶのではなく宿命が私を選ぶ。
自己の絶対宣言である。
ここにサルトルは実存主義の共鳴を見たわけだが、カミュはそれを否定した。
やがてふたりは訣別していく。

白井浩司は「解説」で秀逸なことを言っている。
「人間とは無意味な存在であり、すべてが無償である、という命題は、到達点ではなくて出発点であることを知らなければならない」(p.142)

これは坂口安吾『堕落論』にも通じてくる主題だ。

表紙絵のせいでもあるが地中海のまぶしい太陽を全編にわたって感じた。
村上春樹の文体に似ている。
訳はカフカ『変身』の高橋義孝に比べたらだいぶましだが、それでもやっぱり「待ちもうける」「こごむ」は使っている。
以下こんな感じである。

「疲らせた」「引きむしる」「葬式の宰領」「天辺のまろく」「輝かな」「ジェラニューム」「アパルトマン」「露台」「かんかん帽」「腋をくり込ませた背広」「踏段」「初めての猫」「捏粉(ねりこ)」「情婦(れこ)」「アンサンブル」「正体をきわめつける」「懲らし足りない」「女をカードへ載せてしまう」「もし懲らしてやらねばならぬと思うか」「ヴィラ」「御柳(ぎょりゅう)」「いちはつ」「菜っ葉服」「判事を真に受ける」「証憑」「丈夫なのね」「慰んで」「事件を持ち上げる」「皮肉な様子」「フランネル」「不均斉」「ごっただった」「袖をからげながら」「桃色事件」「予謀」「不感無覚」「多少出まかせに」「はてしれぬ」「ありとある」「おそろしい心踊り」「ばかげた喜悦で私の眼をチクチク刺激する、あのはやりたつ血と肉の衝動」「人間の裁きには何でもない」「等しなみ」

単語レベルさえこのような言語感覚なのだから、翻訳文学においては、段落レベルにおいても、飲み込めない文が続くのを流し読みして細部はスルーするといった読み方をしなければならないのは避けられないことなのだろうか。
こういう拙訳が、人を読書から遠ざける一因なのである。
p.113や121などひどいものである。
原文を読めばすっきり分かると言われるのはこうした部分だろう。

タグ:カミュ
posted by nobody at 03:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月22日

現実・非現実の超越、小説の可能性 〜カフカ『変身』〜

リアリティかSFかというのは小説における重要な区分である。
だがそんな区分けなどどうでもよくなってしまう、面白い小説に久々に出会った。
伊集院光は主人公グレーゴルに高校時代の自分を重ね合わせたそうだが、私も、現下の“特殊”状況にある自分を、重ね合わせずにはいられなかった。

虫になったグレーゴルは、人間の心を忘れてはいなかった。
母親と妹によって自由に這い回れるようにするために部屋の全ての家具が運び出されようとしたとき、グレーゴルは壁に掛かった絵の上にへばりついた。
自分の姿を家族の目に触れないように努めてきたが、そんなことよりも、絵を守ることの方が大事だった。
それは人間の証しだった。

妹が弾くヴァイオリン。
皆興覚めしている。
グレーゴルだけがその美しさを認めた。
「音楽にこれほど魅了されても、彼はまだ動物なのであろうか」(p.81)
自分の部屋で弾いてもらいたくて、自分に気づいてほしくて、グレーゴルは自分の部屋から這い出した。
この時も自分の姿が見られることなどどこかへいっていた。
もう自分の部屋は掃除もされなくなっており、グレーゴルの体には埃が積んでいた。
グレーゴルの部屋は物置きと化しており、身動きもできなくなっていた。
つまり虫のための部屋という配慮はもう全くなされなくなっていたのだ。
食べ物も与えられていなかったのだろう。

浴びせられた言葉は、「けだもの」「これ」。
グレーゴルは部屋へ引き返し、死ぬ。
有村隆広の「解説」によると、
「グレーゴルは父親が投げた林檎の傷が原因となって死ぬ」(p.117)とあるが、そんなにタイミングのよいことがあろうか。
私は自殺したのだと思う。
「わりに気分がいい」(p.89)
「安らかな瞑想状態のうちにある彼」(p.90)
そして「感動と愛情とをもって家の人たちのことを思いかえし」ながら、彼は死んだのだ。

母親も最後はグレーゴルを見捨てたのだろうか。
「母親は咳きこんでいるので、なにも聞こえないのである」(p.85)
とある。
私は母親は夫と娘に同意していなかったと思う。
母親は以前父親がグレーゴルに「爆撃」(p.65)を加えようとした時、着る物も構わず父親にしがみつき、グレーゴルのために命乞いをした。
私はこのシーンに涙した。
もちろん最後までグレーゴルの側に立つわけにはいかなかっただろうが。

父親と妹とて薄情に尽きるというわけではない。
グレーゴルの死後、「三人とも泣いた痕跡が少々見える」(p.92)とある。
結びは家族三人「新しい夢とよき意図の確証」(p.97)に包まれてのエンディングとなるが、これは薄情なのではない。
これこそが人間なのだ。
妹は言っている。
「もしこれがグレーゴルだったら、人間がこんなけだものといっしょには住んでいられないというくらいのことはとっくにわかったはずだわ。そして自分から出ていってしまったわ、きっと。そうすればお兄さんはいなくなっても、あたしたちもどうにか生きのびて、お兄さんの思い出はたいせつに心にしまっておいたでしょうに」(p.87)

人間が突然理由もなく虫になる。
いくつかの可能性があり得たろう。
顔は人間のまま残るとか(そしたら家族も人間の心が残っていると判る)。
言葉は話せるとか(同)。
本書の場合いずれでもなく、そうすると完全に虫と化していなければならないはずで、脳みそも虫なら人間の言葉を解したり考えたりもできないはずだが、まあそこが“小説”。

ただ意思表示はできただろう。
前掲ヴァイオリン・シーンでも「けだもの」「放り出す」という言葉を聞いて、大人しく部屋へ引き返しているのだから、家族はグレーゴルが人間の言葉を聞いている=人間の心が残っている、ということに気付かなかったのだろうか。
仮に気付いていて、それでも虫という表象物とは暮らしていけないとの判断を下したのだとしたら、それはまた違った人間の一面を表すことになる。

またグレーゴルの社会的身分に関してもいくつかの可能性があり得た。
グレーゴルが学生だったら、というのが一番ありふれた設定だったのではないだろうか。
現代日本だったらニートというのも興味深い設定だったろう。
いずれも引きこもりという主題に通じてくる。
あるいは普通の勤労者。
グレーゴルの場合、普通以上の勤労者だった。
というのはグレーゴルは社長への両親の借金を返すために働いているのだ。
文字通り一家の生活の大黒柱だった。
となると若干『呪われた人々』を想起させるものがあるが、それでもなお虫となって時が経てば、けだもの扱いなのである。

これは哀しい物語だ。
哀しいグレーゴルの物語だ。

カフカのうまいところは、描写から事情を読み取らせるところだ。
例えば「いまでは彼の部屋はどこもかしこもたいへんな埃で、彼の体も厚い埃に覆われていた」(p.80)という記述から、ああ、もう妹も部屋を掃除してくれなくなったんだな、と読み取らないといけない。
「〜とでもいうようなふう」「〜していることを推測させた」というような語尾が多用され、それが「冷静な報告調の文体」(カバー・イントロダクション)との評につながっている。

最大の難点は、高橋義孝の翻訳である。

「毛皮のマフ」「ございませんければ」「暇欠き」「最前より」「最初の処置がとられたさいの確信と着実さ」「体もいまはただ口ひとつで立っていた」「翼板」「待ちもうけている」「頭をうつむけていた」「あとしざり」「はいり悩んでいる」「おりおり」「朝まだき」「巴旦杏(はたんきょう)」「勝手仕事」「うしろにとびしさって」「こごみこんで」「挙止振舞い」「足掻きがつきゃしない」「狂熱心」「金モール」「公許」「いけぞんざい」「愁嘆場」「ドアを締める」「馬糞虫」「ドアの透き間」「勝手元」「夕食をしたためる」「調べようがため」「紳士連」「この日ごろ」「滋養分」「椅子に正座し」「断々乎」「勤労中断の十分ないわれ」「とり片づけ」「説明しだしそうにする」「出端のいい」
……このような言語感覚の持ち主の文章など読みたくないものだ。

また「貴下に迫ろうか、これを考慮するつもりです」といったような外国語特有の言い回しには、バーナード・ハットン『スターリン』を直前にも読んでうんざりしているところだ。

日本語による「旧新潮文庫版あとがき」を読むと、なるほど問題は翻訳能力プロパーにあるのではないことが判る。
そもそも「解説」が別にあるのになぜ「旧新潮文庫版あとがき」を載せる必要があるのか。
このことと有村隆広による「解説」の末尾に「高橋義孝閲」とあるのを考え合わせた時、何か高橋義孝という人格の特殊性が浮かび上がる。
せめて普通の日本語で翻訳されていたら、どれほどカフカの名声もいや増していたことか計り知れない。

本書は小説という創作形態の可能性を思い起こさせる。
漫画でも演劇でも映画でもない、小説ならではの魅力といったものは確かにある。

タグ:カフカ
posted by nobody at 06:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月05日

作品としての村上龍 〜村上龍『限りなく透明に近いブルー』〜

〈問1〉近代から現代へいたる日本文学のもっとも中心的な主題は何でしょう。

答え:〈私〉意識の解体。

〈問2〉本書を通じて唯一現実感を漂わせる箇所はどこでしょう。

答え:最後のリュウの黒い鳥幻覚シーン。

いずれも「解説」での今井裕康の見解である。
常々思っていることだが、小説の解説で文芸評論家はいつもご大層なご高説をこねくり回しているが、当の作家本人はそんなこと全く思ってもいないだろう。
むしろ当の本人が思ってもいない小難しい解釈を与えてくれてありがたがっているだろう。
だから解説者と作家の対談などは行われない。
仮に行われたとしても、作家は「え……ええ、そうなんですよ」と調子を合わせるに違いない。
「解説」というのはその実質というのはどうでもよく、いかにも高尚に見えるもっともらしく難解なことを言っていればよいのである。
それが小林秀雄以来のわが国文芸評論の伝統である。
冗長主義、逆説主義とともに、真の文学の阻害要因である。
“文芸評論主義”とでも名づけよう。
「ここでは、現実的なものが非現実感を与え、非現実的なものが現実感を与えるのだ」(p.158)
ほら、逆説もちゃんとあるでしょ。

〈問1〉、例えば現代における日米関係の源は何かと問われれば、それはペリー来航だ、という衆目の一致する見解というものがある(だから石原莞爾も「ペリーを連れてこい!」と言った)。
今井の設定しているのは最も普遍的な日本文学への問いである。
その回答として、誰も認めてないことを勝手に措定して論を進められるのだから、そりゃいくらだって手前勝手に論じられる。

〈問2〉、今井の主観以外の何ものでもない。
自分で「黒い鳥」は暗喩だと言っておきながら、現実感も何もあったものではない。

本書は、離れてしまうと清冽感を覚えるが、読み進めている最中は、しんどい。
短くてよかった。
生硬なのである。
24歳の処女作なのだからしょうがないといえばしょうがないが。

「モコは手をオスカーに固定されフルコートを塗り込められて悲鳴をあげる」(p.49)
「レイ子がビクンと腹を震わせ小便をもらして、乳首に蜂蜜を塗りたくってケイが慌てて新聞紙を尻の下に押し込む」(p.48)
「陽が沈む時、一部の雲が帯びる独特のあのオレンジ色に近かった。真空のガラス箱を走る、目を閉じても網膜に焼きつく白っぽいオレンジ色」(p.77)
「サブローは、ペニスに擦りつけるように足を折り曲げたり、開いて伸ばしたりしながら、自分はソファにもたれてほとんど仰向けになり、レイ子の体を尻を支点にして回転させ始めた」(p.47)
「回転」というのも非常に解りにくい。
「同時にものすごい速さで尻を回し始める。顔を真上に向けてターザンそっくりの声をだし、オリンピックの映画で見た黒人のヤリ投げ選手みたいに荒い息をして、灰色の足の裏でマットレスに反動をつけ、僕の尻の下に長い手を差し入れ、きつく抱きかかえながら」(p.64)
「今、赤い髪を背中に垂らし腰を曲げたリリーは人形に見える」(p.135)
「ゴム草履にも足の指にも血がついて時々包帯に触れる」(p.126)
「白い大きな車が雨を弾きながら道路すれすれにゆっくりと進んでいる」(p.57)

こんな文を読んでいかないといけないのである。
なるほど村上春樹の本が読まれるわけである。
彼の文章はつっかえるということがない。

私は速読できる者を恨めしく思っている。
本書の通読は私には耐え忍ばねばならぬ過程だったが、速読できる者はどれくらい耐え忍んで読んでいるのだろうかとは思う。
p.145に「グリーンアイズ」が出てきた時、私のように必死にページを繰り返さなくとも、彼らはp.60の前出シーンを即座に思い出せるのだろうか。
結びの文中の「灰色の鳥」とは中心主題の「黒い鳥」とは別のp.102の「頭に冠のような赤い羽根をもつ灰色の鳥」なのだとすぐに分かるのだろうか。
これまた中心主題である「起伏」、クライマックスシーンで出てくる前、p.84で出てきたのをちゃんと踏まえて読解しているのだろうか。

うまいな、と感じた箇所が2つある。
p.102で鳥のエサとしてポプラの根元に放り投げたパイナップルがp.126で再び出てくる。
普通ならここでちゃんと鳥がパイナップルをついばんでいるところ。
だが「夕方だし鳥は姿が見えなかった」。

もう1つは、警察官に踏み込まれるシーン。
「お前なんか自分のオヤジとでもやるんじゃねえのか?」とまで言われて普通なら“若者らしく”饒舌に反抗するところだが、返す言葉は「あの、煙草喫ってもいいですか?」「何かあったんですか?」のみ。

ヨシヤマがケイに未練たらしくヨリを戻そうと話し続けるシーンで、カズオは終始笑いをこらえ、ついには笑い出す。
カズオはどっちかというと弱そうな感じの男だ。
なのにケイには残忍な暴力をふるうヨシヤマが、カズオは一切スルーである。
ここは気持悪いものを感じた。

「鳥を殺さなきゃ俺は俺のことがわからなくなるんだ、鳥は邪魔してるよ、俺が見ようとする物を俺から隠してるんだ。俺は鳥を殺すよ、リリー、鳥を殺さなきゃ俺が殺されるよ」(p.146-147)

「限りなく透明に近いブルーだ。僕は立ち上がり、自分のアパートに向かって歩きながら、このガラスみたいになりたいと思った。そして自分でこのなだらかな白い起伏を映してみたいと思った。僕自身に映った優しい起伏を他の人々にも見せたいと思った」(p.149)

後者は村上龍の作家としての決意表明だという人もいる。
それはさておき、「黒い鳥」とはシステムの暗喩であり、「起伏」とはそれに立ち向かう一条の光である。
だが「起伏」はいかにも分かりにくい、なぜなら事物でなく形状だからである。

この「黒い鳥」がなければ芥川賞はなかったろう。

本書は諸要素のプラマイ評価を総合的に換算するならもちろん大きくプラスとなろう。
24歳のデビュー作としては、確かに屹立している。
いわゆる文学作品としては他とは異なる別のものといった印象であり、本書は一文学作品というよりは村上龍という才能そのものの表出といった観がある。

これを芥川賞として認めたというのは、まだ公然面における日本文学は形骸化していなかった、生きていたことを証明している。
まさかまだこの時代は又吉に受賞させるほど文学を巡る状況は悲惨ではなかったであろうから。



タグ:村上龍
posted by nobody at 04:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月30日

矛盾という名の愛 〜柴田翔『されど われらが日々――』〜

小説についてここに書く時は、小説としての仕立て・つくりの面と、主題・中身の面と2つの面からの批評を書くことになる。

まずは仕立て・つくりから。
初めによかった点をあげておくと、大江健三郎やコレットのような、いかにも「文学的」修辞とは無縁の文体であったことだ。
これでちゃんと芥川賞を受賞したのだから、まだ芥川賞にもまっとうさは残っているようである。

柴田翔は多作ではない。
その後の経歴は作家としてよりはドイツ文学者として生きた。
なんと彼は1969年、東大文学部助教授だったのだ。
全共闘運動は批判的に見ていたようだ。
やはり高橋和巳は偉かったことになる。

私はこれまで小説の陥りがちな一般的悪弊の1つとして、「冗長主義」と名づける傾向を批判してきた。
それの最もひどいのが松本清張であった。
今また、「逆説主義」と名づけるべき悪弊を見出してしまった。
逆説的表現こそ「文学的」で深遠でかっこいいとする考え方である。

初めて見出したのは小林秀雄「様々なる意匠」であった。
「劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない」
「この無力にして全能なる地球」
「芸術が自然を模倣しない限り自然は芸術を模倣しない」

三島由紀夫「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜萃」はこうだ。
「俺たちが不可能をもたぬということは可能をももたぬということである」
「海は限界なき有限だ」
「限界なきところに久遠はないのだ」
「なぜそれは崩壊の可能性にみちているのか。そして、なぜそれは久遠でありうるか」
「君たちは怯惰である。君たちを勇者という」

本書ではこんな感じだ。
「あの時ほど、野瀬さんが私に身近に思えたことはありませんでした。おそらく、あの時はじめて、私はあの人を恋人として愛することができたはずだったのでしょう。ただ、それでいながら、何故か、あの人への気持は急に醒めて行きました。それは悲しいことでした。それは、私のあの人への気持が、そういう質のものだったとしか、説明できないことでした」(p.166)
最後の1文などまさに、逆説万歳、矛盾万歳である。

「私が今あなたを離れて行くのは、他の何のためでもない、ただあなたと会うためなのです」(p.187)

一番ひどいのはこれだろう。
「私たちの息は次第に一つになり、あなたの嵐は私の中で波浪となり、私の中でうねり高まった潮はあなたの外に溢れ泡立ちました」(p.180)
完全に一体化してるよねえ。
「抱擁の間、私たちは一つの息をしながら、同時に、抱擁する前と同じだけ離れつづけてもいたのです」(同)
一体化していて、同時に離れていたと。なるほど。

かくの如き修辞に「高尚な文学性」を認める「文学のわかる」輩でも、「いやあ文学的ですなあ」以外に何か言えることがあるのだろうか。
形だけのごまかしであり、文学的実相の形骸化である。
眩惑に過ぎない。文学は眩惑であってはならない。
わからないくせにありがたがる付和者がいなくならない限り、真の文学は成らないだろう。

“愛し合いつつ別れる”でなくては文学(ドラマ)ではないという風潮がある。
素直に考えれば別れないんだから、どうしても無理を押すことになる。
本書の場合は無理押しの観がひどかった。
大橋文夫(主人公)が何をどうやろうとも、佐伯節子は予定調和的に離れていくといった感じだった。

文夫が自分の過去を全て曝け出して話したのは、節子との愛を本物にしようとしたからだった。
「あなたは誠実でした。あなたの前にいた私のほしかったのは、そんな誠実さより、たとえまやかしでもいいから、一歩私のほうへ歩みよってみようとするあなたの微笑だったのに」(pp.173-174)
と節子は言うが、これがそれではなくて何なのか。

もたらされたのは恐ろしい誤解だった。
節子はこう受け取った。
「それだのに、あなたは、ただひたすら、執拗に自分の過去の自己展開を見守りつづけるばかりで、それに新しい道筋をつけてみようとは、決してなさいませんでした。その時あなたがどうしても守ろうとなさっていたものは、私たち二人の明日の生活ではなく、何か全然別のものでした。あなたはその何か不毛なものに自分の全てをかけ、すぐそばで私が、あの子供の時と同じように、あなたがこちらを向いてくれるのをどんなに待っていたか、そのことは少しも判って下さろうとしなかったのでした。あの夜、私たちはただ別々の心を持って別れる他はありませんでした」(p.178)

白と言ったら黒と解釈されるのがありなのだから、処置なしであろう。
逆説主義という仕立て上の指摘は、このように主題とも関連してくる。
かくの如き絶対的すれ違いから別れるのだから、
「あなたは私の青春でした。どんなに苦しくとざされた日々であっても、あなたが私の青春でした」(P.187)
という総括は、美しい言葉ではあるが、相応しくないのではないか。
ただ美しい表現だという印象は残る。
しかしそれは先に批判した眩惑のようなものに堕してしまわないか。

次に主題・中身の面に入ろう。

主題は現代に生きる空虚さである。
村上春樹の主題がよく現代に生きる喪失感とされるが、その20年以上前にすでに同じ主題が表れていたのだ。
私も同じ主題を持ち合わせている。
「空虚の砂」をお読みいただきたい。

「自分の空虚さは一時的、状況的なものではなく、自分と空虚は同義であることを知った」(p.129)
これは文夫である。

「生きることの空しさ、それを知っても、知らないでも、その中で生きるしかない空しさが、和子の胸をついた」(p.135)
和子というのは大学時代の主任教授F先生と不倫しF教授を愛し続けながらも“ヴァジニティ”を重視する宮下(文夫の研究室の同僚)と見合い結婚していく女性だ。

本書の特質となるのは、その空虚感が、六全協と結びついていることである。
「従ってあの夏、党の無謬性が私たちの前で崩れて行った時、私たちの中で同時に崩れて行ったものは、党への信頼であるよりも先に、理性をあえて抑えても党の無謬性を信じようとした私たちの自我だったのです。
いえ、自我が崩れたと言っては、きれいごとに過ぎましょう。歴史の法則性とか、思考の階級性とかいう一見真実らしい粗雑な理論、というよりは、そうした理論の名を借りた大仰な理屈に脅かされて、眼の前に存在する事実を健全な悟性で判断することをやめてしまった私たちには、自我と呼ばれていいものがあったと言えるでしょうか。その時、私たちにつきつけられたのは、私たちには自我が不在であること、私たちは空虚さそのものであるということでした」(p.162-163)

突然高度な政治論を展開する節子に気圧されるのは別としても、この政治による救い(坂口安吾はそれを愚の骨頂と言った)=空虚さの救済=真の生の世界(解説者野崎守英の表現)の獲得というのは、本書の主題の堂奥のはずなのである。
もちろんそこを無骨に追求していくと芥川賞は取れぬので暗示に留めているが、そこは動かないはずである。
にも関わらず一般読者はこの堂奥に気づきさえせず、それどころか柴田が後に全共闘運動に対して前述のような態度をとったことを想起する時に、やはり「文学とは眩惑である」との観を深くせざるを得ない。

文夫と節子の付き合い、その心情描写はやけに淡々としていた。
「私たちは愛し合っていただろうか。それは判らない。恋人同士と呼ばれてよいような仕方では、愛し合っていなかったかもしれない。ただ私たちは、互に好感を持ち合っていたし、やって行けるだろうと考えていた。少なくとも、私は、自分たちの間柄について、そう考えていた」(p.14)

文夫による“将来設計”は以下のようだった。
「私たちは、これからもいとしみ合い、なごみ合って暮すだろう」(p.148)
「そうだ。思い出は、近い思い出も、遠い思い出も、みな私たちから離れて、死んで行くだろう。そして、残された私たちは、いとしみ合いながら、いつともなく老いて行き、やがて自らも死に果てるだろう。そして、私たちは幸福だろう」(p.149)

本書での「幸福」は、解説者野崎守英の言う「死物のように生きる」というニュアンスで用いられる(全てではないが)。
本書を重低音として流れる「幸福」の定義は以下のようになされる。
「いや、もっと正確に言うと、不幸が幾種類かあるんだね、きっと。そして、人間はそこから自分の身に合った不幸を選ばなければいけないのだよ。本当に身に合った不幸を選べば、それはあまりによく身によりそい、なれ親しんでくるので、しまいには、幸福と見分けがつかなくなるんだよ」(p.21)
本書での「幸福」は実存的な不幸なのだ。

ただ、文夫はそれを肯定的に使っている。諦めて言ってるのではない。
「それは、私自身思いがけない感情の嵐だった。私はその時はじめて、節子を心から大切に思った。今となっては、節子がどんなに自分にとって掛け替えのないものとなってしまっているかということが、堅い棒のように私の心を打った」(p.146-147)
しかし節子は「旅だって」(解説者野崎守英)いくのだ。

結局空虚さを突破する方法は、示されていない。

金言をひとつ。
「自殺する勇気がなければ、死ぬまでは生きていく他はない」(p.43)

野崎守英は批判も入れて解説を書いている。
珍しいケースで司馬遼太郎『峠』の解説以来だが、悪くはなかった。


タグ:柴田翔
posted by nobody at 06:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月21日

これは必然的帰結だったのか 〜立花隆『日本共産党の研究』〜

本来ならば論理的かつ体系的に正面から考察を加えねばならないところなのだが、そうすると例えば、なぜ「リンチ事件の事実問題とバックグラウンドを切り離して提出」すれば共産党と宮本が自己批判しやすくなるのかとか(『三』pp.248-249)、木島隆明が波多然に大泉兼蔵と小畑達夫の査問のことを話していることがなぜスパイというものに対して非常な恐怖心を抱かせることになるのかとか(同pp.153-154)いったような恐るべき細かい点を1つ1つ追求していかねばならず、そうすると分量は膨大になり論脈も拡散していき収拾がつかなくなるのでそれはやめる。

とりあえず読進と並行してツイッターに呟いていったことを再録してみよう。
ツイッターにはエピソードとして知らせたいことを中心にあげていった。

「関東大震災に乗じて権力=体制は、9人の組合活動家を素裸にして首を刎ねる亀戸事件という暴虐を行った。殺された1人が南喜一の弟だった。
南は工場、貸家、特許権を売り飛ばし、
『俺は身体を張ってこの不合理な仕組みを叩き潰してやる』
との一言を残し共産党員となり、以後12回投獄の闘士となる」
南は後に国策パルプやヤクルトの社長となる。

「関東大震災下、醜悪な社会主義者虐殺が起こったが、この時第一次共産党事件で一斉検挙されていた党員達は市ヶ谷刑務所に収容されていた。そこへすでに亀戸で9人を虐殺してきた憲兵隊が、さらに虐殺するために共産党員を引き渡せとやってきた。これを刑務所長は拒否。党員達は虐殺を免れた」

「戦前の日共再建ビューロー時代党を席捲した福本イズムの主福本和夫はドイツ語・ロシア語・フランス語が使いこなせた筈なのに、ブハーリンらコミンテルン幹部との政治生命のかかった政治討論に臨むとドイツ語と日本語のチャンポンしか喋れずケチョンケチョンにされたってのを聞くとなんだかなあとなる」
これは“語学が天才的にできる”とされる人の正体への幻滅である。

「(ロシア革命成功後このままいけば)2、3ダースの党指導者が指導し、支配し、実際にはその中の1ダースほどの卓越した人たちが指導し、そして、労働者の代表は、時折、会議に召集されて、指導者の演説に拍手を送り、提出された決議に満場一致で賛成することになる。__ローザ・ルクセンブルク

もし現在の道を進めば、党は党役員に代行され、党役員は中央委員会に、中央委員会はついに独裁者に代行されるような事態がくるであろう。プロレタリア独裁は、プロレタリアートに対する独裁にいたるだろう。__トロツキー」
これはボリシェヴィキの民主集中制に対する2人の予言である。

「組織か大衆か。革命党派は戦前も戦後も同じ命題を突き付けられる。革命的情勢(恐慌・戦争等)即ち潜在的に大衆を獲得している時機においては組織をとるのが正しい。そうでない時機即ち戦後であれば大衆をとるのが正しい……と言いたいところだがどうか。というのは戦後は大衆自体が反革命である」
世界恐慌から戦争の時代は、やはりレーニン・ボリシェヴィキ流の中央集権的組織論、あるいは福本和夫の分離・結合論で通すべきではなかったか。
なのに1924年のコミンテルン第5回大会では統一戦線戦術が採択されたり戻されてまた1935年の第7回大会では人民戦線方針が決定されたりして引きずり回されている。

「堺利彦、山川均、荒畑寒村。それこそ大逆事件の昔から反体制運動の歴史には必ず登場してくるが、結局彼らは、書斎から外に出ることを忌避したのだ。いくら理屈をつけてみても、己が身の保全を図ることから脱却することはなかった。これが妙に岩波臭い。これが日本知識人というものだろうか」
もしも労農派がコミンテルンから全く離れた日本革命を目指したというのならばそれは慧眼である。
しかし彼らは共産党員のように拷問、獄中十何年という目には遭っていないのでやはりそれを忌避したのであろう。
それにしても向坂逸郎の『資本論入門』を読んでやはりその志の本物性を感じたのだ。
向坂は労農派である。
「『人の途方もない愚行を目のあたりにすることは、しばしば悲しいものである』
とは立花隆の言だが、戦前のコミンテルンの日共指導こそ途方もない愚行であろう。アメリカは対日戦に臨みルイス・ベネディクトに『菊と刀』を上梓させ、日本人の心性を文化人類学的に徹底的に分析し尽くした。日本人に日本で革命を起こさせるのなら日本を知悉した担当者が日本で任にあたらねばならぬのは当たり前のことだ。現にゾルゲ機関では尾崎秀実を使ったではないか。上海に極東部長を置くだけでうまくことが運ぶ訳がない。しかし日本の党幹部に多額の資金を渡しているのだから遊びでもなかったようだ」

「しかし、悔いはないね。ブントの誰一人としてないだろう。やるだけやった。誰にやらされたわけでもなく、自分でやったんだからね。世界の先端きってもこの程度のことしかできなかったんだからアキラメはつく。__島成郎(元ブント最高責任者・書記長)
コミュニズムを放棄した時、俺たちが放棄したのは世界を把(とら)え得るという観念だったのだ。意味なんぞなくても人間は生きる__生田浩二元ブント事務局長(実質的な組織掌握者)

ブント最高指導者は、強い。安保闘争敗北後なお、島成郎は東大医学部に復学し精神科医となり家庭ももっている。生田浩二は東大大学院で近代経済学の履修を続け、ペンシルベニア大学に留学した(その後焼死)。青木昌彦はハーバード大学に留学し近代経済学を修め、同大学講師となった。西部邁のその後については皆さんご存知の通り。葉山岳夫と糠谷秀剛は司法試験に受かり弁護士となった。
これを皮相な目で見れば体制に日和ったと映るだろう。体制に楯突いて敗れたなら全て終わりとならず、彼らには体制さえ人生を切り拓く手段でしかないのだ。体制を絶対化・巨視化していない。利用できるものは利用する。そんなものに左右されるほど自分達は卑小ではない。

『思想と運動の総体が敗北したのだ。あれは左翼大衆運動の総決算だった』
と島が言うその通り、“壮大なゼロ”に終わった六〇年安保闘争は、日本最後の国民運動だった。もう、30万人が国会を取り巻くことはない。島が国会前で『このエネルギーが! どうにもならない!』と叫び腕を振り回したほど、あの時国会前には人民のエネルギーが結集していた。だがすでにそれを束ね導くべきオルガナイザーは存在しなかった。なぜそれほどまで人民のエネルギーを結集することが可能だったのか。それはやはり、ブント指導者の人間的器の大きさ、だったのではないか。
利用したのは体制の制度だけではない。例の田中清玄からの資金もそうだ。右翼から金をもらうなどとんでもない、田中清玄などCIAの手先ではないかと。
ならその田中は戦前特高からどんな拷問を受けたか。

『当時の警視庁および内務省特高課の人たちは私を蛇蝎の如く嫌い、燃えるような憎悪を叩きつけた。それだけに拷問も酸鼻をきわめ、大腿部を部厚い三角型の棒でつくったソロバンで絞りあげ、これを捻じ上げるのである。その痛さといったらなかった。『死ぬのじゃないか』という恐怖心が全身を嚙んでくるのである。が、私は身体が頑丈であったため、一回の拷問に四時間はもった。それが、かえって刑事や特高の怒りを煽った。ある特高は『貴様のような悪逆無道な奴は全人類と日本民族の敵だ』と叫んだものである。拷問を堪えていると遂に失神する。目を覚ますと夜になっている。手も足も動かなくなった身体は留置場に担ぎこまれ、翌朝また取調室の椅子にくくりつけられて、同じことが繰りかえされる。私の場合、拷問と失神の日が十数日間続いた。大腿骨にひびが入り、手の指は紫色に腫れあがっている。それでも私は自白しなかった』(『赤色太平記』)。田中清玄にはこの体験があるのだ。彼が日和ったか否か、推して知るべしであろう」
これだけ凄惨な拷問を受けた田中清玄が、どれだけ年月を経ようとも権力側に魂を売り渡すはずがない、と思った。
だから60年安保でブントへ資金提供した心算も読めた気がした。
特に田中は武装共産党時代の委員長であり、実際にピストルや匕首で何十人もの警官を死傷させているその頭目だったのだ。
その恨みを晴らす意図をもって特高は拷問にあたった。
なぜか田中清玄には呉智英のイメージがかぶさる。

「立花隆『日本共産党の研究』に日共が猛反発したというのも判らなくはない。
立花のさりげない口調が、鼻で嗤うかのような、腹の底で見下したような口調に思えるのである」

「これが権力=体制の本質であり正体である。
『わたしは三人の男どもにかこまれ、力のかぎりの暴行をうけて、頬はゆがみ、髪の毛はばりばりと抜け、背中は足蹴をくらいつづけて骨がいたみ、頭は竹刀でたたきつけられて、しだいに意識がくらんでいった。すると、かれらは、こんどはわたしをまっ裸にし__布きれ一枚つけないで__、捕縄をとりだすと、わたしを後手にゆわえあげ、そのあまりをもって、そこにある机にしばりつけようとした。それがうまくゆかないので、その腹いせのようにわたしをまたなぐりつけ、けりつけ、ついに足までしばりあげて、さかさにもちあげた。青木も栗田もいまいましそうに舌うちして、わたしをたたみの上になげつけた。そして、青木が手箒をもってきて、その箒の柄を、わたしの胯のおくにつっこんだ。つまり、わたしに女性としてのはずかしめをあたえようとしたのだった。わたしはそのはずかしめに、気が転倒するばかりにおどろき、もがいた。が、かれらはそんなことに慣れきっているのか、別に惨虐なことをしているうしろめたさも、気のとがめも感じているようすはなく、むしろ、そんなことをして、相手をはずかしめることを、たのしんでいるとでもいうようだった。箒の柄がうまく胯のおくにはいらないので、こんどは、栗田がわたしの上に馬のりになって、両手で首をしめた。『堕ちろ、おちろ、地獄へおちろ!』まるで芝居のせりふでも言うような言いぐさをし、かれは両手に力をいれた。わたしは手も足もゆわえられたままであり、抵抗できず、かれがしめつける手のなかで、しだいに意識をうしなった。しばらくして、意識をとりもどすと、こんどはわたしのからだをおこして、手足をしばったままで坐らせ、ふろしきにつつんだ鉄棒で、太股の上を、栗田が小突きはじめた。みるみるうちに、わたしの太股はあかくなり、紫色になり、ついにはどすぐろくなって、腫れあがった。痛さに泣きさけびながら、息もたえだえになってゆくわたしを、面白そうにながめて、栗田とその手下の男とが、かわるがわる鉄棒でうちつづけた」__中本たか子『わが生は苦悩に灼かれて』」
特高の拷問は、記録し伝えていかねばならない。

「1928年10月2日、日本共産党中央委員三田村四郎のアジトが特高警察に襲われ、三田村は逃れたがハウス・キーパー森田京子は逮捕された。森田はその後発狂し松沢病院に入れられた。逮捕後の流れは中本たか子と同じである。してみると森田にも性的なものを含めた凄惨な拷問が加えられたのであろう」

「戦前日本共産党に幹部遊興事件というのがあった。5ヵ月間で待合で5千円(当時帝大出エリート初任給55円)、党資金の4割を消散した。断トツだったのが中央常任委員渡辺政之輔で、53回。3日に1度は待合にあがっていた計算になる。なんだこいつはと一時は見下げ果てていたものだった。しかし渡政の最期はどうだったか。『党の秘密は死をかけて守れ』という党の鉄の規律を他の党員が守り切れぬ中、台湾キールン港で警察に追われ刑事を1人射殺し、拳銃をコメカミにあて引き金を引いた。…人の本性を、我々はその人の生き様(=死に様)によって知る。立花隆の筆致にもそれが伺われる」
なんだか死んでしまった者を尊重する傾向があるようである。渡政、市川正一、国領伍一郎、野呂栄太郎等々……。
なにか渡政には天晴に感じるところがある。

渡政と言えばもう一つ、
「渡辺政之輔が台湾でピストル自殺したのは1928年10月6日である。この事実が一般に伝えられたのは記事解禁になった1929年11月6日だった。
その19日後の11月25日、ようやく遺骨が遺族の手に戻り葬られたが、焼香を許されたのは母1人だった。参会しようとした者は全員検束された」

「戦前日本共産党中央委員鍋山貞親は、
『聖人君子ぶるわけではないが、待合では女は抱かなかった』
と証言した。待合にあがった回数は1928年4〜9月の間で29回である。で、彼は1929年4月29日、三田村四郎と共に赤坂の待合で芸者を抱いて寝ているところを特高警察に逮捕された」
これは鍋貞、矛盾するのでは?

党活動家と性のテーマも気になるところである。
上記の豊富な資金による待合遊興。
そして“ハウスキーパー”の存在。
立花は本論から逸れるため深くは触れていない。

「戦前の網走刑務所は真冬には零下30度、暖房を入れても零下9度まで下がる。蒲団に潜り込んでも吐く息で周りに霜柱が立ちバリバリに凍ってしまう。転向を拒否した市川正一と国領伍一郎は寒さと食糧不足で骨と皮になり獄死した。辛うじて生き延びた徳田球一は『網走送りは計画的な死刑である』と言った」

「株屋カネハンの小林武次郎は戦前の日本共産党のシンパで、浅草に世帯をもった徳田球一の生計をみ続け、徳球逮捕後は残された妻子の生活をみ続け、三・一五事件を逃れた幹部を匿った。党に絶大なる助力を成した。数年後、彼は共産党シンパとして世間の白眼視を受け、事業も不振に陥り、自殺してしまう」
共産主義に助力する株屋とはいかなるものか。
しかし小林もまた死ぬ。

「ブハーリンに対する福本和夫評価の豹変、『米軍の機関銃の前に立たされても強行する』と主張していた戦後二・一ゼネストの突如たる中止等をもって、徳田球一はよく変節漢と評される。ならば拷問に口を割ることなく、収監された党員が雪崩をうって転向していく中18年間“変節”しなかったのはなぜか」
「立花隆『日本共産党の研究』を読んでいると、徳田球一がかわいそうになってくる」
「マルクス『境遇が人間の思想を作る』。ある純真無垢な魂がある。それが産み落とされた時空に応じて、例えば坂本龍馬に、吉田松陰に、幸徳秋水に、大杉栄に、チェ・ゲバラに、徳田球一に変成する」
「返す返すも、徳田球一が宮本顕治に党内権力闘争で破れ去った時が、戦後日共の分かれ目だった。徳球の敗因は何だったか。どこかで宮本系の論客が吐露していたように、そうしなければ党員は食っていけなかった、という生活現実主義が優ったのだ。するとやはりこれは戦後特有の心的風景ということになる」
徳球に関心を抱き、夏堀正元『日本反骨者列伝』所収「陽気な指導者__徳田球一」を併読した。
そして彼も本物だと認めた。
彼の本格的追究は戦後編となろう。

「我々は立花隆とか司馬遼太郎とか、膨大な読書量・知識量を誇る“知の巨人”ならば、それに基づいて他者及ぶべからぬなんらかの真理なり世界観を築き上げているに違いない、と信じる。だが、それは幻なのだ」
「膨大な読書量と知識を誇る言論人がいる。その言論を読めば読むほど、その結果として途轍もない知識体系がその人の頭の中に築き上げられていることはなく、ただ『多くのことを知っている』だけに過ぎないと思わされるようになった。やはり人の評価は行動でなすべきなのか。サルトルの言うように」
私は本書を精読しながら随所に「立花苦しい」と書き込んだ。
冒頭に引いたような論理上の難点も見られる。
何か巨大な間違いのない知性が考察を進めているのではないのだ。
それにも関わらず立花には偉大なところがある。
それは“記憶力”だ。
これは後述の主要素に関わってくる。

スパイMに関しては、小林峻一・鈴木隆一『スパイM』を併読する。
「私は、父のことを尊敬していたというより、男性として好きだった__スパイMこと飯塚盈延の次女」
「さて飯塚盈延の動機は何だったか。山崎正和による以下の推測が一番近いところだろう。
『2人の主人に仕えるのが最も自由に生きる方法かもしれない。こっちの力であっちを倒し、あっちの力でこっちをひしぐというのは、機械のようになっている社会の中で個人が自由になる1つの道かもしれない。自分を押えてくるやり切れない2つのもの、それを操っているときに解放感があったんじゃないか』
スパイ活動時代のMは、共産党及び特高というバックを持ち、双方からの支持を受けつつ、しかし、そのいずれからも離れて自主独立の立脚地を見出し得ていたのだ」
以上2つは小林峻一・鈴木隆一『スパイM』より。
「生まれてこないのが最も幸せだ。しかし、生まれた以上はどんなことがあっても生きつづけるべきだ。__飯塚盈延(スパイM)」
「スパイMこと飯塚盈延の死去が1965年9月。立花隆『日本共産党の研究』の連載が1976年1月から。その差、10年4カ月。惜しかった。立花が飯塚をインタビューしていたら……。中核派の本多延嘉へのインタビューは、死の直前、奇跡的に実現していたがなあ」
「スパイMこと飯塚盈延の人生はまさに小説より奇なるものだった。ただ画竜点睛を欠く点が1つ、それは飯塚の戸籍問題である。戸籍の問題は子供らの就職にも影を落とし飯塚も『毛利(特高課長)が何とかしてくれる』と期待を寄せていたが結局好転せず終わった。毛利、そこは面倒見てやるべきだったろう」
「スパイM飯塚盈延は非常時共産党時代、党の家屋資金局を党の外に置き中央委員会の干渉を全く受けず自分一人で完全に統括していた。活動報告もする必要はなかった。1932年6〜10月の間だけで現在の貨幣価値に換算して10億のカンパを手にした。いくらでも流用しようと思えばできただろう。だが晩年の飯塚は家族に貧窮生活を強いた。娘は弁当を学校に持っていけなかった。自分一人だけ白飯を食べ妻子らには稗・粟を食わせた。妻の医療費すら自分が遣った。あの大金さえあればこんな窮乏はしなくてよかった。飯塚は着服していなかったのだ。ここに彼の本性の一端を垣間見ることができる」
「Mに関する部分は同書中の圧巻として評価が高い」(『スパイM』)
「立花『研究』には、いくつかのヤマ場がある。なんといってもスパイM=松村=飯塚盈延の追跡と、宮本顕治議長の直接関わったリンチ査問事件の探求が圧巻である」(加藤哲郎「『日本共産党の研究』金脈批判以上の衝撃」『立花隆のすべて(下)』所収)
こっちは全文全身全霊を込めて精読しているのに、やはり“一般には”このような読まれ方をしているのか。

「スパイMこと飯塚盈延には立花隆は接触できなかったが超スパイ松原には69歳で存命で会うことができた。そして現党員高江州重正(当時全協委員長)と直接対決させ、松原のスパイ汚名を雪いだ。残念なのは松原を直接リンチして殺そうとした岸勝(当時党中央委員候補)と直接対決させなかった点である」
加藤哲郎は上の寄稿中でこの件を史実の解明で最大の功績としている。

「日本人には難解なものをありがたがる卑屈な特性がある。いわゆる権威主義であり、王様は裸だと言えないのだ。『日本共産党の研究』を読んでいたら転向論のところで吉本隆明が出てきた。もうこれだけで吉本隆明など読みたくなくなった。「『非転向』も転向の一形態」など、レトリックの遊びに過ぎない。難解さでけむに巻くためにわざと「モデルニスムス」などという近寄り難い用語を使う。初めから「近代主義」と言えばよい。
難解な現代思想を解りやすく解きほぐしているのを売りにしている『そうだったのか現代思想』の著者・小阪修平すら、同書の中で『わかりやすい思想のほうがいいんだろうか』といった言い方をしてわかりにくさの必然性を認めさせようとする。吉本も『解りやすく言う必要など全くない、解らないのは読者の頭のせいだ』としてふんぞり返っている。
見るに耐えないのは読者の方で、そんな奴の言説など無価値とすればよいのにかえってありがたがり権威づけている始末である。解りやすく言えないのは言ってる者の頭が悪いからなのだ(これが『王様は裸だ!』にあたり、言えない)。〈知る〉ことにとって〈解る〉とはアルファでありオメガである。解らないことには〈知る〉の第一歩も踏み出せない。吉本隆明は井沢元彦、立花隆、小室直樹の爪の垢でも煎じて飲めばよかろう」
呉智英も『吉本隆明という「共同幻想」』の中で解りやすく言えないのは頭が悪いからだと言っているそうだ。

「小室直樹は三島由紀夫の決起自決において自衛隊員のサラリーマン化を慨嘆したが、より深刻なのは学者のサラリーマン化である。現在の社会科学系学者は、一切信用しない。戦後抜け出ようとしたのは高橋和巳くらいではないか。戦前の河上肇、野呂栄太郎は偉かった。己の言説に責任をもった。
1933年、逮捕された山本正美に代わり委員長となった野呂栄太郎は、幼少時関節炎を患い右脚を切断して隻脚となりさらに結核と慢性盲腸炎と闘いながら自らの学者生命(講座派始祖)も肉体的生命も党再建の為に投げうった。休養を決め最後の連絡で逮捕。最後まで調書を取らせず、33歳で絶命した」
本当に現代の知識人は怯懦極まりない。
彼らの最高の望みはせいぜいテレビ・コメンテーターになることだ。

「幼少の頃私は母と子の読書会というのに属していた。町で会を仕切っていたのは波多という温和なおばさんだった。その夫が、戦前日共で数十日間に渡り凄惨なリンチを受けた波多然だった。彼はスパイ容疑を頑なに否定し通し、最後は額に焼火バシで×印の烙印を焼き付けられ、額を髪で隠して余生を送った」

「日共の詭弁は、何も考えない大衆に焦点を合わせている。手法は日常用語の意味論的意図的混同。『小畑達夫の死因は特異体質によるショック死』と主張するが、法医学上のショック死の概念は日常用語におけるショック死と全く違う。法医学上は外傷性ショック死とは外傷と死の間に因果関係があるのである。火傷で死ぬのは“火傷性ショック死”。
『ああ、なんだ宮本さんのリンチで死んだんじゃないのね』
と思い込ませる。また
『宮本顕治に対する確定判決は治安維持法違反で、政治犯。刑法犯ではない』
とも強弁する。これは観念的競合なのである。宮本の行為は治安維持法違反、監禁致死傷罪、逮捕・監禁罪、傷害罪、またその共同正犯、死体遺棄罪、銃砲火薬類取締法施行規則違反全てに該当するが、法律上このように罪状が複合する場合には一番重い罪の刑を課すように定められているのである。これを『治安維持法違反による処罰だ』と繰り返し、あたかも非刑法犯かの如く印象操作する。ハマコー殺人者発言の時もすぐさま日共の正森はかくの如き紋切り型の“反論”をなし、考えない大衆を騙しおおせている。考えない大衆をイメージ印象操作で騙そうとする奴らが人民のための党である筈がない」
これはこの論考の最重点だが、本書では随所にわたり、立花が日共から浴びせられたデマ攻撃に対して反論を加えているが、それで構築される日共というもののイメージが、この上なく薄汚い。
本書を読もうとした最大の動機が、
「日共って、そもそもあいつらどういう奴なんだ」
だった。
それを解明するのに立花は「迂遠なようでそれが最も近道であると思うから」「党史から現在の党を照射してみようという方法論を」とった。
でもやはり迂遠に感じられ、長い間積ん読が続いていた。
そしてついに党史を辿りきり掴み取ったのは、日共という集団の骨絡みの薄汚い本質だった。
そしてそれは宮本顕治の長期君臨によりさらに強められている。

「仔細に読めば粗がないこともないが立花隆『日本共産党の研究』の功績は絶大である。宮本顕治に対して、リンチ共産党事件を別にしても、ここまで言うかという原理的批判を行っている。例えば考えてみるとよい。その後徹底的に客観的たることを志向した『原発の研究』は誰の手によっても為されていない」
これもまた後に“記憶力”と結びつけて論じる。

さて次に、「読書メーター」にアップした各巻ごとのミニ感想も再録しておこう。
(一)
ウィキペディアもカバー文句も「通史」としているがそれは違う(立花本人が否定している)。本書の面白さは権力対革命組織の闘いの織りなすドラマの活写にあるとされ、そう見てしまうと立花の政治分析部分は仕方なく付き合わされる感じになるが、そこが案外深い。史的唯物論が必然的に革命理論となる理由、「内なる天皇制」による日本人の心性分析、初めて合点がいった。日本人のデジタル化が進む中立花の「現在の共産党を知るためには戦前からの党史を辿り直すのが迂遠なようで実は近道」とする方法論がどれだけ受容されるかも心配なところである。

(二)
革命近しという救い難き状況認識から天皇制打倒及びソ同盟擁護という非現実的な戦略・戦術に走り大衆の離反を招き党の貯水池全協は崩壊、さらに特高による弾圧は度重なりスパイが跳梁し指導部は破産、瀕死状態にとどめを刺したのが、佐野学・鍋山貞親に始まる転向の雪崩であった。実質的には1929年の四・一六事件で勝敗は決していたが、やはり32年テーゼ(天皇制こそ国家権力の中心)の誤りが敗北を決定づけた。金融資本がヘゲモニーを握るブルジョアこそ権力の中枢で天皇制は封建的遺物に過ぎないとする31年テーゼ草案が正しかったのだ。

(三)
まあとにかく大変な労作なのだから目をつぶらないといけないのだろうが……。単行本にはあった索引が文庫版では割愛されているのが致命的で、本書の資料的価値を著しく減じている。逆に「資料」として載っている「村上・宮永鑑定書」、これは全く不要、一般読者は一人も読む者はない。そしてとどのつまりの小畑達夫の死の描写が最後まで隔靴掻痒である。最後の最後になって「逸見は出獄後、このとき同時に別のある人間が、風呂敷ないしオーバーを首のところでグルグル巻きにしていたヒモを引っ張っていたことを友人にもらしている」って何じゃそれ!

あとネット関係で言えば、本書を読んで、ウィキペディアに「尹基協射殺事件」の項を新設した。
既にあった「尹基協」の項に「評価」を挿入した。
「四・一六事件」も編集した。
「飯塚盈延」の項も改変したかったが日共の圧力を恐れやめた。

「読書メーター」の(二)のところでも概略辿っているが、結局日共の辿った道行きというのは、「単行本あとがき」に次のようにまとめられたようになろう。
「共産党の組織が頭でっかちの逆ピラミッド型構造をしており、盛んな文書活動と、指令を下部に伝達していく連絡システム=街頭細胞までは作りあげていたが、指令が組織の末端まで届いたところで、それにもとづいて現実に大衆を動かすという、かんじんかなめの運動の実体化をになう組織の大衆との接点部分があまりにも弱体であったために、共産党の運動は大衆をゆり動かす運動とはならず、もっぱら党機関内部でのイデオロギー的自己運動として終始したという歴史的事実の発見にたどりつかざるをえなかった。それが大衆と結合できなかったために、その実体としての闘争は、国家権力に対して大衆の力を対置して行なわれる真の政治的権力闘争として展開することができず、国家権力の末端である特高との地下における暗闘でもっぱら終ってしまい、その局面では完敗したのである。そして、その敗北の総括が党内でついぞなされないままに戦後の党が再建されたために、戦後の党も戦前の党のコピーとして再構成され、その敗北を生んだ組織の体質的諸欠陥がそのまま遺産として継承され、党のカルチュアとして定着してしまうことになったのである」

一般的な読まれ方としては“権力対革命組織の闘いの織りなすドラマ”として本書は評価される。
だが、その“攻防”は“波乱”や“一進一退”といったものではない。
比較にもならぬ人員数を有した国家権力=特高が、比較にもならぬ資金・物資を使いたいだけ使い(例えば熱海事件での防弾チョッキの予算は3万円。現在の1億以上にあたる)、全国的な情報網を用いて包囲し、とにかく党員というだけで治安維持法で検挙できるのである。
何百人、何千人単位の検挙、検挙、また検挙。
初めから勝負になどならないのである。
ただ、毛利基特高課長の個人的力量が絶対的であったのか否かは検討の余地を残している。

そして時はまさに世界恐慌から戦争へという時代だった。
確かに革命にとっては千載一遇の時機だったろう。
仔細に見れば、戦前よりも終戦直後の方がチャンスだったのではないかと思う。
なんといっても、
「警察官のうちにも、共産革命の必然を信ずる者が多く、署長級の幹部でさえも共産党に迎合する」「署長級の会合のときも、公然と共産主義を礼賛する人がいて、日共や第三国人に圧力をかけられると、逮捕した被疑者を釈放したり、あるいは奪還されたりした。警視庁の留置場からさえも堂々と脱出した者もいた」(三p.262)
という時代状況だったのだ。

次に、左翼の言葉遣いと組織用語について。
逸見、宮本、秋笹、袴田の4人が中華料理店の片隅などで額をよせあって何度かコソコソ話しあった結果、大泉、小畑を査問しようということになったというだけのことを、宮本に言わすとこうなる。
「こういう次第で党中央部は、両名をスパイ嫌疑者として認定した白色テロル調査委員会の報告を採択して、両名を査問委員会に付する決定をした。すなわち、両名をのぞく、党中央委員並に候補者を加えた党拡大中央委員会を開催し、そこで正式に決定したのである。査問委員会は拡大中央委員会の出席者によって構成された」(三p.35)

とにかく彼らはこういった言葉遣いが習い性となっている。
「協議会を開催した」って、一体参加者は何人で、どこで「開催」したのか。
どうせ数人集まって料理屋で話し合ったんだろ。いかにも仰々しい。

「共産党の党史で多用される述語は、『――の宣伝をおこなった』『――と主張した』『――をあきらかにした』『――と呼びかけた』といったものである。要するに、共産党が何をしたかではなく、何を語ったかが主なのである。『――の運動の先頭に立った』『――たたかった』などの記述もあるが、具体的にどういう運動を展開し、どういう成果をあげ、あるいはどう失敗したかはいっこうに記されていない。実際には、ある主張の文書を出したことが『――の運動の先頭に立った』の実体である場合がほとんどである」(三p.188)

これは戦後の連合赤軍などを見ていてもそうである。
「――を勝ち取る」だの「――を確立する」だの、よくよく考えれば何も動いていない動詞。
これに「〜しなければならない」「〜を通じて」「〜するために」などをつなぎ合わせると、堂々たるもっともらしい言い回しになる。
ただ「〜する」と言えばいいところを、いちいち「大衆的に」だの「革命的に」だの「〜的に」をつける。
機関紙というものの役割がアジにあるところからきたのだろうが、言葉だけが浮き上がることになってしまった。

「念房内膜赤褐色未消、右心室腔ノ大サ尋常内膜赤褐色ニ染リ未消、三光弁肺動脉弁肉桂、腱索、乳嘴筋ニ異常ナク壁ノ厚サ〇・四仙迷筋肉淡赤褐色光沢ニ乏シ念房内膜赤褐色ニ染リ未消、卵円窩ハ約豌豆大異常ナシ、大動脉起動始部ノ幅六・〇仙迷内膜淡赤色ニ染リ粟粒大肥厚斑数個ヲ散在ス大動脉弁ニ異常ナク、冠状動脉走行尋常内膜淡赤色ニ染リ未消ナリ」(三p..291-292)

これは「資料三」として載っている「村上・宮永鑑定書」の一部である。
この調子で13ページに渡って続く。
読みにくい理由は以下の4つである。
@漢字が読めない。
A体のどこを指しているのか解らない。
Bそれが法医学上どのような意味をもつのか解らない。
C変色部の大きさの具体的な示し方として大豆大・小豆大・豌豆大・蚕豆大・胡桃大・鶏卵大との形容が用いられているがかえって分かり辛い。

一般読者はこの13ページを一人も読み通していない。
全く不要な資料だ。
こっちはこれだけ精緻な資料に基づいてるんだぞという共産党側への威圧効果を狙ったものだろう。

逆に、絶対必要なものが欠けている。
加藤哲郎も前掲寄稿で
「単行本に入っていた人名・事項索引が、文庫版では省略されたのが残念であるが」
と指摘しているが、人名・事項索引は絶対に必要なのに、ない。

立花は純粋な党史を書こうとはしていないために、記述は必ずしも時系列通りではない。
「〜については前に述べた」と頻繁に出てくるが、読み手はどこに書かれていたか捜すのに大変なこととなる。

『三』に入ると、これまでとは違ってつくりが粗くなる。
引用部が行中から始まったり、推敲が不十分だったり。

「(鈍体の打撃による皮下出血の)経験がない方は、自分で自分の腕でも足でも皮下出血するまで殴りつけてみるとよい。
宮本氏や袴田氏たちが小畑を裸体にして、みんなで小畑の体中にキスマークをつけたとはとても考えられないから、」(三p.226)
これがこのまま出ているのは、ある種のナチュラル・ハイ状態で書いてしまったのだろう。
それを落ち着いて推敲する暇もなかったのだろう。

「村上・宮永鑑定書」の掲載必要性を十分に吟味できず、絶対必要な人名・事項索引も作成できなかったのは、ひとえに文庫版校了の時間的余裕がなかったためだろう。
そして立花からすれば、人名・事項索引の必要性を自身は本質的には感じていないのである。
前どこに書いたかは分かるからである。

さてここで、立花の驚異的な記憶力についての話に入る。
結局立花を際立たしめているところの特殊能力は、その驚異的な記憶力によるのである。
なにせ立花は、自分の何万冊もの蔵書から1冊本を取り出されても、即座にそれについて精密な話ができるのである。
手塚治虫は膨大な自分の作品を並べた本棚から、アシスタントに「上から何段目の棚の左から何冊目、何ページの何コマ目」と指定して絵を描かせたという。
それと同じレベルの記憶力である。

栗原幸夫、しまねきよし、亀山幸三、いいだももら、いくらでも日共党史の欺瞞を暴いてきた文筆家がいるにも関わらず、彼らの著書が『日本共産党の研究』ほどのインパクトを与え得なかったのはなぜか?

立花は「研究手法」を公開している。
「私たちの手法を公開してしまえば、手間はかかるが、さして困難なことではない。要するに、あらゆる資料(聞き書きも含む)をバラバラにして、同じ時代、同じできごとについての叙述をひとまとめにして、それを比較検討していくという、研究者なら誰でもやっていることだ。ただ私たちは、ゼロックスを利用して、分業でやっているから、コツコツ一人でやっている研究者より、より多くの資料をより早くこなせることと、天才的な整理魔が三人ばかりチームの中にいるために、大量の資料を消化するための独特のノウ・ハウを開発しているだけのことである」(一p.255)
と誰でもできるような口ぶりだが、やはり実際にこなせるのは立花だけなのである。

最後に、小畑の死の描写のもどかしさについて述べておこう。
克明に描写されるとモロに宮本を攻撃することになるのであえて曖昧に扱っているふうでもあった。
だがここまで腹を括っておいて、核心のそこをボカすなど立花の気性からしてもあり得まい。
小畑リンチシーンの描写は明らかに克明の度が違う。
本書においてここの比重は明らかに重い。
立花の政治的目的がうかがえる。
それは己の意思なのか上からの要請なのか知らないが。

とにかく、もう絵として誰かにやってもらわないと、どうして小畑が死んだのかが判らない。
初めは袴田の著書『「昨日の同志」宮本顕治』からの引用である。
「宮本は、右膝を小畑の背中にのせ、彼自身のかなり重い全体重をかけた。さらに宮本は、両手で小畑の右腕を力いっぱいねじ上げた。ねじ上げたといっても、それは尋常ではなかった。小畑は、終始、大声を上げていたが、宮本は、手をゆるめなかった。しかも、小畑の右腕をねじ上げれば上げるほど、宮本の全体重をのせた右膝が小畑の背中をますます圧迫した。やがて、ウォーという小畑の断末魔の叫び声が上った」(三p.108)

これは1977年発表の文章である。
で、袴田は1978年に除名され週刊新潮に手記を発表し「リンチ事件に関して新証言をした」。
以下、その「新証言」。
「小畑の右腕をねじ上げれば上げるほど、宮本の全体重をのせた右膝が小畑の背中をますます圧迫した。やがて、ウォーという小畑の断末魔の叫び声が上った。小畑は宮本のしめ上げに息がつまり、ついに耐え得なくなったのである。小畑はぐったりとしてしまった」(三p..240-241)

どこが「新証言」なのだろうか。
初めの2文など上とほとんど同じである。

また袴田の『党とともに歩んで』からの引用はこうである。
「いきなり立ち上がった。わたしは後ろから組みついたまま、足を払ったので二人ともいっしょに倒れた。しかしかれは立ち上がるやいなや大きな声で『ワアー』っといったんですね。“助けてくれ”じゃなくてただ『ワアー』という声を出して、そして倒れた。寝ていた連中はみなこの物音に驚いて、この男に組みついたのですが、もうそのときにはガクッと力がぬけてしまっていた。つまり、それきり死んじゃったんですよ」(三p.211)

より判りにくくなっている。
で、最後に出てくるのは逸見証言。
「そしてこのとき、小畑の頭部は風呂敷ないしオーバーでぐるぐるまきにされており(宮本も含む各人の証言)、頭部近くには逸見がいて『逸見ハ声ヲタテサセマイト口丿辺ヲ押ヘタ』(宮本証言、他証人はより強い表現で同様証言。逸見は出獄後、このとき同時に別のある人間が、風呂敷ないしオーバーを首のところでグルグル巻きにしていたヒモを引っ張っていたことを友人にもらしている)」(三p.244)

「より強い表現で」って何だ!
「別のある人間」って誰だ!
この時
「宮本が小畑の体の上にのり、逸見が頭部をおさえ、袴田は腰のあたりを、木島は足のほうにとりついていた」(三p.107)
ならばどう考えても袴田だろう(あるいは逸見自身か)。

役者が揃っている。
秋笹はこの後総白髪と化して発狂・獄死。
木島はどんな拷問でもお任せあれの下っ端。
私は以前テレビで「日共の木島」を見かけた時にその人相に非常に嫌な印象を抱いた。
もちろんこのリンチ事件の木島隆明ではないが、ひょっとしたら血縁者かもしれない。

日共の壊滅は、歴史の必然だったのか。
この道を辿るしかなかったのか。
よしんば戦前の帰結が運命だったとしても、戦後の再出発までなぜダメになったのか。
言うまでもなく宮本顕治がブチ壊したのだ。
宮本顕治をそうあらせたのは戦前の党史である。
れんだいこ氏は彼のスパイ説を唱えている。
なるほどそれだと随分合点がいく。
しかしスパイが12年間監獄にブチ込まれるだろうか。
とにもかくにも、日本で革命を志す党派は本書を基礎学習文献とすべきである。



続きを読む
タグ:立花隆
posted by nobody at 05:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月03日

進歩の概念への懐疑 〜宮本憲一『環境経済学』〜

近代文明と環境


かつて、「進歩」という概念は、「平和」や「自由」などの概念と同様、所与のごとく存在し、その絶対的意義を疑う者など誰もいなかったし、また疑う必要もなかった。

ところが現代という時代の最も大きな特徴は、“マネタリズムの総帥”ミルトン・フリードマンが「ノーベル賞受賞者百人による討論」の中で言ったように、その疑う余地もなく当たり前と見做してきた「進歩」という概念に対して懐疑を抱いてかからねばならなくなった点にある。

それを最もストレートな形で指摘していると思われるのが、市井三郎『歴史の進歩とはなにか』の中にみられる以下の件(くだり)である。

「だが、人間歴史の『進歩』とは何であったのだろうか。
まさに西欧近代は、人間歴史の『進歩』が必然である、という強い信仰を生んだのである。
18世紀いらい、その信仰を根拠づけようとする著述は、数多く書かれてきたではないか。
にもかかわらず、進歩の理念それじたいが、まさに懐疑にさらされているのが現代の特徴なのだ。

それを時代の病弊とはいえないだろう。
『進歩』への懐疑には、正当な理由があるからである。

科学技術の『進歩』なるものは、人類みなごろしの可能性を現実のものとした。
水爆やその運搬ミサイル技術の『進歩』なるものが、何を意味するかを少し正気で考えてみれば、そのことは自明とさえいっていい。
だがさらに、それだけではないのである。
公害の問題は、究極兵器の問題を別にしても、人類みなごろしの可能性を示唆しはじめているではないか。

(略)少なくともこれまでの『進歩』の思想には、どこか根本的にオカシイところがあったといわねばならない。
人間歴史のある面での『進歩』のゆえに、人間がすべてみな殺しの予感あるいは圧政下に生きる、といった帰結を生じるとすれば、そのような『進歩』は進歩の名に価いしないはずだからである。

『進歩』の理念と歴史の現実とは、すでに現代、このようにはなはだしいズレを見せるにいたった。

(略)無限の高度経済成長なるものは、原理的に不可能なのである。

(略)単純素朴に必然的『進歩』を信じる歴史観が、ここで根本的に吟味されねばならぬのである。」(P.9〜16)

似たような言い方は、世に氾濫するいわゆる「環境論」に必ずといっていいほど登場する。

立花隆は『エコロジー的思考のすすめ』の中で言う。

「同じように、進歩という概念についても、われわれはもう一度考え直さなければならない。

進歩とは、目的論的な方向性をもった変化のはずである。
人間が進歩ということばを用いるケースをいくつか検討してみよう。
漢字の読み書き能力の進歩、料理の腕前の進歩、よりこわれにくい時計を作る技術の進歩……こういった目的が明確に設定されている進歩はよい。
だが、こうした日常的な、ミクロの進歩のベクトルの総和がどちらを向いているのか、その到達地点であるマクロの目的についての構想はあるのか__だれもそれを考えていないようである。

どうやら、人間はこの点に関しては予定調和の幻想に酔っているらしいのだが、現実には文明のベクトルは予定破局に向かっているような気がしてならない。
そしてなお憂うべきことは、このベクトルの長さ、つまり速度がますますはやまりつつあることである。

生態学の観察する自然界での変化の速度は正常な変化であるかぎり緩慢である。
生物は、あるスピード以上の変化には、メタボリズム機能の限界によってついていけなくなるからである。

進歩という概念を考え直すに当たって、生態学の遷移という概念が参考になるにちがいない。
遷移のベクトルを考えてみる。
その方向は系がより安定である方向に、そして、エネルギー収支と物質収支のバランスの成立の方向に向けられている。
その速度は目に見えないほどのろい。
なぜなら、系の変化に当たって、それを構成する1つ1つのサブシステムが恒常状態(ホメオスタシス)を維持しながら変化していくからである。
自然界には、生物個体にも、生物群集にも、そして生態系全体にも、目に見えないホメオスタシス維持機構が働いている。

文明にいちばん欠けているのはこれである。
それは進歩という概念を、盲目的に信仰してきたがゆえに生まれた欠陥である。
進歩は即自的な善ではない。
それはあくまでも1つのベクトルであり、方向と速度が正しいときにのみ善となりうる。

いま、われわれがなにをさしおいてもなさねばならないことは、このベクトルの正しい方向と速度を構想し、それに合わせて文明を再構築することである。」(P.220〜221)

また、『地球を救え』の編者であるジョナサン・ポリットは『世界』1991年11月号に掲載された「地球を救うための三条件」と題する論文の中で指摘する。

「近年の歴史においては、1つの世代の行為は必ず次世代の生活をよくする、というほとんど暗黙の仮定が存在してきた。
戦争をしなければならないとしたら、その後には平和がつづくだろう。
犠牲が必要だとすれば、繁栄がその報いになるだろう。
それは1つの世代がごく自然に次の世代の未来を保証しようとする集合的な動機の一部であった。

明日を犠牲にすることによってのみ今日の繁栄があり、子供の安寧がわれわれ自身の飽くことなき要求(ニーズではない。というのも、地球の生命維持システムを破壊しているのはニーズを満たす行為ではないからだ)を満たすために犠牲にされつつあるという認識は、非常に重要な情緒的・心理的ターニング・ポイントを記すものである。
多くの人がそうした認識を共有した時にはじめて、指数重視の経済成長と世界的な物質的繁栄という死の罠からわれわれ自身を救いだすための真に政治的な行動の余地が生じるだろう。」(P.215)

聖学院大学専任講師(経済学)である柴田武男氏は、同誌1992年2月号の中の「企業社会は地球環境を守れるか」という論文において、バルディーズ原則の前文から以下のような引用をしている。

「企業とその株主は、環境に対して直接的な責任を負っている。
(略)企業による利潤追求は、それが地球の健康状態と保全とを損なわない限度において行われるべきものであると信じる。
企業は、次世代が生存に必要なものを手に入れる権利を侵害するようなことは、決してしてはならない」(P.63)

無論のことながら同趣旨のことは、本書でも1972年の国連人間環境会議の開会の席上におけるワルトハイム国連事務総長のことばなど、満遍なく散りばめられていることは言うまでもない。

そして「進歩の概念への懐疑」という問題提起に対する結論も、ほとんど全てのいわゆる「環境論」においてはパターン化している。
その代表的言詮を1つだけ、前出ジョナサン・ポリットの論文より引用しよう。

「私たちの未来はそうした『世界は一つ』の意義を再発見し、絶えず『自然を征服』しようとしてそれと戦うのではなく、それを祝福することを学ぶことにかかっているのだ。
当然これは大きな哲学的転換を表すが、なによりも重要なものである。
なぜなら私たち自身と自然界との最終的な疎外が癒されうるのはこのレベルにおいてなのだから。

(略)歴史は自己満足の余地をほとんど許さないが、私たちが充分に賢く、情け深いと想像するのは、最終的には信念の問題である。」(P.217)

と、最後は結局各個人における「意識変革」、すなわち心の問題に全てが委ねられる。
だが、こんな甘っちょろいことを言っているようでは環境問題の解決など望むべくもない、というのが私の見解である。
心の問題に解決を求めるなら求めるで、もっと徹底すべきである。
ともあれ現在の先進諸国の生活水準の維持を前提としているうちは、全ての方策は思弁の域を出ない。
人間は一度覚えたうまみからは離れられないし、自分たちだけが特別な負担を強いられることに最も強く抵抗するものなのである。

近代文明と環境を考える場合、常に「進歩」の概念への懐疑という問題と照らし合わせるべきだろう。


資本主義と公害


初め、私は公害を資本主義(自由経済競争)の専売特許だと考えていた。
しかし環境問題の鉄則は本書にもある通り、「素材からはいって体制へ」という方法論である。
どちらか一方だけを追っていたのではまさしく片手落ちそのものである。
当初の私のように「体制」のみから環境問題を捉えようとすれば、本書と同じく
「では社会主義国に公害が存在するのはなぜか」
という陥穽に嵌まるは必定である。

案の定、資本主義に公害は必然的と見做すのは短絡的であるということが、前出の柴田武男氏の論文を読んで判明した。

自由経済の下の企業経済体制に問題ありとするならば、自由経済の元祖アダム・スミスにまで遡らねばならない。

スミスの『国富論』といえば、「見えざる手」のみ有名となっているが、実はこの一節全体の主語は「会社」ではなく「各個人」である。
さらにスミスは当時の特権的合本会社の業務運営を、「怠慢と浪費」という用語を用いて批判している。
つまりスミスの考えた経済主体は決してこうした合本会社なのではなく、自然人たる各個人、すなわち「人間」そのものであったというのだ。

これがどういうことを意味するのかは、彼がまた『道徳感情論』の著者でもあったことを想起するとはっきりする。
スミスはこの中で人間本来の行動原理として「共感」原理、すなわち自己規制を挙げており、それを前提として自由な経済活動が認められるという論理構造をとっている。
ところが現代の企業経済体制の主体たる株式会社にはこの「共感」原理が働いていない。
したがって、純学説的に、公害は資本主義体制の宿命と結論づけるのは短絡的、ということになるのである。

ゆえに、資本主義も、社会主義と同じく理論より実践に問題があったということになり、今後の課題としては現実の歴史の流れの上での資本主義の展開に、素材論も付け加えて問題の所在を探るという方法論が有効であると思われる。


PPP(汚染者負担原則)


PPPという政策原理は、よく考えると、当たり前といえば当たり前である。
むしろ、それが今まで当たり前の原則として機能できなかったところに問題があるのではないか。

このPPPに関する注目すべき動きが今春(1992年)あった。
アメリカが地球サミット憲章の草案(「環境と開発に関する宣言」)の中で、PPPを強調した上で、自由市場の原理を環境保護にも貫徹させる必要性を指摘したのだ。
今後とも世界の環境政策の主流として、ますますその重要性が増していくと思われる。


公共信託財産


この概念は資本主義の眼目たる経済の自由競争という概念と真っ向から対立する。
また人間の「自然は無限である」という気宇壮大な誤解にも正面から是正を迫るものである。
その意味で、今後の環境問題への対策として欠くべからざる視点といえるが、見方によっては公共機関(政府)の特権という見方も成り立ち、やはり最終的合意に至るまでにはかなりの紆余曲折が待ち構えているだろう。
                (1992年、21歳)


タグ:宮本憲一
posted by nobody at 00:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月02日

環境問題の凝縮としてのハイテク汚染 〜吉田文和『ハイテク汚染』〜

こういう類いの、環境問題に関する専門書(入門書)を読むと、いつものことながら「知らぬが仏」という諺がしみじみと感じられてならない。
危機だ危機だと、ただ漠然と騒がれてもそれまでだが、こういうふうに数字や物質名を逐一詳らかにされると、たちまち目の前に暗雲が垂れ込め、どうしようもない無力感・脱力感に襲われてしまう。
これまで高榎堯『地球の未来はショッキング!』、福岡克也『地球大汚染 黙しているのはもう限界だ』、岡庭昇『飽食の予言』を読んだ時もそうだった。

さてここで、本来なら環境問題についての一般論に入るところだが、とてもちょっとやそっとの枚数で述べられるものではないので、省略しておく。
ただ一言だけ言っておくと、私は環境問題に対して極めて悲観的な見方をしている。

本書の感想に戻るが、かつてハイテク産業といえば、それはいつもクリーンであると言われたが、今やその神話は崩壊した。
有機溶剤による地下水汚染、有毒化学物質問題など、やはり環境汚染の原因になりうる。
そこへもってきて“日本”という特殊性。
本書では最初の方でアメリカのシリコン・バレーの現状レポートがあり、環境保全に関して日本より遥かに法規制等が整備されている
(例えば、人の健康に関わると認定されている有害廃棄物質は日本ではたった9物質なのに対して、アメリカでは450物質である)
アメリカでさえこの有り様だ、果たして後半の日本の現状の杜撰さはいかほどか、と早くも心配になったが、その予感は見事的中した。

宮崎市では半導体工場の排水箇所よりも下流に水源がある、というのはほんの一例である。
日本政府・企業の基本方針は
「地下水保護の法整備については、『発ガン性』の疑いだけで規制するのでは不十分であり、また環境への蓄積性が確認されるまでは使用を規制しない」
ということだが、こういう本末転倒な考え方は、全て環境破壊の諸悪の根源の1つである「生産至上主義」に起因している。
この方針は要するに金儲けのためには大規模な「人体実験」をも容認しますよ、と言っているに等しい。

環境問題の一般論についてはここでは触れないと前述したが、本書には、環境問題一般についていえることが、ハイテク汚染という一例を取り上げていながら、全て集約されていると言える。

「東芝太子工場は、正式には汚染の責任を認めず、あくまで『寄付金』として、水道切り替え費などを支払っており、いまだに勇気塩素系溶剤の使用を続けている。
原因調査にあたった県当局は、地下タンクからの漏れを事実上みとめながら『原因不明』とし、土壌ボーリングによる深度別汚染分析も十分行わず、住民の健康調査も必要なしとした。
住民は井戸水の安全性に不安をもちながらも、散水や風呂に依然として使用している」(P.141〜142)

「半導体製品自体の性能向上が第一の目的であるから、そのための原料ガスや工程には苛酷な条件が求められる」(P.88)

「これらの措置(引用者注『安全な飲料水と有毒物規制に関する1986年法』(プロポジション65))が過剰警告になり、消費動向によって経済的に不利益になる人の出ることを州政府は恐れているが」(P.56)

これら3つの引用は、「環境破壊の元凶の1つは生産至上主義である」ということを象徴しているし、

「以上のように、洗浄剤は有機溶剤にしても、フロンガスにしても、いまや出口なしの状況を呈しているのである」(P.34)

「第四に、浄化のためのばっ気(蒸散)法は、大気への揮発を通じて大気汚染の可能性がのこる」(P.67)

「つまり、水の量と質に大きく依存するハイテク産業が水を汚染したことで、自らの行動の自由を制限されることになったのである」(P.73)

これはの引用は「環境保全運動の八方塞がりの状態、限界」を示唆しているのである。

また、
「工場の誘致・立地にあたっては、自治体と地域住民は、その工場が何をつくり、何を使うのかをよく知らねばならない」(P.185)

という一節は、
「環境問題にあたっての、当たり前なのに忘れられてしまった純然たる前提」
であるし、それに対しての政府の、
「化学物質についてのデータは企業の財産であるとする政策」(P.186)
は、やはり前に戻って、「生産至上主義」の成せるワザである。

ハイテク汚染問題は、これら全ての環境問題に共通する要素を内包している。
よってハイテク汚染を解決しようとすれば全ての環境問題も自ずと解決されるし、逆に言えば全ての環境問題を一括して解決する方法でなくては、どんなに小さな環境問題の1つさえも解決され得ないということを、肝に銘じるべきである。
                (1991.9.30、20歳)

タグ:吉田文和
posted by nobody at 03:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月18日

シュプレヒコールに耳を塞いで 〜三田誠広『いちご同盟』〜

※これは本書を貸してくれた子への手紙として書かれたものである。

山川健一『僕らは嵐の中で生まれた 第1部 初めての別れ』のミニ感想を、私はこう書き出している。

「『青春小説』というのだろうか。(略)村上龍『69 sixty-nine』や村上春樹『ノルウェイの森』、三田誠広『やがて笛が鳴り、僕らの青春は終わる』『高校時代』、そして本書。
これらの本はどうしてこうも読みやすいのだろうか。
抵抗なくスッと胸に入ってくる。
遅読をもって鳴る私が、この本は足掛け2日で一気に読んだ。
いや『読まされてしまった』といった方が近い。」

とにかく読みやすい。
現在では誰もが経験する学校生活、中でも色々と思い惑う、いわゆる思春期の中・高校生活をベースにしているからだろう。
読書に慣れていくには絶好の書物だ。

当初、教科書だけを読むと、どうも私の知っている三田誠広の文体よりもぎこちない気がした。
きっとこれはデビューしたての頃の作品だと思った。
だが刊行は1990年とあり、ごく新しい。
そこでこう考えた。
いつもの彼の文体の“濃さ”“アク”がないのは、意識して教科書掲載を狙ったのではなかろうかと。
教科書に載る文章というのは、最近は若干“規制”が緩くなってきたけれども、基本的に中性的な文体でなければならない。

しかし本書に没入しているうちに、そうした“教科書的折り目正しさ”はいつしか消え、いつもの彼らしさ、彼の世界に浸ってしまった。

前述したように、私が特に「青春小説」にハマるのは、まず第一に「学生生活」という普遍的体験をベースにしていることによる読みやすさがあるからだが、それともう1つある。
それは、現代作家の「青春小説」には“学生運動”がモチーフとしてあるからである。

“学生運動”__それは現在の学生からは想起できない。
だから想像もつかないだろうが、かつて日本の学生たちは、日本を変えようと起ち上がったのだ。
マスコミで取り上げられるのは、その最終的破綻である連合赤軍あさま山荘事件・同リンチ事件や内ゲバといったものばかりである。
だが1つだけ確実に言えるのは、当時の「暴力学生」の方がはるかに真剣であり、真摯に勉強していたということである。
運動の渦中で人知れず挫折、自殺していった者は数知れない。
良一の父もかつて学生運動をし、良一の読んでいた本も運動家のものであった。
「内ゲバ」「セクト」「デモ」「新左翼」という言葉の意味を、あなたは理解できただろうか。

「自殺というものが、一種の病気だとすれば、この病気は伝染する。」
この一節を目にした時、電気の走るような衝撃を覚えた。
まさに私が心で温めていたことだからである。

私の考えていた“学生運動・死者の系譜”というのは、まず60年安保闘争の中で、国会前で機動隊に殺された東大生・樺美智子(自殺志願で国会前に行ったという説もある)。
死後、彼女の遺稿集『人知れず微笑まん』が出版され、それに横浜市立大生・奥浩平が共鳴し、学生運動に身を投じ、自殺し、そして出したのが『青春の墓標』。
それに共鳴し、学生運動に身を投じ、同じく自殺したのが立命館大生・高野悦子。
彼女の著作が『二十歳の原点』。
この本こそ、座右の書どころか棺桶に必ず入れてもらいたい、我が人生の書物である。

この系譜からいけば、私も学生運動に身を投じなければならないところだったが、私が大学に入った頃にはそんなものは消え失せていた。

P.S. 『やがて笛が鳴り、僕らの青春は終わる』はいつ返してくれてもよろしい。
昨年使った高野悦子に関するレジュメを進呈する。
                (1998.11.7 27歳)

タグ:三田誠広
posted by nobody at 01:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月11日

題名に偽りなし 〜長谷川幸洋『日本国の正体』〜

『けものみち』にも『独断 これが日本だ』にも騙されてきた。
現代日本の権力構造を具体的に知ろうとしても、これまでの権力構造解明本は読者の前提知識の設定レベルを誤っていて、筆者は自明のこととして論を進めていくのだが読み手の方は専門用語のイメージが掴めないのでウヤムヤのままに残されていった。

いや、本当のことを言うと筆者も本当には解っていないのだ。
だから具体的に解りやすく書けるはずもない。
試みに手近の『朝日キーワード』でも何でもいいから「総会屋」の説明を読んで見るといい。
根底から理解できるか。
「利権」という言葉の内実を詳細に説明しているか。

以前歴史書でこんな経験をした。
信長と光秀のことを知ろうとして100冊くらいの本を読んだのだが、例えば松永久秀の死の様子を具体的に知ろうとしても、どの本も同じようにしか書いてないのだ。
つまりコピペ、孫引きだらけなのである。
知らないから書けない。

その点本書は、例えば「ばらまき」を「国民の特定層や特定業界に恩恵を与える財政支出」ときっちり定義してくれる。
権力構造の解明が読者を置いてけぼりにせず書いてあるので、もっと知りたいという知識欲に引っ張られてグイグイ読み進んでしまう。

日本の真の支配者は、官僚である。
官僚がご主人様で、政治家はポチである。
事務担当官房副長官と3人の官房副長官補が、日本の権力機構を牛耳っている霞が関の番頭である。

2009年、公務員制度改革では漆間巌官房副長官の水面下工作が奏功し、漆間が内閣人事局長のポストを奪取した。
政策金融改革では経済危機対応を大義名分に日本政策投資銀行と商工組合中央金庫の完全民営化を見直す法案が提出された。
かくして小泉政権以来の改革路線は同年3月に至って全面的に敗北したのである。

的場順三官房副長官(当時)は渡辺喜美行革相(当時)を、
「公務員制度改革をこれ以上やったら倒閣運動が起きるかもしれませんよ」
と脅した。
その前日の事務次官等会議で漆間巌警察庁長官(後の官房副長官)は天下り斡旋全面禁止案に対して
「こんな案とんでもない。現職の警察官に自分で職探しをやれというんですかっ」
と物凄い剣幕でまくし立てた。

さて事務次官等会議とは。 
定例閣議前日に開かれる法的根拠のない会議で、閣議にかけられる案件は同会議で承認されたものに限られる。
事務次官等会議にかけられる案件もまた、事前に官僚が密室で行う各省協議で調整済である。
したがって国会審議に全く意味はない。

議員会館では毎日のように何十人もの官僚が飛び回り、自分達が作った法案の議員への刷り込み工作を行っている。
党の部会や国会論議は、議員会館で打ち合わせた質疑応答をただそのまま繰り返すだけの三文芝居に過ぎない。

実質的な議論は各省協議で終了しているのである。
すなわち日本の行政の最高意思決定機関は閣議ではなく、法的根拠をもたない官僚同士の事務次官等会議なのである。

前期安倍政権時の法人税減税路線は、安倍の登用した本間正明税調会長の女性スキャンダル発覚により崩壊した。
これは官僚の謀略だった。
安倍は税調からの財務省の影響力排除を図っていた。
財務省幹部は、本間に長年同居している女性がいることを知った上で、公務員宿舎への入居を世話していたのだ。
事件後、主計局官僚は「あれは私達がやった」と語っている。

小沢一郎は政権就任後に各省庁の局長級以上の国家公務員を一旦退任させ、その後民主党政権に忠誠を誓う人間を政治任用する(アメリカはそうしている)計画を表明していた。
天下りの全廃も打ち上げていた。
霞が関は民主党政権誕生を絶対阻止しなければならなかった。
小沢の第一秘書が逮捕されたのはその直後である。

審議会の実態とは。
マスコミのお偉方は、審議会の委員に選ばれると箔がつくのでなりたくて仕方がない。
で、選ばれると当然官僚と癒着する。
例えば財務省主計局が牛耳る“審議会中の審議会”財政制度等審議会の会議では、あらかじめ主計官が委員を訪ねて質問や答弁内容について打ち合わせする。
会議には予行演習があり、主計官の答弁を練習する。
本番での質問は事前に適当な委員に振り分けられている。
質問も答弁も同じ主計官が書いている。
会議は進行表で時間が制限されており、主計官の説明が長引くためまともに討議できない。
政策や議論の方向性はあらかじめ決まっている。
委員の異論で政策が変更することはあり得ない。
官僚にとって審議会は、有識者の意見も伺ったというアリバイ工作をして、実行する政策の権威付け・正当化を図る場でしかない。

法務次官・警察庁長官・警視総監・事務担当官房副長官の4者の集う水曜会という会議があり、そこでは治安問題の情報交換が行われる。
ここで霞が関官僚のトップ、守護神である官房副長官の元には逮捕情報等の要人に関する重要案件が入ってくる。
それで漆間は小沢一郎秘書逮捕の際「自民党側には波及しない」と言えたのである。

学者やエコノミストは財務省に気に入られないと日銀審議委員や政府関係機関の役職に推薦され天上がりできないし、財政審などの審議会メンバーになれないので、財務省の誘導しようとする方向に追従する。
マスコミ記者は嫌われたら取材がしにくくなり己のキャリアを危うくするから官僚に逆らえない。

官僚が予算要求において真っ先に考えるのは、所管する独立行政法人に仕事を回す大義名分である。
仕事を回せばカネが回せる。
その後に形上の政策をくっつける。
真の狙いは領土を拡大し天下りポストを安泰にすることである。
そこには国民の生活のための政策立案といった観念が顔を出す余地は全くない。

各省庁は予算を受け取り、その相当部分を自分の所轄する独立行政法人や公益法人に回し、さらにそこから子会社的なファミリー企業へ仕事を発注する。
カネは天下りしたOBや任期付き研究員の人件費に消える。
財務省はこの常態化したカネの流れを一切公表することはなく、実態は厚いベールに包まれたままである。
解明しようとすると石井紘基議員のように殺されることになる。
国民の血税を、分からないように好きに使っていいのである。

07年度現在、独立行政法人や公益法人など約4500の法人に、約25000人の霞が関官僚が常務理事などの形で天下りしており、その天下り先には12.1兆円が補助金や助成金などとして国庫から支出されている。

官僚は新産業の業界団体を作り、財団法人や社団法人化を目指し、OBを専務理事で迎えるように促す。
これで天下りポスト一丁上がりである。
これが専務理事政策である。
次に基準認証制度を作って規格試験を実施し、試験料を徴収する。
これが専務理事の人件費に化ける。
舞台回しをした官僚には局長間違いなしの出世が約束される。
新産業の創出(成長戦略)は日本経済・国民生活の安泰のためではなく、官僚の利権作りのために必要なのである。

官僚の行動原理は天下りの開拓、既得権益の拡大、増税である。
官僚は係長頃になると、自分が天下りの恩恵に預かるには先輩の天下りポストを開拓せねばならないことを、先輩から聞かされて知る。
天下りポストは退官時の役所のポストに準ずるから、昇進する必要がある。
昇進の判断基準は、どれだけ先輩の天下りポストを開拓できたかである。
これが官僚が天下りを必然とするシステムである。

財務省の究極目標は増税である。
税収が増えればその分配も増え権力基盤が増していくことになる。
それを使って天下りポストも増やせる。
減税は金の使い手が国でなく国民自身であるため、財務省の権力に何のプラスにもならないのでさせない。
赤字国債は増えれば増えるほどむしろ良い。
その解決策として増税を強く打ち出せるからである。

マスコミ操縦術。
官僚は大きく取り上げてほしい(世論誘導したい)情報があると、まず書いてもらう新聞を選ぶ。
次に「○○記者だったらこっちの言う通りに書いてくれますよ」と記者を選ぶ。
そして携帯電話で呼び出し、紙(政策ペーパー)を渡して説明し「よろしく」と頼めばおしまいである。
こうして官僚御用達の記者ができあがる。

私は以前、衆院選に際して民主党のマニフェストを完読したのだが、その中に小さく一項目としてある「天下り全廃」、これだけでももし実現したら革命であると書いた。
それはその通りだったことが本書を読んで分かった。
天下りこそ官僚のレーゾンデートル、できるはずがないのだ。

全ての政治家は官僚に振り付けられる。
つまり全ての政治家はヘタレである。
西郷隆盛のような鉄の志をもった義士は、今いないのである。
田中角栄を最後として。

谷垣禎一と与謝野馨は財務省の走狗・下僕・代弁者であった。
そしてその谷垣を唯一信頼に足る自民党政治家と推していたのが、週刊現代だった。

小泉以降の政策課題、すなわち郵政民営化、政策金融改革、財政再建、地方分権・道州制、公務員制度改革は、その底で真の争点である「霞が関改革」に収斂していた。
新聞はその視点を示さずバラバラに伝え、なおかつ官僚の骨抜き工作も伝えず、それどころか「官僚バッシングは意味がない」と改革派を矮小化した。
これぞマスゴミの振る舞いだった。

今後の課題は、官僚支配の打破を標榜していた民主党政治家が政権掌握後に官僚に手もなく籠絡されていった過程の分析である。
洗脳か、弱みを握って(作って)の脅しか。
まあ後者のような大それたことを徹底する胆力を官僚は持ち合わせていないだろうから脅しは従だろう。
民主党政権の崩壊過程は、渡辺喜美『いつまで官僚の「日本破壊」を許すのか』で解明されるだろう。

結局のところ官僚が姑息な策を様々に弄することに成功するのは、屁理屈で煙に巻いて騙す能力に長けているからである。
受験ロボット教育での偏差値学力を、そこで活かすのである。
民衆が騙されてしまうのは、結局のところ己の頭で考える論理力がなく、官僚の言うことを鵜呑みにし思考停止してしまうからである。

それにしても官僚の天下り論で腑に落ちないのは、なぜ官僚のみが己の退官後の再就職先に汲々としないといけないのかだ。
官僚→定年退職、それだけで終わっていいではないか。
民間だとそれだけだろう。
しかも官僚は民間の2倍近く高い給与と退職金を得ているのだろう。
この点を明確に解説したものを未だに見ない。

あと疑問に残るのは、あれほどワンフレーズ繰り返し断言で世論を誘導するのに長けた小泉が、なぜ「霞が関をぶっ壊す!」とは言わなかったのか。
小泉は官僚と闘っているのだ。
テレビでもコメンテーターは、本書のような明快な官僚批判は「規制」されていてできないのか。
官僚悪の事象紹介は「TVタックル」などで稀にやるが、本書のような本を読まないと、官僚の薄汚い実態を体系として知ることはできない。

書籍でしか真実がバレないのならば、官僚的にはオールOKである。
本を読んで思考を鍛えるほど国民の知的レベルは高くないと安心しているからである。
書籍は世論に影響しない。
それであればこそ、「言論の自由」を与えてやっている。
また「小難しい本」を読めないようにするために、テレビを普及させた。

最後に残る疑問は、なぜ官僚だけがこのような騙しのノウハウを確立できたのかである。
それを結びで筆者は「日本社会の縮図論」で説明している。
官僚だけではなく、日本社会そのものに瀰漫する普遍的なやり口だというのである。
そうだとすると確かに謎は解けるが、同時にシラケてしまう。

まあしかしもし本書の内容を国民の共通認識にすることができたら、官僚を打ちのめすことはできるはずである。

タグ:長谷川幸洋
posted by nobody at 00:15| Comment(1) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月08日

滅びという武士の必然 〜司馬遼太郎『峠』〜

現今の自分の境遇と重ね合わせることは、一切やめる。

継之助は己の性欲が強いことを自覚していた。
吉原での小稲、京での織部との逢瀬。
旅に出れば旅籠で女を買う。
松陰とは正逆である。
松陰の禁欲を思うと、嫉妬も湧き素直に感情移入できない。

何か反発のような感覚を抱きながら、河井継之助の生き様を辿っていった。
反発というのは、なぜ継之助は力があるのか、なぜ人は彼に従うのかということだった。

最後には彼は長岡藩7万4000石の筆頭家老になり、戦争が始まると総督になり、「諸藩連合会議(長岡・会津・米沢・村松・上山(かみのやま)・村上の6藩+旧幕軍)の座長」にまで成り上がる。
文字通りのトップであり、それなら文句はない。
問題はそれ以前だ。

客観的な権威の裏付けがないのになぜ権力があるのか。
その秘訣は威圧と屁理屈のような論理にあるように思う。

前者に関しては
「気ニヨリ圧スノミ」といった記述があったし、後者については横浜への対露警備行軍を途中で放擲しての遊郭行きにおける言い訳
(その分藩の経費を救った、警備に就けば逆にロシアに侮られた等)
が好例だろう。

解説で亀井俊介という米文学者が言っていた通り、継之助の人物像は
「矛盾するところがあって捉えにくい」
というのが客観的なところなのだろう
(亀井氏は「解説」中で本編への批判臭いことを書いていたが、初めてのケースだ)。

例えば
「福沢(諭吉)は乾ききった理性で世の進運をとらえているが、継之助には情緒性がつよい。
情緒を、この継之助は士たる者の美しさとして見、人としてもっとも大事なものとしている」(中P.426〜427、カッコ内引用者)
とあるかと思えば、
「継之助は、にがりきっていた。
ーー一同、それぞれの藩の宰相、もしくはそれに準ずるものではないか。
とおもうのである。
一藩を宰領してゆくのは涙ではない、乾ききった理性であるべきだと継之助はおもっていた」(中P.560〜561)
とあったりする。

しかるに司馬は継之助を
「すべてにおいて原理原則を貫かないと気が済まない」
男と道破しており、その通りなら矛盾など生じようはずもないのだが。

原理を追求する継之助は威圧と屁理屈により
(その緩衝剤として「おみしゃん」「〜してくりゃえ」というかわいらしい話し方をする)
局面を打開し、その結果として成り上がっていった。
だがそれはなんとかかわしてきた、悪くいうと糊塗してきたのだ。
本質的な方法ではない。
いつか行き詰まる時がくる。

それが彼の運命を決した小千谷談判であった。
不運はある。
相手の官軍軍監が岩村高俊という弱冠24歳の小物だったこと。
もし官軍総指揮官黒田了介(清隆)か山県狂介(有朋)であれば談判は成功していたかもしれない
(後に松門の品川弥二郎は「なぜ黒田了介か山県狂介が出て直接河井に会わなかったか」と悔やんだ)。
それは継之助の人物を知っていたから。
しかし裏を返せば、継之助の威圧と屁理屈という虚飾を剥ぎ取ってむき出しのままで本質的に対峙した場合、継之助のやりようは通用しないということの証明なのだ。

ここで初めて、継之助のやり方は挫折した。
それは見ていて痛々しいほどだった。
何度断られても断られても、何度も何度も嘆願書を官軍総督の公卿に取次いでほしいと頼み続ける。
ついにそれは叶うことなくここから継之助が去ることにより北越戦争の幕は切って落とされることになる。
後に新政府部内で一致した反省がもたれたのは、継之助を去らせたのは官軍の大きな失敗だったということであった。

北越戦争。
それは維新の内乱中最も激烈な戦争と呼ばれた。
西郷吉之助(隆盛)は喝破した。
「奥州の敵は、土佐の板垣退助にまかせる。
北越こそ、戊辰の関ヶ原である」。
この戦争では松陰門下の時山直八が戦死している。

継之助の心はこうだった。
「しかしながら智謀などはたかが知れたものだ。
智力のかぎりをつくし、あとは天をも震わせるような誠意をもって運命を待つしか仕方がない」(下P.257)。
「人間、成敗(成功不成功)の計算をかさねつづけてついに行きづまったとき、残された唯一の道として美へ昇華しなければならない。
『美ヲ済(な)ス』それが人間が神に迫り得る道である、と継之助はおもっている」(下P.301)。

継之助は左肩、続いて左膝下に被弾し、それが元で命を落とす。
最も印象深く残ったのはその結びのシーンである。

「松蔵は作業する足もとで、明りのための火を燃やしている。
薪にしめりをふくんでいるのか、闇に重い煙がしらじらとあがり、流れず、風はなかった。
『松蔵、火を熾(さか)んにせよ』
と、継之助は一度だけ、声をもらした。
そのあと目を据え、やがては自分を焼くであろう闇の中の火を見つめつづけた。
夜半、風がおこった。
八月十六日午後八時、死去」(下P.431)

総括は次の文になろう。
「長岡という小藩にうまれたことは継之助にとって不幸であったが、長岡という小藩にとっても継之助を生んだことは不幸であった」(下P.347)。

司馬はあとがきで
「私はこの『峠』において、侍とはなにかということを考えてみたかった。
それを考えることが目的で書いた」
という。
武士というもののある意味究極まで洗練された比類のない美の人間型。
しかしその行き着く果てが藩もろともの破滅であったというのなら、それが武士の必然的帰結というのだろうか。



タグ:司馬遼太郎
posted by nobody at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月24日

感受性に賭けるしかない 〜Think the Earth プロジェクト『百年の愚行』〜

もう、地球環境問題も賞味期限が切れかかってきた頃だ。
もちろん、問題は消えたわけではない。
さらに悪化している。
我々が飽きただけだ。
今でも毎年地球上からは北海道+四国+九州分の面積の熱帯林が消え続けている。
マダガスカル島ではかつて国土の8割あった森林が、今では2割となった。

色んな揶揄はあるだろう。
「光と陰の陰だけだ」
「もっと他にもあるだろう」

私にはこの100枚の写真の選択は、なかなか味があるように思えた。

アメリカのワシントン州では低レベル核廃棄物を詰めたドラム缶が無造作に土砂に打ち捨てられている。
1961年アメリカペンシルヴァニア州セントラリア付近の炭鉱で起こった地下火災は現在でも燃え続けている。

1935年頃アフリカで捕まえられ両手を広げて上に縛り上げられたゴリラの瞳は何を見つめているのか。

サンフランシスコの道路料金所は15レーンもあり、全て上から下まで渋滞。

ニューメキシコ州アラモゴルドで人類史上初めて核爆発する時、大気が爆発して地球が破滅する可能性があった。
科学者達はその確率を「100万分の3以下」と算出し、実験に踏み切った。

1984年インド・ボパールで起こった化学工場爆発事故。
最終的な死者数は16000人。
土から顔だけをのぞかせた乳幼児の瞳は、茶色く濁っている。

チェルノブイリで被曝した赤ちゃんの頭が、後ろに細く長く伸びている。
なんだかよく分からない。

1988年アフガンのジャララバードで弾帯を巻いて大の字になって水面に浮いている顔を潰された兵士は、子供なのではないか。

1989年アフガンのカブールの病院でベッドに横たわる地雷により両足を失った少女。
写真は一瞬だが、彼女はこのままこれからの人生を生きていかねばならないのだ。

20世紀に起こった戦争は1億以上の地雷を残し、年間10万個撤去されているが、このペースだと全て除去しきるのにあと1000年かかる。
撤去は手作業のため、年間60人が作業中に死傷している。
撒布の方はハイテク化が進み1分間に1000個撒けるようになった。

白人用と黒人用と分けられた洗面台(1950年アメリカ・ノースカロライナ州)。
アパルトヘイト反対集会に集まった黒人に発砲する白人警官
(76人死亡。1960年南アフリカ・シャープヴィル)。

ルーマニアでHIVの混入した血液を輸血され、HIV感染した4308人の幼児とエイズ発症した5179人の子供。
そのほとんどが孤児である(チャウシェスクが中絶を禁止したため)。

セントルイス号の俯く2人の少女(1939年ベルギー・アントワープ)
後に乗客(907人)のほとんどは収容所に送られた。
まことに写真でしか伝えられないのは表情である。

砂の上に顔を横に向けて横たわり、「死にかけている」ルワンダ難民の子供(1994年旧ザイール・ゴマ)。
ゴミの山の上で座って泣く子供(1996年フィリピン・ルパング・パンガコ)。

99枚目の写真には「死を待つ人々の家」が出てくる。
そう、マザー・テレサ。
救済の象徴、マザー・テレサ。
目の前の1人を救ったとしても、全体から見れば微々たるものでしかない。
しかし1人の人間にできることは目の前の1人を救うことだ。
私がボランティアというものに抱き続ける割りきれないもの。

この100枚の写真を見ると、社会とは何か、政治の目的とは何かという原初が浮かび上がる。
せめて政治家だけでも見てほしい。

全ての人々がこの本を読めば、確実に何かは変わるはずだ。
まだ人々にはこれらの写真から何事かを受けとる感受性が、残されているはずだ。

posted by nobody at 17:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月23日

厚顔無恥な矛盾の書 〜林秀彦『日本人はこうして奴隷になった』〜

徹底的に現代日本を批判し、ついには読者に喧嘩を売る。
救いもない。もうダメだという結論である。
反論する者はいないだろう。
もう“手がつけられない”レベルだと判断して。

「日本人は奴隷である」を初めとする前半の所論は、私と軌を一にするところだった。
それで引き込まれたわけだ。

だが全体は破綻している。
「次に私が一見詩のような短い文節の文章でこの本を締めくくるのは、決して詩作を試みたのではなく、君たちを信じずバカにしている現われだと知っていただきたい」(P.335〜336)
「人間を信じる以外に人間に道はない。
当たり前の話だ」(P.345)
これだけで充分だろう。

「日本人に生まれたことは、呪われたのと同じことだ」(P.330)。
で、
「人類が滅びつつあるとき、日本民族がいかにすばらしかったか、
われわれしか人類を救えなかったのだ」(P.343)
とくる。

様々な哲学書からの引用があり、筆者が博覧強記なのは分かるし、それらの部分部分はためになる。
所詮そういうものしか本に求めてはいけない時代なのだろう。

あくまで己の思想を完成させる材料として読むべきだ。
頭の中で己の世界観の点と点が結び付いていく実感は得られた。

これほどボロカスにけなし「生きていけない」とする日本社会に、筆者はどうやって生きていっているのかと思わざるを得ないが、宜なるかな、筆者はバブルの頃日本を捨てて、18年間オーストラリアで暮らしてきた。
そして死を迎えるために日本に戻ってきたのである。

一体どんな立場からの批判なのか。
筆者は高名な脚本家らしく、加えて哲学の素養がある。
語学も堪能らしく、語源からの解説が多い。

だがとりあえず脚本家の現代社会論としては、随想的な中身を期待するものだ。
それは具体的でもある。
高齢者免許講習の話や入院時の尊大な院長の話、また定住先の大分での演劇指導の話などがそれにあたるのだが、そうしたお望みの場面は少なく、なんだか落ち着かないページが結構な分量続くのだ。
それが語源知識を披瀝しながらの哲学チックな、大学入試の現代文素材に近い部分なのだが、例えば免許講習の話と病院の話に「尊厳」ということの哲学的・言語学的な説明を絡めて延々とやるのだが、要するに
「高齢者免許講習と入院の際、私は人間の尊厳を踏みにじられた」
と言いたいのだろう?  という印象しか残らない。

「ドラマのラッパ」「人間尊厳のラッパ」の章ではこうしたタイクツな文章が続く。
「ドラマのラッパ」の章では筆者の本分の演劇論に力が入る。
演劇とは最高の芸術であり、演劇こそ人間そのものなのだそうである。

かつて矢口高雄の漫画で演劇を崇高に愛する先生が出てきた時に抱いた演劇への違和感は、しかし消えることはなかった。

変なもので評論にも流行り廃りがあり、ひところの「西洋礼賛、日本は遅れている」論の流行から環境問題の生起等を経て「いや日本の良さがありそれが世界を救うのだ」論へと移り変わったが、その伝でいくと筆者の主張は前者である。
でもそれなら西洋(その中心は人間学だが)はそんなに素晴らしくうまくいっているのか?  とツッコミを入れたくなる。
その伝で、
「日本語は非論理的」で
「日本人には創造力がなく模倣しかできない」、となる。
いずれも流行りの文明論では否定されていることである。
それはやっぱりそうなのか?

「インチキゲンチャー」や「限界の根底」という筆者独自のキーワードが出てくるが、「限界の根底」という言葉遣いはどうもピンとこない。

誰にも文章のクセというのはあるのだろう。
筆者の場合は「体言、」の用法が独特で読みにくい。

確かに哲学の素養は高いのだろう。
だが筆者はイルミナティの陰謀を信じている。
もしそれがと学会の言う通りトンデモ論だとしたら、高度な学識が途端に虚しくなってしまう。

個人的には「遺伝計量学」に関する記述が一番ショックだった。
バカの子はバカという……。




タグ:林秀彦
posted by nobody at 23:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月19日

青春時代の恋愛こそ人生至上のものである for「踊子」 〜浅田次郎『見知らぬ妻へ』〜

◆「踊子」
珠玉である。
誰しも1編だけだったらこうした物語を人生にもっている。
触発されて私も書いてみたくなった。
先にやられた感もある。

「死ぬまで損なわれず、傷つきもしない宝石のような記憶を、ナオミは僕の胸にそっと置き、そしてたぶん僕も、ナオミの白い腕にそれを托したと思うから」(P.41)

村上春樹『風の歌を聴け』の最も好きな一節を彷彿とさせる。
青春時代の恋愛はまさに一生の宝であり、換言すればそれこそが人生の目的なのだ。

「忘れない」という言葉も重要だ。
お互いがお互いを「忘れない」と言い合っている。

ひと夏の恋愛だった。
ナオミは同棲している大学生の子を孕んでしまい、産む決意をして中央本線で帰っていくのだ
(コーはその大学生を袋叩きにし、ナオミと別れさせるのだが)。

幕開けのシーン、出会いのロング・キスシーン、そして別れのシーン……。
実に素晴らしい。

性的な描写はあるが、主人公コーとナオミは情交していない。
代わりにコーから譲られる形で親友のマモルがナオミを抱く。
といってもコーは18歳の高校生ながらセフレが3人いる。
なおかつ回想している30年後の現在は医者になり社会的成功も収めているとくれば、セフレなど絶無で社会的地位もない私は嫉妬せざるを得ない。

朝まで踊れる螺旋階段の店にいる時少年課の一斉補導が入り、外に出て逃げ出そうとするコーにいきなりナオミがキスをして恋人のふりをすることによって助けたのが2人の出会い(=恋の始まり)なのだが、ファインプレー賞はそのラブ・シーンをしばらく観賞して
「たいがいにしろよ」
と見逃した刑事かもしれない。

青春時代の火の出るような熱い恋愛が、人生には必要なのだ。

◆「スターダスト・レヴュー」
スターダストというサパー・クラブで主人公圭二がピザソースを作るシーンなんか特に、『テロリストのパラソル』を彷彿とさせる。

10年前にチェロを捨てた圭二
(今はスターダストでピアノの弾き語りをしている)
が凱旋記念コンサートで今や世界的指揮者となった関東交響楽団音楽監督小谷直樹と再会し、オーディションとして10年ぶりにチェロを弾くシーンはよかった。
演奏イコール節子を回想するシーンなのである。

ただ、圭二の別れた恋人節子が小谷の妹だというのが判りにくい。
圭二と別れた後小谷と結婚したのかと誤解していた。
では圭二が小谷に感じた「暗い嫉妬」(P.75)とは何なのか。

普通物語の設定としては、圭二のチェロの腕前は極上でなくては収まらぬはずだが、圭二がオーケストラをドロップ・アウトした理由(節子と別れた理由)は指揮者からヴァルガー(下品)と言われたからだし周囲も同調している様子だった。
またオーディションの結果も小谷に 
「暗い音」「何のために、こんなことをした」
と言わしめるものだった。
ならば小谷はなぜそんなに圭二の腕前を買いかぶっていたのか。

圭二の節子への愛も、
「夢に見ぬ日は、一日もなかった。
君はどうか知らないが、僕は十年の間ずっと、君を愛し続けてきたよ」(P.76)
と言うが、
「本当のことを言うと、君と恋をして結婚すれば、僕の未来は拓けると思っていた。
つまり君に恋するより先に、僕は君の家に恋をしていた」(P.77)
「あなたが好きですと言ったのは君の方だった。
正直のところ、僕はあのとき感激するより先に、しめたと思った」(P.78)
とあるので感情移入できない。

さらに言うと
「高校生のころからずっと、僕らみんなのマドンナだった」(P.76)
節子がなぜ「内気で変わり者」(P.76)で「まわりに敵も多い」(同)圭二に惹かれたのかの描写も弱い。

圭二が後半でエリ
(十代の家出娘の頃知り合った。赤坂の夜をくらげのように漂っている。最後は圭二のアパートに居候することになる)
を抱いた後
「けさのエリは妙に自分と似合った。
エリが変わったのだろうか。
いや、そうではあるまい」(P.74)
との描写があるが、これが
「勝手ばかり言ってすまないけど、君を愛することは、もうやめる。
赤坂も、それほど悪い町ではないから──」
との決意につながっているのだろうが、結局節子を諦めるのは本心なのかどうかがはっきりしない。
本心ならもっと強い現在の生活(赤坂)への思い入れの描写があってしかるべきだ。

結びも、
「『ジャ、ジャ、ジャ、ジャーン』
牛刀を握って俎板に掌を置いたとき、さて右にしようか左にしようかと、圭二は少し迷った」(P.82)
となっているが、「右にしようか左にしようか」の意味が解らない。
あえて謎を含ませているのか。
まさか掌を切ろうとしているのではあるまいが。

◆「かくれんぼ」
『20世紀少年』のような趣がする。
題は「もう、いいよー!」の方がよかったのではあるまいか。

結局ジョージが行方不明になった真相は明かされぬままである
(英夫の推理するように恨み重なる
(ジョージはパンパンのあいのこだから差別された)
町への復讐としての狂言という蓋然性が高いが
(と書いたら「大がかりな狂言よりも、そう(失踪だと)考える方がやはり自然だろう」(P.112)とある)、
そうするとジョージの母親の立ち去る時の「恨みがましい目つき」(P.110)の説明がつかない)。

刑事が聞き込みに来た時英夫は
「一緒に遊んだけれども、夕方かえで山で別れた」(P.110)
と答えたが、
「口裏を合わせたわけではなかったが、由美子も同じ答えをした」(同)。
偶然としてはできすぎであろう。

英夫と由美子との「乾いた結婚生活」(P.113)
(由美子は結婚前に武志と付き合っており、英夫との結婚は腐れ縁の尻拭い(これもよく考えると分からないことだが)だという考え方)
はこの少年時代のトラウマとつながりがあるという設定なのだが、由美子がその事件の起きた日である8月9日に英夫に一緒にかえで山へ行ってと頼む理由が
「私、あなたのこと好きだから。
信一や紀子のおとうさんっていうだけじゃなくてね、あなたのこと愛していたいから」(P.116)
となると、ムリヤリ感が出てくる
(ちなみに結びの一文は
「汗ばんだ頬が肩にもたれかかったとき、英夫は妻を愛していると思った」(P.122)
で、整合性は見事にとれている)。

それにしても登場人物が簡単に社会的成功を収めている奴ばっかり(子供もエリート校生)で妬んでしまう。

◆「うたかた」
なかなかの良品である。
房子は幸せの象徴である団地から離れたくなかった。
そこは房子の人生そのもので、それを失うことは考えられなかった
(団地は取り壊されることになっていた)。


世俗的には房子は人生の成功者のはずだった。
ただ、10年前に夫を亡くした。
子供は2人とも成績優秀で、息子は一流商社のニューヨーク支店長となり新聞記者になった娘はフランス人と結婚してパリ在住となって、外国へ出ていったのだった。
もし国内だったら……。
もちろん2人とも、母に一緒に暮らすように促してはいた。

ところで現場検証している刑事のうち上司の方は
「倅はおまわり。娘は売れ残っている」(P.127)
という家庭状況で、部下に
「最悪の環境ですねえ」(P.128)
と言われてしまっている。
しかしこれは最高というアイロニーなのではないか。

団地にはほぼ同時に同年代の家族が大挙入居し、子供達はやがて成長して独立し、そして房子以外の老親達は子供の元へと引っ越していった。

房子と他の住人達との違いは何だったのだろうか。
房子には餓死以外の道はなかったのだろうか。
房子は社会的成功を収めては、幸せな人生を築いてはならなかったのだろうか。

◆「迷惑な死体」 
一気に読ませてしまう。
コミカル風味である。
加藤良次(24歳。駆け出しのヤクザ(3年目))が部屋に帰ると見知らぬ男の死体が横たわっていた。

どうするのか(ヤクザだから素直に警察に届けるわけにもいかない)。
この男は誰なのか。
誰がこの男を殺したのか。
この場を誰かに見られたら、犯人扱いは免れないだろう。
ドキドキハラハラとなる。

男は巨大組織「関西」が同「極竜会」に全面戦争を仕掛けるために送り込んだ殺され役の鉄砲玉・村野だった。
死体の始末を命じられたのは極竜の末端のチンピラ、清水(駅前でトルエンの密売をしている)。
良次は一晩だけ清水にアパートの部屋を貸したことがあり、その時清水は鍵をコピーしていたのだ。
で、始末に困って良次の部屋に、という次第。

ただ、話をコミカルに終わらせるために、清水が死体を良次の部屋に置いたのは一時的、ということになった。
最後に清水はワゴン車で死体を引き取りに来るのである。
そこのところがリアリティ面から見るとなんだかなあ、となる。

良次には幼なじみの恋人澄子がいる。
掛け値なしに一途に良次を愛している。
元はエリートの彼氏がいた。

初めてパクられた時身柄引き受け人として来てくれたのだが、
「でも俺──その晩あいつにひでえことをした。
俺のこと惚れてるんだって思ったから。
そんなはずねえよな。
俺、あいつにひでえことしちまった」(P.168)。

ちょっと待て。
時系列が混乱する。
つまり「あいつの部屋で日記のぞい」(P.167)て彼氏の存在に気付いたのは「ひでえこと」
(明示されていない。無理矢理体を奪ったということか)
をした後、ということか
(日記のくだりが先に書いてあるのだが)。

澄子は働きながら夜間の大学を出て一流企業のOLとなった。
苦労して身を立て、そしてエリートの彼氏を得た。
その絵に描いたような幸せコースをだらしない自分に振り向かせることによって壊してしまったのではないかと、良次は自責の念に駆られているのだ。

だから結びで、母に
「『おふくろは、おやじが飲んだくれだから一緒になったんか』(略)
『だからさ、あんなおやじだったから、気の毒に思って嫁さ来たのか』」(P.174)
と尋ねているのだ。

それに対して母はこう答えた。
「『そうじゃないよ。あたすは、おとさんに惚れてた』(略)
『(略)女っていうのはね、おまえの考えるほどやさしくはないよ。
嫁こさ来て苦労ばっかすると思ったら、まっぴらごめんさ」(P.174)。

つまりおふくろは澄子であり、澄子の良次への愛が本物であることを示唆している。
再読で、初読時に気付かなかったことがこれほどクリアに浮かび上がったのは初めてのことだ。

◆「金の鎖」
ちょっと反則気味、の感。
奇を衒い過ぎたか。
中川千香子
(40代。美人。トップ・ファッションメーカーのエース・デザイナー)
は、かつての恋人桑野浩之に生き写しの彼の息子に出会う。

「浩之を今も愛している。
あれからいくつもの恋はしたけれど、これは恋ではないと自分に言い聞かせていた。
そしてひとつの恋が終わるたびに、やはり愛しているのは浩之だけなのだと思った」(P.180〜181)。

で、これが嘘なのだ。
「偽りだったけれど、過ちだったとは思わない。
自分にとっても、誰にとっても必要だった嘘は、罪ではあるまい」(P.202)。

彼女が本当に愛していたのは、渡辺
(会社を一緒に大きくしてきた古くからの同僚。部長)
だった。
ところが親友だった佐知子
(彼女もまた天才的なデザイナー)
がその渡辺と結婚した
(そして彼女は3年前に癌で急死した)。

「西陽に隈取られた佐知子の微笑が、眩しくてならなかった。
だから、ありもせぬ感情を、行きずりの男の記憶の上に塗り重ねた。
そうして渡辺に対する感情を、虚偽の壁の中に塗りこめてしまおうと思った」(P.193)。
そして
「初めての男を忘れられなくて、結婚もしないファッション・デザイナー」(P.185)
を装っていた。

だが渡辺は、千香子の嘘に半ば気付いていた。
「だが、俺は半信半疑だったよ。
(略)
ともかく、俺はあんまり信じちゃいなかった。
佐知子が言うには、そのヒロちゃんとのことがトラウマになっちまってて、真剣な恋愛ができないんだって。
言いわけだろ、それは」(P.187)。
「もしかしたらおまえは、いつもそうやって飽きた男を捨ててきたんじゃないのか。
悪女になりたくないから、初めての男を勝手な偶像にまつり上げて、心変わりを正当化してきたんじゃないのか」(P.189〜190)。

筆者としては渡辺の鋭さを描きたかったのだろう。
しかしあまりに完全な鋭さだと、別れの儀式
(佐知子に渡辺と付き合っている(結婚する)ことを告げられた後、千香子は「1時間だけ渡辺を貸して」もらい、自分の気持を整理する)
の時に千香子が
「サッちゃんのこと、幸せにしてあげてよ、ナベさん」(P.195)
と涙を流したのに対して
「おまえ、いいやつだな」(P.195)
と頭を撫でてしかやらなかった彼の鈍感さと齟齬をきたしてしまうので、「初めての男を勝手な偶像にまつり上げ」たところまでは見抜いたものの、その狙いまでは見通せなかった
(飽きた男を捨てる心変わりを正当化するため、と解釈した)
ということにしたのだろう。

だがそのあおりでP.189の
「私、ナベさんの気持が初めてわかったの」
以下のくだりが極めて分かりづらいことになってしまった。
渡辺が何に対してキレているのかが掴めない。

千香子が本当は浩之でなく渡辺が好きなのだということを読者に伝えるシーンで、
「朴訥で誠実な、いつも朝早くから夜遅くまでタグの付けかえをしたり、ラックを担いで階段を昇り降りしている、恋愛などとはおよそ無縁な感じのするに、恋をしていた」(P.193、太字引用者)
とあるがこれはいただけない。
婉曲表現主義の悪例だろう。
ここは絶対に、「男」でなく「渡辺」でないといけない。

ボス
(千香子らの会社の社長。20年で会社を100倍にした)
のはからいで、千香子は渡辺と結婚しそうな、本作中では珍しいハッピーエンドの予感を残してこの小編は結ばれる。

「金の鎖」とは、彼女が別れの儀式の後シャンゼリゼの小さな宝飾店で買った金のブレスレットだった。
それを腕に巻いて、彼女はこれは浩之が買ってくれたのだと
「奥歯をきつく噛みしめながら自分自身に呪いをかけた」(P.196)。

その「縛めを解」(P.206)き、その金の鎖は浩之の息子にやった。
千香子にとって浩之はあくまで
「どうでもいい行きずりの男」
でしかなかったが、物語の設定としてはやはり深く濃く愛し合った設定の方がよかったのではないか。

別れの儀式のシーンの出だし、
「その夜、トロカデロ広場のテラスから見たパリの夜景を、千香子は忘れない」(P.194)。
煌めく名文である。

◆「ファイナル・ラック」
競馬ものの、ファンタジー。
最後まで、通読する気を催さなかったがやっと通読してみてもまあ叙情詩みたいなものか。
筆者に傾倒している人なら満足して読むのだろう。

ビギナーズ・ラックをもたらしてくれた予想屋の老人がタイムスリップ?してきて野崎一郎
(ビル・メンテナンス会社の営業。四半世紀競馬に通いつめている)
にファイナル・ラック
(50万円×40倍=2000万円。団地からマンションに移るのだろう。伏線が張ってある)
をもたらす、というもの。
他に含みは何もない。

ただ、一郎が競馬をするのはこれで最後、という書き込みが弱く結びにしかないため、P.231の妻のセリフ
「何だかかわいそうな気がするけど、たったひとつの楽しみまで取り上げちゃうみたいで」
の意味がとりにくい。

友達の梶山
(出世していく銀行員。巨額の使い込みをする)
の自殺の意味のもたせ方も今一つ。

奥野健男が太宰の「帰去来」だったかを「書かずもがなの作品」と評していたが、そんな観がある。

◆「見知らぬ妻へ」
チラッと漫画で読んでいた。
題がうまい。
「妻を見知らないってどういうことだ?」
とそそられる。

ただ、今となっては「へ」が気になる。
手紙とか伝言といった要素は感じられない。

あらためて振り返ってみるとありきたりな話ではある。
ボッタクリバーのキャッチ(客引き)をしている花田章が、中国人ホステス
(客と泊まる、すなわち売春する。ヤクザ昭和会に管理されている。
「日本中の昭和会のシマをたらい回しにされて、体がぶっこわれるまでコキ使われる」(P.271)運命となる)
玲明
(レイメイ(リンミン)。27歳。「雇う側にとってかけがえのない女であることは一目瞭然」(P.255)な容姿)
と偽装結婚し、情を移していくというもの。
一般受けしたのはその舞台となる裏社会の淫靡さの紹介が受けたのだろう。

クライマックスシーンで玲明は走り去ろうとするバスの窓から、花田にもらったペンダントを投げ返す。
それを受けてこうある。
「玲明がペンダントを投げたのには、深い意味はないのだろう。
もしかしたら男がそれを取り返すために、後を追っていると思ったのかもしれない」(P.275〜276)。

ブチ壊しである。
何を言っているのだ。
玲明から花田への愛の証しだろうが!

それにしては確かに、なぜ玲明が初対面から花田に媚びたのかの書き込みが弱い。
花田でなくても誰であっても、偽装結婚をして自分を守ってくれる男だったら同じように媚びたのか。
そうだとすると確かに花田プロパーへの愛、とは言い難くなる。

離婚後唯一自分を慕い
「東京の高校へ行く」
と言ってきていた娘(中学生)との電話での会話は全編を伏流しているのだが、玲明との別れの後の会話が分かりづらい。

「〈おにいちゃんがね、絶対だめだって。おとうさんも喜ぶわけないって〉
(略)
〈(略)私ね、苗字かわっちゃうんだよ。あいつがそうしろって、そうしなきゃだめだって〉」(P.277)。

東京の高校へ行くことに対して、なのだろうが確証が弱く読んでいて不安になる。
兄が「おとうさんも喜ぶわけない」とする根拠も「?」である。
で、そのことと苗字がかわることはつながりがあるのか。

それまで花田にとっては、
「娘の意思を拒否するのは、神が祈りを拒むことと同じ」(P.249)
であり、
「娘からの電話が(略)命の絆のようにも思える」(P.239)
ほどのものだった。

それをきっぱりと遮断する。
玲明を失い、それなら娘をとるというのなら分かるが、これでは自暴自棄との違いが鮮明でない。

ともかく花田は全てを失ってしまった。
玲明を失ったことがどうして娘も断つという判断に結び付くのかの説得力が乏しい。

そして総じて玲明の内面描写が弱い。
これもまた婉曲表現主義の悪弊でなければよいのだが。

「接吻は不幸の味がした」(P.259)。
痺れるねえ。
ここは「キス」でも「口づけ」でもなく、「接吻」でなければならない。
                             (2013.12.27〜2014.1.1  42歳)


タグ:浅田次郎
posted by nobody at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月15日

暇潰しにもならぬ文章力のなさ 〜和久峻三『赤かぶ検事奮戦記23 嵯峨野光源氏の里殺人事件』〜

文章が読みやすい、というのが小説の重要な要素の1つではなかろうか。
あるいは肝腎のストーリー構成力と並ぶほどの。
だから村上春樹がNo.1なのだ。
ミステリーでは東野圭吾、宮部みゆきなのだ。
巷間過大に評価されている宮部みゆき人気の謎の答えが1つ解けた気がする。

例えば
「そこは、茶室風にしつらえられた部屋で、真ん中に大きな掘り炬燵があり、足を伸ばして座れるように座布団が配置されていた」(P.97)
という文がある。
なぜ座布団が配置されていると足を伸ばして座れるようになるのか、さっぱり分からない。
こんな文に出くわすと、読む気が失せる。
こなれぬ言葉の結び付きは無数に見られるし、読点は不必要に多い。

こうした違和感をもたらす様々なバリエーションに共通するよってきたる要因というのは、端的に言ってしまうと行数稼ぎに他ならないのである。
ああ、また冗長主義批判をしなくてはならなくなった。

思えば以前、私は松本清張『けものみち』を読んで、その満ち充ちる悪文を類型化して整理したことがある。
ひたすら労力の要った作業であった。
それと同じ気持に駆られているが、あらゆる意味でその余裕がないので、それはしない。

主立った3点だけあげると、
@中止法あるいは並列で異なることではなく同じことを繰り返したり、
A「すると、こういうことだね?〜」と言って話を再び繰り返してまとめたり、
B1度思いついたフレーズを“異口同音”に話させたりする。

@の例。
「そう言えば、夕顔の上品な身のこなしや、おっとりとした風情ある立ち居振る舞いなどから考えても、下町の女のそれではなかったことに源氏は気づきます」(P.114)。
「身のこなし」と「立ち居振る舞い」はどうちがうのか。

Bの例。
「現代の女性の心の中にも、夕顔のような可憐でやさしい気持ちと、その一方では、六条御息所のように好きな男を独り占めにしておきたいと願う妄執や、嫉妬に身を焼く“恋の鬼”が、じっと息をひそめながら同居しているんじゃないでしょうか」(P.42〜43)、
これは行天燎子
(諏訪警察署の警部補。行天珍男子(うずまろ)(同じく諏訪警察署の警察官)の妻)
のセリフ。
「それどころか、女心の中には、必ずと言っていいくらい、六条御息所が棲んでいるのではないでしょうかね。
つまり、愛する男を独り占めにしておきたいと願う、愛の妄執とでも言いますか、嫉妬に身を灼く恋の鬼が、人を愛する女の心の中に、いつも、息をひそめるようにして棲みついているのではないでしょうか……」(P.115)、
これは錦部哥夜子(六条御息所)のセリフである。
「妄執」なんて言葉を違う2人が偶然使うはずがなかろう。

一番の問題点は、なぜ当然最大の関心点に話の流れがズバッといかないのか、という点である。
これも行数稼ぎか。

殺された北本英一カメラマンの残したフィルムに、犯人の姿がバッチリ写っている
(そもそもなぜカメラマンに撮られるような所で殺したのか?)。
で、その犯人が明かされるのは5ページ後である。
それまでは他のコマの写真の話をしているのである。

石塚真津子
(石塚輝雄(光源氏。諏訪温泉の老舗旅館「石長」の7代目当主、社長)の妻。葵の上)
はトロッコ列車から錦部と山添増雄(錦部の従弟)に突き落とされたのではないかということになるのだが、それなら乗客が満員だったのだから目撃者がいるのではないかというごくまっとうな疑問には全く言及されることなく話が進んでいく。

『源氏物語』では六条御息所が夕顔と葵の上を呪い殺すので錦部が疑われる形で話が進んでいくのだが、では夕顔こと玉置静香(23歳。石塚の愛人)と北本カメラマンが殺された時のアリバイは? という話も一切出てこない。

長峰警部補(京都府警)と行天燎子と赤かぶ検事
(名前は柊(ひいらぎ)茂。長野地検松本支部勤務)
が錦部の家に行って話を聞く時も、さっさと追及を進めずに錦部に『源氏物語』の講釈を許し、夕顔が呪い殺される話が終わると次に葵の上が呪い殺されるくだりを話そうとし、赤かぶ検事もそれを止めるどころか要望するのだ。

読み手としては冗長部分・読みにくい部分を捨象し、ストーリーのみを再構築し直す必要を迫られる。
この程度の文章力でも作家になれるのだと解釈すれば希望をもたらしてくれる作品ともいえよう。
                                     (2014.1.21  42歳)



タグ:和久峻三
posted by nobody at 15:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月12日

己を愛し、然る後に人を愛すべし。されば愛されん 〜瀬戸内寂聴『生きることば あなたへ』〜

「愛したとたん、苦しみがはじまるのが恋というものです」(P.6「まえがき」)。
なるほど、愛とは苦しみなり、か。

「孤独は人間の本性なのです」(P.8同)。
俺以外の人はそうは見えないが、そうなのか。

「逢った者は必ず別れます。
別れのつらさには、決して馴れるということがない。
いくどくり返しても、別れはつらく苦しい。
それでもわたしたちは、こりずに死ぬまで、人を愛さずにはいられない。
それが人間なのです」(P.11「一  わかれ」扉)。
唯一の例外は本物の恋愛だと思うのだがなあ。

「逢った人間は必ず別れなければなりません。
死なない人間がいないように、別れのない人間どうしの関係も
ありえないのです」(P。22同)。
会者定離。
無常……。

「人との出逢いのあとには、必ず想い出が残されます。
(略)
生きるとは、人に出逢い、やがて別れていくこと」(P.32同)。
サヨナラダケガ人生ダ……。

「生きている与えられた限られた時間に、思い残すことなく人をたっぷり愛しておかなければとしみじみ思います」(P.40同)。
死んでいく時は独りなのだから……。

「人間が好きで、だからこそ小説書きになったわたしにとっては、人との出逢いが、たといそのため、苦痛や悲哀を伴っていても、生きている何よりの証しとして嬉しく有難いことに思われます。
まことに、人はなつかしく、恋しく、哀しいものです」(P.42同)。
出会いこそ生きている証し、か。

「人は孤独だから互いに手をつなぎ、肌と肌であたためあおうとします。
心と心で語りあいたいと思い、相手をほしがるのです。
自分の孤独をわかってくれる相手がほしい。
そしてその孤独を分かちあってほしいのです」(P.57「二  さびしさ」)。
でも誰でもいいというわけじゃあない。

「自分が孤独だと感じたことのない人は、人を愛せない」(P.61同)。
俺は充分孤独だと感じているがなあ。

「自分はこんなにさびしいのだから、あの人もきっと人恋しいだろうと思いやった時に、相手に対して同情と共感が生まれ、理解が成り立ち、愛が生まれるのです」(P.64同)。
思いやりから、愛は生まれる。

「愛する人があって、自分が愛されている自覚が、生きることにはいちばん大切なうれしいことです」(P.75同)。
あまりにも当たり前過ぎることの再確認。

「孤独に甘えてはいけません。
孤独を飼い馴らし、孤独の本質を見きわめ、自己から他者の孤独へ想いをひろげるゆとりを手に入れないかぎり、孤独の淵から這い出ることはできないのです」(P.78同)。
おっと、ピリッときた。

「男の背のさびしさに気づき、それに惹かれてしまったら、女はもう、その男に捕らえられたといってもいいと思います」(P.81同)。
背中で語る、か。

「『時』はその人とともに生きつづけます。
肉親よりも、夫婦よりも、空気や太陽よりも、人は自分の時と永遠につきあわなければならないのです。
そして時をふり返るというのは、よほど幸福な時か、ほんとうに孤独に打ちひしがれた時であるようです」(P.85同)。
まさに今。
もちろん後者。

「恋愛が下手、恋人ができないという人は、相手の気持ちを察する想像力に欠けている人です」(P.116「三  くるしみ」)。
誰だ、えらそうに「現代人は想像力が欠けている」と言っていた奴は。

「女は恋人の上に理想の男の仮面をかぶせ、ほんとうの恋人と思いこんで身をやいていきます」(P.117同)。
なるほど、これが女性の恋か。

「み仏は、ただ向こうから何かを与えて下さるのではなくて、人間のなかに自分で立ち上がり、自分で考える力をよみがえらせて下さるのだと思います。
それにみ手をかして下さるのです」(P.145「四  いのり」)。
他力本願を誤解すべからず。

「死者の魂は、生き残された者がいかに、彼らのことを切に思い出すかによって輝きます。
死者を忘れないということは、自分の原点を忘れないということです」(P.156同)。
自分の原点は、吉田松陰だ。

「人を怨む心ほど辛いものはありません」(P.159同)。
愛の対極。

「神や仏は、人間の弱さのすべてを見とおして、すべてをゆるし、受け入れ、励まし、ときには叱ってくれるものなのです。
(略)
わたしたちが忘れていてもいつでも一方的にわたしたちを見守り、はらはらしながら、弱いまちがいの多いわたしたちの生を大過なきよう、幸せであるよう祈ってくれている力なのです」(P.166同)。
最も得心できる神仏論。
「はらはらしながら」というのがいい。

「自分をよくととのえたなら
自分こそ得がたい
主人になるだろう
(法句経一六〇)」(P.175同)。
己を客観視するというのは真理なのだなあ。

「幸福になるためには、人から愛されるのがいちばんの近道です。
そのためにはまず、自分が自分を愛さないといけません。
よくがんばっているなと、自分をほめる。
そして自分が幸せな気分になるのです。
自分が自分を愛して幸せになったら、そのあなたを見て、必ず人が近づいてきます。
するとその人も幸せになり、自分ももっと幸せになる。
幸せとは、循環なのです」(P.190「五  しあわせ」)。
つまり、頑張らないといけない。

「みんな自分の身に起きた不幸が、世界一のように思いこみたがります。
けれども世の中には不幸と同じくらいの幸福もばらまかれているのです」(P.201同)。
むむっ、よく見ると「世の中には」か。
「自分」じゃないの?

「自分以外に心にかかる人がいるということ、それが生きる喜びです」(P.202同)。
自分ではないわけか。

「大いに人を愛し、たとえそこで傷ついても、次にさらに愛は深まることになるでしょう。
恐れることはありません。
傷を恐れていては愛することはできないのです」(P.209同)。
ノブと同じこと言ってるなあ。

「生きるということは、死ぬ日まで自分の可能性をあきらめず、与えられた才能や日々の仕事に努力しつづけることです」(P.214同)。
ん?  「才能に努力しつづける」?

「『己れを忘れ他を利するものは慈悲の極みなり(これを「妄己利他(もうこりた)という)』
自分の幸せだけを考えない。
自分の利益だけを考えるような生き方はしない。
自分の生きていることが人の幸せにつながるよう、自分を犠牲にして他の幸福のために奉仕する。
そういう生き方をしてこそ、わたしたちはほんとうに生きているという、生きる喜びにつながるのだと思います」(P.216同、カッコ内引用者)。
堤さんを思い出すなあ。

「どうせ何かの縁で引き受けてしまった以上、どの仕事も喜びをもって心から進んでやりこなすのです。
厭々することには情熱は湧きません。
情熱の湧かない仕事は成功するはずがありません。
仕事をはじめるとき、必ずこれはできる、うまく予想以上にできると自分に暗示をかけます。
必ず成功するのだから嬉しいはずだと自分にいいきかせます。
すると、やりたい気持ちが盛り上がってきて、肉体も精神もいきいきしてきます」(P.217同)。
仕事の方法。

「昔のこと、済んだこと、いやなことは忘れて、かわりにいいことはいつまでも覚えているようにしましょう。
(略)
腹の立つことは毎日毎日いっぱいあります。
いっぱいあるけれどそれにこだわっていたら、ただでさえ悪い器量が、ますます悪くなります。
だからそういういやなことは忘れようと決めたのです。
それからは気持ちがとても楽になったのです」(P.218同)。
長生きの秘訣。

「愛というのは、人を喜ばせること、人のために尽くすことです。
それには気持ちの先まわりをすること。
相手がいま、何を欲しがっているかを見抜き、そのことをしてあげる。
いやがることはしない。
愛とは、想像力です」(P.219同)。
では“自己愛”とはなんだ?

「自分のなかで表現されたがっている命のうめき声を聴く能力を持たなければ、わたしたちはものを創るきっかけがつかめません。
そのうめき声を聴きとる耳と心を持つには、努力して自分を磨いていかなければならないのです。
そのためには自分が好きなことを一生懸命やってみることでしょう。
どれをやっていいか分からないときは、片っぱしからやってみたらいいのです。
そうすると、自分が一番好きだと思っていたものが二番目で、それよりもっと好きなものがあったのに気がつくこともあるのです」(P.220同)。
「命のうめき声」か。


既成仏教が権力=体制の護持役にしか過ぎぬことは歴史が証明しているところであり、オウム事件でも見たところであった。
「仕事があることはとても有り難いこと」(P.186)
「どこでも自分の置かれた場所で一生懸命努力すればそこに真の生きがいを見いだせる」(P.198)
あたりはその役割を遺憾なく発揮している。

しかし筆者の面白いところは、単なる仏教徒(仏教が全て)ではない点である。
「神や仏」という言い方をしている。
そして原爆犠牲者の例をあげ
「わたしは仏教に帰依した者ですが、因果応報という意味を、このような形では納得できません」(P.162)としている
(ちなみに彼らには「定命」(じょうみょう)があったのか?)。
ある意味仏教批判であろう。

この線を伸ばしていくと、反体制志向が垣間見えるところまでくる。
「しかしいつの時代でも、掟からはみだし、その罰を骨身のたわむほど受けても尚、反逆の道を歩かねばならない人間がいます。
その人の流す血によってのみ、女の歴史は書きつづけられているような気がします」(P.120)。

出典一覧(本作はアフォリズム集である)には
『瀬戸内寂聴・永田洋子  往復書簡─愛と命の淵に─』
の書名も見える。
まあしかし別に反体制志向までいかなくとも、仏は
「すべてをゆるし、受け入れ」(P.166)
るものなのだから、本来の仏教は永田をも許し受け入れるはずなのだが、逆に体制護持に回っているのは摩訶不思議というしかない。

「わたしは宇宙と一つにとけあった自分を感じ、山の聖霊の気がからだじゅうに流れこむのを受けとめていた」(P.221結び)。
宇宙との一体感。
これはP.176にも出てくるのだが、私は宇宙まではいかないにしても、P.176〜177にある
「大自然の雄大さ、美しさが心を満たし、自分という卑小な存在が、山河大地と一体となり、自若として動じない大安心が得られるように思えます」
というような大自然との一体感なら味わったことがあるのだ。
あれは忘れもしない、初めてRと会った後福智山に登りその山頂に立った時のことだ。
大自然に吸い込まれ、溶けてしまいそうな感覚に陥った。

またP.221といい
(「その夜はたまたま中秋の名月であった」で始まる)、
P.204〜205といい
(「鈴虫をくれた客が帰った夜、ひっそりとした庭におりて、わたしは、いただいた鈴虫をどこに放とうかといい場所を探してまわった〜月光の下でわたしはふと、浄土だなと思っていた」)、
まるで散文詩のような趣の文章もある。
後者は見開き2ページで、センター寄せの配置がしてある。

アフォリズムは最長が見開き2ページで、ほとんどは1ページのセンター寄せである。
最短は1行。
段落・行頭1マス空けもなく(この辺はネット的)、必ずしも行末まで埋められず、詩のように途中で行替えしているところもある。
おのずと余白が多い。
私もこのような装丁で本を出してみたい。
字数(分量)も少なくて済み、読者もサクサク読めるから一石二鳥というものである。

P.101の
「一(いち)を十(じゅう)にきりかえてしまう」は、
「−(マイナス)を+(プラス)にきりかえてしまう」
の誤植であろう。

筆者は
「出家とは生きながら死ぬこと」(P.45)
と言う。
この辺の境地は、私などに分かるべくもないのだろう。
                                   (2014.1.2  42歳)

タグ:瀬戸内寂聴
posted by nobody at 23:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月10日

惜しいところで埋まらない宮部みゆきとの距離感 〜宮部みゆき『ステップファザー・ステップ』〜※ネタバレ

コメディ・クライム(クライム・コメディ?)と呼ぶらしい連作短編集である。
表題作「ステップファザー・ステップ」以下
「トラブル・トラベラー」
「ワンナイト・スタンド」
「ヘルター・スケルター」
「ロンリー・ハート」
「ハンド・クーラー」
「ミルキー・ウェイ」
と全7編から成るが、既読の『峠』『見知らぬ妻へ』の読書録執筆も完結していないので、さすがにここは各編ごとに書いていくのはやめておこう。

筆者自身
「ライトなライトな仕上がり」
と評している通りで、連作仕立てではあるが一応1編ごとにごく軽めのミステリーが含ませてある。

それにしてもこの文庫本はなんと第57刷で、世人が
「いま、宮部みゆきが断然スゴイ!」
などとそこまでもちあげているのが読後をもってしてもどうしても解せない。
私自身の宮部みゆき体験というのは『理由』で
「なんとまあ朝日新聞が好きそうな作家なことよ」
やられてしまったから。
ただ『模倣犯』は映画で観てわけが分からなかったから原作にあたってみたいとは思っていたが。

宗野直(ただし)と哲(さとし)という双子の中学1年生が、セリフの短い部分部分を交互に喋る。
すると行数が稼がれる。
筆者が自分で
「会話を割って行数を稼ぐなんて、三文作家がとる姑息な手段である」(P.257「ハンド・クーラー」)と言う次第になる。
これは村上春樹『1973年のピンボール』で既出なのだ。

そして本作の双子は徹頭徹尾明るくかわいく描かれている。

だからこそ、たいへんに惜しかったのは(これが本稿の最重要点)「ヘルター・スケルター(周章狼狽)」であった。
もしここで私の思い通りの展開であったなら、私の宮部みゆきへの評価も変じていたろう。

ここまで全くのノーマーク固定キャラだったこの双子が、実は両親
(ともに同時に愛人と駈け落ちし、双子を遺棄した)
を殺した犯人ではないのか? という展開になったのである。
残念ながら真相はシロだった
(ダム湖から引き上げられた車中から発見された2体の白骨死体とも両親のものではなかった)。

主人公の「俺」
(職業的な泥棒。35歳。双子の疑似親父)
は疑われていることに気付いた哲が自分の料理の皿に毒を盛ろうとしていると勘違いして激しく詰め寄ったのだが、その後の“仲直り”も今一つ釈然としないものだった。

「トラブル・トラベラー」の結びは
「考えてたんだよ。
君らは実の親を『父さん、母さん』と呼び、俺を『お父さん』と呼ぶ。
なぜ、俺には『お』がつくんだろう。
案外、深い意味があるのかもしれない──と」(P.109〜110)
なのだが、「案外深い意味」にはついに触れられずじまいだった。

筆者は意図的にエロを避けているのだろうが……。
哲の担任の灘尾礼子先生
(美人。25、6歳。強姦されて、全面否認している犯人の公判の尋問に出廷するために双子の妹と入れ替わるというトリックを使う)
は「ワンナイト・スタンド(1日限りの芝居)」で登場した後も出てくるのだが、「俺」は口説こうと思った割には進展は全くなかった。

そしてついに、双子の両親は最後まで直接登場することはない
(電話では登場する)。
物語の締め括り的には消化不良感が残るのだが。
「俺」も父親の声は最後に留守録で聞きはするのだが、ついに写真も見ず顔は分からないまま終わるのである。
写真を1枚も見ることがないというのも不自然な話だ。

「俺」がパイル地のシーツに右足の小指の爪を引っかけて剥がすシーンでは、声を上げて笑った(「ヘルター・スケルター」)。

今私は、定まった運命をあらかじめ知ることのできぬ焦燥感に身を焦がしているところなのだが、そんな時には次の「ミルキー・ウェイ(天の川…自訳)」の結びがふさわしい。

「明日のことを思い煩うことなかれ、だ。

天の川の流れつくところが何処かなんて、いったい誰に知ることができる?
運命も、未来の出来事もそれと同じようなものだ。
行くべきところに行き着く。
だからそれまでは、流れのままに気楽にしていこう。

それで充分、俺たちは幸せなのだから」。
                                        (2013.12.30  42歳)

タグ:宮部みゆき
posted by nobody at 18:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月09日

ひたすら連絡、移動、会議 〜東野圭吾『白銀ジャック』〜※ネタバレ

パッと見よく分からない題名であるが、「ジャック」というのは「ハイジャック」「バスジャック」のジャック、すなわち「スキー場ジャック」という意味である。
スキー場に爆弾が埋められ、金
(「身代金」という言葉を使っているが違和感を覚える)
を要求する脅迫状が次々に届く。
犯人は誰か。

もう1つ、昨年入江香澄
(義之の妻。達樹(当時小4)の母)
に激突しスノーボードのエッジで頸動脈を切断して死なせてしまい逃げ去った犯人は誰なのか。

私が脅迫犯として疑ったのは、1に入江義之
(スキー場を恨まず、損害賠償を求めていない。「現実を受け止めさせる」という理由で息子とともに宿泊しにきている)、
2に桐林祐介
(1回目の金の受け渡しの時、金を運ぶ根津昇平
(パトロール員のリーダー的存在。準主役)
の後でリフトに乗っていた。直後に置いた金がなくなったので彼が関係しているのではと思った。タネ明かしでは回収したのは増淵英也
(“二次犯人”の1人(もう1人は桐林)。北月町長増淵の息子。桐林とは友達で、入江香澄を死なせた「犯人」)、
とあった。しかし彼のボードの腕前は大したことはなく、
「だとしたら、スキーにしろスノボーにしろ、かなりの腕前だ」(P.130)に反する)
だった。

桐林は半分当たったことになるが
(あくまで“二次犯人”だから)、
入江は後半で根津と倉田玲司
(主役。40歳過ぎ、独身(最後には藤崎絵留(28歳。美人。パトロール員)と結ばれる)。索道部(リフトやゴンドラの運行を行う)マネージャー)
が疑い出したから犯人の可能性は消えた。

大穴で日吉老夫妻
(夫は浩三、妻は友恵。初登場時から北月エリア
(本作のカギを握るスキーエリア。新月高原スキー場中、採算がとれないお荷物ゲレンデで、新月高原ホテルアンドリゾート株式会社がスキー場を売却するために、ここに爆弾を埋めて雪崩を起こし、そうして転売時に切り離そうとしたのだった。つまり真犯人は筧純一郎社長、中垣ホテル事業本部長、松宮忠明索道事業本部長、宮内総務部長、増淵町長らなのだった。爆弾を実際に埋めたのは小杉友彦社長秘書。北月エリアが営業停止されたことで北月町は大ダメージを受けなんとか再開をと懇願したが、会社は経費がかかるので昨年の事故を口実にクローズしておいた方が都合がよかった)
に拘っていた。実は売却先の星雲興産会長。結局北月エリアを含めて買い取ることにし、ハッピーエンドを作り出す)
かと射程を変えたが、別の意味の意外な正体だった。

真相を補足しておくと、英也と桐林は、爆破計画を阻止するために
「爆弾を逆手にとってスキー場を脅迫する」(P.388)
ことにしたのだ。
クロス大会の開催が決定しており、そのコースを作れるのはアタックコース・ゴールドコース・北月コースの3つしかなかった。
脅迫状の中で、北月コースのみに安全宣言を出した。
すると大会のコースは北月コースに作るしかなく、そうすると北月コースは営業再開するしかなくなるので、したがって爆破はできなくなる。

脅迫(現金授受)は計3度行われているが、2人は1度目と2度目しかやってなく、3度目のは初めから取引中止→爆破にもっていこうとした真犯人連中によるものだった。

2人が警察に届けなかった理由は、英也が
「父親を犯罪者にはしたくなかった」(P.388)から。
2人がなぜそこまでスキー場を守ろうとしたかの根拠が弱い。
それに肝腎の奪った金はどうしたのかは分からないままだ。

「英也によれば、運搬役に『荷物を背負った状態で斜度四十度の斜面を滑走できること』という条件を(真犯人らが)つけてきたのも、そうすれば必ず藤崎絵留が選ばれると見越したからだろうとのことだった」(P.391。カッコ内と太字引用者)
とあるが、なぜ根津は選ばれないのか。
根津だって滑れるのだ。

3度目の授受の際、これまでとの相違点として、
@電話にホテルの館内放送が聞こえていたこと
A以前はボイスチェンジャーを使っていたのに
「今回は口にハンカチか何かを当てて声をくぐもらせている感じ」(P.290)だったことがあるのだが、推察はできるものの、解決編で明確な言及がなかった。

それにしても、倉田と絵留が結ばれるのなら、根津と瀬利千晶
(20歳前後。「吊り上がり気味の目と大きな口」(P.26)「なかなかかわいい」(P.149)。本格的なスノーボーダーで、クロス大会にも出場する)
も結ばれそうなのに、これはあえて予感を匂わすに留めたのか。
絵留も
「根津君好みだと思うけど」(P.149)
と言っているが。

これまでの東野作品は単なるミステリーではなく、プラスラブロマンス、プラスファンタジーといった付加要素があった。
少なくともラブストーリーは必ずあったのだが、これはミステリーのみ。
読み進める原動力やワクワク感も今一欠けた。
東野作品としては、いかがなものだろうか……。
                                          (2014.1.11  42歳)


タグ:東野圭吾
posted by nobody at 17:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月08日

愛する者にとって幸せな道を選ぶという生き方 〜東野圭吾『秘密』〜※ネタバレ

「和室では直子が明日の準備をしていた。
時間割を書いた紙を卓袱台に置き、それを見ながら教科書やノートを鞄に詰めていく」(P.134)。

これがおかしくってたまらないのである。
「直子」は平介(39歳。自動車部品メーカー「ビグッド」の生産工場勤務)の妻(36歳。「最近は少し太り気味で、小皺も目立つようになっていたが、小さなことにこだわらない、表裏のない性格は、一緒にいて気持ちがよく、楽しかった。頭のいい女でもあった。藻奈美(2人の娘。11歳、小5)にとっても、いい母親だと思っていた」(P.32))なのだが、それは意識(魂)で、肉体は藻奈美なのだ。

母子は長野でのスキーバス転落事故に巻き込まれ、藻奈美のみが奇跡の生還を果たすが、中身(意識・魂)は直子に入れ替わった。
つまりファンタジー・ミステリーというわけである。

ここで展開の興味が2点に絞られる。
1つは、やがては藻奈美の肉体には本人の魂が戻り、直子との本当の別れがやってきてそれがフィナーレとなるのだなあという展開予測と、もう1つは2人の“性愛”の行方である。

心は妻だが身体は娘──。
いくらでも陰猥な展開が広がるが、あいにく東野はそういう系の作家ではなかった。
16歳の「直子」と1度試みかけたことがあったが、やはり断念している。

「直子」は中学生、高校生と成長していく。
平介と「直子」の生活が続けば続くほど、「直子」との別れのシーンの辛さが増していく。

だから終わってほしくなかった。
いつまでも続いてほしかった。
だが、そんなわけにはいかない。
直子の言う通り、
「どんなことにも終わりはある」のだ。
そしてこのことは、私の追い求めているテーマとも通底する。

平介は小6〜高2にかけての「直子」と過ごした。
高2の夏、
「藻奈美の身体に藻奈美の魂が戻り、直子が消えた」。

しかしそれは、実は直子の演技だった。
平介が「直子」を藻奈美として扱い、彼女の父親になろうと決意したのを受け、直子は自分を消し藻奈美になりきろうと決意したのである。

いうまでもなく平介への愛を貫くためだ。
世間体など全て捨ててしまう覚悟があれば別の選択もあり得たろうが、それがなければそうするしかなかった。
こうして2人は愛し合いながらも別れることになる……。

25歳で「直子」は根岸文也(詳細後述)と結婚する
(「直子」は大学病院の助手になり脳医学を研究する道を進む)。

4度泣いた。
直子が肉体として死に、「藻奈美」が目を覚ますシーン(P.22〜26)、
母子を引き上げた消防団員の話のシーン
(「我々が見つけた時、大人の女性一人が下敷きになっているように見えました。
ところがよく見ると、その女性の下に女の子が隠れていたんです。
女の子を庇うように、女性が覆いかぶさっていたわけです。
様々な破片が突き刺さったりして、女性は血みどろでしたが、女の子は殆ど無傷でした」)(P.33)、
「直子」が三郎(直子の父)の蕎麦を食べるシーン(P.281〜282)、
そして「直子」が「消える」シーン(¶@)。

読み始める前に巻末の作品紹介
(「妻と娘を乗せたバスが崖から転落。妻の葬儀の夜、意識を取り戻した娘の体に宿っていたのは、死んだ筈の妻だった」)
を読んだのは失敗だった。
本作自体の作品紹介を載せるという粗雑なことをするのは文春文庫だけだろう。

ミステリーの方にも触れないわけにはいかないので触れておく。
事故を起こしたバスの運転手梶川幸広は、給料を多くもらうために無理を押し過労を重ね、それが事故につながった(彼自身も事故で死亡)。
彼には離婚した前妻・根岸典子(札幌在住。ラーメン屋を営む。元ホステス)がいて、ひそかにその間の「息子」文也の大学進学資金として毎月10万円以上を2年間ほど送り続けていた(梶川の現在の妻征子と娘(逸美。中2。征子の連れ子)はそれを知らず、貧乏暮らしをしていた)。
文也もそのことを知らず、幸広は女をつくって自分達を捨てて逃げたと思い込んで憎んでいた。

しかし文也は幸広の子ではなかった。
典子は幸広と結婚する直前、とっくの昔に別れた昔の男と
「1日だけ付き合ってくれ」
と頼まれて情交し、それでできた子供が文也だったのだ(文也もずっと本当の父を知らなかった)。

幸広は本当の父が自分でないことを知り、文也の父親としてやっていけないといって家を出たのだった(典子は8年間幸広を「騙し続けていた」(P.372)。真の父親が幸広でないことに気付いていた)が、その後文也にとって父が自分であるのとないのとどちらが幸せかを考え、あえて文也の父親であり続けることにしたのだった。

幸広の選択の指針は「自分が愛する者にとって幸せな道を選ぶ」というものであり、これは平介が「直子」に対して、そして「直子」が平介に対してとった選択ということにもなるのである。
                                                     (2014.1.7  42歳)

§名シーン§
¶@曲が流れるのとほぼ同時に彼女は目を開いた。
しかし平介はすぐに話しかけたりはせず、さっき藻奈美といた時のように海を見つめた。
彼女も同じ方向を見ていた。

「ユーミンのCDなんて、よく買えたわね」
彼女が口を開いた。
落ち着いた声だった。

「顔から火が出そうだった」

「でもがんばって買ってくれたんだ」

「直子が好きだったからな」

また少し黙って海を見た。
海の表面は眩しく、見つめていると目の奥がちくちくと痛んだ。

「最後にもう一度ここへ連れてきてくれてありがとう」
直子がいった。

平介は彼女のほうに身体を向けた。

「やっぱり……最後なのか」

彼女は彼から目をそらさずに頷いた。

どんなことにも終わりはあるのよ
あの事故の日、本当は終わるはずだった。
それを今日まで引き延ばしただけ」
そして小声で続けた。
「引き延ばせたのはあなたのおかげよ」

「もう少し何とかならないのか」

「ならないわ」
彼女はかすかに笑った。
「うまく説明できないけど、自分のことだからわかるの。
もう、これで、直子はおしまい」

「直子……」
平介は彼女の右手を握った。

「平ちゃん」
彼女は呼びかけてきた。
「ありがとう。さようなら。忘れないでね」

直子、ともう一度呼ぼうとした。
しかし声にならなかった。

彼女の目と唇に微笑が浮かんだ。
そのまま静かに彼女は瞼を閉じていった。
首がゆっくりと前に折れた。

平介は彼女の手を握ったままうなだれた。
だが涙は出なかった。
泣いてはいけない、と誰かが耳元で囁き続けていた。

しばらくして彼の肩に手が置かれた。
顔を上げると、藻奈美と目が合った。

「もう行っちゃったの?」
と彼女は訊いた。

平介は黙って頷いた。

藻奈美の顔が歪んだ。
彼女は彼の胸に顔を埋めてきた。
わあわあと泣き出した。

娘の背中を優しく撫でながら、平介は海を見た。
遠くに白い船が見えた。

ユーミンは『翳りゆく部屋』を歌っていた。(P.428〜429。太字引用者)







タグ:東野圭吾
posted by nobody at 23:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月07日

レインスティックに込めた愛 〜東野圭吾『夜明けの街で』〜※ネタバレ

男と女が出会い、そして別れる。
切ない。
特に最終局面で出会いの場面を回想されるともういけない。
『宮本から君へ』の「検問突破!」がそうだった。

不倫がテーマの、甘美なラブ・ロマンスである。
ミステリーもあるが、私にとっては重要でない。
男は建設会社第一事業本部電気一課主任の渡部、30代後半。
女はそこへ派遣社員としてやってくる仲西秋葉、31歳。

「小さめの顔は奇麗な卵形で、鼻筋は定規をあてたように真っ直ぐだった」
「和風美人タイプの整った顔立ち」(P.10)。

渡部には2歳下の妻有美子と幼稚園に通う子の園美がいる。
だから不倫に煩悶する渡部の内面描写がずーっと続く。

それにしても秋葉を想う気持に気付き久しぶりの恋愛の感覚に浸る初期の渡部の内面描写はよかった。
楽しかった。

果たして最終的に渡部はどうするのか。
渡部は秋葉をとる決断をした。
翌日妻にその話をすると決めた。

しかしクライマックス・シーンの後、秋葉は言うのだ。
「もう一緒にはいられない」(P.361)。
「あたし、あなたのことを利用してた」(P.362)。

理由は、
「あの人たち(父の仲西達彦(経営学の客員教授をはじめ色々な仕事をしている)と叔母の浜崎妙子(バー「蝶の巣」のマダム))を苦しめるため。
あたしがどんな不道徳なことをしたって、あの人たちはあたしを責められないから」(同)。
もう1つは、
「不倫を体験したかった。
どんな思いがするものなのか知りたかった」(同)。

もちろん、これは嘘である。
彼女が本当に渡部を愛していたことは、別れのシーンの涙が証明している。
それでも渡部が秋葉にしがみつかなかったのは、小さくまとまらせたかったのか。
「きみにどんなことが起きても、必ず守ってやるって約束したじゃないか!」
と叫んでほしかった。
有美子は実は夫の不倫に気付いていたが、母子とも捨てられることはなくなった。

2人の愛の期間は、9月(推定)〜翌年3月までの7ヵ月だった。
なんと濃密な7ヵ月であっただろう。
秋の温泉宿への泊まり旅行、
アクロバット的に会ったクリスマス・イブ(¶@)、
秋葉のけなげさが浸みるバレンタイン・デー(¶A)、
秋葉に妻との離婚の決意を告げる横浜デートその1、
レインスティック(これが題名の方がよかったのではないか。
題名に惹かれて読んだのだが、『夜明けの街で』という題名は必然性がない)
を傾け手をつなぐ横浜デートその2(¶B)、
秋葉が目に涙を滲ませセックスをしたホワイト・デー(¶C)……。

そうなのだ。
必要なのは自分にとっての秋葉なのだ。

さて、ミステリーについても軽く触れねばなるまい。
渡部が最終的に秋葉をとるのかどうかと、もう1つの焦点は東白楽強盗殺人事件の時効が成立するかどうかだった。

秋葉は 
「三月三十一日。
その日が過ぎれば、いろいろとお話しできるかも」
「その日はね、あたしの人生にとって、最も重要な日なんです。
その日が来るのを何年も……」(P.49)
と言っており、のみならずこのセリフは後でも出てくる。

そして2人が付き合うきっかけとなったともいえるセリフ、
「それ(謝ること)が出来ればどれほど楽か……。
素直に謝れるぐらいなら、あたし、こんなに苦しくない──」(P.33)。

この2つにより、秋葉は犯人ではないことになる(実際そうだったが、しかしそのために後者のセリフが宙ぶらりんになってしまっている)。

本条麗子(達彦の秘書。
達彦の愛人とされていたが、真相は真の愛人である妙子の存在をカムフラージュするために(真の不倫相手が妙子であれば、自分にとって妹なので母は離婚届に判を押さなかったから)愛人に仕立て上げられた)
は殺されたのではなく、自殺したのだった。

それを秋葉が殺したと勘違いした達彦と妙子が、秋葉への疑いを逸らすために、強盗の仕業に見せかけようとして偽装工作したのだった。

秋葉は2人に感謝するどころか罰を下すことを決意する。
「お父さんからいわれたとおりに嘘をついている間に(秋葉は死体を見て気絶したので何が起きたか全く知らないことにしろと2人に指示された)、あたしは決心した。
真実は時効の日まで黙っていようって。
あたしが黙っているかぎり、お父さんと妙子さんにとって、あたしは殺人者。
二人はあたしを守らなきゃいけない。
起きてもいない犯罪を隠蔽したという十字架を背負うことになる。
それが罰だと思った。
本条さんへの償いでもあった」(P.360)。

最大の疑問点は、なぜ秋葉は自分が殺していないことを黙っていたのかということ。
P.354にはこうある。
「でも、(父は)あたしには一度も訊かなかった。
本条さんを殺したのかって。
それであたしは決心した。
訊かない以上は、あたしも答えない。
あたしが殺したと思い込んでいるのなら、それでもいいって」。

秋葉は、偽装工作してくれるのは自分を助けるためだとは思わなかったのだろうか。
思っていれば、訊かれなくても
「私が殺したんじゃない。
自殺したのよ」
と答えているはずである。
答えないためには2人への相当強い憎しみが必要である。

で、その根拠付けとなったのが麗子の遺書(せめて秋葉には現物を持ってきてほしかったが)。
「彼女はお父さんのことを愛していたのよ。
それがどれほど深いものなのか、遺書を読んで初めて知った。
そんな彼女に対して、この人たちは、信じられないほど残酷な仕打ちをしたのよ。
恋人は本条さんという暗黙の了解の陰で、ずっと密会を続けてた」(P.358)
「この人たちは最低の人間なの。
生きる価値なんてない。
この人たちはね、自分たちの不倫関係を隠すために、一人の女性を犠牲にしたのよ」(P.357)。

今度はなぜそれほどまで(15年間かけて罰を下さないといけないと思うほどまで)秋葉は強く麗子に肩入れするのかという根拠付けが必要になってくるのだが、まあこれくらいにしよう。
犯行の偽装工作者が真犯人を勘違いしていたというのは、確かにミステリー的には斬新である。
                                        (2014.1.5  42歳)

§名シーン§
¶@八時ジャスト、僕はレストランに到着した。
店を囲むように張り巡らされたガラスの向こうに東京の夜景が広がっていた。
ボーイに案内されて窓際の席に行くと、黒いワンピースを着た秋葉が座っていた。
僕を見上げた彼女の瞳は、少し潤んでいるようだった。

「来ないかと思った」
彼女は言った。

「まさか。どうして?」

「だって」
彼女はふっと吐息をついた。
「元々無理なことだから」

「無理じゃないよ。約束は守っただろ」

「うれしい。でも……」
彼女は俯いた。

「なんだ?」

秋葉は僕を見つめ、手を伸ばしてきた。
彼女の指先が、テーブルに置いた僕の手に触れた。

「うれしいけど……こわい」

「何いってるんだ」

僕はボーイを呼び、シャンパンを二つ注文した。

12

楽しい時間はあっという間に過ぎてしまう。

その時間が輝きに満ちていればいるほど、そしてそれを得るために払った犠牲が大きければ大きいほど、一瞬の後に僕の手から離れてしまう。

イブの夜を僕たちはホテルで過ごした。
秋葉はこれまでのどんな時よりも美しく、かわいく、さらには妖艶だった。
僕たちは裸で抱き合い、セックスをしては見つめ合い、後から振り返ると恥ずかしくなるに違いないような愛の言葉を交わし、気持ちが高まってくるとまたセックスをした。

眠ってしまうのが惜しくて、僕は彼女に腕枕をしてあげた状態でも、がんばって目を開けていた。

「眠くなったら眠っていいからね」
本心とまるで違う言葉をかけた。

大丈夫、と秋葉はいった。
だけどその数分後、彼女は寝息をたて始めた。
デジタル時計の表示は午前二時を過ぎていた。

秋葉の髪の匂いを感じながら僕は目を閉じる(P.135〜137)

¶A「二日ぐらいどうってことないよ。
もっと長い間、籠ってたことあるもん」

「長い間?」

僕が訊くと彼女は膝を抱え、その腕の中に顔をうずめた。

はっとした。
何かが頭の中で弾けた。

「年末にカナダに行ってたというのも嘘だったのか」

秋葉は答えない。
僕は彼女の肩に手を置いた。

「どうなんだ?」

彼女の肩は震えていた。
やがて細い声が聞こえた。

「あなたを苦しませたくないから……」

僕は首を振った。
かけるべき言葉が何ひとつ思いつかなかった。
僕は彼女の身体を抱きしめた。

「でも幸せ」
秋葉はいった。
「今夜会えるなんて、夢にも思わなかった」

輝く雪が僕たちに降り注いでいた。
僕は雪面に目を落とした。
彼女が描いていたのはハートマークだった。
ハートには矢が刺さっていた。(P.189〜190)

¶B食事の後、中華街を二人で散歩した。
外国の民芸品を揃えている店があったので、冷やかすことにした。
秋葉はレインスティックというものを手にした。
竹で出来ていて、中に細かい砂でも入っているらしく、傾けるとザーと雨が降るような音がするのだ。

「インドネシアの森の中にいるみたい」
そういって彼女は目を閉じ、竹筒を傾けた。
「果物を採りに森に入ったわけ。
そうするとにわか雨が降ってきて、あたしたちは大きな木の下に逃げ込んで、降り止むのをじっと待っているの」

「あたしたち?」

「あたしとあなたよ」
秋葉は目を閉じたままでいった。

「傘は持ってないのかな」

「そんなもの必要ないの。
だって、永久に降り続けるわけじゃない。
雨はいつか止むもの。
濡れたって平気」

「寒そうだな」

「寒くなんかない」
彼女は目を開け、じっと僕を見つめた。
「二人で手を握り合ってるんだから、全然寒くない。
お互いの体温を感じながら雨が降り止むのを待つの」

「降り止まない雨はない……か」

「あなたも目を閉じて」

秋葉にいわれ、瞼を閉じた。
森をイメージした。
隣に秋葉がいる。

そして雨が降ってくる。
細かい雨が二人の身体を濡らしていく。
僕は手を伸ばし、指先を動かした。
彼女の指に触れた。
僕たちはしっかりと手を繋いだ。(P.258〜259)

¶C「あたしをどこかに連れていって。
二時間でいいから。
その後は家に帰っていいから」

「秋葉……」

「不安なの」
彼女は悲愴な目をしていった。
「あなたが家に帰ると思うだけで、どうしようもなく不安になる。
もうあたしのところに戻ってこないような気がするの。
そうでないというんなら、あたしの我が儘をきいて」

彼女の訴えは、僕の心を揺さぶった。
辛い思いが伝わってきた。(略)

わかった、と僕は答えた。

僕たちが入ったのは、古びたラブホテルだった。
芳香剤の匂いがしみこんでいるようなベッドでセックスをした。
秋葉が上になった時、僕はどきりとした。
その目に涙が滲んでいたからだ。
しかし僕はそのわけを訊かなかった。
訊くのが怖かった。

「約束してほしいことがあるの」
セックスの後で彼女がいった。

何、と僕は訊いた。

「あたしにどんなことが起きても、必ず守ってくれると約束して。
あなただけはあたしの味方だと信じていたいの」

僕は息を止めた。
秋葉の言葉の意味を考えた。

「どうしたの?  約束できない?」

僕は彼女の髪を撫でた。

「そんなことはない。約束するよ」

よかった、と呟き、秋葉は僕の胸に手を置いた。(P.312〜313)

¶D※クライマックス
「さっきいったことは嘘」
秋葉は微笑んだ。
「あなたでなくてもよかったってことはない。
やっぱりあなたでよかった。
すごく楽しかったし、どきどきした。
ありがとう」

彼女の瞳が涙できらきらと光るのが、薄暗い中でもわかった。
少女のように無邪気な表情をしている。
十五年前に戻ったのかもしれない、と僕は思った。

最後のキスをしようと、一歩前に出た。
ところがそれを察したように彼女は後ろに下がった。

「もうだめ。ゲームオーバーだから」
そういうなり秋葉は手を挙げた。
一台のタクシーが、僕たちのすぐそばで止まった。

「送っていくよ」

僕の言葉に彼女は首を振った。
涙で頬を濡らしながらも微笑みを残し、無言で車に乗り込んだ。
僕は窓越しに覗き込んだが、彼女はこちらを向こうとはしなかった。(P.363〜364)

¶E「だから、考えたんだって」
秋葉は僕の手を握ってきた。
「レインスティックよ」

「あれが何か?」

「いったでしょ。
二人で手を繋いでいれば、どんなに冷たい雨が降ってきても全然寒くない。
お互いの温もりがあれば、じっと雨が降り止むのを待てる。
降り止まない雨はない。
きっとこれから、いろいろな苦労が長雨みたいに降ってくるんだろうけど、あたしは耐えられる。
あなたと一緒ならね」

中華街の民芸品店で、秋葉がなぜあんなに熱心にレインスティックを傾けていたのか、僕はようやく理解した。
彼女は自分の決意を確認していたのだ。

「手を繋いでいてくれる?」
秋葉が訊いてきた。
彼女には珍しく、甘えるような目つきをしていた。
だがその目の奥には、断崖絶壁を背にしているような必死の光が宿っていた。

否定などできるはずがない。
僕は握った手を自分のほうに引き寄せた。
彼女の身体は僕の胸に飛び込んできた。

「当たり前だろ」
そういってしまっていた。(P.263)

¶F「いつもあなたは精一杯のことをしてくれた。
イブの日だって、バレンタインデーだって。
あたし、一生忘れないと思うもの(略)」(P.280)

¶G「俺、帰るよ」

「どうして?」
大の字になったまま彼女は訊いた。

「君が酔ってるみたいだから」

歩き出そうとする僕の足に秋葉はしがみついてきた。
「行かないで」

(略)

僕は腰を落とし、彼女の肩に手を置いた。
「もう休んだほうがいいよ」

「渡部さんは?」

「俺は帰るよ」

「だめ」
彼女が抱きついてきた。
「こんなところで一人にしないで」

6

(略)

ゆっくりと秋葉の身体を抱きしめた。
指先は彼女のしなやかさを感じ取った。
彼女の体温が、静かに僕のほうに流れてきた。

なぜ彼女が泣いているのかわからなかった。
(略)

僕たちは唇を合わせた。
(略)

(略)
僕は秋葉の肩に手をかけ、自分のほうに引き寄せた。

彼女は抵抗しなかった。
そのまま自然に僕たちは抱き合い、再びキスをした。
(略)

唇を重ねながら、こんなことをしていると取り返しのつかないことになる、と考えていた。
(略)

僕は彼女をベッドに連れていこうとした。
彼女がいった。
「電気、消して」

「そうだね」

僕は電気を消した。
闇の中で僕たちはもう一度唇の感触を確かめ合った。
目が少し慣れてからベッドに移動し、同時に腰掛けた。

「ごめんなさいね」
秋葉がいった。

「どうして謝るんだ?」

彼女は答えなかった。

僕たちはゆっくりと身体を横たえていった。(P.68〜73)


タグ:東野圭吾
posted by nobody at 18:11| Comment(3) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月03日

偽自己の仮面をかぶり損なった者の悲劇 〜井戸誠一『呪われた人々』〜

今の時期に、この本に出会ったというのも因縁的である。
「家族」というもののもつ2つの側面について考えさせられた。
社会制度の中における家族という一般論と、私的な、あくまで個人的問題としての現実の家族について、である。
そして「家族」について考え巡らすことは、自分の運命にも連なる。

家族とは何か。
それは社会支配制度における、最底辺の政治的・経済的単位である。
社会制度上、秩序をなすためには人間は、それを形成しなくてはならないのである。
性質上、それは人間の本性の抑圧にはたらく。
ただ、いくらそれが社会的強制とはいえ、始終顔を突き合わせていれば情が湧くものであり、世の大勢・主流を成す“円満”な家族というものの大部分はこれであろう。
それに加えて、私にはとてつもなく不思議な力と言わざるを得ない、“慣れ”というものもある。
いくら不本意とはいえ、とりあえず一緒にいればなんとかなり、うまくいく。
全ての婚姻が偽物とはいわない。
“本物の愛”で結ばれた婚姻は本物であり、貴重である。
だが残りの大部分は、仕方なしに社会的義務として結婚したのだろう。
そうでなければ、全くの作られた関係である見合い結婚の説明がつかない。
そのくせ人々は、統一協会の“無作為抽選式”合同結婚式を、自分達も本質的には同じことをしているくせに、「非常識だ」とけなす。
ちょうど、建前では女遊びをするような、あるいは女性遍歴の派手な男性は結婚相手として敬遠せよというくせに、実際にはでは1度も恋愛経験のない男性がいいのかとなるとそっちも気味悪がるのと同じである。

うってつけのエピソードを見付けた。
森鴎外が今まさに死なんとする時に、「実家裕福の後妻」(意味不明瞭。妻の意としておく)は耳元で
「パッパ、パッパ、パッパにいま死なれたら、私たちはどうして生活していけばいいの!」
と叫んだという。
以後、鴎外の無二の親友だった賀古鶴戸は二度と森邸を訪れることはなかった。
そこには、肉親の離別に対する一片の人間的悲しみもない。
ここに、私の言いたいことの重心はある。

私は最近、
「(いわゆる)親であること」、
さらに進んでは
「その親から育て上げられた子であること」、
すなわち
「家族存在すること」
そのこと自体が、体制者たるべく宿命づけられているのではないかと考えるようになった。
いわゆる、というのは、いうなればマクドナルドで微笑みながら食事をし、いっぱしのマンションなりマイホームなりに住む、広告イメージに出てくるような家族であることを指している。

定常的な親がいるということは、社会単位として家族が機能を果たしているということになる。
その機能を果たすには、維持努力がいる。
その中核は賃労働である。
親は老いれば働けないから、子に維持努力を託す。
それあらばこそ、保険として未成熟期間の養育に当たるのである。
つまり親にとって子の養育は、老後投資・将来保障に他ならない。

ただ、全てそうした打算と意味付けると、さすがに虚しいものがある。
一応、理想として“肉親の情愛”を思い描きはする。
だからそのように装う努力はする。
「家族」は、情愛を取り繕う。
それは虚栄としても作用する。

高崎隆夫は、肉親を6人惨殺し、1人自殺させた。
高崎家は、石倉屋と号する味噌屋を営んでいた。
隆夫はその若旦那で、その父安起は大旦那だった。
花江が隆夫の嫁かつご寮人で、3人の子があった。
上から、春子、隆一郎、妙子である。
安起の嫁かつお家さんがすみ。
隆夫は高崎家の次男坊で、上に長男坊の源一郎があった。
源一郎には2人の子があり、それが小夜子と千鳥だった。

“事件”当時、高崎家に生活していたのは安起、すみ、隆夫、花江、小夜子、千鳥、春子、隆一郎、妙子、五朗。
この内事件当日、安起と五朗は居合わせていなかった。
源一郎は関東大震災で3年前に死んでいた。

だから隆夫は、自分の子3人と姪2人と母を殺したことになる。
で、偽装工作のために妻に自殺させるのである。
夫から
「俺が皆殺しした後、お前は全責任をもって自殺しろ」
と言われた妻が、
「はあそうですか」と言って従うというのも、時代性を表している。
事件が起こったのは、大正15年5月15日である。

もちろん隆夫は死刑となる。
まだ当時は尊属殺人重罰規定が生きており、母すみ1人を殺しただけでも死刑となるのである。
本書は大量殺人から死刑に到る隆夫の顛末記である。

動機は、父(そして広くは両親と私はとる)への復讐である。
しかし肝心の父は生き延びている。
要するにあっさりと殺すよりも、蛇の生殺しのようにする方がより残酷だと考えたのであろう。
事実、安起は全ての財産(源一郎の遺産も含めて)を使い尽くし、家業も譲渡し、屋敷さえ売り払い、何もかも失った。

安起が最も気を払ったのは、「家」の隆盛だった。
その「家」を潰すことが、安起へのてきめんの復讐となった。
小夜子と千鳥が巻き込まれたのは、安起が隆夫を無視して2人を承祖相続人に指定したからである。
これにより隆夫は、石倉屋の跡取りの立場にありながら財産分配も受けられぬことになり、また家督相続権からも営業承継権からも除外された。
安起から徹底的にこけにされたのである。

春子と隆一郎が殺されたのは、犯行発覚を防ぐための口封じである。
妙子は一家心中の道連れみたいなもので、残すのは不憫としたのであった。

殺され方は生々しく、酸鼻極まる。
すみの殺され様はこうであった。
「面相がなくなるほど、裁縫ゴテで殴打されている。
そして、五寸釘が三本頭に打ちこまれ、喉といわず胸といわず、出刃庖丁でめった突きされている。
そのうえ、角太の火箸が腹部に打ちこまれ、蒲団をぬけ、畳にまで突き刺さっていた。
…本田主任が、すみの右耳から打ちこまれた大工用ノミを抜きながら、…」

あと、惨殺といえるのは小夜子、千鳥、春子である。
私は、すみよりも小夜子が惨殺されたのにショックを受けた。
隆夫には、直接的・個人的恨みはなく、いうなれば「家」を潰すという形式目的のために巻き添えにされたに過ぎない。
なぜ、惨殺しなければならなかったのだろうか。
殺害時の狂気が一気に迸ってそうさせたとしか解釈できない。
しかも、小夜子は「わたし」(井戸誠一)がほのかに想いを寄せていた女の子だったのである。

「わたし」の父・井戸又市は石倉屋の番頭で、隆夫の一番のシンパだった。
当然、一家は高崎家と家族同様のつきあいをしていた。

高崎家は、いっぱしの資産家ということも手伝って、地元ではしごくまっとうな体を成していた。
問題があるのは隆夫の方とされ、放蕩息子として悪名が轟き渡っていた。
だから全国はもちろん近所の人も、隆夫の一方的突発的な狂乱によって名家が瓦解してしまったと捉えただろう。

だが、それは繕った姿なのだ。
内部は腐り切っていた。
これはあらゆる箇所から自明である。
「犯人」隆夫も、その妻花江も、小夜子も、小夜子の継母さわ子も、広い意味では長男源一郎も、「家」の被害者なのである。
いうなれば隆夫は、己の運命に反逆したのだ。

「わたしはこどものころから、何べんとなく親父に殴られ、涙が出つくしてしまいました。
死刑にするといわれても、涙がでまへんわ」。
この一言に、隆夫の全ての哀しみが込められている。

対して安起の、隆夫に対する一言はどうか。
「これ(源一郎の死)が隆夫の奴と代っていてくれたらなあ。
極道息子はのうのうと生きていやがるが、親おもいのお前(源一郎)が死んでしまうなんて、ああ、ああ、いくら悔やんでもどうにもならんものか」
と、繰り返し繰り返し隆夫の面前で嘆いた。
弁護士はこれが、事件の直接的引き金となったとする。

本来家を継ぐはずだった源一郎が学問に目覚め京都帝大に入学してしまったために、隆夫はあおりを喰って中学を退学しなければならなくなった。
隆夫もまた京都帝大入学を目指して猛勉強していたし、その頃はまだ品行方正ぶりも申し分なかった。

隆夫は泣きながら、畳に額を擦りつけて中学をやめさせないで下さいとひたすら哀願した。
安起の頭には「家」を守ることしかなかった。
すみが阿吽の呼吸で「財産」をエサにしてチラつかせ、翻意を促した。
しまいには
「素直にこどもらしく、『はい』と、いいなさらんか」とイエの権威剥き出しの恫喝をした。
隆夫には従う以外術がなかった。

隆夫はこの時以来、父を憎み続けた。
安起の尋常でない暴力が続いた。
隆夫は
「おゆるしくださりませ。
どうかおゆるしを。
おねがいでございます。
おすくいください。
おたすけくださいませ」
と手を合わさんばかりに許しを乞うた。
安起の暴力はやまなかった。
隆夫が妻子をもってからも、何百、何千回と殴った。
隆夫の唯一の抵抗は、薄笑いを浮かべることだった。

彼の唯一のシンパ・又市はこう言って彼を励ました。
「日本人のよいところは、犠牲的精神やと教えられました。
わたしかていうてみれば、家の犠牲になって働いとるようなものです。
僅かの給料はほとんど父が持って帰る。
わたしの楽しみは何でっしゃろ。
それは自分が働くことによって親がよろこぶ、それだけです。
あんたかてその気になって働いてみなはれ、八人のご兄妹の犠牲になって、俺は石倉屋の商売を盛りたてるんじゃ。
そのように思えば、あんたには酬いがあります。
兄弟や親から感謝される。
これも案外気色のええもんでっせ。
こころの底から、ほのぼのとしたよろこびが湧いてきます」

見事に、最初述べた「家族」の社会制度的役割を示してはいないだろうか。
こうなればまさに、子は親の思うがままになる。
後のシーンでその“犠牲的精神”を擁護肯定し、
「それはちょっとおかしいのではないか」
という疑問を封じるのだから、既成仏教はこの頃から根本的に堕落していたのだ。

隆夫がいわれた通り家業に献身専念したとして、一番得をするのは誰だろうか。
又市がはしなくも言っているように、それは親と兄弟だろう。
では彼らは、又市の説く通り本当に隆夫に感謝するだろうか。
本当に感謝してくれるのであればまだよい。
おそらく表面的には感謝の意を示すだろう。
だが本心ではどう思っているか。
うまいこと犠牲を厭わぬように仕立て上げることができたワイ、うまくいったぞ、というのがいいところだろう。

それでも実利さえあればよいのだと割り切ったとしよう。
事実、隆夫も当初は財産分捕り計画を図ろうとした。
それがうまくいっていれば、あるいはそれで「家」への復讐心も満足できたかもしれない。

実際には安起の方から“防衛策”に出て隆夫はないがしろにされたのだが、それならもし隆夫が最後までまじめに家業に献身し続けていたならば、実利的な酬いがあったのだろうか。

「残るのはこのボロ家と借金だけよ」
と隆夫は推測しているが、私もそうだろうと思う。
とすれば、その際の隆夫の人生とは何なのか。
コキ使われるだけコキ使われ、報酬すら残らない。
体よく利用され、ボロ布のように使い捨てられるだけの人生ではないか。
そのうえ、そんな彼の気持は誰も解ってくれない。
「家」内部の腐った状態は誰も見抜けない。
もし訴え出たとしても、誰もまともには取りあってくれず、一笑に付すだろう。

これは今でもそうだ。
子供が家庭内暴力等を起こす。
悪いのは、加害者は子供の方で、親は被害者と見なされるだろう。
「親の責任」というのも、チラホラと取り沙汰されるようにはなった。
しかしそれはあくまで新聞紙上的論調で、タテマエ論である。
「清潔な選挙を、政策を基に投票しよう」
といくら言ってみても票は金で動き、企業の賄賂や談合がけしからんといくら言ってみても体質の改まることはないのと同じである。

現在、少年法を“改正”し、少年でも凶悪犯罪者には死刑を、という提唱は広く受け入れられる土壌にある。
教師夫妻が息子の家庭内暴力に耐えかねついに刺殺した事件で、北野大などは親への同情論を吐いた。
確かにそれは合理的である。
悪しき合理主義である。

だが、私の立論には1つの決定的と思える弱点があるように思われる。
「家族」の中の親と子のあり方が本当にそのように普遍的・構造的なものであるなら、世の「家族」はすべからくそのような陰惨悲惨な内情を呈すべきではないか。
ところが世の「家族」の大勢は現実にはうまくやっている(ように見える)ではないか。

私にもこれは疑問だった。
だが、木村敏『異常の構造』に、膝を打つような示唆があった。

なぜ、全員が破綻しないのか。
「分裂病者の家族成員個人個人の共感能力は非常に悪いのに、当の分裂病者自身はもっともすぐれた共感能力をもっているという結論に達している。
…分裂病者とは、各成員が共感能力を持ちあわせないような、相互信頼と相互理解の欠如した家族の中に、『場違い』に一人だけ高い共感能力をもって生まれついた気の毒な人間なのではないだろうか。
…分裂病者は、家族の中でただひとりあたたかい人間的な共感能力を持ちあわせていたからこそ、分裂病におちいらなくてはならなかったのではないだろうか。
圧倒的に多くの分裂病者が、幼いときには親孝行ないい子だった、といわれるのも、この推測を裏づける事実であるように思われるのである」

隆夫が分裂病者であったかは解らない。
だが、この推測は広く、破綻者全員に敷衍していいように思う。
家族の他の「健常者」は、共感能力を持ちあわせないのではなくて、厳密には共感能力を鈍磨・麻痺させてしまったのだろうと思う。
それはどういうことによるのか。

「分裂病者が育てられたのと同じ家族内にあって遂に分裂病におちいることをまぬかれている人たちは、多かれすくなかれ堅固で容易にこわれない偽自己の体系を作りあげていると考えてよい。
…このような家族の中に生まれあわせた子供の一人が、井村氏らの指摘するようにたまたま特にすぐれた共感能力をそなえていて、そのために家族の中で彼ひとりが冷たい偽自己の仮面を堅固に作りあげることに失敗したとする。
そのような子供が成人して、やがて彼の自己としてのありかたが根本的に問われるような関門にさしかかった場合、彼は他の兄弟たちのように巧みに偽自己の体系をはたらかせてこの危機を乗り切るということができない」(太字引用者)

要するに、演技をしているのである。
しかもそのことをあまり意識せず、不自然とも思わない。
社会というものを運営していくには、生(き)のままの人間ではダメなのである。
かつて私が「反社会」を漠然と標榜したのも、このことを直観していたのかもしれない。
高野悦子が常に自分に「演技せよ!」と命じていたのも、きっとこのことを見透かしていたのだ。
人は、共感能力(マルクスのいう「類的存在」のようなものだろうか)を擦り減らすのと比例させて、偽自己の体系を作り上げていく。
隆夫の悲劇は、「子は親を選べない」という冷徹な事実を、何よりも強く訴えかけている。
やったことは犯罪だが、私は隆夫を、運命への反逆の実践者として認めるのである。

……と、ここまで私は犯人を隆夫と断定した書き方をしてきたが、どうも釈然としないのである。
それをハッキリとさせていないのが、本書のいくつもある不備な点のうちでも最大の綻びである。
本書を素朴に読めば、犯人は隆夫ということになっていると感取することはできる。
しかしそれを疑わせる根拠はというと、

@隆夫は最後までとうとう自白しなかった。
決定的証拠となった〈花江の手紙〉を見せつけられても、
「ずいぶん手のこんだ芝居を仕組んでだしたな。
このようにしてまでわたしをおとしいれようとする人間がいるんですな。
ええことを教えてもらいました」
とやり返した。
A物的証拠・証拠物件はなく、裏付捜査で証拠書類が作られた。
B最も惨殺の度が酷かったのはすみだが、隆夫の憎しみが特にすみに集 中せねばならなかった理由は思い当たらない。
彼が最も酷く憎んでいたのは、既述の如く父安起である。
Cカルチモン(睡眠薬)は、花江、小夜子、妙子からは検出されなかった。
小夜子から検出されなかったというのは、何なのか。
D花江の犯行時のアリバイが不明。
カルチモンを飲んでいないにも関わらず熟睡していたことにされた。
E隆夫には〈花江の手紙〉が、
「妹の立場をかばうため、安達俊夫がうったトリックとしか思えなか     った」
とあること。
Fカルチモンと五寸釘の購入依頼および使用人への暇出しは、花江によ ってなされたこと。

一番解らないのはEである。
隆夫が真犯人ならば、なぜこんなことを思うのか。

隆夫の単独犯行でないならば、当初いわれた通り花江の単独犯行か、あるいは2人の共同犯行の疑いが濃くなる。
可能性としては共同犯行の線が強い。

最大の確実な“物証”は花江の遺書である。
「わたしは母を殺しました。
わたしも死にます。
隆一郎、妙子は立派に育てて下さい。…」
とある。
筆跡は確かだが、隆夫が強制的に書かせたものと考えられている。
また隆一郎と妙子の存否が事実と違う点もひっかかる。

隆夫は安起の被害者だったが、花江はその隆夫のまた被害者だったのである。
花江を怪しむ根拠はここにある。
彼女は、すみから
「あなたは、たんに隆夫の嫁としてもらったのとはちがいます。
こんなことをいうと何だけど、家にもらった嫁ですよ。
高崎家の嫁ですよ。
わたしのいうことはわかるでしょう」
と言われた。
彼女はこの言葉を家の跡取り息子を生むための女としてもらったのだ、もっというと隆夫のオモチャのためにもらったのだと解釈した。
それは決して大袈裟な被害者意識ではなかった。
ひさ(花江の母)が久方ぶりに彼女を訪れた時、娘の変わりようとくると、何も聞かなくても日々の暮らしが察せるほどの変わりようだった。
彼女の涙声は毎日のように聞かれた。
ただ蒲団の中でしみじみと身の不幸を泣くばかりだった。
そんなこんなで、彼女の憎しみはすみに集中していた。
だから彼女がすみを特に酷く惨殺したとすれば合点がいく。
また、安起への恨みもある。
本書の文脈の中で、まるで何事かを暗示するかのようにポッコリと「安起花江の風呂乱入未遂事件」が出てくる。
行為には及んでいないにしても、彼女にはこの事件が誰にも解らない重みと痛みをもって刻印されたことだろう。

しかし、隆夫真犯人説を揺るがせなくしている最大の事実は、高崎ふさ(すみの妹)の供述である。
犯行時刻に、2階の物干しにいる花江を隆夫が引きずり降ろした、と証言したのである。
ふさの新宅は安起の母屋と壁1枚で隣り合っているのだ。
これで、隆夫の
「犯行時刻、カルチモンの入れられた酒を飲んでこうじ室(むろ)で眠り込んでいた」
とするアリバイ供述は完全に覆されたのである。
ふさの証言はそのまま裁判の判決理由文にも取り入れられた。

しかしふさの側にもやや勘繰れば怪しい点が2つある。
1つは、最初の聴取ではシラを切ったこと。
これは甥すなわち隆夫をかばってのこととされる。
2度目の聴取で偽証罪適用をチラつかされてやっと、「真実」を語り始める。
2つ目は、安起夫婦とは不仲だったこと。
真犯人のつけ込む隙がここにある。

それにしても、叙述を曖昧にするのも小説作法の1つではあろうが、事実関係にきっちりと片をつけてくれるのも著者の責務であろう。
この本にはそれがない。
この点が、読後感のスッキリしない主因である。

最後に、その点を初めとする構成上の不備を何点か指摘しておこう。

まず、ノンフィクションかフィクションかの区別がはっきりしない。
おそらく脚色を加えたとしても基本的には事実なのだろう。
陸軍少尉田中静壱という終戦時の陸軍大将も出てくる。
また本書中の「わたし」の名も井戸誠一で、これはズバリ著者名そのままである。
こんな形態は初めてである。

「わたし」の父・井戸又市のキャラクターは、前半部分では夕食時に子供らに軍人勅諭や教育勅語を暗誦させるような、典型的な軍人精神の権化として描かれていた。
ところが後半になるにつれ子煩悩な面も見せ、ある種「大草原の小さな家」のチャールズ・インガルスを思い起こさせるようにさえなる。
この二面性は二律背反で、とても両立するとは思えない。

随所で感じる不備さは、文脈の時系列の混乱だ。
たまには回想シーンなどあって、時系列が逆転してもよい。
しかしあまりにも度が過ぎると、一体正確な順序はどうなっているのか混乱をきたす。
後半では井戸一家は惨劇の舞台となった高崎家に引っ越すのだが(これも近所から極端に気味悪がられた家で、よほどの強力な事情でもない限り妻や子供らが容易に了承するとは考え難い)、安起が寝込んだり又市が隆夫の遺骨を持って帰ったりするシーンが入り乱れ、一体これは引っ越し前のことなのか後なのか、後だったら安起はどこへ移ったのかなど掴み難かった。

最後の章は「結びにかえて」と題されており、「わたし」の母の死が主たる内容となっているが、これも小説本文の一部なのか、本文とは別のあとがきなのか判然としなかった。

また、終わり近くに、隆夫の葬式の場面で源徳寺住職のありがたげな説法が出てくる。
「王舎城の悲劇」というもので、石倉屋事件となにやら通底するものを含んでいるそうだ。
それが何を言わんとしているのか、明快には解らない。
話の最後には「悪逆のダイバダッタ」という登場人物が唐突に出てくる始末。
しかし「わたし」の母小春はこれをきっかけとして深く浄土真宗に帰依するようになったのだった。

また、安起の隆夫への最終的な対応も解せない。
死刑前の最後の接見で、2人は何も喋らなかった。
感極まってというのではなく、隆夫は薄笑いを浮かべたのだった。
それは彼の最後の抵抗だった。
2人の断絶はここに極まった。

それなのに、安起は渋々ながら、塩味饅頭を食いたいという隆夫の最後の頼みに応えた。
それ以前にも、裁判をなんとか無罪にもち込もうと膨大な訴訟費用をせっせとつぎ込んでいた。
これは隆夫の身よりも「家」の名誉のためと説明されてはいるが、それだけでは説得力に欠ける。

安起の行動は全てが打算的で、薄汚かった。
さわ子が源一郎の遺産の額を明かすや否や、彼はピクリと触手をはたらかせ、なんとしてもさわ子と真一郎を連れて帰らなくては、と目の色を変えた。
さわ子が「家」内部の薄汚さにほとほと参り切り、東京へ帰ると言い出しても安起は頑として譲らなかった。
遺産略取の前には親子の情も何もないのである。

「さわ子の頭の中を、遺産のことがかすめてとおった。
彼女はひとりうなずいた。
すべてが、遺産にかかわっていることを知った。
この貪欲な人間にものをいうのも嫌である」(太字引用者)。
やっとさわ子は気付いた。
真一郎の世話は花江に任された。
そこでは安起夫婦にとって、花江は「授乳機械」でしかなかった。
彼女にはまだ、自身の乳呑み児がいたのだ。

結果的に真一郎は、この裕福な高崎家という環境からすると信じ難いことに、栄養不良で死んでしまう。
遺産のために、心の底では安起夫婦は真一郎の死を待望していたのではないかと勘ぐりたくすらなる。

安起の横暴の陰で、すみの口添えもぬかりない。
夫と花江の関係をただしながらも、
「あればあったでちっともかまやしませんよ」
と、夫婦間の人間的な情愛は最初からないのだ。
ただ自分が出し抜かれたことが、不快なのである。

この辺のすみのぬかりなさというのは、女性特有というのか、現象的には見えにくく、したがって批判されにくい。
この辺が狡猾というのだ。
内田春菊『ファザーファッカー』の母親像を思い出す。
その中での母親は、一見娘に同情的で、理解者の如く見えないこともない。
が、よくよく言動を見てみると、見事に夫の意向をいつも「陰ながら」反映し、ある意味では夫よりも陰湿なのである。

高崎家内部の陰惨さは、内部の者しか解らないだろう。
腐った土壌からは、まともな芽が育つはずもない。
なのに社会的すなわち法的断罪は、芽にしか及ばない。
このような腐った土壌から隆夫のような破綻者(破綻させられた者)が出てくるのは、無理からぬことなのである。
そしてもちろん、破綻の責任は土壌にある。

思えば私は「現代」、そしてそこに現される病症についてあまりにも狭く考え過ぎていたようである。
本書に現れている社会の病弊は、本質的には今と同じである。
既に「金が全てだ」という記述が随所に現されている。
今よりましなところといえば、まだ農業従事者が圧倒的であり賃労働の悪弊がそれほどあからさまではなく、クルマが皆無だったということくらいである。

構成上数々のホコロビがあるにしても、私が魅き込まれた理由は、すんなりと入りやすい私にフィットする文体にあったことは否定できない。
特にセリフの部分だけをとってみると、立派な練成度に達しているといえる。

隆夫のキャラクター設定、特に容貌面に関しては今一不充分だが、料理屋で飲んだくれる場面などから太宰に近いものを感じた。
素朴な時代背景も手伝っている。
「わたし」は隆夫が好きだった。
いつもにこにこしていた。
写真をよく撮ってくれたりした。
「わたし」の父又市がただ1人最後まで隆夫を見捨てなかったのも、息子と同じ気分だったからだろう。

いくらフェミニスト達などが頑張っても、社会がこのままであり続ける限り、その最底辺単位として機能するイエ制度はなくなりそうもない。
そもそも社会というものを形成していく以上は(人類のこのままの生存のためには)、“真”を歪め、隠蔽するしかないのである。
                                           (1995.5.24  24歳)



タグ:井戸誠一
posted by nobody at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月28日

名文やや嫌味がかる 〜外山滋比古『ことば春秋』〜

もう本当に手がきつい。
ハッキリ言ってもう字を書きたくない。
今の今まで、「心に残った言葉」を書いていたのだ。
今回は、最大の規模となった。
18ページ、かかった時間はおそらく5時間を超えているのではないか。

『昨日は今日の昔』のところにも書いたように、彼の文章は本当に分かりやすく、簡潔、明快である。
つっかえるところがほとんどない。
文と文とのつながりの分かり辛い坂口安吾(今読んでいる)や、文そのものが分かり辛い谷川俊太郎とはえらい違いである。

今回、彼の文章はなぜそうまで分かりやすいのか、その原因の一端を掴んだ。
言葉の使い方が、非常に適切でタイムリーで、うまいのだ。
辞書の例文のようにぴったりフィットしているのだ。

それに彼は日本・外国問わず、いろんな諺、名言、エピソードなどを心得ている。
あまりにもボキャブラリーの豊富な人物である。

ただ今回はちょっと、嫌味になる文章が目立った。
要望をそのまま文章にしているのである。
読者はそれとなく書かれた文章に反応するのであって、そのままというのはどうかと思う。

また、
「ありがとうといえないのか」
という題名など、とにかく他に対する文句が多かった。
玉に疵といったところである。
                              (1988.8.18  17歳)

§箴言集§

¶講演を聞きにくる女の人はたいてい筆記具をもっていて、せっせとメモをする。
そちらに忙しくて講師の顔などほとんど見ていない人さえある。
これならラジオをきいているのと変わらない。
字を書けば、耳の方はお留守になる。
頭だって話に集中しにくいだろう。
メモをあとで復習するなら意味もあるが、多くはとりっ放しで、読み返さない。
ムダだ。

ぼんやり聞いていた方がよほどよく頭に残る。
数字や人の名前、書名で忘れては困るところだけメモするのが賢明である。
                                        ──「メモ」

¶私も手帖には目がない。
いくらでもほしい。
手帖をもらえば喜ぶところはアフリカ人とそっくりで、そういう遠方に同好の友がいると思うのは楽しい。
                                        ──「手帖」

¶何か思いついたことがあると、手帖に書きつける。
前後の脈絡などお構いなしで、ただ記録する。
ちょっと線を引いて、すぐ次のことを書きつける。
余白はない。
昔からそれくらい資源を大事にしている。
と言うのは冗談だが、そうでもしないと手帖がたまらないのである。

びっしり、まっ黒に記入しても多い年には六冊、七冊の手帖を書きつぶす。
メモ魔というイヤな言葉がある。
自分で自分のことを魔だなどと思ったことはないが、良識ある人から見ればメモ魔の容疑は充分であろう。
                                        ──「手帖」

¶君子ハ南面スという言葉もあるほどで、われわれの文化はもともと南方志向的である。
家屋もできれば日当たりのいい南向きに建てようとする。
南をあこがれる心理を持っているのだろう。
南は陽、北は陰だが、山陰の人たちがこの陰という字を嫌っているという話をきいたことがある。
やはり南方志向のあらわれである。
                                        ──「北面文化」

¶業者の方ははじめから「いちげん」主義である。
二度来てくれなくて結構、その代わりやって来たカモからは後悔のないだけ絞り取ろうと考えている。
客がまた成上がりレジャー族で恒心がなく、あちこちさまよっていて行きつけのところのない連中が大部分だから、まんまと網にかかる。
ものの使い捨ては批判され出したが、客の使い捨てはいっこうに反省されない。
人間はもの以下なのか。

そう言われてもしかたないくらいお客はふがいない。
豆腐が十円安いからと遠くのスーパーまで買いに行ったりするくせに、いったん旅行に出ると、デノミでも起こったみたいに気前よく札びらを切る。
不当な請求書をつきつけられても腹を立てたりはしない。
もっとも、帰ってきて、十円、二十円が気になるような生活に戻ると、ジワジワ悔恨が頭をもたげてくる。
                                   ──「使い捨て時代」

¶そのうちに(ホテルのテレビは)百円で一時間しか見られなくなった。
こんなところにも値上げはあるのだ。
ワイド番組だと百円では最後まで見られない。
それで、いかにして百円を長もちさせるかを根本は考えた。
まずCMが始まったら電源を切り、終わった頃を見はからってコンセントをさし込む。
こうしてCMのたびに何十秒かずつかせぐ。
Cが長いのはかえってありがたいそうだ。
ぼんやりメーターの進むのにまかせてコインテレビを見るのはお金を払ってCMを見せてもらうお人好しだと根本は笑った。
                           ──「ただではないCM」

¶このごろ医を仁術だと思っている人はない。
お医者の仁術はニンジツと読むのだと思っている。
さもなければ、サンジツでお金持になるのが近代医学の極意なんだろうと、貧乏人がひがみ、ささやく。

仁術でも算術でもいいが、大切なのは、いかにして人ひとりを死なすかのシジツである。
その研究の余地は大いにあると見た。
                                        ──「入院」結び

¶──君には非の打ちどころがないが、ひとついけないところがある。
服を“盗んでいる”ことだ。

おどろいた友人は、とんでもない、これは自分の服だ、と弁明したのはもちろんだ。
相手のイタリア人はそんなことではない。
日本人なのにどうしてヨーロッパの服装をしているのか、と言っているのだと補足した。
友人は二度びっくりした。
思いもかけなかった。

彼は和服をもって行っていなかったが、ぜひと言われるままに、しかたなく、寝間着に三尺帯を巻いて歩いてみせたら、やっぱり、りっぱだとほめられたそうだ。

こちらに借りているつもりがなくても!相手からは無断借用、盗用と見られることがあるから、こわい。
サルマネ日本人という国際的批判も無自覚的借用から出たサビである。
新しい文化を摂取したつもりで、いい気になっていると、思いもかけぬ冷水を浴びせられる。
われわれはどうも借りることを簡単に考えすぎるようだ。
                                  ──「借用・盗用」

¶なるべく近く見せかけて客の足を引こうとする気持ちはわからぬではないが、長い目で見れば結局は信用を失って損だ。
中学校の英語の教科書にあった“正直は最上の策なり”(オネスティ・イズ・ザ・ベスト・ポリシー)を思い出した。
                    ──「距離の“あげ底”」結び

¶大きな荷物を手にエッチラコッチラ歩いている人間の姿はお世辞にも美しいとは言えない。
それに比べると、たとえば、競走馬の見事なスタイルはどうだ。
ほれぼれするではないか。
『ガリバー旅行記』でスイフトが人間より馬の方がずっと高等だ、美しいと言ったのが決して皮肉でも逆説でもないことがわかってくる。
とにかく馬の姿には自然の美しさがある。
                                    ──「重い手荷物」

¶勉強などだれだっていやにきまっている。
放っておいて、甘い顔をしていて、させられるわけがない。
ツトメシイルと書くではないが。
いやでもやらせるのが教師のつとめだ。
笑ってばかりいられるわけがない。
教育者はコワイものだ。
                                  ──「“人間距離”」

¶適当な間合いが必要で、年齢で言えば、年がくっつきすぎても、離れすぎてもいけないのである。
師弟の年齢の差は、私の経験によると、二十五年プラスマイナス五年。
つまり、先生は生徒と二十年以上三十年以下のトシの開きのあるのがいいようだ。
                                    ──「“人間距離”」

¶まず、日曜、休日の朝は思い切り早く起きる。
勤めのある日が七時半起床なら六時ごろ床をける。
(バカも休み休み言え。
休みに早起きしてたまるか、などといきまかずに、まあ、お聞き下さい。)

顔を洗ったら飯は食べずに、ひとりでぼんやりものを思う。
何が頭に浮かぶか知れないが、朝の思想は清純である。
この神聖な時間を新聞の俗悪な記事などで汚してはもったいない。
いけないのは小説を読むことである。
心掛けのいい人は前の晩にプランをつくっておく。
そうでなくても、休みの日の朝読む本がきまっているといい。
日曜画家というのがあるが、休みにまとまった勉強をする習慣があれば日曜学者になることも可能である。

飯を食っていないのだから「朝飯前」の時間が続く。
昼になったらたっぷりおいしいものを食べる。
時起床ならすでに六時間仕事をして相当疲れている。
食事のあと眠くなるだろう。
ふとんに入って本格的に寝る。
雨戸がしめられればいっそう感じが出る。
何時間か寝て目をさまし、さて、もう朝も遅いらしい、寝過ごしたかと錯覚するようだったら成功である。
すなわち、そのときを第二の朝として、それから夕食までをまた「朝飯前」
考え別の仕事をする。
よいことうけあいで、こうして一日を二日にすることができる。
                                        ──「日曜学者」

¶勤め先の同じ連中が集まってしゃべるから、上役の悪口くらいしかサカナにするものがない。
ロータリークラブが支部の会員を一業一人に限っているのは、内輪のことは話題にしないように、なるべくおもしろい会になるように、という工夫であって、さすがと感心する。

一般に会というものをもっとおもしろくしないと、世の中もおもしろくならない。
                        ──「愉しい座談」結び

¶はじめての人に会う前に、その人の書いたものがあれば、それを少し読んで行くと、難しい話も案外すらすらはこぶものである。
インタービュアーで成功している人は、たいていこういう目に見えない努力をしている。
書いたものを読んで、相手の風にあらかじめ吹かれておけば、おのずから気心も知れようというもの。
臨時に相手の心がうつるのだ。
気風という風をもっと大切にしたい。
                                    ──「大切な気風」

¶小さな子供が電車の中で立っているから席をすすめたら、その子の母親が、ありがとうございますが、立たせておいた方がこの子のためですから、と断ったという。
ドイツ人の母子の話で、さすがに向こうの母親はしっかりしているね、という解説がつく。
                          ──「楽々人間」出だし

¶転校はいやなものだが、世の中へ出てみて、はじめてこれがどんなにプラスになるかがわかる。
日本は島国。
民族としても転校嫌いで定住を喜ぶ。
だからこそよけいに動くことを怖れず顔見知りしない雑草文化を目指すべきだろう。

子供の転校を親が怖れなくなるのは、その第一歩である。
                              ──「楽々人間」結び

¶やっぱり、と思ったが、(ひどい目にあった)次の披露宴では珍しい算術を教わった。
1から10までの数を二つに分けて掛け合わせると、1×9=9、2×8=16、……で5×5=25が最大になる。
夫婦も同じ力を持つのがいいというスピーチを社長さんがした。
こういう社長がいるというだけで何だか気の利いた会社のように思われてくるから不思議だ。
                               ──「企業イメージ」

¶自分の名前は小声でしか言わない。
われわれは天孫民族かどうかは別として、ケンソン民族なのだ。
                                    ──「名を惜しむ」

¶英語だと、グッドモーニング、ビルなどというが、日本人はおはようだけだから、グッドモーニングのあとへ名前をつけない。
相手からすれば妙な感じであろう。
                                    ──「名を惜しむ」

¶北海道の小さな駅、幸福行き愛国駅発行の国鉄切符が昨年バカ売れに売れ、三百万枚とか四百万枚とかに達したという話だ。
若ものが結婚のプレゼントなどにしていたのを大企業が目をつけて大量に買い付けた。
                                  ──「実体より名称」

¶シェイクスピアの『ジュリアス・シーザー』で「あいつは他人の言い出したことについてくるような人間ではない」
(He will never follow anything / That other men begin.)
という文句を見つけた。
シセロのことを言ったブルータスのことばだが、そう言われる人間になりたいと思った。

その後、ある陶芸家のことば 
「道を歩かぬ人、歩いたあとが道になる人
にめぐり逢って、これあるかな、と感心したから、こちらにくら替えした。
                            ──「道を歩く」出だし

¶もっとも、雑談を生産的にするにはちょっぴり工夫がいる。
まず、他人の噂話を避けること。
人名が出てくると、話はとかく低俗に流れやすく、夢が語れなくなる。
もうひとつは、なるべく違ったことをしているもの同士が集まって、存分に話せる雰囲気をつくることだ。
同業者の間では話が小さくなっておもしろくない。
                              ──「雑談の効用」結び

¶おしゃれはモノのよしあしによるのではなくて、身につけたものを生かすかどうかにかかっている。
                              ──「身についたおしゃれ」

¶言葉は最大の身だしなみ、最高のお化粧であることは、フランス人がいちばんよく知っている。
お嫁に行く娘にフランスの母親がいうそうだ。

「何ももたせてやるものはないが、美しいフランス語だけはもって行かれるね」

それが何よりの贈りものになる。
日本も早くそういう国にならないかなと思う。
                               ──「身についたおしゃれ」結び

¶すべては金もうけのためだと考えている。
日本の観光業者は日本人の中でももっともひどいエコノミック・アニマルである。
                              ──「ひどい観光」

¶観光業者が心を入れ変えるまで、旅行をしないようにしようと思う。
                              ──「ひどい観光」

¶「仲間」という英語コンパニヨンの語源は、ともに食事をする間柄の意味だという。
わが国でも“同じかまの飯を食った仲”は特別な親しさを感じるし、学校の寮でいっしょだった友人にはたんなる同窓とは違った気持ちをもちつづける。

中国料理は大皿に盛ったものをみんながとり分けて食べる。
西洋の料理でも食卓で肉を切り分ける。
それに対して日本料理は、はじめからめいめいの前に食べものが分配されていて、たいへん個人主義?  である。
                              ──「よき友とは……」

¶それにしても、幼年の歴史がいかに心の中でたわいもなく変容するものか、こんどのことでつくづく思い知らされた。
しかもそういう変形した幼い日の思い出を心の柱として生きてきたのである。
いまさら、その柱は中がうつろだったといわれてみても、これまでの半生をもう一度やり直すわけには行かない。

人間とは、そういうものかもしれない、と思ったりする。
                              ──「幼年の歴史」結び

¶当分は半信半疑、というよりも、まさか、と思っていたが、その後数年して、別の姓名判断の大家からも、また、すばらしい名前だとほめられた。
シェイクスピアの『マクベス』に三人の魔女が出てくる。
その魔女にあなたは王様になると言われてマクベスはその気になる。
一度だけならともかく、二度まで同じことを言われてみると、マクベスではないが、そんな気がしてくるから妙だ。
そのころ、父はいまから思うと死の病にとりつかれて入院中であった。
見舞ったついでに、このことを伝えると、前にはさほどうれしそうな顔もしなかったのに、こんどは喜んで、そうか、そうか、と何度もうなずいて見せた。
それからしばらくして父は亡くなったから、最後にいい親孝行をしたと思う。
                              ──「ジビフル・ジョンブル」

¶勉強も仕事も、果物と同じで、朝のうちが金、昼は銀、夜は銅、深夜になれば石くらいである。
                              ──「朝は金」

¶こういうぜいたくな世の中で子供を育てるには、質実剛健はりっぱな目標になる。
それでこそ心身も鍛錬できるだろう。
不自由がちな生活をしている子供たちには質実剛健と教えたくせに、いまこそ必要だという時代になったら、だれも口にしなくなってしまった。

そればかりではない。
ゆとりのある生活をしよう、豊かな人間性を育てよう、などと言い出した。
豊かさの中で、そんなことを言えば、ぜいたくをすることかと勘違いしかねない。
どうも、いつの時代も教育は逆のことばかりしているような気がする。
                              ──「質実剛健」結び

¶昔、フリジアにマイダスという王様があった。
手の触れるものをすべて黄金にして下さいと神様に願ったところ、願いは過分にかなえられて、食べものまで金になった。
困ったマイダスはまた元のようにしてもらったという話がある。
                             ──「年齢」出だし

¶そのドイツ人夫妻がイタリアのシシリー島でレストランに入り、テーブルにつくと、黙っているのにドイツ語のメニューをもったボーイが流ちょうなドイツ語で話しかけてきた。

どうしてドイツ人とわかったのか。
訊いてみると、椅子の坐り方、タバコとマッチをテーブルにのせた、その仕草でわかった、と答えたという。
                              ──「外国人」

¶西洋でも、世の中でいちばん恐ろしいのは、女房の説法と雨もりだと告白した古い詩がある。
                              ──「モルがこわい」

¶すぐれた外国商品は“ものいわぬ大使”だと言うが、このストーブがそれだろう。
                              ──「ものいわぬ大使」

¶それはそうだが、東と西の違いも、やはりはっきりしている。
タタミの大きさが同じでないなどというのは、どちらかといえば、小さな問題である。
                               ──「所変われば」

¶東の味は塩辛すぎておいしくない、と関西人が批判すれば、東の人は上方の味は妙にあまったるくて、と不平をもらす。
同じ寿司でも江戸前と大阪寿司ではまるで違う。
東がそば中心なら、西はうどんでこい、と自慢する。
                              ──「所変われば」

¶ただ、外国で生活する人たちが日本流のうるさい音をたれ流したら、たちまち“悪者”扱いされることを、外国へ行かない人も、せめて知識としてはもっていた方がよいだろう。
                              ──「大きな音」

¶それにしても、近代のもっとも聡明な知識人だと思っている漱石が稲を知らなかったというのは、やはり子規とともにおどろいていいことであろう。
                              ──「コメのなる木」

¶「学校の廊下や校庭にゴミが落ちていたら拾うか」

こういう質問に対して、拾うと答えた日本の小学生は五%、百人に五人しかいない。

わざわざ「日本」と断ったのは、国際比較調査の結果だからである。
フィリピンの子供は四〇%、シンガポールの小学生は三九%が、拾うと答えた。
                              ──「子供部屋」出だし

¶昔の人は
“売家と唐様(からよう)に書く三代目”
と言った。
初代は裸一貫からたたき上げて、産をなす。
二代目は幼いときに貧しい暮らしを知っているから、大きくすることは無理でも、家を守ることができる。
ところが三代目はいけない。
わがまま放題に育つ。
苦しいことに堪えることが難しい。
ちょっとしたつまずきで、たちまち破滅を招く。
住む家も売らなくてはならなくなる、というわけである。
                              ──「かわいい子の旅」

¶ところが、実際には、秋はあまり本が売れない。
ひどく売れないという声もある。
だからこそ、秋に読書週間があるのだ、という理屈になるのかもしれない。
ちょうど暑くて食欲のない土用は、放っておけばウナギなど食べようとする人はない。
だから知恵者が土用うしのウナギという年中行事をこしらえた、というのと同工異曲か。
                              ──「主婦の読書」

¶「パーキンソンの法則」で世界的に有名なC・N・パーキンソンという文明批評家が歯が悪くなった民族に未来はないとのべている。

それは中国の歴史を見ればわかる、という。
天下をとった部族が美食になれる。
すると歯をやられる。
ナマの食べものを食べている周辺の部族が中央に攻め上ってくると、あっという間に亡ぼされてしまう。
こんどは勝った方がまた手のこんだ料理で歯を弱くして、新手の歯のつよい“蛮族”にとって代わられる。
中国の歴史はこのくりかえしだったとパーキンソンは言うのだ。                                              ──「目と歯」

タグ:外山滋比古
posted by nobody at 22:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月26日

活字で笑うという初体験 〜遠藤周作『わが青春に悔いあり』〜

110円。
この本の値段である。
もちろん定価ではなく、古本市でのものだが、
「何か安くて(100円前後で)面白そうなエッセイ集でも買ってみようかな」と本当に何気なしに買ったのがこの本だった。

買ってすぐの頃は、何か医者、病院などに関する項を多く目次に見たので、
「なんだ、そういうのが中心なのか。
もっと日常的な話題のエッセイが欲しかったのにな」、
と読む前から期待外れと思っていたのだが、まさに嬉しい誤算で、大変面白い傑作エッセイだった。

この本を読む前は、遠藤周作といえば、あまりに純文学過ぎて近寄りがたいような敬遠の気持をもっていて、著作もキリスト教とか宗教的な題材のものばかりと自分には無縁な作家と見なしていたのだが、いざこの本を読んでみて、いっぺんに遠藤周作が好きになってしまった。
特に、「外国語はムツかしい」の編では、外国語(フランス語)習得時のとんでもないエピソードこれでもかこれでもかと紹介されていて、思わず爆笑してしまい、しばらくは思い出し笑いを禁じ得ないほどだった。

──と書いてくると、この本はギャグばかりなのかと思われるだろうが、そうではない。
これから生きていく上でぜひ知っておきたいこと、大切なことを、箇条書き風に、親切にたくさん教えてくれて、大変ためになった。
どんなことかというと、手術時の様々な心構え、夫婦生活での知恵などの分野に渡ることだった。

またそれだけでなく、いわばエッセイの本流とでも言うべき、筆者の人情味溢れるいくつかの経験も回想風に書かれており、特に筆者が慶応の医学部でなく内緒で文科に入ったことを父に告げると、それを聞いた父は
「出て行け」
と言い、さらに追い討ちをかける強烈な一言
「お前は米くい虫である」
を筆者に浴びせたところなど、まだいくつか心に訴えるような体験談があった。

さらにまた別のエッセイ集、その次は『沈黙』にトライしようと思っている。
                                          (1990.3.20  18歳)

タグ:遠藤周作
posted by nobody at 10:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月25日

人間とは何かという答えの見付からぬ問い 〜下里正樹『「悪 魔」と「人」の間』〜

自分と七三一は半歩も違わない──
筆者はそう言う。
日本人は、集団の中で己を隠し、行動する性質をもっている。
“赤信号、みんなで渡れば怖くない”
というフレーズがそれを如実に表している。
日本人のそういう集団性の怖さを大いに主張していた。

「丸太」と呼ばれ、様々な生体実験をされた約3000人余りの捕虜達。
この本には、その人間として扱われなかった「丸太」達の無念さも書かれていた。

909号という1人の「丸太」がいた。
彼は、
「娘に、妻に、一目会わせてくれ。
必ずここに戻ってくる」
と懇願したが、受け入れられず、赤痢菌注射で絶命した。
これまで気付かなかった、「丸太」の人間性、感情的なものを知った。
これまで七三一というと、その残酷さばかりに気持が向き、「丸太」側の気持には気付かなかった。

真理探求は、度が過ぎるとこういう人道を外れた“奇形”を生む。
筆者はこのことも強く訴えている。
人間とはいかなるものであるか、という答えの見付からない問いかけをしているようだった。
                                                     (16歳)

タグ:下里正樹
posted by nobody at 22:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月20日

地球環境論は常に曖昧 〜福岡克也『地球大汚染 黙しているのはもう限界だ』〜

狂気の沙汰としか言いようのない無為の時間が過ぎた。
実質的に、大学時代に入って完読し切った本は、未だにこの1冊のみである。
「実質的に」というのは、小室直樹のカッパブックスなどを買い集めて、それらを部分的に読んでいたりしたからだ。

買ったのが確か今年(1990年)の4、5月。
それから約7ヵ月。
緑ガ丘公園の四阿でほっかほっか弁当を食いながら読み、息苦しく疲れも癒せない電車の中で立ち読みし、読み終わったのが夏休みに入る少し前の、7月初め頃。
これだけでも恐るべき遅さだが、ここまでならまだいい。
問題は、ミニ感想文執筆が、今日までさらに4ヵ月延ばし延ばしになったことである。
言い訳を言って済む問題ではとうの昔になくなっている。

部屋(と呼べる代物では到底ない)ではほとんど全く読まなかった。
いや、読めなかった。
隣のバカ野郎が毎日毎日毎日毎日×100、テレビを声高くして見ているからである。
このバカ男ときたら、ともかく、部屋に入るやいなや、まるで尿意をもよおした人がやっとトイレに入れたかのごとく、すぐさま、即刻、テレビをつける。
そしてつけたまま平気で寝、外出する。
電灯など1日中、ひいては永久につけているのではないか。
決して誇張ではない。
電気代は、新聞奨学生と従業員が使用した総額を、平均して負担して払う仕組みになっている。
つまり、このバカが遠慮会釈なく湯水のように使っている電気代は、私などの平均以下の電気しか使っていない者に上乗せされ、結局バカは得しているのである。
理不尽どころの話ではない。

このバカに関して最も腹立たしかったことは、今年の5〜6月頃のことだ。
この間、私は新聞配達のあまりの過酷さに耐え切れず、大学を1ヵ月以上長期に渡ってズル休みを続けていた。
「耐え切れず」ということはつまり、眠いのだ。
もし自分の部屋が本当の個室だったら、夕刊まで寝ていればいい。
それには何の問題もない。
しかし、この部屋もどきが本当の個室ではなかったため、それはできなかった。
どういうことかというと、このバカ男がいるため、部屋に入って眠れなかったのだ。
1度、眠りかけていた時、大学に行く準備をしたバカが私の部屋を通りながら、
「あれえ!?」
とか言っていた。
必ず何か一言言うのである。
だから、私はソーッと自分の部屋なのに物音を立てないように自分の財布を取って外に出たり、まだ開いていないゲーセンに行ったり、前にも書いたように人目を気にしながら緑ガ丘公園の芝の上で寝たりしなくてはならなかった。
そして、9時、10時、11時とかになって、もういないだろうと思って部屋に帰ってきても、なんとまだいるのである。
それは例のテレビの音と、スクーターのDioによって確かめられた。
だから、私はDioが大っ嫌いになった。
いくらなんでももういないだろうと思って帰ってきて、あのDioがある時の悔しさ、悲しさ。
とても言葉では表せない。
将来私がスクーターに乗る機会を得たとしても決してDioだけには乗るまいと心に誓った。
そこで私は文字通り、JITTERIN'JINNの「アニー」という曲にあるような、
「自転車に乗って毎日ブラブラ」
という自堕落な生活を余儀なくされた。
そこで最も腹が立ったことというのは、“時間を無駄に過ごさねばならなかった”ということだ。
とにかくこの時間は寝たかった。
それなのに寝れなかった。
つまり何もできなかったということだ。
この時間に寝ておけば、夜、目が冴えて、本が読めたはずだ。
ところが寝れなかったため、結局夕刊配達が終わって貧弱なメシを食ったらもう眠いのである。
何もすることがないのだったら本を持っていって公園で読めばいいじゃないか、と思うかもしれないが、午前中にそれだけの意欲があれば大学へ行っている。
とにかくこの時間、私が為すべき唯一の行動は、睡眠であった。
前に書いたように、この本や新聞を、公園で読んだりしたこともある。
しかしあれは稀なことだ。
他にどうしようもなかったから、やった1つの実験的行為だ。
毎日できることではない。
とにかく、あのバカ男のせいで私は時間を無駄に過ごさざるを得なかった、このことが物凄くムカついてしょうがないのである。

さて、そろそろ本題である本の感想に入らねばならない。
内容については、大いに不満だった。
環境問題は今や一般的に大きく広まっている。
みんなの関心事である。
「どうなる」
「どうすればよいか」、
この2点を明確にする必要がある。
なぜなら、これまでの環境問題の論じられ方は、
「このままだと〜になるだろう」
「〜なるかもしれない」とかあまりにも曖昧だった。
歯切れが悪かった。
だから一般大衆の反応も曖昧になる。
また、
「ならばどうすればいいのか」、
これは誰もが思うことなのに、明確な答えはなかった。
だから、汚染がますます進む。
せいぜい、フロンガスの入ったスプレーを買わないようにしよう、とかいうバカげた行動しかとれない。
長い目で見れば それは確かに環境保護運動の第1歩かもしれないが、問題解決の方法として根本的に間違っている。
そんなもん、ごく一部の人が買おうが買うまいが、それに依存している生産体制が存在する限り、関係なく生産され続け、消費され続けるのである。
それに、もはや長い目で見ている余裕などないのだ。

したがって、これからの環境問題論に必要な視点は、正確な事実認識(「こうなるだろう」ではなく「こうなる」という情報)、それに、それに対する具体的対応の方法である。
この2点がこれまでは欠落していた。

私は主に前者の視点をこの本に望んだ。
しかしそれは充分に満たされなかった。
小見出しは衝撃的なことが書いてあるが、内容がそれに対応してないのだ。
それに一番の矛盾は、筆者は
「ところで、ガンは患者に告知するべきだろうか」
と、この危機をガンにたとえている。
ということはもう助からないということが前提となっていなければならない。
ところが後半には
「今が地球を救える最後のチャンスなのかもしれない」
と、いくつかの保全策が書かれている。
助かるのか助からないのかハッキリしろ、と言いたい。
それと事実認識についてだが、この本から学んだことを私が一般大衆に呼びかけるとして、彼らが
「おお、それは大変だ。そんなに事態は深刻だったのか」
と、ある程度の衝撃を受けるような事実を語らねばならない。
でないと意味はない。
ではこの本を読んでそれは得られたか、というと、得ていないのだ。
確かにいくつか衝撃に近いデータもあったが、それでもまだそれらは予想の域を出ていないのだ。
つまり、やはりというか、環境論はこれまで通り曖昧さを残す結果となった。
環境論から曖昧さを除去しない限り、一般大衆が自らの危機として環境問題を捉える日は、いつまで経ってもこないだろう。

これまでは、このミニ感想を書いていなかったため、新しく別の本を読むのも、なんとなく気がひけた。
電車の中で『アメリカの逆襲』を読む時も、
「その前にミニ感想を書いてしまわなければ」
と焦り続けていた。
今、こうしてやっと書き終わったことで、やっと喉に食物が詰まったような感じで食事をするような気分から解放されることになる。
諸悪の根源は新聞配達、新聞“妨”学会である。
私は今この搾取に対する怒りでいっぱいである。

                                           (1990.10.10  19歳)



タグ:福岡克也
posted by nobody at 00:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月31日

人生と読書の一断面 〜島崎敏樹『幻想の現代』〜

ふるさと  

  これで東京も見おさめですなあ――若い社員風の男が見おくりにきた同僚らしい二、三人とはなしている。東京から山陰へ直行する急行の二等寝台車のせまい通路である。
 私の寝台は、転勤にでもなるらしいこの社員風の若いひととおなじ蚕棚になっていたが、彼は下段で、私は一番上の天井直下である。夜行はここにかぎるということは、旅なれた人なら知っていることで、荷物の置き場はひろいし、通りすぎるお客たちには煩わされないし、盗難のおそれもすくない。第一、値がやすい。それに朝はいつまで横になっていても別段とがめられない。もっとも、ひどく寝すごしてしまって、下の座席にもうきちんとお客がならんでいる間へ梯子をつたって足から入っていくようなのは気おくれすることだけれども。
 とにかく上段にあがってしまったら、もうおりるのがおっくうになるので、つまらないから私も発車してじきに寝いってしまったようだ。夜中に、屋根をひどく雨がたたいている音で眼がさめた。妙なことだ。
 日がおちたころ、東京では小雨がもうやみ、西からぐんぐん晴れてきて、夜に入った時分にはそろそろふくらみかけた月が東の空をあざやかに昇ってきた。低気圧が東の海に去って、大陸から冬の高気圧が急速にせりだしてきた――そんな気象だった。
 明方になってもまだひどい雨で、あおむけになった私の頭のすぐ上にたたきつける音からすると、散弾のような大粒な雨らしかった。なにか特異な気象条件がおこっているのかもしれない。もう十時間ちかくも有無をいわさず横にさせられてしまったので、すっかり寝たりていたから、私ははやく下へおきだして今朝の天気の模様をみたかった。
 おそくまでねていられる上段の私は、だれより早くおきだして通路の側にでて、窓ガラスのもやを指でふきとって、外をながめわたした。ひどいあらしである。黒い雲がわき、雨の集団が煙幕をいくつも張ったように里や近くの小山をつつんでながれている。
 そのうち日本海のへりにでて、それで私はおおよそのみこめた。ひどく荒れた灰色の海のむこうには、青空の穴がところどころに見え、もう一方、反対側の窓からながめる中国山脈の方角は低い雲でつつまれて暗い。なんのことだ、裏日本の冬の独裁者である北西の季節風がちょうど始まったのだった。
 客たちがおきだして、下にいた農業団体の役員かとおもえる人が、とおりかかったボーイと話のやりとりをはじめた。
 ひどい雨ですなあ――ええ、昨晩から二十メートルは吹いてますねえ、とボーイは相槌をうった。こんな工合じゃ余部の鉄橋で吹きとばされるかもしれませんですよ。
 西へいくにつれて雨はおさまりかけ、客たちの身づくろいも活発になった。私は鳥取でおりるのだが、これで東京も見おさめと昨晩もらしていた若いひともおなじらしく、通路側の窓にはりついて一心にのぞいている。
 「ああ来たなあ、やっぱり郷里はいいや」、彼は大声でひとりごとした。もう幾日かしたら雨から吹雪にかわるはずの、季節風直下のうずくまったような町が、このひとには一番なのだ。
 ダイヤがみだれ、途中で待合せがたくさんあって、臨時停車をくりかえしてきた列車が大分おくれて鳥取について、私は駅をでてから、はじめてみる街なみをぶらりぶらりあるいた。目的はあたたかい食事である。胃があたたまらなくては、となりの心臓も生きてこない。
 あたりの恰好な店をみつけてはいり、型のように注文して、やれやれと思っていると、ラジオがニュースをながしだした。昨夜の大風で余部の鉄橋がゆれはじめたため、来かけた急行列車は危険回避のため立往生して九時間ほどおくれた――そんなニュースである。私はうれしかった。これだけすごい冬の季節風にはめった会えるものでないし、これで山陰の山陰らしい風情にお目にかかれたわけだ。 

                * 

  講演をたのまれた米子での集会のかえり、私は大阪へでて、都合で伊丹から飛行機でもどることにした。
 夕方の六時まえにたつ便だと、もう真暗である。早目に座席券をとっておいて、さっさと一番尻尾の隅にいってすわるか、そこがふさがってしまったら、ドアを入ったすぐわきの一番まえの席がいい。とにかく私は外をながめるのがたのしみなのだから。
 離陸してぐんぐんのぼっていくあいだの、窓から見おろす夜景はほんとうにうつくしい。私のからだの方が斜めに昇っていく感じはまったくなく、光の街がみるみるかしいで沈んでいくとしか見えない。はじめは光の市街だが、沈んでいくうち、たちまち光の大陸、光の大河にかわり、そのうち、ふと気がつくと、それは銀河になっている。
 完全に暗黒な空間が果しなくひろがっているなかに、光の河がふくらんだりせばまったり、ぎっしりつまったりまばらになったりして流れている。よく見ると、この天ノ川のなかにところどころえぐりぬいたようにスポリと暗黒な部分もある。暗黒星雲らしい。
 そのうち天ノ川もだんだん遠ざかり、純粋に空虚な空間が支配してくるが、その空間のあちこちにポツリポツリと光の点が浮いてみえる。アンタレスのような堂々とした赤い一等星、孤独な無名の三等星四等星。
 こうした無限の空間を窓から下に見おろしていられるところから思いあわせると、飛行機はさっきから裏返しになってとんでいるのかもしれない。
 そんな気がして内部へ眼を移すと、私のとなりにかけた中年の男はそっくりかえって週刊誌をながめている。その向う側のひとは、配給になったスシの折りをあけて、これから食事というところだし、私の正面の男は無造作にたたんだスポーツ新聞をよんでいる。
 私はあたまをふった。裏返しなのは私の心の方だったのだろう。――いやいやそんなことはない、生きた心と生きた眼でながめればこそ、がさつな大阪の街は光の大陸になり天ノ川になれるのだ。読みすて雑誌や読みすて新聞の活字をうつろな心で追っていたら、人間も読みすてびとになってしまう。
 スシは家にもどってから家族にあけてもらうことにして、私はもうしばらく「心の宇宙旅行」をつづけることにした。六千円もはらってスポーツ新聞の代にするより、六千円ばかりの小金で宇宙旅行ができたら、こんなすばらしいことはないわけである。
 しかしまもなく私の宇宙旅行も切りあげるときがきた。下から光の空間がもりあがってきた。視野のおよぶかぎりの光の面である。こんな光景は多分宇宙のどこにもないだろう、やはりとんでもないところだな東京という都会は、と思った。
 旅行はおわった。空港ビルのわきには東京の中心までとどけてくれるバスがまっているけれど、私はのるわけにいかない。というのは、この晩、あるテレビで私にでてくれということで、旅行にでるまえ約束させられていたからだった。それほど時間はおとりしません、ゲストで三分間でて下されば結構ですという依頼である。気がまったくむかないながら、私は弱気のためことわりきれなかった。
 空港まで局の車を迎えにだしますからという話だったので、ビルからでて私はこれから車を見わけにまわらなくてはならない。局の旗をたてているというから、なんとかさがしあたるだろう。それにしても、心をはりつめて見わけることだ。
 くらい広い駐車場にぎっしり勢ぞろいしている車の群衆を、私はこちら側の歩道からながめわたした。ああ戻ってきた、これが郷里なのだ、これが郷里なのだ。

 
              *  

 東京という郷里、それは不つりあいなことばのようにみえる。東京の人口の半分は日本の方々から流れこんできた人たちだということだし、東京に生れついた人たちはといえば、故郷をもたぬ人間といわれ、自分でも、私はどこへ行っても故郷にめぐりあえない根なし草だとおもっている。
 でも、それは今までのことだ。二十一世紀のはじめには日本の人口は一億二千万ほどになり、そのうち農村や田園にすまう人たちは二千万しかなくなるはずだという。あとの人たちの大部分は東京から名古屋、大阪、岡山あたりまでべったりとすみつくらしく、それも太平洋岸が主で、裏日本の密度はずっとうすくなる予想だそうである。
 やっぱり郷里はいいや――このつぶやきはどこでもらされるようになるだろうか、私はあれこれ考える。二十一世紀に入っても、冬にむかえば裏日本では北西風にのって大粒の雨がたたきつけてくるし、真冬にはふぶくにちがいない。中国山脈の北側は暗く雲でつつまれて、すむ人たちはあたらしい春のくるのを去年とおなじように待ちどおしがるだろう。
 でも、そんなことはどうでもかまわないことなのだ。自然界のなかでしずかに呼吸しているような意味あいの故郷性を大切にしまっておくひとは、多分心理的アウトサイダーへ立退かされてしまうだろう。自然界のうちでも一番手の入ってない自然界である「山岳」をこのむ連中――つまり山男たちは、現在でさえ街にはすめない不適応者であり、アウトサイダーである。数十年さきになれば、生れつき都会性をもった人たちが一番中心になり、根になることはまちがいないと私はおもう。

【写真キャプション】帰ってきた――ひとをねかしつけない故郷に 

私が岩波新書で評価するのは、これと日高六郎『戦後思想を考える』くらいだろう。
著者の島崎敏樹なる医学者を、私は全く知らない。
ひとえに書名に惹かれた。

私はこの「ふるさと」という随筆が、訳もなく好きなのである。
最も好きな文章といってよい。
なぜかと考えるに思いあたったのは、この随筆は
人生の一断面と読書の本質を表している、ということだ。

本書は岩波新書にありふれた、高名な学者の余技であり、何か具体的に得るものがあるといったわけではない。
筆者が寝台列車で鳥取に行き、飛行機で東京に帰ってくるだけの話である。
中心は講演のはずだが、その中身については筆者は全く触れない。
このあり方は、そも読書とはの本質論に通底するのである。
その辺のところは「消費社会の中の原田宗典 〜原田宗典『吾輩ハ苦手デアル』〜 」で触れてある。
実用書とか専門書の場合を除いて、そもそも何のために読書をするのかという命題は、結構難題なのである。
畢竟は消費社会の中で本も他の商品同様消費されるのが使命だとすれば、そこに高尚な意義などないのである。
あえて主題を拾えば〈故郷性〉の〈都会性〉への転移といったところだが、それはどうでもよい。
この文章の醸し出す雰囲気に、惹かれてやまないのだ。

「これで東京も見おさめですなあ」というセリフ、遠ざかる光の大陸、近づく光の面。
飛行機による移動というと大層のように思えるが、実際のところは講演の中身のように大した意味などない。
だがそれが、人生なのだ。
我々現代日本人の人生は、そうやって過ぎてゆく。

光の大陸はやがて光の銀河となる。
街の灯は1等星、3等星、4等星。
宇宙から見れば、1人の人間の人生などちっぽけなものだ。
限りなく0に近く、無意味に見える。
だがそれが、人生なのだ。
光の宇宙はそれのメタファーでもある。

あとは己の人生を、主観的に後悔のないようにするだけだ。

タグ:島崎敏樹
posted by nobody at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年10月24日

リアリティの軽視【メモ】 〜吉田修一『悪人』〜

映画化もされ、『悪人』の世評が随分と高い。

私は、面白くない。
宮部みゆき『理由』と同様の観がある。
なぜ世はそれほど持ち上げ、あまつさえ芥川賞まで授与しているのか(当作品にではないが)分からない。
凡百の域を出るとは思わない。

現代人の生の虚しさを主題とするのはよい。
地方で日常の労働に生きる青年、OL。アイテムは出会い系サイト。

致命的なのはこのアイテムの扱いである。

あえてリアリティを薄め、不徹底に描いている。
簡単に言うと具体的でない。
具体的に描いて模倣する若者を生み出したくないのだ。
ならば最初から公序良俗の安全地帯の中で、児童小説でも書いていればいいのだ。

久留米市の駅のJRと西鉄の格差などのリアリティの描き方と比べてみれば、出会い系サイトのリアリティがいかに稀薄かは一目瞭然である。

唯一そそられたのは、石橋佳乃が清水祐一のセックスのよさをガールズトークするシーンで「気が付いたら裏返しにされていて……」と語るところくらいか。
清水はイケメンだが話がまったく面白くなく、しかしセックスはうまい(よく考えたら根拠が稀薄ではあるが)という設定もなかなかよい。
しかしこの程度のよさなら他作品にもいくらでもあると思う。

当作品も宮部みゆき『理由』と同じ、朝日文庫だった。
やはり朝日か。
本当に朝日は何一つ才能がないな。


タグ:吉田修一
posted by nobody at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年09月29日

巨星堕つ・追悼小室直樹先生 〜小室直樹『アメリカの逆襲』〜

何を今さら、という感じである。
しかし、愚痴をだらだらとこぼしていっても、精神的に自己嫌悪に陥るばかりなので、やめることとする。
事実だけを書き記す。
「この本を読んでから今、この読書録を書き始めるまで、1年近くの厖大な時間が過ぎ去った」。

もう1つ、小室直樹氏についての論評も、控えることにしたい。
理由は、もしそれを書くとなれば、恐らく切りがなくなるだろうからである。
彼について言いたいこと、思うことは山ほどある。
この読書録は、本1冊につき2ページを基準とする。
したがって、あくまでもこの『アメリカの逆襲』という本についての感想に絞って、書いていくことにする。
考えてみればそんなことは何も強調するほどのことではなく、当たり前のことだ。
未練がましいが1つだけ小室氏について述べておくと、私は、
「尊敬する人物は誰か」と問われれば、迷わずに彼を挙げる。

さて、実はこの本、最初の出だし50ページくらいを、意味が分からなくなって、何度か読み返したことがある。
その頃は、なんと読みづらい本かと閉口していたのだが、今は違う。
これ以上論理的な構成を誇る本はない、と断言できる
(少なくとも私がこれまで読んだ本の中では)。

普通、「天は二物を与えず」とも言うように、学者というものは、頭はいいかもしれぬが、その研究の成果を文章に表すとなると、てんで下手くそなものしか書けぬという場合が往々にして少なくない。
インプット(情報収集)能力とアウトプット(文章表現)能力とは、全く別のものである。
その証拠に、講談社ブルーバックスという理系専門の新書を1冊読んでみればいい。
私も1冊完読したわけではないが、理系の人間が書いただけに、文章はとても読めたものじゃない本が多い。

私が小室氏を尊敬・崇拝する理由の1つがそこにある。
つまり彼は、普通の学者ならそれ1つしかもたぬ、情報分析力に加え、優れた文章表現力をも兼ね備えているのである。
「二物を与え」られているのである。
同じようなタイプに、立花隆氏がいる。
彼も、優れたノンフィクション作家としての評価とともに、名文家としての名声も高い。

この本の類い稀な論理構成力も、その名文という要素からきている。
名文というのは別の言い方をすれば、分かりやすい言い方をしているということだ。
大学に入って私が幻滅を感じたことの1つに、
「なんだ、大学というのは、偉そうなことを喋ったりしているが、単なる“言葉の遊び”じゃないか」
ということがある。
つまり、難解な語句をやたらと用いて著述したり口述したりするものの、内容は1歩も前進していないのである。
分かりきったことを大言壮語しているに過ぎないのである。

大方の専門書の類いもその例にもれない。
難解な語句をふんだんに用い、いかにもしかつめらしい表現を羅列し、そのくせ内容は薄っぺら。
ところが小室氏は、一般庶民にも理解しやすいように、まさに田原総一朗氏曰く「漫談」のような調子で、本を書くのである。
大方の学者が平易な語句を使いたがらない理由の1つに、難解極まる語句を見せつけることで己の頭の良さを顕示したい、というのがあって、今次の裁判所の判決文の簡潔化運動に根強い反対があるのも、あまりに平易な文にしてしまったら裁判所の“権威”がなくなるからだそうだが、そういう見地から見ても、小室氏の姿勢がいかに貴重であるかが容易に察せられよう。

文章がうまいだけではない。その文章のうまさをうまく用いて、ほぼ完璧ともいえる論理展開を構成しているのである。
その緻密なまでの論理構成力には、彼の政治学者としての肩書としては一風変わった、数学科卒という経歴が大きく影響している。
数学の論理構成力と国語の文章力、彼はあらゆる学問のおいしい部分を悉くマスターしているのである。

この本について言えば(この本の感想に絞るなどと言いながら、結局小室氏のことについて論評してしまっているが)、どうしたって、小室氏の言うようにしかならない、と思えてくる。
つまり、中国という市場を巡り日米が激突せざるを得なくなる。
最近の小室氏は、やや予測を変じて、ソ連を巡り日・米・独の争いが始まるとしているが、含意は同じである。

今でこそ、やれ中国は資本主義化するだの、ソ連は崩壊するだの、日米関係が危ないだのとは誰でも当然のように口にするが、ちょっと前まではみんな、中国はバリバリの社会主義路線を歩む、ソ連は日本の脅威だ、アメリカに安保条約で守ってもらえるから安心だ、と口を揃えて言っていたのだ。
ただ独り、小室氏だけが昔から現状を的確に予測していた。
しかしその頃はその小室氏の予測はあまりにも突飛に聞こえたため、氏は気違い扱いされたものだった。

この本は、そういうアメリカと日本との微妙な関係、そしてアメリカとは一体どんな国なのか、ということを主に日本との比較検討で明らかにした。
結果として、アメリカと日本は、何から何まで正反対の国家であって、また宿命的に敵同士なのだ。

折しも、氏の監修で『THE COMING WAR WITH JAPAN』が日本でも翻訳出版され、『沈黙の艦隊』が話題となる昨今。
湾岸戦争を機に日本の特に若者層に蔓延する反米感情。
まさに今、あらためてアメリカを問う、日米を問うことは、少なからぬ意義がありそうである。

全5章から成っており、1章で、日本とアメリカは再び中国を巡って争うことにならざるを得ない、という氏の提言が語られ、2章で、ではどんな戦いになるのか、その布石としての国連憲章の“敵国条項”、実践としての安保条約の落とし穴(公海上には適用されない)、3章・4章で、この日米という2つの国家とは一体いかなる国家なのかということを歴史的・宗教的に比較考察し、5章で、従来の太平洋戦争観を根底から覆す大胆な新説の提示を試みる。
(1991・8・5、20歳)
*小室直樹先生は、2010・9・4に逝去された。享年77。


タグ:小室直樹
posted by nobody at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月27日

ミサキの物語 〜黒羽幸宏『神待ち少女』〜

黒羽幸宏『神待ち少女』は、ミサキの物語である。

ミサキは21歳。
日常的に父が母を殴り、蹴る家庭で育った。
中2の『ASAYAN』を見ていた日曜の夜、その父は離婚して家を出ていく。
ほどなくしてテレクラと出会い系サイトで援交を始め、高1からは本ヘルでも働き始め、経験人数は18になる頃3ケタを超えた。
そして今は全国の風俗店を転々として生きていた。

「黒羽さんは結婚しているの?」

「ああ、うん。結婚して3年かな? 昨年、娘も生まれてね。かわいくてしかたない。まさか自分がこんなに子供を愛する人間になるなんて、想像もしていなかったけどね」


「娘さんを愛するって、具体的にどんな気持ちなの?」

「娘のためなら自分の命を喜んで差し出せる。だって、娘をどうにか守って、人並みに成長させる義務が俺にはあるからね」

「義務?」

「娘に命を与えた責任があるからね。頭は悪くてもいいから、人生は謳歌させたいと思ってる。その最低限のお膳立てだけはしてあげないと。だから、その妨げになるようなことがあったとしたら、俺は万難を排して彼女のために立ち向かう。彼女の幸せのためならこの命は惜しくもない。そのために俺は生まれてきたと思うし」


「父親になるとみんなそう思うものなの?」

「どうかな? 父親になった男がすべて俺みたいな愛し方を子供にするわけじゃないと思うよ。子供を愛する方法論は、ありとあらゆる形があるだろうし、正解は決してひとつじゃないと思うからね」

「でも、黒羽さんはお子さんのためなら、命を投げ出す覚悟があるんでしょ? それは昔から黒羽さんの中にあった気持ちなの? それとも急に芽生えたものなの? 私はそれが知りたいの」

「確か生後、半月ぐらいだったと思う。娘が夜泣きをしてね。なにをしても泣きやまなかったんだ。泣きやむヒントすらないんだ。妻も初めての育児に疲労困憊で起き上がることもできなかったし、俺がどうにかするしかなかったわけ」
「最終的に半ばやけくそでね、娘を抱きかかえながら、歌って踊って、あやしていたら、ぴたっと泣き止んだんだ。笑えるだろ?」

「続きが聞きたい」

「そのときにね、ああ、俺は父親なんだと思えた。そして腕の中で眠る娘に『悲しいときも、嬉しいときも、悔しいときも、この先、君のすべてを父親である俺が受け止めてやるからな』って呟いていた。たぶんそのとき初めて、父親になる覚悟ができたんだと思う。この子のためなら自分の命なんて惜しくないってね」

「その気持ちって父親になったすべての男の人にあるわけじゃないんでしょ? どうして黒羽さんはそう素直に思えたの?」

「親父の影響だろうね。俺の親父は昔気質な男だから、決して言葉にはしなかったけど、本当に家族を大切にしてくれた。雨の日も風の日も愚痴もこぼさず、汗水垂らして精一杯働いてくれた。稼いだ金も決して自分のために使わなかった。ひたすら家族のためだけにがんばってくれたんだ」

「うん」

「幼い俺の目には、そんな親父の姿はとても強くたくましく映った。大人になったら、親父のような男になりたいと思い続けてきた。今はもう孫ができて単なる好々爺になっているけどね」

「ねえ、寝転んで話さない?」
「つまり、黒羽さんが娘さんに対して持っている確固たる決意みたいなものは、お父さんから引き継がれたものなの? 影響を受けたというか……」

「たぶんね。それが正しいかどうかは別の問題だけどさ。ミサキのお父さんだって俺に近い気持ちを抱いていると思うよ? 娘って無条件にかわいいもの」


「黒羽さんは、娘さんのこと本当に好きなの? 心から言える? 正直な気持ちを教えて?」

「もちろん。心から言えるよ、大好きだって。いつも娘のことばかりを考えている。娘がいるから俺は頑張れる」

「良かった。なんだか私まで嬉しくなっちゃった。さっきの話がでたらめだったら悲しいなって、ちょっと思っていたの。ねえ、どんなときに娘さんのことを大好きだって思うの?」

「おむつを替えているときかな? おしっこはいいけど、うんこの場合は素早く交換しないと悲惨なんだよ。おむつを替えているときに娘が寝返ってしまうとね、俺の手も娘もうんこまみれになってしまう。でもね、たとえ自分の手がうんこまみれになったとしても決して嫌じゃないんだよね」

「本当に?」

「神に誓って断言できるよ。本当に嫌じゃないし、娘のうんこを見ているとこう思うんだ。娘は今日も健康だって。とても嬉しくなる。娘は小さいながらも、がんばって成長しようとしているんだって。そういう瞬間にとても愛おしいし、心の底から大好きだと思える。どんなときも娘のことは大好きだけどね」

「すっごくいい話だね。嬉しい。心がほかほかした」


――その年の夏、それは去年(2009年)のことなのだが、ミサキは自殺し、短い一生を閉じる。


黒羽は言う。
彼女は確かにこの世界にいた。
この世界を全力で生きた。
その通りだ。

ミサキの物語は、この世に無数にあるエピソードの1つに過ぎないのか。
そして私は、彼女とすれ違うことすらできなかった。

ひとりの人間と出会うことが、対峙することが、どれほどの奇跡なのか、窺い知ることができる。
その相手が異性であればなおさら。
肌を重ねた相手であればなおさら――。

ミサキの物語は、生きること、生きていること、今生きていること、――そしていずれは死ぬことの意味を突きつける。

タグ:黒羽幸宏
posted by nobody at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月01日

さて、俺はどうする? 〜太賀麻郎・東良美季『AV黄金時代』〜

*以下はアマゾンレビューである。
まだ本格的に全面加筆する可能性もある。


2人の人物が、著者の太賀麻郎を「敬愛」するという表現を使っている。
カリスマAV監督代々木忠と、ベストセラー『名前のない女たち』の著者中村淳彦である。
一体、男から敬愛されるAV男優太賀麻郎とはどんな男なのか?
私も、敬愛のような感情をもっている。
私の場合mixiでマイミクにしてもらっただけだが、彼のような男との出会いは初めてで、度肝を抜かれている。
なぜ彼は5000人以上の女性を抱くことができたのか、その謎は、彼と付き合ってみれば瞬時に氷解する。
その秘密は単純だ。彼ほど、他人のために尽くすことのできる人間はいない。
単純ではあるが、彼の真似はとてもできない。

もし彼が栄光だけの男ならば、私は今の感情をもつには至らなかった。単なる嫉妬の対象として終わりである。
彼には挫折もある。
もっとも、たいていの人はそのリスクを恐れて平凡で無難な道を選ぶ。結果、彼のような人生は送れない。

彼の生き様を最も端的に形容した表現は、“決してブレーキを踏まない男”(by代々木忠)であろう。
簡単な話、あなたは山口組と一和会の抗争の真っ直中にいるヤクザの待つマンションに丸腰で1人乗り込み、なおかつヤクザの面子が立たないだろうから好きなだけ殴られてやろうという覚悟ができるだろうか。
麻郎は、それをやった。
彼がどんな男か。このエピソードだけで十分なのではないか。

私は今、専ら、死ぬ瞬間に何を思うのだろうかと考えて生きている。
おそらく自分の人生で出会った人のことであり、出会いとは別れなのだから、別れのシーンである。
この作品で一番印象深いのは、別れのシーンである。
加奈子との別れ。ルミとの別れ。楼蘭との別れ。竹下ゆかりとの別れ。上杉久美との別れ。
別れのシーンの描写には、なべて特別な情感のこもった筆致が見られる。
これこそが俺の人生だった、私だったらそう思って、微笑みながら逝けるだろう。

夜明けに楼蘭のアパートで聞く踏切の鳴る音。
上杉久美と堕胎のために産婦人科医を訪れた冬の午後の、すべてが乾ききったような冷たい空気。
加奈子のことを思い出す時、眼に浮かぶリモコンのキーコール……。

心に、しっとりと心地良いものがじわっと流れ込んでくる。
最高級の読書体験である。

「俺はこの時、自分は『情熱』に生きようと決めた。社会や常識が俺達をどう縛ろうと関係無い。俺は俺の生きたいように生きるのだと。
 けれどそれは俺の、負けるための戦い――その始まりでもあった。」

1984年から88年にかけて、俺は2億近い金を稼ぎ、5000人を超える女を抱き、十数台好きな車に乗ったが、次の10年をかけてそのすべてを失った。」

最後に麻郎に言っておきたい。
確かに失ったもの多く、戦いには負けたかもしれない。

しかし決して、己の人生を悔いないでほしい。
それは壮絶なまでに、素晴らしいものである。
少なくとも私にとって、これ以上の人生はない、至上の人生である。
そんなこと当たり前だよ、お前になんか言われたかねえよ、そう鼻で笑ってほしい。

この素晴らしい本を世に著してくれたことに、鳴謝を惜しまない。



タグ:太賀麻郎
posted by nobody at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年07月07日

うち、あんたの事忘れられへんのやから 〜中上健次「赫髪」(『水の女』所収)〜

私の夢は、エンドレスに、ただひたすらセックスをすることだ。
その点ではまだ完全に満足したことはない。
漫画では山本直樹が『アイスクリーム』で描いている。

光造と赤い髪の女はずっと「交接って」いる。
女の乳首は黒い。年は28歳。
ずっと雨が樋をトクトクと伝っている。

「女には駅一つ向こうの、丁度山を切り開いてつくった峠のむこうのバス停で声を掛けた。
その日から光造は自分の部屋で女と一緒だった。」(8ページ)

光造は独り身のダンプカーの運転手である。
どう声を掛けたのか。
なぜ女は応じたのか。
亭主も子供もいるのに、なぜ何日も家を空けられるのか。

2人は初めから男と女として、愛し合って交接るのではない。
「女が部屋にどういうつもりで居るのか分からなかったし、光造自身も女に対する気持ちを自分で決めかねていた。」
「どうしても女にここに居て欲しい女が愛しくてしようがないと言うほどのものでもなかった。」(19−20ページ)
「女に光造は何も訊かなかった。」(24ページ)
それでいて、2人は交接り続ける。

対して女は。
「女は何度も何度も自分の身に波を打って襲ってくる快楽をだけしか要らないのだと言うように光造と絶えず乳繰っていたい風だった。」(26ページ)

光造。
「女は温りを持った体であればよかった。」(33ページ)
これはよく分かる。

生活が変わってくる。
「暗い流しは以前そんな事はなかったぬくもった食べ物の匂いがした。」(36ページ)

しかしこれだけ交接っていて情が通わぬはずがない。
女。
「女が自分を見て眼がうるんでいる」(36ページ)
「『うち、あんたの事忘れられへんのやから』と言う。」(41ページ)
光造。
「赤い髪をゆさぶって立てる女の声を耳にしながら光造は自分の体にちりちり身を焼くようなものがわきあがってくるのを知った。
それが乳首を吸った者への憎悪なのか単に女の声に煽られて次第に昂ぶってくる光造の淫蕩なのか分からなかった。」(38ページ)
嫉妬。

35ページから41ページにかけての交接描写は、圧巻である。
その翌朝。
「ふと今日の朝が眼のさめるぬけるような青空ではなく白い空だったことが天の慈悲のような気がした。」(41−42ページ)
雨が樋をトクトクと鳴らし続けている。

私は、光造が女に飽きてきて追い出しにかかるのではないか、あるいは女が突然煙のように光造のアパートから消えてしまうのではないか、
そんな展開だけは見たくなかった。
それだけが気懸りだった。

然るに結末は、この白い空に、
「光造が色艶の悪い髪が愛しいと撫ぜる」と、
女は
「『雨降ってるから今日もこんな事しておれるねえ。
いつまでも雨ばっかし降らへんけど』と言った。
唇を光造の喉首に圧し当てた。」
そして結文。
「赫い髪は美しい。」(43ページ)

よかった。
穏やかな結末である。

ひたすら交接に耽る時必ず頭をよぎるのは、相手の女に対する、自分のために生まれてきてくれたという尊い想い、そして生命の可憐な儚さである。

“クラッカーのにおい”は『十八歳、海へ』でも出てきたが、中上文学の鍵のようである。

タグ:中上健次
posted by nobody at 00:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月28日

ある青春のメモリー【メモ】〜メイ『赤い糸』〜

ケータイ小説というのは、新聞連載小説のミニ版みたいなものだ。
ページの結びで次回への伏線を張る。
記憶がほとんど消えかかっているが、遥か昔、1度だけやったことのある恋愛シュミレーションゲーム(本だったと思うが自信はない)の感触を思い出した。
ページの終わりが「するとそこに〇子が現れた」とかなっていて、どうリアクションするか次に進むページを選択するもの。

芽衣は始終、胸が痛くなり、心臓がバクバク鳴り、涙を流し続ける。

コータはもっと悪い男でなければならなかった。

特徴的な表現、
「――ッ!!」、「♪〜♪〜♪〜」(ケータイの着信音)、擬音語から始まる文(そのうち「ブーン」というのは蜂じゃなくてクルマの音)、「反むける」、「追求」。

セックス、ドラッグ、レイプ、タトゥー、タバコ、酒が出てきて、あと出てこなかったものといえば援交だけ。

“予習復習”、“夏休み・春休み”、“受験”、“塾”、“始業式で体育館に入る”
といったコトバと、

“数えきれないほど愛情のないセックスをした”、“アタシセフレ状態だもん”、“18歳のホステス、まあ俺のセフレみたいなものだ”、“車じゃ狭いからラブホに行こうぜ”、“中に出されちゃったよ〜”
といったコトバが、同居している。

中学2年生の、コトバである。

この作品に対するネットの言及(ニュースやウィキペディアなど)は、ウソ。煽り。
過激な性描写などない(そう捉えたのは受け手の主観による歪み)。

コンビニと、ケータイと、カラオケと、マックと、ファミレスは必須のアイテムで、その環境が、今の子たちを作る要件となっている(「作っている」とは言ってないよ)。

何はともあれ、女の子と暖かい恋をしてみたくなる。
思わずしばらく逢ってない子にメールしてしまう。

いずれにしても、青春はいつも輝いているものだ。
輝いた青春の経験というものは、必要なものだと思う。
健全な人生にとって。


タグ:メイ
posted by nobody at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年02月26日

難波大助を語り継ぐために 〜牛島秀彦『昭和天皇と日本人』所収「『難波大助』は生きている」〜

難波大助は、19231227日に、当時の摂政宮(昭和天皇)を、東京・虎ノ門において、仕込み杖銃で狙撃した。
世に言う「虎ノ門事件」である。
しかし裕仁皇太子は無傷であった。
 

ここに1つ目の謎がある。
果たして大助は、どれくらい本気で裕仁摂政宮を殺すつもりだったのか。
殺せなかったのは大誤算だったのか。
それともそれほど殺すことに執着していなかったのか。
というのは大助は裁判の最終陳述でこう言っているのだ。
 

「皇太子には気の毒の意を表する。皇室は共産主義者の真正面の敵ではない。皇室を敵とするのは、支配階級が無産者を圧迫する道具に皇室を使った場合に限る」。
 

反皇室に凝り固まっていたわけでもないようだ。

そして無傷とはいえ狙撃を受けた裕仁皇太子は、この災禍に遭遇した後も、つつがなく第48回帝国議会の開院式をこなしている。
本当に、裕仁皇太子は動揺しなかったのか。
それとも必死に動揺を表に出すことを制したのか。
これが2つ目の謎である。
 

この事件で、難波家は瓦解する。
それは大助自身をして
「社会が家族や友人に加える迫害を予知できたのならば、行為は決行しなかったであろう」(最終陳述)
と言わしむほどの壮絶さであった。
難波家は山口の名家であり、大助の父作之進は衆議院議員を務めていた。
事件を受けて作之進は即日衆議院議員を辞職。
難波家を廃絶したうえ、自宅に蟄居し絶食に近い状態を1年余り続け、ほぼ自殺のような形で餓死する。
 

また大助自身の遺体も(土葬)、これ以上ないほどぞんざいな扱いを受ける。
筆者の牛島は大助の墓を突き止めようとするのだが、結局明確な場所は分からないままに終わる。
難波家の崩壊、大助の遺体の無残な扱いに、天皇に逆らうことがどれほど壮絶極まる“報い”を受けることになるかが、如実に物語られている。
 

私が大助を凄いと思うのは、生きながらえる選択肢があり得たのに、それを捨てて死刑になっているところである。
果たして私は、信念のために死ねるだろうか。
とてもできないと思う。
 

当局は、大助が
「己れの所業は、天に恥じるもので、心から後悔しています」
という反省陳述さえ行えば、
“改悛の情著しきを以て、情状酌量し、死一等を減じて無期懲役”
という判決を下す手はずにしていて、大助も、最愛の妹安喜子を何べんも面前で泣かしめるという卑劣な当局のやり口に辟易し、反省陳述することを約束していた。
 

ところが大助は、土壇場で信念を取った。

「『日本無産者労働者、日本共産党万歳、ロシア社会主義ソビエト共和国万歳、共産党インタナショナル万歳!』と、とどろきわたるような大声で、絶叫したのである。
 
 この大助の行為に激怒した司法大臣横田千之助は、ただちに死刑執行命令書に署名をし、刑執行は、判決後わずか二日目に実施という異例を作ったのだった」。(116ページ)
 

死刑執行は、19241115日。享年25
 

大助はこんなことを言っている。
「私は私の愛する東京の土となることが希望なのです」。
大助は2度“無断上京”し、2度許可を得た上京をし、そして1年弱という短い期間ながらも早稲田第一高等学院に通学している。
故郷山口でなく東京の土になりたい。
これも私とフィーリングの重なるところである。
 

大助の真骨頂は、最終陳述における以下の叫びであろう。
 

「《先ず第一に尋ねたいことは、昨日より裁判長も検事も、天皇に対して懼れ多い懼れ多いと、まるで天皇を神様のようにいわれるが、本当に天皇は神様のように懼れ多いのか。私にはどうしてもその気持が湧いて来ない。自分にそういう気持が湧けば幸福と思うが、どうしてもその気持になれない。本当にそういう気持が湧くのか、それを心から尋ねたい》と悲壮な声でつめよった。そのとき、裁判長も検事も黙して答えない。彼は言葉を転じて、《然らば、天皇は神様ではないが、国家生活を為す上に国の中心的象徴として、扇の要の如くこれを認めて、その存在を尊敬し、一種の有機的機関として肯定しているのか!》これにも満場黙して答えない。
 彼は再び質問を致して、《このことに答えないなら、然らば天皇に対して刑法に不敬罪その他恐るべき刑罰を以てその存在を示している法の威力に屈して、その態度をとっているのか》――これにも答えない。
 
 陰鬱な沈黙が法廷を蔽った時、彼は突然として、《吾れ遂に勝てり。君らが答え得ない処に自己欺瞞がある。君らは卑怯者だ。吾れ真実に生きる喜びをこれで実証したり、吾れを絞首刑にせよ!》と絶叫して、満場の人をして色を失わしめた」。(114115ページ)。
 

この世とは、真実に生きようとすれば殺されるのか。
生きるとは欺瞞なのか。
 

難波大助という男がいたこと、
難波大助がかく生きたということを、我々は語り継いでいく必要がある。
果たして我々は彼の生き様を直視できるのか、と。

タグ:牛島秀彦
posted by nobody at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月23日

原資料に自らあたれ 〜小沢調査会『世界臨時増刊 ジャーナリズムは何を伝えたか』所収「国際社会における日本の役割(案)」〜

一番大事な問題は、果たして「軍事力による平和と繁栄の確保」という考え方、思想、観念、理念が正しいのか否か、である。

意外と真摯である。
思ったほど「過激」な内容でもなかった。
文章も平易でわかりやすい。
もし私の記憶に間違いがなければ、日本共産党の上田耕一郎(故人)は、
「小沢調査会がPKO法の次に狙っているのは多国籍軍への参加である」
と言っていたが、これは実質的には誤りである。
詭弁とまでは言わぬが、強弁である。

確かに多国籍軍への参加は肯定している。
しかし、慎重である。
小沢調査会とは思えぬほどの慎重さである。
まるで革新系の主張かと目を疑った。
彼らが重きを置いているのはあくまで正規の国連軍であり、その点では、まだ厳密には検討していないが、あの立花隆も賛同していることでもあり、それほど偏った意見ではない。
『沈黙の艦隊』の竹上総理を思い出した。

多国籍軍への協力は、軍事色を除くべきだと言っているのだ。
目を見張った。
国連としての意思だという確証が得られぬ限り、それはある“国家”の意思によって編成される危険性があり、厳正普遍的な正義とはいえないから、という理由だ。
おまけに軍縮、武器輸出規制、軍需から民需転換への協力という、およそ自民党(当時)の最強硬派とは思えぬ提言も行なっている。

だが、どうしても致命的なのは、“改憲”に触れていないという点だ。
あくまで現行の9条理念に合致するものだという基調のもとに、理論展開している。
これだけを読んでいると危うく翻意しそうになるが、やっぱり、どう強弁したって、現行の9条下での軍事的貢献はムリなのである。
しかも「軍事」という言葉をなるべく用いず、“実力行使”というオブラートで包んだ表現で終始一貫している。
これが強弁だというのだ。
どうして憲法9条を、国際平和のための海外派兵は認めると変えようという提言をしないのだ。
なぜ避けるのだ。

現今の日本国民は冷戦崩壊後、日本の政治を自民党に全面委任しているのだ。
確かに国民投票をすれば負ける可能性もあるが、それでもほぼフィフティー・フィフティーのはずだ。
あるいは勝つ可能性だって充分あるのだ。

「一国平和主義」批判が予想通りあった。
これに対する革新側からの反駁が、『世界』に載っていたはずだ。
それと、岩波新書『憲法第九条』、『平和憲法』を熟読すべし。
どうも私自身理論武装がまだまだ貧弱だ。

常設国連軍への参加。
これはどうか。
立花氏は賛成している。
私も、純粋に日本の主権から離れるのなら、一考の余地はあると考える。

しかし、これは冒頭の命題に深く関わってくる。
国連軍といえど、軍隊である。
機関銃を連射し、戦車を動かし、戦闘機・爆撃機でミサイルを発射し、戦艦で艦砲射撃し、人間の体を損傷させ、出血させ、内臓を飛び出させ、絶命させる=殺す機能集団である。
常設国連軍を認めるということは、必然的にこのような惨憺たる実状をも是認することになる。

恒久平和。
武力のない世界。
そんなことが今すぐ実現できっこないのはわかっている。
でもそれへ向けて一歩一歩前進していくべきではないのか。
確かに理想である。
現実には世界中に戦火は止まない。
政治とは理想を追求するべきではあるが、現実への対応がより重要な責務であろう。
実際に戦火の止まない現実の世界へ日本はどう関わるかという文脈で出てきた、今度の小沢調査会報告。
やむなし、ということになってしまう……。

ところで、国連憲章からの敵国条項の削除。
前にも書いたが、ここまではよい。
その通りだ。
それがなぜ、常任理事国入りへと飛躍する?
ちょっとはその論理的解説がなされているかと期待したが、またしても飛躍だった。
誰かこの間の論理展開を説明してくれ。

前の上田耕一郎の件に戻るが、これで共産党といえど、必ずしも真実を言っているとは限らないということが判明した。
社会党(当時)批判、牛歩正当化のビラを見た時もそう感じた。
党利党略は普遍的か。
野坂参三処分の時はさすが、と思ったのになあ。

平和とは何か。

人類にとって軍事とは何か。

軍事に依らぬ平和の実現・維持・確保は、不可能、なのか。

護憲派の思想の最基底には、“戦闘行為”そのものの否定があるはずなのだ。

戦闘は容認してはならぬ。
どんな理由だろうと。

それが平和のための戦闘であろうと。

だが護憲派の最大の主張もまた、平和だ。

自家撞着。
矛盾。

本当に、平和って、一体何なのだろうか。

私は、この小沢調査会の提言を、批判的に吸収すべきなのか。

全面的に、完膚なきまでに、反論・反駁・打破すべきなのだろうか。

いずれにせよ、そのどちらかを判断するだけの知識が、まだ私にはないということだ。
(1993・3・10、21歳)
タグ:小沢調査会
posted by nobody at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月17日

日本共産党論 〜菅孝行『FOR BEGINNERS 全学連』〜

マルクス、エンゲルスいわく、
万国のプロレタリア団結せよ!」(『共産党宣言』)。
マルクス、エンゲルスは世界革命論者である。

日本共産党は新左翼党派と見るや十把一絡げに「トロツキスト」といって罵倒する。
トロツキーは世界革命論者である。
それを罵倒するのだから、日本共産党はマルキシズム政党ではない。

それどころか、トロツキーを最も疎ましがったのはスターリンである。
疎ましさのあまり、刺客を差し向けてとうとう暗殺してしまった。
このことから、日本共産党はスターリニズム政党であることが判明する。
つまり日本共産党はマルキシズムを悪用してきたのである。

また、マルクス、エンゲルスいわく、
「そしてこの階級闘争の歴史は、次第に発展し、現在では、搾取され、圧迫される階級――プロレタリア階級――が、搾取し支配する階級――ブルジョア階級――の支配から解放されるためには、同時に、また究極的に、社会全体をあらゆる搾取、あらゆる圧迫、あらゆる階級的差別、あらゆる階級闘争から解放しなければならない段階に達している」(同)。

さらにエンゲルスいわく、
「しかるに国家がいつの日か社会全体の本当の代表者となるならば、そのとき、それは無用物となる」(『空想より科学へ』)。

この2つから判断するに、マルキシズムとは究極のところ無強権主義、すなわちアナーキズムに通ずる。
その最大眼目は社会における真正自由の実現である。
私はマルキシズムの堂奥を突き詰めればアナーキズムに通ずるという可能性を信ずる。

ところで村山新首相(当時)は凄まじい。
まずサミットでクリントン(当時米大統領)に日本の路線はそのまま不変というお墨をつける。
そこからは騎虎の勢い。
日米安保堅持、自衛隊合憲、非武装中立放棄、日の丸・君が代推奨。
変節ではない、全く別のものになった。
新生日本社会党(当時)、おめでとう。
これまで新左翼が展開してきた、既成左翼は革命党ではないという規定が紛れもなく正しかったことが、これで証明された。
いや、理論的にはすでにそれは解り切っていたことなのであるが、現実によって証明されたのである。
つまり理論が現実によって裏付けられたのだ。
真正ブルジョア政党(誰の目から見ても)、一丁上がり。

ついでながら日本共産党は?
菅孝行に2、3語ってもらおう(『FOR BEGINNERS 全学連』より)。

「今日では、日本共産党は、実質的には中産階級の利害を代表する政党(=ブルジョア政党、引用者注)のひとつであり、革命運動を実践する意志と能力の一切を失っている」。

「党中央と直接対立し、その政治的鈍感さと、組織エゴイズムと無思想、無理論を、地肌でさとった者だけが、ようやく、過剰な幻想から自由になることができるのみであった!」

「GHQと政府当局に対しては軟弱をきわめた日共中央は、内部の反対派に対してはきわめて凶暴であった」。

「しかし、日本共産党は、またしても、この労・農・学連帯に水をさした」。

「日共新綱領の採択はすべてをブチ壊す最悪の方針であった」。

等、等、等、等、等……。

おっと、2、3のつもりが思わず5つも引用してしまった。
これでも絞ったつもりなのだが。

広辞苑で「にほんきょうさんとう」を引いて驚いた。
まず、いの一番に「日本の共産主義政党」ときた。
おいおい、昔はいざ知らず、今の日共は全然そうじゃないでしょう。
反対にもしそうなら、どうして武力闘争を放棄し、地下組織として潜伏せず「合法政党」として収まりかえり、栗本慎一郎が言うように独自のソビエト(評議会)も作らずぬくぬくと歳費をもらって国会議事堂に居着いているのでしょう。
まあ、(今はどうか知らないが)党員4割(山本夏彦による)の岩波が下した定義ですからなあ。
多少手緩くて当然か。

武力闘争の全面拒絶、その理由のだいたいのところは察しがつく。
日本共産党としては今後とも「合法政党」として居座り続ける腹づもりだから、当然選挙の集票が大事になる。
いやしくも一国の議会で席を占めようというのだから、それなりのまとまった支持というものが必要なわけであり、それには党員だけの投票ではいくら鉄の団結を誇ったっていかんともし難い。
党員票+αの確保が必要になってくる。
プラスαとはもちろん、一般大衆の支持である。
といってももともと一般大衆からは日本共産党などとっくに見放されており、すべての政党の中で最も大衆から遠い存在となっている。
だから一般大衆といっても、日共が確保しているのはいわば特殊大衆である。
公明党の支持構造に似た感じである。
公明党の集票システムというのもよく解らないが(企業との関係など)、平和主義的(さすがに宗教政党だけあって)婦人たちの影響力(つまり単なる数)の大きさというのはよく知られている。

具体的にはこの婦人たちは、絶対条件に近い強い条件を示し、とにかくそれを守ることが投票の条件だ、といった姿勢を取る。
典型的なのは非軍事的条件で、他に福祉・人権・環境といった類いの条件が好まれる。
その条件さえ保証してくれるのであれば、イメージの悪い共産党でもまあ我慢して入れてやってもよいという具合にいわば譲歩するのが特殊大衆である。

さて日共はこの場合の条件として何を確約したかというと、多くの場合がそうであるように単純で、暴力反対である。
暴力を否定する代償として当選するに足る得票を確保するのだから、ただ「議席を得て歳費をせしめること」のみが目標の日共としてはその条件を呑むのである。
暴力を否定して、なんの武力革命のあり得ようか。

こんな具合で、日共は武装闘争を放棄した。
武装闘争を放棄した革命党など、核を失ったアメーバに等しい。
結局のところ票のために理念を捨てているだけの話であり、その点では金権腐敗・汚職まみれの政権与党となんら変わりはない。

さて、いつまでも日本共産党ごときにかかずらわっているわけにはいかないので、私の公式見解を提示して締めとしよう。

私は日本共産党を反革命ブルジョア政党と規定する。
その支持理念はスターリニズムである。
マルキシズムを歪曲援用しているのである。

それは体制のやらせであり、日共と体制は結託している。
その存立理由は2つある。

@革命の勢力と運動、すなわち潮流を分散させ大衆を遠ざけ、
Aまたこれほど偏狭な「異端」の存在を公然と認めることにより、大衆に自由な社会であるとの洗脳(目くらまし)を施すというものである。


最後に、冒頭の引用に戻る。
無知・知ったかぶり・もっともらし主義のマスコミはよく、これを茶化して
「万国の労働者よ、ごめんなさい」
といった言辞を弄する。
これはマルクスの残した曠古なる人類的思想遺産への愚劣低劣卑劣極まる愚弄・冒涜以外の何物でもない。

それにしても死後、彼の理論を継承し発展させる申し分のない世界的学者が現れてくれなかったのは、マルクスの悲劇である。
悪質な“自称”後継者ならゴマンといるのだが。
タグ:菅孝行
posted by nobody at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年12月02日

高橋和巳の思想を解く 〜高橋和巳『全共闘を読む』所収「大学闘争の中における文学」〜

高橋和巳の思想が知りたくて、表題論文を読んだ。
当時の高橋は、京大教授である。

初めに言っておくと、論文の題名は正鵠を射ていない。

日本の資本主義体制を支えている3つの柱(政治権力・経済人・知的営為者)から話は始まり、第3の柱の中の教育の形骸化の自覚から始まった全共闘運動、
その特徴は理論でなく具体的な個々の経験からの覚醒であること、
己の選択(教授会批判)に至るまでの恩師への忘恩の懊悩、
文学者が運動の主体となる根拠となるところの文学の特性(表題はこの辺からきている)、
その特性(意識変革運動性)こそは従来の変革運動とは正逆の過程をとる新しい変革過程なのである、
したがって我々は「生涯にわたる阿修羅」たり続けねばならぬ、
という具合に流れていき結ばれる。

さて、全共闘世代は生涯にわたる阿修羅たりえたのだろうか。

高橋は現在の教育についてこう言う。

「人間の全能力の開花とその準備のための学校が、精神的な飼いならしの機関に実際上は堕している」。

全共闘運動の特質については、

「ある非常に鮮明な先験的理論というものを共通なものとして措定しているのではなくて、むしろ一つ一つの具体的な問題に当面する際に、そこでどれだけ人間的に誠実であろうとしたかということのほうが、全共闘全体としては重要であったというふうに感じられます」。

「一つ一つの、自分が提起し、あるいは自分たちが提起する問題に、それが真実なものであるというふうに感じられた以上は、回避せずに答えられ(この助動詞「られ」は尊敬と思われる)ようとする姿勢をもった人々の、自由な連合会として、どこの学校でも全共闘というのが形成されていったはずであります」。

全共闘運動を通して、高橋だけでなく、参与者は、「自由」の真意をもぎ取る。

「何か、あることを決断したとき、たとえば、人間は対応関係でありますから、自分が一歩踏み出せば、必ず向こうからゴツッと一つかえってくるものがある。そのかえってくるものを身に浴びたときに受ける『僕は生きているな』という実感のことを自由というのではないだろうか」。

今回の全共闘運動に文学者が多いのは、

「おそらくは、文学というものは、何事にせよ、自分の目で見、自分で感じ、自分で表現し、自分で行動するという、(どういう文学の流派、あるいはどういうジャンルに携わっておりましても)基本的な態度をもっているということが、教官層という非常に苦しい立場に立たされた方々の中でも、最後的に、ある踏みとどまらせるもの、ここで崩れては人間としてもはや恥の余生でしかないという覚悟をその人に促す何かを文学というのはその方々に与えていたのではないかと思います」。

ところで、いじめを根絶するには、学校もしくは教育の中の対応(変革)のみでは不可能で、社会そのものを変革する必要がある。
私は大学闘争についても同じことを感じる。

高橋和巳ほどの知性にしても、もっと深く根底から問題認識ができなかったのかと隔靴掻痒の観残るのみである。

タグ:高橋和巳
posted by nobody at 00:00| Comment(1) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年07月16日

王様は裸じゃないか 〜小林秀雄「様々なる意匠」〜

中原中也記念館に行ってきたんで、小林秀雄を読む気になった。
前々から、できれば読みたくなかった。
そして、その通りの読後感だった。

なんだこりゃ。
修辞学の教科書ですか。

なんだこりゃ。
まさに“東大秀才君”の文章ですな。

「劣悪を指嗾しない如何なる崇高な言葉もなく、崇高を指嗾しない如何なる劣悪な言葉もない」

「この無力にして全能なる地球」

「芸術が自然を模倣しない限り自然は芸術を模倣しない」……。

私はこの論文を読んで、高校の時、訳の分からない読書感想文を書いて高評価される奴のことを思い出した。

こういった、“何言いたいんだか分かんねえんだけど難しい漢字いっぱい使って何か難解なことを言ってるものはとりあえず高評価を与えよう”という心性は、唾棄すべき心性である。

ちなみにこの論文に対する中村光夫の「解説」が、

「小林氏は、前作『ランボオ』の特色をなした華麗な修辞をまったく捨て、一切装飾を排した平明な文章に終止(ママ)します」……。

絶句。

坂口安吾は「教祖の文学」でこう言っている。
「思想や意見によって動かされるということのない見えすぎる目。そんな目は節穴みたいなもので物の死相しか見ていやしない。つまり小林の必然という化け物だけしか見えやしない。平家物語の作者が見たという月、ボンクラの目に見えやしないと小林がいうそんな月がいったいそんなステキな月か。平家物語なんてものが第一級の文章だなんて、バカも休み休み言いたまえ。あんなものに心の動かぬ我々が罰が当たっているのだとは阿保らしい」

安吾はまた
「西行や実朝の歌や徒然草が何物なのか。三流品だ。私はちっともおもしろくない」
とも言っているが、我々は、ちっともおもしろくないものにはちっともおもしろくないと言い続けたいものだ。安吾は偉大なり。

そもそも出だしで小林は
「私は、ここで問題を提出したり解決したりしようとは思わぬ」と言ってしまっている。
この時点で、もう終わり。
この文章は、何物でもない。
お前一体何のためにこの論文書いたんだよ。

唯一得たのは以下の件(くだり)。
「作品とは、彼(芸術家)にとって、己れのたてた里程標に過ぎない、彼に重要なのは歩く事である。この里程標を見る人々が、その効果によって何を感じ何処へ行くかは、作者の与(あずか)り知らぬところである」

なるほど、これまで作者が何を言いたいのか解らないことが頻繁にあったが、それこそが芸術の本質だったのですなあ。

まあこれよりも、「Xへの手紙」の方が面白そうだ。ぜひそれで、私の小林秀雄観をひっくり返してくれ。

タグ:小林秀雄
posted by nobody at 00:00| Comment(6) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月08日

空虚の砂 〜中村淳彦『名前のない女たち』所収「金しか信用できない女 百瀬うらら」〜

 初めて、ブログのページに直接執筆する。

 中村淳彦『名前のない女たち』には、表題に挙げた百瀬うらら以外にも19人の企画AV女優が登場する。
 総勢20人、というわけである。

 ところで、
「企画AV女優というちょっと変わったバイトをしている女のコは、入れ替わりが激しく、常時千人以上は存在する」(288ページ)という。

 これ自体が驚異である。

 私は「500人SEX!!」(♀250×♂250)というDVDを持っているが、

「そもそもなんで出演する女の子が250人も集まるんだ!
それだけの女の子にギャラ払ってなんで利益が出るんだ。
いや普通にギャラ出して利益が出るはずがない。
きっと格安のギャラなんだ。
なんでそんな安いギャラで女の子は出演をOKするんだ!」

という思いをずっと抱いてきた。

 本書には百瀬うらら以外にも、

 中学生の時横浜の中華街で声をかけられたオジサンに家に連れ込まれ1カ月毎日セックスを教え込まれそれから1カ月毎日その家で売春させられた立石さやか、

 小3の時から義父に学校を休まされて「合計で百回や二百回は、中出しされ」(296ページ)、「日常的に犯され続け」(同ページ)、初潮を迎えてからは外出しされていたが「挿入は必ず生だった」(298ページ)ので中2の秋についに義父の子を妊娠し中絶するに到った田口エリカ、

 10歳の頃から援助交際を始め、中学卒業時には相手にした男の数が300人以上になっていた今井はるか、

 などなど、壮絶な話はいくらでも載っている。

 しかしここで百瀬うららだけを取り上げるのは、私が抱いている現代社会への閉塞感と、彼女のそれとがスイングしたからである。

「わたし、終わってるから……」(339ページ)

 とにかく彼女は「終わっている」という言葉をよく使う。

 象徴的なエピソードが2つある。

 1つ目。

 中3の時、付き合い始めたばかりの彼氏から何日か後に誕生日と言われた彼女は、誕生日プレゼントにお金が欲しいという彼のために、彼の誕生日に中学をサボり、オヤジと援交して4万もらい、うち1万をその日の経費(ホテル代と食事代)として使い、残りの3万をプレゼントしたのだった。

 ところが次の日、彼からポケベルに入ったメッセージは「バイナラ、バイナラ」。

 ヤリ捨てられたのだ。

 2つ目。

 彼女は親友と3人で、2000年の夏、「露出度の高い最新の水着でキメて、湘南の鵠沼海岸へ」(340ページ)出かける。

 11時から夕方5時まで浜辺で日光浴していたが、誰にもナンパされなかった。

「帰りの車中で『もう終わったね、死ぬしかないね……』と、友達が小さな声でつぶやいていた」(341ページ)。

 彼女はこの経験で
「人生の終わりを確信させられた」(341ページ)のである。

 2つのエピソードに通底しているのは、それは本稿の主題でもあるのだが、結局、人生には何もない、ということである。

 人は明るく生きろ、夢や希望を持て、という。

 そんな人には中島義道の著作でも読んでもらいたい。

 現実は、ただ、砂のように虚しいだけだ。

 しかし若い女の子であれば、その虚しい現実をいくらか麻痺させることのできるアイテム、「お金」をたやすく得る手段を潜在的に有している。

 己の性を売ることによって。

 中村は言う。

「十代から二十代前半のコの間では、援助交際とは恥ずかしいことでも特別なことでもなく、日常の一部なのだ」(344ページ)。

「確かに何処を見ても、普通の女のコたちが、体を当たり前のように売っている現実を肌で感じる」(336ページ)。

 これは、時代の必然である。

 中3で初体験の2週間後に援交を始めた百瀬うららは、それから「数え切れないほどの援助交際を経験し」(345ページ)、17の時シャブにハマり、18の時マルチ商法に引っかかり借金に追い詰められる。

「高校辞めてからの三年間くらい適当に働いてて、好きなだけ買い物して、シャブで気持よくなって。好き放題やって、最高に楽しかったなぁ……」(349ページ)

 高校は16でやめ、借金返済に追われるようになってから仕事もキャバクラからヘルスに変え、そして企画AV女優となる。

 すべては金のためである。

「人生、金だね。全部、金。そう思ったのはずいぶん前だよ。」(342ページ)

“仕事”に充実感を感じることは一切ない。

「彼女はアダルトビデオの仕事を楽しいと思ったことは、一度もないと断言する。」(341ページ)

 AVの仕事に対しても、こんな捉え方だ。

「AV始めたときも、まさか自分がAVやるなんてって、落ち込んだもんね。マジ、自分がそこまで落ちぶれるとは思わなかったよ。」(340ページ)

 こうでなきゃいけない、女の子がAVに出る気持というのはみんなこんなはずなんだと私は思いたい。
 それを百瀬うららは正直に語ってくれる。

 援交の時も、気持は変わらなかった。

「彼女はオヤジに体を売るとき、一貫してマグロだったという。ピストンするオヤジを眺めて、適当に喘いだフリをしながら『早くイケ!』と、いつも心の中で念じていた。」(345ページ)

 彼女はオヤジを見てこう思っていた。

「他に楽しみないの?とか思うよね。ホント大人って終わってるんだなって」(同ページ)

 3カ所、象徴的なところを引用しておく。

「今が良ければそれでいい……。彼女の言葉と疲弊した肌は、九〇年代から現在にかけての病み荒んだ日本の何かを象徴しているような気がした。」(342ページ)

「十八歳を過ぎ、あの頃(ババアを襲ってバッグを盗んだ貧乏な中学時代)は楽しかったなぁと、感傷に浸る時間が増えていった。
 これから何をすればいいのだろう? 死ぬしかないかも……。この先何十年とある将来を想像しても、何一つ建設的なことは浮かんでこなかった。」(350ページ)

「でもさ、この年(22歳)になって金稼いで全部服に使って、なんになるんだろうって思うよ。AVやってるなんて、やっぱへこんでくるしさ。ただのバカじゃん。風俗でもオヤジの精子抜いて、金貰って。服買っても、別に嬉しくないし。だけど他にやりたいことなんて、ないしさ。結局、ダラダラしちゃうんだよね」(354ページ)

 海の話で判るように、彼女は孤独ではない。
 かといって、人との触れ合いに健全な生きがいや充実感を見出すといったこともない。
 もしそれがあれば、こんな空虚感からはとっくに脱出できている。
 彼氏との恋愛に生きる、ということもない。
 これらが、人を“まっとうな”人生に繋ぎ止めておくのだろう。
 彼女にそれがまったくないわけではないが、しかし彼女の視線は透徹している。

 空虚な日常に耐えられなくなったとしたら……
 金の魔力に酔うか、
 クスリでトリップするか、
 桐野夏生作品的に、破滅と引き換えに“一線を越えて”犯罪による日常からのブレイク・スルーを試みるか、
 ……自殺するしかない。
 ある意味、彼女が自殺せずに持ちこたえているのは奇跡的ですらある
 (ただ、突然何の前触れもなく自殺してしまう危険性はある)。
 私としてはもう1つ、性愛に浸る、というのも付け加えたいが、それは百瀬うららにはないようだ。
 
 そしてもう1つ、気になることがある。
 2カ所引用しよう。

 彼女と中村が待ち合わせ場所から喫茶店に向かう時、歩きながら彼女は言う。

「センター(街)は通らないで下さいね。知り合いに会いたくないから。(略)別に他人の目なんてどうでもいいんだけど、気分が良くないから」(339ページ)。

「楽して金稼ごうって始めた風俗なんだけど、実際は楽でもないんだよね。精神的に疲れるっていうか。そういうのって誰にもわかってもらえないじゃん。別にわかってもらえなくてもいいんだけど、(略)」(351~352ページ)。

 これは人と深い情愛が結べないことと通底するのである。

 冷めている。

 冷めていて、やりたいことがない。

 まさに彼女百瀬うららこそは、現代日本を浮遊する我々を象徴しているのである。

 我々の日常とは何か。

 我々の生きがいとは何か。

 彷徨うしかない我々現代日本人。

 我々はそんな現代日本に生まれ合わせた。

 まるで蟻地獄から這い上がるように、空虚という砂を掻きもがく百瀬うらら。

 私はそんな彼女にしんみりとした愛おしさを禁じ得ない。

 この19ページは、私にとって、重い。

 ずっと私の人生に被さっていくだろう。

*追記 

「大部分のAVモデルは援助交際や風俗の延長線上でアダルトビデオを選択しており」(336ページ)

とある。

 これで、「女の子がなぜAV女優になることを自認できたのか」という私の積年の疑問はかなりの部分氷解した。

 しかし、援交は違法、風俗は“基本的には”合法、AVは合法(中には表面化していない違法はある)。

 この伝でいくと、「AVは合法」の行方も安泰ではないはずである。
                                           
タグ:中村淳彦
posted by nobody at 03:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月31日

アメリカの風 〜O・ヘンリ『O・ヘンリ短編集(一)』〜

「絶妙なプロットと意外な結末、そして庶民の哀感とユーモアを描く中にほのぼのと感じられる温かな人間の心―O・ヘンリの魅力はまさにそこにある。」
と、裏表紙のイントロダクションにはある。
 後者の方には異論はないが、前者の方は些か微妙なところだ。

 この本には、“あっと驚く意外な結末”を大いに期待していたが、思ったほどの巧妙さではなかった。
 代わりに、前述した後者の内容の方が収穫だった。

 
“結末”への不満は、大きく分けて2つある。

 1つは、“結末が予想できること”(例えば「水車のある教会」、「運命の衝撃」、「善女のパン」、「ハーグレイブズの一人二役」)であり、

もう1つは“結末の意味が曖昧で、よく分からないこと”(例えば「ラッパのひびき」、「馭者台から」(これは分からないというより、矛盾しているという感があった)、「桃源郷の短期滞在客」(分からないというより、結末がつまらない、平凡)、「自動車を待つ間」)だ。

 こう書き連ねてみると、この本に収められた16編のうちの大半には何らかの不満があったことになる。
 しかし別にそれは腹が立つほどの不満ではなく、ほんの些細なものが多く、読んだ後はそれほど気分が悪かったわけではない。

 もう1つの不満として、意味が分からない文が少なからずあった。
 アメリカの文化というか、その辺から来ているのだろう。

 アメリカ的な、アメリカの雰囲気がインクに滲み込んでいるような文が多かった。
 これも1つの印象だ。
 

 今度は“おもしろかった”ことについて書こう。

 これも大別して2つになり、1つは標榜通り、“結末が意外だったこと”(例えば「警官と賛美歌」(意外性では一番)、「多忙な仲買人のロマンス」)のおもしろさで、

もう1つは“感動的なおもしろさ”(意外性のおもしろさを“オチ”とすると、こちらは“ドラマ”的なもの)(例えば「よみがえった改心」)である。

「不満」の方で挙げた例の方が多いのは些か妙だが、とにかく随所に“アメリカ”を感じた。 

 最後の「O・ヘンリの生涯と作品」は訳者の大久保康雄が書いたものだが、こちらの方は本文と違って非常に分かりやすく読み進みやすい文章だった。

 1ヵ月以上借りていた。
                                           (1988・6・12、17歳) 
                                                   

A 箴言集

 
¶「千三百ドル――そら、ケリー」小切手を切りながらアンソニイは言った。「お前の取前千ドルと立てかえ分の三百ドルじゃ。お前は金を軽蔑するようなことはないじゃろうな、ケリー?」
「あっしがですかい?」とケリーは言った。「貧乏を発明した野郎をぶんなぐってやりてえくらいでさ」
                                       
                                       
――『黄金の神と恋の射手』
 

¶ ルドルフは、自分の住んでいる区画の街角までくると、足をとめて、ビールを一杯飲み、葉巻を一本買った。葉巻に火をつけて出てくると、上着のボタンをかけ、帽子をうしろへずらせて、街角の街燈に向って、きっぱりと断言した。
「いずれにせよ、彼女を見つけるようにしむけたのは、やはり運命の神の仕業だとおれは信じる」
 こういう事情のもとで、このような結論を出すからには、ルドルフ・スナイダーも、たしかにロマンスと冒険の真の追求者の仲間に加えてもいいだろうと思う。
 
                                            
――『緑の扉』結び
                                                                         
 

¶「ポールディングじいさんに、おまえなんかくたばってしまえと言ってくれ」彼は大きな声ではっきりというと、きびすを返して、しっかりした足どりで事務所を出て行った。
 ミード弁護士はヴァランスのほうに向きなおって、にっこりと微笑した。
「いいところへきてくれましたね」と彼は愛想よく言った。「叔父さんが、あなたにすぐ家へ戻ってもらいたいとおっしゃっているんです。叔父さんが短気を起こされた今度の事件ですが、結局あれも叔父さんが諒解されて、万事もと通りにということで――」
「おい、アダムズ」とミード弁護士は、話の途中で大きな声で秘書を呼んだ。「水を一杯もってきてくれ――ヴァランスさんが気絶されたんだ」
 
                                          
――『運命の衝撃』結び
                                                       

 
¶「お前、いやに落ちついているじゃないか」とアイドが言った。「嘘を言ってるんじゃねえだろうな?いい職についていた人間が、たった一日で浮浪者におっこちたとなったら、自分の髪の毛をかきむしるだろうと思うんだがな」
「そんなことをいうんなら、さっきも言ったと思うが」とヴァランスは笑いながら言った。「明日は財産がころがりこむという人間なら、すっかり安心して、ゆったり落ちついているはずだと思うがね」
                                            
――『運命の衝撃』
                                                      
 

¶「やあ、ベン」まだ奇妙な微笑をうかべたままジミイが言った。「とうとうやってきたね。さあ、行こう。もう、どうころんでも、たいしたちがいはなさそうだからね」
 つぎの瞬間、ベン・プライスは、いささか奇妙なそぶりを見せた。
「何かのまちがいじゃありませんか、スペンサーさん」と彼は言った。「私があなたを知っているなんて、とんでもないことです。あなたの馬車が待ってるじゃありませんか」
 そう言って、ベン・プライスは、くるりときびすをかえして、ゆっくりと通りを歩み去って行った。                                          
                                       
――『よみがえった改心』結び


¶ おれも、ちゃんとした一人前の人間になろう。おれだって――
 ふと誰かの手が自分の腕をつかんだのを感じた。ふり向くと、まぎれもない警官の顔があった。
「こんなところで何をしてるんだ?」と警官はきいた。
「なんにも」とソーピーは答えた。
「ともかく一緒にこい」と警官は言った。
「禁固三カ月」翌朝、軽犯罪裁判所で治安判事が言い渡した。                                             

                                        
――『警官と賛美歌』結び
 

¶ この物語の半分は警察署の記録からでもわかるが、あとの半分は、新聞社の事業部でないとわからない。
                                        
                                       
――『ラッパのひびき』冒頭
 

¶ 三月のある日のことであった。
 だが、小説を書くときには、決してこんなふうにはじめてはいけない。おそらく、これほどまずい書き出しはないだろうからだ。想像力に乏しく、平凡で、無味乾燥で、ただ意味のない言葉を並べただけのものになるおそれがある。だが、この場合は許されるべきであろう。なぜなら、本来この話の書き出しとなるべきつぎの一句を、前ぶれもなく読者の前にいきなりつきつけるのは、あまりに乱暴かつ非常識すぎるからだ。
 サラーは献立表を前にして泣いていた。
 メニュー・カードに涙をそそいでいるニューヨーク娘を想像してみたまえ。
 
                                        
――『アラカルトの春』冒頭
                                           

 
¶ それから、おれたちは夕食にかかった。小僧はベーコンやパンや肉汁を口いっぱい頬ばって、しゃべり出した。その食事中の話ってのは、ざっとまあ、こんな具合だ――
「おれ、こんなことが大好きさ。だって、外でキャンプしたことないんだもの。だけど、ふくろネズミをつかまえて可愛がったことはあるよ。おれ、こないだの誕生日で九つになったんだ。学校へ行くのなんか大嫌いさ。ネズミがね、ジミー・タルボットおばさんとこの鶏の卵を十六も食べちゃったんだよ。この森の中に、ほんもののインディアン、いるのかい?肉汁を、もっとくれないか。木が動くから風が吹のかい?うちには犬の子が五匹もいたことがあるんだぜ。ハンク、お前の鼻は、どうしてそんなに赤いんだい?うちの父さんは、金持だぜ。お星さまは熱いのかい?おれ、土曜日に、エド・ウォーカーを二度もひっぱたいてやったんだ。女の子って嫌いさ。お前たち、紐を使わないとヒキガエルをつかまえられないだろう。牡牛も鳴くのかい?オレンジは、どうしてまるいの?この洞窟にはベッドはあるのかい?エイモス・マリの足の指は六本あるんだぜ。オームはしゃべれるけれど、猿や魚はしゃべれないんだね。いくつといくつで十二になるか知ってるかい?」
 数分ごとに、小僧は自分がよく気のつくインディアンだということを思いだしては、棒ぎれの銃をとりあげると、洞窟の入口へ忍びより、憎むべき白人の斥候はいないかと首をのばした。ときどき、インディアンのときの声をあげては、罠師のオールド・ハンクをふるえあがらせた。小僧は、のっけからビルの度肝を抜いてしまったんだ。
                                        
――『赤い酋長の身代金』
                                                 

 
¶「ぼくのいうことがわかりませんか?」マックスウェルは執拗に言いはった。「ぼくと結婚してください。ぼくはあなたを愛しています、レズリーさん。このことを言いたいと思って、仕事の合間のちょっとしたすきを見て抜けだしてきたんです。もう、あんなに電話がじゃんじゃんかかっています。ちょっと待ってもらってくれないか、ピッチャー。いかがですか、レズリーさん?」
 速記者は世にも不思議なそぶりを見せた。はじめは、あっけにとられていたが、やがてその驚いている目から涙があふれだした。それから晴れやかな微笑をうかべ、株式仲買人の首に、やさしく片方の腕をまわした。
「やっとわかったわ」と、やさしく彼女は言った。「このお仕事をしていらっしゃるうちに、しばらくのあいだ、すっかりほかのことを忘れておしまいになったのね。はじめは、わたし、びっくりしましたわ。お忘れになったの、ハーヴェイ?わたしたちは昨夜八時に『角の小さな教会』で結婚したのよ」
                                  
                                  
――『多忙な仲買人のロマンス』結び


 
¶「ニューヨーク・ワールド」の編集者ウィリアム・ジョンストン(William Johnston)は、編集者と作家という関係以上に親しくO・ヘンリとつきあっていた友人であるが、「彼を包んでいる固い殻のなかへは、ついに自分は入っていけなかった」と書き、つづけて、「O・ヘンリの親友だったと自称する人物の回想文が発表されるたびに、私は、彼の霊魂が天国でハイボールでも飲みながら皮肉に笑っている図を想像する。O・ヘンリには親友などというものは一人もいなかったのだ」と書いている。                                      
                                      
――『O・ヘンリの生涯と作品』


 
¶ 彼が「O・ヘンリ」というペンネームを用いるようになったのは、一八八六年の夏からであるといわれている。当時彼が「生意気ヘンリ」という仇名をつけていた野良猫がいた。その猫を呼ぶのに、ただ「ヘンリ」と呼んだだけでは見向きもしないが、「OH・ヘンリ」と呼びかけると、すぐに彼のところへきて身体をすりつけた。そこで「O・ヘンリ」というペンネームを思いついたというのである。                                      
                                      
――『O・ヘンリの生涯と作品』


 
¶ しかも、どんな作品の場合でも、ほとんど例外なく、しっとりとした、心の底からおのずとにじみ出るような笑いを誘われるというのは、この作者が、人間の心理、人情の機微に通じているだけでなく、彼自身、あたたかい、ヒューメインな心の持主だからであろう。O・ヘンリの伝記を書いたアルフォンソ・スミスは、アメリカの文学史を飾ったすぐれた短編作家たち、アーヴィング、ポー、ホーソーン、ブレット・ハートなどと比較して、「O・ヘンリはアメリカの短編小説をヒューマナイズした」と書いているが、まさしくO・ヘンリ文学の本質をつく適切な評言というべきだろう。                                                                                      
――『O・ヘンリの生涯と作品』


¶ ジョンは冷蔵庫から冷羊肉をとりだし、コーヒーを沸かし、臆面もなく化学的純粋度保証のレッテルをはりつけた苺ママレードを鼻のさきにおいて、ひとりぼっちの食卓についた。ポット・ローストと、黄褐色の靴ずみのようなドレッシングをかけたサラダが、うしなわれた幸福のなかで、いまは空しい幻影のように見えた。
                                                 
――『振子』

                                                           

 
¶ 彼がその清涼酒をつくるのを、ハーグレイブズは、うっとりと眺めていた。調合にかかった少佐は、まさしく芸術家の列にはいっていた。しかも手順を変えるようなことは絶対にしなかった。薄荷をつき砕くときの見事な手際、調合物を計るときの絶妙の正確さ、暗緑色の総毛と照応するように真紅の果実をあしらって調合物の上にのせるときの細かい心くばり!よく吟味して選ばれたストローを、涼しそうな音を立てて底までさしこんでから、それを客にすすめるときの、いんぎん典雅なものごし!                                   
                                   
――『ハーグレイブズの一人二役』

 
¶ ミス・マーサは、ことし四十歳、銀行通帳には二千ドルの預金があり、二本の義歯と思いやり深い心をもっていた。ミス・マーサよりも、もっと結婚のチャンスにめぐまれない人でも、結婚しているものが、世の中にはたくさんいる。
                                             
――『善女のパン』
                                                        

 
¶「ぼくは、いつも」と彼は言った。「お金持の上流階級の人たちの生活について、本を読んだり話を聞いたりするのが好きだったのですが、どうやらぼくの知識はまだ中途半端なものだったようです。そこで、ぼくの知識を正確にするためにうかがいたいのですが、ぼくはこれまでシャンパンは壜で冷やすもので、グラスに氷を入れて冷やすものではないと思っていましたけれど、どうなのでしょう?」                                          
                                          
――『自動車を待つ間』
 

¶ 人は、真鍮ボタンのボーイに案内されて、ゆったりした階段をあがるなり、あるいはずっと高所までエレベーターに乗って夢見るようにあがるなりすれば、アルプスの登山家といえどもいまだ味わえぬような、すがすがしいよろこびを味わうことができる。そこの料理場のコック長は、ホワイト・マウンテンでも食べられぬようなすばらしい姫鱒だの、オールド・ポイント・カンフォートをすらうらやましがらせるような――「ほんとですよ!」――魚介類だの、狩猟監督官の融通のきかぬ役人根性をもやわらげるようなメイン産の鹿肉などを準備してくれる。
                                                                                        
――『桃源郷の短期滞在客』


¶ 馬車は、がくんと一ゆれしてカジノの入口でとまった。馬車の扉が、ぱっと開いた。客は、まっすぐカジノの床の上に降り立った。すぐさま彼女は、魂を奪うような音楽の蜘蛛の巣にとらえられ、光と色彩のパノラマに眩惑された。
  
                                             
――『馭車台から』

                                                    

 
¶   水車(くるま)がまわれば
    麦粉がひける。
     粉にまみれて粉屋は楽し
 そして、このとき、残されていた奇蹟が実現した。チェスター嬢がベンチから身を乗り出し、粉のように青白い顔で、白日夢をみている人のように大きく目を見開いてエイブラム神父をみつめた。彼が歌いはじめたとき、彼女は両の腕を彼にむかってさしのべた。唇がふるえた。夢みるような調子で彼女は呼びかけた。「お父ちゃん、ダムズをお家へつれてってよ!」
   
                                          
――『水車のある教会』

タグ:O・ヘンリ
posted by nobody at 02:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月30日

まるで辞書の例文のような名文 〜外山滋比古『昨日は今日の昔――118のさりげない話』〜

@ ミニ感想

 外山滋比古という人物に、以前から興味を持っていた。
 中学の国語の教科書に彼の文章が出ていたのがきっかけだろう。
 彼の文章は僕の目標とする文章だった。

 彼の文章は、この本では短い文章の集まりだからかもしれないが、非常にわかりやすく、平明である。
 それゆえ、言わんとするところがよくわかった。

 ためになる内容も多かった。
 例えば、『アンネの日記』の一部に他者の文章が含まれているらしいこと、
 家康の有名な遺訓、「人の一生は重荷を負って……」は、明治になって偽作されたこと、
 鶏の雛や、七面鳥、豚などに赤のコンタクトレンズをつけると、攻撃性が少なくなり、他の雛をつつき殺さなくなったり、餌が少なくて済むようになったりすること、
 人はなぜか隅っこや壁際の席を好むので、喫茶店の真ん中のテーブルは不要になり、仕方がないのでそれを取り去り、そこでダンスをするようにしたのがヨーロッパ人の知恵であること、
 日本のおおよそ東半分は「〇〇町、××村」を「マチ、ムラ」と呼び、西側は「チョウ、ソン」と言うことなど。
 
 また、汽車や駅などでの話も多かったのが印象的だ。

 彼は非常に人との付き合いというか、触れ合いが、それは彼が大学教授という職に就いているからかもしれないが、豊富だと思った。
 118ものさりげない話のほとんどには、人との会話、出来事が語られている。
 その対象は講演、タクシー運転手、先生、知らない人、友人などさまざまだ。
「体験」は文章を書くうえでのウェートを占める割合が大きいんだなと思った。

 特に印象に残った話が1つある。

 ある日彼は赤い風船を見付けた。
 紙片が付いていて、小学生の文字で
「がっこうのせんせいになりたい」
と書かれていた。
 住所もあったのだろう、彼は
「ぼくもせんせいです。よくべんきょうしてください」
と返事を出した。
 
 すると、暑中見舞い、年賀状がその子から毎年届くようになった。
 その子の父が勤めている印刷会社で、彼の本が組まれるようになったという。

 不思議な、ロマンチックな思いがする。

 作者は昔のことも色々取り上げ、現在との違いを指摘していた。
 
 彼の他の著作に日本語について扱ったものが多数あるが、いつかこれらも読んでみようと思う。

 最後に、『こんにちは』という話を、生徒会広報紙に載せてもらうよう担当のNさんに依頼しておいたことを付け加えておく。
                                           (1988・4・30、16歳)

A 箴言集

¶ 学生に本を読ませたかったら、就職難にすればいい。
                                   
――『不安解消』結び

¶「日本人は握手を誤解しています」
 とある外国人の神父さんが言う。
「互いに手を握ったまま、じっとしているのです。あれではシェイク・ハンドではありません。振らなくちゃ」
 それを聞いて、原因は“握手”ということばにあるのだろうなと思った。握手なら、読んで字のごとく、手を握ればいいと思っても無理はない。シェイク・ハンドの訳語として握手は苦心の作である。ただ、そのために、握った手を振ることを忘れてしまった。
                                  
――『コックリさん』冒頭


¶ 後列の人間は、雑誌が届くとまず編集後記を読む。はじめての雑誌で後記がおもしろくなければ、縁なきものとあきらめてしまう。表玄関の論文を読む前に、ちょっと勝手口をのぞいてみたい。
 そんなことでどうする。元気のいい諸君からそう言ってしかられるかもしれない。しかし、ものは考えよう。みんなが前列に並びたがったら、写真屋さんは整理に困るだろう。後列の人がたくさんいるからこそ、世の中は平和でいられる。後列人間万歳。
                                   
――『後列人間』結び


¶「ソー・マッチ・フォ・ディス・モーニング(きょうはここまでにします)」
 いつもと少しも変わらぬ調子で、そういう終わりのあいさつを残して、H先生は教室を出て行かれた。これが最後の授業であったことをわれわれ学生はあとで知る。
 先生には最後だとわかっていたはずである。それならそうと、ひとことくらい普段と違うことを言われてもよいのにと思った。この前の戦争の始まったときのことである。
                                  
――『最後の授業』冒頭


¶ ところが、いま、日本人の大部分は八〇年代は一九八〇年に始まり、一九八九年に終ると思っている。その伝で行くと、二〇〇〇年になれば、それッ、二十一世紀になったといって、上を下への大騒ぎをするあわてものがあらわれるにちがいない。

 ところが、おあいにくさま。二十一世紀は二〇〇〇年ではなく、二〇〇一年から始まるのである。この一年は重大で、一年くらい、どうでもいいとは言えない。 
 そのところをしっかりさせて、二十一世紀があと二十年したらやってくる覚悟をしよう。
 
                                  
――『〇年か一年か』
                                                                                                   

 
¶ 夢中になっていろいろなものを見るが、何をのぞいても指の骨が見える。やがてこれはおかしいと気付く。インチキとわかるが、だれにも言わない。つぎの縁日はだいぶ先だが、あのおじさん、二度とはこないだろう。そして少年はやっぱりメダカとりの方がおもしろいや、と思うのだ。
 そういうインチキ教育のおかげで、うまい話にはマユにつばをつけるくせがついた。「コレヲカワナイヨウナコハリコウニナレナーイ」と言ったおじさんのことばは、あれで、案外、本当だったのかもしれない。
                                                                                  
                                 
――『インチキ教育』結び
 

¶ くだものは、寒さで甘くなり、人間は苦労で味が出る。
                                                                                       
――『くだもの』結び


¶ 小さいときから、
 氷の天ぷら
 マルいサンカク
 白いカラス
 は、ありえないものの代表のように思って育ったから、アイスクリームの天ぷらがあると知って、まさか、と目をこすった。
                                 
――『氷の天ぷら』冒頭
 

¶ どちらも、こうした形でふたたび読者の目に触れることになろうとは思いもしないで書いた文章である。それだけに、新しく読んでくださる方ができるのは、著者としてこんなにうれしいことはない。
                                                                                                  
                                       
――『あとがき』
 


B特別収録『こんにちは』

 千葉県松戸の上本郷第二小学校のお母さん方の会へ話をしに行った。勤め先で会議があって、約束の時間に遅れそうになったから、裏門から入って行った。
 放課後の子供が、三三五五、運動場で遊んでいる。
 近づくと二、三人が
「こんにちは」と明るい声で呼びかけた。こちらも
「こんにちは」とお返しをする。
 しばらく行くと別のグループの子供たちも口々に
「こんにちは」
「こんにちは」と言う。
 お客さんと見たら、あいさつするように、日ごろからしつけてあるのだろう。感心だ。
 講演はまくらのところで、このことにふれ、こういう子供のいる学校、そういう子供を育てている家庭には
「申し上げることもありませんが……」
と言ったら、お母さんたちがどっと笑った。
 あとで校長さんとお母さんの代表が、ほめていただいてほんとうにうれしかった、と顔をほころばせていた。
 何でもないようだが、こういうことが教育なのである。ここの小学生は中学へ行っても問題をおこさないだろうと思う。
 いい気になっていたつもりはないが帰ってきたら風邪をひいていた。

*高校の生徒会紙に掲載してもらったもの。学校の生徒に、教育とはどんなものかを訴えたかった。

タグ:外山滋比古
posted by nobody at 13:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月16日

詩人の特性としての着眼点の奇抜さ 谷川俊太郎 〜『「ん」まであるく』〜

@    ミニ感想  

 彼の文は難しい。
 
 もし彼の文章が大学入試などに出題されたら、僕はとても太刀打ちできないだろう。
 
 
 一番の、僕にとっての難点は、文と文、段落と段落とのつながりが分かりにくいことだった。
 
 さらに語句も、難解なのもあり、抽象的で捉えにくいものが多かった(例えば「現実」「観念」「深層」など)。
 
 

 時々話し言葉調の文体にもなっているのだが、それによって意味が分かりやすくなるかというと決してそうではなかった。
 
 

 だが文がよく分からない最大の原因は、そういう表面上の特徴によるものではなく、文そのものの意味が納得できなかったことにある。
「〜だ、だから、〜」とか、
「〜ので、〜となる」とか書かれていても、なぜそれからそう言えるのか、という点で何度もつっかえた。 
 

 しかし、彼の文はいわゆる悪文ではない。
 
 一般に難解な語を多用するのは悪文と言われるが(僕はその定義にさえ疑問を感じているのだが)、彼は全体にそれを用いているのではなく、要所要所にポツンポツンと置いているような感じだ。
 
 

 彼の文には、文法的語句が多いのも1つの特徴だろう。
 
 名詞とか動詞、定冠詞とかそういう語だ。
 
 

 彼の本職は詩人だが、彼の文を読んでいるとその柔らかなイメージはほとんど感じられなかった。
 
 本職でない分野でこれだけ力を発揮できるのだから、やはりその文才は並ではない。
 
 

 この、悪文と、一見そう見えるが実はその高尚な語句を生かしきった名文との違いが、はっきり分かった気がする。
 
 

 ま、何にしても、この本を読破したことで、もし試験に出ても何も読んでいない他の学生に比べたら少しは有利になったのではないかと思う。
 
 

 彼の人柄や環境について、大まかに掴めた。
 
 彼は少年時代、思ってた通り生意気で幾分非社交的な性格の持ち主だった。
 父は大学教授で、生粋の東京人で杉並区に育った。
 家もまあ立派だったらしく、今風の言葉で言えばマセてるガキ
のような感じだった。

 彼の発想というか、物事の着眼点は非常に独特なものだ。
 それは彼が詩人だからこそのことだが、僕も物事を同じ視点で見据えず、違った角度で捉えることができるような柔軟な思考をもてるよう心がけていきたい。
                                           (1988・3・22、16歳)
 

A   
箴言集 

¶12「目の澄んだ女性」「脚のきれいな女性」「胸の豊かな女性」のどれか一人を選ばなければいけないとしたら?
 三人の生まれも育ちも性格も違う女を、そんな簡単な形容でくくってしまうなんて、女性蔑視じゃないかしら。どういう目的でかは知らないけれど、万一ひとりを択ばなければならないとしたら、もっとたくさんの情報が必要なのは分りきったことでしょ。
                                
――『女と男・女についての22の質問』
 

¶私はだんだんに人生に目覚めはじめ、数学の試験には白紙答案を出し、学校をなまけて、裏の小川のほとりで、読みたい本を読んだ。
 
 同窓会というのには一度だけ出たことがある。見知らぬにぎやかな女の子たちばかりいて、途方に暮れて帰ってきた。
                                            
――『私・母校』結び


¶死を問わずに生を問うことはできない、死を受容せずに生をまっとうすることはできない。それは一個人の魂の内部においてそうであるばかりでなく、ひとつの有機体としての社会内においてもそうであろう。ひとりひとりの人間の孤独な覚悟と、同時代の人々のおそらくは明確に言語化できぬ死についてのコンセンサスとは、互いに支えあうことで成立する。枯れ葉が、そして動物の死体が他の生命体のための養分となるように、個人の死が他者の再生のための契機となることを、私は信じたいが、その方向に宗教でも、全体主義でもない何かを見通すことが、このような時代に果たして可能かどうか。それが避けて通れぬ途であることはあきらかなのだが。
                             
――『老いと死・戦後その精神風景・死』結び


¶楽しむことのできぬ精神はひよわだ、楽しむことを許さない文化は未熟だ。詩や文学を楽しめぬところに、今の私たちの現実生活の楽しみかたの底の浅さも表れていると思う。悲しみや苦しみにはしばしば自己憐憫が伴い、そこでは私たちは互いに他と甘えあえるが、楽しみはもっと孤独なものであろう。楽しさの責任は自分がとらねばならない、そこに楽しさの深淵ともいうべきものがある。それをみつめることのできる成熟を私たちはいつの間にか失ったのだろうか、それとも未だもち得ていないのだろうか。
                                  
――『いまここ・楽しむということ』結び
 
 

¶「こんなにめまぐるしい世の中では、変わらないもののイメージを見失わないようにするだけでも大変だ。まして、それを生きて、日々の生活の中で守ってゆくのは、ひとつの戦いだといってもいい。だが人間にとってもっとも大切な徳は、いつの世にもいのちがけで守られてきたのだと思う」
「生きものは育ち、老い、死ぬ。原子は分裂し、星々もあるいは爆発し、あるいは冷却する。たしかにものみなうつり変わるんだ。だが変わるものの奥に秩序があるとすれば、その秩序は変わらぬものにむすびついている」
「それを発見してゆくのも、ことばによってだ」
                                     
――『いまここ・水の連想』結び

¶なるほど春の野というものが、子どものころはあったなと思う。いま住んでいる東京の西部にも、本気で探せばきっとまだあるだろう。だが、いまの私の心の中にそれがよみがえるとは思えない、たとえ現実に、春の野に立つことができたとしても。春の野はだからもう、私にとってはひとつの幻想だ……
 あれは春だったのだろうか、ギボシと呼びならわしていた草の実を糸で連ねて、首にかけたのは。なんとか言う野草の茎をからめて、友だちとどちらが早く切れるか競ったのは。私たちはたしかそれをすもうという名で呼んでいた。それからまた、若い筍の皮に梅干を包んでもらって吸ったのは、カヤツリ草の茎を裂いて四角い蚊帳を作ろうと苦心したのは。
                                    
――『都市・一東京人の住・私史』


¶人は自らの、すなわち世界の多義性に耐えることができない。だからこそ言語が生まれ、人は自らと世界を分割統治することを学んだのだ。言語はだから常に現実を騙るものだ、語らずに人は生きることができない。吃ることで、また絶句することで、人は自分のかかえこんでいる言語に絶している何ものかへの誠実を示すのか。だがそれも束の間、人は無口であるというひとつの態度によってすら、言語から逃れることはできないだろう。
                              
――『動いている言葉・動詞へ・語る』結び 


¶今も私は基本的には変っていない。だが、肉体と精神とが分かつことのできぬひとつのものであること、言語化の難しい感覚は理性の支配を脱することがあるからこそ、世界を識るためのかけがえのない途であること、そして何よりも<不快>という感覚を通して、私は他者と向きあうことを知った。この世に生まれて五十年の歳月ののち、私は自分の感覚のにぶるのを怖れる、私に感じとれぬもののあることを怖れる。
                            
――『動いている言葉・動詞へ・感覚する』結び


¶いのちというものはきっと波のようにいつもゆれているものなのだろう。そのゆれにいのちといのちは共振しあう。とすれば、おさえるのがむずかしい私の日々の心のゆれも、生きていることのあかしだろうか。
                            
――『動いている言葉・人間動詞・ゆれる』結び
 

¶人間にとっての唯一のほんとうの終わりである死についても、私はあまりぎょうぎょうしいのはうそじゃないかと思っている。落葉が土に帰るように死にたいものだが、コンクリだらけの現代の都会では、それさえかなわぬ夢だろうか。私の知人のあるアメリカ作家は、死んだら灰を高層ビルのトイレに流してくれと言ってるそうだが、その灰が暗い下水管を通り抜けて、やがて陽光きらめく海へと流れこむのだとしたら、それも楽しい。
                            
――『動いている言葉・人間動詞・おわる』結び
 

¶ぬかるみで遊ぶから、草原の上に立ったから子どもは喜ぶのではない、喜びはすでに子どもの身内にみなぎっていたのだ、ぬかるみや草原に足や手で触れること、すなわち世界に自分の肉体で触れることが喜びを目ざめさせ解放する、それはひとつの爆発だ。そのとき心は体を通して、しっかりと世界にむすびつく、そこに生きることのもっとも根元的なかたちがある。おとなの喜びは子どものそれに比べて、遠慮がちなものにならざるを得ないが、その根はひとつだろう。そのことを忘れて子どもに近づくことはできない。絵本を作るときも、子どものための歌や物語を書くときも、子どもの喜ぶ姿を思い描くことで、私はより深く生きることを識りたいと思う。
                                    
――『子ども・理由なき喜び』結び
 

¶自然を通して宇宙へと心を開いていた若年の私には、北軽井沢はしかし、日本でも信州でもないひとつのアルカディアに近いところだったかもしれない。
                                       
――『私・我がアルカディア』
 

¶自分の中にドラマチックな悪を見出すのならまだいい、だが私の見出すのはおよそアンチクライマックス風の私、他の誰とも異るところのない自分の平俗さである。つまりこれは発見ともいえぬ発見、太古以来変るところのない人間性の再確認ともいうべきか。が、それにもかかわらず、そういう<発見>は時に私を喜ばせもする。生半可な個性がはげ落ちる時、私は自分のオリジンに一歩近づくと信じているからである。たとえ言葉は新しくならなくとも、それを支える経験が深まることに、私はいささかの意義を認める。
                                         
――『私・ユリイカ!』結び


¶窓はいわば弁のようなものなんじゃないかな。光と闇とを、それはぼくらの内部に送りこみ、またせきとめる。ただ明るいだけじゃこの世は嘘になる。一寸先は本当はいつも闇だ。だけど窓のむこうに何があるか、それへの好奇心は常に恐怖に打ち克つ。そしてそのときぼくらは窓じゃなく扉を開けて、一歩外へ踏み出すんじゃないかしら。
                                           
――『都市・窓』結び
 

¶「ん」まであるく、というのは考えてつけた題名ではない。
                                               
――『あとがき』

タグ:谷川俊太郎
posted by nobody at 21:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月11日

本当に俺なんかでいいのかと― 〜サラダ倶楽部『男たちのサラダ記念日 Part2』〜

@ 印象に残った短歌10

¶ほんとうに俺なんかでいいのかと 聞いたら無言でうなずいてくれ
                                ――『うまく伝えて』

¶ウエディング姿の君のテレカもらい 度数と共に記憶を減らそう
                        ――『別れの朝カルーア・ミルク』

¶来年のスケジュール帳購入し 11月の君のバースデー記す
                       ――『恋の分割払いは赤いカード』
¶180cm(ひゃくはちじゅう)のあなたの景色が知りたいの 背のびしてみる7cmのヒール
                       ――『君がいるから猫はいらない』

¶久々に友の便りが届いたが 「結婚」の文字に返事も書けず
                       ――『君がいるから猫はいらない』

¶涼風がまだ薄着の肩通り過ぎ 寂しさ残る夏の終わりに
                             ――『42連の風鈴の夏』

¶冬の夜「海が見たい」とひとりごと 今日の気分はセンチメンタル
                       ――『ため息ついて・シャラララララ』

¶君の香のほのかに残るセーターに 持ち主のないことを伝える
                         ――『別れの朝カルーア・ミルク』

¶歩道橋間にはさみ5年ぶり 好きなんだよと始めてどなる
                          ――『サムバディ ラヴズ ミィ』

¶まっすぐに地平線まで続く道 前にはあなた背中には空
                          ――『あの人のくせが直らない』

*私は浜省が好きでたまらないのですが、私の琴線に触れた短歌というのは、浜省の歌に通じるものがあるなあと気付きました。

A わからなかった短歌5

¶飲み干したビールの底を口にあて ここで一発中畑清
                       ――『君がいるから猫はいらない』

¶私にはプレーンノットしか結べない どうしたのかな?そのウインザーノット
                      ――『ため息ついて・シャラララララ』
*後年、「プレーンノット」「ウインザーノット」というのはネクタイの結び方だと知りました。だから今では分かります。

¶プレヒート待つ間にひとつクラッカー 目の前にある槍ガ岳(ヤリ)を仰ぐ

¶夕陽背に冷えたクアーズ握りしめ 「影のある男(ヤツ)」とつぶやいてみる
                          ――『サムバディ ラヴズ ミィ』

¶林道のこもれ陽の中鹿になる ビキニトップのJ.3(スリー)が好き
                         ――『ボディコンシャスのいい女』

posted by nobody at 00:00| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月01日

情念による反戦 〜読売新聞大阪社会部『終戦前後』〜

@ ミニ感想

 最初、題名を『終戦前』と勘違いしていた。
 しかし期待が外されたわけではなく、新聞記者らしい分かりやすい文章で綴られた作品で、内容も興味深かった。

 まず、終戦直後の飢えの酷さは、思っていた以上だった。
 具体的な数字で表わされると、そのことが如実に物語られる。

 成人1人1日あたりの摂取熱量(配給+ヤミ)
・S17年9月……1875cal、
・S19年7月……1792cal、

・S20年7月……1824cal。

(配給のみ)
・S17年……1500cal台、
・S18年……1400〜1600cal、
・S19年……18年と同水準、
・S20、21年……1000〜1100cal、
・S22年8月……577cal。

 次の数値と比較してもらいたい。
・S50年、日本人のとっている熱量……2500cal、
・S50年、学校給食1回分……(小学低学年)600cal、
・S50年、食糧危機から暴動が続発しているインド……1900cal、
・男子1540cal(女子1330cal)の時の具体的症状
 ・脈拍速くなる
 ・顔面蒼白
 ・げっそりやせる
 ・階段の昇降に苦痛を訴える
 ・気持ち高ぶり、仕事をいやがる

 いかに終戦前後の飢えがひどかったか、一目瞭然である。

 戦争は、二度と繰り返されてはならない。
 とはいうものの、人々がそのために力を尽くしているか、というと、特に政府、国など公共機関を中心に、そうとは言えないフシが見受けられる。

 記者たちは、どうすればそれを訴えられるかを真剣に考えた。
 そして出した結論は、“人間くさい情念、それを共感し、伝えることによってしか、戦争をとめる力は出てこない”ということである。

 つまり、論理で、
「戦争はこうこうこういうものだから、してはいけない」
と言っても、ピンとこない。
 経験から滲み出る教訓により、説くしかないのである。

 今の裕福な生活から見ると、当時の日本人は信じられないほどの苦しさを味わっている。
 その悲惨さは、まさに筆舌に尽くし難い。
 その悲惨さも、伝えることなく埋まってしまったら、人々はのぼせあがり、また破滅への道となる戦争に突入していくだろう。
 その意味でこの本は、現代に生きる日本人への警告ともいえる貴重な本である。

 僕は確かに戦争を知らない子供だ。
 それでも、この本のように悲しみから湧き出てくるドロドロとした情念を訴えかけることにより、戦争への断固たる憎しみをもたせることができるのである。
                                (1988・2・23、16歳)

A 箴言集

¶女学生は左肩下か胸部に焼夷弾の直撃を受けたらしく、肺が飛び出し、呼吸をするたびに、それが大きく伸縮していた。モンペにも血が飛び散っていた。医者は仮繃帯をしただけで見放していた。助かりそうなものだけを先ず救出する。仕方なかった。
 女学生の死期は迫っていた。意識混濁のなかで、なにか叫んだ。
「しっかりして、何かいいたいんか」
 思わず女学生の左手を両手でつかみ、自分の耳を彼女の口もとに寄せた。
 女学生は、中川さんに手を握られ「お母ちゃん」といって、息を引きとった。ザクロのように裂けた肺。その近く、血と泥にまみれた上着の左胸に縫いつけられた名札からは、苗字のうちの一字と血液型が判読されたが、遺体の引きとり人はなかった。
――「空襲」


¶父がホームの階段を下りて地下道の方へ向かったとき、母は突然そのあとを追って走り出した。ぼくたちも走った。薄暗い地下道で母は「おとうさん」と叫んだ。
 声も出ず、食事も咽喉を通らなかった苦しい旅路の果てで、はじめて叫んだ母の言葉だった。

――「出征」


¶月が変わったある朝、ガラスの割れた玄関のドアを勢いよく開けて、突然、父が現われた。汚れた戦闘帽をかぶり、ヒゲもじゃで、見るからに敗残兵だったが「やあ」と叫んだ第一声は、まさしく、なつかしい父の声だった。兄も妹も、そしてぼくも父に飛びついた。母だけは、言葉もなく全身を震わせて立ちすくんでいた。

――「出征」


¶戦病死だったという父は、恐らく衰弱の激しい体で、襲ってくる絶望感を追い払いながら、どんなにか還りたいと願ったことでしょう。今はもう遺骨がなくなっているとしても、父の絶望がしみついた土を手にすくい上げ「還れなかったあなたの代わりに私がここにきてやったよ」と父に声をかけてやることができたら、私の気持ちも少しはおさまるのではないかと思うのです。

――「出征」


¶蝉の声だ。蜩(ひぐらし)にしては少し早い。油かみんみんか。三十年前、あの爆撃のあとで、たしか聞いたはずだ。そういえば、あの日も、桜門わきの夾竹桃(きょうちくとう)の花が、濃緑色の葉の上で真紅(まっか)に燃えていた。

――「0の暁」結びの段落


¶八月十四日の朝は、もの憂かった。降伏の歴史を持たない国民には敗戦とは、何なのかわからなかった。

――「0の暁」


¶国務省に最初の挨拶に行って「私は戦争に敗けたとき、アメリカ人に媚びへつらう日本人を軽蔑しました。アメリカは立派なお国にちがいないが、心から好きになれずこの年まで来たのに、思いがけずお招きにあずかりまして」と言ったら、この間まで大阪アメリカンセンターの館長だったA・ボールさんは、目をまるくして「あなたは正直な人ですね――」とにが笑いした。

――「軍人の娘」


¶「僕は判事として、正しい裁判をしたいんだ。経済犯を裁くには、その人たちが罪に落ちる直前の苦しみ、立場に立たないと、正しい裁きは出来ないと思う。逆に自分がヤミにかかわっていて、心の曇りが少しあっても、その裁きには自信が持てない。だから、ヤミは一切したくない。……これから僕の食事は、必ず配給量だけで賄ってくれ。倒れるかも知れないけれど、良心を胡魔化(ごまか)して生きていくよりはいいと思う」
 驚いて、山口の顔を見つめる夫人に、彼はつけ加えた。
「僕は、君や子供たちにまで、配給生活は強制しないよ。それは、君の好きなようにしたらいい」
 山口は、現象(飢えの中でのヤミ取引)に対して掟(食管法)がどうしても一致しないことに苦しんだ。一致しないならば、せめて裁きだけは正しく……。彼は自分を律するという方法で、この混乱時代の司直の筋道を通そうとしたのである。

――「判事の死」


¶夫人は回想する。
「折角勉強して、念願の判事になりながら、死んでいかねばならない主人の心境を思うと、可哀想でなりませんでした。私が殺したのではないか、もっと色んな処し方があったのではないか、と悩みました。でも、安らかな死顔を見ますと、三十三歳で燃え尽きた人だった、という思いもしました。これは、初めて他人(ひと)にお話するのですが、私、良忠のお棺に、そっと手紙を入れましたの。『貴方の生涯はすごく清らかでした。とっても偉かったと思います。貴方との生活は短かったけれど、素晴らしかった。だから、私は絶対に再婚なんかしません』って書きまして……。今でも、良忠の死を思わぬ日はありません。そのために生きているようなものですもの」
 三時間余の永い取材の終わりに近く、夫人は幸せそうに微笑んだ。
 日比谷公園は、すでにとっぷり暮れていた。

――「判事の死」


¶「神になるには、死ぬより外はない。そうと悟っていれば、人間はちっともいのちなんか惜しくない。『武士道とは死ぬことと見つけたり』いい言葉ではないか」

――「判事の死」


¶大阪城の北側をまわり、赤いレンガの建物に出た。自衛隊地方連絡部。だが、往時の偕行社に近く、寝屋川に影を映すこの古びた建物は、自衛隊を容れるよりも、八月十四日の造兵廠を、いや、さらに大きく大阪空襲の実態を伝えるための、記念館としてこそ、ふさわしいのではないかと思った。そういう歴史への思いやりもなく繁栄していくこの街に生きることが、さびしかった。

――「八月十四日」結びの段落


¶そのソビエト軍は、五月のドイツ降伏を待っていたとばかり、極東へ兵力を移していた。七、八月が、ヤルタでの約束である。要(かなめ)の関東軍は南方へ牛蒡抜きにされ、七十万、二十四個師団、九旅団は数だけで、銃剣も持たない兵隊が十万といわれ、実力は八個師団あまり。ソ連軍の侵攻があれば、ひとたまりもなかったのだ。だから、広島につぐ長崎の原爆が、日本の降伏を早めたのは否めないとしても、敗戦を決定づけ、ポツダム宣言受諾以外の、すべての願いを断ったのは、ソ連の参戦だった。

――「0の暁」


¶戦局が厳しくなるにつれて、伊丹の飛行場周辺の爆撃が日常となった。国道大阪―福知山線沿いの一角に一トン爆弾が落ちた。
 すりばち型に深さ二十メートルもえぐられた穴の中で、爆風で前足を折った馬が荷車ごと放り込まれ、あえいでいた。必死に立ちあがろうとしては転倒する馬の悲しげな目を、いまでも忘れることができない。

――「一枚の絵」


¶闇市で、にわか商人たちはどんな気持ちで毎日を送っていたのだろうか。こんな告白がある。
 ――適当なことをいって買いたたき、適当なことをいって売り飛ばしていた。良心を麻痺させ、勇気づけるために、カストリを飲みながらの商人も多くいた。気弱な私などにとってはまったくつらい傷だらけの毎日であった。――
 ――サラリーマン一か月分の給料を一日でかせぐ見事さは私を酔わせた。しかし、金をためてどうこう、という気持ちは一向におこらなかった。翌日の仕入れ資金以外はすべて色町で消費した。浴びるほど飲んだ。宙ぶらりんの浮草のような生活を忘れたくて飲んだのだ。――

――「闇市」


¶ソ連兵が来ると、姉や母たちはそこに隠れて息を殺した。私たち男の子供はソ連兵のつばのない帽子にあわして、自分の帽子を後ろ向きにかぶって、遠まきに様子を見る。しかし恐ろしさに慣れて来ると、中学生だった兄はソ連兵に、こわれた目覚まし時計を与え、一時はごまかしたが、やがてソ連兵が気づいて、大きい手でぶん殴られた。

――「一枚の絵」


¶朝、少年は死んだ。顔に涙が流れていた。栄養失調だった。遺体は東に向けて葬った。日本の方向だ。

――「棄民」


¶野っ原の防空壕――アンペラをかぶせ、土が盛ってあった。掘りかえすと遺体があった。その下にも、遺体が重なり合っていた。凍てついた野は掘り起こせない。死者は止むを得ず、防空壕に葬られたのだ。
 一つ一つ掘り起こし、大車で日本人墓地に運んだ。新京の市内からも大車に乗せられて、遺体が運び込まれていた。黙々と穴を掘り、埋める。つぎつぎと新しい土饅頭が出来る。姓と所属開拓団が書かれた卒塔婆(そとば)が建っていた。石を一つ置いた墓も。それは鬼気迫る荒涼とした光景だった。

――「棄民」


¶私の体験は「戦争」でなかった。「戦後」であった。しかもそれは、忽然と“消えた”満州帝国の五族(建国の理念、五族協和)の日本人として経験した異様な「戦後」であったと思う。特に開拓団の人たちは、当然居留民を保護せねばならぬ関東軍に見捨てられ、悲惨な末路をたどった。まさしく棄民のそれであったと思う。この思いは三十年経た今でも消えず、くやしさと怒りとで胸が熱くなる。

                                                 ――「棄民」

¶五月はじめ、京大を出た新任の国語教師が授業を早目に切り上げ、生徒一人一人の名前を読んだあと言葉をつないだ。
「これで君たちとはお別れだ。ぼくは生きては帰らないだろうが、君たちは生命を大切にしてくれ」
 童顔の教師は、ハンカチをだして顔をぬぐうと、朗々と『奥の細道』を読んだ。淡々とした声だったが、森潤には一句一章がしみた。その年の暮れ、教師はフィリピン戦線で戦死した。
――「夏の記憶」


¶彼といっしょに中学校を受験して失敗した近所の友だちも「軍隊では勝って見せる」と予科練に入り、十五歳の若さで戦死した。

                                               ――「夏の記憶」

¶団長も副団長も県公署で調べられたり軟禁されたりしていたのだから、だれを責めることもできないが、厳然たる事実は、こうして、ある意味では実にあっけなく、298人もの人が入水自殺を遂げたことであった。
 彼らは遠い満州の地で、太陽が出れば働き、日が落ちれば休息した。ただそれだけのことでこんな悲惨な死を選ばなければならなかったのである。
――「開拓の村」


¶三年生の弟には手をやきました。川へ放り込んでもすぐ泳いで帰ってきてしまうのです。「殺さんといてくれ」と泣いてせがむんですが、私は二度三度と川へ突き放してやりました。――

――「開拓の村」


¶そして奉天駅頭では、吐く息がマスクを凍らす夜の寒気におびえたが、翌朝仰いだ抜けるような青空は、いまだに忘れられない色彩である。ずっとあとになって、梅原竜三郎の「北京秋天」を見て、これが大陸の色だと納得したものだ。

posted by nobody at 03:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月10日

時間というものは、自分が生まれてから、死ぬまでの間です。 〜坂口安吾『堕落論』〜

この項は以下の4項から成る。
@ミニ感想
A読書感想文
B箴言集
C志賀直哉は本当に“神様”か(プロレス論文。『週刊プロレス』懸賞論文に投稿)

@ミニ感想

 夏休みが始まる時に借りたから、もう3カ月以上経過した。
 こんなに遅くなった理由の1つには、内容が困難でなかなか読む気が起こらなかったという面があるのは否めない。

 安吾という人はとにかく否定ばかりしている。
 それも、絶対的に評価されている人・ものをだ。
 詰め込み教育全盛で、物事を洞察することをしない現在の教育制度の下では、今後こういう人物は出てこないだろう。

 徒然草、平家物語、志賀直哉、漱石、藤村、小林秀雄、その批判の仕方もハンパではない。
 ボロクソに言っている。

 しかし、一部論理の展開に、納得できないというか、矛盾したところがあった。
 読解力不足かもしれない。
 
 例えば、小林秀雄を「教祖の文学」でボロクソにけなした後、次の「不良少年とキリスト」では誉めているのである。

 特に前半に難解な箇所が多かったが、集中して読んでなるほどと思えるようになると、面白かった。

 とにかく、これを読んで、もうどんな文章でも易しくスラスラと読めそうな気がする。

 後半の「教祖の文学」、「不良少年とキリスト」が、特によかった。
 内容が、人間の生きることに言及しているからだ。

 50ページ以上にもわたった「青春論」だが、これは今イチ掴めなかった。
 宮本武蔵をなぜ出したのかも、ウヤムヤである。

「堕落論」と「続堕落論」を対象にして読書感想文を書いたが、優良賞に選ばれてしまった。
 思った以上の成績である。

  彼の否定は、全てが正しいとは言えないような気もする。
 中には、正しくないこともきっとあるだろう。

『無頼派』というネーミングが、ふさわしくないように思った。
 ひょっとして、まだ誰も安吾の本性まで掴んでいなくて、オレだけが理解したのではないかと思ったが、それはウヌボレというものだろう。

 とにかく手が痛い。
 そして眠い。
 きつい。
                                          (1988・10・28、17歳)

A読書感想文

 一般的に言って、「進歩」という言葉と「堕落」という言葉の表す意味は全く正反対である。
 おまけに作者の坂口安吾は「無頼派」としてデカダンス(退廃、堕落)を追い求めた作家の一人だった。

 以上のことから、『堕落論』という題名は、坂口安吾の作風に違わず、
「世の中にはもう求めるものはないし、生きてどうしようという希望もない。デカダンスの生活を送ることが、この世に生きていく最も正しい術なのだ」
という、一言で言えば
「やけくそになれ」、
という進歩を否定した内容なのかと誤解されがちである。

 決して坂口安吾はやけくそになどなっていない。
 それどころか、まるでその逆なのである。

 彼は真剣に世の中の進歩を、人々の幸福を考えて、この作品を作り上げたのである。

 つまり、冒頭に挙げた
「進歩」⇔「堕落」
という図式が、『堕落論』の中では
「進歩」=「堕落」
となってしまうのだ。

 なぜそうなってしまうのか、と言えば、現代(といっても、この作品が書かれたのは終戦後間もない頃だが)がすでに堕落し切っているからなのだ。

 終戦直後と現在では確かに世相の違いはあるが、人々のモラルや生き方は、そう変わっていないのではないか。
 いやむしろ、現在の方が劣っていると言えるかもしれない。

 だからこの作品は、現在にもってきても、発表された終戦直後以上に、十分通用するのである。

 しかし、人間は堕落を恐れる。
 ゆえに堕落を防ごうとする。

 徳川幕府が四十七士の助命を排して処刑を断行した理由の一つは、彼らが生きながらえて生き恥をさらし、せっかくの名を汚す者が現れてはいけないという老婆心であったという。
 これなど美しいものを美しいままで終わらせたいという、誰しもがもつ心情を端的に示す好個の例であろう。

 また、天皇制というものは、藤原氏や将軍家が、天皇の擁立を自分勝手にやりながら、天皇の前に額ずき、己が額ずくことによって天皇の尊厳を人民に強要し、その尊厳を利用して天下に号令するために生まれたのだという。

 将軍たちが天皇制を必要としたのは、それを利用して天下に号令し、ひいては自家の永遠の隆盛を維持していくためだったのだ。
 堕落することを恐れる将軍家に、人間の堕落に対する並々ならぬ恐れが見てとれる。

 世の中には他にも様々な、巧妙にできた堕落を防ぐための「カラクリ」が存在する。
 それらの存在が、進歩を阻んでいる。
 それらの「カラクリ」が消えない限り、人間の真実なる姿は日本を訪れることはないのだという。

 しかし、もし人間が堕落の必要性に気付いても、そう簡単には堕落することはできないだろう。
 堕落することはつらいから、人々は堕落を防ごうと努力するのであって、それは当然のことだ。

 また、堕落しさえすれば誰もが人性の正しい姿を取り戻せる、というものでもない。
 繰り返すが、堕落は楽なことではない。
 苦しく、つらいことなのだ。

 その苦しさ、つらさに耐え切れず、そこから上へ上がれない者の方が多いのだ。
 その中から再び上昇できたごく僅かな者たちによって、真の理想郷はでき上がっていくに違いない。

「作者は真剣に世の中の進歩と人々の幸福を考えている」
と前述したが、そこまで断言できないのかもしれない。
 よく作品を読み返してみると、
「堕落することによって人々は幸福になれる」
とはどこにも断定してないのだ。

 堕落によって得られるのは、
「すべて人間の真実なる姿」
であり、
「人間の、また人性の正しい姿」
なのである。

 だから、もし人間が首尾よく堕落しきったとしても、人間に人と争わず、人を憎まず、人と共存しユートピアを作り上げるだけの力が最初から備わっていなければ、堕落する前より悪い結果を生むかもしれない。
 
 しかし逆に、人間に幸福を作り出しうる真の「人間性」があるとしたら、その時は間違いなくユートピアは成るだろう。

 考えてみると、堕落は賭けなのではないだろうか。
 人間の真の姿に戻って、そこから幸福を掴むか不幸を掴むか、一か八かの大博打なのではないだろうか。 

 そんな危ないことができるかと憤る人もあろう。
 しかし現在のまま何の手も打たず人間が生きていっても、先が悪くなるのはまず間違いなく、その証拠が現在の核兵器であり、戦争であり、環境破壊であり、エゴイズムの横行なのである。

 ならば、堕落して人性の本性に迫り、幸福か不幸か、進歩か退廃か試してみるしかないのである、もし人がまだ幸福になろうとする意志を捨てていないのならば。

 堕落という言葉の本当の意味を知った。
           
*校内読書感想文コンクール優秀賞、某出版社読書感想文コンクール佳作受賞
                                             (1988・8、17歳)

B箴言集

¶人はなんでも平和を愛せばいいと思うなら大間違い、平和、平静、平安、私はしかし、そんなものは好きではない。不安、苦しみ、悲しみ、そういうものの方が私は好きだ。
                                    ――「悪妻論」

¶もっとも、恋す、という語には、いまだ所有せざるものに思いこがれるようなニュアンスもあり、愛すというと、もっと落ちついて、静かで、澄んでいて、すでに所有したものを、いつくしむような感じもある。だから恋すという語には、もとめるはげしさ、狂的な祈願がこめられているような趣きでもある。
                                   ――「恋愛論」

¶私の生涯のできごとで、この人との邂逅ほど、重大なことはほかにない。
                              ――「作品解説」壇一雄

¶戦後に書かれた「堕落論」でさえ、旧来のモラルの否定という次元で読まれるべきものではない。安吾のいう堕落とは、虚飾を捨てて人間の本然の姿に徹せよ、ということである。
                    ――「坂口安吾――人と作品」磯田光一

¶こういう僕にとっては、所詮一生が毒々しい青春であるのはやむを得ぬ。僕はそれにヒケ目を感じることなきにしもあらずという自信のないありさまを白状せずにもいられないが、時には誇りを持つこともあるのだ。そうして「淪落に殉ず」というような一行を墓に刻んで、サヨナラだという魂胆をもっている。
 要するに、生きることが全部だというよりほかに仕方がない。
                                 ――「青春論」結び

¶大正11年(1922)   16歳
なにしろほとんど授業を受けていないので、再落第のおそれは十分にあった。しかも試験のときには教師が答案を配りおえたとたん、白紙の答案を足音高く、頬に微笑をうかべながら提出し、ついにこの年の夏放校された。そのさい学校の机の蓋の裏側に、「余は偉大なる落伍者となって、何時(いつ)の日にか歴史の中によみがえるであろう」と彫りつけた。かれはすでにポーやボードレール、石川啄木などを、人生の落伍者として愛し、その影響を受けていた。秋、上京して豊山中学校に転校し、戸塚諏訪町に住む。しかしここでも授業をサボり、野球、水泳、陸上競技に熱中、野球は選手で投手をやり、ハイジャンプではインターミドルで優勝した。
                                    ――「年譜」

¶明治39年(1906)   
10月20日、新潟県新潟市西大畑町に生まれる。13人兄妹の12番目で5男、本名を炳五(へいご)といった。(略)坂口家の祖先は肥前唐津で陶工を業とし、のち別れて加賀の大聖寺に移り九谷焼を作ったが、さらに別れて新潟に移り住んだ。徳川時代には広大な田畑の外、銀山や銅山をも所有し、阿賀野川の水は涸れても、坂口家の金はかれぬといわれたほどであった。
                                   ――「年譜」冒頭

¶愚かと言えば常に愚かでありまた愚かであった僕であるゆえ、僕の生き方にただ一つでも人並みの信条があったとすれば、それは「後悔すべからず」ということであった。立派なことだから後悔しないと言うのではない。愚かだけれども、後悔してみても、所詮立ち直ることのできない自分だから後悔すべからず、という、いわば祈りに似た愚か者の情熱にすぎない。
                                   ――「青春論」

¶人間は生きることが、全部である。死ねば、なくなる。名声だの、芸術は長し、バカバカしい。私は、ユーレイはキラいだよ。死んでも、生きてるなんて、そんなユーレイはキライだよ。
 生きることだけが、だいじである、ということ。たったこれだけのことが、わかっていない。ほんとうは、わかるとか、わからんという問題じゃない。生きるか、死ぬか、二つしか、ありゃせぬ。おまけに、死ぬ方は、ただなくなるだけで、何もないだけのことじゃないか。生きてみせ、戦いぬいてみなければならぬ。いつでも、死ねる。そんな、つまらんことをやるな。いつでもできることなんか、やるもんじゃないよ。
 死ぬ時は、ただ無に帰するのみであるという、このツツマシイ人間のまことの義務に忠実でなければならぬ。私は、これを、人間の義務とみるのである。生きているだけが、人間で、あとは、ただ白骨、否、無である。そして、ただ、生きることのみを知ることによって、正義、真実が、生まれる。生と死を論ずる宗教だの哲学などに、正義も、真理もありはせぬ。あれは、オモチャだ。
 しかし、生きていると、疲れるね。かく言う私も、時に、無に帰そうと思う時が、あるですよ。戦いぬく、言うはやすく、疲れるね。しかし、度胸は、きめている。是が非でも、生きる時間を、生きぬくよ。そして、戦うよ。決して、負けぬ。負けぬとは、戦う、ということです。それ以外に、勝負など、ありゃせぬ。戦っていれば、負けないのです。決して、勝てないのです。人間は、決して、勝ちません。ただ、負けないのだ。
 勝とうなんて、思っちゃ、いけない。勝てるはずが、ないじゃないか。誰に、何者に、勝つつもりなんだ。
 時間というものを、無限と見ては、いけないのである。そんな大ゲサな、子供の夢みたいなことを、本気に考えてはいけない。時間というものは、自分が生まれてから、死ぬまでの間です。
 大ゲサすぎたのだ。限度。学問とは、限度の発見にあるのだよ。大ゲサなのは、子供の夢想で、学問じゃないのです。
 原子バクダンを発見するのは、学問じゃないのです。子供の遊びです。これをコントロールし、適度に利用し、戦争などせず、平和な秩序を考え、そういう限度を発見するのが、学問なんです。
 自殺は、学問じゃないよ。子供の遊びです。はじめから、まず、限度を知っていることが、必要なのだ。
 私はこの戦争のおかげで、原子バクダンは学問じゃない、ということを教えられた。大ゲサなものを、買いかぶっていたのだ。
 学問は限度の発見だ。私は、そのために戦う。
                          ――「不良少年とキリスト」結び

¶日本文学は風景の美にあこがれる。しかし、人間にとって、人間ほど美しいものがあるはずはなく、人間にとっては人間が全部のものだ。そして、人間の美は肉体の美で、キモノだの装飾品の美ではない。人間の肉体には精神が宿り、本能が宿り、この肉体と精神が織りだす独得の絢(あや)は、一般的な解説によって理解し得るものではなく、常に各人各様の発見が行なわれる永遠に独自なる世界である。これを個性といい、そして生活は個性によるものであり、元来独自なものである。一般的な生活はあり得ない。めいめいが各自の独自なそして誠実な生活をもとめることが人生の目的でなくて、他の何物が人生の目的だろうか。
 私はただ、私自身として、生きたいだけだ。
 私は風景の中で安息したいとは思わない。また、安息し得ない人間である。私はただ人間を愛す。私を愛す。私の愛するものを愛す。徹頭徹尾、愛す。そして、私は私自身を発見しなければならないように、私の愛するものを発見しなければならないので、私は堕ちつづけ、そして、私は書きつづけるであろう。神よ、わが青春を愛する心の死に至るまで衰えざらんことを。
                            ――「デカダン文学論」結び

¶生きることにあらゆる矛盾があり、不可決、不可解、てんで先が知れないからの悪戦苦闘の武器だかオモチャだか、ともかくそこでフリ廻さずにいられなくなった棒キレみたいなものの一つが文学だ。
                                 ――「教祖の文学」

¶志賀直哉は、本質的に戯作者を自覚することのできない作者で、戯作者の自覚と並立しうる強力な思想性をもたないのだ。こういう俗悪、無思想な、芸のない退屈千万な読物が純文学のほんとうの物だと思われ、文学の神様などと言われ、なるほどこれだったら、一応文章の修練だけで、マネができる。ほんとの生活をありのまま書けば文学だという、たかが小手先の複写だから、実に日本文学はただ大人の作文となり、なさけない退化、堕落をしてしまった。
 ただ生活を書くという、この素朴、無思想の真実、文学上の骨董的なホンモノ性、これは作文の世界であって、文学とは根本的に違う。つまり日本文学には文学ならざる読物の流行と同時に、さらにそれよりもはなはだしく、読物ですらもない作文が文学のごとくに流行横行しているのである。戯作性の欠如が同時に思想性の欠如であった。のみならず、その欠点をさとらずに、逆に戯作性を否定し、作者の深刻めかした苦悶の露出が誠実なるもの、モラルだという。かくして、みじめ千万な深刻づらをひけらかしたり、さりげなくとりすました私小説のハンランとなって、作家精神は無慙に去勢されてしまったのだ。
                                 ――「大阪の反逆」

¶西行や実朝の歌や徒然草が何物なのか。三流品だ。私はちっともおもしろくない。
                                 ――「教祖の文学」

¶思想や意見によって動かされるということのない見えすぎる目。そんな目は節穴みたいなもので物の死相しか見ていやしない。つまり小林の必然という化け物だけしか見えやしない。平家物語の作者が見たという月、ボンクラの目に見えやしないと小林がいうそんな月がいったいそんなステキな月か。平家物語なんてものが第一級の文章だなんて、バカも休み休み言いたまえ。あんなものに心の動かぬ我々が罰が当たっているのだとは阿保らしい。
                                 ――「教祖の文学」

¶我々の秩序はエゴイズムを基本につくられているものであり、我々はエゴイストだ。
                               ――「エゴイズム小論」

¶何事によらず、真実エゴイストでないということは、究極における勝利であるにしても、この現世には容れられない。彼らの自己犠牲は現世の快楽を否定しているものではあるが、その意味においてはみずから充たされており、現世の苦痛は必ずしも、彼らの苦痛ではない。しかし彼らは世の秩序から迫害される。キリストがそうであった。釈迦もそうだ。彼らの道は荊棘と痛苦にみたされているが、究極において彼らは「勝つ性格」にある。ゴッホもゴーガンも芭蕉もそうだ。芸術のために彼らの現世に課せられたものは献身と犠牲であった。
 すべて偉大なる天才たち、勝利者たちはエゴイストではなかった、ということができる。
                               ――「エゴイズム小論」

¶私は昔から家庭というものに疑いをいだいていた。
                             ――「欲望について」頭文

¶私は勤倹精神だの困苦欠乏に耐える精神などというものが嫌いである。働くのは遊ぶためだと考えており、より美しいもの便利なもの楽しいものを求めるのは人間の自然であり、それを拒み阻むべき理由はないと信じている。もっとも私は、遊ぶことも、近ごろはひどく退屈だ。私の心をほんとう慰めてくれる遊びなど、私はこの現実に知らず、また、見いだしていない。
                                ――「欲望について」

¶我々はまず遊ぶということが不健全なことでもなく、不まじめなことでもないということを身をもって考えてみる必要がある。私自身について言えば、私は遊びが人生の目的だとは断言することができない。しかし、他の何物かが人生の目的であるということを断言するなんらの確信をもっていない。もとより遊ぶということは退屈のシノニイムであり、遊びによって人は真実幸福であり得るよしもないのである。しかしながら「遊びたい」ということが人の欲求であることは事実で、そして、その欲求の実現が必ずしも人の真実の幸福をもたらさないというだけのことだ。人の欲求するところ、常に必ずしも人を充たすものではなく、多くは裏切るものであり、マノンも侯爵夫人も決して幸福なる人間ではなかった。無為の平穏幸福に比べれば、欲求をみたすことには幸福よりもむしろ多くの苦悩の方をもたらすだろう。その意味においては人は苦悩をもとめる動物であるかもしれない。
                             ――「欲望について」結び

¶島崎藤村は誠実な作家だというけれども、実際は大いに不誠実な作家で、それは藤村自身と彼の文章(小説)との距離というものを見ればわかる。藤村と小説とは距(へだた)りがあって、彼のわかりにくい文章というものはこの距離をごまかすための小手先の悪戦苦闘で魂の悪戦苦闘というものではない。
 これと全く同じ意味の空虚な悪戦苦闘をしている人に横光利一があり、彼の文学的懊悩だの知性だのというものは、距離をごまかす苦悩であり、もしくは距離の空虚が描きだす幻影的自我の苦悩であって、彼には小説と重なり合った自我がなく、したがって真実の自我の血肉のこもった苦悩がない。
                               ――「デカダン文学論」

¶政治、そして社会制度は目のあらい網であり、人間は永遠に網にかからぬ魚である。
                                   ――「続堕落論」

¶堕落は制度の母胎であり、そのせつない人間の実相を我々はまず最も厳しく見つめることが必要なだけだ。
                                ――「続堕落論」結文

¶終戦後、我々はあらゆる自由を許されたが、人はあらゆる自由を許されたとき、みずからの不可解な限定とその不自由さに気づくであろう。人間は永遠に自由ではあり得ない。なぜなら人間は生きており、また死なねばならず、そして人間は考えるからだ。政治上の改革は一日にして行なわれるが、人間の変化はそうは行かない。遠くギリシャに発見され確立の一歩を踏みだした人性が、今日、どれほどの変化を示しているであろうか。
                                    ――「堕落論」

¶美は悲しいものだ。孤独なものだ。不幸なものだ。人間がそういうものなのだから。
                                 ――「教祖の文学」

¶小説なんて、たかが商品であるし、オモチャでもあるし、そして、また、夢を書くことなんだ。第二の人生というようなものだ。あるものを書くのじゃなくて、ないもの、今ある限界を踏みこし、小説はいつも背のびをし、駈けだし、そして跳びあがる。だから墜落するし、尻もちもつくのだ。
                                 ――「教祖の文学」

¶死んでしまえば人生は終わりなのだ。自分が死んでも自分の子供は生きているし、いつの時代にも常に人間は生きている。しかしそんな人間と、自分という人間は別なものだ。自分という人間は、全くたった一人しかいない。そして死んでしまえばなくなってしまう。はっきり、それだけの人間なんだ。
                                 ――「教祖の文学」

¶人間一般は永遠に存し、そこに永遠という観念はありうるけれども、自分という人間には永遠なんて観念はミジンといえどもあり得ない。だから自分という人間は孤独きわまる悲しい生物であり、はかない生物であり、死んでしまえば、なくなる。自分という人間にとっては、生きること、人生が全部で、彼の作品、芸術のごときは、ただ手沢品中の最も彼の愛した遺品というほかの何物でもない。
                                 ――「教祖の文学」

¶問題は、伝統や貫禄ではなく、実質だ。
                                ――「日本文化私観」

¶そうして、真に生活する限り、猿真似を羞(はじ)ることはないのである。それが真実の生活であるかぎり、猿真似にも、独創と同一の優越があるのである。
                                ――「日本文化私観」

¶今が自分の青春だというようなことを僕はまったく自覚した覚えがなくて過ごしてしまった。
                                 ――「青春論」頭文

¶漱石が軽薄な知性のイミテーションにすぎないことを、私自身の作品全体によって証し得ることができなければ、私は駄目な人間なのだ。
                                ――「戯作者文学論」

C志賀直哉は本当に“神様”か(プロレス論文。『週刊プロレス』懸賞論文に投稿)

「志賀直哉は、本質的に戯作者を自覚することのできない作者で、戯作者の自覚と並立しうる強力な思想性をもたないのだ。こういう俗悪、無思想な、芸のない退屈千万な読物が純文学のほんとうの物だと思われ、文学の神様などと言われ、なるほどこれだったら、一応文章の修練だけで、マネができる。ほんとの生活をありのまま書けば文学だという、たかが小手先の複写だから、実に日本文学はただ大人の作文となり、なさけない退化、堕落をしてしまった。

 ただ生活を書くという、この素朴、無思想の真実、文学上の骨董的なホンモノ性、これは作文の世界であって、文学とは根本的に違う。つまり日本文学には文学ならざる読物の流行と同時に、さらにそれよりもはなはだしく、読物ですらもない作文が文学のごとくに流行横行しているのである。戯作性の欠如が同時に思想性の欠如であった。のみならず、その欠点をさとらずに、逆に戯作性を否定し、作者の深刻めかした苦悶の露出が誠実なるもの、モラルだという。かくして、みじめ千万な深刻づらをひけらかしたり、さりげなくとりすました私小説のハンランとなって、作家精神は無慙に去勢されてしまったのだ。」

 坂口安吾『堕落論』の一節である。
 志賀直哉の簡潔で厳しい文体は近代文章の範である、というのが“常識”となってしまっている今日、これほどまで彼を批判できる者が果たしているだろうか。

 安吾の言うには、つまり文学とは思想性と戯作性のバランスがうまくとれてこそ初めて成り立つものであり、志賀直哉の文章には、その不可欠の“戯作性”が欠けている、というのである。

 おそらく安吾の言っていることは文学における真理であろう。
 本来文学とは思想性のみによって成り立つと思われがちであるが、それだけでは文学と呼ぶには及ばず、読者を引き付ける戯作性が一緒になって、それは初めて文学と呼べるべきものとなるのである。

“戯作性”という言葉が解りにくいかもしれないが、要するに小説の面白さ、娯楽性といった、読者に興味を起こさせる類のものである。
 それは文学にとって必要不可欠である、というのが安吾の主張する真理である。

 しかし真理と言えども万人には通用するものではないらしい。
 ここに全く戯作性を排除し、ありのままの思想性、リアリティーこそが真の文学であると反駁する作家が現れた。
 志賀直哉である。
 真理に逆行するはずの彼の持論は、にもかかわらずどんどんと、人々に受け入れられていった。そして彼の作品こそが真の文学だと評されるまでに至った。

 ここに最大の問題がある。
 たとえ真理が存在するとしても、それが人々に受け入れられなかったとしたら、真理は真理でなくなるのであろうか。
 真の価値とは、真理によって決まるのか、それとも人それぞれの価値規準によって決まるのか。

 さすれば真理とは何であろうか。
 人が受け入れたものが真理なのか、それとも受け入れる前に真理は存在するのか。

 志賀直哉の例で言えば、安吾の真理は完全に凌駕された。
“文学の神様”という称号がそれを象徴している。
 真理はどちらの手の元にあるのか。

 読者はなぜ志賀直哉を受け入れたのか。
 なぜ戯作性を捨てたのか。
 読者のためにある戯作性を捨て、読者の存在など全く無視した志賀直哉の文学をなぜ認めたのか。

“戯作性”は、読者にとって余計なものなのか。
 いや、そうではない。
 そうあってはならない。
 必要でなければならないのだ。
 たとえ志賀直哉が認められても、それが真理だ。
 真理は動いてはならぬ。

 あらゆる虚飾を剥取り、媚を捨て、そこに現実だけを残した志賀直哉は、それによって禁を犯した。
 真理を捨ててしまった。
 彼は正しかったか。
 正しかったから認められたのか。
 ならば安吾は間違っていたのか。
 いや安吾こそ正しいのである。

 それは絶対的にそうだ。
 戯作性を捨てた瞬間、志賀直哉は文学をも捨てた。
 彼が受け入れられたのは、ここに断言しよう、文学という世界で、文学という基盤の上で、作文を世に出したからである。
 それが目新しかったからである。
 誰でも珍しいものには注目する。

 そして文学というものの複雑な掴み所のなさを利用し、作文を本物に見せる錯覚を巧みに引き起こした。
 彼の作品は、文学として珍しかったに過ぎないのである。

 プロレスでないUWFの隆盛の主因は、彼らがプロレスという土壌の上にいるからに他ならないのである。

 真理を捨てた者に栄光はない。
                               (1988・晩秋、17歳)

タグ:坂口安吾
posted by nobody at 04:48| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月28日

無疵な魂がどこにあろう―― 〜中上健次『十八歳、海へ』〜

*この項は以下の2稿から成る。
@読書感想文
A箴言集
Bむ:無疵な魂がどこにあろう――(「俺という人間を知るのに少しは役立つかもしれない諸雑感・あ〜ん+25」より)

@読書感想文

“海”という言葉に触れると、いつも深い感傷に包まれてしまう。
“海”は雄大な自然の象徴であり、人の心に安らぎを与える。
 だから人はその優しさに“母”を喚起し、“海”という呼び名にそれを込めたのだろう。

 この短編集は、作者が表題に表しているように、青春時代に執筆したものだ。
 その伸びやかな表現に、瑞瑞しく生き生きした若さが溢れんばかりに感じられた。

 七編全部が本当に味のある素晴らしい作品揃いだったが、特に印象的だったのが「海へ」だ。
 印象的と書いたが、それは一般に小説と呼ばれるものを読み終えた後の感じとは若干異なる。
 その文章は、小説というよりは詩、あるいは抽象芸術の絵画に近いイメージを呼び起こさせたのだ。
 それは言葉による視覚表現の羅列とも思えた。

 しかし、小説の背景となる粗筋が全くなかったわけではない。
 一応、一人の男が海に向かって歩いて行く、という(ただそれだけの)粗筋はある。
 だがそれは当然小説の基盤となるはずなのだが、まるで刺身のつまのような存在に感じられた。

 粗筋といっても、それは正確にそういえるのかは分からない。
 その粗筋らしいものを構成する分子が、曖昧に描写されていて、どうもはっきりしないのだ。
「一人の男」と前述したが、ひょっとしたら、二人連れなのかもしれない。
 だがもう一人については
「おまえ」とだけしか定義されておらず、
「おまえ」は男なのか女なのか、どんな人間なのか、どういう境遇で男とはどんな関係なのか、などの説明は一切為されていないのだ。
 ただ作品全体に漂う雰囲気、男が
「おまえ」と呼んでいる、
「潮風がおまえの髪をひらひらゆする」
というところから、女らしいと推測される。
 またさらに不思議なことに、
「おまえ」は途中からフッと出てきて、気が付かないうちに、いつの間にか消えている。

 とにかく奇矯な点が多い。
 いきなり詩のような形になったり、ひらがなばかりの文に変わったり、ギリシャ神話が挿入されたりしている箇所がいくつもあった。
 しかし、そのために作品に支障をきたしているということはない。
 むしろ逆に、話の流れを滑らかにする潤滑油のような役割を果たしている。
 そしてこの作品を幻想的な、妙味のある感動をもたらすものとするのだ。

 最後は、男は海の中に入って行き、同化する。
 男にとって“海”は、
「原点」であり、
「狂気」であり、
「血潮」であり、
「僕だけの海」だった。
 一体、男は“海”に何を求めたのだろうか。

 それは決して1つに限定できない、人間の日常的感覚を超越した、膨大でかつ些細なものだったのかもしれない。
 人間の欲求という範囲では収まりきれない、あるいは比べ物にならないほど微小なものかもしれない。
 自分自身を求めたのではないかとも思う。

 この男が一人の人間として固定されていないのは、実は全ての人がこの男であり、この男はその人たちを移入させる単なる媒体の役割しか持たなかったのではないかと思う。

「JAZZ」と「不満足」も、この「海へ」と同様の作品といえる。
「JAZZ」はもう、「JAZZ」そのものであり、そうとしか言い表せない。
「不満足」などは、主人公が“僕”と“俺”で、同一人物だと断定もしかねる。
 こんな登場人物は私にとってまさに初体験だった。

 あとの作品は、やっと一般の小説となる。
 主人公は、今でいう“不良”と付き合いながらも、本人は根っからの“不良”ではない。
 自由奔放な生き様を見る。
 ケンカもするし、恋にも落ちる。
 そして友の死に直面し、悲しみにも沈み込む。
 全て若さゆえの特権といえるだろう。

 東京を
「死人だらけの街、偽の平穏に人をおとしいれるキタナイ街」
なんて厳しい現代批判もやっている。

 ここで断っておくが、この作品での“不良”たちは、社会に反抗しひねくれている、ただの不良とはレベルがちょっと違う。
 もっと大きなもののために生きている。

 英語で
「人は食べるために生きるのではなく、生きるために食べるのだ」
という例文を習った。
 彼らは、文句なく後者に当てはまるといえる。

 しかし、今
「一流大学に入って一流企業に入社して…」
ということを念頭に受験戦争に身をやつしている若者たちは、何のためにそれを目指しているのか。
 将来の生活を安定したものにするため、砕いていえば
「食べるため」ではないのか。

 かくいう自分もその1人だということは否めないが、この作品中の人物に、どう生きるのが自分のためかということを教えられた。
 ある種の羨望を抱いたのもまた事実だ。
 といって彼らの真似をそのままやっても、こちらが立てばあちらが立たずで、本当の生き方とはいえないだろう。
 そこが人生の難しいところだ。

 しかしただ1つ確実にいえることがある。
 それは、彼らの方が自分に素直に生きているということだ。
                                             (1988・1、16歳)

A箴言集

¶人間ではなくなったと嘆く若者は、時間をなげ捨てた口唇の先で、虚しさをすった。
                                                ――「JAZZ」


¶「おれは綱渡りの名人だよ。ふらふらしながら落ちないように平衡とって毎日毎日くらしとる。つまりフーテンというやつですよ。たしかになんでもできるけど、生きてるのか死んでるのかわからないで、日がな一日くらしとる」ぼくは自嘲的に東京弁と郷里弁をチャンポンにし、まるでジャズ・ビレッジにものめずらしげにやってくる学生にむかって話すように充に言葉を返した。

                                             ――「眠りの日々」

¶十分くらい、時間がよだれのように流れる間、日に体をさらされて、ぼくはけだるくなり、何度もあくびをくりかえしながらとりとめもなく言葉を考えていた。
                                             ――「眠りの日々」

¶朝のつめたさが舗道にうすくはった雨に封印されたままで、六月の早熟な夏はない。雨はもう完全にあのアメーバ状にひろがった街をしろい粉雪のようなつぶつぶでつつみこむ。それは、かなしみにひしがれた少年のこころだ。
                                     ――「不満足」(冒頭の一段落)

¶僕は砂つぶの上にひざまずく。ひざがしらが砂のあらあらしい触感をつたえてくる。僕はもうなにも感じない。僕自身の感覚、それは幾重にもくるまれたオブラートの衣の下で祭典(カーニバル)の夜のような仮装をしているにすぎない。
                                                 ――「海へ」

¶秩序など無意味だ、破壊へ、混乱へ。
                                          ――「MESSAGE '77」

¶無疵な魂がどこにあろう
                                          ――「MESSAGE '77」

¶時代とは、追うものではなく、見つめるものでもなく、我が身のなかに動き続けるものとして見つけなければならないものなのだろう。
                                           ――「解説」津島佑子

¶海よ
 狂気の海よ
 はてしなくひろがる希望の海よ
 僕を閉じこめる嘆きの海よ
 僕とはいったいなんだ?
 僕の僕とはいったいなんだ?
                                                 ――「海へ」

¶僕は海にひざまずいている
 荒々しい海にむかっていのりをささげる
 海、おまえの中に母がいると歌った詩人がいる。だが、おまえは母の海ではない、僕の血潮の海なのだ。兄と姉たちと僕の祖先たちの言葉をすべてのみつくした海なのだ
 おまえは原点だ
 おまえの激しく飛びちるしぶきは僕の精液だ
 おまえは僕の狂気だ
                                                 ――「海へ」

¶超人物だと宣言し、自分自身を殺りくして、ドローランの幻覚にもどるのだと笑った若者はもういない。哲学を喰いつくした金魚のように、ひっそりと消滅してしまった。
                                                ――「JAZZ」

¶   E・ 女装した美しい少年
 それは浮気っぽい語感をともなって、現在を殺した若者に与えられる称号であるはずだ。
                                            ――「JAZZ」(結文)

¶密封されたままほうりおかれたパンドラの箱、そのなかにただひとつのこったみだらで猥褻な《希望》のように雄叫びをあげる神々の高貴な姿は、この街にはみあたらない。
                                               ――「不満足」

¶あくびの涙が、なんとはなしに悲しくなって泣いたように思える。ぬるぬると液体が眼の奥からにじみ出てきて視界をくもらせ、部屋中をゆがませた。
                                               ――「十八歳」

¶なにやったって、駄目さ。運動帽をま深くかぶりすでに整列を終えているクラスの連中の方に走り出すと、むしょうにやりきれない悲しみが俺の体を襲った。
                                           ――「十八歳」(結文)

¶僕は自分が持つ悲しみを理解できなかった。女の子のように、それも思春期のロマンチックな感傷にぬりたくられた女の子のように、僕は涙を流している。死んだって、どうという事のないと思っている二人だったことは、僕にも分かった。だが、本当に死んだという事は、分からない。
                                           ――「隆男と美津子」

¶たとえどんなことがあっても僕は僕の日常の破壊を認めない、誰も僕の生活を変革させることはできないはずだ、僕はそう思いながら足にこめた力を抜いた。
                                             ――「愛のような」

¶夕暮れは極彩色にぬったガラクタの箱だ。
                                                 ――「海へ」

¶僕の胃袋の中で、幾つものシンバル、幾つものトランペットの音が響いた。
                                                 ――「海へ」

¶潮鳴りの音がかすかに聴える。海はもう僕とおまえのものなのだ。
                                                 ――「海へ」

¶海が、僕とおまえを含み込もうとでもするように、タールの触手をのばしてはひっこめる。潮風がおまえの髪をひらひらゆする。まだまだ恋のように不満な潮風だ。
                                                 ――「海へ」

¶世界はあの朝からもろもろの光輝さを失ったのだ、だがどうだ、俗物どものいやみったらしいあの歌は。なにも知らない、何も感じない、何ものをも受けつけようとしないあの男どもの汚れ果てた、唾を吐きかけなければならないあの魂は。
                                                 ――「海へ」

¶おまえとあの女はオートバイに乗って二十万ばかりの金をもって、古い筋書きのものがたりそのままにこの街から脱出する?そしてどこへ行く?東京か?あの死人だらけの街、あの偽の平穏に人をおとしいれるキタナイ街か。
                                                                             ――「眠りの日々」

¶吐き気のような朝、祭りの日にふさわしく、高く晴れあがって寒く、こめかみに力を入れすぎてあごの骨が折れてしまうのではないかと思うほどの空の下、三人の若者はすばらしく早く走っている。 
                                             ――「眠りの日々」

Bむ:無疵な魂がどこにあろう――(「俺という人間を知るのに少しは役立つかもしれない諸雑感・あ〜ん+25」より)

 今の今まで「無疵」を「ムヒ」と読んでいたが、「疵」は「ヒ」とは読まない。
 読むならば「ムシ」となるが、この熟語は国語辞典にも漢和辞典にも載っていない。
「無傷」のことを昔は「無疵」と書いたらしいが、となれば「ムキズ」と読むべきなのだろうか。

 まあどっちにしても、
「傷付いていない魂などない」
ということである。

 中上健次著『十八歳、海へ』の中の「MESSAGE '77」所収。

 ところで、「魂」って、何だろう。
 辞書には、
「@生きている動物の、生命の原動力と考えられるもの。死後は、肉体を離れるといわれる。
 A仕事をささえるものとしての、人間の精神。気力。」
とある。
 
 一番の問題は、「心」とどう違うのか、という点である。
「心」も辞書を引くと、
「@特に人間に顕著な精神作用を総合的にとらえた称。具体的には、対象に触発され、知覚・感情・理性・意志活動・喜怒哀楽・愛憎・嫉妬となって現われ、その働きの有無が、人間と動物一般、敬愛・畏怖の対象となる人と軽蔑すべき人間を区別するものと考えられ、また古くは心臓がこれをつかさどるものとされた。
 A経験を積んで初めて会得する、その芸能の持つ深い意味。」
などとよくわからないようなことが書かれている。

 ま、簡単に言ってしまえば、魂=生命のもと、心=精神のもと、というところか。
 日頃よく
「魂の叫び」とか
「魂に響く」などという言葉を耳にするから、疑問に思っていたのである。

 確かに、無傷な魂などないだろう。
 人それぞれ、様々な挫折を越えつつ、生きているのだ。
 
 だからといってただ悲嘆にくれているのではない。
 希望を目指し、一歩一歩、己の道を歩んでいくのである。

 そこに、人生の深奥なるものは、確かにある。
                                            (1991・11、20歳)

タグ:中上健次
posted by nobody at 11:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月23日

永遠を獲得するための愛 〜ヘッセ『青春彷徨』〜

 詩趣である。

 あまりにも雄大な、壮大な、いやこういう類の形容をいくら並べても言い表しようのないような世界が、そこにはあった。
「詩中画有り」と言われたのは唐の王維だが、それに勝るとも劣らない自然描写に、まず圧倒されざるを得なかった。

「雲はあらゆる流浪と、あらゆる探求と希求と郷愁との永遠の象徴だ。そして、雲が天地のあいだに、ためらいがちに、あこがれながら、強情にかかっているように、人間の魂も、現在と永遠とのあいだに、ためらいがちに、あこがれながら、強情にかかっているのだ。」

 こういう感受性をもつ主人公・ペーターを詩人と言わずして、誰を言おう。
 しかも彼は、芸術鑑賞家のようにただその美しさに満足するだけには止どまらなかったのである。

 彼は10歳の時、初めてゼンアルプ岳に登る。

「そして、すっかり瞬間にうち負かされ、私は不安と歓呼とをもって、突然おそろしく広大な世界が私に迫ってくるのを見た。それでは世界はこんなにとてつもなく大きかったのか!」

 この初登頂は彼に最初の転機をもたらした。
 というより、彼の全てに渡る原点となった。
 ここにおいて、彼は己の、そして人間の自然に対する微弱さに茫然自失とした。

 地球は宇宙から見ると点にもカスにもならないほど微小だ。
 そして100億から200億歳と言われる宇宙の“年齢”から見ると、我々の一生などまさに一瞬でしかない。
 とにかく恐るべき空間と時間の中に我々は存在しているのである。
 そのことに対して私を含めた凡人はただ切なさと無力感だけしか覚えないのだが、ペーターはそこに一つの問題提起をおこす。

「私はまた、詩人の歌やわれわれの夜の夢と同じように、流れや海や行く雲やあらしも、あこがれのシンボルであり代表であることを、そしてこのあこがれは、天地のあいだに翼をひろげて、目ざすところは、生きとし生けるものの公民権の確保と万物不死のゆるがぬ確信であることを、想起させたいと思った。」(太字は原文傍点)

 人間の刹那性と自然の永遠性。
 人間はそのあまりにも巨大すぎる自然に対して永久に没交渉で、刹那と永遠の間を漂うばかりの“雲”でしかないのか。
 所詮人生と自然は点と線でしかないのか。
 
 そうではない。
 線も元をただせば1つ1つの点から成っているように、人生もどうにかすれば永遠に迫れるはずだ。
 そう、人もまた永遠性に帰属するものに違いない。

 それにはどうすればよいのか。
 まず自然を知らなければならない。
 自然の本質を見出さねばならない。
 神の言葉を自然から聞き取らねばならない。

 そのためには――森羅万象を愛さなければならない。
 まさにイエスの説くアガペー(万物への愛)そのものである。

「しかし私は何よりも愛の美しい秘密を君たちのこころに植えつけたいと思った。生きとし生けるものにたいして真の兄弟となり、愛にみちあふれて、もはや悩みをも死をもおそれず、それが君たちを訪れても、厳粛な兄弟として厳粛に兄弟らしく迎えられるように君たちを教えたいと望んだ。」

 全てを愛する。
 その中には死さえ含まれる。

 死を厳粛な兄弟として受け入れる――これにはどこか荘子の道家思想に通ずるものがある。
 道家思想の中に、“至楽”というものがある。
 それは、一切の既成概念を越え、死生を一体とし、天地の無為に則するところに存すると説かれている。
 この“至楽”こそは、天地のあいだに翼を広げているあこがれ以外の何物でもない。

 あなたは火を愛することができるだろうか。
 ペーターの尊敬する聖フランチェスコは、熱した鉄で額を焼かれる拷問をさえ、
「愛する兄弟なる火」
として迎えたのである。
 こういう境地に至ることのできる者はもはや聖人である。

 全てのものを――たとえそれが自分にとって苦しく辛いものであっても――愛することは、人生における最大にして根源的な目的だったのである。
 ここにおいてトルストイの
「ひとびとは愛によって生きている」
という言葉もいよいよ敷衍されてくるのである。

 山崎正和は、
「さまざまな精神的な愛の中で男女の愛だけは特異な愛である」
と言っているが、私は全てにおける愛は全く同一のものであると定義したい。

 愛とは一方的なものではなく、両方から発せられて初めて成立するものだ。
 だから表面上、それが形として表れている男女の愛は特異に見えるかもしれないが、自然などの相手が実質的には愛を発していても、人間の方がそれを感受する術をもたないだけに過ぎない。
 
 愛するといっても、全てを一様に愛すことは不可能だ。
 程度に差はある。
 また、なくてはならない。
 その程度の最も高い対象が、その人にとっての恋人であり親友であるだけのことなのである。
                                             (1990・1、18歳)

タグ:ヘッセ
posted by nobody at 23:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月19日

「薬害エイズ」の構図 〜広河隆一・三枝義浩『AIDS 少年はなぜ死んだか』立花隆『同時代を撃つU』所収「血友病エイズ感染死は厚生省と業界の癒着が原因」〜

「薬害エイズ」とは、ミドリ十字という一私企業の儲けを確保するために400人以上の人の命が犠牲にされ、さらにこれからも犠牲にされていくという事件である。

 アメリカは'83年3月に血友病患者用の血液製剤を安全な加熱製剤に切り換え、ヨーロッパ諸国もただちにそれに倣っている。
 日本だけがエイズウイルス(HIV)に汚染された非加熱製剤を'85年夏まで使い続けた。
 この2年4カ月間が「薬害エイズ」発生の温床となった。

 その被害がどれだけ膨大だったか。
 日本には5000人の血友病患者がいるが、そのうち2000人がエイズに感染させられてしまった。
 そして全エイズ患者の90%を血友病患者が占めるという異常事態になったのである。

 この間厚生省は何をしていたのか。
 加熱製剤への転換も行わず、
かといってその緊急輸入も行わず、
かといって国内産の血液原料への切り換えも行わず、
かといって輸入血液のエイズ抗体検査も行わなかった。
 つまり徹底的に血友病患者を救うための方策をとらなかった。

 で、何をしていたかというと、ミドリ十字を救うための方策調整に専念していた。

 実は当時すでに、外資系3社と日本の1社は加熱製剤の開発を終えていたのである。
 ところが製剤シェアの半分を占める“業界のドン”ミドリ十字のみが大きく出遅れていた。
 速やかに加熱製剤が認可されては、同社としては莫大な儲けを逃すことになる。
 なんとしても引き延ばしたい。
 
 そこで2つのルートから厚生省の認可の動きを止めにかかった。
 社長松下廉蔵、副社長小玉知己、取締役今村泰一、薬事部長富安一夫ら天下り5人組が元上司として上からの圧力をかけ、下からは安部英に金を渡して動かした。

 安部は安部で財団設立のための金が要り用だった。
 設立するために5300万円かき集め、設立した財団で6060万円かき集めた。
 この使途は今後の焦点となろう。

 認可引き延ばしによって不利益を被ることになる他社だったが、安部に対しては逆らえない大恩があった。
 自己注射療法認可に大きく働いていただいたという大恩である(この結果、製剤市場は急膨張した)。

 こうした経緯を経て、全体足並を揃えたところで全社一斉に認可が下りるという“不思議な偶然”が起きたのである。
 これは臨床試験の総責任者の証言に基づいている。

 一体何のための認可なのか。
 認可とは国民生活を保障するためにあるのであって、企業の利益を図り調整するためにあるのではない。
 
 企業とは国民生活を補完するためにあるのであって、人間を金のダシにして儲けるためにあるのではない。

 専門家の言うことを信じず、安全なクリオ製剤への転換を懇願した血友病患者もいた。
 しかし拒まれ、エイズに感染させられ、死んでいった。
 ここに未必の故意による殺人罪成立の契機がある。

 日本の血友病患者は、アメリカで使えなくなった非加熱製剤を消費させられなければならなかった。
 人の命よりも非加熱製剤の経済的処理が優先された。

 ミドリ十字という企業は731部隊の元隊員によって興され、これまでも幾度となく
「薬害」を引き起こしてきた。
 その思想の根本には人の命をモノと同等に扱い恬然としている営利至上主義がある。

「薬害エイズ」は、人の命よりも何よりも経済的価値を至上とする社会システムの逼迫の一端として私達の前に現れている。
 

                                           (1996・6・4、25歳)


posted by nobody at 02:33| Comment(0) | TrackBack(1) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月10日

だから原発はやめてほしい 〜高榎堯『地球の未来はショッキング!』〜

*この項は以下の5項からなる。
@ミニ感想
A読書録(新聞に掲載)
B反響文(3つ)
C月間賞選考文関連部分
D箴言集

@ミニ感想

 題名ほどにはショッキングな内容ではなく、この手の本にはよくあることが書かれていた程度だったが、それにしてもこの本では、数値がふんだんに掲載されていたので、これまで大まかにしか捉えていなかった「危機」というものが、かなり具体的に、形を帯びてきた。

 文体も「です・ます」調の丁寧な語り口で読みやすく、文章そのものの内容が掴めないことはあまりなかった。
 作者自身は核兵器について特に詳しいらしかったが、俺にはむしろそれよりも飢餓についての方が詳しいのではないかと思えた。

 
1つ残念だったのは、文章の引用(=箴言集)で、途中で眠たくなってしまい、まだ書きたかったことが途絶してしまったことだ。
 特に最後の辺りで抜き出した文章など皆無である。

 中でも役に立ったのは、原発についての部分である。
 後に、原子力についての懸賞論文を書く予定なので、その時大いに役立つのではないかと期待している。

 ためになるという点では優れた本である。
                                           (1988・7・19、17歳)

 
A読書録(新聞に掲載)
  
 世界に、不幸な国が2つある。
 日本とフランスである。
 どういう点で不幸なのかというと、原発について不幸なのである。
 現在、スリーマイル、チェルノブイリという2つの大きな教訓があったにもかかわらず、原発を国をあげて推進している国は、この日本とフランスだけと言ってよい。

 政府は
「原発は安全だ」と性懲りもなく主張し続けているが、1945年以来、その“安全”な原発は、放射能をばらまく事故を世界中で少なくとも38件起こしている。
 この現実をどう受け止めているのか。

 事故では、生物全体に大きな影響を引き起こすヨウ素がばらまかれる。
 事故から8年以上たった今でもスリーマイルアイランド周辺では、10億ドルをかけて必死に放射能の除去作業が続けられている。
 チェルノブイリ周辺30キロの地域では、13万5千人の住民が避難を余儀なくされ、今後何十年にもわたって無人地域になるという。
 現在、このチェルノブイリクラスの大型炉は世界で365基も運転されていて、その1割弱は日本にある。

 国連環境特別委員会は、原発を
「過渡期のエネルギー源」と位置づけた。
 これからエネルギー源の主役としていくには、今一つ欠陥があるということなのだろう。
 ここでも、原発の安全性は完全ではないと見なされたわけだ。

 国内電力の40%を原発に頼っているスイスでも、電力消費の多いイタリアでも、その他、エジプト、デンマーク、スウェーデン、オーストリア、ギリシャ、オーストラリア、ルクセンブルク、果てはアメリカ、ソ連の大電力消費国などでも、原発はこれから削減していく政策をとっている。

 特にスウェーデンでは1980年3月に、国民投票によって原発を2010年までに全廃することを決めた。
 決して、原発以外での電力供給の見通しが明るいというわけではない。
 それなのに、これらの国々が原発を失ってまで守りたいものは何だろうか。
 未来の人類と、今の自分たちの“安全”ではないだろうか。

 原発をつくることは、未来の人類に対して、これほど失礼なことはない。
 フロンの全廃を決定しても原発は廃絶しないでは、片手落ちで意味がない。
 そして、国民投票というやり方で国民の意思を重んじたという点、今の日本から見てうらやましい限りである。
 原発反対の世論を無視して、勝手に原発推進広報費を予算に組み込んだりするどこかの国の政府とは大違いだ。
 本来、政治とはこういうものではないか。

 原発は、事故の危険性はもちろんのこと、その存在自体が既に罪つくりであると言ってよい。
 その元凶は
「放射性廃棄物」にある。
 原発は電気をつくり続ける限り、廃棄物も出し続ける。
 核燃料廃棄物処理施設の近くに住む子供の白血病による死亡率は一般の約10倍という、英国からの報告もある。

 廃棄物の中には、放射能半減まで2万年以上かかるプルトニウム239、骨にたまりやすいストロンチウム90、筋肉組織に入りやすいセシウム137などの有害な物質が存在する。
 廃棄物は放射能の強さで低レベルと高レベルに分けられ、低レベルはドラム缶に詰めて保管されるが、南太平洋の住民の投棄反対によって積み上げられたままになっているドラム缶は、日本全国で68万本にも上っている。
 
 高レベルの廃棄物はガラスで固め、50年間冷却した後、安全な場所に何千年も保管しなければならない。
 長い時間のうちにいつこのガラス固化体が溶けて、地下水に混ざるか分からないのである。

 最近、沖縄近海に水爆が沈んでいるとのニュースがあったが、言ってみれば、それと同じ危険を、原発の放射性廃棄物を処理する時はいつも味わわねばならないということになる。
 それに加えて、ここで考えなければならないのは、人間が、放射能を何千年もの間、果たして監視できるかということだ。
 考えてもみてほしい。
 人類が文明を手にして、まだ3千年しかたっていないのである。

 もはや、代替エネルギーがどうのこうのと言っている時ではない。
 何か事が起こってからでは、もう手遅れなのである。
 どんなに体を鍛えても、一生に1度も病気やけがをしない人間はいない。
 むしろ壮健さを誇るスポーツ選手ほど故障は多い。
 安全を誇る原発も、またしかりと言えよう。
                                           (1989・6・13、18歳)

B反響文(3つ)

A 日本の生きる道は科学の進歩

 高校3年生が書いた13日の「だから原発はやめてほしい」は詳しい内容でした。
 本当に今日、われわれの身辺には危険なものが多いのに驚きます。
 人を殺すピストル、交通事故を起こす車、身心をむしばむ覚せい剤。
 どうにかしなければなりません。
 しかしピストルも車も覚せい剤(医療用)も今日、欠かせないものになっています。

 原発も、君が指摘するような危険性は考えられます。
 君はあれだけのことを先生に教わったのですか。
 しかし私に言わせれば、これから電力消費はもっともっと増大します。
 だから、可能と考えられる代案(代替エネルギー)を書いてもらいたかった。
 ただ危険だと言うだけでは、説得力がどうも―。
 現在、二酸化炭素による温室効果など、世界は矛盾をいっぱい抱えています。
 お説のように「核廃棄物を固めたガラスが溶けたら」という仮説の危惧もあるでしょう。
 しかし、資源のない日本人にとって、生きる道は科学の進歩です。
 電源を化石燃料に頼れない現状ですから、君たちのような学生諸君は、政治的な目先の論争に時間を費やさず視野を大きくもって、ノーベル賞に挑戦するような気持ちで、今は勉強をして下さい。

 たとえ核であっても、安全に使用できるようにする研究を、君たちの若い優秀な頭脳に期待しています。
                                              (元教師、69歳)

B 高校生の疑問に大人は答えよ

 本欄13日付の「だから原発はやめてほしい」を繰り返し読ませてもらいました。
 良く勉強し、信念をもって書いていること、そして、筆者が高校生であることに、私は本当に感動しました。
 というのは、最近の日本の学生たちは感覚だけを大切にして、物事を深く考えたり、発言したりすることがないのを寂しく思っていたからです。

 私たちの世代の者は多かれ少なかれ、学生時代には、世の中の不正や矛盾に腹の底から怒り、真理の探究に寝食を忘れました。
 次代の日本は自分の双肩にかかっている、という気概を持っていました。
 今、振り返っても、それがドンキホーテ的でこっけいだったとは全く思いません。
 十代から二十代前半にかけては、感受性がもっとも豊かで、体力・頭脳の面でも一生のうちのピークです。
 この時期にたっぷりと本を読み、美しい音楽を聞き、本物の絵を見、物事に懐疑し、追究することがとても大事だと思います。

 私は、現在の学校教育にはいろいろと疑問をもっていますが、その第一が、人生の一番大事な時期に、単なる知識(知識は知識であって、知恵ではありません)を詰め込む受験勉強だけをさせている点です。
 この件に関しては、現場の教師たちに、もっと目覚めてもらって、改革に立ち上がってほしいと考えています。
 今の学校教育制度がつくり出している“優秀な学生”たちが、一般社会で、どういう評価を受けているかを、教育関係者は知るべきでしょう。

 話が脱線しましたが、こういう中でも、nobody君のような高校生が健在だったことが、うれしくてなりません。
 これからもしっかりと勉強をして下さい。
 nobody君の疑問に対して、私が答えることができないのが残念です。
 学校の先生でも電力会社の人でも構いません。
 nobody君の疑問に対して大人は、ちゃんと答えなければならないと思います。
                                             (会社役員、71歳)

C 公平で科学的な原発の本を

 nobody君の「だから原発はやめてほしい」(13日付)を拝読、よく勉強しておられるのに感心しました。

 実は私も今ようやく、原発のことを勉強し始めました。
 先月31日付で富竹さんが勧めておられた「パエトーン」も早速、買って読みましたが、簡単すぎて物足りませんでした。

 そこで県立図書館に行ってみましたが、はっきり言って原発関係図書は、あまりそろっていません。
 書架にあったうちの1冊「繁栄の時代の不安」(実業之日本社刊)は、大学教授ら5人で執筆している本でやさしくて、それなりに勉強になりましたが、人々の原発への不安について、「はしごを上っていくと落ちる不安があるが、それと同じで…」というふうに、原発の恐怖とはしごに上った恐怖を同じ次元で語ってあったのにはびっくりしました。

 今は、やはり図書館から借りてきた「エネルギー'84」(通産省発行)を読んでいますが、公平かつ科学的な目で書かれた原発に関する本を、どなたかご存じだったら教えて下さい。
                                             (元公務員、70歳)
                                               (1989・6・20)

C月間賞選考文関連部分

 nobody君はまだ高校生だが、よく勉強している。
 地球規模で物事を見ているし、論旨もしっかりしていて頼もしい。
 佐賀は原発を抱えている県。
 賛否はともかく、nobody君のように、県民みんなが関心をもってほしい。

*掲載総数155点中、最終候補8点には残るも月間賞は逃す。
                                                (1989・7・6)
D箴言集

¶……これは、とてつもなく暗い本。しかし希望は、知ることからしか始まらない。
――「カバー・イントロダクション」結び
 
¶地表の土は岩石の風化によって自然につくられます。しかし柔らかくて養分に富んだ表土はそれ自体がたいへん貴重なもので、厚さ1インチ(約2.5センチ)の土がつくられるのに、100年もの年月がかかるといわれているほどなのです。
――「土がなくなる」
 
¶飢餓が最も深刻だったのはチャド、エチオピア、マリ、モーリタニア、モザンビークの5か国で、人口3300万のエチオピアではエリトリア、チグレ、ウォロなどの各州で700万人が飢餓にさらされました。エチオピアは1974年にも飢餓で20万の死者をだしましたが、80年代はじめの飢餓の犠牲者の数はそれをさえ上回るといわれています。国土のざっと3分の1が砂漠化しているモーリタニアでも全国民の半分以上が被害を受け、遊牧民は大事な財産である家畜の半分を失い、食糧生産も数分の1に激減したといわれます。モザンビークの状況については前の項で取り上げたとおりですが、マリでも770万の人口のうちの120万人が食糧不足におちいったと伝えられています。
――「飢餓は終わったのか」 

¶米ソがもっている核の約半分の6000メガトン近くの核兵器が使われたような場合、1億8000万トンもの煙(うちすすが3000万ないし4000万トン)が吹き上げられ、北半球の中緯度地方の内陸部で、夏だと気温がセ氏15度から35度も低下すると推定されたのです。煙が太陽光線に温められる結果、大気の温度が上空にいくほど高くなって、大気の対流が起こりにくくなるので、地表の気温は低下したままになり、煙の雲はなかなかなくなってくれません。
――「人類最後の冬」

 
¶熱帯雨林消滅の危機を初めて世界に訴えたのは、アメリカ大統領の環境問題諮問委員会が1980年に発表した『西暦2000年の地球』(→164P)という報告でした。報告はいまのまま森林の伐採が進むと2000年までに中南米で森林の40%、アフリカでは18%、アジア太平洋地域では50%が失われ、それにともなって毎日、100種もの動植物の種が失われると警告したのです。以前は陸地の約4分の1を森林が覆っているとされていましたが、いまでは5分の1ほどに減ったと考えられています。今世紀に入ってアフリカで森林の52%、アジアで42%、中南米で37%が失われたという報告もあります。
――「消える熱帯雨林」

 
¶他方、世界ではいま5人に1人が絶対的な貧困にあえぎ、10人に1人が飢えや栄養不良に苦しみ、10億の人々が住む家に困っています。軍事費を開発にまわせば世界の緊張を緩和できるだけでなく、それらの人々の暮らしをいますぐにでも改善できるのです。世界の軍事費の2週間分があれば、それらの人々に十分な食料や水、教育、保健、住宅を提供でき、軍需品購入費の1%を割いただけで、食糧を自給できない国々に必要な農具をそろえられるのです。WHO(世界保健機関)が世界の天然痘を根絶するのに使った費用は世界の軍事費のわずか3時間分でした。これは総額3億ドルで、写真のBIB爆撃機1機分とほぼ同じです。アフリカでは世界の軍事費のわずか半時間分があれば、農作物を食い荒らすイナゴの大群を退治して、100万人の人々が1年間食べられるだけの食糧を守ることができます。戦闘機3機分の費用で世界中の子供に予防接種をして病気から守ることができるのですが、1400万の子供の命を救おうとするユニセフの予算も世界の政府と民間の拠出を全部合わせて、世界の軍事費の4時間半分でしかないのです。
――「軍事費の膨張と貧困」 

¶問題はしかしネグロス島だけのものではありません。世界ではほかにもいろいろな地域で、貧困や病気、栄養不良で毎日4万人、つまりほとんど2秒に1人の割合で子供がひっそりと命を落としているのです。
                                       ――「毎日4万人の死」結び 

¶しかしよく気をつけてみると現在でもすでに多くの国で戦争省が国防省、新型ミサイルがピースキーパー(平和の守り手)などと、たくみにいい替えられていることが分かります。相手の人工衛星を先に攻撃することさえできるSDIを戦略防衛構想などというのも、そのいい例の1つということができるでしょう。
                                       ――「『ニュースピーク』」結び

 
¶米国でもスリーマイルアイランド事故のころから経済的に引き合わないなどの理由で、新規の原発の発注がほとんどなくなっています。エネルギー資源もないのに省エネも忘れて原発に向かって走っているのは、いまではもうフランスと日本ぐらいになってしまったようです。
                                   ――「原発から逃げ遅れるな」結び
 

¶爆発と同時に炉の周辺の敷地での放射能の強さは、スリーマイルアイランドの場合の1000倍にもなり、火災の消火にあたった消防士を中心に8月までに31人が死亡し、203人が重い放射能障害で病院に収容されています。強い放射能のため周辺30キロの13万5000人の住民が避難を余儀なくされ、この地域はこんご何十年にもわたって人の住めない無人地域になりそうです。事故とともに放射能は風にのってヨーロッパ全体にひろがり、遠くスウェーデンまで汚染しました。ヨーロッパでは推定2億人もの人々が多少とも放射能にさらされ、放射能の直接の影響によって5000人ががんにかかり、汚染された食物を食べた人々の間にさらに数千人のがんが発生する可能性があると推定されています。長期的には遺伝的欠陥をもった子供が多数生まれてくる恐れもあるわけです。放射能はその後地球をまわって、日本でもわずかですがはっきりと検出されています。
 
 世界ではいまこのクラスの大型炉が365基も運転されていて、その1割弱が日本で動いています。政府はいぜんとして原発が安全だと主張していますが、世界では1945年以来、放射能をばらまく事故が少なくとも38件起こっているのです。
 
 複雑な原発の技術やそれを扱う人間は決して完全なものではないのです。
                                     ――「チェルノブイリの衝撃」結び

 
¶国連環境特別委員会の報告は原発については「過渡期のエネルギー源」と位置付けました。しかし日本だけはどうやら別らしく、資源がないので頼れるのは原子力しかないという政府の考え方から、さらに原発の増設へと突進しようとしています。
                                  ――「再生可能なエネルギーへ」結び

 
¶報告『西暦2000年の地球』は、現在地球上では毎年6万平方キロの土地が砂漠化していて、いまのままだと現在約800万平方キロの世界の砂漠が、2000年にはほぼ20%増えると見ています。
                                          ――「砂漠がひろがる」

 
¶国連環境計画(UNEP)ではサハラの南のこの地域で毎年、日本の岩手県ほどの面積の土地が砂漠の海に飲み込まれているものと推定していますが、砂漠化は何もアフリカだけの特殊な現象ではないのです。世界では実に63もの国で大なり小なり砂漠化が進行しているのです。インド、パキスタン、ペルー、チリでも農地や放牧地の砂漠化の進行が大きな問題として取り上げられるようになっています。国連食糧農業機関(FAO)でも世界では1450万平方キロの農地のうち5万ないし7万平方キロが毎年、耕作できなくなっているといっています。
                                          ――「砂漠がひろがる」
 

¶アメリカの有名なニュース週刊誌の『タイム』は創刊60周年の記念号(1983年10月7日付)の冒頭で、次のように書いています。
「20世紀のこの60年を特徴付けているのは第1に国家の支配の強化であり、でなければ暴力と死の支配の強化である。かつてはペストのような疫病や自然災害が人々の生命を奪ったが、現代では人間そのものが最大のキラー(殺し屋)になっている……」。 
 タイム誌によると、この60年間に戦争や処刑、暗殺、テロ攻撃、強制収容所などで合わせて1億以上の人々の生命が失われています。
                                             ――「暴力の世紀」

タグ:高榎堯
posted by nobody at 23:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月30日

ツケは君たちにまわされる 〜日本国の本当の予算と借金〜 〜ベンジャミン・フルフォード『泥棒国家の完成』〜

 国家財政がどのような状況にあるかご存じか。

 これが不思議なことに、詳らかにされていないのである。

 国会議員の仕事を一言で言うと国民のために国民の奉仕者として税金の使い途を決めることであり、その大原則からすれば財政状況は完全にクリアーにされていないとおかしいはずだが、そのおかしいのが現実である。

 本当の日本国の予算は財務省エリート以外誰にも分からない。
 国のバランスシート(貸借対照表)も3年8か月前まで(注:'04年6月時点より)非公開だった(公開されたことにより200兆円の債務超過が判明。前者はフローにあたり後者はストックにあたる)。
 さらに政府自身に検査が入ることもなければ監査法人が監査を行うこともない(「会計検査院」は機能不全。藤井厳喜『新円切替』の表現を援用)。

 本当の予算は
「不可能に近いほど複雑」('02年10月25日に暗殺された故・石井紘基議員)な算出の結果260兆円であることが判明した。
 3つの要素があり、オモテの顔たる「一般会計」(82兆円)と、一般企業でいうところの裏帳簿にあたる「特別会計」(330兆円)と「財政投融資」(財投。23兆円)である。
 重複分を差し引いて260兆円となる。

 これに対して税収はたったの42兆円であるから、真の予算はその約6.2倍あることになる。

 政府予算は複雑な操作により一般会計から特別会計に流れ、それが一部業者や政治家に流れるという形をとってきた。
 つまりは“逆マネーロンダリング”である。

 特別会計とは国会審議なしに国が勝手に組んで使えるという“官僚やりたい放題予算”である。
 石井議員の言うには、
「いったん特別会計のトンネルをくぐった公共事業費、社会保障費などは、大部分が補助金の形で地方公共団体特殊法人公益法人などを通して業者へと流れていく。それらの経路はすべてにおいて政治家とつながって」いる。

 財投にもあまりに闇の部分が多いが、国が財投債という公債郵便貯金・年金・簡易保険等から資金を調達して公共事業を営むもので、役人たちが国民から借りているものなのに自分たちのお金のように好きなように使ってきた。

 財投のうち2.2兆円が計上されている日本道路公団を例にとって、具体的に金の流れを見てみよう。
 
 ベンジャミン・フルフォードは『泥棒国家(クレプトクラシー)の完成』の中でこう言っている。

「まず、政治家が建設業者(ゼネコン)とグルになって計画をたてる。そして、その情報をヤクザがらみの不動産業者に流して土地を買収する。その間に、官が予算をつくる。こうして、道路建設が決まれば、この見事なトライアングルのなかを蜜は行き来し、関係者すべてを潤すのである。潤った業者は、政治家にキックバックと票を渡し、官僚には天下りできる場所を確保する」。

 もちろんこの
「見事な癒着構造」は今度の
道路公団改革」によっても微動だにするものではない。

 では日本国の本当の借金はいくらか。

 まず国債(国の借金)の発行残高だが、これが増え続ける一方である。
 古い借金を返せず毎年借り換えを重ね、それでも足りずにさらに新規の借金を積み重ねるということをずーっと続けているからである。
 その額は'04年度予算計上分を含めて483兆円。
 これに地方債を加えると719兆円、隠れ借金を加えると800兆円を超える。
 
 さらに財投の融資残高は410兆円であり(重複部分あり)、これに公団・公社等の準政府部門の隠れ債務を加えると総額でなんと2000兆円になると言われている。

 42兆円の収入(税収)に対し260兆円の支出と2000兆円の借金。
 個人にたとえると年収400万円しかない人が浪費を改めようとせず年に2100万円ずつ借金を増やしつつ2500万円使い、なおかつ1億9000万円の借金を抱えているに等しい。
 全収入をそっくりそのまま借金返済に充てても(実際には生活費がかかるので不可能だが)完済するには48年かかる。
 すなわち日本国はすでに完全に破産している。
 これで
「将来の年金は大丈夫」などと言う人がいたらぜひ財源を示してほしいものである。

 折しも参議院選挙である(注:'04年6月現在)。
 議員1人あたりの年間維持費は、まったく
「痛み」もなく削減されるどころか増加傾向にあり(国民には増税・負担増のオンパレードだが)、歳費・秘書給与・政党助成金の頭割り分等を含めて少なく見積もっても1億円以上かかる。

 少なくとも自分の雇い主が国民であることを忘れてしまっているような議員には退場してもらった方がいい。

*予算の数値は'04年度。財投は'03年度、バランスシートは'01年度。財投の融資残高は'01年度末。

cf. 日本国憲法第15条
第1項:公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
第2項:
すべて公務員は、全体の奉仕者であって、一部の奉仕者ではない。

cf.のcf.日本国憲法第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
                  (原題「泥棒議員には退場願おう」を改題、2004・6・30、33歳)

posted by nobody at 18:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月27日

人生は1度きり 〜立花隆『青春漂流』〜

*この項は以下の3稿から成る。
@自転車日本一周出発直前、友達O君に宛てた書簡
Aマスコミ就職講座で課された課題論文
B日本一周日記裏表紙に本書から引用書写したもの
 

@自転車日本一周出発直前、友達O君に宛てた書簡
  

 今の今まで立花隆の『青春漂流』を読んでいて、豁然と目の前が開けた思いがする。
 
 そう、私は(出発)宣言とは裏腹にぐずぐずとまだ博多にいる。
 私の精神的回復ぶりがいかほどか、これだけをもってしても想像がつこう。

  
今の私を支えている根本理念は、素朴極まるものであり、ちっとも高尚なんかなものではない。

『青春漂流』の中でも誰かが言っていたが、要するに
「やりたくないことをやっていて死んだら死んでも死にきれないが、やりたいことをやっていて死ぬんであれば諦めがつく」
というだけのことである。
 諦めがつくどころか、私はそれは本望とさえいってもいいと思っている。

 
何の疑問もなくいい会社に就職することのみに血道をあげているような奴には、むしろこの本は読んでほしくない。
 君はだいぶ迷っていたようであるから、是非とも読んでほしい。
 文章がうまいからスラスラと読める。
 とどのつまりは自分次第だということがわかる。

 
俺は俺を見つけに行くのである。
 君の応援があると思うだけで心強い。
                                                                                    (1994・7・21、23歳)

Aマスコミ就職講座で課された課題論文「私の職業観」

 博物学者・荒俣宏氏はこう言った。

「どうせ一生イヤな仕事をして暮らすなら、せめて好きな魚の相手でもしよう」。

 鷹匠・松原英俊氏(本書収録)はこう言った。

「とにかく、ネクタイをしめたサラリーマンの生活は絶対いやだ、死ぬまでネクタイをしめないですむ生活をしようと思ったんです」。

 私は、仕事というものに、何ら積極的意義を見出せない。
 畢竟、“束縛”に過ぎぬ。
 よって、
「生きていく中で嫌なのは束縛と阿諛の二つである」
という生活信条をもっている私としては、職業というものに否定的意義をもたざるを得なくなる。
「働かざる者食うべからず」というのは、唾棄すべき諺である。

 マルクスは
「労働は人間の本質である」
と言ったが、労働を人間の自然状態であると信じている人は多いようだ。
 ところが、そうではない。
 プラトンは最高の人間行動は哲学であって、次点は戦争であるとした。
 ベドウィンに到っては、労働とは
「臆病な者が専念すべき卑しむべき人間行動」
とされている。
 
 日本でも、平安時代に最も尊重すべき人間行動は美の追求とされ、中世では宗教的価値の追求、戦国時代では戦争であった。
 この基本的流れは昭和初期まで続く。
 労働は、最高の人間行動ではないのである。

 だからといって、おのおのが労働に従事せず、したい放題遊び回っていたら、社会そのものが崩壊する。
 だからこそ日本国憲法で勤労は国民の義務として定められているのだろう。

 労働は束縛である。
 束縛であるが、ある心理学者(アドラー)が言ったように、同時に人生を決定する三大構成要素のうちの一つ(あと二つは友人と恋人)であることも事実である。

 だとしたら、いくらかでも“心地のよい束縛”を求めていくしかなかろう。
 つまり、結論的には、労働とは束縛である反面、最低限度の自己実現でなければならない。
 私にはその条件に合う職業はジャーナリストしかないのである。

*付記 この課題論文に対する講師のコメント
 経験から語らない作文は訴える力を持たない。働く意欲を持たない者は採用されない。若さのないものはジャーナリストとしての資格がない。
 文を書く力はあるのに誠に惜しい。
(5点のチェック項目(構成・表現・論旨・意欲・総合)すべてD(A・B・C・D中)評価) (津久井)
                                            (1993・2、21歳)

B日本一周日記裏表紙に本書から引用書写したもの 

◇日記のはじめに

 人生における最大の悔恨は、自分が生きたいように自分の人生を生きなかったときに生じる。
 一見いかに成功し、いかに幸せに見えても、それがその人の望んだ人生でなければ、その人は悔恨から逃れることができない。反対に、いかに一見みじめな人生に終ろうと、それが自分の思い通りの選択の結果として招来されたものであれば、満足はできないが、あきらめはつくものである。
 (略)しかし、ほんとうの人生論は語るべき対象というよりは、実践すべき対象なのだ。
                                   ――立花隆『青春漂流』プロローグ

◇日記のおわりに

 自分の人生を自分に賭けられるようになるまでには、それにふさわしい自分を作るために、自分を鍛えぬくプロセスが必要なのだ。それは必ずしも将来の「船出」を前提としての、意識的行為ではない。自分が求めるものをどこまでも求めようとする強い意志が存在すれば、自然に自分で自分を鍛えていくものなのだ。そしてまた、その求めんとする意志が充分に強ければ、やがて「船出」を決意する日がやってくる。
 そのとき、その「船出」を無謀な冒険とするか、それとも果敢な冒険とするかは、「謎の空白時代」の蓄積だけが決めることなのだ。
 青春とは、やがて来たるべき「船出」へ向けての準備がととのえられる「謎の空白時代」なのだ。そこにおいて最も大切なのは、何ものかを「求めんとする意志」である。それを欠く者は、「謎の空白時代」を無気力と怠惰のうちにすごし、その当然の帰結として、「船出」の日も訪れてこない。彼を待っているのは、状況に流されていくだけの人生である。
                                   ――立花隆『青春漂流』エピローグ
                                            (1994・7、23歳)

タグ:立花隆
posted by nobody at 11:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月21日

共産主義とマルクス主義 〜マルクス、エンゲルス『共産党宣言』〜

*この項は以下の2稿からなる。
@『共産党宣言』について(読書交換会の相手への推薦文)
A卒論における『共産党宣言』言及部分
 
@『共産党宣言』について

 この読書交換会の意義として、私は次の2つを認める。
 思い切り簡潔に言うと、
@相対立するお互いの主義主張の矯正(あるいは相互理解)
A推薦者は熟読しているとは限らないのだが、2人で共に読んで共通のテーマとして議論するに値する本の読書交換
の2つである。
 本書を推薦する主目的はAにある。

 イミダスでちらりと読んだのだが、マルキスト必ずしも共産主義者ならず、共産主義者必ずしもマルキストならず、なのだそうだ。
 その伝でいくと私はマルキストではあるが共産主義者ではない、ということになりそうだ。

 君が手紙に書いていたように、本書を読むとマルクスが本質的に技術主義者臭を帯びていることが窺われる。
 この点で共産主義とは所詮、近代に猖獗を極めた西欧合理主義のはしくれ、資本主義とは同じ穴の狢に過ぎなく思えるのである。
 
 しかし私はそれとは別のマルクスの読み方をしている。

 とにかく君の共産主義(あるいはマルクス主義)観を披露してほしい。

                                            (1994・5・10、22歳)

A卒論における『共産党宣言』言及部分

 こうした文脈を辿ってくると、マルクスの社会発展段階論は文明史の認識として極めて正確であるといえる。
 マルクスは経済学者や哲学者としてよりも、一人の歴史学者として曠古の業績を残していると評価すべきである。

 彼はただやみくもに資本主義を批判したのではない。
『共産党宣言』にも
「『宣言』は、資本主義が過去に演じた革命的役割をまったく公正に取りあつかう」
とある通りである。
 
 そしてただ支配者階級を打倒することのみが究極の目標なのではない。

「そしてこの階級闘争の歴史は、次第に発展し、現在では、搾取され、圧迫される階級――プロレタリア階級――が、搾取し支配する階級――ブルジョア階級――の支配から解放されるためには、同時に、また究極的に、社会全体をあらゆる搾取、あらゆる圧迫、あらゆる階級的差別、あらゆる階級闘争から解放しなければならない段階に達している」(同、太字引用者)。

 つまり、基本的構造として、
「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」
という有名な『共産党宣言』の冒頭命題は、全く正しい文明史認識なのである。
 このことから『共産党宣言』については、そこからイデオロギー的、あるいは経済学的臭味のみを専ら嗅ぎ出すのではなく、一つの秀逸な文明論として再評価すべきである。
 
 マルクスとエンゲルスがここで俯瞰していたのは、人類文明全体だったのである。

 ただし厳密にいえば、現代経済文明における“階級闘争”は畸形のかたちをとっており、
「闘争」という形態が消えうせてしまっている。
 強いていえば“階層対置”といった状態になっている。
 
 その理由は言うまでもなく、巧妙な洗脳によって大衆の闘争本能が去勢されたからである。
 どっちにしろこれは瑣末なことである。

 マルクスの致命的な過ちは、別のところにある。

 槌田(敦。物理学者)にも共通するのだが、それは、人間というものの正しい姿を掴み損なったことである。
 人間は性悪である。
 たとえ暫定的にせよ、わずかの間でも権力の旨みを覚えた人間は、変わってしまう
 プロレタリアート独裁のスターリン主義化は、必然的だったのである。
                                               (1993、22歳)

posted by nobody at 03:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月16日

「もしそれが何かの罪に対する刑罰だとしたら、何の罪だろうか」 〜鎌田慧『自動車絶望工場』〜

*この項は以下の2稿から成る。
@『自動車絶望工場』・推薦文(読書交換会の相手にあてたもの)
A『自動車絶望工場』・反論文(本書を読んだ読書交換会の相手の書いた感想文に反論したもの)

@『自動車絶望工場』・推薦文

 所詮原稿用紙1枚だけでは大したことは言えない。
 1点だけ言う。

 君は恐らく言うだろう。

「これは特殊な例だ。労働の全てがこんな苛酷なものであるというわけではない」。

「これは昔の話だ。現代の労働は手厚く労働者の権利を保護している」。

「よしんばこの労働が酷いものだとしても、他に楽な仕事はいくらでもある。こんな労働を選んだ労働者が、あるいはもっと言えば、こんな労働しか選ばざるを得なかった彼らの無能力が悪いのだ」、と。

 これは現代日本の、すなわち現代経済文明の縮図そのものなのである。

 確かにバリエーション(労働の形態)は様々ある。
 だがその全ての根っこは、あたかも動物進化の系統樹の如く1つに収斂されるのである。

 そしてこの本に描かれているようなライン労働こそがその根っこなのであり、またこのような日の当たらぬ労働者たちこそが、原発被曝下請労働者と同じように、君の思い描くバラ色近代・未来社会をまぎれもなく支えているのである。

A『自動車絶望工場』・反論文

 私が推薦文で
「君は恐らく言うだろう」として3つのことを挙げたのは、決して君が推測するような意味(すなわち「このような低レベルの議論をするな」という意味)を含意したのではなく、本気で君がこういった趣旨の反論をするだろうと思ったからである。
 もちろん私はそうした反論を
「低レベル」とは思わない。

 それにしても、君がライン労働の経験者であったとは誤算だった。
 凄絶な印象はいくらか緩和されたことであろう。

 しかし逆に、君が経験者であるが故に、その
「解体され、細分化され、固定化されてしまった労働」(あとがき)
の解決策として
「完全機械化」を挙げて事足れりとしているその姿に、かえって奇異の感を深くするのである。

 君がもし大熊一夫のルポ(『精神病棟』『老人病棟』など)と本書を読み比べたならば、本書がいかに主観を省き極力客観的であろうとしているかが容易に窺い知れるであろう。

「ベルトコンベアー労働問題の捉え方として」、
あのように3つの捉え方を設定した(*後日補足)のはさすがである。
 普通ならBまでは考え及ばない。
 
 しかし君は@の原因を
「労働者の権利保護の不足」
としているが、これではちっとも説明になっていない。
「そんならなぜ、労働者の権利保護は不足しているの?」
といった堂々巡りになる。

 私はつい最近まで、資本主義か、しからずんば革命(と、曖昧に言っておこう)か、それ以外に選択の余地なし、と考えていた。
 ところが最近になって、ひょっとしたら第三の道の可能性もあり得るのではないか、という希望をもちつつある。

 そのきっかけとなったのは'91年5月20日付『朝日新聞』朝刊に掲載された
「市場経済の風景20 社会規制がゆとりと公正守るドイツ」で、第三の道とは
「社会的市場経済」である。
 社会主義的な色合いを持っている、大陸欧州固有のリベラリズムに根差している。

 前EC対外担当委員W・ドクレルク(ベルギー人)の次の言葉には、率直に感銘を受けた。
 いわく、
「欧州は米国のような競争万能の社会には決してならないだろう。社会的連帯の網を張りめぐらして、経済成長の恩恵を各人が受けられるようにするのが、欧州の社会的市場経済の目標だからだ」
「経済成長だけでなく、弱者を含めたすべての人の幸福と繁栄を実現することが大切だ」。

 あくまで資本主義をモデルチェンジしつつ発展していくのだというのであればこれしかないのだが、不幸なことに、日本の眼は意図的にドイツではなくアメリカやイギリスばかりに向けさせられている。

 君は資本主義には
多かれ少なかれ」分業が存在する、と言っているが、この認識は根本的に誤っている。
 分業こそ現代資本主義経済体制の本質の1つなのであり、それが少ないということはあり得ない。
 詳細は「『歴史主義の貧困』の貧困」参照。

「リサイクル資本主義体制」というのは迷信である。
 ニコラス・ジョージェスクレーゲンは
「エネルギーと物質はどちらもエントロピー増大則に拘束されている、摩耗した固体の分子を残らず再回収する方法などありえない、したがって、定常開放系だとか循環だとかいう考え方はナンセンスである」(槌田敦『エントロピーとエコロジー』90ページ)
と言っている。

 さらにこれを受けた槌田は
「たしかに、石油という地下資源を利用するということは、エントロピー増大則を地で行くものといってよい。地下に『かたまり』として存在する地下資源を利用し、最終的に地表に『ばらまいて』しまうのだから。いかにエネルギーを投入しようと、これを回収することは事実上、不可能である。宇宙船地球号の循環経済は、絵空事ということになる」(同ページ)
と、続けている。

「完全機械化」、「技術革新」ということを君はいとも簡単に言って退ける。
 君は次の関曠野の言葉をどう受け止めるのだろうか。

「そして成長論者の論理が究極的には常に、技術的突破によって環境問題が解決する可能性という主張に行きつくことには、昔も今も変りはない。この主張はローマ・クラブ報告その他によってとっくに論破済みである。すなわち万一、技術的突破による解決が可能であったとしても、それはさらなる環境破壊や人口爆発を惹き起こす悪循環に終るだろう。げんに排ガス規制をパスした低公害車の大群が、東京の大気をさらに汚染させているではないか」(「過剰発展を清算するために」『世界』'92年6月号所収)。

 君は恐らく今でもなお、
「持続可能な成長」ということを夢見ているのだろう。

「しかし同じくらい新しい物や新しい機械、便利さ、刺激、都会生活が好きなのだと思う。人間とはそういうものだ」
という君の認識が、完璧に見当違いであるということに気付いてもらわないことには、私の主張は全く理解され得ないのである。
 
 確かに人々はそれらを必要としているように見える(=現象)。
 だが実際は、必要とさせられているのである(=本質)。

「社会主義社会でこそ社会が一つのベルトコンベアー工場として組織されてしまった」(太字引用者)
と君は言う。

 中国、ベトナム、キューバもそうであるという根拠を、できれば示してほしい。
 私には、地球上の全ての社会主義国家にある大衆が例外なく一様に呻吟し、蹂躙され、抑圧され、迫害され、弾圧されている(いた)とはとても思えない。
「社会主義は嫌いだがカストロは好きだ」
と言うキューバの青年は、洗脳されていたというのか。

 またポパーの文体を借りて言えば、彼は
「多くの個人の心に分散されているような知識、そして中央集権化された権力を賢明に行使するためには集中化が必要になるような知識のすべてを、集中化させ」(『歴史主義の貧困』139ページ)、
「教育と宣伝によって関心や信念を統御し、またステロ化することに努め」(同、同ページ)
ているのが他ならぬ全体主義国家(すなわち社会主義国家)だと断じているが、私にはそれこそ現代資本主義国家の姿そのものではないか、と思われるのである。

 鎌田慧氏が
「近代拒否」者、
「自給自足のエコロジー的生活」志向者ではない、と断ずる根拠は何か?

「俺はこのエコロジー的生活の選択は個人的には強くひかれるが、社会全体としての選択は不可能だろう」
と君は言う。
 これはかつて西部邁が
「私は個人的には絶対平和主義者、すなわち攻撃されたら一切抵抗せず降伏するものであるが、国全体としてはそういうわけには参らない」
と言ったのと寸分違わぬ言い草である。
 君はこの論法を厳しく批判していたはずである。

 だいたい君は何だか、
「エコロジー」という観念を軽く見ていないか?
 流行かブーム、トレンド、単なる時事用語と捉えているのではないか?

「エコロジー的生活」でしか、人類は生きていけないのである。

「ベルトコンベアー問題の解決はいろいろあるだろう。しかし人間をそれから完全に解放するには他の選択では不可能」
というのは、君の勝手なきめつけである。

「『近い将来技術が解決してくれるさ』とのんきなことを言っているつもりではない」
と君は言うが、結論として、私にはそう言っているとしか思えない。

 本書には幾人もの労働者が出てくる。
 彼らはただ、人間としての生活をしたいだけである。
 誰もアラブの石油王のような生活をしたいと望んでいるわけではない。
 なのにこの仕打ちである。

もしそれが何かの罪に対する刑罰だとしたら、何の罪だろうか。労働者が当り前の生活をしようとすることへの罰なのだろうか」(148ページ、太字引用者)。
 
 せめてこの文章だけでも、噛み締めてほしい。

 彼らには何の咎もないはずである。
(1994・5・11、22歳)

タグ:鎌田慧
posted by nobody at 02:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月06日

駁撃の作法・佐高信批判 〜小室直樹『国民のための経済原論』〜

*以下の文章は岩波書店『世界』編集部に送付したものである(原稿用紙36枚)。

 岩波書店『世界』編集部の良識に告ぐ。
 貴誌('93年)8月号の「佐高信の今月のジャンク・ブック 第20回――小室直樹 国民のための経済原論」に対して、異議を申し上げる。

 論理的批判を超えて、感情的にも不愉快である。
 佐高の語気は卑しい。

 この稿で書かれていることは、全くの誤りであると断じる。
 冷静に、客観的に、公平に判断して、間違っている。
 駁撃にも、ある程度のマナーと気品が必要である。
 それがなかったら、それはただの、聞くに堪えない、また『世界』のような一級の総合誌に掲載するに値しない、ただの罵詈雑言、それこそ「オダ」である。

 まず第一に、こんなことはここに書くまでもない当たり前のことで、こういう駁撃を旨とする論稿を書く者なら基本的認識として意識していなければならない、「心構え」のようなものが、佐高には全く分かっていない。

 それは、「駁撃という行為に伴う畏懼」である。

 人の吐く論に対して駁そうとする者は、少なくともその論を尊重し、謹んで受け入れ、真摯に吟味するというのがまず第一である。

 ある種の“畏れ”をまず持て、そこから出発せよ、ということである。

 何も礼儀的なことにこだわっているのではない。
 もちろんそれもあるが、さらに本質的なのは次のことである。

 相手の論を畏れると、どうなるか。

 自分の反論に間違いがあってはならない、ということになる。

 つまり端的に言えば、Aを駁そうとするBには、A以上の知的作業が要求されるのである。

 逆に言えばA以上の知的作業をしない者には(A以上の論理性が示されていない駁論には)、そもそも駁す資格がないのである。

 少なくとも論理的に間違っていてはならないというのが最低の基準である。
 いや、少なくともどころか、論理性こそ全ての規準なのである。

 論理的に正しく駁そうとするのなら、無論論理的に正しく相手の論を読み取らねばならない。
 まさしく眼光紙背に徹するというほどの深い読解力が、必要なのである。
 本来言わずもがなのことである。
 佐高が分かっていないからわざわざ書いているのである。

 本稿の主旨は、小室直樹『国民のための経済原論』への駁撃である。
 となれば、本書を熟読するというのが出発点であろう。

 しかるに佐高は、本稿の執筆にあたって、『国民のための経済原論』を熟読したのか。

 本稿を読む限りでは、とても熟読したとは思えない。
 一知半解の論評である。
「いや、ちゃんと読んだぞ」と言うのなら、さらに始末に負えない。
 陳腐な言い方をすれば、「読みが浅い」としか言いようがない。

 そもそも、佐高にはレトリックというものがまるで分かっていない。

 本稿右ページ上の、10行目から21行目(「ナニ、お金がないんだって。〜景気回復策の一つなんだけど」)を例にして言う。

 佐高は、「娘を売って大豪遊すべし」という部分を真に受け、それを小室が不況打開策として現実にやれと提唱しているかのごとく曲解し、最後の2行を意図的に無視している。
 そしてこのような佐高に言わせればデタラメさが本書の本質だといわんばかりに紹介し、「全編ほとんどこの調子」と結ぶ。

「全編ほとんどこの調子」というのは、事実に反する。
『Tバブル大復活編』(以降『T』と略記)の巻末には、「補講」として、完全競争の場合の経済模型グラフや、最単純ケインズ模型グラフ、乗数理論のグラフがある。

「全編ほとんどこの調子」ならば、これらの経済理論解説の出てくる余地などない。
 

 本書を見たこともない人が、佐高の駁論だけを読むと、この小室の著書に対する全く誤ったイメージが形成されよう。
 
 

 こういうのを悪意の引用という。
 少なくとも言葉を生業として用いている者が、このような牽強付会をするとは、犯罪的ではないか。
 
 

 小室は、現在の不況を打開するために、
「娘を売って大豪遊すべし」
と提唱しているのでは、ない。

 通常の読解力を有する人ならば、終わりの2行
「いまなら、これ社会問題になりますかね。景気回復策の一つなんだけど」
という文章を読めばそう解するのだが、佐高はそう解しない。
「何という乱暴なことを言うのだ。小室には人権という概念がないのか」
ぐらいに真に受け、憤慨している。

  何らの先入観ももたず、文脈を追っていくという、駁撃者たる者の態度として至極当然の作業を行なっていれば、決してこのような悪意に基づいているとしか思えない曲解は、生まれてこないはずである。 
 

 小室は、以下の文脈を展開する。
 

 不況は皆、嫌だ。
 
 なんとか抜け出したい。
 
 そのためにはどうしたらいいのか。
 
 

 そもそも景気が良くなるとは、どういうことか。
 
 GNPが増えることだ。
 
 だから景気を良くするには、GNPを増やせばよい。
 
 

 そのGNPは、何から成るか。
 
 消費+投資である。
 
 そのどちらかを(できれば両方とも)増やせば、景気は良くなる。
 
 

 文脈の前提は、
「景気を良くするために我々ができることは何か」である。
 
 ここでいう「我々」とは、一般庶民を指す。
 
 一般庶民に投資は容易にできまい。
 
 となると残りは消費しかない。
 
 ゆえに我々が景気浮揚に資する術とは、消費をしまくること以外にない。
 
 

 以上の文脈を敷衍して、たとえとして、引用部分のようなことを、純原理的に言っているのである。
 
 

 娘を売った金で大豪遊すれば、消費が増え、GNPが増え、景気が良くなる。
 だからといって皆さん娘を売りましょうと小室が提唱していると解釈するのは短絡的であり、揚げ足取り以外の何物でもなく、少しも生産的でない。
 

 右ページ下から左ページ上にかけての引用(「設備投資をやってやってやりまくれ。〜チンパンジーやゴリラも」)も、同じである。
 このレトリックを額面通り受け止めるのが間違いなのである。 

 全体を熟読して論理構成がある程度掴めていれば、これらから
「欲求不満の若者が酔っ払ってオダをあげているようなこの本」といった悪意的解釈は出てこないはずである。
 私が佐高は本当はろくに本書を読んでいないのではないかと疑う所以である。
 

 そもそも、本書の企図は、『国民のための』という表題から察せられる通り、経済の基礎中の基礎を分かりやすく解説しようとするにある。

 本書中に

「中学生にも大学教授にもわかるように、徹底的に解説する」(『T』110ページ)、
「ミリオンズ(百万)、ビリオンズ(十億)の人びとに理論経済学をわからせる秘訣は、数学的禁欲にある。(略)そのサムエルソンが、数学的に禁欲して、なるべく数学を使わないでエコノミクスを書く。(略)たいした努力ではないか。筆者は、この点においても、サムエルソンを見習った」(『Uアメリカ併合編』(以降『U』と略記)127〜128ページ)
とある通りである。

 私のような全くの経済オンチに、理論経済学の要諦を伝授しようというのは、言うまでもなく至難の業である。
 その際、小室のようなどぎつい敷衍を用いるのは、インパクトを与え、話に引き込み、興味を持続させるための有効な手段なのである。
 この辺は、学識豊かで識見に富み、難解な専門書もスイスイの佐高には想像及ぶまい。

 こんなエピソードがある。
 数年前、石ノ森章太郎が『マンガ日本経済入門』を著わし、評判になった。
 この本は「読者カード」の返り具合が異常によく、しかもそれが感謝の言葉に満ちあふれているという。

 出版局の人は分析する。
「先生がた(一般エコノミスト)の著書は、わざわざ入門を志す若者を、門前から追い払う効果しかなかった。彼らをはじめて入門させることに成功したのが、このマンガです。先生がたからは、感謝してもらいたいくらいのものです」
と。

 大抵の経済入門書は、難解で、ちんぷんかんぷんで、ついていけない。
 たとえ平易に概念説明、論理展開されていても、退屈である。
 読者はあいにくと、佐高のような高い識見をもちあわせていないのである。

 小室は、我々経済オンチを、おいてけぼりにしない。
 全く分かりやすく、しかも面白おかしく、
「まるで講談か漫談かという名調子」(田原聡一朗)
で引っ張っていってくれる。
 
 それでいて決してとりとめのないということはなく、要点をピシッと衝く。

 私は、小室を類いまれな名文家として崇敬している。
 匹敵するのは立花隆くらいか。

 同時に小室は、大変な博覧強記である。
 この2つの要素は、実は互いに深く結び付いている。
 博覧強記でないと、名文は書けないのである。
「難しいことを易しく書く」ことが大事ながら困難なのは、すべてここに起因している。

 だから佐高は、こんな2ページのスペースでチビチビと小室の駁撃をする前に、自分で「分かりやすく、退屈させない」経済入門を書いてみればいいのだ。
 何より佐高の専門はズバリ、経済ではないか。

 小室の専門は、多岐に及ぶ。
 経済、政治、国際政治、社会学、数学、心理学、日本史、世界史、文学、宗教、軍事、法律、等々……。

 経済に関してはどう考えたって佐高の方が通暁しているに決まっているのだから、小室の経済書をけなす前に、自分が経済書のベストセラーを執筆してみてはいかが? とお勧めしたい。

 先の『マンガ日本経済入門』にまつわるエピソードは、飯田経夫『日本経済ここに極まれり』にあるものだが、ここで象徴的なのは、筆者が書評を求められて同書を読んだが、
「さっぱり面白くないし、これを読んで日本経済がわかるともとても思えな」かったということだ。

 つまり我々経済オンチにとって面白くてためになると思われベストセラーになるような本は、一般エコノミストの目から見ればつまらなく、むしろ反感を買うらしい。

 神聖な学問をデフォルメされ、汚されたと感じるのだろう。
 だがそれだけではあるまい。
 積年呻吟しつつ、小難しい経済理論を駆使して作り上げた「まともな」経済書よりも、素性の知れない文筆家が書き上げた「いびつ」な経済書の方がより広く読まれ、ベストセラーになり、ちやほやされるのが、己の本家エコノミストとしてのプライドを汚されたようで我慢ならないのだろう。
 要するにやっかみである。

 本稿の性質もそれであろうと勘繰ってやまない。
 でなければ、左ページ下左から5行目の
「私は長谷川慶太郎や大前研一より上位にランクされたことが嬉しかった。私を『好き』と言ってくれた人は、もちろん、小室のこんな本など読まないだろう」
などという、本稿の「『国民のための経済原論』への駁撃」という本来の主旨と全く関係のない一節は、どう説明されるのだろうか。

 もっと根源的な点から論じてみる。

 言葉、あるいは本の最大の役割は何か。

 本質的意義は何か。

 伝達である。

 Aが思い、考えたことをBに、あるいはその他大勢に伝え広めるために、言葉(本)の本来的意味があるのである。

 であれば、Aの発した言葉をBらが聞き、理解した時点で初めて、言葉は言葉としての役割を果たしたことになる。

 逆に言えば、Aの発した言葉をBらが受け取っても、それを解しなければ、それは言葉ではないということになるのである。

 ということは、難解で分かりにくい本の著者には、最も根源的なところで、
「なぜこの本を世に問わねばならないか」
が分かっていないということになる。

 本を分かりやすく書こうという姿勢は、その意味で、筆者の親切などというレベルの話でなく、言葉を用いる者として当然取らねばならない、最も基本的根源的姿勢なのである。

 佐高は、この文筆家たる者の必要十分条件が分かっていない。
 分かっていなくて本を出している。
 恐ろしいことである。
 
 いや、本を出すくらいならまだしも、こともあろうに他人の本を駁撃するという大それたことをやっているのである。

 田原聡一朗にはその辺が分かっている。
 彼は言う。

「小室さんの論旨は終始ディフォルメされていて、毒がある。だから、時として、いわゆる識者の猛反発をくらう。しかし、その誇張は読者の常識の盲点にそって張りめぐらされ、結果として、きわめて正確で強烈なイメージを読者に植えつける。」(『韓国の呪い』・カバー)

 まさしく佐高の誤読を示唆している。

 まさしく佐高こそは、「いわゆる識者」として小室に「猛反発」し、「ディフォルメ」を真に受け「毒」に卒倒し、「誇張」を誇張として受け取り、ついに、「きわめて正確で強烈なイメージ」を「植えつけ」られることはない。

 前出の『日本経済ここに極まれり』からの引用に即して言えば、
「わざわざ入門を志す若者を、門前から追い払う効果しかな」い著書しか書けない佐高は、
「彼らをはじめて入門させることに成功した」小室の本書に対して妬み、
「感謝」するどころか
「さっぱり面白くないし、これを読んで日本経済がわかるともとても思えない」
と罵倒する。

 挙げ句の果てに、
「資源ムダづかい」とくる。
 これが全くの嫉視に過ぎないというのは、公平に考えてみればすぐ分かる。

 小室の著書と佐高の著書と、どちらが
「資源ムダづかい」であるか。

 商品としての本は、読者に読んで、吸収してもらわなかったら、単なる紙の塊である。

 従って、読者によく読まれ、反響・評判を博した本は、
「資源の有効利用」となる。

 つまり一般にベストセラーといわれる本は、
「資源ムダづかい」ではない。

 小室の本書がベストセラーであることは、佐高も本稿で認めている。
 本書に限らず、小室には、『韓国の悲劇』、『ソビエト帝国の崩壊』、『アラブの逆襲』等のベストセラーがいくつかある。

 佐高の著書がベストセラーになったとは寡聞にして聞かない。

 つまり、佐高の著書よりも小室の著書の方が広く人口に膾炙しているのは明白である。

 これだけを見ても、
「資源ムダづかい」なのは佐高の方なのである。

 ベストセラーを絶対視しているわけではない。
 もとより本の価値というのは杓子定規に決められるものではなく、もし多数が認めなくとも、少数が認めれば、その少数にとっては意義あるものなのであり、
「資源ムダづかい」とはならない。

 だからそもそも、駁撃の用語として、
「資源ムダづかい」というのは全く不適当、いやそれ以上に驕慢尊大、傲岸不遜で鼻持ちならず、越えてはならぬ一線を越えており、極めて品性下劣である。

 いくら相手が気に入らぬといっても、言っていいことと悪いことがある。

「小室直樹の『国民のための経済原論』(光文社)ほどひどくはなかった」
「文字通りの『ジャンク・ブック』」
「ごていねいに」
「こんな本が」
「“お仲間”のエール」
「欲求不満の若者が酔っ払ってオダをあげているような」
「こんな『ジャンク・ブック』ならぬ『狂書(マッド・ブック)』」
「小室のこんな本」……。

 なんという言辞であろうか。
 卑しい。
 全く、卑しい。

 自然界にムダな存在など何一つないという生態学の基本認識と同様に、この世にムダな本など1冊たりともないのである。

 仮りに1冊も売れない本を出したとしても、その著者にとっては、己の思考をまとめあげアウトプットするという崇高な作業を経た、何物にも替え難い価値があるのである。
 本は読まれるばかりが価値なのでなく、著すことにも同じくらいの価値があるのだ。

 そういう基本的認識が佐高には全く欠落しており、しかも
「資源ムダづかい」などという不遜の言辞を弄するとは、愚劣を通り越す、文筆家にあるまじき言動である。

 本稿にみられる悪意的曲解には、3つの特色がある。
 一に小室に対する偏見、
 二に甚だしき論理性の忌避、
 三にお話にもならない読みの浅さ、
である。

「『たのしきバブルの日々復活。長谷川慶太郎先生の言うとおり』と小室に持ち上げられている長谷川」
とあるが、小室は長谷川を持ち上げていない。
 
 引用の箇所は、小室のそれまでの論理展開を中間的に集約したところで、つまり小室としてはこうすれば景気が良くなるという自説の実証が第一の目的にあるのだから、それと同工異曲の説を主張している長谷川に「先生」と敬称を付けて何がおかしいのか。

 それが証拠にその直前には「ゾンバルト先生」、「サムエルソン先生」というのも出てくる。
 佐高は意図的に「ゾンバルト先生」「サムエルソン先生」という部分には目をつぶり、悪意の引用をやっているのである。

 また仮りに、小室が長谷川を「持ち上げ」、「“お仲間”」意識を持っているとしたら、
「日本の職業的経済学者が、いかにグータラで無能か。『日本の代表的エコノミストは誰ですか』。巷の人に聞いてみるとよい。長谷川慶太郎、大前研一、唐津一、牧野昇。多数の人の口に出てくるこの四人。一人として経済学部出身者はいない。みんなエンジニアである。日本の経済学者は何をしているんだ。こう言いたくなるだろう」(小室『日本経済破局の論理』4ページ)
という文章はどこを突いたら出てくるのだろうか。

 頭脳明晰な佐高は、
「グータラで無能」というタームをも、長谷川を
「持ち上げ」た
「“お仲間”」への
「エール」と解釈するのだろうか。

 それに長谷川以下の4人の顔ぶれは、よく見たら佐高が普段目の敵にしているエコノミストばかりではないか。
 それでもなお、佐高に言わせれば、長谷川は小室の
「“お仲間”」らしい。

 だいたい、どうして単純に、「長谷川慶太郎先生」という言辞をレトリックとして解せないのだろうか。

 本書の中で、小室は宮崎義一という1人の人物を、「宮崎義一氏」、「宮崎義一のおっちゃん」、「宮崎先生」などと呼んでいる。
 これ1つに思いを巡らせただけで、敬称はレトリックの一種に過ぎず、決して駁撃の材料となりえないのは明白ではないか。

 また佐高の論法でいくと、小室は『T』の中で鈴木淑夫のことを
「鈴木淑夫氏ほどの劫をへた老練なる大エコノミスト」、
「日本が誇る大型エコノミストであり、経済学博士である、鈴木淑夫博士」
と言っているのだから、長谷川を本書中でただの1回「先生」と呼んだだけで
「“お仲間”」視する佐高のこと、これほど賛辞を尽くしている鈴木ならば
「“お仲間”」中のお仲間くらい言うのが理の当然なのだが、なぜか長谷川とは正反対の
「槍玉に挙げられている」側になっている。
 各出版社の辞書編集部は、これを「牽強付会」の用例とすべきであろう。

 なぜかと言っても、このように佐高が自分の都合に合わせて評価を捩じ曲げる理由は、簡単である。
 論理によらず、己の感情・偏見によって評価しているからである。

 違うというのならば、小室と渡部昇一が
「“お仲間”」だということを、事実を列挙することによって実証してもらいたい。
 この例に限らず、本稿では至る所で“論理的説明”が省略されている。
 自分は一切論理性を示さず、小室を非論理的だと論っているのである。

「健全なバブル」という言い方が荒唐無稽だというのならば、どういう理由で荒唐無稽なのかを論理的に実証するのが、文字通り理の当然ではないか。
 なぜそれをしないのだ。
 またしないのなら初めから提起しないというのが、物を書く者の常識である。

 小室はちゃんと、バブルの悪弊を2つ、摘記しているではないか。
 それをクリアしたものを
「健全なバブル」としているのであって、この説明は論理的に見て全くその通りである。

 佐高がこれを糾弾したいのなら、この小室の挙げている悪弊2つを逐一検討し、正否を判断し、またこの2つ以外にバブルの悪弊があるのなら、それを提出すべきである。
 これが駁撃の常道である。
 経済に関しては小室よりはるかに精通している佐高には簡単なことではないのか。

 だいたい、
「健全なバブル」というのはレトリックなのである。
 経済の専門家でない我々読者にとっては、マスコミが連発して我々の耳に馴染んでいる
「バブル」という言葉を使ってくれた方が、イメージしやすいのである。
 小室はそこまで配慮して、そういう物言いをしているのである。
 読者への分かりやすさなど考慮したこともないであろう佐高には、想像も及ぶまい。

 小室は、『T』の中でこんなことを書いている。

「そこで、さしあたっての結論。日本は、国名を変更するべきではあるまいか。(略)日本は、『豊葦原の瑞穂の国』という国名を、『豊モーターのスチールの国』とでも改めるべきであろう。さっそく」

 レトリックに関する素養の貧困な佐高はこれを額面通りに受け取るのだろうが、小室は国名を変更するべきだと言っているのではなく、そうしてもおかしくないくらい米作が衰退し、鉄鋼と自動車が発達したと言いたいのだ。

 現在の日本の産業状況の一面を、レトリックを駆使して説明しているのだ。
 こうしていちいち解説するのは、ギャグの面白さを講釈するのと同じくらいバカらしい。

「アメリカ併合」、「ロシア植民地化」については、小室独特の、といっても中学生でも分かるようなレトリックが解せないとしても、その上にまた、ちゃんと、わざわざ断り書きしてある。

「もちろん、ここに『併合』とは『経済的併合』のことをいうのであって、政治的併合、法律的併合ではない」(『U』210ページ)

 ロシアに関しては私が要約するが、つまり円をロシアの法定貨幣にし、ロシアに日ロ株式会社をつくることを、小室流レトリックで
「ロシア植民地化」と言っているのである。

 何度でも繰り返す。
「ロシアを日本の植民地にしてしまえ」と言ってくれた方が、我々一般読者にとっては分かりやすく、さらに先に読み進もうという意欲を刺激してくれるのである。
 この辺が
「なんと読みやすく、解りやすく、歯切れのよきことよ」(立川談志)
という、小室の真骨頂につながるのである。

 さらに繰り返す。
 どんな立派な考えを書いても、読まれなくては、少なくとも商品としての本としては、無価値なのである。

 佐高にはこの一文を、
「ぜひとも百万遍唱え、一万遍書写して、頭に叩き込んで」(『T』59ページ)ほしい。

 佐高はこの明快なレトリックすら速了できず、その上小室の懇切丁寧な断り書きにも気付かず(だからまともに読んだとは思えない)、
「オダ」として片付けている。

 富永健一は、小室の
「稀有な遍歴」から
「彼が移り気だとか、学問内容がマユツバだとか見る人」
が現れることを危惧しているが、佐高がまさにそうである。

 橋爪大三郎は、
「『ソビエト帝国の崩壊』以降の読者は、小室氏の研究者としての側面を知らないかもしれない。まして、教育者としての氏を知らないに違いない」
と言っているが、佐高がまさにそうである。

「朝九時、ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の講義が始まる。十時半からは、川島武宜『民法総則』をテキストに、法社会学の演習。昼休みを挟んで午後は、ヒックスの『価値と資本』、サミュエルソンの『経済分析の基礎』などを教材に、理論経済学の入門コース。線型数学や抽象代数学、数理統計学のコースも毎年のように開かれた。夕方からは、社会学、宗教学などのディスカッションを主体とする、アドヴァンストコースだ」(小室『危機の構造』263ページ)

 このゼミの講師こそ小室である、と言ったら佐高は信じないだろう。
 なにしろ佐高における“小室像”は「『ソビエト帝国の崩壊』以降」に形成されたのであろうから。

「絵に描いたようなハードスケジュールだが、小室氏はどんなに疲れていても、白墨を手に黒板の前に立つと、とたんにシャキッとして、滔々と流れるような熱っぽい講義を繰り広げ、われわれを驚嘆させた。学問に対する情熱という点で、小室氏の右に出る者を私は知らない」(同上同ページ)

 というような小室観は、佐高の偏狭な小室像からは、どこをつついても出てきようがないだろう。
 どころか、富永も橋爪も小室の
「“お仲間”」だとして、彼らの言説に耳も貸さないに決まっている。

 佐高の論法でいくと、小室に連なる人はみな
「“お仲間”」になる。

 小室は、
丸山真男に政治学を学び、
大塚久雄に経済史を学び、
川島武宜に法社会学を学び、
中根千枝に社会人類学を学び、
市村真一・森嶋通夫・二階堂副包・高田保馬に理論経済学を学び、
さらにスキナー、パーソンズ、サミュエルソン、京極純一、前出富永に学んだ。

 これら皆、
「“お仲間”」なのであろうか。

 もはやいらぬ贅言を尽くさずとも、小室が“色分け”の利かぬ1人の純粋な学者としか位置付けようがないのは明らかだろう。
 思想的に保守か革新かという枠組みを超越しているのである。
 確かに小室には潜在的な保守傾向は認められるが、常にそれに縛られてはいない。

 かつて『文藝春秋の研究』という書物において、立花隆が保守思想家として色分けされたことがあった。
 時あたかも『日本共産党の研究』が一大センセーションを巻き起こしていた頃で、その故のことであろうが、周知のごとく、立花はそれ以前に日本共産党の対極たる田中角栄金脈追及も行なっている。
 立花も、保守か革新かの色分けというレベルを超越した、1人の純粋なジャーナリストといえるのである。

 翻って本稿における佐高は、以前の『文藝春秋の研究』の轍を踏んでいるのである。

 佐高が、小室を渡部らの
「“お仲間”」と見做している根拠と思われる、『田中角栄の呪い』(小室著)を一読すれば、明瞭である。

 小室は何と言っているか。

「私には角栄を弁護しようという意思はない。“角栄学”を確立せんと、事実の断片を、学問の方法で組み立てていっただけだ。結果として、彼を守ることになるか、致命傷を与えることになるか、興味はない」(3ページ)

 この宣誓がウソかマコトか、同書を通読するまでもなく、目次を一瞥しただけで分かる。

「角栄学講座」5における章題は
「ロッキード事件の角栄は無罪である」だが、次の同6における章題は
「創価学会問題の角栄は大罪」となっている。
 一目瞭然。

 小室は、保守か革新かという色分けに汲々としない。
 純粋に「学問の方法」に基づいて、種々の論題に見解を示す。

「(略)たとえば、立花隆の『田中角栄研究』は類書数十冊にもはるかにまさるとの評価に私も賛成だし、筑紫哲也『総理大臣の犯罪』、室伏哲郎『人間田中角栄の秘密』などは、かけ値なしの名著で、教えられるところも多かった。また、戸川猪佐武『君は田中角栄になれるか』と関口孝夫『欺民田中角栄』も、たいへん面白かった」(同上28ページ)

 なんと小室は、『論駁』において小室を論駁した立花の著書を、誉めている。
 もし佐高がこのときの小室の立場であったとしたら、『田中角栄研究』を
「こんな『ジャンク・ブック』ならぬ『狂書(マッド・ブック)』とでも評していたことであろう。

 もっとも、思想家の色分け自体には私は賛成する。
 最近よく、
「冷戦構造がなくなった現在、“保守対革新”という対立構図はもはや時代遅れ」
と言われるが、私は思想家の色分けはどんどんやってほしいと思っている。

「『君子は、人によってその言をすてず』(『論語』公冶長第五)」(『T』)
と小室も引用して言っているが、唯一この点に限っては、佐高に頑張ってほしいと応援しているのである。

 いや、正しくは応援していたと言うべきか。
 佐高の駁撃は本稿の小室に限らず、悉く低質で要領を得ず、正鵠も射ない。
 一言で言えば、まともな駁撃ではないのである。

 私は、期待していたのだ。
 これまで、革新(というのはあまり的確な形容でないが)側は保守側に攻撃されっぱなしだった。
『諸君!』(文藝春秋)の「紳士と淑女」を見ると反吐が出た。
 彼らは自分たちの都合のいいように時事的論題を歪曲して語り、大衆を煽動していきそうな危険性があった。

 しかし、なぜか朝日・岩波を中心とする革新側は反駁に出ず、ひたすら沈黙を守った。
 間もなく朝日が脱落し、岩波が文字通り
「孤塁を守って奮闘」(家永三郎)する立場となった(実際には新聞界に『毎日』がいるのだが、如何せん基盤が弱い)。

 そこで登場したのが「佐高信の今月のジャンク・ブック」である。
 私は待ってましたとばかりに、拍手喝采して迎えた。

 期待は失望に変わった。
 読んでいくうちに、
「なんか違うぞ」という違和感を覚えるようになった。
 しかし他にこのような機能はないので、なんとなく存続を傍観していた。

 今回のことで決定的に、訣別することにした。
 なにしろ佐高には、まともな駁撃ができない。

『世界』今年('93年)5月号「知識人の退廃と怠惰」の中で、岸本重陳は以下のように言っている。

「まず、品位のない表現を撒き散らす論が少なくないのだ。誰でも、品位のない表現を口走りそうになる時はある。だが、人を説得することを意図する言論としてなら、品位のない表現を抑制するのでなければ、説得のための論理の力は獲得できないのではないか」

「論理では説明がついていない。論理がないのに論理があるかに装う」

「何とも無残な表現だ。こうした悪罵、ののしり、きめつけ、当てこすりの風潮が、顕著になっている」

言論なら、その力の源泉を論理性に置かなければならない。自分の展開する論理に限界があることを自覚すれば、おのずと品位がそなわる」(太字引用者)

 特に最後のやつは、佐高に、これもまた
「ぜひとも百万遍唱え、一万遍書写して、頭に叩き込んで」(『T』)
もらいたい。

 岸本のこれらの苦言は、
「『右の連中』」に対して呈されているのだが、そのまま全部、佐高に対してあてはまる。

 一体佐高は、何様のつもりか。
 論理性の全く欠如した、単なる罵詈雑言の羅列に過ぎぬ本連載は、
佐高のストレス発散であり、
支離滅裂な愚痴であり、
独り善がりであり、
排泄物であり、
評論の死体であり、
「資源ムダづかい」である。

「『正面から応じる』論が求められている」(岸本)
のである。
 しかるに、佐高は
「正面から応じ」ず、専ら揚げ足取りに興じる。

 私は断じる。
 佐高は本書に関しても、小室に関しても、一知半解である。
 従って、
「右の連中への反駁」という重要な機能を担う資格はない。

 佐高は、論への反駁と、人への非難との区別がつかない。
 意図的に混合している。

 佐高の「駁撃」は、パターン化している。

 こいつはこんな偉そうなことを言っているが、こいつの身分正体は××である。
 だからこいつの言うことはマユツバである。

「全編ほとんどこの調子」である。

 谷沢永一は
「バリバリのアクティブなマルキストだった」。

 上坂冬子は
「“豊田藩”で月給をもらっていた」。

 牧野昇は
「権力欲の強い人間が往生際悪くしがみつくポスト」
にあり、なおかつ
「イワクつきの雑誌(『経済界』)が出す『経済界』大賞の審査委員長を随分長くやっている」。

 中曽根康弘は
「海運主計少佐に逃げた」。

 大前研一は
「ヤマハ、住銀、野村」
というトラブルのあった会社に
「診断」を施していた。

 弘兼憲史は
「何年間か、毎朝、松下電気の社歌を歌い、巻物に書かれた七精神を唱和していた」。

 田原聡一朗は
「一度、盗作騒ぎを起こしている」。

 だから、何だというのだ。

「悪書への駁撃」という本旨と、何の関係があるのだ。

 佐高の論調に従えば、スネに傷持つ者は、永遠に更生できない。
 死ぬまで日陰でひっそりと、人目を憚って生きていかねばならない。
 更生し立身出世などしようものなら佐高の悪態がとぶ。
 素生の卑しい者がいくら立派な考えを述べても認められない。
 一度たりとも道を誤った者は、永久に復権できない。

 佐高はビートたけしも嫌いなようだが、私はたけしの著書を愛読している。
 たけしの意見は確かに暴論かもしれないが、
「言っていることが明瞭に分かる、伝わる」という意味においては、言葉の最も正当な使用法、最も基本的かつ根源的な使用法をしているといっていい。
 文筆家の才覚という点で、ビートたけしは佐高より数段上である。

 このような佐高が、
「辛口批評家」だの
「御意見番」だのとでかいツラをして、図に乗って『現代を読む――100冊のノンフィクション』といういかにもしたり顔をした本を出した。
 笑止千万、ちゃんちゃらおかしい。

『世界』編集部の方々も、
「こんななずではなかった」と少なからずとまどっているはずである。
 そう、企画は全くすばらしいのだが、人選を誤った。
「まともな駁論」のできる人を選び直すべきである。

『国民のための経済原論』は、類いまれな名著である。
 私が小室を崇拝しているから言うのではなく、本書そのものを評価して言うのである。

 それを
「資源ムダづかい」だの、
「狂書(マッド・ブック)」だのというのは、全くの的外れである。

 私は、佐高が小室を罵倒しているから怒っているのではない。
 まともな駁撃をしていないから怒っているのである。
 
 河上肇は
「殊に蛇の道は蛇で、人間の性情の悪処ばかり好んで観察する底の人は、多くは其の人物下劣なリ」
と言ったが、佐高はまさしくこれなのである。

 岩波書店『世界』編集部の良識に告ぐ。

 今年('93年)の間この調子が続くなら、こよなく愛す貴誌の購読をやめる。

 文筆家にあるまじき佐高の犯罪的牽強付会に抗議の意思表示をするためである。

 誰も佐高の排泄物など、見たくもない。

posted by nobody at 21:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月05日

リアリティーと夢想性のバランス、ロックとしての青春 〜山川健一『僕らは嵐のなかで生まれた 第1部 初めての別れ』〜

「青春小説」というのだろうか。
 というといささか古めかしい語感を催すきらいはあるが。

 村上龍『69 sixty-nine』や村上春樹『ノルウェイの森』、三田誠広『やがて笛が鳴り、僕らの青春は終わる』『高校時代』、そして本書。

 これらの本はどうしてこうも読みやすいのだろうか。
 抵抗なくスッと胸に入ってくる。
 遅読をもって鳴る私が、この本は足掛け2日で一気に読んだ。
 いや「読まされてしまった」といった方が近い。

 中学、高校、そして今では大学も含めて、「学生生活」「学校生活」というものは、山川も言うように
「誰でも一度は経験する普遍的な青春という時間」(あとがき)
である。
 これが最も大きな読みやすさの背景だろう。

 しかし不思議なことに、上に挙げた「青春小説」群はどれも私の学生時代よりも一昔前の情景を描いている。
 私の生まれた頃学生だった世代が主人公である。
 
 つまり私の直接体験ではない。
 なのに魅かれる。

『ノルウェイの森』などは、読んでいる最中まで20年も前の頃の話だとは解らなかった。
 その世代の差を感じさせない、まるでつい最近の情景を描いたようなみずみずしい文体は1つの驚嘆だった。

 みな、'70年代前後のいわゆる“学生運動”をベースにしている。
 少なくともそこには登場人物達の力いっぱいの生き様があり、躍動があり、それが魅きつける原因なのだろう。

 ということは、それ以降の'80年代、'90年代の学生生活というものは、極めて小説になりにくい、偏平な、くそ面白くもない素材に成り下がり果ててしまったのだろう。

 確かに私は“学生運動”自体に重大な関心を寄せる者だが、さりとてそれが前面に出ているのがいいと言っているのではない。
 最も前面に出ていた作品といったら本書で、それでもアジ演説が少しだけ顔を出している程度である。

 本書もそうだが、たいてい主人公達はむしろそんな運動には及び腰で、勝手気ままにやっている。
 だから私が魅かれるのはあくまで運動は別にした躍動感あふれる生き様なのだ。

 かといって舞台の大きな底流として“運動”があったことは無論重要なファクターとなっている。

 本書と一番近似なのは『sixty-nine』である。
 '69年という時代設定からまず一致している。
 
 そして私の知らないアーティストや曲名の連発。
 それによる雰囲気づけ。
 主人公の抜け目のない機転。
 実際のバリケード闘争という形で現れた“運動”の実践。
 テレビで東大安田講堂攻防戦の中継を見ていくばくかの影響を受けたというくだりは『sixty-nine』にもあったはずだ。
 そして恋。

 そういえば相手の女性が主人公と同じ音楽的趣向を示すという点も共通する。
 こんな幸運な偶然は今ではとても難しくなった。

 さらに主人公の父が一定の社会的地位にあり(すなわち経済的に裕福)、息子に理解を示す点。

 思い出していくと際限がなくなりそうである。
 主人公がカッコいいというのも、さほど強調はされないが当然の前提となっている。
 あと、著者が実際に音楽活動をやるようになったというのも同じ。

 恋に関しては、本書の方が濃い。
 具体的には性描写があるということである。
 この点は『ノルウェイの森』に近い。
 性描写は「青春小説」、それも落ち着いた風を醸し出すものほど、必要要素的になってくる。

 それがぐいぐいと読む気をそそらせるのは事実だ。
 だからこの部分だけ取り出したら、安っぽいピンク小説と変わらないことになる。
 しかしこうして純文学に現れているのだから、両者の境界はあやふやといってよい。

 例えば谷崎潤一郎や吉行淳之介は、大まじめに性を主題として描き続けたのだから、性(描写)は純文学の立派な要素として認知されているのである。

 そこへいくと、ミステリーと純文学の垣根はそれよりも高いようである。

 しかしこう考えてくると純文学そのものの独自性、“自尊性”とは一体何なのか見えにくくなってくる。

 小説というものの成立条件の妙について考えさせられた。

 つまりあまりにも主人公・川口謙一郎にとって虫が良すぎる、できすぎな設定なのであるが、かといってそれが作品のリアリティーをおとしめ陳腐にするということはないのだ。
 むしろそうした“非現実さ”は、読者の夢想をくすぐるという必須の役割を果たしているのである。

 かといっていくらでも非現実的であって良いかというともちろんそうはいかず、一定のしっかりとした現実性に基づいていなければ小説としての体裁が崩れるのである。
 この辺の兼ね合いの微妙さに、文学の特有性が潜んでいるのだろう。

 そこからいくと、現実性の根拠を一切顧慮しなくていいと割り切った「文学」がSFと分類されるのではなかろうか。
 といっても、ここも面白いところだが、SFにもSFなりのリアリティーが必要で、ただ荒唐無稽なだけのものはSFとしても認められない。

 この辺はかねがねテレビドラマを見て思ってきたことと通底する。
 テレビドラマの世界は全くの虚構の世界で、現実としてはありえないストーリーが展開する。
 
 しかし、それは大衆の願望の“モデルケース”として作用する。
 そしてそれこそが、ドラマが大衆に果たす役割なのである。

 かつてこの私にもドラマのキャラクターから行動の指針を得ようとした時期があった。
 後になってその“非現実性”を思い知るに到り、なんと浅はかだったのだろうと自省した。

 かといって、そのできすぎたモデルケースをさっぱり念頭から払ってよいということにはならない。

 謙一郎は中学年のとき、同じ体操部の藤川恵美から手紙で愛を告白される。
 つまり好きになるのは女の子の方からである。
 見事に男の願望である。
 で、彼女と付き合うことになる。
 
 最後に彼女は白血病のため高校1年で夭折してしまう。
 女の子が若くして死ぬというだけで、男はもったいないと思う。
 抱いておかなかったのが悔やまれる。

 が、彼女は処女ではなくなって死んでいる。
 まるで1回体験するのが女として生まれてきた使命であるかのようである。
 相手はもちろん、謙一郎である。
 男の潜在願望を見事にくすぐっている。

 なおかつ謙一郎は長根裕子からも一途に好かれる。
 この長根裕子が、3年生からも狙われるほどのマドンナ的存在である。
 あまりにもうまい話だが、『sixty-nine』の主人公・ケンも学校一の美人とされる同級生と付き合っており、この辺は似通っている。

 謙一郎もケンも(2人ともKenだ)、偏差値秀才ではないが思想を整然と話す力があり、極端なバリバリのワルでもないが見た目はいわゆる“不良”である。

 そんな裕子なのに、謙一郎からはないがしろにされる。
 ここまで到れり尽くせりだと、さすがにイチャモンを言いたくなる。
 学校一のいい女が、一方的に謙一郎にお熱なのである。
 その報われない姿は痛々しいほどである。

 ここまで考察してくると、商品としての文学や映像は、需要を引き出すことは簡単である。
 需要を引き出すということは願望をくすぐるということである。

 願望をくすぐるにはどうすればいいかというと、いい女を登場させればいいのである。
 いい女を登場させ、感情移入される存在としての主人公に惚れさせればいいのである。
 一途なほど良い。

「いい女」というのは大衆市場ではほとんどが視覚に拠るから、映像や漫画の方がたやすい。
 
 簡単な話、私に映画の制作指揮権があれば、商品としてペイする作品などすぐに作ってしまえる。
 1人の群を抜いた10代の美人さえ見つければいいからである。
 それだけで作品は7分がた完成したも同然である。
 あとは“もっともらしさ”をこさえつけるだけである。

 試しに流通している漫画を見てみればよい。
「いい女」の出ていない人気漫画を見つけ出すのは至難の業だろう。

 こういった需要のくすぐり方は、マーケティングが担当する。
 その面から見て、本作品は良くできている。
 それを迎合とはいわない。
 作家といえど商品市場で生活していかなければならない以上、マーケティングを無視してよいというわけにはいかない。
 またそうしたくすぐりこそが、視覚的に空疎な活字の羅列を読み進む意欲をかき立ててくれるのも確かである。

 一体、現実に徹した小説があったとしたら、それは作文か自伝か日記である。
 それらの筆者への興味や体系的な研究心があれば読む価値も生じようが、それ以外の人にはあまり意味がない。

 やはり小説には、いくらかでも夢想を満たしてくれるものがないといけない。
 この辺が、坂口安吾のいう戯作性ではなかろうか。

 単に夢想というと語弊があるが、それに重きを置いたのがSFやミステリーで、それらから見ると純文学はすでに退屈な作文のごとく映っているのである。
 純文学における夢想性、それは一筋縄ではいかぬデリケートな問題である。

 本書自体の感想というよりも本書をきっかけとして思い到ったことをつらつら述べる形になった。
 やむを得ないが、最後に本書の内容についての雑感を書き並べておこう。

 自伝的小説だから、山川はとりも直さず謙一郎に自身をダブらせている。
 しかし作家のある種の貪欲さか、阿部昌太にも二股をかけてダブらせてある。
 昌太は小説をものしており、謙一郎の兄貴分的理解者として登場してくる。

 山川は昌太への投影で知の部分を満足させているといえる。
 謙一郎への投影では青春本来の純粋なロマンを満足させている。

 藤川恵美は画像イメージとして、体操部の練習で謙一郎に背中を支えてもらいながらしなやかにブリッジしている姿が刻印された。
 遠山景織子のイメージがぴったりだ。

 特有の文体というか言葉として印象に残ったのは、謙一郎の「××って」という話し言葉の語尾。
「やめてくれって」「そんなことないって」などと。
 ビートたけしの著述もこれが特徴的だった。

 それと、「ヒップ」。
 いかした、というような意味らしい。

 全体に漂う雰囲気は、まるでロックそのものといった感じである。

 特に最後、恵美が死んでから、謙一郎は生前の彼女がバイク屋のショーウィンドウの片隅にルージュで書いた
「KENICHIRO&EMI WERE HERE.」
という落書きをバイクを飛ばして見に行くのだが、そのシーンはアースシェイカーの「泣きたくて」の中の
「2人いすを並べて 並んで座ったテーブル いたずらな落書きは泣きそうなピエロ」
という一節を脳裡にフラッシュバックさせた。

 本書は長編の第1部である。
 続編をぜひ読んでみたい。
posted by nobody at 04:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年07月03日

洗脳されても幸せだったらそれでよいか 〜エーリッヒ・ショイルマン『パパラギ はじめて文明を見た南海の酋長ツイアビの演説集』〜

 もしこの本に出会ったのが3、4年前だったならば、もっと根源的なショックを、あるいは理解不能なまでに受けていたに違いない。
 まさに
私たちにはもう絶対に持ち得ない視点」(エーリッヒ・ショイルマン=原著者)
と感じたに違いない。
 
 ところが現在の私の心境からは、極めて当たり前のことを言っているとしか映らない。
 その意味で斬新なショックというのはない。
 
 といって、もちろん得るものはなかったといいたいのではない。
 自分の今の心境の拠って立つ価値モデルとして、深く再認識した。
 言葉を換えれば、理想社会のあり方を構想する上で「大草原の小さな家」と同じように大きなヒントになったということだ。

 現体制社会を享受し否定しない、改良するとしても改良主義的にしか手を加えなくて良いとする人は、価値観全体を揺るがすほどのショックを受けるだろう。

 その反応行動として、まず笑うだろう。
 この本の推薦者どころか、直接本書に登場している出版関係者にまで、その告白が読み取れる。
 あまりにも“突飛な”、しかしそれでいて反論しようのない提示を受けると、もう笑うしかないのである。

「思わず苦笑苦笑、苦笑し続けた」(遠藤周作)、
「また愉快にも感じる」(谷川俊太郎)、
「みんなの笑い声を、はっきりと覚えている」(岡崎照男=訳者)。

 笑うということは、まだ正当性を自分の方にがっちりと置いているということである
 表面的にはツイアビの洞察の正しさを認めながら、心の中では
「しかしながら乱暴だ」「極端だ」
現実的な判断を下しているのである。
「それはそれとして聞いておこう」
というわけである。

 たとえて言うと、一番ピッタリなのがブームとしてのアウトドアである。
 RV車や大型テント、バーベキューセットなど多大の出費をして野や山に出向き、
「ああやっぱり自然は素晴らしい、目に染み入るような緑だ、空気の味からして違う」
と自然を満喫しながら、そこを生活の場としてはゆめゆめ考えない。
 あくまで彼らにとってアウトドアとは一時的な息抜きであり、その場は都会の一時出張所に過ぎないのである。
 そのような人にとっては、この本は良き“一服の清涼剤”として作用したことだろう。

 またそのような人々の反応として最も典型的なのが柏村勲による次のくだりだろう。

「ツイアビがいうように、文明は彼等に光りを与えるのではなく、暗闇にひきずりこもうとするものなのだろうか。私達の文明は、果たして、私たちをユートピアに運んでいってくれているのだろうか。私たちが住んでいるこちらの世界は、もしかすると間違いだらけなのではないだろうか。私たちは、こちらの世界の視点から、たまには(まさにアウトドア的)あちらの世界の視点に転換して、酋長ツイアビの言葉を噛みしめ、全てのものを見直してみる必要があるのではないだろうか」(太字・カッコ内引用者)。

 度を越すと、それはベルトールト・ディールによる次のような現体制にどっぷりと浸り切った言葉になる。

「確かに私たちの現実はそのとおりだ。しかしそれはそうでなければならなかったことだし、…」(太字引用者)。

 まるで古典的素朴社会進化論のような物言いである。

 そこへいくと開高健、浅井慎平、村上龍らの反応はまだ健全である。
 村上は
「『パパラギ』は、単に、「現代人が失っている何かについて考えさせられる」だけの本ではない」
と言っているが、先に挙げた遠藤、谷川、岡崎、また柏村、ディール、ひいては世の大多数の読者は、『パパラギ』を、
「単に現代人が失っている何かについて考えさせられるだけの本」
と捉えているのである。

「笑い」に関する深刻な意味は、即ちツイアビの言葉に対する“文明人”の反応の違いの持つ意味は、ショイルマンによる以下のくだりに明らかである。

「私が、彼とほとんどくっつくようにして生活していた一年以上の間――私はその頃、村の住民のひとりとなっていた――私の中のヨーロッパ人的なものを、彼が残らず乗り越え、忘れ去ってくれるまで、私は決して友としては扱ってもらえず、私たちがようやく友だちとなってからはじめて、彼はうちとけて話をしてくれたのだ。それは私が、彼の素朴な真理を十分理解できるまでに成長した(=洗脳をとく)ことを、そして決して笑い出さないことを彼が知ったときであった(事実、私は一度も笑わなかった)」(太字・初めのカッコ内引用者)。

 この本が、いわゆる「出るべくして出た本」ならば、私をこれほど魅きつけることはなかっただろう。
 この本は、様々な偶然を経て、活字となったのだった。
 
 まず放浪好きの一風変わった男が、サモアへ渡る。
 さらに原住民とともに1年以上の共同生活を送り、うちとける。
 そこでやっと、ショイルマンはツイアビから話を聞き出すのである。
 しかも結果的には信義則を反古にするように、
彼の了承なしに、さらにはその意志にさからって」(ショイルマン)、
この本を世に出したのである。
 無論ツイアビは、この話を世に出そうなどさらさら思わなかった。

 ここに、この本が他の一般の本とは違って、ある種の特別な事情を有するゆえに慎重に深刻に読まれねばならぬ理由がある。なぜなら一般の本は、著者が世に出そう出そうと張り切った、「出すべくして出した本」だからである。その中で一定の世評を得たものは、「出るべくして出た本」と言われることになる。

 その辺を心して読まないと、
「ツイアビが実在の人物であったかどうかはわからない」(朝日・天声人語)
などという浅はかな読みしかできぬことになる。

 別に「出すべくして出した本」なら全てが悪書などと言うつもりはない。
 ただしそこには必ず読者を意識した味付けがある。
 
 良い悪いではなく、広く読まれることを意識していない本だと、リアリティーの重みが違ってくる。
 笑った人も朝日も、この本のもつ深刻さを理解することなく、一般の本と同様にスラッと読んでしまったのである。
 あるいは、あまりに洗脳の度が進んでいるゆえに、その深刻さに気付けなかったのだろう。

 ショイルマンは、
すべてのヨーロッパの文化的業績を、ツイアビ、この文明を持たない島の住人は、誤りとして、出口のない袋小路として見ていた」(太字引用者)
と言っている。
 
 そう、すべてなのだ。
 この点こそ瞠目すべきである。
 すべて、即ち体制そのものの過ちである。
 それを糺すには、体制全体の交替、革命しかない。
 あまりにも簡単な理屈である。

 ツイアビが目のあたりにした文明は、まだ発声映画も登場していない20世紀初頭、第一次世界大戦前の文明である。
 彼は既にこの時点で、
「私たちは、哀れな、迷えるパパラギ(白人)を、狂気から救ってやらねばならない」(66ページ)
と、ヨーロッパ社会に“狂気”を見ている。

 そこからの時間の経過だけで、気の遠くなるほどの“発展”を今、経ていることが解る。
 '92年に、'74年に出版された宇沢弘文『自動車の社会的費用』を解読したときのことを思い出す。
 そのとき既に、自動車量は2倍になっていたのである。
 '60年から見ると20倍になっているという、一見信じ難い書かれ方をしていたのもあった。

 現在からみると乳呑み児の如き時期だったヨーロッパ文明が狂気ならば、現代欧米文明はどうなるだろうか。
 さらにその現代欧米文明から「異星人(エイリアン)」「ロボット」「理解を絶する」と言われる現代日本はどうなるのだろうか。

 ここで私は鎌田慧『自動車絶望工場』との対比を試みたいのである。
 日本のコンベア労働のひどさは、アメリカの比ではない。
 同日の談ではない。

 鎌田は、
「アメリカでも労働争議が持ち上がった、その労働条件のひどさときたらこうだ」
という報告を読んで、
「信じられない」
と言っている。
 自分のやっている1秒の休みも許されないコンベア労働からすると、あまりに牧歌的で信じられない、というのである。

『パパラギ』は第一次世界大戦の勃発をもって結びとなる。
 ひょっとしたら今我々が生きている世界は、霊界なのかもしれない。
posted by nobody at 04:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月27日

革命家として生きることの現実 〜立花隆『中核VS革マル』〜

*本項は以下の3稿から成る。
@読書録(未完)
A革マル派イカサマ論
B中核VS革マル戦争における死者(70・8・4〜75・9・12)

@読書録

「原案vol.9」に、革マル派のおかしい点7つを、原稿用紙にして23枚半に及ぶ分量で
「革マル派イカサマ論」と題して既に述べたのでこの読書録は省略しようと思っていたのだが、その後
「中核VS革マル戦争における死者」を一覧表にまとめた際に触発されたりして、やはりまだ深いものがあると改めて思ったので書くことにした。
 ただ紙数の関係もあり、“深いもの”をまとめきれるかどうかはわからない。

 私はこの本を読むまで、日本に日本共産党以外の共産主義を掲げる政治党派があるとは知らなかった。
 しかもちょうど日共へ胡散臭さを覚え始めた頃だったので、私の思想的視野に新局面を開く1冊となった。

 立花の著作にはかねてから関心を寄せていたが、そのリストの中にある『中核VS革マル』にはまるで目が向かなかったし、何の本なのかという具体的イメージも湧かなかった。

「中核派」というものについても、ごく希薄な認識しかなかった。
 たまに新聞の社会面に爆弾事件等を見ることがあったが、何のためにそんなことをするのか解らなかった。
 これは私の政治意識の未熟さもあるが、マスコミが意図的に彼らの存在自体を隠蔽しているということもあった。

 本来ならば、
「中核派とは共産主義党派で、その暴力革命路線に基づいてこうした爆弾闘争を行っている」
と報道すべきであるのに、その客観的事実自体が“宣伝”になるので、権力=体制の情宣機関たるマスコミは新左翼の存在自体を社会的に抹殺し、
「過激派」というわけのわからない暴力集団がヤケッパチな凶行を繰り返し、善良な無辜の市民に被害をこうむらせているという図式で洗脳を図る。
 今でも一般大衆は「過激派」というのをそういう目で見ている。

 こういう次第で、新左翼の社会的連帯の芽は完全に断たれている。
 無論“ブルジョア・マスコミ”がかくのごとく動くことは新左翼の了解済みのことであるにしても、このことはマスコミがただひたすら真実のみに殉じるという公務から外れて違う何かの動因に基づいて動いていることを、少なくとも明らかにしている。
 そしてかくのごときマスコミのふるまいは、まともな民主主義社会の発展構築を正面から阻害するガンとなっている。

 そのようなマスコミに基づく極々貧弱な基礎知識で本書を読むと、まずのっけから圧倒される。  
 そこに自分の求めていたものをやっと発見したという最高度の精神的高揚も加わって、それは真に衝撃である。

 テレビでよく「何十年史」と題して戦後社会を振り返るVTRを流すことがあるが、それにいつも物足りなさを感じていた。
 その精神的欠落がすっぽり埋まった。

 もちろん「あさま山荘事件」「東大安田講堂攻防戦」等のVTRを流さないことはないが、その公正な意義づけは、前述のようなマスコミのありていによってなすわけがないからさっぱりわからない。
 反対に権力に都合よくいくらでも捩曲げられている。

 なるほど、戦後社会は着実に進歩と繁栄を辿ってきたとするのが権力の描く“正史”だから、そのようにみせかけるために新左翼の軌跡は真っ先に排除するわけだ。

 この日本で、この現代日本で、“日本革命”を目指して闘った者達がいたのだ。

 最初私は、年表の
「法政大会戦」とか「東神奈川会戦」とかの言葉を、即座に解しかねた。
 あと、
「せん滅」とか
「鉄槌」「誤爆」とかもそうである。

 確かに
「誇大な罵倒語」ではある。
 しかしそこで終わればそれまでで、真の衝撃は、
「誇大な罵倒語」が
「誇大な罵倒語」として終わらぬところにある。

 実際に、死者が出ているのだ。
 事実として、殺し合いをしているのだ。

 本書の原稿執筆終了時点('75年7月)で、死者数31名。

 しかも本書は時期的に中核VS革マル戦争をおおまかに覆っていたのではなく、これからまさにピークに向かわんとしているところで終わっている(その契機となったのはもちろん'75年3月の本多書記長虐殺である)。

 “内ゲバ史”には'77年2月の解放派中原書記局長虐殺というもう1つの山があるから、本書は内ゲバ史さえ網羅し切っていないのである。
 それどころか前述の通り中核VS革マル戦争の途中史なのである。

 なぜそんなことをいうのかというと、著者を責めているわけではなくて、それほど、いわゆる新左翼史というものが多重多層的であるといいたいのである。

 私は初め、本書を読みさえすれば新左翼史の把握は充分だろうとタカを括っていた。
 ところが新左翼史には、“内ゲバ史”もあれば、赤軍史、爆弾史、ベトナム反戦史、'60年安保史、三里塚闘争史、労働運動史、全学連史、全共闘史など、多彩な要因が重なり合っているのだ。

 もちろん本書だけで新左翼史全体を把握することはできないが、さすがに立花らしく、基礎の基礎から叙述を積み上げてあるので、少なくとも新左翼のなりたちから'75年までの主だった経緯をこれだけ要領よくまとめ切ったものは他にないだろう。

 特に
「抗争前史」は簡潔であるが、それだけ複雑な内容を凝縮してあるので、当初はきちんと把握できなかった。
 ブントと革共同が新左翼史の二大濫觴であることが解っていないとダメだ。

 正直言ってプチ・ブル的生活への思いを捨て切れていない私にとって、本書に描かれている革命家として生きることの現実は、あまりに凄惨で生々しかった。
 なるほど、
「両派の活動家で、一人として安穏な市民生活を送っている者はいないだろう」。    (未完)

A革マル派イカサマ論

 私は、中核派と革マル派の抗争に関しては、一貫して中核派が正しく革マル派がイカサマだと見做してきた。
 その論拠を、主に立花隆『中核VS革マル』を基にして、7つほど具体的に挙げておこう。
 読めば読むほど、論拠となりそうな具体例が増えていく。

 まず1つ目は、69年1月18日の東大安田講堂攻防戦における“敵前逃亡事件”である。
 これは裏切り以外の何物でもなかった。
 またこのとき革マル派は戦略的要所に就いていたので、その突然の放棄は学生側投降の致命的原因となった。

 そして2点目につながるのだが、この全共闘の方針を間違いとするのなら、革命の目指し方を誤りとするのなら、最初から参加するな、ということである。
 間違いとするものに参加するのは、虚勢張りであり偽善である。
 アリバイ作りと言われても文句は言えない。

 革マル派ではないが、最も象徴的なのが67年10月8日の第一次羽田闘争における日共の行動である。
 日共はこの日多摩湖畔で「赤旗祭り」を行い、羽田へ送ったのは民青の代表数十人だけだった。
 まさに形だけである。
 多摩湖畔で「赤旗祭り」を行うのが正しく、第一次羽田闘争が誤りだと考えるならば、なぜ中途半端に何十人かを羽田へ派遣したりするのか。

 革マル派に戻る。
 革マル派の中途半端な街頭闘争への参加ぶりは、特定の闘争に限らず、闘争一般に表れている。
『中核VS革マル』にはこうある。

「そして、自分たちの街頭行動にあたっては、決してハネなかった。ヘルメットをかぶり、ゲバ棒をかついでも、機動隊と正面衝突して武力戦をすることはなかった。歩道の舗石を打ち砕いて投石用の石を大量にこしらえるところまではやるが、機動隊がやってくると、さっと身を引いて、ろくに投石もせずに逃げ散るというのが、革マル派のスタイルだった」((上)114ページ)。

 投げない石を、どうして作るのだ。
 使わないゲバ棒を、なぜかざすのだ。
 街頭闘争を否定するなら、なぜ出てくるのだ。
 矛盾だと思わないのか。

 同ページに、革マル派の、中核派に対する
「街頭行動の現実的左傾それ自体に意味を見出す行動左翼集団」
という批判がある。
 私にはこれがなぜ批判の言葉になるのか解らない。

 さて3つ目は、上述のように対権力においてはてんでへなちょこのくせに、内ゲバ、つまり対同志戦という本来ありうべからざる局面においては、一転して猛烈徹底なる武力を浴びせるという点だ。
 実は権力と結んでいるという“邪推”材料として、これ以上解りやすい図式があろうか。

 半殺し狙いの暴力を最初にふるったのは、『中核VS革マル』を読む限りでは革マル派(対解放派、(上)126ページ)である。
 無論抗争のエスカレートというものは、論争→殴り合い→半殺し→殺人と、その場その場のほんのはずみで不可逆的に上昇していくものだから、全部が全部革マル派が悪いというわけではない。
 しかし革マル派に、半殺しや殺人も厭わないという体質が備わっていたことは、否定しきれないように思う。

 きれいにまとめると、次のようになる。

「ともあれ、革マル派のかくのごとき内ゲバにおける熱心さは、他党派の怒りをかった。革マル派が街頭では穏健な行動に終始していたから、なおさらだった。権力に対しては一度だに向けたことのない武力の鉾先を、他党派に向ける革マル派、という非難が浴びせかけられた。権力とは闘わず、権力と闘っている党派と闘うとは、革命党派のやることか、むしろ反革命ではないか、と批判された」((上)126〜127ページ)。

 念のために言っておくが、過虐なる暴力性は、残念ながら革マル派の“特異体質”ではなさそうである。
 新左翼諸派全体に、潜在的に備わっている体質といわなければならぬようである。
 まだひょっとして日共や革マル派のような“権力の刺客”の属性なのかもしれぬという希望的観測も残ってはいるが、いずれにしろこの点に関してはさらなる考察が必要である。

 4つ目は、成田闘争の解釈である。

「三里塚に関しては、革マル派はもともと農民の小ブル的私有財産意識から発したナンセンスなものと見ていた」((上)199ページ)。

 この見方は全くの間違いだと思うのである。
 三里塚闘争の契機は、戦争と同質の国家悪の発露、つまり問答無用の大衆蹂躙にある。
 大衆の革命への目覚めとして、これ以上はないというほどの契機である。

 革命党と大衆との連帯のモデルケースとして、これ以上のものはあるまい。
 革命党の今後のベクトルは、三里塚闘争に示されている。
 それをナンセンス、農民は権力の押し付けに黙って服従すべきであったというのだから、話にならない。
 革マル派は一体、大衆の獲得ということを考えているのかと言いたくなる。

 革マル派が「党建設第一」という理屈も解る。
 街頭闘争にのめり込むのを「小ブル急進主義者の誤れるはね上がり戦術」と言うのも理がある。
 だがそれを中核派の行動に対して言うのは間違っている。

 武器・戦術の過激化は中核派よりもさらに左の最左翼・赤軍派や東アジア反日武装戦線に見られたのであり、それは確かに「はね上がり」的に見えないこともなかった(心情的には批判したくない)。

 しかし問題なのはその批判のしかた、口調なのである。
 もし革マル派が、中核派と同じく革命を志すのならば、穏やかに、説得口調で、いわば諭すように批判せねばならないのは当然である。
 なんといっても仲間だからである。
 まず心意気をよしとする前提がなくてはならない。

 例えば69年11月5日の大菩薩峠における赤軍派53名一斉検挙について、中核派は
「諸君の闘いが、これからの階級闘争の新しい段階をきりひらいてゆくうえで不可欠の領域に一歩ふみこんでいることは明白であり、貴重な経験であるとわれわれは考える。またそう考えるがゆえに、われわれはいくつかの点について注意を喚起せざるを得ない」((上)141ページ)
といった調子で論評している。
 これなら赤軍派も以下に続く批判を素直に受け止めることができるだろう。

 これに対し革マル派の論評は、
「赤軍派は誇大妄想患者、塩見(赤軍派議長)に扇動され、二百の機関銃隊、三千の抜刀隊による一週間の国会占拠などという超時代的方針をかかげていたが、スパイの内通により『一揆』を前に『前段階崩壊』した」((上)同ページ)
と、まさに「バカにしきった調子」である。

 まるで自ら敵を作りたいと言わんばかりの物言いではないか。
 こんな挑発的な言い方をして何の得があるというのか。
 まともに考えればこんな言い方をして得があるのは権力側、反革命側ではないか。

 右翼が左翼に対して言うのなら解る。
 しかし新左翼が同じ新左翼に対して「ざまあみろ」とこき降ろす理由はない。

「八派の側は、自分たちが命がけでやってきたことを鼻の先で一蹴され、しかも、度重なる内ゲバでの恨みも加わり、革マル派に対して、爆発寸前の憤りを醸成していた」((上)128ページ)。

 同志が過ちを犯している。
 本来ならば、
「これこれこういう理由で、お前のやり方は間違いだよ。正しいやり方はこうなんだよ。その理由はこうだよ。解るかい? でもそれをやろうとした心意気は大切だ」
と諭すのが筋である。

 なのに革マル派の場合はこんな風である。
「そうじゃねえよバカ。何度言ったら解るんだバカ。まだ解らないのかバカ。全くお前のバカさ加減ときたら呆れて物も言えねえ」。

 政治思想上のやりとり云々以前に、人間としての、相手に対するマナーの問題である。

 度を超した内ゲバで肉体的苦痛を与え、口汚い罵りで精神的屈辱を与える。
 怒らせる手段と考えれば完璧なまでの念の入りようである。

 革マル派の根本的欠陥は、革命運動における連帯獲得の枢要性への認識のなさ、この一言に尽きると思う。

 成田闘争は正しい。
 よしんばそれが間違いであったとしても、それへの革マル派の批判の仕方は間違っている。

 5つ目は、単純なことだが、ウソつきな点である。

 その前に、だいぶ前に書いたことなのだが1つ補足しておきたい。

 過虐なる暴力性は新左翼全体にわたる潜在的体質なのではないか、と書いたが、そういう言い方ではあたかも新左翼に属する人間だけが異常であるようなイメージを与えてしまう(体制側デマゴーグは意識的・無意識的にこうした言い方をする)ので、次のように訂正しておく。

 つまりそうした悪しき性向は、かつて中国大陸で元は善良な小市民だった日本軍兵士が、およそ考えられる限りの残虐行為をやり尽くしたのに見られるように、全ての人間について、潜在的普遍的に備わっているのではないか。
 すなわちそれは人間の業、悲しい性ともいうべき本能なのではないか。
 だから決して新左翼の特性として限定すべきではない。

 さて5つ目の点についてだが、革マル派はいたる所でウソをついている。

 ここで明確にしておかねばならないのは、「ウソ」と「誇張」は違う、ということである。
 誇張ならば中核派も、機関紙上の応酬で多用している。
 それも問題がないわけではないが、なにぶんにも一触即発の党派闘争上のことであること、それとまがりなりにも事実に基づいていること(基づこうとしていること)から、いくらか許容できる。

 しかしウソは許せない。
 これは物事の根本であろう。
 特に政治運動上においてはより一層のストイックさが要求される。
 なかでも革命運動においては、ウソは絶対悪と見做されなければならない。

 しかるに革マル派は平気でウソを多用し、しかもそのウソの性質が、相手(中核派)を貶めるためという最悪なものである。
 権力に就くためにはウソを用いてもよしというのは帝国主義・資本主義者の謂である。

 2つだけ例を示そう。
 73年10月20日の“ミッドウェイ作戦”の成果を、革マル派はこう誇った。

「ウジ虫掃討作戦の展開――これによって、軍団長・小野正春の撃砕をはじめその40〜50の『軍団』は半減し、基本的に壊滅させられた。しかも僅か十数個ばかりのその糞つぼも完全に叩き割られ、彼らは残る2つ3つの糞つぼ4畳半に20〜30の残党全てを押し込んで、夜も眠れぬ日々を送っている有様である」((下)、20〜21ページ)。

 ところが内部文書(『吉川文書』)ではこう言っているのだ。

「出血させるような闘いはほとんどやれていない。軍事的ダメージは完全ではなかった。(略)中核はまだやる気だ。
 R(革マル派)内部の若干の問題点。ビビる人間がかなり出ている。つっこめといっても動かなかった部隊が出た。武器のエスカレートについて反撥する傾向が一部にある」。

 裏と表を使い分けている。
 ブルジョアのやり口である。
 結果的に、最初から実相をさらけ出し、真摯に同志の対応を求めていく方が、くだらない誇張により戦意高揚を煽るよりも団結が増すのではないだろうか。

 73年11月2日に、中核派が元中核派活動家をテロった。
 革マル派はこの件に関してどう言ったかというと、
「『ブクロ派が恐怖と狼狽のあまり、彼を『カクマルだ』と錯覚して』襲ったもので、中核派が自分たちの元の仲間をテロってしまうほど、半狂乱の殺人者となっており、無差別テロに走っているということを証拠だてる話として、さかんに宣伝した」((下)、26ページ)。

 これに対して
「中核派は、この学生がその後革マル派の秘密同盟員となり、“早大戦争”中に革マル派が法政大学を襲撃したときの手引者であると主張し」(同ページ)たのだった。

 喰い違っている。
 ということは、どちらかがウソを意図的についていることになる。
 どちらがウソをついているのだろうか。

 立花隆はこう括っている。

「その当時はどちらが正しかったのかわからなかったが、最近発表された革マル派の内部文書では、この件が、“11.2H大のO(組織)員襲撃”という形で登場し、この事件を“無差別殺りくの開始”というトーンで書きすぎたために、組織内にビビリズムを発生させたと反省が加えられているから、やはり中核派の主張が正しかったのだろう」(同、26〜27ページ)。

 ウソをついていたのは革マル派だったのである。

 6つ目は、いわばウソの体現化といえるような、偽装工作が得意な点である。

 例えば73年初夏、革マル派は法政大学を襲う。

「百数十名の部隊が一般学生のふりをして中に入り、黒ヘル、黄ヘル(民青)などで偽装し」たのだった。

 また同年7月4日の“中核村”奇襲の端緒においては、「前進社からだが、今日の行動が変更になったので開けてくれ」と偽装したのだった。

 私はこれを、断じて党派闘争上の一手段として認めない。

 75年4月には杉並区議選をめぐって“ニセ電話作戦”というのがあった。

「“たとえば、4月6日午後11時すぎ、南荻窪のAさん宅に『革新連盟』を名のる男から『こんどの選挙は長谷川に頼む』と電話があった。Aさんが『もちろん入れますよ』とこたえると、男は『長谷川はカクマルを皆殺しにするために立候補する。鉄パイプを買うのに金がたくさんいるから、資金かせぎが目的だ。20万円カンパしてくれ』ともちかける。Aさんが『20万円なんてとてもできない』と断わると、『カンパもしないで支持しているなんてふざけている』と恫喝する。Aさんが『20万はとてもできないが、できるだけのことはする』と答えると、一たん切って12時すぎにもう1度かけ、『実はオレはカクマルだ。中核はおまえのカンパで鉄パイプを買っている。おまえも殺しの同罪だ。覚悟しろ』『自己批判料を50万円払え』と脅迫する。
 Bさん宅には同じく深夜に電話がかかり、『中核派』を名のって『長谷川は中核派の親玉だ。長谷川を支持しろ。このあいだは、川崎で女のカクマルをやった。あのときは、頭をぶちわって真赤な血がふきだし、胸がスーッとして気持よかった。カクマルの生血をすわないと生きていられない』とグロテスクなことをならべたて、Bさんが『それでは支持できない』というまで30分でも1時間でもネチネチと話しつづけた。
『3票必ず入れますよ』と答えた下井草のCさんには、『ポスターはりを手伝え』とか『求殺隊に入って一緒にカクマルを殺せ。反革命を殺せないものは反革命と同罪だ』などと脅迫した”
 こうした電話が区民に片端からかけられ、それがほんとに中核派からのものと思い、杉並革新連盟へ抗議をしてくるものが毎日数十件、警察へ届けられたものが全部で2000件に及んだという。(略)また、こうした電話の内容を記して、
『まったくなんということでしょう。最近世間を騒がしている内ゲバ殺人の専門家=中核派は、その代表である長谷川を区議会に送るために、こんな前代未聞の電話作戦をやっているのです』
 と、“電話でおどかす長谷川を杉並から追放しよう”というビラが、『杉並の革新をめざす会』という団体名でバラまかれた」((下)、189〜190ページ)。

 これに対して
「中核派は、革マル派のこうした戦術を、“吐き気をもよおすようなファシスト的手口”と批判し、
『政敵の名を詐称するというやり方は、みずからの立場を明かし、みずからの言説に責任をもち、みずからの思想に責任をもち、自己の思想の実現のために全存在をかけるという政治組織としての最低限の原則さえふみはずしたものである。かれらは、自己のイデオロギーに完全に自信を失い、デマゴギッシュな『中核派批判』にさえ自信を失い、みずからデッチあげた『謀略』論や、『資金集めのための杉並選挙』なるデマもまったく説得力をもちえないことをさとり、ニセビラやニセ電話によって勝手に『中核派』のフィクションをつくりあげ、それを『批判』するという卑劣なやり方しかできなくなってしまったのだ。もはや革マルは、反革命的なイデオロギー集団でさえなくなりはじめている』
 といい、革マル派にはこうした戦術をとったことによって、“思想的死が刻印された”とした」(同、190〜191ページ)。

 私もこの中核派の見解に、全く同感である。
 革マル派のやり口は、まさにありとあらゆる手段を駆使するというものである。
 目的のためには手段を選ばない。
 もちろんその手段がどんなに汚かろうが卑しかろうが構っちゃいない。

 しかしどんな抗争にもルールがあるはずである。
 論争における決着が、あくまで発言の論理性で決するものであり、大声、がなり立て、一方的な発言などという論争手段が邪道であるのと同じように、党派闘争にも「最低限の原則」があるのだ。

 それが解らぬ者には、もともと人間社会についてどうあるべきかなどと理想を描き実践する資格などないのである。

 1つだけここで確実に言えるのは、中核派が自分の方からこのような「卑劣なやり方」に出たことは一度もない、ということである。

 己を偽って政敵の発言をこさえあげ、なおかつそれを己に戻って非難するのごときは、いかなる抗争においても、どんなことがあってもあるまじき手法である。

 そして最後の7つ目は、“他党派解体路線”である。

 これまでも虚心坦懐に聞いてほしかったのだが、これは特に虚心坦懐に聞いてほしい。

 63年4月1日、革共同は第三次分裂を起こす。
 その1つの対立点が、労働運動の戦術に関するものだった。

 黒田寛一氏の主張は、
「革共同以外の党派に指導されている労働運動は、いかに戦闘的であろうと、革命には役立たないのだから、すべからくこれを批判していくべし」((上)、93ページ)というものだった。
 これは革マル派の基本的理論である。

 これに対して本多延嘉氏の主張は、
「戦闘的労働運動がある場合には、これと手を組んで、その組織化に当たり、当局や共産党などから攻撃があれば、共にそれを防衛し、その中で、他党派より革共同が正しい政治路線をもっていることを宣伝して、労働者をこちらに獲得していくべきだ」
というものであった。
 これは中核派の基本的考え方である。

 この対立は、両派の基本姿勢の違いを実によく象徴している。

 で、黒田理論の実践化たる“他党派解体路線”は、どのように行われたか。

「この間、学生運動の世界では、マル学同(革共同の学生組織。第三次分裂ではほとんどが革マル派に流れたので、その体質は革マル的)が他党派を自己の傘下にひき入れようと、さかんに活動していた。しかしそれは、他党派を他党派と認めて、共闘しようというのではなく、他党派を解体して、マル学同に吸収してしまおうという戦略だった。そのためには、全学連17回大会で用いたような、ゲバ棒による“武力制圧方式”もさかんに用いられた。他の党派が集会を開いていると、そこに押しかけて、マル学同との“統一行動”を主張して集会を妨害するという“押しかけ統一行動”が、『他党派の解体を促進するための統一行動』という名のもとにおこなわれた。
 解体するほうはいいかもしれないが、解体の対象にされるほうはたまったものではない。この戦略は、他党派の猛烈な反発を招く」((上)、88ページ)。

 この戦略がもたらすものは、団結とは対極のものだろう。
 まるで新左翼諸派の団結を阻害し攪乱分裂させる要因として革マル派があるようである。

 この方法論は全くの誤りである。
 仮りに“武力制圧方式”による他党派解体、自派への糾合が成功したとする。
 革マル派は、そうしてできた組織の維持がうまくいくと思っているのだろうか。

 人間には感情というものがある。
 ロボットではないのだ。
 人間の団結、連帯ということをかように軽視して、何が革命党か。

 その点本多氏が用いるのは武力ではなく宣伝、すなわち言論である。
 対権力戦は別として、大衆・活動家の獲得に言論をもってするというこの点こそ、まっとうな政治運動の姿である。

 これは常識以前のことである。

 ともに革命を目指す諸派がいる。
 微妙に革命理論に違いがある。
 理論の違いなのだから、その党派闘争は言論によってなされるべきである。
 どうしても妥協点が見つからないならば、小異を捨てて革命成就という大同につくという選択もあってよい。

 それほど、何は置いても革命にとって重要なのは団結、連帯の実現である。

 その団結を最も妨げる結果をもたらす手法を正しいとし、理論の相剋を暴力によって超えようとする革マル派。
 何から何まで革命に逆行する。

 暴力とウソ。
 肉体的苦痛と精神的屈辱。
 この革マル派の行動様式を特徴づける2点は、ともに相手を侮辱する、ひいては団結をブチ壊すという点で共通する。

 そもそも革命は何を目指すのか。
 暴力やウソのない社会を目指すのではないか。
 権力を得るためにドロドロした罠、ウソ、権謀術数を用いるという、そういう現実の政治世界をなくしたいからこそ、立ち上がったのではないか。
 
 そういういわば革命の原点といったものを、革マル派は完全に忘れているとしかいいようがない。
 もしそうでないとしたら、もともと革命なんぞ目指していたのではなく、何者かの手によって革命運動の攪乱要因として新左翼の中に放り込まれたとしか考えようがない。
 少なくとも行動現象を基にして考察すると、そうとしか結論づけられない。

 7点と最初に書いてしまったからもう付け足せないが、まだ他にも、
早稲田の学校当局とうまくやっているという、支配や権力といったものとの癒着体質、
相手から浴びせられた批判文句をそのまま返すという(例えば権力の謀略説)なんともいやらしい反論方法、
そしてこれは大きいのだが、
敵対党派のトップを的確に殺すという点(相手を怒らせ連帯運動に水を差すという点でこれほど効果的なことがあろうか)
など革マル派イカサマ論の根拠はいくらでもありそうである。

 ただ、全面的に他の新左翼諸派が正しかったかというと、彼らにも落ち度はある。
 もっと徹底的に革マル派を排除すべきであった。
 無視すべきであった(もっとも、自派の指導者を殺されては無視もできないだろう。この辺が革マル派の狡猾なところだ)。

 少なくとも、諸派を一派に統合するくらいの大同団結があってよかった。
 なぜいつまでもバラバラに分裂したままだったのだ。
 やはり共闘というレベルが限界なのか。
 夢のような話と言われるだろうが、反革マルということで諸派連合が成立していたら、事態は違ったはずだ。

 また、もう1つ解せないのは84年に起こった中核派VS第4インターの内ゲバである。
 詳細はわからないが、これはショックだった。
「革マル派ひとり悪者説」が成り立たなくなる。

 私の革マル派イカサマ論は以上のとおりである。
「原案vol.9」所収(1994・11・27、23歳)


B中核VS革マル戦争における死者(70・8・4〜75・9・12)

*凡例…左より、◇=中核派 ◆=革マル派、日付、名前(()付きは死にまでは至らず)、(年齢)、【肩書】

1.◆70(昭45)8.4 海老原俊夫 (21) 【東京教育大3年生】
 内ゲバリンチ殺人初の犠牲者、中核派沈黙、革マル派糾弾大キャンペーン、中核派大打撃

2.◆71(昭46)10.20 水山敏美 【美術学院生】
 中核派“開き直り的”沈黙、革マル派「中核派絶滅」宣言、テロ部隊組織化手がける

3.◇71(昭46)12.4 辻敏明 【京大生・マル学同副委員長(幹部)】
4.◇同日        正田三郎 【同志社大支部キャップ】
 中核派「無条件かつ全面的な宣戦布告、全面的せん滅戦争」宣言、K=K連合論の起こり、「革マル派」を「カクマル」と表記して反革命規定、革マル派も中核派を事実上反革命認定

5.◇71(昭46)12.15 武藤一郎 【革共同三重県委員長】
 中核派、権力と革マルとの二重対峙戦略的防御期、革マル派一方的攻勢

6.◇72(昭47)11.9 川口大三郎 (20) 【早大文学部2年・シンパ】
 殺し合い内ゲバへの契機、革マル派おざなりな自己批判、実行者2人自己批判、転向者視

7.◆74(昭49)1.5 (吉川文夫)*植物人間化 【九州地方委議長(ナンバー2。“東の朝倉、西の吉川)”】
 中核派、『吉川文書』奪取の大戦果、革マル派、中核派を
正式に反革命規定

8.◆74(昭49)1.24 富山隆 【活動家・東大生】
9.◆同日        四宮俊治 【活動家・東大生】
10.◆同日       矢崎知二 【活動家・横浜国大生】
 「この1・24にたいしわれわれがとった態度とそれにもとづく次の行動は、それ(殺害自体)に劣らず決定的だったのである。われわれが1・24の勝利を謳歌したこと、その正義性、革命性、道義性を自信に満ちて公然と表明したこと(略)は凄まじい影響を与えたのだ」(『革共同通信』)

11.◆74(昭49)2.8 比嘉照邦*誤爆 (21) 【琉球大生】 
 「革命的制裁活動に反動的敵対をなしたカクマル分子比嘉某の徹底的せん滅」(中核派)

12.◇74(昭49)5.13 前迫勝士 (37) 【東京東部地区委員長】
 第一次法政大会戦(中核派25名重傷)において、革マル派「無条件降伏勧告」出す

13.◆74(昭49)6.7 小野正裕 【大阪産業大軍事責任者】 
 「流された革命の血は、それを数倍、数十倍する反革命の血によりあがなわれねばならない」(中核派)

14.◇74(昭49)9.10 高橋範行 (25) 【「中央武装勢力」隊員・全逓労働者】
 現役労働者初の犠牲者、中核派革命的等価攻撃を謳う第一次産別戦争宣言

15.◇74(昭49)9.24 中山久夫 (25) 【関西部落研指導者・地区委員】
 12日後の10月6日死亡、革マル派、9月23日から権力の第二次謀略開始と分析

16.◆74(昭49)9.26 *笠掛正雄 【自治労労働者】 *なぜか「実質上の虐殺」と認められているにもかかわらず死者総数にカウントされていない 
 神保町会戦(中核派50対JAC150、革マル派重傷5名を出す中核派の大勝利)において

17.◆74(昭49)10.3 山崎洋一 (30) 【全逓荏原支部書記長】
 「高橋範行同志虐殺の首謀者」(中核派)、「脳内に指が突っ込まれた跡がある」(革マル派)

18.◇74(昭49)10.15 佐藤和男 (23) 【金属労働者】
 ほぼ即死、革マル派スパイXだとする、「これはまたなんというひどいでたらめな主張」(中核派)

19.◆74(昭49)12.1 氏名不詳 【最高指導部】
 革マル派の西日本秘密最高司令本部等秘密アジト3ヵ所同時襲撃において、権力の第三次謀略(革マル派) 

20.◆75(昭50)3.6 難波力 【「解放社」最高責任者】
 「75年決戦の帰趨決する大戦果」(中核派)、権力の第四次謀略開始(革マル派)

21.◇75(昭50)3.14 本多延嘉 【書記長・最高指導者】
 対革マル戦争激化・泥沼化の決定的要因、「革マル派一人残らずの完全せん滅」宣言

22.◆75(昭50)3.20 岡本良治 (25) 【全逓足立支部青年部長】 
23.◆同日        中島章   (28) 【全逓北部小包支部青年部長】
 本多書記長虐殺後最初の“完全せん滅”テロ、「まず中島は、全身をバールとマサカリで切り刻まれたうえに、その頭に自らのスコップを突きたてられ、虫の息となって横たわった」(中核派)

24.◆75(昭50)3.20 西田はるみ 【川崎市役所職員】
 女性初の犠牲者、革マル派、「直対応的応酬の権利を一時留保する」
一方的停止宣言

25.◆75(昭50)4.1 船崎新 【千葉県委員長・JAC襲撃隊長】
 74年1月25日、弟が間違われて襲われ3ヵ月の重傷、同年5月15日には本人も既に一度襲われていた 

26.◆75(昭50)4.26 服部多々夫 【「解放社」責任者】
27.◆同日         鈴木和弘  【JAC隊長・早大生】
 革マル派のあらゆる側面からの社会的孤立化キャンペーンにひるまぬ中核派、「テロの指令現場を襲撃」(中核派)、「組織内部に対する緊張政策として実行」(革マル派)

28.◆75(昭50)5.7 竹原寿 (41) 【教育労働者キャップ】
 鹿児島幹部秘密アジト襲撃において、「長さ10cm、重さ8kgもある鋳型鉄筋で頭を集中乱打」(革マル派) 

29.◆75(昭50)6.4 氏名不詳 【関西JAC】
30.◆同日        氏名不詳 【同上】
31.◆同日        氏名不詳 【同上】
 “関西大会戦”(大阪市立大における正規軍戦、中核派は関西JAC35名全滅(うち完全せん滅3、重傷4)の完全勝利と主張)において、「“逆12・4”(71年の辻・正田虐殺への復讐)の歴史的偉業」(中核派)、「大阪府警が黒ヘルを装って襲撃した第五次謀略」(革マル派)

32.◆75(昭50)6.19 藤盛広之 (22) 【全逓労働者】
 革マル派21人目の死者、「革共同両派への提言」(6月27日)の冒頭で触れられる

33.◆75(昭50)7.5 (菅恭平*虐殺寸前・意識不明 【中央大JAC隊長】
 中核派によると中部・千葉ブロックJAC隊長、3日前革マル派が中核派を
殺人罪で告訴

34.◆75(昭50)7.17 甲斐栄一郎 (20) 【関西JAC・立命館大3年】
 新橋大会戦(両派300名以上、逮捕者320名)において、「史上最大最高の歴史的勝利」(中核派)

35.◆75(昭50)9.12 田中玲彦 【JAC隊員・国学院大生】
 8月下旬から“秋期軍事決戦”、「9・12につづけ、第二、第三の9・12を」(中核派) 


以上、中核派9名・革マル派26名 
(1995・7・9、24歳)
 


タグ:立花隆
posted by nobody at 04:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月11日

『歴史主義の貧困』の貧困 〜カール・ポパー『歴史主義の貧困』〜

 初めに過大評価しておくなら、ポパーは神に似ている。
 どっちに転んでも結局のところはその権威が些かも損なわれない、という点において。

 信者の必死の祈りが通じたとする。
 信者は「ああ、まさしく神の恩寵じゃ。ありがたや」とひれ伏して感謝するに違いない。

 信者の必死さにもかかわらず祈りが通じなかったとする。
 信者は「おお、我々の信仰が足りなかったので神はお怒りなのじゃ」と懺悔し、信仰を一層深くするに違いない。

 つまり祈りが通じようが通じるまいが、神の権威は微動だにしない仕組みに最初からちゃんとなっているのである。
 その辺のところを幸徳秋水は、痛快に喝破している。

 一つだけ分かったことは、君(注:読書交換会の相手。ポパー派)の謬見の数々はこの本に凝縮されたようなポパーの考えから発しているのだな、だとしたらそれも宜なるかな、ということである。

 とりあえずは以下の二つの少しばかり長大な引用を熟読していただこう。


@「人の心」を見落とした理科系の発想
 電電公社の説明によれば、INS(引用者注:総合ディジタル通信網)のコンセプトは、マイクロエレクトロニクスの(あるいは情報・通信分野の)先端技術をフルに活用すると、これまでにない豊かで、快適で、便利なライフスタイルが可能になる、ということだった。

 ところがそれが失敗に終わったのは、いったいなぜなのか。ひとつの見方によると、それは電電公社・NTTの「お役所体質」のためであり、もし純粋の民間企業ならば、あの種の失敗はしなかったにちがいない。

 もうひとつの(というより、私個人の)見方によると、失敗の原因は、文科系の人の意見を聞かず、理科系のエンジニアだけが突っ走った結果、「人の心」を見落としたところにある。たとえば機械いじりをしたり、トンボを追いかけたりしていると、時間が過ぎるのを完全に忘れるような子供が、やがて理系学部を経てエンジニアになる。そういう喜びを知らず、それかといって、たとえば絵を描いていて時間を忘れることもない子供が、「消去法」で法律・経済・商科系の学部に進み、そこを出て事務屋になる。

 事務屋の目から見て、いったい技術屋はどのように映るか。まず、彼らが時間を忘れて打ち込める対象をもつのは、大変うらやましいことだ。しかし、とかく彼らが、自分自身が時間を忘れるほど楽しいことは、誰もが楽しいにちがいないと思い込みがちなのは、ひとりよがりではないか。そして、INSが失敗したのは、多分にこのひとりよがりのためではないだろうか。

 INSのプレゼンテーションは、一口でいうと、要するにさまざまな「ホーム××」ができるようになりますよ、ということだった。買い物、銀行とのカネの出し入れ、乗り物や催し物や宿の予約から、医者にかかること、教育を受けること、仕事をすることにいたるまで、身辺のあらゆることが外出を要せずに、自宅で居ながらにしてできるようになる。何とすばらしいライフスタイルではありませんか、というわけである。

 しかし私は、その話をはじめて聞いたとき、いったい何がすばらしいのか、さっぱりわからなかった。なぜなら、このライフスタイルをいわれたとおりそのまま実行しようとすると、私たちは、来る日も来る日も早朝から深夜まで自宅に釘付けになり、いっさい外出することができなくなってしまうではないか。明らかにそういう生活は人間性に合わず、すばらしいどころか、逆にうっとうしいことこの上ない。

 それをすばらしいと感じるのは、疑いもなく理科系の発想である。技術屋にとっては、技術上の新しい工夫で、これまでできなかったことができるようになることは、文句なくすばらしい。そこに自分の貢献がある場合には、ことさらそうだろう。

 だが、自分にとってすばらしいことが、文科系の人びとを含む万人にとっても同じようにすばらしいと思い込むのは、ひとりよがりにすぎない。

 これまでにない新しい仕掛けを目にすれば、文科系を含む誰もが、いちおうは興味を示すかもしれない。しかし、いちおうの興味を示すことと、日常の暮らしにそれを使ってみようと考えることとは、まったく別の話である。そのために自腹を切らなければならないとすれば、なおさらだ。いかに新奇な仕掛けでも、それが人間性に合わないかぎり、ライフスタイルのなかに入ることはけっしてない。INSのプレゼンテーションには、そこのところに大きな思い違いがあった。
(飯田経夫『日本経済ここに極まれり』)

A本章では、通信の領域での機械技術の発達が、どんな影響をもたらすかを検討した。ニューメディアだとか、テレトピアだとか、機械技術はどんどん発達していく。便利になっていくのだから、新しい技術が開発されれば、誰しもそれを採用していくであろう。しかし便利になることなら何でも、無限に開発を進めていっていいものであろうか。

 技術畑の人がいうには、新しい技術が開発されて、大勢の人がそれを採用するということは、大衆の潜在的欲求があるからであって、そうした潜在的欲求に応えることがなぜ悪いのかという。しかし私が思うには、新しい技術の開発は人間の欲望をも開発する、という関係を見落としてはならない。技術の開発がなければ、潜在的欲求があっても、そのまま諦めるのである。

 たとえば、体外受精や男女の生みわけなどは、新しい医療技術の発達によって、すでに可能になっている。そうした技術の発達する以前には、子どもに恵まれなければ、それは運命として諦めていた。子供が得られれば、子宝として、天からのさずかりものと考えていた。それが体外受精の技術が開発されることにより、子どものない夫婦には一つの福音を与えることになるが、これによって、人間の欲望が一つふえたことになる。今まで諦めていたことが、技術によって可能になるのだから、技術の開発が人間の欲望をも開発していくのである。

 男女の生みわけでも同じで、息子ばかりの家庭では娘がほしいだろうし、娘ばかりの家庭では息子がほしいであろう。しかし今までは運命として諦め、さずかった性の子どもで満足していたのに、男女の生みわけが可能になれば、新しい人間の欲望が抬頭する。

 このように、技術が無限に開発されていけば、人間の欲望も無限に開発されていき、人間は万能の存在、つまりは神の存在に近づいていく。人間が神にとって代る。ということは「神を殺す」ことになる。そして「神を殺す」ことによって、「人間自身をも殺す」ことになる。何となれば、人間は万能ではなく、人間の能力を超えた世界のあること、つまりは神の存在を認めることが、人間を人間らしくする所以だからである。だから、神の存在を認めることこそ人間の人間たる所以であり、神を殺すことは人間をも殺すことになるのである。

 機械技術の発達には後退ということがなく、前進あるのみである。そうした技術の開発が、これ以上進んだならば、神の領域を犯すことになる、といったギリギリの線にまできてしまったのではないだろうか。これ以上の技術の発達にブレーキをかけるためにも、技術開発の陰に潜むゆゆしい問題を、もっと積極的にみつめていく必要があるだろう。
(辻村明『大衆現象を解く』)

 もう一つだけ、同様の引用を。これはごく短い。


B牧野を含めて、長谷川慶太郎、大前研一と、「ジャンク・ブック」の著者には、理工系出身者が多い。どうも、彼らには「人間」についてタカをくくっているところがあり、実験器具を扱うように、人間に対している面がある。そうでなければ、『世界はこう変わる』とか『全予測・日本』とかいったゴーマンな本は出せるはずがない。
(佐高信「今月のジャンク・ブック 第七回牧野昇/三菱総合研究所『全予測日本92−93』」『世界』92年7月号所収)


 ポパーは、
「漸次的工学者あるいは技術者は、次のことを了承している。すなわちいろんな社会制度のうち少数のものだけが、意識的に設計されたにすぎず、それに反しておびただしい大多数の制度は、人間行動の設計されない結果としてただ単に「成長」してきた、ということだ」(本書103〜104ページ:以下断わりのないページ数は本書のページ数)
と、誰にでも分かりきった自明のことを、ご大層にも傍点まで振って(注:ここでは太字にしてある)、あたかもそのことの指摘が
「人間精神のもっとも新しくもっとも大胆な成果であると信じ」、
「その成果があまりにも驚倒的な新奇さを含む故に、ただ少数の人々だけがそれを把握できるほど十分に進歩していると考え」、
「変化の問題――思弁的形而上学の最古の諸問題の一つ――を発見したのが自分である、と信じている」(240〜241ページ)
かのごとく我々に注意を喚起するといったような
「むしろ些末的な論点に憂き身をやつし」(152ページ)たうえで、
「しかしながら、漸次的工学者はこの重要な事実にどれほど強い感銘をもっているとしても、工学者あるいは技術者としての彼は、『機能的』もしくは『道具的』見地から制度というものを眺めるであろう。つまり彼は、ある目的にいたる手段として、あるいはある目的に役立つ方向へ変換可能なものとして、要するに有機体としてよりはむしろ機械として、制度を考えるのである」(104ページ、太字引用者)
と続ける。

 この程度の社会認識しかもてぬポパーには、ロボット惑星へでも行ってもらって、己の無誤謬不可侵と信じるところの“漸次的社会技術”とやらを「善用」(102ページ、私はこの言い方が鼻持ちならない)してほしいものである。

 本書は何から何まで誤謬だらけだが、その特質を五つだけ代表させると、
@自家撞着
A自分勝手に祭り上げた設定の破壊による論駁を行なっての自己満足
B自明のことの特筆大書
C対立論点との無境界、すなわち何も言っていないことと同値
D議論拡散による姑息な詭弁
ということが挙げられる。

 とどのつまりポパーの意図は、権力=体制と結託してのコミュニズム(あるいはファシズム)批判の一点にあるものと推察される。
 それを“分析哲学”というオブラートにくるんで論うことで、コミュニズムあるいはファシズムといった思想のみが、純粋学問的に誤りであるというイメージづけを狙ったものと思われる。

 なぜならば、
「『つぎはぎの繕い』や『何とかかんとかやってゆく』こと」(117ページ)
こそが正しい社会科学の方法であり、
「急進的な方法」(同ページ)
などもってのほかとするポパー主義とは、ポパー自身の言うように
「実験とともに批判的な思索にも基づくところの、同じ方向へのより組織的な接近法」(135ページ、太字引用者)
に他ならず、それの意味するところは、要するに諸悪の根源を成すところのものには一切手をつけず放置しておいて、いきあたりばったりに間に合わせの、一時的な、その場しのぎの小手先を弄して、木を見て森を見ずに、すなわち近視眼的にかつ対症療法的に(宮本憲一は政府の環境政策の欠陥の一つとして対症療法主義を挙げている)、目先の利益にのみとらわれておればいいのであって、間違っても原因療法(医学の正道とされている)や抜本的改革などやってはならないということだからである。

 にもかかわらずポパーは、この伝でいけば歴史上に起こった全ての社会構造の転覆たる「革命」をも否定せねばならないのに、フランス革命や明治維新等の“民主主義的”もしくは“民族主義的”革命への批判は一切しない。

 してみると、どうやらポパー先生のお気に召さないのは論理飛躍的にも“共産主義的”革命だけらしいのであり、それは本書中にも、
「明らかにそれらの誤解は、《歴史主義》者の仕事場以外においては、ほとんど弊害を流してはいない」(170ページ)
といったような形で表されている(この言辞からは、ポパーの思考体系中には“正しい誤解”が存在するといった超論理的要素のあることが導き出される)。

 またさらに敷衍するならば、現在、社会のあらゆる場面で“根本的・抜本的”改革が求め叫ばれていますが、あれは全て、間違いなわけですね?

 もう一つ、素朴な質問をしておきたい。
 142ページには、
「具体的な悪や具体的な危険に対するそのような闘いは、ユートピアを確立しようとする闘い――それが計画者にとってどれほど理想的に思えようと――よりも、大多数の民衆の支持を得る見込みが多い」
とあるが、公平に見て、私にはポパーの威光など、マルクスやレーニン、アリストテレス、プラトン、ヘーゲルらの威光の足許にも及ばないと思われる。
 これはどうしてなのだろう。
「大多数の民衆」は、あげてマルクスらの謬説に靡くほど愚かなのだろうか(ポパーの教説が正しいとすれば、そうとしか考えられない)。

 質問形式が続いているので、ここで訊いておく。
 世の中には失業という、解決されねばならない
「明確な悪」(同ページ)
が存在する。
 ポパーは具体的方策も示さず
「貧困や失業のような避けうる苦難」(同ページ)
とサラッと言って退けているが、果たしてそうだろうか。
 本当にそうならば、異論なくノーベル経済学賞が受賞できるだろう。
 現実をマクロ的に見れば、そうでないのは一目瞭然ではないか。

 さてところで、失業は誰(あるいは何)にとって「明確な悪」なのだろうか。
 社会にとって悪である。
 下層大衆にとって悪である。
 ところが金持ちどもには悪ではない。
 どうでもいいことだ。
 失業者とはすなわち余った労働力である。
 資本家にとっては街中に失業者があふれていても労働力は足りているのだから、余分な労働力に関心が及ばないのは当たり前である。

 さてところで、ここでポパー主義を適用するとして、一体誰が、「漸次的社会技術」なるものを「善用」する任を負うのだろうか(この点に関しては本書あとがきにおいても言及されている)。

 自然に考えてもそれは社会における支配者階層、私の言うところの文明主体に他ならない。
 ところが文明主体は例外なく、生産手段を独占するところの資本家と一体化(あるいは同化)しているものである。
 彼らにとっては先述したように失業など別段大したことではない。

 ゆえに、ポパー主義に従えば、永久にこの世から失業はなくならないと結論されるのである。

 恐らく君は、民主主義政体をさらに“改善”し強化し、金持ちの利害しか代弁しない代議士を削減し社会にとっての利害を代弁する――換言すれば“ビジョン”をもっているという条件なのだが、ポパー主義からみればそんな長期的視野をもつことは誤りなのだそうだ、従って以下の君の仮定反論は、ポパー主義に立つ限り成り立たない――代議士を議会の主流とすればよい、といった反論を試みるのだろうが、これも現実を見れば、例えば「既成政党の否定」、「政治家総とっかえ」を掲げて華々しく登場してきた日本新党の変節ぶりを見れば、全くの夢想・楽観論に過ぎないことは明白であろう。

 同党は何度も何度も呆れ果てるほど繰り返される政治の金権腐敗を一掃してくれるとの国民の期待を一身に背負って政界に躍り出たのであるが、さきがけの切り捨て、新生党への接近、あげくの果ての細川党首の金権問題による首相辞任という顛末を晒し、結局従来の既成政党と何ら変わることがなかったことを存分に見せつけたのだった。

 ポパーも
「政治的計画が、あらゆる社会活動と同じように、歴史的諸力のより強い支配の下に屈せざるをえない」(74〜75ページ)
ということを認識していながら、今日までの歴史の辿ってきた姿というものがまるで見えていない。

 これは立花隆と同じ誤解なのだが、果たして今日までの歴史は、人類総体の叡智の発揮により進歩してきたのだろうか。
 人類の
「英知を結集して持てる力をフルに発揮できるような体勢づくり」(立花『文明の逆説』)
といったようなことが、過去にも未来にもあり得ただろうか、またあり得るだろうか。

 この辺のところが、誤れるポパー主義のすべての源泉なのである。

 私は現実の問題として、科学技術それ自体の発展に漸次的工学という方法論が大きく寄与したことは認める。
 確かに、
「機械のすべては、小さい改良をおびただしく加えた結果であり、あらゆる模型が試行錯誤の方法によって、つまり小さい無数の調整によって『発展』させられ」(143ページ)たのだろう。

 また次の二つの仮定が満たされた場合には、私は理論的にもポパー主義の主張するところの社会科学的方法論を認める用意がある。

 まず一つ目は、立花が提示した次のような想定、すなわち
「人類のすべてが英知にあふれて常に最良の選択をしていく」
という想定の下で初めて実現され得るところの「原理的可能性」が常に「現実的可能性」を打ち倒すという健全な社会であれば、という仮定、言い換えれば人類のすべてが良識を持ち合わせており、腹に一物を隠し持った腹黒い輩が何らかの悪意的意図を企図したりせず、その存在が無視できるほど絶無に近く、また人類のすべてが自存自立しているような社会であれば、という仮定である。

 そして二つ目の仮定は、もしも地球上の人口が適正な水準を維持しており(現在の地球人口が既に定員オーバーであるという認識は人口学者の一致するところである)、時折局地的天災には見舞われるが全地球的規模における破局的変動など考うべくもなく、資源は豊富にあり浪費したりせず、自然の循環システムに人類すべてのライフスタイルが服しているような社会であれば、という仮定である。

 ポパーと、そして本書の到る所で引き合いに出されているハイエクの初歩的誤解がここに表れている。

 ハイエクのいわゆる“知的謙遜論”の一番の根幹には、
「個々人の自由な努力が結合された結果の方が、計画のもたらす結果よりも相対的に望ましい」
という信念がある。
 この信念が通用するのは、前記二つの仮定条件が成立する場合のみである。

 ところが事態は切迫している。

 ポパーは
「われわれが、地上に天国をつくることはできず(と、例のごとく何の論拠も示さず一方的に断定している)、物事を少し改善することができるだけだ、ということをひとたび悟るならば、われわれはまた物事を、少しずつ漸次的に改善しうることを悟るのである」(119ページ、初めの太字及びカッコ内は引用者)
と言うが、そんな悠長なことを言っていたのでは(君は必要ないと言うかもしれないが)緊急性・即時性・即効性・機動性に欠け非常事態に対応できず、例えば地球環境問題に対して対応のしようがないし、過去の例ではもし昭和天皇が漸次的接近法に毒されていたとすれば、“終戦の御聖断”はなかったことになる。

 ポパー主義が初めてその下で通用するような、私の示した二つの仮定条件は、物理や化学等の問題の立てられ方(例えば摩擦係数をゼロとする、糸の重さは考えない、容器の重量は計算に入れなくてよい、など)に酷似している。 
 

 これこそまさにハイエクが
「ある思考習慣を、それが作り上げられてきた分野とは異なった分野に機械的・無批判的に適用する態度」
と批判してやまない〈科学主義〉的態度であり、
ポパーも
「物理的環境の変化が、社会的もしくは歴史的環境の変化から生ずる経験に、まったく類似した経験を生起させうることは明白である」(153ページ、太字引用者)
と諸手をあげて〈科学主義〉的態度を決め込んでいるその姿から見て取れるように、本質的に技術万能論者(槌田敦が「科学技術に無限の信頼を置く現在のやり方は、すでに科学技術信仰(振興ではない)という宗教になり果ててしまったとしかいいようがない」と批判するところの)なのであり、素養的には自然科学者として優秀なのかもしれぬが、もとより社会科学者たる資格はない。 
 

 それを見境なく社会科学に応用して恬然としているその思考体系に、本書の目に余る(量的にも質的にも)誤謬の発するところの淵源が見受けられるのである。

 
「ユートピア主義者」と「《歴史主義》者」(両者はいうまでもなくポパーの一方的規定)は、決してポパーの言うように
社会実験(もしそういったものが存在するとすれば)は、全体論的な規模で遂行された場合にのみ価値をもちうる、と考え」(132ページ、“”は引用者)ているのではない。
 

 それならばレーニンが社会主義社会を成就させようとする途上において高校生でも知っているNEPという資本主義的手法を導入したことの説明がつかない。
 

 ゆえに
「ユートピア的技術者は、もし何かを成就しようとするならば、それらの不平の多くのものに対して聞く耳をもってはならないことになる。実際のところ、不合理な異議を抑圧することが、彼の仕事の一部となるだろう」(138〜139ページ、太字引用者)
という(いつもながらの)きめつけは、明確に事実に反している。
 何が「実際のところ」だろうか。

 
 ポパーのきめつけるところの「ユートピア的技術者」には、もとより「社会を改革したい」という一念しかない。
 それはできれば部分的対応で済ませるにもちろん越したことはないのだが、現実の社会というものがあまりに度を越して腐敗堕落し切っているので、生半可な漸次的方法などとやらをのんびりと試行している場合ではなく、全体的改善を採用せざるを得ないだけなのである。
 初めから何が何でも全体論的方法でなければダメ、というものではない。


 もとより私は、一筋縄ではいかないような複雑な問題・仕事に対処するには、時間がかかっても全体像をまず見渡して把握したうえで取り掛かる、というのが万古不変の是非を問うまでもない真理だと信じて疑わなかったのだが、ポパー主義によればそれは誤りで、次々と無秩序に現前してくる問題にいちいち非効率的な対処を遠々と続けていくのが正しいのだそうである。

 だが現実の社会を前にしたとき、取り得る態度は「改革すべきである」か「改革せずともよい」かの二つであり、前者の態度を取る点ではポパーもマルクスらも共通しているわけである。

 両者は「このままではいけない、何とかせねば」という同じ原点に立っているという意味で五十歩百歩なのであり、強いて言うなら「どう改革するか」という些細なる手法の点で対立しているといった構図なのである。

 もっとも私に言わせればそれもポパーが自己欺瞞的に俗受けを狙ったポーズであり、より根本的には彼は「改革せずともよい」とするグループに属しているものと見做して憚らないのである。

 というのも彼は本質的に「革命否定論者」である以前に「変革否定論者」であるからである(例えば
「社会技術者の全体論的青写真は、それと比肩しうるようないかなる実践的経験にも基づいていないのである」(131ページ、太字引用者)
といったくだり参照)。

(ポパー論うところの)全体論的計画者の主張は、「未来(社会)はこうなるべきだ」というただ一点に尽きるのである。
 そしてそうした主張をするのは可能である。

 明確にしておこう。
「未来(社会)はこうなる」という“予言”は、大衆に連帯を呼びかけるための単なるレトリックである。
 しかしそれが間違いだとは断定できないのである。

 往々にして、君やポパーのような理系人間には、文脈やレトリックを汲むといったことができない(例えば
「《歴史主義》的ならびに進化主義的諸著述の多くにあっては、どこで比喩が終ってどこから真面目な理論が始まるのか、ということがしばしば見わけえないのである」(180ページ)
といった、はしなくも己の理解力不足を露呈した以外の何物でもないくだり参照)。

 未来は予言できるとも言えるし、予言できないとも言える。
 歴史には法則があるかもしれないし、ないかもしれない。
 取りようによってどちらにも取れるし、またどちらに取っても誤りではない。
 それだけのことである。

 たったそれだけのことに、ポパーは一方の立場を絶対とし、もう一方の立場を眦つり上げて百万言を費やして罵倒している。
 本書全体は何も言っていない。

 そもそもポパーの悪辣な学問態度は、本書の主題を《歴史主義》という珍奇な、「無用の混乱」を招きやすい造語に設定したところから既に見出される。

 彼の真意は前述したようなところなのだから、いちいちわざわざ新語なぞ設定しなくとも、初めから「共産主義」あるいは「革命」といった既成の用語を論駁対象とすべきなのである。

 従ってここで明確に一線を画しておかねばならないのは、「歴史の法則」や「未来の予言」などといった類いのこととは違って、「共産主義の是非」や「未来社会における人類はどうあるべきか」といった命題については、その是非を峻別することは可能である。

 予言等の神秘的なことは占い師や宗教家に任せておけばいいのであって、もとより社会科学の対象範疇にはない。

 君はどこが違うのか、と反発するだろう。
 これは私の考えだが、究極的に、真理や真実(ここでは歴史法則)といったものはある(従って「歴史法則は存在する」と言うことは可能である)。
 しかしそれは、客観的には永遠に掴めないのである(従って「歴史法則は存在しない」と言うことも可能である)。
 なぜならば、客観的にどころか主観的にも、つまり主体者自身にさえ真実が分かっていないことだってあるのである。

 従って究極的真理は、主観でも客観でもない、「神観」とでもいうべき次元において捕捉され得るのであり、それは人間がどうあがいたって及ぶべくもない領域なのである。

 そうである以上人間が選択しうる方法は二つしかない。
「全体論者」のように、客観的には永遠に真理を掴み得ないであろうことを冷静に認識しつつ、それでも限りなく迫ることは可能だと信じる崇高な態度と、ポパーのようにどうせ無理だと解っているんだからハナっから諦めようという敗北主義的態度である。

 ポパーのこのような態度は、今日までの人類の(環境破壊を呼び起こすような結果となった“進歩”ではなく)自然発展、理性、知識、英智、思想の結晶や蓄積といったものを頭っから蹂躙するものであることは明瞭である。

「社会的事態の具体的な全体を科学的に叙述した実例は、ただの一つさえ呈示されたためしがない。しかもそれは、呈示することができないのである」
「ところが全体論者たちは、不可能な方法によってわれわれの社会を研究しようと企てるばかりではなく、彼らはまた、『全体としての』われわれの社会を統御し改造しようと計画する」(124ページ、太字引用者)
とポパーは言う。

 つまり彼は、人体全体を完璧に知悉した医者など古今東西一人もいないのだから、医療などという無駄なことは一切放棄してしまえ、と言っているも同じなのである。
 同様に、法律家や新聞記者や学者等の仕事を愚弄しているのである。

 彼によれば、この世に完璧な制度や完璧な善を確立することはもともと不可能なのだから、それを目指してそれに向かって行われる一切の行動は、愚かで無駄で無意味だということになる。

 「歴史の法則」や「未来の予言」についてその是非を確定することは不可能(かつ無意味)だが、それと「共産主義の是非」や「未来社会における人類のあり方」を論断することとは一線を画する(つまりその是非を確定することは可能である)ということについて、まだ腑に落ちていないといけないので、少しく敷衍してみる。

 よく用いられる例だが、ビンに半分残っている酒を見て「まだ半分もある」と取る人は楽観主義者、「もう半分しかない」と取る人は悲観主義者と仕分けされる。
 この正反対の立場はいずれも正しい(つまりどちらにも取れる)。
「歴史には法則がある」「いや、そんなものはない」という立場の対立もこれと同じである。

 問題はこれで終わらない。
 この“半分の酒”の例でも、その半分の酒が、例えば今後1カ月の需要に足るか足らないかといった判断確定は可能である。
「共産主義の是非」判断はこれに当たる。
 ゆえにそれは可能なのである。

 これまで述べてきたのもポパー主義の淵源、根源といった部分についてであるが、いよいよそのまた深淵たる、根源の根源を浮かび上がらせてみよう。
 それによりポパーの正体が確然と照射されよう。

 それは三つのものを肯定しているところに象徴的に現れている。
 その三つのものとは、無限、変化、分業である。

 無限肯定の表明は、
「われわれが漸次的接近法の範囲に限界を設定していない」(108ページ、太字引用者)
というくだりに見られる。

 変化肯定の表明は、
「変化(革)に対するそのように多大な熱狂について想いをめぐらせるわれわれ」(241〜242ページ)
というくだりに見られる。

 分業肯定の表明は、
「そして原因と結果を解きほぐすことを不可能とするような、また自分が本当は何をやっているのかを知ることが不可能となるような、多大の錯綜性と規模とをもつ改革は企てようとはしないであろう」(107ページ)
というくだりに見られる。

 これら三つの肯定の行き着くところは、資本主義的経済成長および環境破壊の肯定である。

「無条件の進歩信仰から転換しなければならない」という健全な時代認識は、立花隆や本書の翻訳者たる市井三郎から発せられており、あのM・フリードマンでさえ主張している。
 翻ってポパーは、未だに「進歩バンザイ、経済成長バンザイ」という地平に留まっている。

 これは理系的に、地球をいかなことがあっても不変、一定の“実験装置”と見做しているからである。
 もしそうならば、確かに進歩、発展はすればするほど良く、「進歩し過ぎて悪い」ということはない。
 この辺が彼の浅はかさ、
「中途はんぱな哲学者」(163ページ)
ぶりを如実に示している。

 分業についての私の考えはこうである。

 現代のような高度化・専門化・複雑化した社会構造を前提とした場合においては、経済行為を初めとしたあらゆる社会行為は、分業化(組織化)せざるを得ない
 しかし分業化してしまえば必然的に己の組織内の仕事で手一杯になり、組織外にある利害には頓着しなくなる(戦時中における日本の政党の解体、大政翼賛会の編成は可能だったが、環境破壊に真剣に対応するための各国の主権制限、世界連邦の編成がまるで実現の兆もないことを想起してみよ)。

 つまり分業化の昂進した社会においては、各組織の利害を超越したところにある、環境破壊のような“全体的”利害に対応することは不可能なのである。
 従って分業肯定は、即環境破壊是認を意味する。

 ポパーが最終節で嘲笑しているように、確かに全体論者は変化を恐れている。
 それは彼らが地球および人間の分相応というものをわきまえているからである。
 地球はポパーが夢想するような実験装置ではなく、同様に人間はロボットではない。
 ポパー的思考体系からは、以前『朝日ジャーナル』の新聞広告にあったような、雲仙普賢岳災害に関する「なぜ科学は自然に勝てない?!」といった記事の表題が導き出される。

 今日までの進歩が、「人類のすべてが英知にあふれて常に最良の選択をして」きた結果であるならば、永遠に変化は善(すなわち真の意味での進歩)であり続けるかもしれないが、何度も言うように現実はそうではない。

 今日までの進歩は、人類の一部の最も腹黒い部分によって担われてきた、いわば“悪意の進歩”なのである。
 これだけでも、現代における変革は、社会構造全体を見据えたものでなければならないことが察知されるだろう。

 “悪意の進歩”の下では、悪意者の為すままである。
 ちなみに
「原理的可能性(人類にとっての真の価値)は、文明主体の思惑にそぐわない限りにおいては、常に現実的可能性(文明主体にとっての価値)の前に打倒される」
というのが私の見解である。

 仮りにポパー主義が正しいと仮定してみると、それにより非難された社会体制は取り敢えずのところコミュニズムとファシズムであり、それは歴史総体から見れば一時的現象に過ぎなかった、裏を返せば歴史の大部分はポパーの推奨するところの漸次的発展を基調として辿ってきたのであり、さらに言い換えれば歴史発展の基層は彼が憂慮するまでもなくポパー主義に従って形作られてきたのにもかかわらず、時代が推移するにつれ、「一歩また一歩と」社会は改善されるどころか、より困難な、より複雑な、より巧妙な社会問題が、次々と、相次いで、続々と、雪崩を打って、噴出惹起増大されてきたという事実は、どういうわけであるのか。

 なぜ戦争は総力戦になり、一般市民も殺戮対象となり、傭兵・軍人のみだった戦力動員が全国民的な徴兵制へと拡大されたのか。

 なぜ飢餓の上に失業や貧困や恐慌が、失業や貧困や恐慌の上に公害や環境破壊が、上乗せされてきたのであろうか。

 コミュニストやファシストの支配下にあるわけでもない冷戦終焉後の現代世界において、なぜ武器・軍事力の拡散は一向に改善しないのだろうか、
 なぜ開発途上国における急進的な工業化による公害および環境破壊は一向に改善しないのか、
 なぜエイズや麻薬などによる社会退廃は一向に改善しないのだろうか、
 なぜ世界経済の慢性的不況は一向に改善しないのだろうか、
 なぜナショナリズムの昂揚は一向に改善しないのだろうか、
 なぜ難民の増加は一向に改善しないのだろうか、
 なぜテロリズムや社会不安の増大は一向に改善しないのだろうか、
 なぜ貧困や飢餓の顕在化は一向に改善しないのだろうか、
 なぜ南北問題の深刻化は一向に改善しないのだろうか、
 なぜ民族・宗教等の対立による地域紛争の激化は一向に改善しないのだろうか、
 なぜ地球規模の環境破壊は一向に改善しないのだろうか、
 なぜ人権抑圧は一向に改善しないのだろうか、
 なぜ自動車問題は一向に改善しないのだろうか、
 なぜ人口爆発は一向に改善しないのだろうか。

 これらの問題は、近現代以前に起こっていたであろうか。
 起こっていたとしても、問題規模として近現代よりも深刻だっただろうか。

 ポパーの理想である漸次的社会技術を大枠において採用しているはずの現代世界において、なぜこれらの問題は現存しているどころかなお拡大しつつあるのか。

 このようにポパー主義は、何よりも事実によって否定されている。
 今度はより卑近な例をあげて“反証”してみよう。

 戦後日本における、「農政不在」と呼ばれるところの農業政策のやり口は、実に忠実にポパー主義を踏襲している。
米の安定供給が必要だ→はい食管法で管理しましょう、
米が余った→はい減反しましょう、
大凶作で米が足りない→はい緊急輸入しましょう、
ウルグアイラウンドの成功は絶対不可欠だ→はい部分自由化しましょう、
といった調子である。
 現代日本農政はポパー主義的に成功した、と言うべきであろう。

 また先頃、国会で政治改革関連四法案が成立した。
 その要諦は小選挙区制の導入である。
 これもまた、推進派が「百点満点というわけではないが、確実な一歩前進だ」と言うほどポパー主義にかなった、漸次的方法である。
 同法案はポパー主義的に評価される。

 これに対する反対派の主な主張に、「腐敗防止法を徹底強化して先行させよ」というのがあった。
 これはイギリスにおいては全く急進的・全体的なものであって、金権腐敗の全体像を一挙に網羅するという、まさに全体論的方法そのものであった。
 これによりイギリスの政治腐敗は、見事に一掃された。
 事実は全体論的方法の正しさを証明した。

 果たして日本の漸次的政治改革は奏功するのだろうか。
 立花は
「政治改革どころか、政治改悪になる恐れのほうがはるかに強い」
と言っているが、私も全く同感である。
 ますます悪くなるだろう

 このようにポパー主義に立ってみると、日本の農政は正しく、今度成就された政治改革も正しく、逆にイギリス腐敗防止法は誤り、という不合理なことになってしまう。

 ということは論理必然的に、「ポパー主義は正しい」という前提が誤っていたと結論される。
 ポパー主義は誤りなのである。

 君はあたかも、ポパー主義を金科玉条のごとく信奉し絶対化しているようだが、客観的な学問の世界では、言うまでもなくそれほど絶対的なものではない。

 例えば作田啓一・井上俊〈編〉『命題コレクション社会学』の一節にはこうある。


 今日の時点で見ると、ポパーのマンハイム批判には鋭い所もあるといえる。しかし個人が内面でさまざまの見方を動的に総合していくことと、集団が批判的討論を行うこととの間に原理的に相違があるだろうか。

 ポパーの側には、マンハイムにはない「反証可能性」(=命題が反駁できるように構成されていること)という総合化の基準が準備されているが、これとてこれのみが有効だという保証はどこにもない。この基準を拒否することも各研究者によって自由なのである

 こうして考えていくと、実はポパーとマンハイムは意外に近いことに気づく。個人にせよ集団にせよ批判的・合理的理性によって徐徐に漸進的に客観的真理に人間が到達していくという単線的進歩主義の観点において両者は軌を一にしているのである(同書41〜42ページ、執筆者筒井清忠、太字引用者)。


 私もこの見解に全く同感である。
 私の指摘するとおり、ポパーはマンハイムを“批判”していながら、その実両者の考えはどちらも違わないではないか、という提起がなされている。

 そのとおりで、ポパーの全体主義批判の方法をそのまま彼の推奨する漸次的社会技術への批判の方法として適用することが可能なのである。

 彼がなぜそこまでヒステリックに全体主義を目の敵にするかというと、その論拠は要するに
「われわれが、『社会的現実そのものの具体的な構造』をけっして把握しえない」(123ページ)
から、ということに尽きる。

 確認しておくが、全体主義が誤りなのは、その構造が把握できないからだそうである。

 ということは、その構造が把握できないものは誤りだ、ということになる。
 このことをとっくりと腑に落とし込んでもらって、次の同一人物の言葉を読んでもらいたい。


 実際のところ、どれほど小さい事物のまるごとでさえ、叙述することはできないであろう(121ページ、太字引用者)。


 つまりどれほど小さいことであろうとも、その構造を把握することはできないとも、言っているのである。

 すなわちあらゆる構造は(無限小に把握できないのだから)把握できない、従ってどんな小さなものでも、構造をふまえた理論は誤りだ、ということになる。

 ところで彼の奨励するところの漸次的社会技術とは、まさに「一歩また一歩と」、「何とかかんとかやってゆく」、「つぎはぎの繕ろい」という手法ではなかったか。
 その「一歩また一歩と」進んでいくところのものは、ほんのちょっとずつの“構造”なのではないか。

 だが彼自身の論理によって、どんなに小さかろうとも、把握不可能な構造を対象とする理論は誤りなのだ、と一蹴されているのだ。

 つまり彼の肯定する漸次的社会技術は、彼自身の論理によって否定されているのである。
 普通こういうことを矛盾という。

 これが矛盾でないとしたら、あらゆる変革は構造の変革であるがゆえに誤りである、という他ならぬ「変革否定論者」でなければ筋が通らぬことになり、その辺に、私は彼の装った改革必要論者という化けの皮を剥いだ思いがするのである。

 本書にはこうした自家撞着が随所に万遍なく鏤められているが、いちいち取り挙げていてはキリが無いので放置しておく。

 また先の『命題コレクション社会学』中の一節に戻って言うならば、この一節はマンハイムの相関主義を主題とした項の中にあり、その項の冒頭には相関主義の命題が要約されているのだが、その後半にはこうある。


 そして、各々の観点に固有の認識の一面性を全体的観点から相関させる作業の繰り返しによりわれわれは全面的真理へ無限に接近できる(同書36ページ、太字引用者)。


 これこそ私が賞讃する「全体論者」の、いや人類総体の、叡智、純粋な学問態度である。

 念のために言っておけば、もし君が引用中の“無限”という言葉を捉えて「なんだ、全体論者だって無限を肯定しているじゃないか」といった揚げ足取りじみた反論を試みようとするならば、私が君のような理系的人間には文脈やレトリックを汲むことができないと判じたことが裏付けされることになる。

『命題コレクション社会学』からの最初の引用中に「単線的進歩主義」というタームが出てくるが、これは小室直樹が『国民のための戦争と平和の法』の中で直線的進化論(linear evolutionalism)と言っているのと同値である。
 小室はそれを「超楽観主義」、「単純すぎる」、「奇妙奇天烈」と一笑に付している。


 この超楽観主義は、いま思い出しても、楽しいかぎりです。
 こんな思想を、人びとが本当に信じていたなんて。それだけでも(同書90ページ)。


 もしポパーが本気で漸次的社会技術とやらを推奨しているとすれば、それもまた超楽観主義との謗りを免れることはできない。
 なぜならそれは、
「この世界は、直線的に進歩してゆく。何もかも、時がたつにつれて、しだいによくなってゆく。単純すぎるなんて、笑い給うこと勿れ」(同、同ページ)
という「進歩の思想」だからであり、また同書のもう一人の共著者色摩力夫が言うように
「微調整の積み重ねで、本質が変わることはありえ」(同175ページ)ず、
「いずれは生まれ変わる他はない」(同、同ページ)からである。

 同趣旨のことは日高六郎『一九六〇年五月一九日』にも、
「“よってきたるゆえん”を別として、頭痛がするからと頭にコウヤクをはり、腰痛がするからと腰にコウヤクをはるのはヤブ医者である。政治の医学はターヘル・アナトミア以前に逆行せねばならないのか」(六〇年安保闘争に対する七社共同宣言を掲載しなかった『北海道新聞』の6月18日付短評、225ページ、太字引用者)とある。

 それにしても、
「“よってきたるゆえん”を別として、頭痛がするからと頭にコウヤクをはり、腰痛がするからと腰にコウヤクをはる」
という手法の、なんと漸次的社会技術らしいことよ。

 いずれにせよ思想家の正邪は“歴史が証明する”であろう。
 後世の“史家”に委ねるべき事柄であろう。
 棺をおおうて事定まるという。
 ポパーは未だ棺をおおうていない(注:原稿執筆当時)らしいが、それでも私はそれを待たなくとも“正邪”は一目瞭然であろうと思うのだが。

 次に君のつぎはぎの繕ろい的実践を批判する。
 君は私の「ポル・ポト派を支持する」というちょろっとした言動を目敏く捉えて暗に非常識だと論ったが、もともと私は「ポル・ポト派の政策を支持する」と言ったのであって、誰も同派を支持するとは言っていないのである。

 さらに君は、今度の選挙では小選挙区制反対のため日本共産党に投票すると言った。
 それはおかしい、日本共産党に投票するというのならば、同党の全ての政策に賛同していなければならないはずだ、そうすると当然同党の革命路線(最終的には共産主義革命)をも支持していなければおかしい(君が共産主義者ならば何も問題はないが、それどころか毛嫌いしているではないか)と私が問い返すと、君は「いや、全ての政策を支持していなければならないということはない」と言った。
 あくまでも漸次的に、利用できるものは利用できる限り利用していこう、ということなのだろう。

 もしポル・ポト派が日本の政党であったとしても、私は投票しない。
 私が支持しているのはあくまで同派の一政策なのであって、同派の全政策を支持しているわけではないからである。
 ところが君は、ある党派の一政策のみを支持しさえすれば、その党派の全政策を支持することを意味する“投票”をしてもよい、いやそれが正しいのだからそうすべきだ、と言うわけである。

 その漸次的方法が正しいとしよう。
 つまり全有権者がその方法を適用したとする。
 すると当然ながら日本共産党の得票は増え、議席も増し、党勢が伸長する。
 私のような考えの人はいないのだから、当然そうなる。
 悪くすると、原理的には同党が第一党に躍進して革命を起こす可能性だってある。
 しかし君たちはそれに文句を言えない。
 それは君たちが望んだ結果である

 今度は私の方法が正しいとしよう。
 全有権者が私の行動様式と同じように行動するとする。
 つまりいくらある党派のある1つの政策に共感を覚えようとも、それだけでその党派を全面信任したりはしないのである。
 するといつまで経ってもポル・ポト派の勢力が増長したりすることはなく、政権にも就けないので、大量虐殺といった悲劇が起こることもない。
 どちらの方法が“望ましい”結果をもたらすことになるか、贅言を要することもないように思われる。
 これだけを以てしても、漸次的方法の誤りは明白である。

 私が最も気に食わないのは、この例に見られる、君の妙に分別ぶった、履き違えた“バランス感覚”である。
 君は日本共産党に投票はするが、心を全て売り渡すわけではない、そこはそれ、きちんとバランス感覚を取っているのだ、という理屈である。
 これは西田誠彦(仮名。大学の同級生)氏にも通じることであって、私がかつて彼に
「君は全く相反する性格、色をもった政治(関係)団体に属しているが、それは矛盾しているではないか、一体君の信念といったものはどうなっているのか」
と訊いたときに、彼は
「一つの思想にガチガチに固まるのは良くなく、バランスを取ることが大切だ」
と答えたものである。

 この理屈は大間違いである。
 バランスはあくまで結果であり、それこそ後世の史家に委ねるべきものであり、初めから己の行動のもたらす結果(全体の中での位置)を意識して行動するとは思い上がりも甚だしく、愚かで傲慢である。
 それこそ全知全能の“ラプラスの悪魔”的所業である。
 バランスを取るのは各々ガチガチの信念をもった個人の集合であって、個人の信念が初めからバランスを取るのではない
 もとよりそうでないとすれば、近代デモクラシーの根幹たる政党政治がまるで成り立たなくなってしまう。
 この点に関しては君が全体的であり、私が漸次的である。

 このことからいかに「全体主義」「漸次主義」という色分け自体が無意味であるかが察知されよう。
 ポパーは、
「しかし彼ら(全体論者)は、ここで『漸次的』および『全体論的』と呼んだ二種類の実験を区別していない」(135ページ、カッコ内引用者)
と咎めているが、なんの、区別しない方がアタリマエなのである。

 ついでだが、引用は
「もっとも実験方法に関する彼らの批判は、とくに、全体論的実験(彼らが讃美しているように思われるもの)の批判として説得力をもっている」
と続いているが、この皮肉が(ポパーはそのつもりで揶揄しているようだ)そっくりそのまま彼に当て嵌まることは前に示した通りだ。
 彼の文体に従って言うなら、
「もっとも実験方法に関するポパーの批判は、とくに、漸次的実験(ポパーが讃美しているように思われるもの)の批判として説得力をもっている」。

 ところで西部邁は今年(1994年)4月2日付の佐賀新聞で
「真の自由民主主義者とは、真の歴史主義者かつ保守主義者でなくてはならない」(太字引用者)
と言っている。
 もしポパーが正しいとすると、この発言は全く荒唐無稽なものとなってしまうが、いかがであろうか。

 本書は、未だに進歩ボケ、発展ボケの夢現状態にある西欧合理主義者の戯言である。

 最後に、マルクスの
もし事物の現象形態と本質とが直接に一致するならば一切の科学は不要であろう
という言葉を贈る。
「ぜひとも百万遍唱え、一万遍書写して、頭に叩き込んで」(小室『国民のための経済原論Tバブル復活編』59ページ)もらいたいものである。

posted by nobody at 01:58| Comment(2) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月08日

消費社会の中の原田宗典 〜原田宗典『吾輩ハ苦手デアル』〜

 この本もまた、貸されて仕方なしに読んだ。
 はっきり言ってありがた迷惑だった。
 自分の本さえろくに読み込めずアップアップしているというのに、とても他人から借りた本など読んでいる暇はなかった。
 しかしともかく人の物なので長く私のもとに置いておくわけにはいかない、早く読んで早く返してしまわなければ、という嫌な焦りがあった。

 彼女から原田宗典の本を借りるのはこれが2冊目で、1冊目は『むむむの日々』というやつだった。
 それを通読した印象は、文章はうまい(私がひっかかりひっかかりしないで読めるほど)ということと、ヨガのポーズのまま蹴倒されて股関節を脱臼し足がとけなくなりそのままの姿で担架で運ばれた友達の話が無茶苦茶面白かったということだった。

 確か原田宗典の本は、以前一番上の姉からも勧められたことがある。
 その時は読まなくて、実際読んだのは今回が初めてである。
 かように、彼のファンは世の中に広くいるらしい。

 一番の売りは、面白いということだろう。
 私の読書の系譜でいうと、活字で笑わすというのは遠藤周作と椎名誠である。
 前者は私に「活字で笑う」ということを初めて教えてくれ、後者はその才能でいうとナンバーワンである。

 原田宗典のスタイル(文体)というのは、椎名誠のエピゴーネンに過ぎないように思う。
 文壇への登場はどちらが先なのだろうか。
 後に登場した方が影響を受けたということはあるのだろうか。

 実際にはスタイルの類似(特に読点をあまり使わずに続けて書く点)は偶然の結果なのだろうとは思う。
 そこはやはり、2人とも相応の地位を確立した物書きなのだから。

 ただ、世の人がなぜかように取り立てて原田だけをもち上げているのか、それほどの彼独自の傑出点が何かあるのだろうかという疑念は払拭できない。
 解説に
「電車の中で本を読みながら吹き出している人の大半は原田の読者であるとさえいわれるほどである」
とあるが、それはいくら何でも過大評価だろうと思う。

 畢竟のところ、原田宗典とは何者か、これが最大のテーマである。
 言葉を換えると、何ゆえにかようの魅力があるとされているのか。
 彼のオリジナリティーとは一体何なのか。

 文章がうまいということは先述した。
 ひょっとするとそれプラス“面白い言い回し”(「スキップスキップランランラン状態」だの「リンダ困っちゃう」だの「んもうピカソ顔になってそこらじゅう踊り回り、クリスタルキングの『大都会』をアーアー果てしないーッと絶唱した末に首をくくって死にたい気分になる」だのといった)に、彼の魅力は尽きるのかもしれない。
 それほど名文を書くというのは難しく、実際に名文を書ける物書きというのも減っているのだろう。

 これが彼のオリジナリティーの主要素なのかなと思ったのは、ネタの上等さである。
 いかに変わった、面白いネタが豊富にあるかというのが、突き詰めると人気継続エッセイのエッセンスなのではないか。

 確かに彼は、いろんなネタを豊富にもっている。
「まだ話していない医者ネタがいっぱいあるのだ。ようするに書いても書いても追いつかないくらい、僕は医者でひどいメにあっているのである」(「歯医者」)
というからすごい。

 この本に21編収録されているエッセイの中で最も印象に残った「北海道」という最も長い作品は、大学時代に友人と2人で北海道へ旅行に行き食べ物がことごとくまずかった、おまけに目当ての流氷も見られなかったという運の悪さの連続が面白いのだが、その連続の具合が、まるでドラえもんの運の悪くなるクスリを使ったみたいに見事なのだった。

 この面白い経験の豊富さという点では、確かに物書きとしての天性に恵まれているといえるだろう。

 もう1点、変わったネタということと対蹠的に見えるかもしれないが、ジャンプ放送局的共通感覚(あああのことか、分かる分かるといったような、今でいう“あるあるネタ”)も充分に備えている。
 一般の物書き志望者はこの点ばかり追求するキライがあるようだが。

 結論は以上(文章のうまさ、面白い言い回し、ネタの豊富さ、共通感覚)に尽きると思うのだが、それでもなおスッキリとしない部分が残る。

 それにしてもなぜ、お前がという感じである。
 学生時代彼の周りにたくさんいた、彼より膨大な読書量を誇る文学青年たちの物書きになる夢は破れたのに、なぜ彼だけが成り上がったのか。

 そして全国のあまたいる同人誌等に書いている物書き志望と原田との根本的な違いは何なのか。
 運の良さ、世渡りの巧みさというのもあるのではないか。

 後者に関していうと、たいていこうした物書きというのはそうなる前段として出版社とか編集者、マスコミに身を置いているものであるが、彼も例にもれず、物書き以前は広告業界にコピーライターとして身を置いていた。

 無論、物書きになる段においては運などがあったとしても、なってからその地位を維持しているのは彼の持ち合わせた力量であることはいうまでもない。

「原田宗典とは何者か」との本稿のメインテーマともつながってくるもう1つの中心テーマは、彼はこの消費社会をあらゆる形で象徴しているということである。

 彼の人生は高度経済成長期の申し子といっていいものであり(父親は借金を作って逃げ回ったりとアウトロー的面があるが)、物書きになってからの彼は、すっかり幼い娘をこよなく愛するマイホームパパである。

 父親はアウトロー的面があるといっても、エッセイの題材によくなる原田の子供時代には妹との戯れに象徴されるように暗さはない。

 消費社会的ということは都会的でもあり、ド田舎に行って時間を潰すために喫茶店を探し回った(「見知らぬ町」)というのは少々感覚が麻痺している。

 彼の他の著書には『わがモノたち』『買った買った買った』などとまさに消費というものが並んでいるが、消費社会、エッセイとくるとイメージとして思い浮かぶのは泉麻人で、巻末の新潮文庫紹介ではやはり原田の横に並んでいる。
 そうするとまた原田のオリジナリティーについて考えてしまう。

 そして原田の“作品”もまた、まさに消費社会で労働にいそしむ人が電車内で息抜きのためだけに“読み捨てる”(内容に教訓、修養的なものは一切ない)、すなわち消費されていくのである。

 それはひとり原田だけではなく、この消費社会における文庫本、ひいては商品としての本全体にあてはまる運命なのかもしれない。                 (2001・3・14、29歳)

続きを読む
タグ:原田宗典
posted by nobody at 03:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月06日

あぶりだされる社会システムの病理 〜町澤静夫『佐賀バスジャック事件の警告』〜

 職場の上司に貸されて読んだ。
 自発的には読むことがなかっただろう。

 2000年5月3日に起きた佐賀バスジャック事件に当事者として関わった町澤氏の手によるもの。
 期待としては、一般の報道よりも深層の内幕といったものがあるのではないかというのがあった。
 それは思ったより少なかった。
 要するにこれというほどの収穫はなかった。

 それは思った通りだった。
 読む前から、所詮は町澤氏の自己弁護に過ぎないのではと思っていたが、本書を世に問うことによっても、氏の“名誉回復”はならなかったのではないかと思う。
 総合的にみて、今度の事件によって氏の世評というのは低下したものと思われる。

 事件で、町澤氏と国立肥前療養所は激しく対立した。
 後者の医師は「町澤氏には怒り心頭に発する」と感情的になっていた。
 ここまでお互いが「私は絶対的に正しい、向こうが絶対的に悪い」と言い合って対立するというのは、他には小林よしのりと『噂の真相』くらいで、本当はどっちが分があるのかとちょっと珍しかった。

 世間はどう見ていたかというと、事件後なかなか記者会見を開こうとせず、やっと開いた記者会見でもついに少年の主治医は顔を出さずということから療養所への非難はあったが、かといって町澤氏に全面的な支持が集まったわけではなく、“泥仕合”的に見ていた。

 例として『噂の真相』を出したが、同誌も町澤氏を非難していた。
 だから私も、氏が非難されるというのは唐突ではなかった。
 ただその非難が正当かどうかは、詳しく検証していなかったので即決はしかねていた。

 印象的には、氏は事件後の『朝まで生テレビ!』にも出演して必死に弁解と療養所非難をしていたが、他のパネリストからの“突っ込み”はなかったものの、多少エキセントリックな感じを受けた(しかしこれはもう1度ビデオを見直す必要がある)。

 それ以前は私は氏に対して、その著書『逃げ遅れたヒツジたち』を読んだり『NHKスペシャル・心の中の風景』を見たりして信頼すべき精神科医の1人に数えていたのである。

 氏が攻撃されていたのは2点。
 1つは「無理に入院させたので少年はそれを根に持ち犯行に走った」という点。
 もう1つは主として療養所の言い分であるが「少年を直接診てもいないくせに診断するというのはおかしい」というもの。
 1点目の方が大きい。

 1点目について、氏は
「3月に入院させたときには、それにより中学襲撃事件は防げた。少年もそう言っている。問題はあくまで簡単に外泊許可を出した療養所の措置にある」
と言い、2点目については
「直接診なくても診断を下すのは精神科医として常識」
と反論しているが、はっきり言って反論としては弱い。

 特に1点目に関しては少年の言葉の中に入院させられたことが犯行の動機につながったことが見出せる。
 氏としてはきっちり反論したつもりのようだが、読み手としてはそうは捉えない。
 だから初めに書いたように「氏の世評は低下した」と結論づけているのである。

 本書の後半は水増し。
『噂の真相』が批判しているように自説・ボーダーライン論の開陳と、2000年に起こった他の少年犯罪のつまみ食い(「深層」と題しながらそうではない)。
 本というもののもつ本質的な弊害・“冗長主義”に関して考えさせられた。

 また随所に氏の保守的な姿勢が垣間見られ(少年法の刑事罰適用年齢の引き下げに賛成するとか、いじめはいじめられる側の問題もあるとか、学校へ行かないことを認めなかったりとか、精神病者の隔離措置に賛成したりとか)、そういうところが『噂の真相』から批判される原因なのだろうが、私の本書に対する評価を貶めた。

 さらに、アダルト・チルドレン概念に代表される新しい(真理に近い)精神医学をまったく取り入れておらず、昔ながらの古くさい精神医学アプローチのみしか見られない(「古典派」なのかもしれないが)。
 それでは少年の心の闇や深層の分析は永久に無理だろう。
 そんな調子だから
「少年の両親には問題はなく、あえていうとちょっと過保護」
程度の分析しかできないのである。

 以下は本書より得た点に入るが、もちろん町澤氏だけの問題ではない。
 氏の件はむしろ矮小の部類に属する。
 最大の問題は社会システムの無責任体制、隠蔽・事なかれ主義であり、さらにはその地方格差(都市よりも地方の方がひどい)である。

 それにより少年の家庭は社会から孤立させられ、事件は起きた。
 氏のその指摘はその通りである。
 療養所、警察、学校の責任回避・保身のための嘘。
 そして警察のシナリオ通りの世論誘導のお先棒を担ぐマスコミ。
 そのマスコミは当然権力=体制機関の嘘を暴くことはしない。

 むしろ我々は、どのような事件が起きても全く同じように繰り返されるこの社会体制のありようこそをこの事件からの最大の教訓とすべきではないか。
 新聞の提言とか社説の類だったら
「事件の再発防止のために社会的ネットワーク・関係機関の連携の強化を」
などと言うところだが、もちろんそんな毒にも薬にもならぬことを声高に主張するつもりはない。

 一次資料として、少年の手記やインターネット掲示板への書き込み、母親の手紙等が収録されているのは役立つのではないか。
 個人的には、少年の社会観の早熟さにはちょっと注目させられる。
 総理大臣等に、「我、革命を実行する!」と「声明」を送りつけているのである。
 17歳でである。

 社会システム的なおかしさとしてもう1点付け加えておくと、弁護士という職業の機能の仕方のおかしさ。
 例えば被害者に少年の両親が謝罪に行くのは裁判上不利になるというので、止めている。
 それを町澤氏が強く説得して謝罪に行かせている。
 この弁護士の、司法の現在のありようは、“あるべき社会”に向かっていない。

 本書ならではの内幕の数少ない収穫としては、少年の両親は
「殺されても構わないから(少年のバスジャックしている)バスに行かせてくれ」
と言ったことや、唯一殺害された塚本達子さんの夫へ謝罪に行くシーン、そして少年は幻聴の症状があり町澤氏はそれをもとに精神分裂病(注:病名は当時)と診断していること(療養所は心因反応(軽いノイローゼ)、精神鑑定書(福島章氏による)は*解離性障害中の解離性健忘(ストレスの強い部分を忘れる)と離人症性障害(現実感覚が少し薄れる)と診断しており町澤氏が批判している)、そして
「また、別の男が出てきた。その男が殺せ、殺せと言う。自分は殺さねばならないのだろうか。殺すのは怖い。自分が死ぬのも怖い。でも、殺さねばならないのだろうか。誰か助けてくれ」
という少年の深層の言葉がある。                       

*解離性障害には反社会性人格障害が入らない。                 (2001・2・1、29歳)

タグ:町澤静夫
posted by nobody at 05:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年06月04日

私はショートショートに何を求めているのだろうか 〜星新一編『ショートショートの広場4』〜

『ショートショートの広場』と言えば思い起こすのは『ショートショートの広場1』に収録されていた「海」。
 星新一も最優秀作品に選んでいた。
 意外さや面白さというのではない。
 それは1つの立派な文学作品の与える感銘だった。

「読むな」というのも変わっていた。
 不思議なことに、ショートショートの本来の魅力たるはずの“意外な結末”が印象に残っているものはない(強いて挙げると“すべてを通り抜ける”薬が開発され、飲むと地面をすり抜けていったやつくらいか)。

 さて、本書は私にとって2冊目の『ショートショートの広場』となる。
 60編が収録されているが、知りたいのはどれほどの数の中から選ばれたのか、である。
 カバーイントロが仰々しい。
 いわく、
「プロの作家も顔負けの、すばらしいアイデアと生きのいい文章の、極上のショートショート六十編」。
 いくら商業目的の広告文句とはいえ、これはいただけない。

 収められたものは3種類に分けられる。
@プロットが納得でき、面白いもの。
Aプロットは納得できるが、面白くないもの。
Bプロットが理解できないもの。
 カバーイントロが正しければ60編全て@になるはずである。
 それでは実際に仕分けしてみよう。

 @が10編、Aが26編、Bが24編。

 ここで間違ってならないのは、Aは“まあまあの出来”とか“可もなく不可もなく”ではなく“不可”なのである。
 あくまで@対A・Bの構造、面白いか面白くないかである。

 カバーイントロは6倍に強めていた。
 なんという誇大広告か。

 ちなみにこれを星新一の選評と比べてみた。
 星は10点満点で採点し、実際には9、8.5、8、7.5、7点を使用している。
 9と8.5を私の@に、8と7.5をAに、7をBに該当することにする。
 すると9と8.5は3編、8と7.5は18編、7は39編となった。
 意外にも私より星の方が評価が“辛い”ことになる。

 この3段階評価で私と星の作品ごとの一致度を見ると、一致しているのが24編で不一致が36編と、半分弱が一致。

 ここで私のAはだからどうしたというものも含みとにかく面白くはないのでそれもBと一緒にして再び一致度を見ると、一致が43編で不一致が17編と、一致度は3分の2まで増した。
 それなら星もこのカバーイントロには不服のはずなのだが。

 要するに素人が「プロ顔負け」、「すばらしいアイデアと生きのいい文章(文章・文法上の初歩的なミスも散見された)」、「極上」の作品をそうやたらと書けるはずがないのだ。
 それは当り前のことだ。
 この誇大なカバーイントロさえなかったら、こんなことをくだくだと書かなくてもよかったのだ。
 あるから、問題にせざるを得ない。
 商業主義上こんな誇大広告を打たざるを得ず、星もそれを追認せざるを得なかった。
 結局講談社は本来は上質な作品は6分の1しかないのを6倍に(星の評価で8以上を上質としても3倍に)水増しし、それだけ儲けたことになる。

 さて、ここからは星を批判の対象とする。
 不一致の17編について。
 そのうち、決定的な不一致が4編ある。
 すなわち、私が面白いとしたものを星が面白くないとしたケースと、逆に私が面白くないとしたものを星が面白いとしたケースである。
 前者が3編で、後者が1編である。
「なんでこんなに面白くないものを面白いとしているのか」というのが私の基本的スタンスなので、より深刻なのは後者である。

 私はとりあえずショートショートとして合格、としたのは10編であり、星のそれにあたるのは8点なのだろうが、そうすると星の8.5と9はいわば超A級、このレベルで初めて「プロ顔負け」という形容はふさわしくなる。

 問題の1編は「悲しげな死神」で、星はその8.5というプロ級の評価を与え、私は3という最低評価を与えた。

 プロットは、西暦3820年からタイムマシンに乗って現代に来た生物学の権威が、伝説となった『死』の学術調査のため、様々な死にゆく人のもとに現れ、傍観するというもの。
 見た目が死神ぽく、タイムトラベルの唯一の注意事項として「過去に干渉するのを避けるため傍観者に徹せよ」とあったのがミソ。

 星はこれを「ユニーク」、「こんな扱いがあったとは(何の?)」、「盲点を突かれた」(カッコ内引用者)ともちあげ8.5を献上しているが、「『死』を迎える人間の、美しく満ち足りた姿」をただ見ることが、何が学術調査なのか? 
 西暦3820年には『死』は存在しないのだから、学術調査して何の役に立つのか?

 逆のケース、すなわち私が面白いとしたものを星が面白くないとしたケースもやはり深刻である。
 というのはそれが強いて挙げると私が60編中ベスト1としたものだからだ。

 それは「奇病」という作品で、「心に思っていることと、口からでる言葉が、バラバラ」(例えば「趣味の悪いネクタイをしている上司に対しても、『すてきなネクタイですね』と言ってしまう」)と訴える患者を、医者はバラバラなのが正常であるのでそれは直さず、そのことを異常と思う心の方を治してしまうという話で、その「バラバラ」の6つの例の選び方も秀逸であり、藤子・F・不二雄のSF短編「気楽に殺ろうよ」(食欲と性欲をはじめとする社会的価値観が逆転していて異常と正常の観念の逆転に苦しむ男を、精神科医が唯一その男の価値観に立ってその価値観を諭して否定する話)を彷彿とさせ、私は1をつけたのだが、星は7点という評価(低評価の根拠は挙げていない)。

 私と星の主観の違いと言ってしまえばそれまでだが、星の裁定は絶対的なものであり客観からかけ離れていてはまずいだろう。

 結局私はショートショートに何を求めているのか。
 それがわずかながら本書の世界とずれてしまっているようだ。
 例えば私はコントのようなものは求めていない。
 SFとの境界やフィクションの許容度についても自分自身曖昧なままだ。

 でもいかにも『ショートショートの広場』らしい雰囲気を醸し出すものもある。
「動く看板」という作品。
「賢者の贈り物PARTU」という題名。
 ゲンさんという登場人物(「ことばのゴミ捨て場」)。
 かぶった“デジャ・ヴ”(「みんなのデジャ・ヴ」と「賢者の贈り物PARTU」)。

 とにかく「やられた!」という作品を読みたかった。
                                            (2006・1・30、34歳)

タグ:星新一
posted by nobody at 01:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月26日

私の中で『ショートショートの広場』は終わった 〜阿刀田高編『ショートショートの広場11』〜

 相変わらず駄作が続く。
『ショートショートの広場4』に比べて駄作の度合いがひどくなった。

 編者が阿刀田に変わり、当初は星よりもマシになったと思っていたが、評点を分析してみると、星よりも甘くなっていることが判明した。

 そもそも星が9、8.5、8、7.5、7の5段階評価をしているのに対して、阿刀田も5段階評価ではあるものの、9.5、9、8.5、8、7.5と0.5繰り上がっており、最初から甘いのである。

 しかも星が『4』で60編中39編と全体の65%を“最低”(7)と評価していたのに対して、阿刀田が最低の7.5としているのは63編中の4編、たった6%なのである。
 10倍の甘さである。

 一方高評価の方について見てみても、両者とも最高(星が9、阿刀田は9.5)評価を与えているものは1編ずつなのでこれは特A級として除き、星の8.5と阿刀田の9を“標準A級”として比べてみると、星が2編(全体の3%)なのに対し阿刀田は13編(21%)。
 阿刀田が7倍甘い。

 だいたい阿刀田の唯一の9.5(すなわち本書の最優秀作品)が「仲間外れ」というのが、そもそもこの男はショートショートが本当には分かっていないのではないかという疑念をすら生じさせる(「日本を代表するショートショートの名手」なのだそうだが)。

 「仲間外れ」とはどんな作品なのかというと、トランプのキングの絵札を基にした外道なのである(作品のアイデア、文章そのもので勝負していない)。
 ハートのキングだけ髭がなく、ダイヤのキングだけ剣でなく斧を持っており、スペードのキングだけ右を向いているのを順に「仲間外れ」だとあげつらい、最後はクローバーのキングが1人だけ完璧なるがゆえにやはり仲間外れになるというオチ(これが阿刀田によると「この世の差別など、このくらい根拠の薄いものだ、という寓意性を含んでいる」(太字引用者)のらしい)。
 どう考えても、これを唯一の9.5と評価する根拠が分からない。

 とりあえず阿刀田は、この「仲間外れ」を特A級として、以下9(私の1にあたる)が13編、8.5(同2)が17編、8(同3)が22編、7.5(同特3)が4編という具合に評価している。

 私は以前と同様に1、2、3の3段階評価にしようとしたが、あまりにひどいのがあったので自然に特3(最低)ができ4段階評価となった。

 そして今1度断っておくが、「2」と言っても、決して「まあまあの出来」という意味ではない。
 しぶしぶ「2」にせざるを得なかったものが多い。
 というのも、とりあえずプロットらしきものが確認されたら「2」という基準にしてしまったからで、そのプロットそのものが、だからどうした、実につまらんというのが多いのである。

 そのうえで、私の1は6編、2は32編、3は22編、特3は3編となった。

 このままの4段階評価での私と阿刀田の作品別一致率は63編中の31編で、49%。
 さらに私の2を3と同じとして再び一致率を見ると、44編で70%になる。
 この辺は『4』の星との一致率とだいたい同じである。

 さて次に評価の決定的食い違い(私が最高としているものを阿刀田が最低としているもの、私が最低としているものを阿刀田が最高としているもの)について。
 前者が1ケース、後者が6ケース。
 後者の方がより深刻なのだが、極めつけが1ケースある。
 それは「額縁の中」で、なぜ極めつけかというと、阿刀田が9をつけたのに対して、私は特3をつけたからである。

 それがどんなストーリーかというのも説明しにくいが、「それぞれの額縁」の中「から(意味不明)それぞれの方向を眺めている」(カッコ内引用者)2人が全くかみ合わない会話を続け、やがて結婚し、じゅうたんとカーテンの色をめぐってけんかになり、離婚するというもの。
 全く訳が分からないとしか言いようがない。
 これを阿刀田は「すれちがう会話のおもしろさと、寓意性をかって九点。現実にもありそうなことだ」と評している。
 会話のどこがおもしろいのか、何の寓意性があるのか、どこが現実にもありそうなのか、さっぱり理解できない。
 阿刀田は、
「読者をして、/――うまいなあ――/と感嘆させるところがなくてはいけない」(188ページ)
「最後でストンと理解が読者の中に生じなければいけない」(190ページ)
と言っているではないか。
 どこがこの作品に当てはまるのか。

 しかも悪いことに、この作品は本書の冒頭を飾っている。
 まっ先にこれを読んだ人は、ショートショートとはこんなものかと思って離れていくだろう。


 本書の63作品は、平均2.8ページである。
『4』は3.2ページだった。
 ページ数で言うと12.5%の減だが、実際はそれ以上なのである。
 というのは、ページの組み方が変わっていて、本書は『4』より字が大きくなって行数も減っているのである。
 本書は1ページあたり697字だが、『4』は774字だった。
 だから字数で比較すると、本書は平均1952字で、『4』は2477字となり、21.2%の減、5分の4の長さということになる。
 阿刀田の趣味でもあるのだろうが(3ページの作品に「長い」と言うくらいだから)、1作品が短いという印象が強かった。


 「ピエロのゲンさん」という作品があった。
 なぜ『ショートショートの広場』にはゲンさんがよく出てくるのか。
「デジャ・ヴ」も頻出だが、今回は作品名ズバリで出ていた。
「銀幕」「世界中の『長い人』に贈る」はいかにも『ショートショートの広場』という雰囲気の作品だった。


 改めて確認しておかねばならないのは、ショートショートとはアイデアこそが命である、ということ。
 長編小説はそれをごまかすための冗長主義をはらんでおり、ショートショートはそれへのアンチこそが存在理由と言っていいこと。
 アイデアの斬新さで勝負していくようにならないと、この調子では、私にとっての『ショートショートの広場』は、終わってしまう。                      (2006・2・28、34歳)

タグ:阿刀田高
posted by nobody at 19:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月25日

あえて光の当たっていない所に光を当てる“司馬流” 〜司馬遼太郎『肥前の諸街道 街道をゆく11』〜

 私の脳ミソの不調を改めて意識させられる1冊となった。
 2度読んだ。
 2度目は私の使いこなせないボキャブラリーを拾うためで、計208個の語句があったが、2度目だからといってそれほど速くも読めないことがショックだった。
 また、読み直さなければならないこと自体が不満だった。
 1度だけではまだこの読書記録の“完全性”に自信がもてなかったというのも多少あった。
 それはいっぱしの書評としての完全性を得たいという職業文筆家のような強迫観念だった。
 1冊の読書記録をまとめるのに再読が必要だとすれば、単純計算で私の読める本の量は2分の1になってしまう。
 1冊読むスピードさえ遅いのに。

 すでに読了したのに読書記録をしたためていない本は10冊以上ある。
 旅行で読書記録をつけようとこのノートと本を携行したのは2度ある。
 しかしいずれも着手することはなかった。
 再読は、新しい本を読むことをこらえる罰のような一面ももっていた。

 さて本書は、歴史において該博なる司馬遼太郎以外には無理だろうというほどのものである。
 ある地に赴きその地にまつわる歴史事項に思いをめぐらす。
 いわば地理から照射した歴史“エッセイ”だが、それを可能とするには全史に渡って縦横に語れる博識が必要である。
 もちろん文才も必要で、彼以外になしうる人というのはちょっと見当たらない。

 随所に歴史文献の引用が見られるところなどはそれを裏付けるが、その反面「わからない」「〜と記憶している」と精緻さを欠くところもあり、それはエッセイという性質上、そう厳密でなくともよいのだろう。
 むしろ「〜については、よくわからない」などとあるのは司馬の物腰の柔らかさ、親しみさえ表しているようだ。

 しかし地理の規定する歴史エッセイには制約もある。
 規定が地理にあるために、歴史の中心線である時系列を追うのが煩雑になってしまう。
 1か所なら時系列をまとめることも可能だが本書のように街道を移動する形を取ると時系列の整理は難しい。
 そのため読後に歴史の流れが知識的定着を見るのは難しい。
 本書でいうとポルトガルとオランダの来航や事蹟の流れがすっきりとしない。

 それでも前半はまだ好感触だった。
 旅は福岡から、長崎まで沿岸をめぐる形で始まるのだが、やはりまずは元寇だろうと思ったが期待通りだった。
 次に佐賀に入ると松浦党だと思っていたが、まあ言及されていた(名護屋の朝鮮出兵があればいいと思ったがこれはほとんどなかった)。

 しかし長崎といえば当然出島とシーボルトについての叙述がメインかと思いきや、ほとんど肩透かしをくった。
 部題が「横瀬・長崎」となっているが果たして横瀬は長崎と並ぶほどの重さがあるのか。
 本書には「佐世保人はふつう忘れてしまっている」とあるが、佐世保人さえそうなら日本人はなおさらである。
 さらに筆者の筆は福田浦へと進むのであるが、
「長崎市民にとっても、忘れられたような地名らしい」。

 一体なぜ横瀬・福田がメイン扱いされるのか。
 それは横瀬が平戸の次に1563〜1565の2年間、福田が1565〜1571の6年間、ポルトガル商船隊とカトリックの神父たちの根拠地であり、筆者が
「私のこの旅は、西肥の海岸線をまわることによって、戦国末期に、はるかなヨーロッパの波濤が打ちよせたというふしぎさを感じつづければいい。つまりは南蛮文化時代であり、(略)そのころに、気分のひろがりを、限っておきたい」
とこの旅を規定しているからである。
 そのころに気分のひろがりを限られては困るのである。

 元寇のくだりは満足だったと前述したが、違和感はあった。
 部題が「蒙古塚・唐津」となっているように蒙古塚を目指しているのだが、それは飛行機上で見た地図中に「『蒙古塚』という小さな活字」を見つけたことに発している。
 ところがこんな所は九州に詳しい「編集部のHさん」も同行者の原岡加寿栄さんもタクシー運転手も知らず、そもそも筆者からして「そういう存在どころか、名称さえ知らない」のだから、そんな所を目指す意義が分からない。
 
 本書は、筆者や須田画伯、Hさん、北村氏らのこの旅の現在進行形の部分と、「〜といっていい」「〜にちがいない」という口調が印象的な筆者の歴史語りの部分から構成されている。

 歴史語りの柱の1つに人物語りがあって、

【堀久太郎】
 秀政。
 信長・秀吉に仕え、“名人久太郎”と言われた。
 名護屋城に詰めた「堀久太郎」はその子。

【松浦隆信】
 道可。
 平戸松浦家の戦国末期の当主。
「実質は海賊の親玉であり」、「大名というより貿易家」。

【葉山佐内】
 平戸藩家老で、山鹿家(山鹿流兵学の家元。山鹿流兵学は山鹿素行が始め、その弟山鹿萬介も平戸藩家老であった)の高弟。
 吉田松陰(吉田家の家学は山鹿流兵学)がそのもとへ行き従学する。
 司馬の母校大阪外国語学校の校長葉山萬次郎の曾祖父にあたる。

【ファン・カッテンディーケ】
 幕末の長崎海軍伝習所教師団責任者のオランダ人。
 平戸時代(1609〜1641)のオランダ人がどこに住んでいたかを必死に探す。

【王直】
 明末の私貿易家。
 日本にポルトガル船をひっぱってき、また鉄砲を種子島に伝えもした。
 道可が居城を引き払って与えた(印山寺屋敷)。
 明にだまされて帰国し刑殺される。

【ウィリアム・アダムス】
 三浦按針。
 家康の貿易顧問でオランダ商館の顧問。
 イギリス人だがロッテルダム会社に雇われ、慈愛(デ・リーフデ)号で壮絶な航海をして日本に漂着し日蘭関係の端緒をなす。

【沖禎介】
 豪傑会に宮崎滔天らとともに参加し、辛亥革命に参加、中国に文明学校を興し明治維新を輸出しようとする。
 日露戦争で陸軍通訳となりロシア軍の鉄橋を爆破しようとして捕えられ処刑される。
 生家が平戸市にあり旧図書館になった。

【コスメ・デ・トーレス】
 スペイン人のイエズス会士・日本布教長。
 ザビエルを補佐した徹底した実務家。
「あらゆる徳や、自己抑制において完全な人物」(ベルショール・ヌーネス)。

【大村純忠】
 肥前のキリシタン大名。
 横瀬の半分と長崎をイエズス会に割譲する。
「可憐なほどによき信者」。

【長崎甚左衛門】
 長崎の領主で大村氏に属した。
 受洗。
 純忠が長崎をイエズス会に割譲したため所領がなくなり、後に時津七百石を代替地として受け取るのも断る。
「何を考えるのもいやになるほどに心労してしまった」。

【ルイス・デ・アルメイダ】
 日本に南蛮流外科を伝えたイエズス会士。
 私財を豊後府内(大分)や長崎に育児院や総合病院等の施設を建てるのに費やした。
 京都南蛮寺にいた頃は街に出て病気の乞食を探し出し無償で治療していた。

 等の人物が取り上げられていた。

 いずれにしてもやはり南蛮に焦点が当たっている。
 もう1度司馬の弁明を聞くと、
「このほんのわずかな時期(カトリック時代)のふしぎな長崎の性格については、これを集中的に研究した書物がまだ出ていない。長崎といえば、秀吉による教会領長崎への弾圧とその残酷なキリシタン処刑、さらにはずっとあとのオランダ人の渡来から、ふつう、幕があくようだが、それ以前のカトリック時代の長崎を、ゴアの教区の内部事情、アジアにおけるポルトガルとスペインの対立、またはヨーロッパにおけるポルトガル王国の内情といった面から丹念に照射した研究が出てくれば、長崎史は原爆体験を待たずして世界史の一部分になりうる」(184ページ)。
とある。
 なんと、私(一般的には我々)はオランダ人の渡来から幕が開く長崎史を期待していたのに、あえてこれまで光の当たっていない南蛮時代に意図的に光を当てると宣言しているのである。

 南蛮時代に光を当てるなとは言わない。
 しかし歴史の客観的重要性・比重というものがあるはずである。
 長崎史において主はあくまで禁教鎖国以降の紅毛(オランダ)時代であり、南蛮時代は従のはずである。
 従がなぜ主を凌ぐ扱いになっているのか。

 1620年をもって、「長崎には南蛮時代のものが何一つ地上に存在しなくなった」。
 このことがイメージとして長崎と南蛮の結び付きを弱くしている(大浦・浦上天守堂はいつできたのだ?)。
 南蛮時代の“主”扱いに違和感を覚えるのも無理はない。


「あるいはこれほどの情熱の根は存外そういうところにあるのかもしれず、ではなくて純乎として醇な芸術的情熱の屈折した発現であるのかもしれない。それらをないまぜて旺盛に自己旋回するものがイチガイという豪傑の精神であるとすれば、……」(137ページ)
という文体にはなじみにくさを覚えたし、
「さらに、ヘンリー航海王が体質化させた黄金時代のポルトガルの海外伸張の性格が、ローマ教皇と不離であることだった」(176ページ)
という悪文もあった。

 江戸時代の日本の金銀相場の話はこれまでの疑問を解いた。
 日本は国際相場から見て金と銀の価格の開きが小さかった(外国では大きかった)。
 そこでオランダ人は日本に物を売ってその代金を金(きん)で受け取り、日本から物を買うときはその代金を銀で支払った。
 そのこと自体がオランダに巨大な利益をもたらした。
 開国後は世界中からこれをやられて大損をしたという。

 あと、「普遍的文明」と「市民(階級)」というタームに司馬の歴史観の特質を見た。
「普遍的文明」は次のように用いられる。
「この元寇は、軍事のかたちをとった普遍性の高い文明と、特殊な条件下で育った民族文化とのあいだの激突であったといってよく、つまりは日本が普遍的文明というおそるべきものに触れた最初の経験であったといっていい」(19ページ)。

 「市民(階級)」の成立・台頭というのは、オランダ人あるいはオランダの会社の従業員であったためオランダの利益を図ったアダムスが宗教や国家よりもビジネスを優先した(あるいは切り離して独立させた)という文脈で使われる。
 いずれからも司馬史観たるものが国粋的なものとは一線を画していることが分かる。

 それにしても脱稿するのに3か月超を要し、最後まで脳ミソの不調を思い知らされた(パチンコのしすぎが原因か?)。                         (2005・7・12、33歳)

タグ:司馬遼太郎
posted by nobody at 17:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月15日

素人対談の弊害 〜青木雄二・北野誠『独断 これが日本だ。』〜

 対談というからには論争か、共通の敵に対する共鳴であり、より面白いのは論争なのだが、いずれにせよ流れがあり何かを生み出すものであるべきである。
 そのためには話題に対する専門性(専門知識)と、それが足りないのであれば最低限の(流れを作ることのできる)論理性が対談者には求められる。
 しかるに本書は、2点とも満たしていなかった。

 前者では北野誠が?だった。
 確かに一応“社会派”タレントではあるが、私はこうした対談をこなすほどの力量があるとは見做していない。
 それでも私よりは経済に通じてはいる(データ面などで)ので、私はこんな奴にも及ばないという反面教師にしなければならない(しかしそれは経済が北野の自信のある分野だからで、私は私の自信のある分野(例えば新左翼史とか)だったらいけると思っている)。

 青木にしたってその専門性は不十分である。
「秘書の給料いうんは、政治家が貰ってもいいというような金なんやろうな」(231ページ)
「辻本清美のほうがまだマシやと思うけどな。ワークシェアリングした言うてるんやから」(64ページ。青木は辻本の秘書給与詐欺を、辻本の弁解通りみんなやってることと取り批判しない)
「世界の共産党で戦争を仕掛けたとこはひとつもないんですよ」(55ページ。中越戦争は?)等々。

 ただ、言うまでもなく青木の持ち味は専門性にあるのではない。
「景気がいいか悪いかいうのは、朝日、毎日、読売、産経の新聞販売店舗あるでしょ。あの集金人に聞いたらええがな」(161ページ)
「うちらの田舎のほうでは、新聞代、それも朝刊だけね、電気代、電話代で一万円以内に収めなあかんのですよ。(略)田舎では、暑くてもクーラーつけません」(162ページ)
「タクシーの運転手とホステスは金借りにいってもはねられるでしょ」(164ページ)
「神戸の山奥のガソリンスタンドがなんぼでも潰れとるもん」(233ページ)
といったような、より身近でリアルな経済情報こそがいわば青木の持ち味ではある。

 しかしそれにしても、最低限の専門性はやはり必要条件なのである。
 それがないのが、本書を週刊誌の放談レベル、もっと悪く言うと床屋の政談に毛が生えたレベルに貶める要因になっているのである。

 例えば“利権”という言葉。
 それはもう松本清張『けものみち』レベルであった。
「北野 野中は北朝鮮の利権持ってると思いますよ、多分ね。でもあの利権はなんやろうね、やっぱりパチンコかな。まあ、あの辺の利権の絡み具合っていうのは、僕らが喋っててもわからんですからね。そういった自民党の利権構造っていうのは、田中角栄からなんでしょうけど」(40ページ)。

 利権の中身が少しも判らない。
 そこへいくとこれから本格的に読む予定の宮崎学『突破者の日本ウラ経済学』には利権の構造の説明がある。

 あまりにも現象の皮相・表層のみを、雑多に辿っていっているだけなのである(しかも脈絡なく)。
 こうなってくると、立花隆が『日本共産党の研究』で用いた、「現在を知るためには歴史を知る」という手法の正しさが見直されてくる。
 当初はそれはもどかしく感じたものだったが、やはりそれが真の分析というものだったのだ。
 それに対して本書は、分析・掘り下げというものがまったくないと言っていい。

 次に後者論理性に関しては、まず言っていること自体の意味が判らないというのがある。
 例えば青木の
「(裁判長は)法を創造する才能がなかった」「裁判長に創造力がないねん」(81ページ。法を創造しちゃいかんだろう。あるいは「想像」の誤植か)。

 そして因果関係が判らないもの。
 例えばこれまた青木の
「電車も女性専用の車両ができたがな。あれも変な考え方やと思うけどな。だって、結婚いうのは人類のもっとも最初の社会的行為ですよ。それを否定するようなもんですからね」(123ページ。なぜ女性専用車両が結婚を否定することになるのか)。
 北野だって
「亀井静香辺りが馬鹿のひとつ覚えで『公共事業やったらええねん』って言うてるのも、外貨準備高とかアメリカ国債とかを日本がいっぱい持ってるからなんですよね」(227ページ。公共事業と外貨準備高・アメリカ国債と、何の関係があるのか。少なくとも説明が必要だろう)。
 
 青木と対談する相手は、青木の“共産主義全肯定”に“対処”する必要がある。
 しかし論争という形を取らない限り受け流すしかない。
 青木も意図的かどうか知らぬが「共産主義でも女の取り合いだけは不平等」などとうまく話題をそらす。

 北野の方も
「あとは改革ですね。小泉の言うてる改革じゃなくて、ほんまに飢えてしまった人民が立ち上がって、世の中を変えないといかんわけですよね」(241ページ)
「もはや革命以外方法はおまへんやろ!!」(29ページ。ただしこれは漫画のフキダシ)
とまで合わせているので、両者は日本政府はどうしようもないという点で同意、共鳴していくわけだが、これが堂々巡りで論理的、生産的発展がない。

 北野は青木に再三再四「どうしたらいいか」と問うが今まで自民党に投票していたからだ、共産党に入れればいいとこちらも繰り返すばかりで、北野は即効性の面で難色を示す。

 で、
「北野 でも、こうやって話してても、日本がようなっていく方法論は見つけられませんね。
青木 ないない」
ということにあいなる。

 肝腎要の経済の現状「分析」も、グルグルと同じ所を回っている観が否めない。
 というのも、北野は
「実際日本はもう恐慌状態に入ってますからね」(184ページ)と言っておきながら、その後で
「そうすると、やっぱり恐慌ですかね」(196ページ)
「僕もね、ある日突然大恐慌がやってくると思うんですよ」(204ページ)
「日本はこのままずるずると恐慌に向かうんですかね。あと五、六年ですかね?」(210ページ)
「(青木の「不況を通り過ぎて恐慌になっていくんですよ」を受けて)そうでしょうね。今の不況の間にどう手を打つかしかないでしょ」(234ページ)
「どっちにしても、恐慌がいずれやってくる」(242ページ)
と繰り返す有様なのだ。
 現状認識の混乱と論題の堂々巡りぶりを表している。
 まあ恐らく「恐慌状態」の「状態」とは「兆候・入り口」というニュアンスなのだと反論するのだろうが、「恐慌状態」とは「恐慌の状態」なのだから「恐慌」なのである。

 ちなみに未来予測の方はどうかというと、
「北野 僕はこの本が出る頃('03年2月)から二〇〇四年までの間に、なんかあるような気がしてるんですよ」(13ページ)
「北野 (預金封鎖・徳政令が)ぼちぼち来ますかね? 二〇〇四年ですか? 
青木 そこまでもたんような気がするな」
 少なくともこの2つは外れている(もっとも外れてくれた方が喜ばしいのだが)。
 あとは
「北野 でも、日本もようもってあと五年ですか。短いですね。
青木 五年以内('08年まで)にドカーンとごっついことが来ると思うな。『もうたまらん』と。
北野 まあ、この本が出てちょっとしたら三月決算があるでしょ。その頃にはだんだんわかってくるでしょうね。まず、国債の暴落かな? 
青木 そうでしょうな。国債の暴落は間違いないな」(241ページ)
だけだが、少なくともまだ、国債は暴落していないようだ。

 とにかく最低限の流れというものができていない。
 章題のつけ方もいい加減。
 第一章は「自民党の罪」というのだが、「功」にあたる部分は一切ないので、つけるならば「自民党の罪状」とすべきである。
 いやそもそも論題が自民党に絞られ分析的に語られているわけでもない。
 それでその最初の小見出しも「今の世の中、無罪になったら勝ちですわ」とあるがそんなセリフは全くなく、実は第二章の第二小見出し「見つからんかったら何してもええねん」中にある。
 お粗末が過ぎる。

 話題転換は常に唐突、しかも社会全体がおかしいなどと論題は堂々巡り。
 共鳴型でありながら相手の発言を受けず、それにお構いなく自説を繰り返す場面も少なからず。
 したがって考察は深まらず現象の表層がなぞられるだけ。
 
 反論理の最たるものは矛盾だろう。
「北野 竹中プランというのも結局は骨抜きになってしまいましたけど、ほんまは最初の案のようにハードランディングでよかったんですよね。大きいも小さいも関係なく、市場の判断に任せて悪い会社は全部潰すという強行突破をするべきやったんですよね。
青木 そうです。それをやらんことにはどうしようもないんですよ。経済の法則から言っても」(238ページ)
とあるが、2人とも小泉改革もアメリカも批判していたではないか。
 それにその結果大量に発生するリストラは容認するということか?

 さて、以降はプラス面を述べていこう。
 まず、2人ともリスクを背負って発言している。
 実名批判は普通の者はやらない(ハンナンはHとイニシャルにされているが)。
 その痛快さは小林よしのり『ゴーマニズム宣言』と同様である。
 北野は国債のCMをしている藤原紀香を批判しているが、これで同じテレビ業界で敵となってしまったわけである。

 それに随所に日頃の私の所感と同じものがあった。
 例えば以前はもっと高い水準を最低ラインと言っていたくせにいざそれを下回ってくるといつの間にか最低ラインを引き下げるイカサマ、
国民は洗脳されているということ、
別の業種がつながっているということ(私はシャンプーメーカーとかつらメーカー、精神科医と権力=体制はつながっていると思う)、
人間は1度覚えた旨味のレベルを下げることはできないということ、
日本人はカネ以外の価値を見出すことができなかったことなどなど。
 まだまだたくさんある。

 昨今の株・ホリエモンブームへの危惧、下流社会の到来など先見の明を示した部分もある。
 
 青木の力強い信念も見れた。
 それは、
「そういうこと(社会正義の追求)は言い続けないけません。いくら言うとっても、何も世の中変わらんわいということでやめてしまったらいけませんよ。言い続けな駄目ですよ」(106ページ)
ということ。

 付箋をぎっしりつけてこの文章を書いた。
 もうこんな窮屈な作業はしたくない。
 ただ、間違いなく私が日本一本書を読み解いた人間だという自信はある。           
                                         (2006・3・27、34歳)

posted by nobody at 02:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年05月08日

己を客観視することのできる能力 〜松本人志『松本坊主』〜

 最近最も好きなテレビ番組は『ガキの使いやあらへんで!!』である。
 松ちゃんの笑いにハマっていたし、そのルーツを知りたかった。
 それで母がコミュニティーセンターで借りていたこの本を読んだ。

 松ちゃんの笑いにハマっているといっても、全面的に支持しているといったわけではない。
 いわゆる“松本お笑い天才説”には、むしろ本書で松ちゃんが反論している世のバッシングに近い方の感覚をもっていた。
 今それがすっかり消え失せたというわけではなく、松ちゃんのお笑いの何たるかが分かり始めたという状態である。

 ただ“天才”と言われると若干の抵抗を感じる。
 例えば爆笑問題の太田光は天才と呼ばれても抵抗はないが。

 むしろ正直に言って、最近『ガキ―』にハマる以前は、ダウンタウンはどこが他と隔絶して面白いのだろうという思いが、『HEY!HEY!HEY!』を見ている時など頭を離れなかった。
 要するに、確かに面白い、しかし特別に面白いとされている理由が分からなかった。

 ただ本書を読んで、随所に戦略家としての松ちゃんに気付かされた。
 その点は天才と言ってもいい(ただしお笑いの点ではない)。
 いくつか引用しておこう。

「(1万円ライブ『寸止め海峡(仮題)』で)やっぱ「おもろいなあ」だけで帰らせては、あとあとのために、こいつらにとってもよくないなと思って。(略)最後の最後に「やっぱわからへんわ」言うて帰らせたろうと思って、やったったんです。」

「(『ごっつええ感じ』降板で)自分の一人の芸能人としての歴史を何年後かに振り返った時に、そういうのもあっていいのやろうなって思うし、(略)低いところで考えれば、絶対得なことではないけれども、もっと高いところで考えればね、たいしたことじゃないんですよ。」

「実はねえ、僕、ものすごくうまいんですよ、配分の仕方が。(略)絶対、おいしい部分をひとりに一個は設けてやるっていう考え方なんですよ。(略)そうすることによってチームワークが生まれるっていうのが絶対にあると思うから。」

「(なんば花月苦節時代で、平日は年寄りばかりでウケず)これ(平日の花月の状態)が本来の姿のわけないっていう。この状態に僕らが合わす必要は絶対ない、っていうのはありましたからね。」

「だから、ようやくね、ラジオ(『ヤングタウン』)でフリートークの技術を磨くことができるようになって、深夜番組(大阪の深夜番組『ねむれナイト』の『ダウンタウン劇場』というコーナー)で自分らだけでコントの技術を磨けるようになったっていう。」

「(『ガキの使いやあらへんで!!』のフリートーク・スタイルについて)金ないネタない知名度ないって言うたら、もうフリートークしかないじゃないですか」

「(料金後払い武道館ライブ『松風'95』が「失敗だ」とワイドショーやスポーツ新聞からバッシングされて)頭きたというよりも、「今はちょっと、新しいことはあんまりやらんとこ」って、思いましたね。(略)もう、「とにかく松本のやることは気にくわんでしょうがない」みたいな状態でしたから。そんな奴らとまともにやりあったってしょうがないから、とにかくちょっと潜伏期間っていうか、そういう期間を設けてやろうっていう気持ちにはなったんですけど。(略)だからあの次の年くらいから、ちょっと、奇をてらったことよりも、足元固めようっていうか、そういう感じになりましたね。」

「でも、浜田が一人でなんか番組やってる時に、その後ろに僕の姿が見えるっていうのは……たまに聞くんですよ。それは浜田にとっての戦いなんです。僕の姿が見えへんように頑張っていかんと、いかんと思うんですよね。」

 松ちゃんの戦略家面が窺えるところ28カ所に線を引いたのだが、そのうち3分の1を引用した。
 こういう判断を本当に己の閃き・感性だけで下しているのだとしたら、それはやはり天賦の才と言わざるを得ない。

 結局、私は本書を読むことによってどれだけ稀少価値のある松ちゃんの秘密を覗くことができたのだろうか。
 松ちゃんの側も、こんな本で己の全てを晒け出してたまるかといった感じで、のらりくらりと、曖昧に、「分からない」「覚えていない」を繰り返しているフシが見受けられる。
 天才は謎を秘めた存在であるべきだとすれば、それもまた当然の“戦略”だろう。

 しかし逆に、性に関する部分はかなり赤裸々に告白している。
「毎晩違う女というか、一日何人みたいな。極端な話(笑)。もうほんと、ダブル、トリプルとか言うて。『今日はダブルやぁ。早目に帰らさな次が控えてる』みたいな(笑)。」
といった具合である。
 性は松ちゃんにとっては隠すべきことではないのであろう。
 自身の初恋や恋人の話もそこそこオープンにしている。

 それに対して相方・浜ちゃんのことについてはつとめて淡々としていて付かず離れずといった感じである。
 冷たいと感じるほどだ。
 これはもちろん仲が悪いなどというレベルの低い話ではなく、あくまでも独立した二つの人格ということである。
 ダウンタウン松本として、浜ちゃんの存在が必要であったことにかわりはない。

 松ちゃんの松ちゃんたる原点は、
「お笑い以外の職業を自分がやるというのは考えられなかった」、
そして
「僕、この世界に入って、そのNSC(吉本の養成所)の時の初舞台――発表会みたいなとこで漫才やった時から、今日の今の今まで自分が一番おもろいと、ずっと思ってますから。絶対自分が一番やって、ずーっと。それは一回も疑ったことないんですよ。」
という自信・信念である。
 それが確認できた。
 そして人間臭いサクセスストーリーも。

 ただ、やはりその過程にはとてつもない努力・苦闘があったはずであり(何しろ芸人としては師匠につくという常道を踏まなかったゆえに先輩芸人にかわいがられなかったにも拘わらず、今田・東野・蔵野・板尾・木村・ココリコらのダウンタウンファミリーを作り上げるまでに這い上がったのだから)、その語られぶりの少なさは少し物足りなかった。
 もっともそれも松ちゃんの戦略なのだろうが。

 最後に、本書は渋谷陽一によるインタヴューを松ちゃんの1人語り風にまとめてあり、小題のつけ方にはセンスを感じたが編集に様々な不備を感じたので列挙しておく。

 @番組の放映期間・事件の顛末等の基礎データくらい載せろ。

 A笑いの表記は(笑)に統一しろ。

 B1人語りだからといってインタヴュアーの質問を松ちゃんに「〜ですか?」とか「〜な感じします?」と言わせる形にするのは無理がある。

 私は最近『爆笑オンエアバトル』も(単なる暇潰しではなく)好きなのに気付いた。
 ダウンタウンはまさに若手芸人・若者向けお笑いの先駆けだったのではないか。 
posted by nobody at 13:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月26日

知的とはそういうことだったのか 〜立花隆『解読「地獄の黙示録」』〜

 なぜこの本が存在しているのかがまず不思議だった。
 たとえば『巨悪vs言論』は3千数百枚に及ぶ原稿を約半分にカットしてできたものである。
 残りの半分が単行本化されないのに、どうして本書は単行本となっているのか。

 「地獄の黙示録」という映画1本についてだけで単行本が1冊できるのだったら、博覧強記、該博たる立花のこと、あと100冊は出ないとおかしい。
 ラファエル前派(ヴィクトリア朝絵画)について、マン・レイ(写真家)について、ゴダール(映画監督)について、ルイ・マル(映画作家)について、グレン・グールド(ピアニスト)について、ピエール・ベール(思想家)について、フリーマン・ダイソン(科学者)について、ヴィヨン詩について、トンパ文字等々(いずれも『ぼくはこんな本を読んできた』『ぼくが読んだ面白い本・ダメな本そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術』に出てくる立花の興味の対象)についての単行本は存在しないのに本書だけが存在する特別の理由が分からない。

 立花の著書だったら何でも売れる、ということか。

 とにかく月刊総合誌に発表した2本が柱でありページ数も200ページに満たず薄い(だからすぐ読めたのだが)。

 当然の前提としてまずビデオで「地獄の黙示録 特別完全版」を見た。
 3時間24分もあった。
 高尚というか難解というか、これが“良い映画”というものなのか、一体“良い映画”ってなんだ、一般の客はこういう映画にお金を払って見て満足なのだろうかと思った。

 よく分からないのも無理からぬことなのだ。
「アメリカの評者の中にも、最初に見たときは失敗作と思ったが、二度目に見てはじめて、見事な終結部を持った綿密に構成されたドラマであることがわかったと正直に告白している人もいる」(103〜104ページ)。
 専門家でさえそうであれば素人である私は言わずもがな。
 監督のコッポラも
「わからなかったという人は二度見てくれ、そうすればわかってくるはずとよくいう」(103ページ)のだから、理解されにくいことを想定している。
 また
「あれ(立花の80年論文(本書のU部):引用者注)を読んではじめて『地獄の黙示録』がわかったといってくれる人がいる」(17〜18ページ)
ともあり、そんならそれなしで分からないのもまあ当たり前だろう。

 この辺に本書の性質が窺われる。
 本書の基本的性質は、“「地獄の黙示録」ガイドブック”とでも呼ぶべきものである。
 あくまでその存在意義は映画のためのものなのである。

 この映画の分かりにくさの原因はどこにあるかというと、
「この映画は、見る人に挑戦するかのような重層構造になっている」(11ページ)からである。

 詳しく言うと
「コッポラは濃密なシーケンスを作り出すために、幾つかの下敷きを利用して、画面ではいわばそれをほんのちょっとだけ暗示的に引用し、その一つ一つの暗示的引用の背景にある広大な原作品の意味的、思想的かつ感情的広がりを利用しながら、それを重層的に構成していって、ひとつの自分独自の世界を作り出すという試みをして」(85ページ、太字引用者=以下同)おり、
「この映画を充分に鑑賞するためには(単なる戦争アクション映画として見るだけでよいという人は別として)、映画が下敷きにしたものについてそれなりの予備知識が必要である」(86〜87ページ)。

 で、その予備知識とは具体的には何かというと、コンラッド(イギリスの小説家)の「闇の奥」(この映画の骨格にあたる。主人公の商社代理人クルツがカーツ大佐にあたり、そもそもクルツもカーツと訳すのが正しい)であり、エリオット(イギリスの詩人・批評家・劇作家)の「荒地」「うつろな人々」(いずれも詩)であり、ヨーロッパに伝わる聖杯伝説であり、フレイザー(イギリスの人類学者・古典学者)の「金枝篇」というわけである。

 コッポラの試みはエリオットの詩作と同じ方法であり、
「この方法は下手をするとガラクタの寄せ集めとなる、又はそう見られる恐れがある」(85〜86ページ)。
 エリオットの代表作「荒地」も当初はそう見られたのだが、
「熱心な読者が、さながら古今東西の引用ないしパロディで埋めつくされた感のあるこの作品の内的構造を解明し、それが単なる粗雑な引用の寄せ集めではなく、彫琢と鏤刻の極致として成立した詩であり、その豊富な引用は、かえってヨーロッパ文化の遺産を最も豊富に受けつぎながら、その上に詩的世界を構築したものとして高い評価を受けるようになり、現代文学の最も重要な古典の一つにかぞえられるようになった」(86ページ)。

 正直に言えばよい。
“豊富な引用”が評価されるのはそれが可能なほど作者の知識が該博であることを示すからであり、そうした作品に高評価を与え得る受け手や評者というのは多数の引用を知っているから偉く、分からない者はすなわち無知なるがゆえに下等なのであると。

 一体“引用”と“寄せ集め”(パクリ)との違いは何なのか。
「粗雑な引用の寄せ集め」と「彫琢と鏤刻の極致」の差は。

 ちなみに私は引用というとノンフィクションからの引用の方が気になる。
 タイム誌(日本の映画であのような場面で例えば朝日新聞が読まれることはありえない。そのまま痛烈なマスコミ批判になるからである)、プレーボーイ、チャールズ・マンソン事件、ワーグナーの「ワルキューレの騎行」など。
 こう見てくると創作のオリジナリティーとは何なのだろうかとますます疑問になってきてしまう。

 分かりにくさの副次的要素としては翻訳のデタラメさもある。
 本書にはその指摘が随所に見られ、さながら英語翻訳教室というべき一面も呈している。
 アメリカ人の映画評論家が原語で見て難解と言っているのを誤訳で見るのだから(それもキーワードを)、難解の度が増すのも理の当然である。

 まあそれにしても“換骨奪胎”とは便利な言葉である。

 それほど難解・高尚な、
「ベトナム戦争を単なる舞台装置として利用しただけの哲学的映画」(88〜89ページ)
の、“装い”についてはもう分かったから、それでは中身はどうだったのか、何を言いたかったのかというと、
「この映画は戦争の最も本質的な部分がどこにあるかを哲学的に追求していき、そこにノーを突きつけることが主題になって」(186ページ)おり、
「この映画のテーマは、モラルの問題であり、かつ偽善の問題である」(73ページ)。

 偽善とは具体的には
「村を破壊し、殺戮を繰り広げたあとで、村人たちに『皆さんを傷つけるつもりはありません。歓迎の手をさしのべにやってきたのです』と放送する偽善。その戦場のどまん中で神に祈りをささげる偽善。ハラワタがはみだすまで闘った勇敢な男だからというので、水筒を差し出す偽善。自分たちが機関銃を浴びせた女を病院に運ぼうという偽善」(111ページ)
というようなことである。

 付け加えるならば通常兵器で殺せば戦時国際法上認められ、化学・生物兵器で殺せば違反であるなどというのもそうだろう。

 私は中2の時の読書感想文(長谷川潮「死の海をゆく」)で平時に人を殺すのは悪いことだが戦争では良いことになることへの素朴な疑問を呈し担任の先生に褒められたことがある(ちなみに小学生の頃描いた漫画「狂ったソ連」では総力戦の矛盾(非戦闘員を殺すことの是非)に焦点をあてている)が、煎じ詰めれば同じことではないか。
 難解を極めて言いたかった主題が私の子供の頃の疑問と同じとは、どういうことか。
 もっと素朴に伝えられないものなのか。
 やはり権力=体制下では難しいものがあるのか。



 映画というものはある意味で凄いものだ。
 撮影に1年2か月、編集に2年3か月、総計3年5か月かかっている。
 まわしたフィルムは440時間分で、それを2時間33分(オリジナル版。’79年公開。それに55分分追加編集された特別完全版が’01年に公開された)に削ったために、なんと99%が捨てられたのである。

 つまり1つの完璧な台本があってそれに沿って撮っていくのではなく、使えそうな場面をどんどんアドリブ的に撮っていき、あとで編集でつなぐというスタイルで作られたのだ。
 これでは時間も(必然的に金も(総費用90億円。うち約半分はコッポラの自腹。成功しなければ破産しなければならなかった))かかり編集も悪戦苦闘せねばならぬ(しかもエンディングも決まっておらず、コッポラはノイローゼのように悩む)のは理の当然だ。

 初めからちゃんとした台本を決めて制作にとりかかった方がどれだけ効率的か分からない。
 それでも利益の出る構造になっているのか。

 こんなエピソードもあった。
 主演のマーロン・ブランド(カーツ大佐役。彼はあまりノッていなかった)は拘束3週間で週あたり約2億9000万円(1日あたり約4100万円)という破格の条件だったが、貴重な時間が役作りの話し合いに費やされていった。
 しかもブランドは契約期間が切れるとさっさと帰ってしまったため、エンディングの困難さがさらに増すことになる。

 しかしこのことは好意的に捉えると、いくらでも試行錯誤していいのだということになる。
 とにかくやってみることが重要なのだと。
 本書は映画作りを志す青年を生み出すかもしれない。

 あと、ピーター・カーウィーとやらがこの映画の本格的研究書として「アポカリプス・ナウ・ブック」を出しているそうだが、それは編集前の素材段階のフィルムも対象にしているという。
 それは作品評の域を超えていまいか。
 また立花の2002年論文(本書のT部)も、コッポラ夫人の『「地獄の黙示録」撮影全記録』の引用が多過ぎる。                               (2006・2・5、34歳)

タグ:立花隆
posted by nobody at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月23日

“From Youth to Death!” 〜沢木耕太郎『深夜特急1〜6』〜

 最も鮮烈に印象に残ったシーンが2つある。

 カルカレフ(アフガン‐イラン国境)〜テヘランのヒッピーバスからの星空と、ユーラシア最西端・ポルトガル・サグレスのペンションの朝。
 もう1つ付け加えるならば、インド・ガヤ駅前広場の土の上での何千人とともにした野宿。

 ヒッピー・バスのシーン。

「眠れないまま、ふと、バスの後部の大きなガラス越しに空を見上げると、そこには透き通るような輝きを持った無数の星があった。私が日本から持ってきた本といえば、李賀の詩集と西南アジアに関する歴史書を除けば星についての概説書だけだったが、その助けを借りなくとも星座の姿が正確に見分けられるほど美しく澄んだ星空だった。星の光だけで、遠くに連なる山々の稜線がくっきりと映し出される。日本から遥かに離れたこのイランで、いくつかの偶然によって、十何カ国かの若者たちと共に怪しげなバスに揺られ、今この眩しいほどの夜空を眺めている。そのことがわけもなく感動的なことに思えてならなかった」(『4 シルクロード』106ページ)。

 旅と星空といえば、私も大学3年夏の自転車帰省時に兵庫県三木市美嚢川岸でシュラフの中から見上げた流れ星の思い出がある。
 帰らぬ思い出の輝きそのものを象徴するシーンだろう。

 サグレスのペンション・テラスの朝のシーン。

「だが、そのペンションに泊まっての本当の幸せは、翌朝になってみなければわからないことだった。(略)窓の真下に青い海があり、水平線上には今まさに昇ろうとする太陽が輝いていたのだ。(略)シャワーを浴びて階下に降りると、年配のメイドが海に面したテラスに案内してくれた。そこはガラスで覆われたサンルームになっており、明るく暖かい光に満ちあふれている。ひとりでぼんやり朝日が昇るのを見ていると、しばらくしてメイドが朝食を運んできてくれた。パンとジャムとバターにコーヒー。これ以上簡単な朝食はなかったが、私にはこれ以上豪華な朝食もまたないように思えた。コーヒーを飲んでいると、鬚の息子がやってきた。「よく眠れましたか?」
「快適でした」(略)翌日、朝の光の降りそそぐテラスで食事をとりながら、これで終わりにしようかな、と思った」(『6 南ヨーロッパ・ロンドン』154〜162ページ)。

 ユーラシア大陸の果てである。
 ここで沢木は旅の終わりの汐どきを掴まえる。
 このペンションは上品で、本来オフ・シーズンだったのだが、特別にしかも1泊900円と格安で泊めてくれるのである。
 ありえない話で、神から沢木の旅へもたらされた祝福の奇跡に思える。

 インドの駅前野宿のシーン。

「横になると、星のスクリーンが覆いかぶさってきそうなほど間近に見えた。やがて、土の微かな温りがシーツを通して体に伝わってきた。大地の熱にやさしく包まれ、緊張が解けていくにしたがって、何千人ものインド人と同じ空の下で夜を過ごしているということに、不思議な安らぎを感じるようになってきた」(『3 インド・ネパール』80ページ)。

 これも星空だ。
 ロマンティックで幻想的ですらある。

 本書を読み進むのは、まさに夢の中を進んでいくような感じだった。
 本の与えることのできるものとしては最上のものを味わったと思う。

 ページの文字・行組みも読みやすかった。
 あるいはそれは沢木の文章力によるものなのか。

 初めはバスという手段が、よく分からなかった。
 例えば自転車やバイクによる世界旅が偉業とされるのに対して。
 沢木が言うには、
「デリーからロンドンまで、乗合いバスを乗り継いで行くという、およそ何の意味もなく、誰にでも可能で、それでいて誰もしそうにないこと」(『2 マレー半島・シンガポール』175ページ)
で、キーワードは「酔狂」、ということだ。

 それに『深夜特急』という題名が違和感に輪をかけた。
 なぜ「特急」なのか。
 沢木の解題では深夜特急ミッドナイト・エクスプレスとはトルコ(なぜトルコなのか)の刑務所の外国人受刑者の隠語で、脱獄を意味するという。
 これは本当(深層)のところの旅の理由である「執行猶予」
(「(旅に出て)ジャーナリズムに忘れ去られることなど少しも怖くはなかった。それより、私には未来を失うという「刑」の執行を猶予してもらうことの方がはるかに重要だった。執行猶予。恐らく、私がこの旅で望んだものは、それだった」(『2』175ページ。カッコ内引用者))、
「回避」、「逃げた」に通じるのだろうが、バスの旅に「特急」とは。
 この題名が、売り上げを何割か落としていると思う。
 まあ本書は今やその内容により“旅のバイブル”と化しておりバックパッカーの常識となっているからそれでもいいだろうが。

 本書の主題は
「インドのデリーからイギリスのロンドンまで乗合いバスで行く」(『1』37ページ)
ということなのに、それならデリー以前の香港や東南アジアは何なのだ、というのも違和感だった。
 香港や東南アジアは「この旅」に入らないのか。
 入っているじゃないか。
 いっそのことゴールをポルトガルのサグレスにしてユーラシア大陸横断という主題にすればすっきりしたのだ。

 他の細かな違和感を並べると、各章の出だしが前章の結びから“飛んだ”ような形でスタートしているのはいちいち奇を衒っているようで読みにくく、そもそもの本書の冒頭からしてインドのデリーという“途中”から始まっている点(もっともこのような旅の最も象徴的なシーンから筆を起こすというのは旅行記としてはよくある手法であり、初めから時系列順に並べるのが面白くないからだろう。それにデリーを正規の出発点とするならば確かにそこから書いてもおかしくないのだろうが)、
200余ページの6分冊という形になっている点(なぜもっと1冊を厚くして巻数を少なくできなかったのか)などがあった。

 そもそも私は沢木という物書きに対して軽い違和感を持っていた。
 といっても嫌いだというわけではない。
 例えるならば漫画家のあだち充に対して抱いている感じと似ていて、作品は好きなのだが、何か根本的にこの人の感受性は私とは違うな、という感じである。
 沢木を知ったきっかけも、職場の同僚から勧められてだった。

 本書での彼の旅先における人との接し方を見ていても、私とは違うなと思った。
 私は彼ほどフレンドリーに人に溶け込めない。
 もっともそれは人の助けを必要とする独り旅をする者としては必須の資質でありそれこそが“生命力”というものなのかもしれないが。
 とにかく彼はよく人から料理や飲み物を奢ってもらっていた。

  軽い違和感を覚えながらも(再読時にはずいぶん薄れたが)本書に魅き込まれたのは、マカオの大小(タイスウ)のところからである。
 初日、沢木はまず手持ちの20700円(現在価値換算、以下同)を使い果たし、45000円を2度両替し使い果たし、さらに別のカジノで90000円を2度両替し減らし続け、残り46800円になったところで10800円をゾロ目に賭け、当たり、24倍の259200円となって負けを取り戻した。
 しかし最後に思い切って持ち金全部を張っていれば1123200円になっていたのに、と後悔する。

 これで終わるはずだった。
 しかし賽(DICE)の単数形がDIE、死であることを知り、
「得体の知れない荒々しい感情に衝き動かされ」(『1』169ページ)、
「張って、張って、張りまくり、一文無しになったら、その時は日本に帰ればいい」(同171ページ)と決意する。
 ここが分岐点だった。
 つまり、旅の継続こそが至上命題、ではなくなったのだ。
 本書が生まれない可能性だってあった。

 それにしてもいろいろと美しい言い方で大小を続ける心理の説明をしているが、私には博打を続けることの正当化にしか聞こえなかった。

 さて2日目は、270000円を4回両替し、約100万円を失ったところで、3つ目のプッシュ音の違いを掴み勝ち続け、936000円を取り返す。
 総収支を算出してみると、マイナス146700円(全所持金の8.6%。ちなみに香港の半月分の滞在費用が90000円。カジノ場所別内訳は、澳門皇宮マイナス617400円、葡京娯楽場プラス470700円)。

 なんとか旅は続けられることになった。
 それにしても、運であるはずのギャンブルに論理的に推理して臨むというのにも違和感を覚えたが、それも“人為”である(つまりイカサマ)からこそ成立したのだ。
しかしそれなら沢木はたった1、2日でカラクリを見破れるのに他の人たちはよほど鈍いのかということになる。
 あるいは沢木の洞察力が図抜けているということか。

 旅といえばトラブルだが、大きなものというとパキスタンのペシャワールで警官に爆弾犯に間違われてしたたかに殴りつけられ連行されそうになったのと、インドで激しい頭痛と熱に襲われたのくらいだろう。
 これも沢木の頭の良さか。

 旅は'74年の春の初めから'75年にかけての1年2カ月に渡り、沢木が26歳の時に行われた。
 本書は単行本として第1・2・3便という形で出たが、第1・2便が出たのは旅から10年後の'85年(沢木38歳)で、3便が出たのはさらにそれから6年後の'91年(44歳)だった。
 このタイム・ラグはなんだかうれしい。
 なぜなら私もまだ日本一周の日記を文学作品として出そうという野望をもっているから(しかしもう11年が経っている)。

 チャイ、チャイハナ、ハナモチ氏、「なんだって?」というセリフ、「フニャラ、フニャフニャ、ムスターファー」、「おくれ、おいらに、一バーツ」という表記、掛け声をあげて起きるシーンなどに本書らしさ・沢木らしさを感じた。

"From Youth to Death!"と、ヒッピーバスに同乗したロッテルダムの若者は別れ際に叫んだ。
 李賀は「飛光よ、飛光よ、汝に一杯の酒をすすめん」と詠んだ。
 飛光とは過ぎ去っていく刻に他ならない。
 沢木の旅は幼年期、少年期、青年期、壮年期、老年期を経、そして閉じた。
 本書が教えてくれたことは、時が止められないものである以上、いかにその時をすばらしいものにするか、輝かせるかしかないということである。

 読了の2年後、ようやく読書記録の筆を擱く。 
                                            

posted by nobody at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月22日

同時代の人生史 〜永沢光雄『AV女優』〜

 最近はまっているのは性ドキュメントものである。
 その前にはまっていたのは犯罪ドキュメントものだったが。
 本作品に続き、その続編的な『名前のない女たち』やコミック『AV列伝』、『性職者』、『実録レイプ裁判』などと広がっていっている。
 さらにそもそも人間にとって性とは何なのかという観点から岸田秀『ものぐさ精神分析』『続ものぐさ精神分析』所収の「性差別は文化の基盤である」「性的唯幻論を越えて」「性的唯幻論」に進んでいったりもした。

  AV女優が、なぜAV女優になったのか、どうしてなることを自認できたのか、誰しも知りたいことであろう。
 そして親は知っているのか、いないのか。
 バレているのか、いないのか。
 認めているとすればどういう理屈で。
 恋人はどうか。

 私なりの推測は一応あった。
 すなわち、「AV女優になるような女性は、家庭環境に問題があったはずだ。でなければ親を“裏切れ”ない」。
 あるエロ本にも「AV女優の3分の1はリストカットの経験がある」とあってわが意を得たりと思ったものだった。

 それは想像以上だった。
 衝撃に次ぐ衝撃。
 ようやく1人分が終わり余韻が波を引くようになったところへ次の衝撃が襲い来る。
 そんな感じで読み進んでいった。

 永沢も言っている。
「父親に犯されて、かあちゃん男に狂っちゃって、彼氏がヤクザに殺されて、なんて話が毎月毎月ですよ(初出は『ビデオ・ザ・ワールド』『AVいだてん情報』等1991年7月号〜1996年3月号)。毎月ひとりずつファザーファッカー、内田春菊みたいなのがゴロゴロ」。
 しかし後半は前半ほどの衝撃度は薄れたようにも思えた。

 女優は全部で42人。
 全655ページ。
 普通の文庫本2冊分はあった。

 読み進むうちに「余は如何にしてAV女優になりしか」への興味はサブになった。
 メインは1人の女性がどのような人生を生きてきたか、になった。
 しかも、普通どんなに近しい人といえども、下の話は秘密である。
 そういう意味では真実の人生史といえるものである。

 途中でもっと重要なことに気付いた。
 女優の平均年齢を20歳とすると、'92〜'95年(全体の90%)にインタビューされた女優の生年は、'72〜'75。
 私は'71年生まれだから、ほぼ同時代人生史なのだ。
 あと問題なのは、本書に収められている“事例”が、果たして特別な例なのか、普遍的なのかだ。
 この結論はまだ出ていない。
 普遍的であってほしいが。
 あるいはやはり、東京と田舎の違いか。

 根本には“機能不全家族”がある。
 子供の頃やたらといろんなお稽古事に通わされているなどというのもその一面の表れなのである。

 中学時代に(早い場合は小学時代に)性体験が始まり、高校生ともなると言わずもがな、とだいたいこんな調子である。
 その辺りの普通だったら決して知ることのできない“禁断のエピソード”に魅き込まれる。
“発覚”したら新聞沙汰という話がゴロゴロあり、逮捕され新聞沙汰になったケースが不運に思えてくるほどである。

 少女達は逞しい。
 疾風怒濤期を過ぎると何事もなかったかのように(そりゃもちろん前科ではないのだから)一般職へ就職していったりする。
 完全なまでに世の中というものの渡り方を知悉しているというほかない。

 たいがいは上京する。
 その無謀と紙一重の行動力には脱帽してしまうところもなきにしもあらずである(例えば川上みくは17歳で米子から新幹線で上京しようとしたが、旅費が尽きたため大阪で“途中下車”する。その大阪で、住み込みのラーメン屋で働き、金を貯めたうえで改めて上京するのである)。

 行動力と言えば南条レイが凄かった。
 とにかく日本を出たかった。
 労働ビザが一番取りやすかったのでカナダにした。
 所持金は30万円。
 治安がいいと聞いたビクトリア島へ。
 安ホテルで新聞広告を見て部屋探しの電話をかけまくる。
「I want house. 」しか喋れない。
 何日もラチがあかない。
 考えて「I need room. 」にすると通じた。
 相場の倍ほどボラれたが、次は職探し。
 これも新聞広告に電話をかけまくるが、レジメ(履歴書)の作り方が分からず、そのうち金がなくなり、部屋を追い出され、文字通り路頭に迷う。
 教会で牧師に「I don't have money. I don't have room. Help me. 」と訴え、20人ほどのホームレスと共同生活、ザコ寝。
 しばらくして聖書学習会で知り合った日本人の紹介で、ようやくまともな職を得る……。

 こういう話を読むと、ウジウジといつまでも決断して行動を起こせない自分がとてつもなく情けなくなる。

 おっと、こんなに詳細例を書いていてはキリがない。
 しかし本書について語るとなると、大月隆寛が解説でしているように、どうしても引用を羅列したい衝動に駆られる。
 それは本書の魅力の芯の所に関わってくることだと思う。

 本書の魅力の表層の部分、俗性を刺激する部分は、まるでよくできたドラマのような修羅場の連続だ。
 女子中学生から別れを切り出された男が泣いて包丁を持ち出して「お前を殺して俺も死ぬ」と追いかけ回したり、車で轢き殺そうとしたり(氷高小夜)、
高3で同棲していたところへ恋人の母と無口な女子高生の父が乗り込んできて母が「なんてふしだらなんでしょ」と言うと父が正座したままウォーと叫び号泣し「私の娘はふしだらじゃない!」と叫んだり(細川しのぶ)、
様々な機能不全家族ぶりもそうだ。

 だが、それらは表層なのだ。
 芯は、例えば前掲の南条レイの話は次のように続く。
 南条は職を得て教会を出たのだが、その職場のレストランで出た残り物を、教会の「仲間たち」の所へ
「みんな、今日は御馳走だよ!」
と言って持っていくのだ。

 永沢も
「この話を愛していると言ってもいい」
「『みんな、今日は御馳走だよ!』
 こんな素敵な台詞を文字で記すことのできる自分を、私は幸せに思う」
と言っている。

 私らしくない筆致になってしまうが、女優たちはひたむきに、真摯に生きている。
 AV女優というと身を堕としている、自暴自棄と思い込みがちだが、そんなことはない(森川まりこなどは性感マッサージ店を経営している。“まっとうな人”のうちどれだけが経営者になれる?)。
 なんとも称揚しがたい、あえて言うならば素朴な、愛すべき人間性、人間くささがそこにはある。

 その極致たるセリフを引用しておこう。
「恨んだり反発したりするのは簡単だよ。愛するって、むずかしいよ」(柚木真奈)。

 そしてそれらは、永沢の技量が引き出したのである。
 永沢もまた、人間くさい。

 永沢が優れた物書きであることは間違いない。
 本書はインタビュー集であるが、インタビュアーとAV女優との掛け合いという一定の様式をとっていない。
 一定の決まりきった形になってしまわないように、よくぞというほどバリエーション豊かである。
『長くつ下のピッピ』の引用から始まったり、「少年は…」「男は…」と話がつながれていったりする。
 それでいて奇を衒った感じがしないのはやはり文才というものだろう。

 永沢の人間くささが、本書を単なるAV女優インタビュー集でないものにしている。
 例えば相手に嫌われてしまったなんてケースもある。
 凡人ならばそれを出さぬようまとめるものだが、彼は全てをさらけ出すのである。
 これは中村淳彦『名前のない女たち』と対照的である。
 同書は事実の集積としての魅力はあるが、中村は己をさらけ出さない。
 それが“ビジネス”だからだ。

「――桂木さん。
『はい』」(395ページ)。

 普通ならこんな部分は省略される。
 効率的でない。
 しかし本書の雰囲気には合っている。
 立花隆も本書に対して「永沢のパーソナリティがいいのだ」と評している。

 そもそもここまでAV女優に己をさらけ出させたのも、永沢の人間的魅力があったればこそなのである。
  立花も引用しているがある女優はこう言ったという。
「ああ、あのクマさんみたいなオジさんね。よく覚えてる。あたしあん時、なんか知らないけどいっぱいしゃべっちゃったよね」。

 インタビュアーが永沢でなければ女優もここまで喋ることはなく、本書もここまでのものとはならなかった。

 永沢のあとがきにこんなくだりがある。
「仕事は月に三本あるかどうか……なのに毎日を酒で無為にうっちゃり、気がつくと数少ない原稿の締め切り日がとうに過ぎ、やっと机に向かうかと思うとベッドへ逃避する。つくづく自分は駄目な人間だと感心しつつ、脂汗を腋の下から流し力ずくで眠る。だが人間、そうそう十何時間も眠り続けられるものではない。隣室から、妻が眺めている。(略)昨日は夜の八時に睡眠薬を飲んでベッドという防空壕に避難したから、十二時間以上は寝ている。だが私は瞼をぎゅっと閉じ開かない。開いてしまったら、机と原稿用紙という現実が待っている。現実はどうも性に合わない」

――こんな文章を読むと、私はどうしようもない共感と愛着を抱いてしまう。

 こんな彼の魅力に魅かれてフリー編集者・向井徹は単行本化を申し入れ、文藝春秋文庫部の今村淳(あとがきは彼の死について書かれている)は文庫本化を申し入れている。
 今村は永沢に「小説を書きなさい」と言い、彼との約束を守る形で、永沢は『グッドモーニング・トーキョー』を書き2001年第17回太宰治賞・最終候補作となっている。
 1人のライターは確実に挑戦を続けている。

 女優42人中7人は顔出しNGで、裸の写真は1人だけで、カラミは0人。
 単行本化のため掲載許可をとりに女優らをまわった向井は所在確認に難儀し、行方不明の子もいた。
 これらが本書のある面をあぶり出している。
 そして普通なら20代後半になってこの仕事を続けるのは不可能である。
 彼女達はこれからどんな人生を歩んでいくのか……。

 最もメチャメチャな話は、刹奈紫之の話であった。
「(カメラマン)松沢、気絶」。      
                                          
                 (2005・12・12、34歳)

続きを読む
タグ:永沢光雄
posted by nobody at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月21日

113個の羅列、煙草と雨 〜村上春樹『1973年のピンボール』〜

 3度ほど読んだうえでこの読書記録を書くことになったのだが、1度目でさっさと書いていれば、一切否定的なことを書くことはなかっただろう。
 それが残念だ。

 前項の『風の歌を聴け』ではストーリーのなさを批判した。
 その代わりに散文詩のような美しさがあった。
 本作はストーリーのなさはさらに酷く、散文詩の美しさもなかった(ページの空白が少ない)。

 前者は群像新人賞を受賞したデビュー作で、本作は第2弾。
 いわゆる“2年目のジンクス”ならぬ“2作目のジンクス”にどっぷり当てはまるのではないか。
 例えば本作を映画化したいという声などは絶対に上がらないだろう。

 繰り返すが、私は村上春樹を日本一読みやすい文章を書く作家だと見做している。
 その村上にして、そして200ページにも満たない本作にして、やはり小説のもつ冗長主義からは免れられないのかという絶望感を受けざるを得ない。
 さすれば他の作家の作品はもっともっと冗長なるは必定である。

 3つ以上の羅列がざっと数えただけで113箇所あった。
「海からの潮風、木々の葉の香り、叢のコオロギ」
「様々な夢があり、様々な哀しみがあり、様々な約束があった」
「彼らには風に揺れるざわめきもなく、香りもなく、闇に向ってさしのべるべき触手もなかった」
といったような具合で、絶望的なことにこの3つともが同じ1つのページにある。

 私は恐らく脳機能上の関係で、羅列が苦手なのである。
 今までは羅列といえば村上龍だったが、今回村上春樹もそうだったと気付いた。
「僕たちは池の脇に車を停め、車の中に座ったまま魔法瓶に入れたコーヒーを飲み、双子が買ってきたクッキーを食べた」
のように、時の経過を示すタイプのやつはまだいいのだが。

 列挙しているものに、必然性が感じられないのだ。
 例えば
「何キロも遠くで夜の鳥が鳴き、何キロも遠くで人々は窓を閉め、何キロも遠くで人々は愛を語っていた」
という表現は、どうしてもこの3つでなければならなかったのか。
内容よりも先に3拍子のリズムがあったとしか思えない。
内容に必然性がないということは、3倍冗長になっているに過ぎないのだ。

 果てしなく煙草を吸い、果てしなく雨が降る。
 その必然性が見えてこない。
 ただ字数を埋めるために存在する描写としか思えない。

 脇役の話の筋への参加にも必然性は感じられず、冗長さを増すためとしか思えない。
 これは少なくとも前作には見られなかった。
「僕」の働く翻訳事務所の女の子と「僕」の学生時代アパートに同居していた少女は「僕」と会話をし、ジェイは鼠に独り暮らしであることを明かし、そしてこうある。
「そしてジェイ……。何故彼の存在がこんなに自分の心を乱すのか鼠にはわからない」。
 脇役の出しゃばりによる冗長というと私は浦沢直樹『YAWARA!』の伊東富士子や慈悟郎、加賀邦子を思い出す。

 鼠についての描写は、決定的だ。
 本作では「僕」と鼠は700q離れて暮らしており交わることはない。
 だから鼠は節(全25節)の変わり目で出てくる。
 その描写は女と出会って別れたのはかろうじて判るものの徹底的にぼやかされている。
 明瞭にしたならストーリーを進めなくてはならなくなるので避けたとしか思えない。

 多くの人が、本作で最も良かったのは双子の出てくるところと答えるに違いない。
 それでもっている。
 あるいは印象に残ったところとしては3(スリー)フリッパーのスペースシップの追跡・再会という声もあろう。
 しかし鼠のシーンが最も良かった、最も印象に残ったという意見は皆無に違いない。

 一応、“筋”を辿ろう。
 24歳の「僕」は1973年5月、直子(死んでしまったかつての恋人。確か『ノルウェイの森』でも出てくるはずだ)の過ごした街の駅のプラットフォームへ彼女の話してくれた犬を見に行く。
 双子の女の子が住みつき、同居する。
「僕」は友人と女の子の3人で小さな翻訳事務所で働く。
 電話局の男が配電盤を取り替えにやってきて、古い配電盤を忘れていく。
「僕」と双子は配電盤の葬式をしに貯水池に行く。
 107ページでやっとピンボールが出てくる。
 その年の秋のある日(本作は1973年秋の物語である)、ピンボールが「僕」の心を捉える。「僕」は1970年の冬、ジェイズ・バーにあったのと同じ機種である3(スリー)フリッパーのスペースシップを新宿のゲームセンターで見つけピンボールの呪術の世界に入りこんでいたのだが、1971年2月、ゲームセンターは取り壊されたのだった。
「僕」は東京じゅうのゲームセンターを捜し回り、あるゲームセンターの主人を通してあるピンボールマニア(大学のスペイン語講師)と知り合い、ついに新宿のゲームセンターにあったスペースシップの行方を突き止める。
 ある人物がスクラップになるところを金を出して引き取っていたのだ(その人物は78台のピンボール・マシーンを元養鶏場の冷凍倉庫にコレクションしていた)。
「僕」はその冷凍倉庫に1人で入り、スペースシップと再会し、“会話”する(持ち主とは会わない。プレイもしない)。
 双子は11月の日曜の朝、バスに乗って去っていく。

 一方で鼠は、女と出会い、付き合い、別れ、ジェイに街を出ていくことを告げる。

「僕」と直子の間に何があったのか。
 直子はなぜ死んだのか。
 双子は一体何者で、なぜ「僕」の部屋に住みつき、「僕」はなぜそれを許容したのか。
 双子はなぜ「僕」も知らない配電盤の位置を知っていたのか。
「僕」はなぜピンボールに心を捉えられたのか。
 ピンボールは何を象徴しているのか。
 スペースシップの不思議な魅力とは何なのか。
 スペースシップの持ち主はなぜ姿を現さなかったのか。
 双子はなぜ「僕」のもとを去ったのか。
「もとのところ」に帰るというが、そこはどこなのか。
「僕」の見つけた唯一の居場所「複式の雷撃機」とは何なのか。
 双子はすばらしくうまいコーヒーを入れ、新宿の潰れたゲームセンターの跡にできたドーナツショップはおそろしくまずいコーヒーを出したが、それは何かを象徴しているのか。
 鼠と女(設計の仕事をしている)はなぜ付き合うことになり、鼠はなぜ別れることにしたのか。
 なぜ街を出ることにしたのか。
「僕」と鼠の行動や心の動きには、何か共振性があるのか。

 ……などという疑問は抱くだけ野暮、ということか。

「配電盤、砂場、貯水池、ゴルフ・コース、セーターの綻び、そしてピンボール……どこまで行けばいいのだろう」
「どこでもいい、僕の辿るべき道を辿ろう」。
「何もかもが繰り返される」のだ。

死が僕を捉え、再び無の坩堝に放り込むまでの束の間の時を、僕はその光(ずっと昔に死んでしまった時間の断片の放つ暖かい想い)とともに歩むだろう」。
 そうするしかない。それが人生。           
                                           (2006・4・21、34歳)

続きを読む
タグ:村上春樹
posted by nobody at 00:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年04月20日

"明かされぬ謎"の是非 〜村上春樹『風の歌を聴け』〜

 確かにオシャレな文章だ。
 確かに「軽快なタッチ」(カバー・イントロ)だ。
 だがストーリーは? 
 ストーリーは二の次なのか? 
 それでよいのか?

 村上春樹というと私の評価は“日本一読みやすい文章を書く物書き”。
 だが果たして文章の読みやすさだけで終わっていいものだろうか。

 中身のないストーリーに、一生懸命謎めかせ、含みをもたせることによって、価値をもたせようとしているかのように思えてしまう。

 その象徴的な例がデレク・ハートフィールドであろう。

 デレク・ハートフィールドとは「僕」が文章について「殆んど全部」を学んだ作家で、1909年に生まれ1938年に死んだことになっている。
 本書を読む限りでは実在の人物としか思えない。
 いちいち「作品名」の後ろに出版年が添えられ、「あとがき」で、すなわち村上春樹名儀で
「もしデレク・ハートフィールドという作家に出会わなければ小説なんて書かなかったろう」
と書かれ彼の墓参りの様子が描写され、その最後が
「最後になってしまったが、ハートフィールドの記事に関しては前述したマックリュア氏の労作、「不妊の星々の伝説」(Thomas McClure;The Legend of the Sterile Stars:1968)から幾つか引用させていただいた。感謝する」
と締め括られてまでいるのだ。

 しかし彼は架空の人物なのである。
 確かに
「1938年6月のある晴れた日曜日の朝、右手にヒットラーの肖像画を抱え、左手に傘をさしたままエンパイア・ステート・ビルの屋上から飛び下りた」
という描写には違和感を感じてはいた。
 このハートフィールドについての記述は本編中にも(結びにさえも)顔を出すのだが、実在の人物と思わせることに何の意味があるのか。
 そもそも意味など求めてはいけないのか。

 ストーリーがないことは全て悪ではない。
 本書はあたかも散文詩のような趣である。
 それが読みやすい要因でもあった。

 太宰治『晩年』所収の「葉」に似た印象をもった。
 例えば「葉」にこうある。
「叔母の言う。『お前はきりょうがわるいから、愛嬌だけでもよくなさい。お前はからだが弱いから、心だけでもよくなさい。お前はが嘘がうまいから、行いだけでもよくなさい』」。

 転じて本書にはこうある。
「『暗い心を持つものは暗い夢しか見ない。もっと暗い心は夢さえも見ない。』死んだ祖母はいつもそう言っていた」。
 以上はストーリーの希薄な点のプラス面である。

 しかしストーリーで勝負しないとなると、断片的な文章で勝負することになり、どうしても含みをもたせ、もったいぶらせる(何か隠されているんじゃないかと勘繰らせる)ことになってしまう。
 例えば以下のシーン。

「(強い人間などいない、みんな同じだと言う「僕」に対して鼠が、)『ひとつ質問していいか?』僕は肯いた。『あんたは本当にそう信じてる?』『ああ。』鼠はしばらく黙りこんで、ビール・グラスをじっと眺めていた。『嘘だと言ってくれないか?』鼠は真剣にそう言った」。

 なぜこの会話の流れで鼠にとって本当に強い人間が存在することが切実に重要なのか?
 最後に「僕」はどう応えたのか?
 すべては謎である。

 はたまた以下のシーン。

「(僕と昔のガール・フレンドが裸でベッドにもぐりこんでいるシーンで)「嘘つき!」と彼女は言った。しかし彼女は間違っている。僕はひとつしか嘘をつかなかった」。
 
 ひとつ嘘をついていたら「嘘つき」なのに、なぜ彼女が間違っているのか? 
 謎である。

 あえてストーリーらしきものを辿ると、以下のようになる。
 物語の始まりは1970年8月8日で、終わりは18日後の8月26日。
 舞台は「僕」の帰省先である人口7万と少しの港街。
「僕」は21歳の大学生で、生物学を専攻している。
 中国人バーテン・ジェイの店ジェイズ・バーの常連となり、友人鼠(「僕」と同じ大学生だったが、大学をやめる)とビールを飲む。
 ある日バーで酔い潰れた女の子(この街のレコード店で働いている)を介抱して彼女のアパートに連れていき(彼女は自分で裸になったのを忘れていて初め「僕」を嫌悪する)、徐々に打ちとけていき最後は彼女のアパートに泊まるまでになる(しかし彼女と会ったのはこの夏が最後となる)。
 彼女の父は5年前に脳腫瘍で死に、それでお金を使い果たし家族は空中分解。
 母と双子の妹は消息不明。
 最後に「僕」が彼女のアパートに泊まる前、彼女は1週間ほど旅行に行くと言っていたが、実は中絶手術を受けていたのだった(相手は「顔も覚えていない」)。
 ちょうど同じ頃、鼠は「僕」に「女に会ってほしい」と頼むが、直前になって会うのをやめる(このことから、これが最大の謎だが、「彼女」の相手とは鼠だったのではないかという可能性が出てくる。しかしすべての謎は詳らかにされない)。

 そして“副流”として、ラジオのDJがある。
「僕」の高校時代のクラスメートの女の子が「僕」にビーチ・ボーイズの「カリフォルニア・ガールズ」をリクエスト曲としてプレゼントしたのだ。
 DJからかかってきた電話の中で「僕」は高校の頃その女の子から借りてなくしてしまったそのレコードを返すと約束し(それを買うために入ったレコード店で『彼女』(本編中心人物の『彼女』)と偶然再会するのだが)、彼女の行方を進学した大学に電話をかけるなどして追跡するのだがついに突き止めることができなかった(彼女はこの春に「病気療養」のため退学していた)。

 そしてラジオは終盤にもう1度登場してくる。
 17歳の、脊椎の病気で身動きもままならず回復もほぼ絶望的な入院中の女の子がプレスリーの「グッド・ラック・チャーム」をリクエストするのだが、いつもは陽気なDJが彼女の手紙をまじめに読み、
僕は・君たちが・好きだ
と言うのだ。

 その手紙の中に、私にはずっと付き添ってくれている姉がおり、彼女は私を看病するために大学をやめたとある。
 となるとこの姉とは「僕」に「カリフォルニア・ガールズ」をプレゼントした女の子ではないのかという可能性が出てくる。

 いや、ひょっとしたら姉は物語の中心人物の『彼女』で、入院しているのはその双子の妹ではないのかとも思えてくる(とすると『彼女』も17歳ということになるが、『彼女』の年齢は「20歳より幾つか若い」としか言及されていないので該当しないこともない)。

 プレスリーを手掛かりに考えると、「僕」は14歳の時初めてデートした女の子とプレスリーの映画を観、その主題歌の歌詞の一節が載っている。
 もしその歌が「グッド・ラック・チャーム」であれば、1つの線が結びつくことになろう。
 もちろん当時入院中の女の子は10歳だから、デートの相手は姉ということになり、そうすると「カリフォルニア・ガールズ」の女の子の線がまた強くなる。

 あるいは「僕」が今までに寝た3人の女の子とは関係ないのかな、と思う。
「14歳」という符合もいささか気になる。

 第26節にちょっと気がかりなところがある。
 同節は「僕」が寝た3番目の女の子(大学で知り合った仏文科の女子学生。この年の春休みに首を吊って自殺)についてなのだが、☆マークで4分割されている。
 2番目の「彼女」のことも自殺した彼女のことととるのが当然なのだが(「彼女の21年の人生の中で」ともあるし)、なぜ大学で知り合った彼女の唯一の「僕」の持っている写真がそれ以前の14歳(それが彼女の人生の中で一番美しい瞬間、と言っている)の時のものなのか。
 14歳といえば「僕」が初めてデートした女の子ではないのか。

 看病している姉は生きているわけだから自殺した女の子と結び付く訳がないというのは正論である。

 だが解釈はいくらでも成り立つ。
 この2番目のところだけ自殺した女の子のことではなく、「21年の人生の中で」とあるからといって必ずしも21歳で死んでいなければならないことはない(ほとんど屁理屈に近いが)。
 あるいはすでに死んでしまった姉のことを、入院中の女の子は生きていると嘘をついた。
 あるいは手紙が書かれたのは数年前であり、その時はまだ姉は生きていた。
 手紙は何らかの事情でタイム・ラグを経て投函された。

 多少の時の流れの前後もアリなのかもしれない。
 その根拠は第32節のデレク・ハートフィールド関連の項である(とすればハートフィールドはやはり要だったのである)。

 そこには「宇宙の観念」(=不毛さ)の欠如している小説はだめであり、宇宙空間では時がどんな風に流れるのか誰も知らず、誰も知らないことを書くのこそが小説の意義であり、時の歪みに沿って掘られた井戸をさまよい2日間と思っていたら15億年経っていた(こう語るのは宇宙の「風」であり、してみると『風の歌を聴け』という題名の淵源はここか。またここで出てくる「井戸」は、後の村上の作品テーマにつながってゆく)という男の記述がある。

「ジョン・F・ケネディー」についての符合も気になるところだが、詳細を述べる余裕がない。


 だいたい私は村上作品に出てくる主人公の男は気に食わない。
 ひどいことを言ったから怒ってる? と聞く彼女に対して
「ねえ、僕のことなら何も気にしなくていい。それでも気になるんなら公園に行って鳩に豆でもまいてやってくれ」
と答えるのまではポップな会話として了解可能としても、
あなたも何かを抱えているの? と聞かれて
「うん。いつもシェービング・クリームの缶を握りしめて泣くんだ」
とくるともういけない。

「〜だ。そう・だろ〔でしょ〕?」
「そう?」
「ねえ、〜」
「〜。それだけ〔そういうこと〕だ」
「そりゃ良かった」
という語り口が印象的だった。

「僕」との受け答えの中での「彼女」の迷惑そうな描写はリアリティがあった。
 ビールと煙草は必須のアイテムだった。

「時は、余りにも早く流れる」
「あらゆるものは通り過ぎる。誰にもそれを捉えることはできない。僕たちはそんな風にして生きている」。

 これは『深夜特急』の教えてくれたものと同じである。   
                                           (2006・4・11、34歳)

タグ:村上春樹
posted by nobody at 00:00| Comment(0) | TrackBack(1) | 読書録 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする